レインは青ざめていた。
国王とは言っても彼はまだ幼い。
否、そう言ってしまっては失礼かもしれないが、まだまだ政治を知らないし、人生経験が乏しいのだ。
齢一五歳にして国王に即位してからまだ三年も経ってはいない。
先の国王は病気がちであり、四十歳を迎えることなくその生を遂げてしまっていた。
それに彼には外交の経験も無ければ、政治の手腕も学び始めたばかりと言っても過言では無いのだ。
これまでは政治や外交に関しては、大臣達が替わりを勤めてきた。
この様な大舞台は全く経験が無いのだ。
でもここは国王が話をしなければならない。
国の最高責任者のみが発言を許されているのだから。
それでも彼は立ち上がる。
意を決して。
遂に得たチャンスである。
次の機会など無い事はよく理解している。
振える膝を気合で封じ込め、鳴りそうな歯を無理やり閉じ込めていた。
そこに不意に声が掛けられた。
「レインだったよな?」
「え?」
「緊張するなってのが一番堪えるよな?」
「はあ・・・」
「こういう時はな、複式呼吸をするといいんだぞ?オクボス、教えてやってくれ」
声の正体は守であった。
余りに拍子抜けした声のトーンだった。
間を外れたかの様にスターシップは感じていた。
彼は直ぐにでも会議を再開しようとしていたのだから。
オクボスは喜び勇んでレイン国王に複式呼吸を教えていた。
何が始まったのかと他の参加者達も興味深々で聞き入っていた。
「ほれ、全員でやってみろよ」
また守である。
完全にペースを持ってかれてスターシップは困った表情を浮かべていた。
突如始まった複式呼吸教室に場は可笑しな雰囲気になっていた。
セミナーでも開催されているかの様な風景であった。
でもこれを初参加組は喜んで受けていた。
どんどんと心が落ち着いてきたことを体感しているのだろう。
緊張で凝り固まっていたレインも、解れて来て自然な笑顔になっていた。
そして頃合いと見るとスターシップが声を掛けた。
「さて、皆さん。そろそろ緊張も解れてきたことでしょう、会議を再開させて頂きます」
会場は不思議な一体感に包まれていた。
レインは一度きつく目を瞑り、顔を両手で覆うと大きく目を見開いた。
先程までの怯えたレインはもういなかった。
何かを覚悟した成年がそこにはいた。
「ではレイン国王、よろしくお願いします」
スターシップが促す。
「私は・・・否、僕は・・・まだ国王として余りに幼い事は承知しています。経験値も威厳も全くありません。僕には・・・国を動かす程の指導力も発言力もまだありません。でも僕は国王だ。僕の言葉は国の代弁であり、国の総意であります。言葉足らずであったらごめんなさい。僕は戦争が終われたことを本当に嬉しく思っています。だって、何で人が憎しみあう必要がどこにあるか?同じ人だよ?でも先祖の恨みは晴らさないといけないと大臣達からは何度も聞かされてきたから・・・言いたいことは分かる。僕のお爺さんは、先代の恨みを晴らさないといけないと毎日言っていたから・・・どうして戦争なんて起るんだろう?何度も何度も考えてきたことだった。そして今日やっとその答えが分かった、正直ほっとしてしまったんです。だって国の意思として戦争が起こった訳ではないと知ったから。であれば『サファリス』は変わることが出来る。今よりもより笑顔溢れる国になれる、僕は確信しています『サファリス』の国民は平和を愛する者達だと、だって国王の僕がそうなんだから・・・ごめんなさい、やっぱりまだ上手く話せないや」
レインは頭を掻いていた。
「否、その心意気や良し!俺は応援するぞ!」
オクボスが宣言してしまった。
これに頭を抱えるスターシップ。
「俺もだ!」
今度はコルボスが言い出した。
こうなると止まらない。
「私も!」
「儂も!」
「儂もじゃ!」
「私は影・・・」
一人おかしな奴がいるが無視して良いだろう。
実に魔物達は人情深いのだ。
これは守の影響であるとしか言い様がない。
「もう、分かりました!採決を取ります!」
少々投げやりな気分になったスターシップだった。
「『サファリス』国の同盟入りを認める者は挙手をお願いします」
満場一致で手が挙がっていた。
それを感極まる想いでレインは眺めていた。
初めての外交で最高の成果が出たのである。
隣に並ぶ大臣は涙を流していた。
周りを憚ることなく嗚咽を漏らして。
ルミルは先程覚えた複式呼吸で深く息を吸い込んで、長く息を吐き出した。
其れと同時に集中する自分を自覚していた。
良し!
