時間旅行で訪れた時間はザックおじさんが亡くなる三日前にした。
ザックおじさんは随分と弱っていたが、何とか一口ぐらい酒を組み躱すことは出来るだろうと考えられた。
それに亡くなる前のザックおじさんを、ラファエルには会わせてやりたいと考えたからだ。
ラファエルの知らないザックおじさんに会わせてやりたいと思ったのだ。
それがこいつに残された後悔を払拭できるのではないと慮ったからだ。
実際にはどうだかは知らない。
ラファエルの感じるが儘に捕らえてくれればいい。
勿論時間軸に影響を及ぼさないことも計算に入れている。
此処よりも更に前となると時間軸に影響を与える危険性がある。
ザックおじさんというよりも、その他の周りの者達の行動に読めない点があったからだ。
ここは慎重に考えた上での決断だった。
そして俺は透明化してラファエルとザックおじさんを見守ることにした。
流石に勝手にやってくれとは言えない。
時間軸を見守る必要がある。
ラファエルは緊張の趣きであった。
意を決しているのは分かるが、少々緊張し過ぎではないかと思えるぐらい肩が挙がっていた。
其れと同時に時間旅行の影響が既に出始めているのだろう。
ラファエルは眉を潜めていた。
頭痛を堪えているのが分かる。
それぐらい時間旅行の影響は大きい。
こいつは演算の能力を得ていないのだから、この情報量に太刀打ちできる訳がないのだ。
それを俺は骨身に染みて分かっている。
でもそれを分かっての時間旅行なのだ。
本人の意思を俺は尊重したまでだ。
命を懸けてこの時間軸に来たいと。
それぐらいザックおじさんに再会したいのだと。
俺はこいつの本気を受け止めてやっただけに過ぎない。
俺はラファエルの背中をポンと一押しして、
「楽しんで来いよ」
声を掛けてやった。
「ああ、本当にありがとう」
ラファエルから右手を差し出された。
俺は握り返し、
「死ぬ気で飲めよ!じゃあな!」
この言葉にラファエルは笑顔で答えていた。
こいつもこんな笑顔が出来るんだなと、俺はラファエルを少し見直していた。
実に爽やかな笑顔だった。
俺は透明化した。
ラファエルからは転移した様に見えたのかもしれない。
ラファエルは一瞬驚いた表情をしていたが、深く呼吸を整えるとその眼には希望の光が宿っていた。
ラファエルは感謝の意を伝えたかったのだろう。
見えない俺に向かってお辞儀をしていた。
それは仰々しいお辞儀だった。
実にラファエルらしいと感じてしまった。
キザな奴め。
そしてラファエルは歩を進める。
その先にはザックおじさんのお店があった。
悠然とラファエルは歩を進めていた。
その歩に迷いは無かった。
シマノの言う通りだった。
過去に戻って来たのは直ぐに分かった。
シマノは出鱈目な奴だ。
本当に過去に来てしまうなんて・・・
到底俺には適わないな・・・なんて奴だ。
余りに絶大過ぎるだろう・・・
こんな凄い奴に俺は歯向かおうとしていたんだな。
勝てっこねえよ。
この光景を見てここは過去の世界だと、俺は一瞬にして理解してしまった。
そしてシマノの言う事には間違いは無かった。
頭がガンガンする。
頭が割れそうだ。
脳が猛烈に熱を帯びているのがわかる。
くそぅ!脳が焼けそうだ。
過去に来てからというもの、頭を押さえつけられているかの如く圧迫感がある。
今にも頭蓋骨が歪みそうだ。
脳にかなりの負担が掛かっているのが分かる。
これがあいつの言う情報を処理できないということなんだろう。
もって一日との話だったが・・・俺はこれに耐えなければ・・・
充分な時間を貰えたと感じている。
シマノ・・・ありがとう。
俺は居なくなったシマノに対して頭を下げた。
感謝の意を込めて。
そしてザックおじさんのお店を目指した。
やっと会える・・・
夢に見た瞬間だ・・・
ああ・・・俺の夢が叶いそうだ・・・
懐かしい街並みだ。
見慣れた光景、そして見慣れた人達。
こんなに綺麗な街だったのか・・・
当時はそんな事を微塵にも思わなかったな。
糞田舎だと俺は蔑んでいた・・・
何で俺はこんなにも高飛車だったのか・・・
俺は馬鹿だ・・・こんなに世界は美しかったのに・・・
それに気づく事も出来なかったのか・・・
ダサいな・・・ダサ過ぎる・・・
あーあ・・・
俺はシマノの言う通り大馬鹿者だな・・・
ザックおじさんのお店の前に到着した。
急に胸が高まる。
二階の窓が締まっていた。
この窓はいつも空いていたな。
でもザックおじさんが居ることは間違いなさそうだ。
何と無くそう感じる。
ああ・・・待ってくれていたんだな・・・今行くからな・・・ザックおじさん。
そして俺はいつもそうしていた様に、裏口からザックおじさんのお店に入った。
店の入口は堅く閉ざされており、店の中は綺麗に整頓されていた。
綺麗好きなザックおじさんらしい、否、遺品の整理といった所だろうか?
