【短編】君の息吹を恋ねがう ~離縁された黄泉還しの巫女は、かくりよの番人の愛を知る~

「どうして……こんなことになったんだろう……」

 囚われた座敷牢の中で、すずはひとり呟いた。

――黄泉還し(よみかえし)の巫女。

 巫女とは言うものの、神職ではない。すずがそう呼ばれるのには、理由がある。
 彼女は、言葉通り死者を甦らせることが出来るからだ。

 すずがその能力に目覚めたのは、(よわい)十五の頃。
 彼女が住む村は山奥にあり、みな貧しいながらも慎ましく生きていた。
 その頃のすずは、周りと同じ黒髪に黒い瞳を持つ、ごくふつうの……元気で少しやんちゃな優しい女の子だった。

(けれども……。すべてが変わってしまったのは、あの頃から……)

 すずは目をつむり、想起する。
 すべてが変わってしまった、あの日のことを。
 彼女の自尊心が酷く落ち込んでいくきっかけとなった、黄泉還し能力に目覚めた悲しい日のことを……。
 すずの生活が明確に変化したのは、夫から離婚を切り出される三年前。
 村のすぐ近くで兵達による争いが始まったことにより、不幸な人災が引き起こされてしまってからだ。
 長引く戦に不足した兵糧を補うためやむなしと、兵達が盗賊まがいの行為に及び始めた。
 平穏だった村に兵達が押し入り、食糧を奪われ、どさくさに紛れて金目の物まで奪い取られていき、拒む者は刀で切り伏せられる始末。
 農民が多く、普段は争いごとから縁の遠かった村人達は、略奪者に対して抵抗する術など持ち合わせていなかった。
 村はあっと言う間に荒らされてしまい、後に残されたのは僅かな食糧と、多くの死傷者。

「父さんっ! 母さんっ!!」

 そして、すずの両親もまた犠牲者に含まれていた。

「ああ、すず……。あなたが……無事で……よかったわ……」

 兵から身を張ってすずを守った母親が、息も絶え絶えにすずに今生の別れを告げる。
 真っ先に二人を守った父はすでに事切れており、母まで亡くなってしまうと彼女はこの世にひとり、取り残されてしまう。
 この乱世の時代、すずはいつ自分が死んでもおかしくはないと思っていた。
 しかし、まさか両親が老いを見せる前に儚くなってしまうとは、考えもしなかった。

「いや……! 母さんっ、死なないで……!!」
「ごめん……なさいね……」

 すずが母親の手を握り、母の無事を祈る。
 母も手を握り返そうとするが、その力も次第に弱くなっていく。

「すず……健やかに……生きて……」

 やがて、すずの手から母の手がするりと抜け落ちた。母が力尽きたのだ。

「いやあああ!! 母さん!!」

 ポロポロと涙を零しても、嫌だと駄々をこねても、母が逝ってしまうのを止めることは叶えられないと分かってはいた。
 だがそれでも、彼女は必死に母の手を再び握り、泣き叫ぶ。

 その瞬間、すずの耳にちりん、ちりん……と言う風鈴が奏でるような清廉な音と共に、悲し気な男の呟き声がよみがえった。

『死なせたくは、ないのだ』

 妙に懐かしさを感じるその声に、すずは胸を締め付けられるような感覚を受ける。
 あれは……誰が言った言葉だろうか。

(死なせたくない……)

 かつてはその男も、今のすずと同じ気持ちでいたのだろう。
 彼は、死なせたくなかった相手を、助けることは出来たのだろうか。

(私も、母さんと父さんを死なせたくない……っ!!)

 すずが強くそう心に願った途端、涙に濡れた右眼の奥が、熱を持ったように感じた。

「く、ぅぅっ……!? あああ!!」

 瞳の奥からズキズキと痛みを感じても、すずは母に縋ることをやめなかった。

(私も、死んでしまうの……? ふたりに親孝行のひとつも出来ずに……)
「ぐ、うう……! 母さん……父さん……!! 私……!」

 すずの眼の奥が一際ズキリと痛むと、その瞬間、すずを中心にあたりが光に包まれた。

「え……? なにが、あったの……?」

 光が収まると、すずの眼の痛みも治まっていた。
 右目をつぶり、空いている方の手で瞼をこすっていると、握り締めていた母の手がぴくりと動いた。

「う……。す、すず……?」
「母さん!?」

 死んだと思っていた母が動いたことで、すずは声を裏返らせて驚く。

「あら……? 私、あの世へのお迎えが来ていたような……」
「母さん!! 無事だったのね!」
「うーん? 無事だったのかしらね……?」

 ずすが混乱した母をぎゅっと抱きしめて無事を実感していると、隣にいた父もまた何事もなかったかのように起き上がった。

「うぅ……」
「父さんも!!」
「すず……? 無事だったのか? いや、俺はどうして無事なんだ……?」
「あなた、傷が塞がっているわ……」
「もしかして、俺は生き返ったのか?」

 両親が兵によって付けられたはずの傷跡も塞がっており、確実に死んだ自覚があったふたりは不思議そうに首を傾げている。

「良かった……! 父さんも、母さんも無事でよかったぁ……!! ぐすっ」

 すずが幼い子供に戻ったように泣きじゃくる様子をみて、父親は安心させるように頭を撫でた。

「心配をかけてすまなかったな……」
「ううん……。生きていてくれれば、それでいいの!」

 すずが涙を拭って顔をあげ、息を吹き返したふたりの顔を安堵したように眺める。
 しかし、今度は両親がすずの顔を心配そうにのぞき込んで言った。

「あら。すず? 右眼が蒼くなっているわ」
「え?」
「本当だ。今朝までは何もなかっただろう? 何かの病気だろうか……」
「蒼い……瞳?」

 すずがまぶた越しに蒼くなった瞳に触れる。

(蒼くて……それから……。生き返りの術……?)