心の中で決意を固め、席を立ち上がった。
「魔道国『エスペランザ』ルミル国王、よろしくお願い致します」
「はい!」
ルミルは大きく返事をした。
それだけでこの者が好感の持てる者であることが参加者達には伝わっていた。
こうなると既に結果は見えていた。
「私は魔道国『エスペランザ』のルミルです、どうぞよろしく!」
大声が響き渡る。
「実は私は数時間前に国王に成りました!」
「何と?」
思わずベルメルトが答えてしまった。
スターシップから視線を向けられてしまったと口を噤むベルメルト。
「というのも、先の王は私の兄でした。兄は全く国政に興味が無く、政治も大臣に任せてばかり、悪い人間ではないのですが、余りに国王という立場に向かない者でした。でも言っておきますと、兄は絵画の才能は素晴らしく、兄の描く絵画は一見の価値はあると思います。もし機会がありましたら、兄の絵画を見てやってください」
この話で先の国王が悪い者では無い事は伝わったみたいだ。
ちゃんと兄を立てるルミルに感心する者もいた。
「さて、そんな兄では心元無かったのでしょう、九尾の聖獣様が話の分かりそうな私が国王になりなさいといきなり振られてしまったのです。急な話で無茶苦茶驚いてしまいました」
「ゴン様らしいのう」
プルゴブが呟いた。
「まさかの展開に驚きを隠せませんでした、大臣達からも、そもそもそうあって欲しかったと言われてしまい。実は少々嬉しくもありました」
ルミルは頭を掻いて照れていた。
「国王に成りたかった訳では無いのですが、頼られている様で嬉しかったのです」
素直なルミルにソバルは笑顔になっていた。
「さて、こうなってしまっては国王としての最初で最大のミッションを達成しなければならない、でも私に出来ることは限られている。ここは嘘偽ることなく本音を語る事と考えています。皆さんであれば私の本気を受け止めて貰えると勝手に考えています」
数名が頷いていた。
「本音を言います・・・無茶苦茶同盟に入りたいです!だってそもそも同盟を知っていたし、どうやったら入れるのかをずっと考えていたんだから!『ドミニオン』が羨ましかった!だってある日突然島野様御一行が現れて、馬鹿貴族共を一掃し、国を綺麗にしてくれただけでなく『シマーノ』や『ルイベント』と同盟を結んだって聞いたんだから!」
この発言に守は苦い顔をしていた。
「羨ましくもなるってもんでしょ?間違っていますかね?だって島野様はもう噂の絶えない神様だし、早く会いたいとずっと熱望していたのだから・・・そしてやっと会えた。遂に私達はこの日を迎えた、同盟よりも何よりも私は島野様と出会えた事が嬉しい!」
これは不味いとスターシップが感じるよりも先に、魔物達が動いてしまった。
「ルミル殿下!その気持ちはよく分かる!」
「そうじゃ!よいぞ!」
「正解だな!」
「分かっているね!」
「そうであるに決まっている!」
魔物達の賛辞が始まってしまった。
実にルミルは策士であった。
こうなることを分かっての発言だったのだから。
魔物達の守に対しての絶大とも思える信仰心を煽ることが正解であると、先の二国のプレゼンで分かっていたのだ。
これも一つの処世術である。
スターシップも分かってはいた。
此処を抑えられたら取り返しがつかないと。
でもそれを止められる状況にはない。
それを止めようものなら『シマーノ』の首領陣から何を言われるか分かった物では無いからだ。
それに頼りのベルメルトも大の守信者である。
ある意味孤軍奮闘するしかないのだから。
スターシップの心配事が的を得てしまっていた。
こうなっては後はもう見守るしかない。
ルミルは我物顔で話を進める。
「島野様!要らない親書を兄が送ってしまったようですが、破棄して下さい。でも一度でいいですので我が国にお越し下さい!おもてなしをさせて下さい!」
ルミルは守に対して深々と頭を下げた。
「分かった、また今度な」
守はやれやれと頷いていた。
「やったー!皆聞いたよね?よっしゃー!」
ルミルは本気で喜んでいた。
それをうんうんと頷いて見守る魔物の首領陣達。
「ルミル殿良かったですな」
「おめでとう!」
「ホホホ!」
「やるじゃねえか!」
賛辞が続く。
「島野様!ありがとうございます!」
ルミルは再び頭を下げていた。
いいから先を進めろと守が手を振っていた。
「はっ!魔道国『エスペランザ』は健全な国かと問われれば、そうでもないとしか言えなのが本音です。でも約束致します!同盟国に恥じない国造りをすると、ここに誓います!よろしくお願い致します!」
ルミルの宣言に会場は拍手喝采となった。
「では採決を行います、魔道国『エスペランザ』の同盟加入に賛成の方は挙手をお願いします」