殆どの商品が片付けられていた。
ふと虚無感に苛まれそうになる。
何だかな・・・
二階のザックおじさんの寝所に向かう事にした。
階段を登る途中で声が掛けられた。
「メリダ婆さんかい?」
とても弱々しい声だった。
だが俺にとってはとても懐かしく、心温まる声だった。
途中で立ち止まり俺は深呼吸した。
この儘進む訳にはいかない。
こんな顔を見せることは憚られる。
立ち止まったのは溢れ出てくる涙を沈める為だ。
こんな顔をザックおじさんに見せる訳にはいかない。
シマノのお陰で身体は元気になっているし、心も落ち着いている。
だが頭の中は今にも発火しそうなほどに熱を帯びているのが分かる。
堪えるんだ!
集中しろ!
せっかく貰えたチャンスなんだ。
無駄に出来ない!
気合を入れろ!
「よお!ザックおじさん!俺だよ!」
意を決して俺は階段を登った。
「嘘だろ・・・ラファエルだか?」
驚きの声が返ってくる。
俺はザックおじさんの寝所に入った。
ザックおじさんはベットに上半身のみを起こして、
「ラファエルだ・・・会いたかっただでよ」
驚きと笑顔で俺を迎え入れてくれた。
俺は涙を流しそうになる自分を何とか堪えることが出来た。
理性で抑え込むにも程がある。
でもここは去勢を張るべきだろう。
「ザックおじさん・・・俺も会いたかった・・・ザックおじさん・・・ごめんよ・・・許してくれよな・・・」
なんとか俺は涙を堪えることが出来た。
「何を言っているだか、おらがお前えの何を許すってんだか?そんな事はどうでもいいだ、もっとこっちに来ておくれ、ラファエルや」
優しい声が掛けられる。
立ち上がろうとするザックおじさんを俺は抱えた。
ああ・・・こんなにも軽くなっちまいやがって・・・
ザックおじさんの病状は進んでいるのだろう。
あのぽっこりと出ていたお腹もすっきりとしている。
死が近いんだな・・・
俺も一緒か・・・
っち!しんみりしたのなんて俺達には似合わない。
気分を変えよう。
此処は堪えろ!
俺はザックおじさんを座らせた。
俺はザックおじさんの正面に座る。
「なあ、ザックおじさん。付き合ってくれるよな?」
俺はマジックバックからシマノに貰ったワインとワイングラスを取り出し、テーブルに置いた。
「およ?ワインだか?旨そうなワインでねえか?」
ザックおじさんの笑顔が眩しい。
「ああ、最高の奴から貰ったんだ。旨いに決まってるぜ!」
「そうだか、そうだか、お前がそう言うなら違えねえだ、ささ、飲ませておくれ」
「待ってろ」
俺はワイングラスを二つ取り出してワインを並々と注いだ。
「「乾杯!」」
旨い!何なんだこのワインは・・・これまでワインを浴びる程飲んできたがこんなに旨いワインは始めてだ。
流石だな・・・俺は人生の最後に最高のワインを飲めるみたいだ。
ありがたい・・・創造神に成ろうって者が造りしワイン・・・
それもザックおじさんと飲めるなんて・・・これは夢なんじゃないか?
