武装国家ドミニオンはルイベントから東に陸路で十日ほどの所に位置する、山を切り崩して造られた国だった。
街を囲む様に高い堀が囲っており、簡単に侵入は許さないとその景観が雄弁に語っていた。
武装国家とはその名の通りで、強力な国軍を有しており。
優秀な兵士が多く存在しているとダイコクさんが以前語っていた。
ルイベントとは国交は開けているが、心を許せる程の間柄では無く。
一歩間違えるとその関係は大きく揺らぐ可能性があるということだった。
ただルイベントは永世中立国を謳っていることから、関係が悪化したからといってその矛先をドミニオンに向けることはない。
ただしルイベントも自衛の手段が無いわけでは無く。
攻め入られれば自衛できるだけの準備はある。
ルイベントも自衛出来るだけの軍隊を有しているのだ。
その軍隊のナンバーツーがライルだから大丈夫なのか?と疑ってしまうのだが、ライルもそれなりに強者だといことらしいから、困ったものだ。
あいつの小物感は半端なかったからね。
魔物達と比べてはいけないと思う俺だった。
そしてそこで効力が発揮されるのがシマーノとの同盟関係だ。
両国間で結ばれた条文の中には、
『双方において、他国からの軍事進攻があった際には、協力してそれにあたることにする』
という一文がある。
これは即ちルイベントがドミニオンからの軍事的侵攻を受けた際には、シマーノはその防衛の協力をしなければならないという事を意味している。
それは逆も然りで、もしシマーノがどこかの国から軍事的侵攻を受けた際には、ルイベントもその防衛に協力しなければならない。
だが、これは実はあり得ないことだった。
というものシマーノが隣接する国はルイベントしかなく、数少ない可能性としては海路を使った軍事行動でしか、シマーノに軍事侵攻が出来ない位置にシマーノが存在しているからだ。
北半球の軍事勢力に関しては俺は全く知らないのだが、どう考えても海路を使った軍事行動を行える国があるとは思えなかった。
もしそんな国があるのなら、南半球に軍事行動はしないまでも、船を向かわせることぐらい出来るということだからだ。
だが現実としてはそんなことは一切確認されていない。
百年以上前にはそんなこともあったということだったが、その数は数えるほどしかないとも聞いている。
その為シマーノが軍事侵攻を受けることはあり得ないということだ。
この条文の意味するところはルイベントが軍事侵攻を受けた際には、シマーノは協力してくださいね、という一方的なものなのだ。
この条文に関しては、俺は実はプルゴブからこっそりと相談を受けていた。
余りに一方的なもので平等性が無く、これは条文から外したほうがよいのではないか?とプルゴブは考えていたのだ。
そんなプルゴブに俺は、
「お前達は進化して強くなった、どうだ?人族に後れを取るなんてことがあると思うか?」
俺は現実の力関係を暗に伝えたのだった。
その意味を察したプルゴブは、
「この北半球において、もはや我等魔物達は過剰戦力になっております。我等に歯向かう者などおりませんでしょう」
「そうだな、だからお前達はその力をどう使うのかよく考えなければいけない」
「左様ですな」
「力ある者は、弱者を保護しなければいけないと俺は考えるのだがお前はどうなんだ?どう考える?」
昔のソバルあたりだったら、この意味を受け止められなかっただろうな。
「儂らは虐げられてきました。弱者の気持ちは痛いほどに理解できます。強者となった今、弱者を守るのは当然かと」
「なら答えは出ているんじゃないか?」
「おっしゃる通りでございます、お導きくださりありがとうございます」
というやり取りがあったのだ。
そんなことからルイベントの急事にはシマーノの魔物達は駆けつけなければならないことになっている。
クモマルからは、今はルイベントとドミニオンとの関係は悪化することは無さそうである、と報告は受けている。
急な方向転換が起きないことを祈るばかりだ。
ルイベントとドミニオンとの距離感は、一定の距離を保っている状態だった。
外にも報告は多数あった。
ドミニオンの経済や、政治に及ぶまでアラクネ達から毎日報告はあげられてきている。
もはやドミニオンに行かずともその動向は追う事ができていた。
ただ俺はその空気感を自分自身で感じたいと考えた為、俺達はドミニオンに向かっているのだった。
やっぱり実際に見て見ないと判断は下せない。
島野一家はこれまで通り、瞬間移動を繰り返して、ものの半日でルイベントからドミニオンに到着した。
もはや手慣れた移動手段だ。
ノンに至ってはそのほとんどを寝ていたぐらいだ。
後半はゴンに叱られて起きてはいたのだが・・・
ギルとエルがまたかと項垂れている。
仲良くしてくれよないい加減。
なんでこいつらは犬猿の仲なんだ?