本来であれば質問タイムとなるのだが、結果がみえている現状にスターシップは割愛したみたいだ。
当然全員の手が挙がっていた。
それを見て笑顔のルミルが叫んだ。
「よっしゃー!!!」
ルミルの慟哭が響き渡っていた。
「おめでとう!」
「よくやった!」
「いいぞ!」
「新たな仲間じゃな」
こうして魔道国『エスペランザ』も同盟の仲間入りを果たした。
ラズベルトは何度も何度も複式呼吸を繰り返していた。
それでも完全に緊張を解すまでには至らなかった。
それはそうだろう。
『イヤーズ』は他の同盟に新規加入を果たした国とは事情が違う。
なんと言っても戦争の原因を引き起こした国なのである。
厳密には戦争を引き起こしたのはラファエルなのだが、第三者にとっては、それは同一と映っていても可笑しくはない。
それをラズベルトは先程知ったばかりである。
少々可哀そうである。
だがそんな事を言ってはいられない。
現実は残酷なのである。
同盟の仲間入りを果たすにはこれからのプレゼンテーションを成功させなければならない。
力が入らない訳がないのだ。
ラズベルトは決して愚鈍な王ではない。
どちらかと言えば、実力はある方なのだ。
でもそんな彼にとってもハードルはとても高い。
唯一の望みは守に策有とのノンからのありがたいパスがあったことだ。
でもラズベルトは分かっていた。
全力を尽くす姿勢を見せなければ、守は決して手を貸してはくれないのだと。
その考えは間違ってはいない。
それほど守も甘くは無いのだ。
努力をしない者の肩を持つ事は無いのだ。
かつてのソバルがそうであった様に、努力をしない者を手助けする守ではない。
これを見抜けただけでもラズベルトが優秀であるといえる。
もし『イヤーズ』にラファエルが居なければ、また違った経緯を辿る国であったことは間違いはないのだ。
スターシップが会議を進める。
「最後に『イヤーズ』のラズベルト国王、よろしくお願い致します」
一度深く頷くとラズベルトは勢いよく立ち上がった。
「私は『イヤーズ』の国王ラズベルトで御座います。よろしくお願い致します!先にこの様なチャンスを島野様に頂けましたこと、深く感謝致します!」
ラズベルトは守に向かって深々と頭を下げていた。
「『イヤーズ』は御承知の通り、半年前まで新興宗教国家を名乗っておりました。その理由は明らかで宗教が国の根幹を担っていたからで御座います」
数名は頷いていた。
「宗教とは何なのかを考える余裕はなく、これまで過ごしてきました・・・そうです我々は教祖のラファエルに支配されていたのです。洗脳魔法で自由意志を奪われて、洗脳を受けていたのです。その洗脳が解けたきっかけは神獣と聖獣の襲撃を受けたからです・・・とても恐ろしかった。でも襲撃があったのはラファエルの神殿だけでした。その衝撃で私は洗脳が解けていたのです。今思うとあれが無ければ今でも私達は操られ続けていたのだと思うとゾッとします。その時に初めて宗教という物に疑問を持ちました。生まれてこの方感じたことが無い違和感でした。物心付いた時には私はラファエルを崇拝していました。そういう物だと誰からも教え込まれてきて、それを全く疑う事無く全うしていたのです。なのにあの時に感じた違和感は何とも言えない気持ちの悪いものでした。信仰を強制させられている・・・自分の大事な何かを奪われている・・・そんな感覚でした」
お付きの者も深く頷いていた。
「今では完全に洗脳は解けてはおりますが、未だにラファエルに強要されられる夢を見ます。もういい加減終わりにしたい。先程島野様からラファエルは死んだと聞かされました・・・とてもほっとしました。やっと悪夢から解放されるのだと・・・『イヤーズ』を覆っていた禍々しいものが無くなったのだと・・・」
全員が話に聞き入っていた。
「『イヤーズ』は復興しなければならない・・・もう偽の神は居なくなったのだから・・・しかし『イヤーズ』にはもうその力は無いのかもしれません・・・」
「それはどういうことなんじゃ?」
ソバルが尋ねる。
「国民の数が三分の一以下に減っているからです。いくらラファエルが死んだと知れ渡ったとしても、帰ってくる国民は少ないでしょう・・・」
「であろうな」
「はい・・・これまで宗教に頼り切ってきた弊害が現れています。しかしそれでも残ってくれた国民達が居ます、お願いです。復興に力を貸して下さい!」
ラズベルトは深々と頭を下げていた。
その姿は悲壮感でとても痛々しい。
「ではここからは質問の時間としましょう」
スターシップが話を先に進める。
ベルメルトが手を挙げる。
スターシップがどうぞと顎を引く。