『死なせたくは、ないのだ』

 懐かしい男の声が、再び耳を過っていく。

「竜胆様……」

 忘れかけていた幽世での出来事を思い出し、彼女は懐かしさと感謝で再び瞳に涙を溜めた。

「竜胆様が……助けてくれたの?」

 かつてすずを現世に送り返した鬼の名前をぽつりと呟くすずの後姿を、遠くから二本角の鹿が金と蒼の瞳を向けて、優しく見守っていた。
 すずが竜胆と呼ぶ男との出会いは、彼女がもっと幼かった頃……黄泉還しの能力に目覚めるよりも昔のこと。

 それまで木に登っていたはずのすずだが、いつの間にか眠ってしまったようだ。
 ふわふわとした優しい何かに包まれるような、不思議な感覚がする……彼女はそう思った。
 しかし、突然何かに引っ張られたような感覚がしたかと思うと……。

「きゃっ!」

 柔らかい地面のようなものに放り出されたようで、衝撃に彼女は叫び声をあげた。
 すると、すぐそばから声が聞こえてきた。

「……珍しいな」

 聞いたことのない低くも優しさを伴う声に、彼女は恐る恐る目を開く。
 すると、眼の前にいたのは澄んだ蒼い両瞳(・・・・)の精悍な顔つきの青年だった。

「迷子の魂か」

 一見無表情のようで冷たい印象を受ける青年だが、彼は困った様子を滲ませてすずを覗き込んでいた。
 青年の蒼みを帯びた白髪の襟足は少し長く伸ばされており、額からは二本角が飛び出ている。
 彼は人ならざるもの、つまり……。

「青鬼様?」
「……ああ、俺は鬼だ」
「ここはどこ?」

 確かついさっきまでは、木に登っていたはずだ。
 美味しそうに実っていた柿の木があったので、熟して落ちて潰れてしまう前にもぎ取ろうとしていた。
 それなのにこの場所からは、今までいた場所とは違う雰囲気が感じられる。
 それに青鬼は、すずのことを迷子とも言っていた。

「私、迷子になっちゃったの?」

 すずが起き上がってあたりを見回すと、そこは蒼い竜胆が咲き乱れる幻想的な空間だった。

「わぁ……。お花がきれい……」

 鬼の存在を恐れるどころか、近所の住民と話すようなすずの気軽さに、青鬼は呆気に取られていた。
 この頃のすずは、まだ好奇心旺盛な元気な少女だった。

「青鬼様がいるってことは……」

 直前まで木を登っていたことを思い出し、彼女は「もしかして私、死んじゃったのかな……」とぽつりとつぶやいた。

「ここは……地獄?」

 鬼の存在と彼の喪服から、すずはここは死後の世界だろうと判断し、首を傾げる。

「いいや」
「じゃあ……天国?」
「……どちらでもない。ここはその入口だ」
「そうなんだ……?」

 彼は近くにある川を指さす。

「三途の川の存在を、聞いたことがあるだろう?」
「うん」

 川の向こう岸には、紅い彼岸花が咲き乱れている。
 すずたちのいるこちら側とは、正反対の空間。
 川を隔てたこちら側は現世に近く、あちら側は幽世なのだろう。

「じゃあ私、あの川を越えれば良いんだね?」

 川に向かって迷いなく歩き出そうと一歩踏み出したすずの服を、青鬼が慌てて握り締めて引き止める。

「あ、いや……」

 彼自身、何故すずを引き止めたのか分からない様子で戸惑っていた。

 そして、聞き分けの良すぎるすずの疑問に、青鬼が言いよどむ。

「お前は、死への抵抗感がないのか?」
「うーん……」

 すずは少し考えて青鬼の問いに答える。

「みんな寿命が短いでしょう?」
「……ああ。ひとの命は、儚い」

 餓え、争い、病……。様々な原因により、すずが生きる時代において、人間の寿命はとても短かい。

「だから私も、いつ死んでもおかしくないって思っているの」
「……」
「私が死ぬのより、私が大事なひとが死ぬほうがいや。みんな健やかに生きて欲しいの」

「もちろん、死にたいとは思わないけどね」と付け加えたすずを前に、青鬼が息を飲む。
 目を見開いて、その蒼い瞳ですずを凝視した。

「お前は、迷子ではなく……」
「え?」
「そうか。……誘われたのか」
「青鬼様?」

 すずの言葉を待たずにひとり納得した青鬼が、自身の右目に触れる。
 どうしたのだろうと思ったすずが背伸びをして上目遣いに観察してみると、彼の右まぶたの上に小さな傷跡が残されていたのが見えた。

「い、痛いの?」
「いいや。手当をしてもらった故、問題ない」
「青鬼様、青鬼様」
「うん?」

 子供のすずがちょいちょいと手招きをすると、青鬼がすずに目線を合わせようとしゃがむ。
 すずが手を伸ばした瞬間、青鬼が警戒した素振りを見せたが、彼は抵抗しなかった。
 伸ばされたすずの手は、青鬼が触れていたまぶたの上の傷痕に触れた。