まあいいか。
旅の間の肩書をどうしようかと悩んだが、ここはハンターでいこうということになった。
商人でもいいのだが、何も販売をしないことを怪しまれることもどうかということになったからだ。
ダイコクさんの話では北半球にもハンターはおり、ハンター協会もあるということだった。
ならばそれでいいだろうと。
ただ南半球のハンター協会の会員証は使えないだろうということだったので、ハンター協会で会員登録は必要ということになる。
少々面倒臭いがこればかりはどうしようも無い。
城門の入口で立ち入り許可を求めて、長蛇の列に並んでいる。
それにしても、ものすごい人数が並んでいる。
人族が大半で、中にはわずかに獣人も見かけるが、ちょっと様子が変だ。
明らかに様子がおかしい。
獣人には首に見たことも無い首輪が嵌められており、人族に傅く様にしているが伺える。
獣人を従える人族は、豪華な衣装を身に纏っていた。
高貴な存在であることが分かる。
おそらく貴族では無かろうか。
細い眼の神経質そうな顔をした背の低いおじさんだった。
クモマルからはドミニオンは貴族社会であると報告は受けている。
獣人に対して、侮蔑とも取れる態度で接しており、今も獣人を足蹴にしていた。
その口元には下卑た笑顔が張り付いている。
はあ、これはあれだな、奴隷だな。
俺は一気に暗い気分になった。
見たく無かったな・・・
タイロンの奴隷とは雰囲気が違う。
今ではタイロンは奴隷制度は無くなっている。
ただオズが改心するまではあった制度で、今でもその名残はある。
その名残を払拭しようと、オズとガードナーは日々奮闘している。
特にオズは躍起になっており、ステータスを治すだけでは無く、就職先まで斡旋しているのだった。
実はサウナ島でも数名元奴隷を引き取っている。
彼らは今では改心し、活き活きと働いていた。
逆に待遇が良すぎると、周りから羨ましく思われている節すらあるということだった。
俺は社会復帰が出来ていると喜ばしく感じていた。
その一端を担っていると誇らしくも感じていたのだ。
俺がやったことはマークに丸投げしただけだ。
マークはまたですか?と肩眉を上げただけだった。
それでも未だ南半球でも奴隷がいるのだが、その数はほぼ一桁に近いとガードナーが以前話していた。
そんな過去を持つタイロンでの奴隷よりも、あまりに扱いが酷いと感じてしまう。
間違っても首輪なんて嵌めていなかったぞ。
ふつふつと俺は怒りが沸き立ってくるのを感じていた。
どうしてもこればかりは許せない。
気を抜くと表情に出そうだ。
どうして人の下に人を置こうとするのか?
隷属して人を従えることは、間違っても人を従えていることにはならない。
こんなことで優越感を感じていることに忌避感すら感じている俺だった。
これはいけない、もはや聖人なんだからこんなことで顔に出る様になってはいけない。
いや、聖人だからこそこの様な扱いが許せないのか?
諦めた顔で下を向く獣人の青年に駆け寄って、今すぐにでも解放してやりたい。
でもここでは目立つ行動は控えなければならない。
そんな俺の思考を無視して、ゴンとギルが色めき立っている。
あっ!駄目だ。これ本気のやつだ。
今にも飛び掛からんという程に貴族らしき男性を睨みつけていた。
その視線を察したのか、貴族であろう人族が横目でこちらを見ていた。
傲岸不遜な態度でこちらに近寄ってくる。
なんで近寄ってくるんだよ。
お前お終わるぞ!
それは死へのデスロードだぞ。
「おい!そこの子供と女!吾輩に何か用か?」
人族の男性はゴンとギルを見下すように話し掛けていた。
ああ、やっちまった。
鼻の下に生えている、ちょび髭が小物感を助長している。
お付きの者達も数名同伴していた。
姿恰好から護衛であることが窺い知れる。
あ、こいつ死ぬかも。
ギルに至っては口に笑みを含んでどうしてやろうかと思案しているのが分かる。
ゴンは正義感が先に立っているのだろう、我慢がならないと青筋を立てていた。
こうなっては俺も止めることは出来ない。
このおっさんはギルとゴンにとっては歯牙にもかけない相手だろう。
それを分かっていない人族の男性が、更にいらない言葉を重ねる。
「何だお前達は?吾輩を誰と心得る。吾輩はハセ伯爵なのだぞ!」
その言葉を無視してギルとゴンはいきなり獣化した。
一同に驚きが響き渡る。
「ドラゴンがなんで?」
「なんと九尾の聖獣?」
「神獣様だ!」
その様に完全に腰の引けたハセは言葉を失っていた。
空いた口が塞がっていなかった。
尻もちを着いて、ワナワナと震えている。
順番待ちをしていた者達は、我先にと距離を取っている。
そりゃあ巻き込まれたくはないよね。
「僕に何か用?」
「私に何か?喰いちぎりますよ」
二人は哀れな者を見るかの様に、ハセを見下していた。
お付きの者達が一拍遅れて二人とハセの間に立った。
だがそのお付きの護衛達も完全に腰が引けている。
一度は尻もちを着いたハセだが、護衛に守られたことで落ち着きを取り戻したのか、徐々に強気になっていく。
「なんだお前達は?・・・ドラゴンと・・・お前は何だか分からんが、それがどうしたというのだ!ドラゴンなんぞ、先の大戦で駆逐された存在だろうが!」
その発言にギルがいきり立つ。
「何だって?喧嘩売ってるのかな?いくらでも買ってあげるよ」
というやいなや、ギルは上空にブレスを放った。
上空に火柱が立ち昇っている。
余りの出来事に、距離を取っている観衆達はこの場から逃げ惑い、一目散に城内に押し寄せていた。
ギルのブレスに完全に腰が引けたハセは先ほどの勢いは何だったのか?というほどにたじろぎ、下半身を塗らしていた。
それを目聡くノンが気づく。
「おじさん、おしっこ漏らしているよ。ハハハ‼オモロ‼」
一瞬何を言われているのか分からなかったハセだが、それに気づいて顔を真っ赤に染めていた。
「ほんと、恥ずかしいこと。見てらんないわね!」
ゴンが見下して言い放つ。
「あらま、少々臭いですの」
エルが止めを刺した。
この様子を冷めた目で眺めていた奴隷の獣人が、ここで初めてくすっと笑った。
これを見逃さないギルがゴンに尋ねる。
「ゴン姉、あの首輪って外せると思う?」
「楽勝ね、契約魔法で縛っているだけよ。上書きは簡単ね」
「じゃあ外してあげようよ」
「そうね」
おいおい、いいのか?