「ラズベルト殿下、貴国の惨状はよく理解できた。苦しい年月を過ごしてきたのでしょう、しかし宗教によって得た利益もあるのではないでしょうか?聞くに『イヤーズ』は上下水道が完備されており、街中の街道の整備も整っているとか。何も悪い事ばかりでは無いと思われるのだが、どうだろうか?」
ラズベルトが苦い顔をする。
「そういった側面は確かにあります、ラファエルの異世界の知識で『イヤーズ』は他国とはまた違う文明を享受してきたことは事実です」
「であればそれを目当てに国民が帰ってくるのではないでしょうか?」
「ベルメルト殿下、失礼ながらそれは甘い認識と思われます、一度嫌気が指した国民が戻るには相当のインパクトが居ると思われますし、それ以前に過去を思い出す様なことをするとは思えません、国王の私がこんな事を言うのはいけない事と分かっていますが、出来る事ならば、私も国を離れたいのが本音です・・・」
「何と・・・そこまでなのか・・・」
ベルメルトは慄いていた。
「それ程に洗脳を受けていたことは私達の心を蝕んでいるのです、どうかご理解頂けると助かります」
全員が押し黙っていた。
そこに手が挙げられる。
レインであった。
「ラズベルト殿下、お答え下さい。貴国の惨状はよく理解できたが、我が国からしてみれば、貴国は戦争を引き起こしたラファエルを保護していた様にも見えるのです、貴国はラファエルを幇助していた事になりませんか?自由意志を奪われていたとは言っても、戦争を引き起こす事を手助けしたことに間違いはありませんよね?」
ラズベルトはきつく目を瞑っていた。
守から聞かされていた事が現実に起きていた。
大臣達とこの質問に対する回答をどうするべきかと話を重ねたが、その答えは出ていなかった。
「レイン殿下、そう思われてもしょうがない事と思われます、ですが実は戦争の原因を創ったのがラファエルであるとの事も、先程島野様から教えて貰ったことなのです・・・お恥ずかしい限りでは御座いますが・・・ご承知おき下さい・・・」
本当はラズベルトは言いたいことはいくつもあった、しかしそれを言う事は無責任と捉えられる可能性が高い為ここは口を噤むしか無かった。
事は五代前の国王の事であり、百年以上経った今、その責任を問われることに意味はあるのかと本音はそう言いたかった。
しかし先程まで『サファリス』と『オーフェルン』は戦争をしていたのも事実なのである。
彼らからしてみれば、誰かに戦争の責任を問わせたいと思う気持ちも充分に分かるのだ。
ここは下手な言い訳はすべきでは無いと考えられた。
歯痒さにラズベルトは見悶えする思いであった。
そこに思わぬ援軍が現れた。
ルミルであった。
「レイン殿下、私には貴殿達の気持ちを慮ることは出来ようもないが、先祖の行いを子孫が受け持つ必要があるのだろうか?それも百年も前となるとその先祖の顔すらも知らない事になる」
そこにレインが食って掛かる。
「言いたいことは分かります、過去の出来事だと気持ちを改めろと仰りたいのでしょう・・・しかし過去の経緯があって今がある、何処かで誰かがけじめをつける必要があるのではないでしょうか?」
「しかし・・・」
ルミルは黙ってしまった。
今度はルメールが手を挙げる。
「レイン殿下、その気持ち・・・よく分かる・・・実に我々は百年に渡って不毛な戦争を行ってきている、誰かに責任を取らせたいとは思う・・・だが・・・前を向くと決めた今・・・もうよいのでは無いのか?そうは思わないか?」
「その想いもあります・・・しかし・・・」
こうなってくると収取が付かなくなってきていた。
こうなることは守にとっては想定内であった。
そして場が混迷してくると共に守に視線が集まってきていた。
だが守は動かなかった。
まだまだお前達で考えろとその視線が語っていた。
それを察知した魔物達が動き出す。
「レイン殿、私達は戦争を知らない。本音を言えば知りたくもない。長年抱えてきた思いがあるのだろうが、その想いは手放せないものなのだろうか?」
コルボスが問いかける。
「そうじゃ、第三者の儂らが言っていい事かは分からぬが、ここは気持ちを静めて欲しいと思うのじゃがのう」
今度はソバルが想いを伝えた。
思案顔のプルゴブが口を開いた。
「レイン殿下、けじめと仰ったが、因みにどんなけじめをつけろというのだろうか?本音を教えては下さらんか?」
「それは・・・」
そこに答えは無い。
ここは感情でしかないのだから。
実に感情は厄介である。
それはその時の気分で右左されるのだから。
でもその気分で人は動いてしまう傾向にある。
これは切り離すにはそれなりの精神力が必要である。