思わずそう考えてしまう。
でも未だ頭がガンガンする。
堪えるんだ。
「ラファエル!これは本当に旨いワインでねえか!お前えの友達にお礼を言いてえな」
「・・・ああ、そうだな」
友達って・・・
一方的にぶん投げられただけだけどな。
でも今だけはそう想ってもいいよな。
違うか?シマノ、許してくれよ。
「それで、上下水道工事はどうなってんだ?ラファエル」
そうだった・・・
此処は過去の世界で・・・ここは会わせるべきなんだろうな・・・
恐らく俺が未来から来たという事は伏せるべきだろう。
シマノに迷惑をかける訳にはいかない。
「ああ大丈夫だ、上手くいっている」
その俺の発言を聞いてザックおじさんが下を向いた。
「そうだか・・・ラファエル・・・お前えは優しいなあ。お前え、おいらの知るラファエルではねえだな。おいらには分かるだでよ」
「な!・・・」
何で分かるんだよ。
嘘だろ!
「ラファエル、商売人の眼を舐めるでねえだ。おいらは腐っても商人だ。お前えの表情、雰囲気、そして眼を見ればそんなことは一目瞭然だでよ」
「ザックおじさん・・・」
「でも答え無くていいだでよ、ラファエルであることに間違いはねえだでよ。おいらに会いに来てくれた。それだけでも充分においらは嬉しいだでよ・・・」
どうしたらいい・・・まあいい・・・どうせ死ぬんだ。
なる様になるだろう。
とてもではないが、この頭の整理は出来そうにない。
シマノの言う通り、もって一日かもしれない。
今にも鼻血が出そうだ。
「ザックおじさんは凄いなあ、関心するぞ・・・」
「ナハハハ!褒めてくれるだかラファエル!」
ほんとに、どんな勘してんだよ。
「ああ、冴えない顔してる癖によお」
「冴えない顔とは言ってくれるだ、お前えこそ似たようなものだで」
「だな、冴えない親子だもんな」
ザックおじさんの表情が弾ける。
「おりょ?親子だか!嬉しい事を言ってくれるだ」
「なんだよ、茶化すなよ。もう時間が無いんだろう?」
ザックおじさんの表情が曇った。
「何でそれを知ってるだ?・・・」
「俺だって商人の端くれだ。見れば分るさ・・・ザックおじさんが俺を育ててくれたじゃないか・・・」
「・・・言うでねえか、さあラファエル。もう一杯注いでおくれ・・・」
「そうだな、死ぬ気で飲むぞ!」
「かあー、いいだ、いいだ!死ぬ気で飲むだか!」
俺はザックおじさんのグラスに並々とワインを注いだ。
「ラファエル、お前えの話が聞きたいだ!何でもいい話しておくれ!」
ザックおじさんが喜々としていた。
「そうだな、何から話そうか・・・」
「聞かせておくれ、どんな荒唐無稽な話でもいいだよ・・・」
そうか何でもいいのか・・・シマノ・・・もういいよな?
結局お前には迷惑をかけてしまうのかもしれないな。
「ああ・・・俺は未来から来たんだ」
「?・・・」
もういい、言ってしまえ、どうせ死ぬんだ。
後の事はシマノがどうにかしれくれるだろう。
それにどうせこの会話も聞かれていることだろうしな。
あいつがそんな甘い奴でも無い事を俺は骨身に染みて分かっている。
シマノすまないな、後は任せた。
ごめんよ・・・
俺はザックおじさんの死を知ったことから話を始めた。
ザックおじさんはまるで子供が絵本の読み聞かせを聞いているかの如く、ワクワクしながら眼を輝かせて話を聞いてくれた。
何の疑問を挟むことも無く。
ワインを飲みながら、嬉しそうに話を聞いてくれた。
時折声を挙げては興奮していた。
その様に俺も興が乗ってきた。
今日は舌が良く回る。
そう・・・そうだった。
懐かしい。
こうやって夜な夜なザックおじさんとは話をしたんだったな。
ザックおじさんは俺の育った世界の話や、俺の考えや想い、そして将来について等
何でも聞いてくれた。
こうやって嬉しそうに。
眼を輝かせて。
俺は本当にこの時間が好きだった。
毎日この時間が早く来ないかと思ったものだった。
長い事忘れていたよ・・・感慨深いな。
俺は幸せ者だな。
こうやって俺の話を聞いてくれる人がいる。
俺の話に何の疑問を挟むことも無く、真剣に楽しそうに話を聞いてくれる。
最高じゃねえか!