「いたいのいたいの、飛んでいけー!」
「痛くはないのだが……」
「でも傷跡があるよ」
「古傷だからな。もう傷まない」
「それなら良かった」

 にこっと微笑んだすずに、青鬼が俯いて照れくさそうにしている。

「ついこの間、矢で射られてまぶたを怪我した鹿さんがいたの」

「青鬼様と同じところ」と言ってすずが右まぶたの上を指さすと、男はなんとも言えない複雑そうな表情で頷いた。

「……そ、そうか」
「だからあの鹿さんまだ大丈夫かな? って思っちゃたんだけど。そうだよね。青鬼様は鹿さんじゃないものね」
「……」

 またもや気まずい様子で押し黙ってしまった青鬼を気にせずに、すずは朗らかに微笑む。

「あの鹿さんも、青鬼様みたいにきれいな蒼い目をしていたから、つい重ねて見ちゃったのかも」
「……お前は、鬼を前にしても恐怖を感じないのか?」
「うーん、なんでだろう? 青鬼様は、どこか優しい雰囲気がするから……かな?」
「……そうか」

 すずの答えにほっとした様子で頷くと、青鬼が彼女の頭を撫でた。

「生きとし生ける者達は、とても脆く……儚いものなのだな」

 ちりん、ちりん……と風鈴のような音と共に、彼女たちの足元の竜胆が風に揺れていた。

「お前は死にかけたのだ。しかし、死ぬにはまだ年若い。そして……」

 青鬼はしゃがみこんですずに顔を寄せると、額から飛び出す角の側面を何気ない仕草でコツリとすずの額に合わせた。

「……そして、お前は恩人なのだ」
「私、青鬼様と会うのは初めてだよ?」
「……だが、お前は俺の、恩人なのだ」

 青鬼の恩人と言う言葉に、すずはこそばゆい気持ちになる。

「このまま彼岸に送りたくは、ない……」
「でも私、死んだんだよね?」
「しかし……死なせたくは、ないのだ」

 青鬼の感情を堪えるような声と、悲しそうに揺れる蒼い瞳に、すずが心配そうに彼を見つめる。

「だから、お前を送り還そう」
「え?」

 すずの右目が、青鬼の左手によって覆い隠された。

「青鬼様? 私の眼は痛くないよ?」
「ああ、分かっている。……竜胆と、呼んではくれないか?」
「竜胆様?」
「ああ」
「私はすず」
「すず……」

 竜胆に優しく名を呼ばれ、すずが幼心ながらもドキドキする。

「すずよ。生きてくれ……」
「いいの?」

 鬼である竜胆に生を願われ、すずが驚いた様子で応える。

「ああ。俺が、生きていてほしいんだ」

 竜胆がそう呟くと、すずの右眼のまぶたを覆っていた手に角を寄せる。

「いたいのいたいの、飛んでいけ」

 すずが先ほどしたことを返すように、竜胆が呟く。
 するとその瞬間、すずのまぶたががほんのりと暖かくなった。
 竜胆がまぶたから手を放すと、すずが不思議そうに首を傾げる。

「あれ?」
「……痛かったか?」
「ううん。いまのなに?」
呪い(まじない)だ。すずの息吹きが永らえるようにと……」
「ありがとう、竜胆様!」
「さあ、現世へ戻るといい」

 鬼の竜胆が立ち上がると、竜胆畑に風が吹き込み始めた。
 すずの身体が、風によって川とは逆の方向へと押し出されようとしていた。

「あっ、竜胆様! また会える?」
「……ああ。すず、健やかでな……」
「うん、またね!」

 ちりん……と音が鳴り響く中で、寂しそうな様子の竜胆に見送られ、すずは三途の川から追い出される。

 すずがハッと我に返った頃には、彼女は現世の落ちた木の下で仰向けに倒れていた。

「ここは……あれは……夢、だったのかな?」

 すずが呟くと、遠くの方から寂しそうな音の残響が続いているような気がした。
 両親が生き返った。生き返らせたのは、すずだ。
 その情報はあっと言う間に村中に広まっていく。
 殺されてしまった親族を蘇らせてもらおうと、村人達はすずに詰めかけた。

「すずちゃん! 私の娘も生き返らせて!!」
「は、はい!」
「すず! 親父も頼む!!」
「分かりました……!」
「すず!!」
「はい!!」

 自分の両親を生き返らせたことに負い目を感じるすずには、村人達の願いを断ることなどできない。

「ありがとう! ありがとう、すずちゃん!」
「また妻と過ごせるなんて……奇跡だ!」

 それに、大切な人達が蘇ったことに喜ぶ村人達を見ていると、自分と同じ目に合った人たちを救うことが出来るということに、彼女は喜びを感じていた。

 蘇生の数をこなす度にすずの両親は心配そうな様子でひどく引き止めたそうにしている。
 しかし、次々と押し寄せる人の波に邪魔をされてしまい、引き止めることが叶わなかった。