しかしまだまだそれを制御できないレインは戸惑うばかりだ。
この場の高揚感が彼を突き動かしているかもしれない。
それぐらい実は薄い話でしかないのだ。
そして遂に守が動く。
国王とは言っても彼はまだ幼い。
否、そう言ってしまっては失礼かもしれないが、まだまだ政治を知らないし、人生経験が乏しいのだ。
齢一五歳にして国王に即位してからまだ三年も経ってはいない。
先の国王は病気がちであり、四十歳を迎えることなくその生を遂げてしまっていた。
それに彼には外交の経験も無ければ、政治の手腕も学び始めたばかりと言っても過言では無いのだ。
これまでは政治や外交に関しては、大臣達が替わりを勤めてきた。
この様な大舞台は全く経験が無いのだ。
でもここは国王が話をしなければならない。
国の最高責任者のみが発言を許されているのだから。
それでも彼は立ち上がる。
意を決して。
遂に得たチャンスである。
次の機会など無い事はよく理解している。
振える膝を気合で封じ込め、鳴りそうな歯を無理やり閉じ込めていた。
そこに不意に声が掛けられた。
「レインだったよな?」
「え?」
「緊張するなってのが一番堪えるよな?」
「はあ・・・」
「こういう時はな、複式呼吸をするといいんだぞ?オクボス、教えてやってくれ」
声の正体は守であった。
余りに拍子抜けした声のトーンだった。
間を外れたかの様にスターシップは感じていた。
彼は直ぐにでも会議を再開しようとしていたのだから。
オクボスは喜び勇んでレイン国王に複式呼吸を教えていた。
何が始まったのかと他の参加者達も興味深々で聞き入っていた。
「ほれ、全員でやってみろよ」
また守である。
完全にペースを持ってかれてスターシップは困った表情を浮かべていた。
突如始まった複式呼吸教室に場は可笑しな雰囲気になっていた。
セミナーでも開催されているかの様な風景であった。
でもこれを初参加組は喜んで受けていた。
どんどんと心が落ち着いてきたことを体感しているのだろう。
緊張で凝り固まっていたレインも、解れて来て自然な笑顔になっていた。
そして頃合いと見るとスターシップが声を掛けた。
「さて、皆さん。そろそろ緊張も解れてきたことでしょう、会議を再開させて頂きます」
会場は不思議な一体感に包まれていた。
レインは一度きつく目を瞑り、顔を両手で覆うと大きく目を見開いた。
先程までの怯えたレインはもういなかった。
何かを覚悟した成年がそこにはいた。
「ではレイン国王、よろしくお願いします」
スターシップが促す。
「私は・・・否、僕は・・・まだ国王として余りに幼い事は承知しています。経験値も威厳も全くありません。僕には・・・国を動かす程の指導力も発言力もまだありません。でも僕は国王だ。僕の言葉は国の代弁であり、国の総意であります。言葉足らずであったらごめんなさい。僕は戦争が終われたことを本当に嬉しく思っています。だって、何で人が憎しみあう必要がどこにあるか?同じ人だよ?でも先祖の恨みは晴らさないといけないと大臣達からは何度も聞かされてきたから・・・言いたいことは分かる。僕のお爺さんは、先代の恨みを晴らさないといけないと毎日言っていたから・・・どうして戦争なんて起るんだろう?何度も何度も考えてきたことだった。そして今日やっとその答えが分かった、正直ほっとしてしまったんです。だって国の意思として戦争が起こった訳ではないと知ったから。であれば『サファリス』は変わることが出来る。今よりもより笑顔溢れる国になれる、僕は確信しています『サファリス』の国民は平和を愛する者達だと、だって国王の僕がそうなんだから・・・ごめんなさい、やっぱりまだ上手く話せないや」
レインは頭を掻いていた。
「否、その心意気や良し!俺は応援するぞ!」
オクボスが宣言してしまった。
これに頭を抱えるスターシップ。
「俺もだ!」
今度はコルボスが言い出した。
こうなると止まらない。
「私も!」
「儂も!」
「儂もじゃ!」
「私は影・・・」
一人おかしな奴がいるが無視して良いだろう。
実に魔物達は人情深いのだ。
これは守の影響であるとしか言い様がない。
「もう、分かりました!採決を取ります!」
少々投げやりな気分になったスターシップだった。
「『サファリス』国の同盟入りを認める者は挙手をお願いします」
満場一致で手が挙がっていた。
それを感極まる想いでレインは眺めていた。
初めての外交で最高の成果が出たのである。
隣に並ぶ大臣は涙を流していた。
周りを憚ることなく嗚咽を漏らして。
ルミルは先程覚えた複式呼吸で深く息を吸い込んで、長く息を吐き出した。
其れと同時に集中する自分を自覚していた。
良し!