まぁいいのか。
どうにでもなれだ。
ゴンは奴隷の獣人に近づくと、勝手に首輪を外してしまった。
奴隷の獣人はキョトンとしている。
お付きの者達が騒ぎ出す。
「おい!何を勝手にやっているのだ!」
「ふざけるな!ハセ様の所有物だぞ!」
「いくらしたと思っているのだ!」
やれやれだ。
そろそろ俺の出番かな?
「おい!ハセとやら。奴隷を何処で調達したのか教えてくれるかな?」
「何だお前は?お前達は何なんだ!」
ハセは恥ずかしさが突き抜けたのか、逆ギレしだした。
「吾輩を辱めやがって、許さんぞ!」
はあ?駄目だこりゃ。
俺は『念動』を使って、ハセを三メートルほど空中に浮かせた。
ハセはギャーギャー騒ぎながら上空でバタバタしている。
お付きの者達もついでに浮かせておいた。
何かされたら鬱陶しいからね。
巻き込まれたお付きの者達はワナワナと震えていた。
自分達は関係無いと言いたげな顔をしている。
「おっさん!いいから答えろ。奴隷を何処で調達したんだ?」
「言うもんか!ここから降ろせ!ズルいぞ!」
何がズルいんだ?
よく分からん。
更に二メールほど浮かせてやった。
ハセのズボンのシミが大きくなる。
ポタポタと雫が滴っている。
「やめろ!やめてくれ!」
「おっさん!いいからとっとと答えろ!それに汚い!」
このままストンと落としてやろうかな?
地面に着く直前で止めるとか面白そうだな。
「頼む、お願いだ!止めてくれ!」
俺は無言で更にゆっくりと上空に『念動』でハセ一同を上げていく。
「ああ、なんで?止めて・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい!」
「おじさん、いいから早く答えてよ」
ギルは上空に羽ばたくと、ハセの隣に並んだ。
「ごめん!悪かった。お願いだ。降ろしてくれ!」
「おじさん馬鹿なの?早くパパの質問に答えなよ。じゃないとどうなっても知らないよ?パパが本気で怒ったら、この世界が滅んじゃうんだよ」
おい!ギルなんてことを言うんだ!
あ!この目は本気でそう思っているな・・・
俺ってそんな存在じゃないんだけどな・・・
そうか、ゼノンに命じれると思っているのか・・・
しませんがなそんなこと。
「分かった!答える!答えるから降ろしてくれ‼」
簡単に降ろす訳ないだろ、まったく。
俺は『浮遊』でハセの眼の前に浮かんだ。
ハセが目玉をひん剥いて俺を見ていた。
「おお、神だ!」
「なんといことだ・・・」
「そんな・・・」
お付きの者達は完全に心が折れたみたいだ。
数名は空中で俺を拝んでいた。
なんでそうなるかな?
「いい加減早く話せ、此処から落とされたいのか?」
「はは!答えさせて頂きます!」
ハセは急に身を改めた。
あれま、従順になったことだ。
これならば、始めに飛んで見せればよかったのか?
飛べることが神の証明になるのか?
よく分からん。
「この奴隷は宗教国家『イヤーズ』で購入しました。金貨二十枚でした。裏町の奴隷商人に勧められたのです。熱心な売り込みに断ることができず・・・」
何が熱心な売り込みだよ、言い訳はいらないっての。
どうせ邪まな考えがあったに決まっている。
この後に及んで・・・こいつは駄目だな。
腐っている。
ここまでくると嫌悪感が半端ない。
「分かった。もういい、この奴隷は譲って貰う、いいな?」
俺は問答無用で裁きを行った。
「はは!勿論でございます」
ハセは空中で土下座をしていた。
器用なものだ。
ゴンとギルは奴隷の獣人を介抱していた。
「あと教えてくれ。北半球では獣人は蔑まれているのか?率直に答えろ」
「はは!申し上げます。獣人は北半球ではその数が少なく、又、迫害を受けている種族であります」
「そうか、なんで迫害を受けているんだ?俺にはその理由が分からない」
「そうでありますね・・・吾輩は存じあげません・・・」
だよな、理由なんてないんだ。
あるはずもない。
結局差別なんてそんなものなのだ。
差別する理由なんて突き詰めればあるものではない。
偏見と侮蔑から差別は始まり、それが意味も無く派生する。
容姿の違いや、能力の差が妬みを生み、それがいつしか拒絶になり、気が付くとそれは差別に繋がるのだ。
最終的には数の論理で、少ない方が差別される。
なんともつまらない。
紐解けばこんなものなのだ。
構図はハッキリしている。
多数が少数を迫害する。
つまらない。
あまりにつまらない。
そして争いが生れ、いつしかそれが当たり前の事と受け止められる。
世知辛い世の中だ。
ハセ一同を地面に降ろすと、歓声が沸き起こった。
避難していたかに見えたが、興味を覚えた者達がことの顛末を眺めていたのだった。
「やったー!」
「凄い!」
「神が降臨されたぞ!」
俺達は観衆に囲まれてしまった。
おいおい、勘弁してくれよ。
ハセは相当評判が悪かったのだろう、ハセに対して唾を吐き掛ける者までいた。
警護の者達も既にハセを見限っているようで、その行為を咎めたりしていないどころか、助長させる様にハセに罵声を浴びせていた。
あれまあ、なんだかね。
悲しい奴だな。
ハセは神に見放された者と雑な扱いを受けていた。
俺はハセの事は放置することにした。
だって無関係だからね。
悪い事をしたという気分にはなれない。
貴族だろうが知ったことじゃない。
文句があるなら国王でも何でも連れてこればいい。
いっそのことそうしてくれると助かる。
話しが早くていい。
俺達は大観衆に迎えられており、何時もの如く調子に乗ったノンが、観衆を煽って、ふざけている。
ノンは一体何がしたいのだろう?
