誰もが振り返るほどの綺麗な顔立ち。バランスの良い、完璧なスタイル。鈴を転がしたような、時に艶やかな美しい声。
ここは無法地帯。いや、正式にはナイパスという場所だ。ナイパスは大人気の娯楽地帯。映画、ミュージカル、アクアリウムなどの健全なものが集まる東地域と、カジノ、バー、風俗店などが集まる西地域から成り立っている。故に、ナイパスは不夜城なのだ。いつもどこかで誰かが遊んでいる。
わたしは西地域の住人、アイシャ。17歳。西側地域で生まれ、西側地域で育った。
わたしはよく「かわいい」と言われる。いや、自分でも、この美貌なら西側地域で1番だという自信がある。
「さあ、今日も始めるよ!たっぷり稼いできな!」
この店のママ・アグリルが声高々に宣言した。みんな口々に返事をする。
ふと壁に貼っている売上ランキングを見た。やっぱり、今月もわたしが1位。慣れた光景だった。
秘色の髪を高めのツインテールで結び、メイクも確認する。最後に黒いウサ耳をつければ完成だ。わたしが1番得意な服・バニーガールだ。
「こんばんは〜!今日も来てくれたの?嬉しい〜!」
いつも通りのテンションで、指名者の元へ行く。
「いや〜やっぱアイシャしか勝たん!他はみんな霞んで見えるよ。」
「え〜?もうエデンさんったら〜。」
「今日は結構飲んでいっちゃおうかな〜。おすすめある?」
「そうだなぁ…。これ…とか美味しいよ?」
可愛いピンクのボトルに入ったお酒を勧めてみる。ちなみにこの店で3番目に高い。わたしがエデンさんだったらまず頼まないが…。
「じゃあそれにしちゃおうかな〜!」
「ありがと〜!」
すぐに近くに立っていた黒服の女の子に注文する。やっぱり愛ってすごいと思う。こんなに高いお酒も頼んじゃうんだもん。
「わたし、最近それハマってたんだ〜。」
ありもしない空語りをして、エデンさんと距離を詰める。
「アイシャ、また可愛くなったんじゃない?」
「ほんと?嬉しい〜。」
「…良かったら今日、お店終わったあと一緒に飲まない?」
もう早速か。時計を確認すると、まだ6時半。店が終わるのは12時。かなり間が空く。
「ん〜。ごめんね、また今度でいい?今日、あんまり寝れてなくって…。」
また嘘を吐く。でもエデンさんは快く了承してくれた。
「あ、もうそろそろ時間じゃない?」
「そうかな。まだ一緒にいようよ〜。」
「ごめんね〜。それじゃあ…また今度。」
エデンさんと唇を重ね、ゆるく手を振ってバックヤードに向かった。
口紅を塗り直し、パクパクして馴染ませる。
ふとその時、同い年くらいのドレス姿の同僚に話しかけられた。
「誰とでもしてるの?気持ちわる〜。」
明らかな悪口。でも、そんなの痛くもなかった。
「そうかなぁ。じゃないと1位は取れないから、しょーがなくない?あ、ミアちゃんともしてあげよっか?」
「はあ!?ばっかじゃないの!」
逃げて行ってしまった。ミアちゃん、可愛いな〜こんなことで赤面できるなんて。
さて、次はVIPルームだ。
向かえば、もうすでに数人配置されていた。
「お願いしまーす。」
「あっ!アイシャ!来てくれたの?隣座って〜。」
まず来ただけで隣に座らされる。数人に嫌な顔をされたが無視しておいた。
「クリス、今日はもう結構飲んだの?」
「うん。割と飲んじゃった〜。けど、アイシャが来てくれたから、もう少しくらい飲んじゃおうかな〜。」
「やったぁ!何にする?」
「クリス、私にも何か飲ませてよ〜。」
最近人気が出てきたメノウがおねだりして下から目線を送ってみるが、クリスは全く効いていなかった。