心の中で決意を固め、席を立ち上がった。
「魔道国『エスペランザ』ルミル国王、よろしくお願い致します」
「はい!」
ルミルは大きく返事をした。
それだけでこの者が好感の持てる者であることが参加者達には伝わっていた。
こうなると既に結果は見えていた。
「私は魔道国『エスペランザ』のルミルです、どうぞよろしく!」
大声が響き渡る。
「実は私は数時間前に国王に成りました!」
「何と?」
思わずベルメルトが答えてしまった。
スターシップから視線を向けられてしまったと口を噤むベルメルト。
「というのも、先の王は私の兄でした。兄は全く国政に興味が無く、政治も大臣に任せてばかり、悪い人間ではないのですが、余りに国王という立場に向かない者でした。でも言っておきますと、兄は絵画の才能は素晴らしく、兄の描く絵画は一見の価値はあると思います。もし機会がありましたら、兄の絵画を見てやってください」
この話で先の国王が悪い者では無い事は伝わったみたいだ。
ちゃんと兄を立てるルミルに感心する者もいた。
「さて、そんな兄では心元無かったのでしょう、九尾の聖獣様が話の分かりそうな私が国王になりなさいといきなり振られてしまったのです。急な話で無茶苦茶驚いてしまいました」
「ゴン様らしいのう」
プルゴブが呟いた。
「まさかの展開に驚きを隠せませんでした、大臣達からも、そもそもそうあって欲しかったと言われてしまい。実は少々嬉しくもありました」
ルミルは頭を掻いて照れていた。
「国王に成りたかった訳では無いのですが、頼られている様で嬉しかったのです」
素直なルミルにソバルは笑顔になっていた。
「さて、こうなってしまっては国王としての最初で最大のミッションを達成しなければならない、でも私に出来ることは限られている。ここは嘘偽ることなく本音を語る事と考えています。皆さんであれば私の本気を受け止めて貰えると勝手に考えています」
数名が頷いていた。
「本音を言います・・・無茶苦茶同盟に入りたいです!だってそもそも同盟を知っていたし、どうやったら入れるのかをずっと考えていたんだから!『ドミニオン』が羨ましかった!だってある日突然島野様御一行が現れて、馬鹿貴族共を一掃し、国を綺麗にしてくれただけでなく『シマーノ』や『ルイベント』と同盟を結んだって聞いたんだから!」
この発言に守は苦い顔をしていた。
「羨ましくもなるってもんでしょ?間違っていますかね?だって島野様はもう噂の絶えない神様だし、早く会いたいとずっと熱望していたのだから・・・そしてやっと会えた。遂に私達はこの日を迎えた、同盟よりも何よりも私は島野様と出会えた事が嬉しい!」
これは不味いとスターシップが感じるよりも先に、魔物達が動いてしまった。
「ルミル殿下!その気持ちはよく分かる!」
「そうじゃ!よいぞ!」
「正解だな!」
「分かっているね!」
「そうであるに決まっている!」
魔物達の賛辞が始まってしまった。
実にルミルは策士であった。
こうなることを分かっての発言だったのだから。
魔物達の守に対しての絶大とも思える信仰心を煽ることが正解であると、先の二国のプレゼンで分かっていたのだ。
これも一つの処世術である。
スターシップも分かってはいた。
此処を抑えられたら取り返しがつかないと。
でもそれを止められる状況にはない。
それを止めようものなら『シマーノ』の首領陣から何を言われるか分かった物では無いからだ。
それに頼りのベルメルトも大の守信者である。
ある意味孤軍奮闘するしかないのだから。
スターシップの心配事が的を得てしまっていた。
こうなっては後はもう見守るしかない。
ルミルは我物顔で話を進める。
「島野様!要らない親書を兄が送ってしまったようですが、破棄して下さい。でも一度でいいですので我が国にお越し下さい!おもてなしをさせて下さい!」
ルミルは守に対して深々と頭を下げた。
「分かった、また今度な」
守はやれやれと頷いていた。
「やったー!皆聞いたよね?よっしゃー!」
ルミルは本気で喜んでいた。
それをうんうんと頷いて見守る魔物の首領陣達。
「ルミル殿良かったですな」
「おめでとう!」
「ホホホ!」
「やるじゃねえか!」
賛辞が続く。
「島野様!ありがとうございます!」
ルミルは再び頭を下げていた。
いいから先を進めろと守が手を振っていた。
「はっ!魔道国『エスペランザ』は健全な国かと問われれば、そうでもないとしか言えなのが本音です。でも約束致します!同盟国に恥じない国造りをすると、ここに誓います!よろしくお願い致します!」
ルミルの宣言に会場は拍手喝采となった。
「では採決を行います、魔道国『エスペランザ』の同盟加入に賛成の方は挙手をお願いします」