ただ単に騒ぎたいだけなんだろうけど・・・
そもそもノンはこんな性格だったか?
そうなんだろうね・・・多分・・・
やれやれだ。
そして、王城からの使者が出迎える為に俺達を待っていた。
屈強な兵士に守られる様に、凛とした態度の老齢の男性が俺達を迎え入れたのだった。
「この度は我が国の貴族が無礼を働いたようで、申し訳御座いません」
深々と頭を下げられた。
ほんとに迷惑でした。
「今回は許すが次は無いぞ!」
俺は敢えて偉そうに対応した。
それには理由があった。
クモマル達から上げられてくる報告によって、この国の状況を理解した上での判断だった。
この国は貴族社会であり、貴族の腐敗は進んでおり、それは王でも取り締まれないぐらいの惨状になっているとのことだったからだ。
その状況を察した上で、敢えて強者の風格を見せつけることにしたのだ。
貴族を黙らせる方法はいくつもあるが、力でねじ伏せた方が話は早いと思ったからだ。
正直言って柄ではない。
だが情報を早く得たい今の状況に置いて、時間の無駄は悪手であると考えたのだ。
報告を纏めると国王のベルメルト・ダイガストン・ドミニオンは優秀な国王であるとの噂だったが、それはスターシップには及ばない。
貴族に対して、遠慮とも取れる対応に留めていたからだ。
その所為で、ハセの様な無能で横柄な貴族でも排除されていないのだ。
他にも裏でこそこそと暗躍する貴族もおり、腐敗は進んでいるということだった。
その上でのこの対応である。
貴族の様な肩書を追い風に、肩で風を切る様な輩には、まずはこちらの力量を示すのが簡単なのである。
それにこのハセについては予め報告は受けていた。
無能で下種な貴族であると。
腐敗した貴族の一人であるとの報告だった、ただ奴隷を購入しているとの報告は無かったのが、ハセにとっては不幸中の幸いである。
それは今この場で反省するべき場を得たのだから。
暗に追い詰められるよりは増しであろう。
現にアラクネ達は腐敗した貴族たちの悪行を暴こうと、証拠固めに動いているのだ。
「寛大なご処置痛み入ります。では王城にお越しくださいませんでしょか?」
「そうか、分かった」
俺達島野一家は、王城に迎え入れられることになったのだった。
時を同じくして、一人の女性が魔物同盟国『シマーノ』にやってきていた。
彼女はジュライことエリカ・エスメラルダ。
本来であれば、大貴族のご息女である彼女は煌びやかな衣装に身を包み、凛とした態度を崩さないのだが、今は旅の者として『シマーノ』に訪れていた。
情報部からの報告を受けてからというもの、どうにも魔物同盟国が気になって仕方が無かったからだ。
こうなると自分の眼で見て判断したい、と思うのがエリカの性格だった。
エリカは魔物同盟国を脅威であると感じると共に、強烈な興味を覚えていた。
それはエリカの常識として、魔物が国を興すなんてあり得ないことだからだ。
エリカの知る魔物とは、知力が低く本能のままに生きる獣とたいして変わらない存在だった。
厳密には獣は意思の疎通はできないのだが、魔物達は意思の疎通は出来る。
だが、言葉を流暢に話す者など稀有な存在で、エリカはそんな魔物には出会ったことは無い。
エリカにとっては魔物も獣も一緒なのである。
それぐらい魔物をエリカは見下していた。
こうして二人の腕利きの護衛と共に、旅人に扮して『シマーノ』にエリカはやってきていたのだった。
既にエリカは完全に度肝を抜かれていた。
『シマーノ』に訪れるよりも前に『ルイベント』に訪れた際に出会った魔物達は、皆高い知力を有していたからだ。
村の至る所で見かける屋台を魔物達が運営しており、又、そこで販売される食事や工具、生活用品は全て高品質な上に価格もお手頃だったのだ。
何よりも食事は断トツに美味しかった。
それにエリカにとっては懐かしい食事も多く存在した。
常日頃から高価な食事を嗜む彼女ではあったが、彼女の肥えた舌を大いに唸らせるものであった。
というのもこの北半球での高価な食事は、決して旨くは無かったからだ。
時に格式ばった食事においては、その食事の内容よりもその作法が重要視されているのだった。
そんな食事に飽き飽きしていたエリカにとっては、魔物達が提供する屋台の食事はどれも美味しく、幸福感に満ち溢れたものだったのだ。
それに商売を理解している魔物達が多く、呼び込みなども上手く、興味を覚えるものが多かったのだ。
この時点において、既にエリカの心は大きく動いていた。
もはや『イヤーズ』には帰りたくはないと。
実はエリカは転生者である。
そのことを知る者は彼女以外には一人もいない。
用心深い彼女はその事実を信頼できる身内にすらも、明かしてはいなかったのだ。
彼女は三十年程前の英国、即ちイギリスで生きていた記憶を持っているのだった。
彼女は大使館に勤める父と、温厚で優しい母と、やんちゃな妹と、それはそれは幸せに暮らしていた。