ザックおじさん・・・否、親父・・・愛してるぜ!
そして話は佳境を迎えた。
俺はもう・・・眼が霞んでいた。
親父の顔が見えづらくなってきていた。
呼吸もつらくなってきた。
肩で息をしているのが分かる。
少し耳も遠くなってきている。
鼻血も出ていた。
親父が心配そうな顔で俺を見ている。
いけない!
耐えるんだ!
堪えろ!
まだだ!
「なあ、親父・・・笑ってくれよ・・・」
親父はしまったとその表情を改める。
けっ!お互い何を心配し合っているんだか・・・
いいじゃねえか・・・一緒に死のうぜ。
もうちょっとだけ付き合ってくれよ・・・親父。
「そして俺は気が付くとぶん投げられていたんだ・・・」
「おりょりょ?・・・」
「もう何回投げられたかなんて数えられなかったよ・・・」
「そうだか・・・」
親父・・・声が小さいな・・・俺も一緒か・・・
「でもそのお陰で・・・こうやって俺は・・・親父と・・・・」
畜生!・・・畜生!・・・
何だってんだよ!
涙が止まらねえ!
もう眼が見えねえってのに・・・涙が溢れてきて止まらねえ!
こんな顔を親父に見せたくは無かったのに・・・くそぅ!
でも似たようなものか・・・親父もいつぶっ倒れても可笑しくない・・・
不意に俺の手に手が重ねられた。
ああ・・・親父・・・
俺は握り返していた。
「俺はこうやって・・・過去にやってきたんだ・・・」
「・・・そうだか」
「ああ・・・親父・・・会いたかったぜ・・・」
「ラファエル・・・おいらも会いたかっただで・・・おいらの大事な息子・・・」
「親父・・・愛して・・・るぜ・・・」
「・・・おいら・・・も・・・だ・・・で・・・」
身体から急速に熱を失っていくのを俺は感じた・・・
もう何も感じることは出来なかった。
俺は何時からこんなに涙脆くなっていたのだろう。
この世界に転移してきてからそんなに涙を流した覚えは無いのに。
ギルとエリスの再会辺りから急に涙脆くなってしまったみたいだ。
一度涙を流してしまったら最後、もう俺の涙腺は緩くなってしまっているのかもしれない。
俺はラファエルとザックおじさんの最後を看取ることが出来た。
そして止めどなく溢れる涙を止めることが出来なかった。
この義親子の最後を俺は涙なくしては見てはいられなかった。
それぐらい心を打たれていた。
ラファエルの野郎・・っち!
こいつにチャンスを与えて良かったと俺は本気で思えた。
ああ、誰か俺にタオルを下さい。
途中、ザックおじさんの勘に度肝を抜かれそうになり、ひっそりと結界を張り『結界』を張り『限定』で音を通さない様にした。
なんちゅう勘をしているんだ。
少々舐めていた様だ。
肝を冷やしたよ。
そして語り合う親子の様子に感動を俺は覚えていた。
こんな関係も良いだろうと・・・
ザックおじさんの包容力に感心し、そしてラファエルの子供心に不思議と笑顔になっていた。
結局の所、俺は甘いんだと思う。
この世界の理よりも個人の良かれを優先したことに違いはないからな。
創造神の爺さんからは怒られるんだろうな。
いい加減にせよ!と拳骨を喰らわされるかもしれない。
それにアイルさんからは烈火の如く怒れるんだろうな。
時間軸を脅かすじゃ無いと。
でも良いよ・・・俺は幸せな親子の語らいの場を造ることが出来たんだから。
俺はラファエルの遺体を抱えてクモマルの元に帰ってきた。
随分時間が掛かってしまったが、クモマルにとっては一瞬でしかない。
「我が主、お帰りなさいませ。預かります」
俺はラファエルの遺体をクモマルに渡した。
俺は自然操作で地面を掘り起こした。
そこにクモマルがラファエルの遺体をゆっくりと降ろす。
『念動』で土をラファエルの遺体に被せる。
掘り返されては不味いと念入りに土を固めた。
俺はラファエルの墓に手を合わせた。
後ろからクモマルも同様に手を合わせていた。
この様にしてラファエルは最後を遂げた。
何とも言えない感慨深い気持ちで俺はその場を後にした。
ラファエル、ザックおじさん・・・ご冥福をお祈りします。
ザックおじさんは随分と弱っていたが、何とか一口ぐらい酒を組み躱すことは出来るだろうと考えられた。
それに亡くなる前のザックおじさんを、ラファエルには会わせてやりたいと考えたからだ。
ラファエルの知らないザックおじさんに会わせてやりたいと思ったのだ。
それがこいつに残された後悔を払拭できるのではないと慮ったからだ。