本来であれば質問タイムとなるのだが、結果がみえている現状にスターシップは割愛したみたいだ。
当然全員の手が挙がっていた。
それを見て笑顔のルミルが叫んだ。
「よっしゃー!!!」
ルミルの慟哭が響き渡っていた。
「おめでとう!」
「よくやった!」
「いいぞ!」
「新たな仲間じゃな」
こうして魔道国『エスペランザ』も同盟の仲間入りを果たした。
ラズベルトは何度も何度も複式呼吸を繰り返していた。
それでも完全に緊張を解すまでには至らなかった。
それはそうだろう。
『イヤーズ』は他の同盟に新規加入を果たした国とは事情が違う。
なんと言っても戦争の原因を引き起こした国なのである。
厳密には戦争を引き起こしたのはラファエルなのだが、第三者にとっては、それは同一と映っていても可笑しくはない。
それをラズベルトは先程知ったばかりである。
少々可哀そうである。
だがそんな事を言ってはいられない。
現実は残酷なのである。
同盟の仲間入りを果たすにはこれからのプレゼンテーションを成功させなければならない。
力が入らない訳がないのだ。
ラズベルトは決して愚鈍な王ではない。
どちらかと言えば、実力はある方なのだ。
でもそんな彼にとってもハードルはとても高い。
唯一の望みは守に策有とのノンからのありがたいパスがあったことだ。
でもラズベルトは分かっていた。
全力を尽くす姿勢を見せなければ、守は決して手を貸してはくれないのだと。
その考えは間違ってはいない。
それほど守も甘くは無いのだ。
努力をしない者の肩を持つ事は無いのだ。
かつてのソバルがそうであった様に、努力をしない者を手助けする守ではない。
これを見抜けただけでもラズベルトが優秀であるといえる。
もし『イヤーズ』にラファエルが居なければ、また違った経緯を辿る国であったことは間違いはないのだ。
スターシップが会議を進める。
「最後に『イヤーズ』のラズベルト国王、よろしくお願い致します」
一度深く頷くとラズベルトは勢いよく立ち上がった。
「私は『イヤーズ』の国王ラズベルトで御座います。よろしくお願い致します!先にこの様なチャンスを島野様に頂けましたこと、深く感謝致します!」
ラズベルトは守に向かって深々と頭を下げていた。
「『イヤーズ』は御承知の通り、半年前まで新興宗教国家を名乗っておりました。その理由は明らかで宗教が国の根幹を担っていたからで御座います」
数名は頷いていた。
「宗教とは何なのかを考える余裕はなく、これまで過ごしてきました・・・そうです我々は教祖のラファエルに支配されていたのです。洗脳魔法で自由意志を奪われて、洗脳を受けていたのです。その洗脳が解けたきっかけは神獣と聖獣の襲撃を受けたからです・・・とても恐ろしかった。でも襲撃があったのはラファエルの神殿だけでした。その衝撃で私は洗脳が解けていたのです。今思うとあれが無ければ今でも私達は操られ続けていたのだと思うとゾッとします。その時に初めて宗教という物に疑問を持ちました。生まれてこの方感じたことが無い違和感でした。物心付いた時には私はラファエルを崇拝していました。そういう物だと誰からも教え込まれてきて、それを全く疑う事無く全うしていたのです。なのにあの時に感じた違和感は何とも言えない気持ちの悪いものでした。信仰を強制させられている・・・自分の大事な何かを奪われている・・・そんな感覚でした」
お付きの者も深く頷いていた。
「今では完全に洗脳は解けてはおりますが、未だにラファエルに強要されられる夢を見ます。もういい加減終わりにしたい。先程島野様からラファエルは死んだと聞かされました・・・とてもほっとしました。やっと悪夢から解放されるのだと・・・『イヤーズ』を覆っていた禍々しいものが無くなったのだと・・・」
全員が話に聞き入っていた。
「『イヤーズ』は復興しなければならない・・・もう偽の神は居なくなったのだから・・・しかし『イヤーズ』にはもうその力は無いのかもしれません・・・」
「それはどういうことなんじゃ?」
ソバルが尋ねる。
「国民の数が三分の一以下に減っているからです。いくらラファエルが死んだと知れ渡ったとしても、帰ってくる国民は少ないでしょう・・・」
「であろうな」
「はい・・・これまで宗教に頼り切ってきた弊害が現れています。しかしそれでも残ってくれた国民達が居ます、お願いです。復興に力を貸して下さい!」
ラズベルトは深々と頭を下げていた。
その姿は悲壮感でとても痛々しい。
「ではここからは質問の時間としましょう」
スターシップが話を先に進める。
ベルメルトが手を挙げる。
スターシップがどうぞと顎を引く。