彼女にとってはこの家族との暮らしは幸せで、幸福感に満ち溢れていた人生だった。
家族との愛情ある暮らしが彼女にはあまりに心地よく、最高の人生を過ごせていると、実感していたのだ。
そしてその時は突然訪れた。
休日に家族と買い物に行こうと高速道路に差し掛かったところで、居眠り運転のダンプカーに轢かれてしまい、家族全員がその生を終えてしまった。
その時に彼女が想ったことは一つだった。
大好きな家族全員一緒に天国に行けると・・・
この先は天国で家族皆で幸せにやっていけると・・・
だがその想いは叶わなかった。
気が付くと彼女はエリカ・エスメラルダとして生を受けており、イギリスで暮らした二十年の記憶をそのままに、赤子としてこの世界に転生してしまっていたのだった。
彼女は新たな人生の始まりに、その始まったばかりの人生すらも見捨てる気持ちでいっぱいだった。
正直うんざりしていたのである。
先の人生が心地よ過ぎて、もう生への執着すらも薄れていた。
始めは言語の違いに戸惑ったものの、明らかに知らない世界であると瞬時に判断した彼女は、自分が転生した身であることを秘密にすると決意したのだった。
できればひっそりと暮らしたい、それが彼女の本音だ。
彼女はとても慎重だった。
それは外の世界での記憶があるからこその思考だったのかもしれない。
それに彼女は極端に自分に注目を集めるのを嫌ったのだ。
その所為で、この世界の常識から外れることを極端に警戒した。
そしてその考えを悟られない様に、常にポーカーフェイスで暮らしていた。
時折、前世の知識が物事の改善策や、改善案を思いつくのだが、彼女は一切出しゃばらず、無言を貫き通した。
そんな彼女が生まれながらに持っていた魔法は『鑑定』と『隠蔽』だった。
それは彼女にとっては、とてもありがたいものだった。
その魔法のお陰で、五人の老師でさえも彼女の本当の名前や素性、容姿すら知らないのだ。
彼女は徹底的に影に潜むことにした。
この生は何かの間違いであると、三十年経った今でもそう思っているのだ。
それに今の五人の老師の立場も、得たくて得た物では無い。
出来れば辞退したいのが本音だ。
大貴族である父の代役として、その地位を拝命しただけのことで、外の老師達が言うあの人に対しても心からの忠誠を誓ってはいなかった。
あの人に対して思う処はあるのだが、忠誠を誓えるほどは心酔できなかった。
常に冷静な彼女にとっては、あの人はあまりに胡散臭いと感じてしまうのだ。
それに盲目になるほど入れ込むという感覚が、今の彼女には抜け落ちていた。
そんな彼女だが、実はどうしても愛して止まないものがあった。
それは日本の文化であった。
前の生での父親が大使館勤めであった影響で、日本の文化に触れ、その奥深さやワビサビの精神に心酔していたのだ。
日本の文化を学んだのは日本の漫画だった。
彼女にとって漫画とは言わば聖典であった。
それが彼女の歯車を狂わすことになってしまったのだが、エリカは気づいてはいない。
『ルイベント』で見かけた屋台はたこ焼きや焼きそばなど、日本の文化を取り入れたものであることに、エリカは心が躍っていた。
かつて一度家族で訪れたことがある日本のソウルフードである。
それに何といってもラーメンがあるのが衝撃的だった。
エリカは涙を流しながらラーメンを堪能していた。
護衛の二人はそんなエリカをこれまで見たことが無く。
激しく動揺した。
だがそんなことも忘れ、二人も屋台での食事を堪能したのだった。
ある意味現金だと言える。
それだけに魔物達の運営する屋台は彼女達にとって、素晴らしいものだったのだ。
彼女達は完全に胃袋を掴まれていた。
その後『シマーノ』に辿り着いた彼女達は、漫画喫茶の看板を見ることになってしまった。
エリカは打ち震えていた。
全身が雷に打たれた様な衝撃だった。
それはそうだろう。
この世界では紙は貴重な物で、その生産技術すらもまだ確立されていない。
その紙をふんだんに使った漫画が、目の前にあったのだ。
更に衝撃だったのが、当時彼女が嵌っていた漫画のその後を描いた漫画が存在していたのだ。
正に青天の霹靂だった。
彼女は無言で何の感情を表現することも無く涙を流していた。
そうであると彼女自身が気づいていない程に。
護衛の者を無視して、エリカは漫画喫茶に入り浸った。
それも一週間近くもだ。
見る人が見ればそれは精神破綻者に見えただろう。
それぐらいエリカは一心不乱に漫画と日本食の日々を暮らしたのだった。
あたかも自分の青春を取り返そうと言わんばかりに。
大貴族のご息女の地位をかなぐり捨てて、エリカは漫画に没頭した。
エリカは幸せの絶頂にあった。
この世界も悪くない、そう思い出したエリカであった。
そしエリカが愛して止まない『ベルサイユの薔薇』が十周目を迎えた時にやっと思った。
なんでこの世界にあの世界の漫画があるのか?
それに何で日本食があるのか?