実際にはどうだかは知らない。
ラファエルの感じるが儘に捕らえてくれればいい。
勿論時間軸に影響を及ぼさないことも計算に入れている。
此処よりも更に前となると時間軸に影響を与える危険性がある。
ザックおじさんというよりも、その他の周りの者達の行動に読めない点があったからだ。
ここは慎重に考えた上での決断だった。
そして俺は透明化してラファエルとザックおじさんを見守ることにした。
流石に勝手にやってくれとは言えない。
時間軸を見守る必要がある。
ラファエルは緊張の趣きであった。
意を決しているのは分かるが、少々緊張し過ぎではないかと思えるぐらい肩が挙がっていた。
其れと同時に時間旅行の影響が既に出始めているのだろう。
ラファエルは眉を潜めていた。
頭痛を堪えているのが分かる。
それぐらい時間旅行の影響は大きい。
こいつは演算の能力を得ていないのだから、この情報量に太刀打ちできる訳がないのだ。
それを俺は骨身に染みて分かっている。
でもそれを分かっての時間旅行なのだ。
本人の意思を俺は尊重したまでだ。
命を懸けてこの時間軸に来たいと。
それぐらいザックおじさんに再会したいのだと。
俺はこいつの本気を受け止めてやっただけに過ぎない。
俺はラファエルの背中をポンと一押しして、
「楽しんで来いよ」
声を掛けてやった。
「ああ、本当にありがとう」
ラファエルから右手を差し出された。
俺は握り返し、
「死ぬ気で飲めよ!じゃあな!」
この言葉にラファエルは笑顔で答えていた。
こいつもこんな笑顔が出来るんだなと、俺はラファエルを少し見直していた。
実に爽やかな笑顔だった。
俺は透明化した。
ラファエルからは転移した様に見えたのかもしれない。
ラファエルは一瞬驚いた表情をしていたが、深く呼吸を整えるとその眼には希望の光が宿っていた。
ラファエルは感謝の意を伝えたかったのだろう。
見えない俺に向かってお辞儀をしていた。
それは仰々しいお辞儀だった。
実にラファエルらしいと感じてしまった。
キザな奴め。
そしてラファエルは歩を進める。
その先にはザックおじさんのお店があった。
悠然とラファエルは歩を進めていた。
その歩に迷いは無かった。
シマノの言う通りだった。
過去に戻って来たのは直ぐに分かった。
シマノは出鱈目な奴だ。
本当に過去に来てしまうなんて・・・
到底俺には適わないな・・・なんて奴だ。
余りに絶大過ぎるだろう・・・
こんな凄い奴に俺は歯向かおうとしていたんだな。
勝てっこねえよ。
この光景を見てここは過去の世界だと、俺は一瞬にして理解してしまった。
そしてシマノの言う事には間違いは無かった。
頭がガンガンする。
頭が割れそうだ。
脳が猛烈に熱を帯びているのがわかる。
くそぅ!脳が焼けそうだ。
過去に来てからというもの、頭を押さえつけられているかの如く圧迫感がある。
今にも頭蓋骨が歪みそうだ。
脳にかなりの負担が掛かっているのが分かる。
これがあいつの言う情報を処理できないということなんだろう。
もって一日との話だったが・・・俺はこれに耐えなければ・・・
充分な時間を貰えたと感じている。
シマノ・・・ありがとう。
俺は居なくなったシマノに対して頭を下げた。
感謝の意を込めて。
そしてザックおじさんのお店を目指した。
やっと会える・・・
夢に見た瞬間だ・・・
ああ・・・俺の夢が叶いそうだ・・・
懐かしい街並みだ。
見慣れた光景、そして見慣れた人達。
こんなに綺麗な街だったのか・・・
当時はそんな事を微塵にも思わなかったな。
糞田舎だと俺は蔑んでいた・・・
何で俺はこんなにも高飛車だったのか・・・
俺は馬鹿だ・・・こんなに世界は美しかったのに・・・
それに気づく事も出来なかったのか・・・
ダサいな・・・ダサ過ぎる・・・
あーあ・・・
俺はシマノの言う通り大馬鹿者だな・・・
ザックおじさんのお店の前に到着した。
急に胸が高まる。
二階の窓が締まっていた。
この窓はいつも空いていたな。
でもザックおじさんが居ることは間違いなさそうだ。
何と無くそう感じる。
ああ・・・待ってくれていたんだな・・・今行くからな・・・ザックおじさん。
そして俺はいつもそうしていた様に、裏口からザックおじさんのお店に入った。
店の入口は堅く閉ざされており、店の中は綺麗に整頓されていた。
綺麗好きなザックおじさんらしい、否、遺品の整理といった所だろうか?