「いや、アイシャは特別だから。」
「え?もうやだ〜クリスったら〜。」
ついでに1番高いものを頼んでもらった。
やっぱりここはわたしの城。わたしがナンバーワンなんだ。
そして休憩時間中、ママに頼まれてゴミ捨てに向かった。いくらナンバーワンと言っても、少しは雑用もこなさなくてはならないのだ。その時だった。
「アイシャ…お前…!」
振り向くとそこには身なりの悪い男性が立っていた。
「お前のせいで、俺の金が全部無くなったじゃねえか!どうしてくれるんだ!それにお前、俺のこと『特別』って言ってたくせに!ふざけんなよ!」
月桂の下、暴怒の声が空に響いた。
たまに、こういう客もいる。わたしはただの店員なのに、過度な期待をする客が。
多分、わたしに貢いだ金で、生活が苦しくなってしまったのだろう。
「お疲れ様。期待しすぎちゃったんだね。」
「はぁ!?お前この野郎…!」
男が近づいてくる。
でも、いくらあいつでも、過去のわたしからは逃げられない。
近づいた相手の顔をそっと触れて、唇を重ねた。これだけで相手は過去のわたしを思い出して動けなくなる。唇を離し、巧笑する。
「でも、また来てくれると嬉しいな。わたし、あなたのこと大好きだから。」
男は崩れ落ちていった。その隙に歩いて店に戻る。
多分、またお金を貯めるだろう。わたしのために。
12時。店が終わり、わたしは着替え始める。今日は2人だけ。余裕だな、などと考えてロッカーから私服を取り出した。
ヨットブルーのパーカーに白いミニスカート。スマホに「今から行くね〜。」と送って、店を出た。
「お待たせ〜。ごめんね、ちょっと待たせちゃった。」
今日来てくれた、金払いのいい客とバーに向かう。
この職業のせいか、どれだけ飲んでも平気な体になってしまった。
他愛もない話をして、1時間ほど潰す。そろそろ別の客のとこに行く時間だ。
「それじゃあわたし、そろそろ行くね。」
客から渡された2万円を財布にしまい、わたしは別の場所へ向かった。
次はとある家。お金持ちな客のものだ。
すぐに客の自室へ通され、酒が運ばれる。どれも最高級のものだ。
そこで1時間ほど潰すと、客は段々と酔い始め、顔が少しずつ赤くなり始めた。
「アイシャちゃん、これお小遣いね。」
「ありがとっ!」
すぐに財布にしまって、再びワインを一口飲む。ほんと美味しいなこれ…。
その時、力いっぱい押され、わたしはソファに倒れた。客が酔ったままわたしに重なろうとしてくる。
これはまずい。時間的にもそろそろだし、逃げよう。そう思って策を打った。
「な、なに…?」
空涙を目に溜める。それを見た客はすぐに我を取り戻し、謝ってくれた。
多分このままじゃ、気まずくなって逃げられる。そう思って別れ際、キスしてから、こう言った。
「そーゆーのは…また今度…ね。」
ちなみに、一切する気はなかった。
家路を辿るわたしは、今日を思い出す。
今日もたくさんキスしちゃったな〜と思って少し自分を殴る。わたしにとってあれは武器だから仕方ないか、とも思った。
ふと路上を見ると、1人の同い年くらいの青年が倒れていた。まあこんなのよくあることなので見ないふりをして通りすぎる。
「…助けてくれないんだ。」
青年がつぶやく。
「だって、わたしそんなに優しくないから。」
青年に近づくが起こしはしない。
「…ピンク色なのに?」
つい、反射で青年の顔を蹴り飛ばした。いや、ガードした腕を蹴った。
今日のわたしのピンク色と言ったらあれしかない。
ミニスカで近づくんじゃなかった…!