 請われるまま村人達の蘇生を行っていくと、すずは次第に疲労を感じていった。
 そうしていると……。

「すずちゃん、髪……どうしたんだい?」
「え?」

 村人に指摘されて気付いた頃には、黒かった髪色は白く染まっていた。

「どう……して?」

 すずが力を使うたびに、髪から色が抜けていることを見ていることしかできなかった両親は、ようやく人手をかき分けてすずを抱きしめた。

「すず……! これ以上その力を使うのはやめなさい!」
「父さん……」
「そうよ。すずに何かあったら……」
「母さん……」

 死人の蘇生を残された村人達は不満そうにしているが、すず一家の様子に口を挟めずにいた。

 そんな時、村長が彼女の元を訪れた。

「儂のせがれも助けてやってくれ!!」
「村長、この子はもう疲れていているんです。休ませてあげてください!」
「あんなに黒かった髪の毛が、こんなに真っ白になってまで皆のことを生き返らせていたから……」
「なんだと! お前達ばかり生き返りおって! 儂のせがれは死んだままで良いというのかッ!!」
「っ……!」

 後ろめたさを感じていたすずは、激昂した村長に痛いところを突かれて言葉を失う。

「分かりました……」
「すず!」
「もういいのよ、すず!」
「父さん、母さん。心配してくれてありがとう……」

 それに、村長の願いを断ってしまったら、すず達は村八分になってしまうに違いない。
 折角生き返ったというのに、この厳しい時代において貧しいすず一家が村人達から疎外されてしまったら、この先を生き永らえることは厳しいだろう。

「村長の息子さんのところに、連れて行ってください」

 そうして村長の息子の元へ連れていかれたすずは、彼の亡骸を前に祈る。

(お願い、戻ってきて……!)

 意識を集中させる彼女の耳の奥で、風鈴のちりん……という物悲しげな音が鳴り響くと、幼い頃の三途の川での光景が脳裏に浮かぶ。
 風に吹かれて彼岸へと向かおうとしていた鬼灯が、こちら側へと還り返される

「う……」
「おおっ!! 息子よ!!」

 村長の喜びに満ちた声が辺りに響き渡り、すずは我に返った。

「親父……? ん? 俺、寝てたのか……?」
「良かった! これでこの村は安泰だ!」

 喜び勇む村長の様子に、息子は何が起きたのかと呆然としている。
 村長の息子は、自分が死んでいたことに気付いていないようだ。

「すす、大丈夫?」

 すずの両親が心配そうに近寄り、身体に大事ないかと気付かってくれる。
 頭痛や気怠さを感じるものの、両親に心配をかけまいとすずが頷く。

「うん……」

 すずの顔色の悪さに気付いたふたりは、大事そうに我が子を抱き締めると、村長の家から立ち去ろうとした。

「村長さん、私達はお(いとま)します」
「いや、待て!」

 しかし尊重は、今度こそ共に生きる喜びを分かち合おうとした三人を引き止める。

「すずよ。お前に褒美を取らせる。せがれの嫁に来い!」
「え!?」
「何言ってるんだよ、親父! 俺は嫌だぞ!!」
「待ってください! すずはまだ私たちの元で一緒に暮らすべきです!」
「すずは十五だろう。婚期としては問題ない」
「だからと言って……!」

 すずの両親と村長の息子は、村長の提案に酷く反対をする。
 すずは両親の袖をぎゅっと握り締めながら、不安な気持ちを抱えて黙って見ていることしかできなかった。

 しかし、村長が息子に耳打ちをすると、息子は手のひらを返し始めた。

「ちっ。仕方ないな。うちに来い、すず」
「そんな……」

 当事者が同意をしているならば、ただの村人であるすずたちには逆らう術はない。
 両親と共に生活を続けていられると思っていた矢先の出来事に、すずは絶望する。

「ほら、早く来い!」
「父さん! 母さん……!!」
「村長、すずを帰してください!!」
「ダメだダメだ! 用が済んだろう、お前達はもう帰れ!!」
「すず!!」

 村長の家から両親が追い出されてしまった後、すずは村長の息子によって家の奥へと連れられて行く。

「ここがお前の部屋だ」
「私……本当にあなたの妻になるの?」
「なるの? じゃない! なるんですか? だろ! 口の聞き方に気を付けろ!!」
「きゃあっ! ご、ごめんなさい!」

 両親や友人に対するいつも通りの口調で何気なく問いかけたつもりだったが、村長の息子はそれを気に入らず、すずを突き飛ばした。

「本当はお前みたいな気味の悪い女が妻なんて、ごめんだ!」

 すずの白く染まった髪と色の変わってしまった右目を、夫となった村長の息子が蔑むように睨みつける。

「気味の、悪い……」

 思いもよらぬ発言に、すずが傷つき俯く。

「覚えておけ、お前は名目上の妻ってだけで、俺はお前を愛することはない。それと、式も執り行うつもりはない」
「そう……ですか」

 名目上の妻であるならば、自分は何のために嫁がされたのだろう。

「だが、お前のお披露目式はやるつもりだ」
「お披露目……? 妻としてではなければ、何のでしょうか……?」
「お前には、死者を生き返らせる『黄泉還しの巫女』として働いてもらうからな!」
「……え? どういうことですか、あの……っ!」
「さあて、明日から忙しくなるぞ! ハハハ!」

 自分は何をやらされるのだろうか、そう問いかけようとしたすずだが、夫は答えることなく襖を閉じる。
 取り残されたすずはしゃがみこんで、呆然と呟いた。

「黄泉還しの巫女……? そのために……私を妻に……?」

 蒼く染まった右眼をまぶた越しに触れ、すずは悲しみを漏らした。

「もしかして……。私……この先、死者を生き返らせ続けることになるの……?」
 村長の息子の元へ無理矢理嫁がされたすずは、翌日から村人達に『黄泉還しの巫女』と呼ばれるようになる。
 そう呼び始めたのは村長で、村中に流布させるようにしたのも村長親子だった。