殆どの商品が片付けられていた。
ふと虚無感に苛まれそうになる。
何だかな・・・
二階のザックおじさんの寝所に向かう事にした。
階段を登る途中で声が掛けられた。
「メリダ婆さんかい?」
とても弱々しい声だった。
だが俺にとってはとても懐かしく、心温まる声だった。
途中で立ち止まり俺は深呼吸した。
この儘進む訳にはいかない。
こんな顔を見せることは憚られる。
立ち止まったのは溢れ出てくる涙を沈める為だ。
こんな顔をザックおじさんに見せる訳にはいかない。
シマノのお陰で身体は元気になっているし、心も落ち着いている。
だが頭の中は今にも発火しそうなほどに熱を帯びているのが分かる。
堪えるんだ!
集中しろ!
せっかく貰えたチャンスなんだ。
無駄に出来ない!
気合を入れろ!
「よお!ザックおじさん!俺だよ!」
意を決して俺は階段を登った。
「嘘だろ・・・ラファエルだか?」
驚きの声が返ってくる。
俺はザックおじさんの寝所に入った。
ザックおじさんはベットに上半身のみを起こして、
「ラファエルだ・・・会いたかっただでよ」
驚きと笑顔で俺を迎え入れてくれた。
俺は涙を流しそうになる自分を何とか堪えることが出来た。
理性で抑え込むにも程がある。
でもここは去勢を張るべきだろう。
「ザックおじさん・・・俺も会いたかった・・・ザックおじさん・・・ごめんよ・・・許してくれよな・・・」
なんとか俺は涙を堪えることが出来た。
「何を言っているだか、おらがお前えの何を許すってんだか?そんな事はどうでもいいだ、もっとこっちに来ておくれ、ラファエルや」
優しい声が掛けられる。
立ち上がろうとするザックおじさんを俺は抱えた。
ああ・・・こんなにも軽くなっちまいやがって・・・
ザックおじさんの病状は進んでいるのだろう。
あのぽっこりと出ていたお腹もすっきりとしている。
死が近いんだな・・・
俺も一緒か・・・
っち!しんみりしたのなんて俺達には似合わない。
気分を変えよう。
此処は堪えろ!
俺はザックおじさんを座らせた。
俺はザックおじさんの正面に座る。
「なあ、ザックおじさん。付き合ってくれるよな?」
俺はマジックバックからシマノに貰ったワインとワイングラスを取り出し、テーブルに置いた。
「およ?ワインだか?旨そうなワインでねえか?」
ザックおじさんの笑顔が眩しい。
「ああ、最高の奴から貰ったんだ。旨いに決まってるぜ!」
「そうだか、そうだか、お前がそう言うなら違えねえだ、ささ、飲ませておくれ」
「待ってろ」
俺はワイングラスを二つ取り出してワインを並々と注いだ。
「「乾杯!」」
旨い!何なんだこのワインは・・・これまでワインを浴びる程飲んできたがこんなに旨いワインは始めてだ。
流石だな・・・俺は人生の最後に最高のワインを飲めるみたいだ。
ありがたい・・・創造神に成ろうって者が造りしワイン・・・
それもザックおじさんと飲めるなんて・・・これは夢なんじゃないか?