「あはははっ、強かだなぁ。」
ゆっくりと立ち上がって、月に照らされる。
わたしより背の高い、でも同い年くらいの青年だ。
裏色の髪とアウタースペースのパーカー。かなり整った顔立ちではあった。
「俺、フィン。君は?」
「…アイシャ。」
「俺、今住むとこなくて困っててさ〜。」
「そうなの。さよなら。」
「いやいやいや!だからさ、君の家に行きたいんだけど…。」
「無理。諦めて。」
「え〜?そこをなんとか…!ちゃんと仕事はしてるから、お金なら払えるし!」
「じゃあなんで住むとこないの?」
「それは…なんか、一緒に住んでたやつが女ができたとか言って追い出して…。」
「…ちょっとだけね。」
一種の情けが働いて、フィンを泊めることになってしまった。
フィンは17歳で、やっぱりわたしと同い年だった。
「お礼、なにがいい?料理も作れるし、掃除も全然やるし…。」
「自分でできるから大丈夫。」
「ん〜それじゃあ…って、え?ここなの?」
「うん。」
目の前の高層ビルを前にフィンは息を呑む。
私は25階に住んでいた。高級感のあるドアを開ければ、はたまた高そうなタイルがフィンを迎える。
「相当仕事で儲かってんじゃん。あ、お風呂沸かしとこっか?」
「もうスマホで沸かしてあるから。」
「すげー…。」
お風呂に入って、ごはんを食べる。まあごはんと言ってもほぼサラダだが。もう時計は5時半を指していた。
ソファに座って無駄話に興じる。
「仕事、なにやってんの?」
「…なんだと思う?」
「えー…。どっかのレストランのウエイトレス?」
「違う。」
「あ、カジノの受付に立ってるお姉さんとか!」
「違う。」
「ん〜なんかヒント!」
「…ヒント…。」
柔らかくフィンの唇を奪ってみせる。フィンは目を丸くして、赤くなって口元を手で隠した。
「…そっち系の人なんだ…。」
「どっちかは知らないけど…まあそんな感じ。」
「俺のファーストキスだったのに…!」
「わたしは…何百回目だろう。」
「こわっ!ガチでそっち系じゃん…。」
「あ、わたし、そろそろ寝ようかなぁ…。」
「じゃあ俺も…?」
「…一緒に寝る?」
「はあ!?」
「嘘だって。でも、ソファで寝てもらうことになりそうだけどいい?」
「うん。」
フィンはソファで。わたしはベッドで眠りに落ちた。いや、正確に言えばわたしはベッドに横たわっただけだった。いつも眠れないのだ。不眠症なのだろうか。
1時間くらいして、水が飲みたくなってしまった。
あいつを起こさないようにそっとキッチンに忍び込み、水を飲む。さて戻ろうかとリビングの扉に手をかけた次の玉響、ありえないことが起こった。
「あれ…まだ起きてたんだ。眠れないの?まあ俺も眠れなかったんだけど。」
すぐ後ろにフィンがいた。
全然気づかなかった。寝ていると思っていた。全く気配を感じなかった。いきなりの事実に鼓動が速まる。
思わず硬直してしまったわたしの耳にフィンが呼びかける
「おーい。聞こえてる?」
眠たそうでほとんど息のようなその声に耳がくすぐられる。
「聞こえてる…。っ…!?」
振り返るとかなり近くに立っていたため、驚いてドアに頭をぶつけた。
フィンは面白そうに口元を歪め、ドアに手をつく。やっぱりフィンの方が背が高かった。
ドアの向こうにある廊下の明かりとカーテンの隙間から漏れる光がわたしたちを照らした。
「…アイシャって、こうして見ると結構可愛いんだね。」
「なにいきなり…。」
「っていうか、そっち系の人なのに、俺のこれには弱いんだね。緊張してる。」
「それは、仕事じゃないからで…!」
「今の方がずっと可愛い。」
「はあ!?なに言って…!」
フィンに抱き寄せられ、無意識に顔から火が出そうになってしまった。フィンの口が再び耳元に来る。
「俺、アイシャ好きだなぁ。」
「え…?」
「本当は結構冷めてるところも、可愛いところも、好みだなぁ。」
思わず、嬉しいと思った。今までわたしを愛してくれる人はいなかった。ママも同僚も冷めた面を嫌い、客だって冷めた面は見ないようにしていた。この人は冷めてても好きだと言っている。