「ラズベルト殿下、貴国の惨状はよく理解できた。苦しい年月を過ごしてきたのでしょう、しかし宗教によって得た利益もあるのではないでしょうか?聞くに『イヤーズ』は上下水道が完備されており、街中の街道の整備も整っているとか。何も悪い事ばかりでは無いと思われるのだが、どうだろうか?」
ラズベルトが苦い顔をする。
「そういった側面は確かにあります、ラファエルの異世界の知識で『イヤーズ』は他国とはまた違う文明を享受してきたことは事実です」
「であればそれを目当てに国民が帰ってくるのではないでしょうか?」
「ベルメルト殿下、失礼ながらそれは甘い認識と思われます、一度嫌気が指した国民が戻るには相当のインパクトが居ると思われますし、それ以前に過去を思い出す様なことをするとは思えません、国王の私がこんな事を言うのはいけない事と分かっていますが、出来る事ならば、私も国を離れたいのが本音です・・・」
「何と・・・そこまでなのか・・・」
ベルメルトは慄いていた。
「それ程に洗脳を受けていたことは私達の心を蝕んでいるのです、どうかご理解頂けると助かります」
全員が押し黙っていた。
そこに手が挙げられる。
レインであった。
「ラズベルト殿下、お答え下さい。貴国の惨状はよく理解できたが、我が国からしてみれば、貴国は戦争を引き起こしたラファエルを保護していた様にも見えるのです、貴国はラファエルを幇助していた事になりませんか?自由意志を奪われていたとは言っても、戦争を引き起こす事を手助けしたことに間違いはありませんよね?」
ラズベルトはきつく目を瞑っていた。
守から聞かされていた事が現実に起きていた。
大臣達とこの質問に対する回答をどうするべきかと話を重ねたが、その答えは出ていなかった。
「レイン殿下、そう思われてもしょうがない事と思われます、ですが実は戦争の原因を創ったのがラファエルであるとの事も、先程島野様から教えて貰ったことなのです・・・お恥ずかしい限りでは御座いますが・・・ご承知おき下さい・・・」
本当はラズベルトは言いたいことはいくつもあった、しかしそれを言う事は無責任と捉えられる可能性が高い為ここは口を噤むしか無かった。
事は五代前の国王の事であり、百年以上経った今、その責任を問われることに意味はあるのかと本音はそう言いたかった。
しかし先程まで『サファリス』と『オーフェルン』は戦争をしていたのも事実なのである。
彼らからしてみれば、誰かに戦争の責任を問わせたいと思う気持ちも充分に分かるのだ。
ここは下手な言い訳はすべきでは無いと考えられた。
歯痒さにラズベルトは見悶えする思いであった。
そこに思わぬ援軍が現れた。
ルミルであった。
「レイン殿下、私には貴殿達の気持ちを慮ることは出来ようもないが、先祖の行いを子孫が受け持つ必要があるのだろうか?それも百年も前となるとその先祖の顔すらも知らない事になる」
そこにレインが食って掛かる。
「言いたいことは分かります、過去の出来事だと気持ちを改めろと仰りたいのでしょう・・・しかし過去の経緯があって今がある、何処かで誰かがけじめをつける必要があるのではないでしょうか?」
「しかし・・・」
ルミルは黙ってしまった。
今度はルメールが手を挙げる。
「レイン殿下、その気持ち・・・よく分かる・・・実に我々は百年に渡って不毛な戦争を行ってきている、誰かに責任を取らせたいとは思う・・・だが・・・前を向くと決めた今・・・もうよいのでは無いのか?そうは思わないか?」
「その想いもあります・・・しかし・・・」
こうなってくると収取が付かなくなってきていた。
こうなることは守にとっては想定内であった。
そして場が混迷してくると共に守に視線が集まってきていた。
だが守は動かなかった。
まだまだお前達で考えろとその視線が語っていた。
それを察知した魔物達が動き出す。
「レイン殿、私達は戦争を知らない。本音を言えば知りたくもない。長年抱えてきた思いがあるのだろうが、その想いは手放せないものなのだろうか?」
コルボスが問いかける。
「そうじゃ、第三者の儂らが言っていい事かは分からぬが、ここは気持ちを静めて欲しいと思うのじゃがのう」
今度はソバルが想いを伝えた。
思案顔のプルゴブが口を開いた。
「レイン殿下、けじめと仰ったが、因みにどんなけじめをつけろというのだろうか?本音を教えては下さらんか?」
「それは・・・」
そこに答えは無い。
ここは感情でしかないのだから。
実に感情は厄介である。
それはその時の気分で右左されるのだから。
でもその気分で人は動いてしまう傾向にある。
これは切り離すにはそれなりの精神力が必要である。
しかしまだまだそれを制御できないレインは戸惑うばかりだ。
この場の高揚感が彼を突き動かしているかもしれない。
それぐらい実は薄い話でしかないのだ。
そして遂に守が動く。