思わずそう考えてしまう。
でも未だ頭がガンガンする。
堪えるんだ。
「ラファエル!これは本当に旨いワインでねえか!お前えの友達にお礼を言いてえな」
「・・・ああ、そうだな」
友達って・・・
一方的にぶん投げられただけだけどな。
でも今だけはそう想ってもいいよな。
違うか?シマノ、許してくれよ。
「それで、上下水道工事はどうなってんだ?ラファエル」
そうだった・・・
此処は過去の世界で・・・ここは会わせるべきなんだろうな・・・
恐らく俺が未来から来たという事は伏せるべきだろう。
シマノに迷惑をかける訳にはいかない。
「ああ大丈夫だ、上手くいっている」
その俺の発言を聞いてザックおじさんが下を向いた。
「そうだか・・・ラファエル・・・お前えは優しいなあ。お前え、おいらの知るラファエルではねえだな。おいらには分かるだでよ」
「な!・・・」
何で分かるんだよ。
嘘だろ!
「ラファエル、商売人の眼を舐めるでねえだ。おいらは腐っても商人だ。お前えの表情、雰囲気、そして眼を見ればそんなことは一目瞭然だでよ」
「ザックおじさん・・・」
「でも答え無くていいだでよ、ラファエルであることに間違いはねえだでよ。おいらに会いに来てくれた。それだけでも充分においらは嬉しいだでよ・・・」
どうしたらいい・・・まあいい・・・どうせ死ぬんだ。
なる様になるだろう。
とてもではないが、この頭の整理は出来そうにない。
シマノの言う通り、もって一日かもしれない。
今にも鼻血が出そうだ。
「ザックおじさんは凄いなあ、関心するぞ・・・」
「ナハハハ!褒めてくれるだかラファエル!」
ほんとに、どんな勘してんだよ。
「ああ、冴えない顔してる癖によお」
「冴えない顔とは言ってくれるだ、お前えこそ似たようなものだで」
「だな、冴えない親子だもんな」
ザックおじさんの表情が弾ける。
「おりょ?親子だか!嬉しい事を言ってくれるだ」
「なんだよ、茶化すなよ。もう時間が無いんだろう?」
ザックおじさんの表情が曇った。
「何でそれを知ってるだ?・・・」
「俺だって商人の端くれだ。見れば分るさ・・・ザックおじさんが俺を育ててくれたじゃないか・・・」
「・・・言うでねえか、さあラファエル。もう一杯注いでおくれ・・・」
「そうだな、死ぬ気で飲むぞ!」
「かあー、いいだ、いいだ!死ぬ気で飲むだか!」
俺はザックおじさんのグラスに並々とワインを注いだ。
「ラファエル、お前えの話が聞きたいだ!何でもいい話しておくれ!」
ザックおじさんが喜々としていた。
「そうだな、何から話そうか・・・」
「聞かせておくれ、どんな荒唐無稽な話でもいいだよ・・・」
そうか何でもいいのか・・・シマノ・・・もういいよな?
結局お前には迷惑をかけてしまうのかもしれないな。
「ああ・・・俺は未来から来たんだ」
「?・・・」
もういい、言ってしまえ、どうせ死ぬんだ。
後の事はシマノがどうにかしれくれるだろう。
それにどうせこの会話も聞かれていることだろうしな。
あいつがそんな甘い奴でも無い事を俺は骨身に染みて分かっている。
シマノすまないな、後は任せた。
ごめんよ・・・
俺はザックおじさんの死を知ったことから話を始めた。
ザックおじさんはまるで子供が絵本の読み聞かせを聞いているかの如く、ワクワクしながら眼を輝かせて話を聞いてくれた。
何の疑問を挟むことも無く。
ワインを飲みながら、嬉しそうに話を聞いてくれた。
時折声を挙げては興奮していた。
その様に俺も興が乗ってきた。
今日は舌が良く回る。
そう・・・そうだった。
懐かしい。
こうやって夜な夜なザックおじさんとは話をしたんだったな。
ザックおじさんは俺の育った世界の話や、俺の考えや想い、そして将来について等
何でも聞いてくれた。
こうやって嬉しそうに。
眼を輝かせて。
俺は本当にこの時間が好きだった。
毎日この時間が早く来ないかと思ったものだった。
長い事忘れていたよ・・・感慨深いな。
俺は幸せ者だな。
こうやって俺の話を聞いてくれる人がいる。
俺の話に何の疑問を挟むことも無く、真剣に楽しそうに話を聞いてくれる。
最高じゃねえか!
ザックおじさん・・・否、親父・・・愛してるぜ!