(最初はみんなを救えることが、嬉しかったけれども……)

 彼ら親子が村に訪れた行商人のもその噂を流させると、村には死者蘇生を求める者が集まるようになる。
 村長達は彼らを客と呼び、金銭や金目の物と引き換えに亡骸を甦らせる。
 もちろん、務めを果たすのは、黄泉還しの巫女と呼ばれるようになったすずの役目だ。

(お金儲けのために、こんなことをするなんて……良くないのに……)

 彼らがすずの能力で得た利益は、村長達の懐にそのまま入っていく。
 家は豪華に、村長や息子の食事は豊かになっていく。
 村は外からの客で賑わうようになり、村人達の貧しく苦しかった生活にも少しずつ変化が訪れていたが、すずがその恩恵を受けることはない。

(それに本当の神職さまでもないのにこんな格好するなんて……。罰当たりだよ……)

 村長親子はすずに巫女装束を与え、巫女の真似ごとをさせる。
 その衣装だけが、彼女の持ち物の中で最も豪華だ。
 黄泉還しの巫女としての務めを果たしていない時は、女中のように村長の家の家事を任されており、彼女には心休まる余裕などなかった。

(でも……逆えない……。逆らったら、父さんと母さんが孤立しちゃう……)

 金に目のくらんだ村長親子の様子を不安そうに眺めながらも、彼女は彼らに従っている。
 同じ村で暮らす両親のことを思うと、すずは彼らに反発することが出来ない。

「ふたりとも、元気にしているかな……」

 両親に顔を会わせたいと彼女が願っても、村長とその息子は決して叶えようとはしなかった。

「私、死んだら地獄に落ちるのかな……」

 罰当たりな行為の片棒を担いでいる自覚があったすずは、はらりと涙を零す。

「私を助けてくれた竜胆様に……幻滅されたくないのに……」

 すずが顔を手で覆って縁側でひとり泣いていると、庭の草木の茂みからガサガサと物音がする。
 慌てて顔を上げてみると、そこから現れたのは右まぶたの上に傷のある鹿だった。

「最近よく来るね。危ないからもう来ちゃダメだった言ったでしょう? でも嬉しい」

 すずは涙を着物の袖で拭うと、心配そうな様子で駆け寄ってきた鹿を優しく撫でる。

「……不思議。鹿さんを見ていると、竜胆様を思い出すの」

 すずをじっと見つめる鹿を、彼女もまたじっと見返した。

「あれ……。鹿さん、目の色が片方金色なんだね。前は両方とも蒼じゃなかった?」
「……」
「私と同じ。私もね、前は両方黒の眼だったの」

 すずはふわりと微笑むと、慰めるようにすり寄ってきた鹿を抱きしめる。

「温かい……。ねえ鹿さん、もうちょっとだけ……一緒にいて」
「……キュウ」

 鹿のぬくもりを感じながら、すずはそのまま縁側で目をつむり、束の間の眠りについた。
 ちりん……。
 物悲しい風鈴の音色が響き、すずの意識がハッと覚醒した。
 気付けばすずは、あの懐かしい竜胆畑に立ち尽くしていた。

「ここは……三途の川……」

 上空には鬼灯が浮いており、ふわりふわりと川の向こうへと流されるように飛んでいく。
 前回、すずが幼少期の頃に訪れたときには、見られなかった光景だった。

 彼岸側に辿り着いた鬼灯は、パチパチと音を立てて花火の様に散っていく。
 その残光が、寂しそうに鬼灯を見送る、闇色の喪服の青鬼を照らした。

「竜胆様……」

 会いたかった懐かしい鬼の後姿へと駆け寄ろうと思ったすずだが、現世での行いに対して罰当たり者だと罵られでもしたらと思うと、足がすくんでしまう。

(どうしよう。竜胆様にまで失望されちゃったら……)

 迷うすずへと、彼がゆっくりと振り向く。

「すず……。大事ないか」

 死者を蘇生させる行為を責められると思っていたすずは、心配そうに問いかける青鬼の言葉を嬉しく感じてしまう。
 村長の息子に嫁がされてからと言うものの、誰かに心配されることは久しくなかったからだ。

「う、うん」
「随分と、変わってしまったな」

 すずの目の前に立った竜胆が、彼女の頭を優しく撫でる。
 子供と大人とで大きく差のあった彼らの身長は、今ではすずの身長が伸び、頭ふたつ分程度の差があるだけになった。
 散々夫に蔑まれてきた容姿のことを指摘された思ったすずは、咄嗟に俯いてしまう。