「アイシャは俺のこと、嫌い?」
「…嫌い…ではない…。」
「…よしっ、ならこれからも、ここにいいていいよね。」
「え…?」
「いや〜よかったよかった。」
すぐさまわたしから離れて手をヒラヒラとさせるフィンを前に私は口をパクパクさせるしかなかった。
「詐欺師…!」
「それはそっちも同じじゃね?まあ、これからよろしくね、アイシャ〜。」
「っ…。」
「あれ?アイシャ?まさか…割と本気にしてた?」
まずい。バレる。そう思って頭をフル回転させる。なんだか力が抜けてきて、いつの間にか座り込んでいた。
「そんなこと…ないし…!」
一粒、また一粒と堕涙する。フィンは戸惑いの色を浮かべてこちらを見た。
すぐさま目のあたりに力を込めて、歓笑する。
「あ、引っかかったー。」
「なっ…!」
「迷惑かけないでよね〜。」
かくして、謎の青年・フィンとの同居生活が始まってしまった。
少しだけフィンに惹かれてしまったのは、しょうがないこととしよう。
ここは無法地帯。いや、正式にはナイパスという場所だ。ナイパスは大人気の娯楽地帯。映画、ミュージカル、アクアリウムなどの健全なものが集まる東地域と、カジノ、バー、風俗店などが集まる西地域から成り立っている。故に、ナイパスは不夜城なのだ。いつもどこかで誰かが遊んでいる。
わたしは西地域の住人、アイシャ。17歳。西側地域で生まれ、西側地域で育った。
わたしはよく「かわいい」と言われる。いや、自分でも、この美貌なら西側地域で1番だという自信がある。
「さあ、今日も始めるよ!たっぷり稼いできな!」
この店のママ・アグリルが声高々に宣言した。みんな口々に返事をする。
ふと壁に貼っている売上ランキングを見た。やっぱり、今月もわたしが1位。慣れた光景だった。
秘色の髪を高めのツインテールで結び、メイクも確認する。最後に黒いウサ耳をつければ完成だ。わたしが1番得意な服・バニーガールだ。
「こんばんは〜!今日も来てくれたの?嬉しい〜!」
いつも通りのテンションで、指名者の元へ行く。
「いや〜やっぱアイシャしか勝たん!他はみんな霞んで見えるよ。」
「え〜?もうエデンさんったら〜。」
「今日は結構飲んでいっちゃおうかな〜。おすすめある?」
「そうだなぁ…。これ…とか美味しいよ?」
可愛いピンクのボトルに入ったお酒を勧めてみる。ちなみにこの店で3番目に高い。わたしがエデンさんだったらまず頼まないが…。
「じゃあそれにしちゃおうかな〜!」
「ありがと〜!」
すぐに近くに立っていた黒服の女の子に注文する。やっぱり愛ってすごいと思う。こんなに高いお酒も頼んじゃうんだもん。
「わたし、最近それハマってたんだ〜。」
ありもしない空語りをして、エデンさんと距離を詰める。
「アイシャ、また可愛くなったんじゃない?」
「ほんと?嬉しい〜。」
「…良かったら今日、お店終わったあと一緒に飲まない?」
もう早速か。時計を確認すると、まだ6時半。店が終わるのは12時。かなり間が空く。
「ん〜。ごめんね、また今度でいい?今日、あんまり寝れてなくって…。」
また嘘を吐く。でもエデンさんは快く了承してくれた。
「あ、もうそろそろ時間じゃない?」
「そうかな。まだ一緒にいようよ〜。」
「ごめんね〜。それじゃあ…また今度。」
エデンさんと唇を重ね、ゆるく手を振ってバックヤードに向かった。
口紅を塗り直し、パクパクして馴染ませる。
ふとその時、同い年くらいのドレス姿の同僚に話しかけられた。
「誰とでもしてるの?気持ちわる〜。」
明らかな悪口。でも、そんなの痛くもなかった。
「そうかなぁ。じゃないと1位は取れないから、しょーがなくない?あ、ミアちゃんともしてあげよっか?」
「はあ!?ばっかじゃないの!」
逃げて行ってしまった。ミアちゃん、可愛いな〜こんなことで赤面できるなんて。
さて、次はVIPルームだ。
向かえば、もうすでに数人配置されていた。
「お願いしまーす。」