そして話は佳境を迎えた。
俺はもう・・・眼が霞んでいた。
親父の顔が見えづらくなってきていた。
呼吸もつらくなってきた。
肩で息をしているのが分かる。
少し耳も遠くなってきている。
鼻血も出ていた。
親父が心配そうな顔で俺を見ている。
いけない!
耐えるんだ!
堪えろ!
まだだ!
「なあ、親父・・・笑ってくれよ・・・」
親父はしまったとその表情を改める。
けっ!お互い何を心配し合っているんだか・・・
いいじゃねえか・・・一緒に死のうぜ。
もうちょっとだけ付き合ってくれよ・・・親父。
「そして俺は気が付くとぶん投げられていたんだ・・・」
「おりょりょ?・・・」
「もう何回投げられたかなんて数えられなかったよ・・・」
「そうだか・・・」
親父・・・声が小さいな・・・俺も一緒か・・・
「でもそのお陰で・・・こうやって俺は・・・親父と・・・・」
畜生!・・・畜生!・・・
何だってんだよ!
涙が止まらねえ!
もう眼が見えねえってのに・・・涙が溢れてきて止まらねえ!
こんな顔を親父に見せたくは無かったのに・・・くそぅ!
でも似たようなものか・・・親父もいつぶっ倒れても可笑しくない・・・
不意に俺の手に手が重ねられた。
ああ・・・親父・・・
俺は握り返していた。
「俺はこうやって・・・過去にやってきたんだ・・・」
「・・・そうだか」
「ああ・・・親父・・・会いたかったぜ・・・」
「ラファエル・・・おいらも会いたかっただで・・・おいらの大事な息子・・・」
「親父・・・愛して・・・るぜ・・・」
「・・・おいら・・・も・・・だ・・・で・・・」
身体から急速に熱を失っていくのを俺は感じた・・・
もう何も感じることは出来なかった。
俺は何時からこんなに涙脆くなっていたのだろう。
この世界に転移してきてからそんなに涙を流した覚えは無いのに。
ギルとエリスの再会辺りから急に涙脆くなってしまったみたいだ。
一度涙を流してしまったら最後、もう俺の涙腺は緩くなってしまっているのかもしれない。
俺はラファエルとザックおじさんの最後を看取ることが出来た。
そして止めどなく溢れる涙を止めることが出来なかった。
この義親子の最後を俺は涙なくしては見てはいられなかった。
それぐらい心を打たれていた。
ラファエルの野郎・・っち!
こいつにチャンスを与えて良かったと俺は本気で思えた。
ああ、誰か俺にタオルを下さい。
途中、ザックおじさんの勘に度肝を抜かれそうになり、ひっそりと結界を張り『結界』を張り『限定』で音を通さない様にした。
なんちゅう勘をしているんだ。
少々舐めていた様だ。
肝を冷やしたよ。
そして語り合う親子の様子に感動を俺は覚えていた。
こんな関係も良いだろうと・・・
ザックおじさんの包容力に感心し、そしてラファエルの子供心に不思議と笑顔になっていた。
結局の所、俺は甘いんだと思う。
この世界の理よりも個人の良かれを優先したことに違いはないからな。
創造神の爺さんからは怒られるんだろうな。
いい加減にせよ!と拳骨を喰らわされるかもしれない。
それにアイルさんからは烈火の如く怒れるんだろうな。
時間軸を脅かすじゃ無いと。
でも良いよ・・・俺は幸せな親子の語らいの場を造ることが出来たんだから。
俺はラファエルの遺体を抱えてクモマルの元に帰ってきた。
随分時間が掛かってしまったが、クモマルにとっては一瞬でしかない。
「我が主、お帰りなさいませ。預かります」
俺はラファエルの遺体をクモマルに渡した。
俺は自然操作で地面を掘り起こした。
そこにクモマルがラファエルの遺体をゆっくりと降ろす。
『念動』で土をラファエルの遺体に被せる。
掘り返されては不味いと念入りに土を固めた。
俺はラファエルの墓に手を合わせた。
後ろからクモマルも同様に手を合わせていた。
この様にしてラファエルは最後を遂げた。
何とも言えない感慨深い気持ちで俺はその場を後にした。
ラファエル、ザックおじさん・・・ご冥福をお祈りします。