余りに遅い気づきだった。
それほどまでに盲目的に、愛する漫画と日本食をエリカは堪能していたのだった。
既に護衛達は諦めモードで、エリカの護衛を放棄しており、各々の楽しみを見つけて楽しんでいた。
護衛の一人の男性はサウナにどっぷり嵌り、サウナ明けのビールを堪能している。
そしてもう一人の女性の護衛は食事に嵌っていた。
『シマーノ』に到着してから一週間、護衛の女性は十キロも太っていた。
もはや面影が無くなってしまっているほどに容姿は変貌していた。
久しぶりに会ったエリカに、素通りされたほどだった。
冷静になったエリカ一同は情報を集めに周った。
この街のこと全般、なにより何故に漫画と日本食がこの街にはあるのかを。
そして『シマーノ』の魔物達は外部の者に対して一定の警戒をしていたが、その警戒は実に緩かった。
魔物達は漫画と日本食が褒められたことが嬉しかったからだ。
崇拝して止まない島野が持ち込んだ漫画と日本食だ。
当然魔物達も漫画と日本食が大好きである。
首領陣達からは警戒を怠るなとのお達しはあったが、漫画と日本食を褒められるイコール、島野が褒められていると魔物達は捉えてしまうのだ。
自分達の愛して止まない神が褒められたのだ、警戒が緩くなってもそれは仕方が無い事だろう。
魔物達は島野が褒められることこそ感動の極みなのだ。
魔物達を責められる訳がない。
ここは甘く観てあげなければならない。
詰まる処、魔物達はなにも悪くないのだ。
そしてエリカは知ってしまった。
島野守の存在を、そして島野一家という出鱈目な家族を。
エリカは思う、
(今直ぐに島野一家に会いたい、何より島野守に会いたい‼どうしても‼)
エリカは興奮していた。
だがそんな気持ちを抑えて、エリカは島野守に関して考察を重ねる。
島野守についての情報は、魔物達から集められるだけの情報は得ている。
規格外の神が降臨したと、驚愕を通り越してここまでくるとその存在すら本物かと疑ってしまうほどだった。
だが間違いなく島野守は存在している。
エリカの知る神とはあまりにも違う、聞く限りではその権能が異常だ。
『転移』のみならずその所業はまさに神の御業だ。
もはや創造神かと錯覚してしまうほどだった。
そして考察を重ねるエリカは確信していた。
島野守は日本からの転移者、又は転生者だと。
この世界には転移者や転生者がいることはエリカも知っている。
エリカの知る『ベルサイユの薔薇』の最新刊から、島野守はエリカの知る地球から三十年近くは未来に居たであるだろうと察している。
それはエリカにとっては未来の地球だ。
エリカの愛した家族と過ごした地球の未来を教えて欲しいと、エリカは強く熱望していた。
エリカにとっては今いるこの世界よりも、地球の方が愛着がある世界なのだ。
地球のその後の趨勢を教えて欲いと思うのも当然のことだった。
エリカには他意はない。
その魂には前世の記憶が大きく刻まれているのだから。
エリカは島野一家の所在を求めた。
そしてとあるゴブリンから、その所在を教えて貰う事になったのだった。
「島野様だべか?今は確かドラゴムにいるだべよ」
エリカは膝から崩れ落ちそうになっていた。
ドラゴムとはエンシェントドラゴンが住む村である。
それぐらいの情報は得ている。
だがあの村は下界と隔離しており、辿り着くにも相当危険な旅路になると分かっていた。
でもエリカは諦めなかった。
否、エリカは食い下がらなかった。
「ドラゴムにはどういったらいけるのかしら?教えて貰える?」
「簡単な方法があるだべ、でも人族のおまえ達には無理だべよ」
「というと?」
何かしらの移動方法があるとエリカは察した。
「島野様が造った転移扉を潜れば、一瞬でドラゴムに行けるだべよ」
「転移扉ですって?」
エリカの心拍数は鰻登りだ。
そんな神具はこれまでに聞いたことはない。
「そうだべ、凄いだべよ。一瞬で転移が可能だべよ。おらもサウナ島にも何度も行ってるだべ、あの島は最高だべよ。どれだけ金貨があっても足りないだべよ!ああ、今すぐにも行きたいだべよ!」
サウナ島?
それってもしかして・・・
「サウナ島って何?」
これまで流暢であったゴブリンが訝しむ。
「・・・おまえ・・・何だべか?なんで島野様のことをそんなに聞くだべか?」
不味い!深入りし過ぎたか?
慌てるエリカだったが、この脅威は簡単に潜り抜けることができた。
だって相手はゴブオクンなのだから。
「いやー、島野様の大ファンなのよ私!だから島野様のことを沢山知りたくってね」
ゴブオクンの顔が一気に明るくなる。
「そうだべか?ならお前は見どころがあるだべよ!サウナ島は島野様達が造り上げた、最高の街だべよ!スーパー銭湯があって、サウナビレッジがあって、商店街もあって、美味しい屋台もたくさんあって、いろいろな娯楽が集まる最高の街だべよ。流行の最先端だべよ。ああ、おらも早く行きたいだべよ。でもお金が・・・仕事を頑張るだべ!島野様が言っていただべ、仕事を頑張れば、最高の休日が待っているだべって」
だべはよく分からないけど、言いたいことはよく分かるわ。
と感心するエリカだった。
サウナ島・・・行きたい‼
エリカの中で更に島野守が爆上がりした。
「どうしたらサウナ島に行けるの?」
「だからそれは無理だべよ・・・お前人族だべ?」
「ええ、そうよ」
「島野様は北半球の人族を信用していないだべよ、お前には無理だべな。ドラゴムにもサウナ島にも行けないだべよ。転移扉を潜れるのはおら達魔物と、一部の南半球の認められた島野様の部下達だけだべよ」
ああ、そうなんだ・・・それはそうだわよね。
私も神であったなら、信用できる者にしか転移扉なんて神具は使わせないわ。
ならば私は認められればいいということになる。
どうやって認められればいいのか?