「あっ!アイシャ!来てくれたの?隣座って〜。」
まず来ただけで隣に座らされる。数人に嫌な顔をされたが無視しておいた。
「クリス、今日はもう結構飲んだの?」
「うん。割と飲んじゃった〜。けど、アイシャが来てくれたから、もう少しくらい飲んじゃおうかな〜。」
「やったぁ!何にする?」
「クリス、私にも何か飲ませてよ〜。」
最近人気が出てきたメノウがおねだりして下から目線を送ってみるが、クリスは全く効いていなかった。
「いや、アイシャは特別だから。」
「え?もうやだ〜クリスったら〜。」
ついでに1番高いものを頼んでもらった。
やっぱりここはわたしの城。わたしがナンバーワンなんだ。
そして休憩時間中、ママに頼まれてゴミ捨てに向かった。いくらナンバーワンと言っても、少しは雑用もこなさなくてはならないのだ。その時だった。
「アイシャ…お前…!」
振り向くとそこには身なりの悪い男性が立っていた。
「お前のせいで、俺の金が全部無くなったじゃねえか!どうしてくれるんだ!それにお前、俺のこと『特別』って言ってたくせに!ふざけんなよ!」
月桂の下、暴怒の声が空に響いた。
たまに、こういう客もいる。わたしはただの店員なのに、過度な期待をする客が。
多分、わたしに貢いだ金で、生活が苦しくなってしまったのだろう。
「お疲れ様。期待しすぎちゃったんだね。」
「はぁ!?お前この野郎…!」
男が近づいてくる。
でも、いくらあいつでも、過去のわたしからは逃げられない。
近づいた相手の顔をそっと触れて、唇を重ねた。これだけで相手は過去のわたしを思い出して動けなくなる。唇を離し、巧笑する。
「でも、また来てくれると嬉しいな。わたし、あなたのこと大好きだから。」
男は崩れ落ちていった。その隙に歩いて店に戻る。
多分、またお金を貯めるだろう。わたしのために。
12時。店が終わり、わたしは着替え始める。今日は2人だけ。余裕だな、などと考えてロッカーから私服を取り出した。
ヨットブルーのパーカーに白いミニスカート。スマホに「今から行くね〜。」と送って、店を出た。
「お待たせ〜。ごめんね、ちょっと待たせちゃった。」
今日来てくれた、金払いのいい客とバーに向かう。
この職業のせいか、どれだけ飲んでも平気な体になってしまった。
他愛もない話をして、1時間ほど潰す。そろそろ別の客のとこに行く時間だ。
「それじゃあわたし、そろそろ行くね。」
客から渡された2万円を財布にしまい、わたしは別の場所へ向かった。
次はとある家。お金持ちな客のものだ。
すぐに客の自室へ通され、酒が運ばれる。どれも最高級のものだ。
そこで1時間ほど潰すと、客は段々と酔い始め、顔が少しずつ赤くなり始めた。
「アイシャちゃん、これお小遣いね。」
「ありがとっ!」
すぐに財布にしまって、再びワインを一口飲む。ほんと美味しいなこれ…。
その時、力いっぱい押され、わたしはソファに倒れた。客が酔ったままわたしに重なろうとしてくる。
これはまずい。時間的にもそろそろだし、逃げよう。そう思って策を打った。
「な、なに…?」
空涙を目に溜める。それを見た客はすぐに我を取り戻し、謝ってくれた。
多分このままじゃ、気まずくなって逃げられる。そう思って別れ際、キスしてから、こう言った。
「そーゆーのは…また今度…ね。」
ちなみに、一切する気はなかった。
家路を辿るわたしは、今日を思い出す。
今日もたくさんキスしちゃったな〜と思って少し自分を殴る。わたしにとってあれは武器だから仕方ないか、とも思った。
ふと路上を見ると、1人の同い年くらいの青年が倒れていた。まあこんなのよくあることなので見ないふりをして通りすぎる。
「…助けてくれないんだ。」
青年がつぶやく。
「だって、わたしそんなに優しくないから。」
青年に近づくが起こしはしない。
「…ピンク色なのに?」
つい、反射で青年の顔を蹴り飛ばした。いや、ガードした腕を蹴った。
今日のわたしのピンク色と言ったらあれしかない。
ミニスカで近づくんじゃなかった…!