「髪と眼の色は、力を使ったときに変わっちゃって……」
「そうじゃない」
「え?」
「魂が疲弊している。すずを変えてしまったのは、俺か……」

 悔いるように呟いた竜胆がすずの額にこつんと角で触れる。
 距離の近さに、すずはドキッとした。

「り、竜胆様……?」
「俺が、すずに力を与えたからか……」
「やっぱり、黄泉還しの力を与えてくれたのは、竜胆様なんだね。ありがとう!」

 竜胆の言葉に、すずは幼かった頃のようなあどけない笑顔を見せる。
 すると彼は、僅かに目を細めて焦がれるようにすずを見つめた。

「……」

 今度は熱のこもった眼差しを至近距離から向けられ、彼女は気恥ずかしさでドキドキしながらも視線を彷徨わせて問いかけた。

「り、竜胆様?」
「何故礼を言う?」
「竜胆様の力で、父さんと母さんを生き還らせることが出来たからだよ」

 いまの境遇はどうあれ、その事実は変わらないからこそ、すずは竜胆に心からの感謝の気持ちを告げる。

「共に暮らせないと言うのに?」
「……うん」
「寂しくないか?」
「……寂しい、よ」

 風が吹き、ちりん……と涼やかな音が辺りに響く。

「でも、元気で幸せに暮らしてくれていれば……それでいいの」
「……」

 角を離した竜胆が彼女を見つめる。
 どこか罪悪感を滲ませた彼の瞳の右側は、金色に輝いていた。
 以前は両の眼とも、この場所で咲き誇る花と同じように鮮やかな蒼い色をしていたはずだ。
 すずが心配そうに竜胆の顔を覗き込み、問い掛ける。

「竜胆様も、その眼はどうしたの?」
「これは……」
「もしかして、私のせい? 私を現世に送り返したから……」
「すずが原因ではない。俺が望んだ行為だ。俺が、お前に健やかに生きていてほしかったからだが……」

 ちりんちりん……と音が鳴り響くと、竜胆はそこで言葉を切り、空を見上げた。

「……」

 口数少ない彼は何も言わないが、すずが現在どういった状況下で過ごしているのか知っているのだろう。
 黙ってしまった青鬼の視線をすずが辿ると、竜胆畑の上空に数多の鬼灯が風に揺られて舞う姿が見られた。

「竜胆様、どうして鬼灯が飛んでいるの? あれはなに?」
「人の魂だ」
「魂……」
「現世から運ばれた魂は、鬼灯に包まれて三途の川を渡る」

 三途の川の向こう側の上空へと辿り着いた鬼灯が、花火の散り際のようにぱちぱちと爆ぜて散っていく。

「そして彼岸の先で、これまでの生を振り返るために儚く散るんだ」
「綺麗だけど……切ないね……」
「ああ……」
「私も、本当はああなるはずだったの?」
「……そう、だな」
「私が生き返らせた人達も……本当は……」
「……」

 すずは竜胆の隣に立ち、彼の袖を握りながら、鬼灯が散っていく様子を眺める。
 いつかは自分も、そうなるのだろうかと思いながら……。

「帰りたく……ないな」
「……」

 現世ですずを待ち受けるのは悲惨な状況と言うのもある。
 しかしそれ以上に帰りたくない理由は、竜胆のそばにいるだけで心が穏やかになり、安らぐような気持ちがするからだった。

「竜胆様のそばにいると、なんだか落ち着くの」
「……ここに長居するのはよくない」
「うん……」

 否定されることは何となく分かっていたすずは、悲しみを感じながら握っていた竜胆の袖から手を放そうとすた。
 すると、彼はすずの肩に羽織を掛けて彼女を引き寄せる。

「だが……。ここに居る間くらいは、心を休めていくと良い」
「竜胆様、ありがとう……」

 辺りに鳴り響く涼やかな音色に誘われ、すずが竜胆の腕の中で微睡む。

「すず……」

 安堵を滲ませた彼女の右眼のまぶたにふれた竜胆は、物悲しく呟いた。

「俺の我儘で、辛い思いをさせて……すまない……」
 すずが夫であった現村長から離婚を言い渡され、座敷牢に囚われてから、数日後。

 黄泉還しの巫女としての役目を求められ続けることは監禁前と変わりはないが、食事は最低限になり、庭先に出ることもできなくなった。
 青鬼の竜胆の姿を彷彿とさせる鹿に出会うことも出来ない。
 村長の存命時よりも追い詰められた境遇に、彼女は心身共に疲弊している。

 そして今、すずは元夫に乱暴に抑え込まれ、刃物を持った女に髪を強く引っ張られていた。

「い、痛いです……!」
「大人しくしなさいよ!」
「この女の不気味な髪なんて触りたくねえ! 早く切るぞ!」

 巫女らしいと言う理由で伸ばさせられていた白い髪は、今度は彼らによって乱雑に切り落とされてしまう。
 腰の長さまであった髪は、肩の辺りで不揃いになってしまった。

「う……。どうしてこんなことを……」

 特に髪に強い思い入れはなかったが、自分の髪の束を紐で結んでほくそ笑むふたりの鬼のような所業に、すずがぞっとする。
 いや、彼女の知る鬼のほうが、比較するまでもなく優しかった。

「売るのよ。黄泉還しの巫女の髪は、不老長寿の縁起物として十分だもの」
「俺は気味が悪いと思うんだがな」
「金になるんだったら、何だって良いじゃないの」
「それもそうだな!」
「次は何を商品にする?」

 彼らは、すずを金の卵を産む鶏としか見ていない。

「こんなの……ひどい……」

 笑い声をあげながらふたりが去っていく様子を、すずはポロポロと涙をこぼして見送るしかなかった。

「母さん、父さん……。会いたいよ……」

 このまま座敷牢に囚われ続けていれば、彼女に身を削らせるような要求は悪化していくだろう。
 現に彼らは立ち去る際に、まだ彼女から搾取する素振りを見せている。
 今日は髪で済んだが、今度はもっと酷い目に合うかもしれない。