何としても、島野守に私は会いたい。
その顔を見たいのよ。
それに話がしたい、今の地球の現状を教えて欲しいのよ。
私が愛したあの世界がどうなっているのか、知りたくて溜まらない。
願わくば、エリザベス女王がご健在なのかだけでも知りたい。
その様にエリカは考える。
エリカは更に考察する。
どうすればいいのか・・・
だがしかしその答えは出てこなかった。
そうしていると目の前のゴブリンから嬉しい一言が述べられる。
「島野様は、よくこの『シマーノ』に帰ってきてくれるだべよ。そろそろ帰ってくる頃だべよ」
それは天啓に近い一言だった。
エリカは島野一家に出会う事を決意し『シマーノ』に滞在することを決断したのだった。
俺達島野一家は王城の王の間に通された。
王の間には国王のベルメルト・ダイガストン・ドミニオンと数名の大臣と思わしき者達と、先ほど迎えに来た老齢の男性がいた。
全員が沈痛な趣きで俺達を見つめていた。
ハセがやらかした騒動の、一連の報告を受けているのだろう。
国王のベルメルトに至っては完全にビビっている。
涙目でこちらを見ていた。
おいおい、これで出来た国王ってか?
誰の判断だよ?
しょうがないな。
「お前達、ハセのことは気にしなくていい。どの道腐敗した貴族共は追い詰めるつもりだったからな」
この発言に一同は身を固くする。
凍り付いたと言ったほうがいいかもしれない。
それだけの衝撃が走っていたのだった。
それはそうだろう、今までその存在すら知らない神が突然現れて、自国の腐敗した貴族を一網打尽にすると宣言したのだから。
余りの出来事に飲み込むことすら出来かねない。
喜んでいいのか、嘆いていいのかすらも分かっていないのだ。
勇気を振り絞って、一人の大臣であろう者が前に出てきた。
「寛大なお言葉痛み入ります。して、追い詰めるとはどの様なことなのでしょうか?」
この言葉にゴンが話を重ねる。
「その言葉通りです。あなた達の国は腐っています。貴方達では対応できないようでしたので、こちらで対処しようということです」
さっきの奴隷の件が気に入らなかったのか、珍しくゴンが前に出てきた。
こうなっては俺は黙って見守るだけだ。
正義感に燃えるゴンは誰も止めることはできない。
「左様でございますか、我等としては恥ずかしいばかりです」
「いいですか?まずはそこの男、なんで上から我が主を眺めているのですか?不敬ですよ」
言われた国王のベルメルトはしまったと表情を改め、椅子から降りて俺に椅子に座る様に勧めた。
うーん、何か違うような。
まあいいか、ゴンがやる気になっているのだからここは任せよう。
俺は進められるが儘に、国王の椅子に腰かける。
その脇を固める様に島野一家が布陣する。
国王始め大臣一同は跪づき頭を垂れていた。
あれ?俺はこの国の統治者になってしまったのか?
そんなつもりは全くもって無いのだが、外の誰かが見たらそう思うに決まっている。
どうなっているんだ?
ていうかゴンはどうしたいんだ?
「そうですの、あなた達はお粗末ですの」
今度はエルまで追随し出した。
「だね、あんなハセなんて小者に好きにさせているなんて、あり得ないよね」
「そうだよ」
ギルとノンまで珍しく頷いていた。
「島野様御一行、申し遅れました。私は武装国家ドミニオンの国王、ベルメルト・ダイガストン・ドミニオンと申します。以後お見知りおきを」
他の大臣達が続けて名乗りを上げようとしたが、ゴンがそれを遮る。
「そんなことは知っています。我らの暗部を舐めないでいただきたい。そんなことよりも聞きたい事があります。正直にお答えください」
老齢の男性が返事をする。
「何なりとお申しつけください」
「よろしい、まずは陶芸の神が行方不明とのことですが、詳細を教えなさい」
ゴンは高圧的に尋ねる。
「は!陶芸の神ポタリー様は半年ほど前から行方不明です。残念ながら詳細は不明ですが、これまで集めた情報によると、どうやら何者かに拉致されているとのことで御座います」
「それはどういうこと?」
「は!ポタリー様の近隣に住む者によると、言い争う声が聞こえ、何者かがポタリー様を担いでいったのを住民が目撃しております」
何とも荒々しいな。
でも死んでいないだけましか。
否、間違った神は死なないんだった。
けど神気が無くなれば消滅はすると以前ゴンズ様は言っていたな。
神気の薄い北半球では気は抜けない。
「なるほど、その犯人の目星はついているのですか?」
「は!目星はついておりませんが、疑わしき国は御座います」
「それは?」
「信仰宗教国家イヤーズで御座います」
またこの国か、こうなってくると信仰宗教国家イヤーズに乗り込むのが早いのか?