「あはははっ、強かだなぁ。」
ゆっくりと立ち上がって、月に照らされる。
わたしより背の高い、でも同い年くらいの青年だ。
裏色の髪とアウタースペースのパーカー。かなり整った顔立ちではあった。
「俺、フィン。君は?」
「…アイシャ。」
「俺、今住むとこなくて困っててさ〜。」
「そうなの。さよなら。」
「いやいやいや!だからさ、君の家に行きたいんだけど…。」
「無理。諦めて。」
「え〜?そこをなんとか…!ちゃんと仕事はしてるから、お金なら払えるし!」
「じゃあなんで住むとこないの?」
「それは…なんか、一緒に住んでたやつが女ができたとか言って追い出して…。」
「…ちょっとだけね。」
一種の情けが働いて、フィンを泊めることになってしまった。
フィンは17歳で、やっぱりわたしと同い年だった。
「お礼、なにがいい?料理も作れるし、掃除も全然やるし…。」
「自分でできるから大丈夫。」
「ん〜それじゃあ…って、え?ここなの?」
「うん。」
目の前の高層ビルを前にフィンは息を呑む。
私は25階に住んでいた。高級感のあるドアを開ければ、はたまた高そうなタイルがフィンを迎える。
「相当仕事で儲かってんじゃん。あ、お風呂沸かしとこっか?」
「もうスマホで沸かしてあるから。」
「すげー…。」
お風呂に入って、ごはんを食べる。まあごはんと言ってもほぼサラダだが。もう時計は5時半を指していた。
ソファに座って無駄話に興じる。
「仕事、なにやってんの?」
「…なんだと思う?」
「えー…。どっかのレストランのウエイトレス?」
「違う。」
「あ、カジノの受付に立ってるお姉さんとか!」
「違う。」
「ん〜なんかヒント!」
「…ヒント…。」
柔らかくフィンの唇を奪ってみせる。フィンは目を丸くして、赤くなって口元を手で隠した。
「…そっち系の人なんだ…。」
「どっちかは知らないけど…まあそんな感じ。」
「俺のファーストキスだったのに…!」
「わたしは…何百回目だろう。」
「こわっ!ガチでそっち系じゃん…。」
「あ、わたし、そろそろ寝ようかなぁ…。」
「じゃあ俺も…?」
「…一緒に寝る?」
「はあ!?」
「嘘だって。でも、ソファで寝てもらうことになりそうだけどいい?」
「うん。」
フィンはソファで。わたしはベッドで眠りに落ちた。いや、正確に言えばわたしはベッドに横たわっただけだった。いつも眠れないのだ。不眠症なのだろうか。
1時間くらいして、水が飲みたくなってしまった。
あいつを起こさないようにそっとキッチンに忍び込み、水を飲む。さて戻ろうかとリビングの扉に手をかけた次の玉響、ありえないことが起こった。
「あれ…まだ起きてたんだ。眠れないの?まあ俺も眠れなかったんだけど。」
すぐ後ろにフィンがいた。
全然気づかなかった。寝ていると思っていた。全く気配を感じなかった。いきなりの事実に鼓動が速まる。
思わず硬直してしまったわたしの耳にフィンが呼びかける
「おーい。聞こえてる?」
眠たそうでほとんど息のようなその声に耳がくすぐられる。
「聞こえてる…。っ…!?」
振り返るとかなり近くに立っていたため、驚いてドアに頭をぶつけた。
フィンは面白そうに口元を歪め、ドアに手をつく。やっぱりフィンの方が背が高かった。
ドアの向こうにある廊下の明かりとカーテンの隙間から漏れる光がわたしたちを照らした。
「…アイシャって、こうして見ると結構可愛いんだね。」
「なにいきなり…。」
「っていうか、そっち系の人なのに、俺のこれには弱いんだね。緊張してる。」
「それは、仕事じゃないからで…!」
「今の方がずっと可愛い。」
「はあ!?なに言って…!」
フィンに抱き寄せられ、無意識に顔から火が出そうになってしまった。フィンの口が再び耳元に来る。
「俺、アイシャ好きだなぁ。」
「え…?」
「本当は結構冷めてるところも、可愛いところも、好みだなぁ。」
思わず、嬉しいと思った。今までわたしを愛してくれる人はいなかった。ママも同僚も冷めた面を嫌い、客だって冷めた面は見ないようにしていた。この人は冷めてても好きだと言っている。
「アイシャは俺のこと、嫌い?」
「…嫌い…ではない…。」
「…よしっ、ならこれからも、ここにいいていいよね。」
「え…?」
「いや〜よかったよかった。」
すぐさまわたしから離れて手をヒラヒラとさせるフィンを前に私は口をパクパクさせるしかなかった。
「詐欺師…!」
「それはそっちも同じじゃね?まあ、これからよろしくね、アイシャ〜。」
「っ…。」
「あれ?アイシャ?まさか…割と本気にしてた?」
まずい。バレる。そう思って頭をフル回転させる。なんだか力が抜けてきて、いつの間にか座り込んでいた。
「そんなこと…ないし…!」
一粒、また一粒と堕涙する。フィンは戸惑いの色を浮かべてこちらを見た。
すぐさま目のあたりに力を込めて、歓笑する。
「あ、引っかかったー。」
「なっ…!」
「迷惑かけないでよね〜。」
かくして、謎の青年・フィンとの同居生活が始まってしまった。
少しだけフィンに惹かれてしまったのは、しょうがないこととしよう。