「竜胆様、ごめんなさい……」

 右眼を覆うと、すずは竜胆に思いを馳せる。
 折角、竜胆によって生き永らえたと言うのに、黄泉還しの力に目覚めたばかりに彼女の未来は絶望に覆われてしまった。

「私は……なんのために生きているのか、分からなくなってきたの……」

 彼がすずに望んでいた健やかであれ、という願いは、もう叶えられそうにない。

「キュウ……」

 未来へ絶望するすずの前に何処からともなく現れたのは、彼女が安らぎを感じる金銀妖瞳(きんぎんようどう)の鹿だった。
 鹿は心配そうにすずに擦り寄ると、彼女は虚ろな瞳を鹿に向ける。

「鹿さん……また会いに来てくれたんだね……」

 鹿の瞳は、三途の川で鬼灯を寂しく見送る青鬼の姿を彷彿とさせる。

「私が死んだら……」

 そっと抱きしめた鹿のぬくもりを感じながら、彼女は濡れたまぶたをゆっくりと閉じた。

「最期に、三途の川で竜胆様に会えるかな……」
 ちりんちりん……。
 涼やかな音にすずが目を開くと、そこは三途の川だった。
 上空では、数多の鬼灯達が彼岸へと向かって風に流されている。
 多くの命が失われた光景が彼女の眼に映り込む中で、彼女はひとり寂しく呟いた。

「どこかで、戦があったのかな……」

 鬼灯に包まれることなく姿を保つすずは、彼ら(鬼灯となった魂)とは違って三途の川を容易には渡ることは出来ないらしい。

「私……も……」
(鬼灯を追いかければ、死に逝くことができる……?)

 いつもなら鬼火が灯っている川沿いの灯籠には、今日はあかりがない。
 すずの足元や視界を明るく照らすのは、命の灯だけ。

 足元がおぼつかない中で、鬼灯の群れの明かりだけを道しるべに、彼女は歩き出そうとする。

(でも、最期に……)

 しかし、いざ足を踏み出そうとすると、彼女の思いに迷いが生まれた。

(竜胆様に会いたかった……)

 迷いを振り切るように空を見上げ、鬼灯の群れを追いかけて三途の川に足を踏み入れそうになったそのとき……。

「……すず!」
「……っ」

 彼女が最も焦がれていた声が、物悲しく辺りに響き渡る。
 瞬間、川沿いの灯籠が一斉に灯火を上げた。

「すず、逝くな!」
(最期に会えて、よかった……)
「竜胆様……」

 蒼い鬼火に照らされたすずの表情には、悲しさと同時に、竜胆に出会えた嬉しさが滲んでいる。

「私ね、離婚したの」
「……」

 竜胆は返事をしなかったが、拳を握り締める様子からは、感情を堪えているようにも見える。

「でもそのあとずっと監禁されて……。生きていても、竜胆様が望んでくれたように歩んでいくことは、もう出来ない……」
(せっかく、生き返らせてもらったのに……)
「だからもう……死なせて……」

 振り返り、竜胆に悲しく微笑むすず。

「生き永らえらせてくれて、ありがとう……」
「すず!!」

 そうして三途の川へと歩み出そうとしたすずを、竜胆が引き寄せた。

「逝かないでくれ、すず……っ!!」

 勢いよく引き寄せられたすずは、青鬼の胸元に飛び込んでしまう。
 そのまま勢いあまってふたりで竜胆畑へと倒れ込んだ。

「すまない……」
「竜胆様……? どうして泣いているの? 傷跡が痛いの?」

 すずが彼の様子を伺うと、蒼い鬼火に照らされた鬼の瞳は涙で濡れていた。
 彼女は心配そうに手を伸ばし、竜胆のまぶたの上に未だ残り続ける傷にそっと触れる。

「そうやって……他人のことばかり心配するんだな」
「だって竜胆様のことが心配だから……」
「すずの魂が感じている痛みのほうが、俺は余程心配だ」

 竜胆が離れ難い様子ですずを強く抱きしめる。

「すずが辛い目にあったのは俺のせいだ。俺がすずに生きていてほしいと思ったから……力を与えて、送り返してしまったから……」

 時折寂しそうな様子を見せるものの、いつもは物静かで落ち着いている竜胆。
 そんな彼が感情を言葉と行動に乗せてすずに伝えようとしている。

「竜胆様のせいじゃないよ」
「しかし……!」
「だって、送り返してくれたおかげで、本来よりも長く父さんや母さんと一緒にいられたんだよ。だから、ありがとう」

 竜胆の様子がとても愛おしく感じ、すずも彼を抱きしめ返した。

「それにね。竜胆様と一緒にここで会う時間が、一番好きなの。生き返らせてもらえなかったら、そんな時間は過ごせなかったから」
「俺も……。俺を恐れず、真っ直ぐな瞳で見つめてくれるすずが、恋しかったんだ……」

 竜胆がすずを抱きしめる力を緩め、彼女の瞳を見つめる。

「だから俺は、すずを彼岸に送りたくはない。ここに居てくれ……!」
「い、いいの? ここにいても、大丈夫なの?」
「ああ。大丈夫だ。それに、俺がすずにここに居て欲しいんだ」

 そして二つの角を彼女の額にコツリとすり寄せ、切なく囁いた。

「……俺は、すずを好いているから」
「え……?」
「好きだ、すず」

 無理矢理に結婚させられた時にすら言われたことのない言葉にすずが目を見開くと、彼の金色とすずと同じ蒼色の瞳が、真剣なまなざしで彼女を見返してくる。

「俺と一緒に、生きてくれないか……?」
「私で、良いの?」

 両親に合えなくなった今、誰からも愛してもらえないと思っていたすずは、恋しく感じていた鬼からの言葉に、瞳に涙を浮かべて問いかける。

「ああ。すずが良いんだ!」
「私も、竜胆様が好き」

 すずが竜胆を抱きしめた瞬間、三途の川に風が吹く。

「竜胆様と一緒にいたいの!」

 ちりんちりん……と鳴く竜胆の花々は、彼女の達の胸の高鳴りを表しているようでもあった。
 幸福を感じる中ですずが目を開けると、座敷牢の内側に囚われたままだった。
 それまで三途の川で竜胆と将来を誓っていたはずだというのに、目の前に突きつけられた現実に彼女は溜め息をつく。
 
「夢……だったのかな」
『夢ではない』
「え?」

 竜胆の声にすずが顔を上げると、座敷牢の内側に二本角の鹿が立っていた。

「鹿さん? それに、いま竜胆様の声がしたような……」
『俺はここにいる』
「え? 鹿さんは、竜胆様だったの!?」
『ああ』
「こんなに近くにいてくれていたんだね」

 竜胆の声は脳に直接語り掛けてくるようでもあった。
 鹿の姿をした竜胆がすずにすり寄ると、彼女も彼を優しく抱きしめる。

「竜胆様、私……黄泉還しをやめるね」

 すずの決意に、竜胆が心配そうに首を傾げる。

『いいのか?』
「……うん。ひとの命をもてあそぶようなことは、よくないから。それに、この力は本当は竜胆様のものでしょう?」
『それはすずに与えた力だ。すずの好きなように扱うと良い』
「ありがとう。……本当はもっと早くやめるべきだったのに、私は自分勝手だよね」
『黄泉還しの多くは、お前の意志じゃなかったろう。よく決意したな』
「……うん」
『黄泉還しをやめるということは、いままで生き返らさた人間が土に還るということだ』
「うん……」
『ならば、すずの両親も……』
「……」

 竜胆の言葉に、すずは切なそうに竜胆を抱きしめる。

「そう、だね。だから本当は、最後に父さんと母さんに会いたかった……」
『すずが望むなら、俺が叶えてやる』

 竜胆は背にすずを乗せると、座敷牢の壁をすり抜けて外に飛び出した。
 日暮れ時の中、すずの実家に向かって鹿が走り抜ける。
 家の前に辿り着くと、彼らはすずの両親に出迎えられた。

「すず!!」
「ああ! 会いたかったわ、すず!!」
「父さん! 母さん!!」

 三年ぶりに一家で対面した三人は、再会を喜び抱きしめ合う。

「すず、あなたうちにいた頃よりやつれているわね……。髪の毛もこんなに……」
「村長め、大事な娘を勝手に嫁がせておいて、何と言う仕打ちを……!」
「ごめんなさい……。父さんと母さんに長生きして欲しかっただけなのに、ふたりに迷惑かけちゃったね……」
「ずっと心配していたけど、迷惑なんてかかってないわ」
「そうだ! お前が元気であるようにと、ずっと願っていたんだからな」
「父さん、母さん……」

 離れていても思ってくれる家族の存在に、すずの瞳が潤んでいく。

「ふたりとも、聞いて。私……黄泉還しをやめる。だから……」

 だから、黄泉還しの術によって生き返った人間は、再び眠りにつくことになる。
 そう言葉にせずとも、すずの表情を見て悟ったのだろう。
 両親が、すずを労るように頭を撫でて頷く。

「そうか」
「勝手に生き返らせてしまって、ごめんなさい……」
「ううん。生き返らせてくれてありがとう、すず」
「本来なら、それこそ別れの挨拶なんてする間もなく死んでいたんだならな。得したと思えばいいんだよ」
「けど少し残念ね。すずが幸せになる姿をそばで見守りたかったわ」
「あのね。私、好きな人がいるの」
「それは村長……じゃないよな?」

 すずの幸福を祈り微笑む母と、不満そうにする父に、すずが安心させるように頷いた。

「うん。穏やかで、優しくて……一緒にいるだけで幸せになれる、そんなひとなの」

 寄り添う鹿を優しく撫でながら答えるすずに、両親も安心した様子を見せる。

「それなら安心だな」
「うん。だから、彼と一緒に幸せになるね」
「そうね。幸せになりなさい、すず」
「ありがとう……。父さん、母さん」

 すずは母と父に抱かれながら、ふたりが無事に三途の川を越えられるようにと祈る。
 すると、ふたりの身体が淡い光を放ち始める。

「健やかでな、すず」

 次第に両親の姿が朧げになっていく。
 彼らが放つ光が、三途の川の鬼灯を彷彿とさせるものへと昇華していくと、ふたりの姿が消えていった。
 光はふわふわと風に吹かれるように、夕暮れ時の空の彼方へと昇っていく。
 現世を旅立った両親の魂は、鬼灯に包まれて三途の川へと向かうだろう。

 光に手を振って彼らを見送るすずの隣に、鹿の姿をした竜胆が心配そうに寄り添う。

『すず……寂しくはないのか?』
「寂しいけど、竜胆様が一緒にいてくれるでしょう? それなら、じゅうぶんだよ」
『そうか……』

 そう言って角をすずに擦り付けようとする竜胆の声は、どこか嬉しそうだった。

「行こう。ほかのひとの魂も、あるべき場所に還すために……」