ハセが奴隷を買ったというものこの国だったな。
神が顕現しているこの世界において、宗教を謳っている時点でおかしい。
前にエンゾさんが北半球には宗教があると言っていたが、おそらくこの国のことなんだろう。
北半球の悪の根源が見えてきたような気がする。
まだ断定はできないが、信仰宗教国家イヤーズに狙いを定めるべきだろう。
まだまだ朧気ではあるが、何となく全体像が見えてきた気がする。
まずは陶芸の神ポタリーを助けなければいけない。
一先ずはクモマル達の報告を待つとしよう。
俺は北半球の混迷をまじまじと実感したのだった。
その後、武装国家ドミニオンの面々と俺達は話を重ねた。
ゴン達も対応を軟化させて、何時もの調子に戻っている。
ゴン達はこれまでにない、異常事態に何としても俺を守ろうと躍起になっており、俺の手を患わせたくないと、考えているみたいだった。
些事は全て受け持ち、俺を前面に立たせる訳にはいかないと奮起したようだ。
俺のやる気が伝播したとも言えることだった。
有難い事ではあるが、こいつらには不向きであると思える。
その気持ちはありがたいが無理はして欲しくない。
俺はそれをやんわりと伝えたところ、ゴン達は話を飲み込んでくれたみたいだった。
そしていつもの島野一家に戻っている。
やっぱり俺達は肩の力を抜いた状態が似合っている。
肩肘を張った俺達なんて面白くもなんともない。
何処までも自然体な俺達が丁度いいのだ。
全く・・・やれやれだ。
でもありがとうな。
武装国家ドミニオンの現状について話をすると、概ねクモマル達の報告通りだった。
その報告は緻密で正確この上なかった。
但し評価が分かれるのは国王のベルメルト・ダイガストン・ドミニオンが優秀であるかどうかということだった。
正直言って、俺の眼からは優秀そうな面は見受けられなかった。
だが外の者達からの評価は高いのだから、何かしら優秀な点があるのかもしれない。
そう願いはするものの、俺からは自信の無い中年の男性としか映っていない。
そこで俺はベルメルトを試してみることにした。
こうすることで何かしらの評価が出来るのではと考えたからだ。
かつてルイ君に投げかけた質問と同様の質問をしてみることにした。
「なあ、ベルメルト国王。君の目指す国造りとは何なんだ?」
俺からの問いかけに驚きを隠せないベルメルト国王だった。
逡巡した後ベルメルト国王は言った。
「私は傑物でもなければ、国を引っ張るほどの力を有してはおりません。しかしながら私の周りには優秀な者達が多数います。彼らの話に耳を傾け、最善と思える施策や政治を行っていければと私は考えております」
なるほど、この考えが一定の評価に繋がっているのだろう。
分かり易く言えば昔のルイ君に似ている。
専門家に任せようという姿勢だ。
それであるならば配下としては働き甲斐はあるし、遣り甲斐もあるだろう。
それにベルメルト国王は聞き上手だ。
ここに高評価のポイントがあると思える。
というのも、よくしゃべる人は面白いと思われることが多いが、その反面煩いであったり、信用できないとか胡散臭いと思われることが多い。
しかし、聞き上手な人はいい人と思われがちだ。
この差は大きい。
その所為もあってか、信用に値すると評価される傾向にあるのだ。
人は話を聞いてくれると、この人はいい人だと思ってしまう。
そんなことを気づいている人は少ないだろう。
詰まるところ話し上手よりも聞き上手の方が、評価は高いのである。
彼は本能的に自分の能力を理解した上で、そう振舞っているのだろう。
ベルメルト国王の評価が高いのも頷けるものだ。
だが、統治者としては物足りない。
評価としてはどうしてもそうなる。
スターシップと比べられてしまうからだ。
その大きな違いは行動力でしかないのだが、これは身体に沁み込んでいる部分だから、今日の明日にどうにか出来ることではないだろう。
ここでお節介を焼くほど今の俺には時間がない。
緊迫した現状でなければ、ルイ君の様に話を重ねてみたいところだが、残念ながら今はそんな時間は無い。
じっくりと話をしてみたいところではあるのだが、此処はしょうがない。
そして、クモマル達アラクネ一同からここぞとばかりに、どしどしと報告が上げられてきた。
『ドミニオン』の裏側は根深い。
どんどんと挙げられる報告には耳を疑うばかりだ。
それを俺は包み隠すこと無く全てを詳らかにした。
ベルメルト国王含めて大臣達がざわついている。
中には信じられないと、首を振っている者もいた。
それぐらい彼らにとってはセンセーショナルな出来事であったみたいだ。
だがこれが現実なのだ。
受け止めざる得ない。
彼らにとっての覚悟の時間が始まった。
「多くの貴国に対しての情報が集まってきた。その中での首謀者を既に俺の手の者が連行している。準備はいいか?」
王の間に緊張が走る。
まだ、俺は王の玉座に座ったままだ。
そこに一人の貴族が連行されてきた。
後ろ手に腕を掴まれて喚いている。
両手首をアラクネの糸で縛られていた。
これは解くことは出来ない。
アラクネの糸は頑丈だからね。
俺ならさっさと抜けられるけど、そんなことはどうでもいいよね。
「放せ!この無礼者が!儂を誰と心得る!儂はイセ侯爵であるぞ!ええい!護衛の者を寄越せ‼」
大きな体躯の猫背の男性が連行されてきた。
お腹がポッコリと出ている様が、不摂生を物語っている。
威張り散らしているが、誰も取り合っていない。
まるでピエロだな。
こいつもハセと変わらない。
哀れで下種な貴族だ。
俺は既に残念な気持ちになっていた。
顔を見ただけで分かった。
こいつも地位に肩で風を切っていた者なのだと。
何より眼が曇っている。
そして天井が薄い・・・禿と言った方が分かり易いか。
不気味なぐらい眼が曇っていた。
どうしたらこんなに眼が曇れるのか?
眼を会わせることが気持ち悪いぐらい嫌だった。
真面に眼を見たくないと本能的に思ってしまうぐらいだ。
「イセ侯爵、貴様何をしてくれたんだ‼」
大臣の一人が血相を変えてイセを糾弾しようとした。
その鼻息は荒い。
「まあ待て、言い分を聞いてみようではないか」
他の大臣が諫める。
だが、その視線は冷ややかだ。
イセを糾弾していることに変わりは無い。
他の大臣達も色めき立っていた。
どうしてやろうかと、全員が肩を回している状態だ。
俺の前にイセ侯爵が投げ捨てられた。
その様は捨てられたゴミの様だった。
イセは気に入らないのかこちらを睨んでいた。
それを俺は冷ややかに眺めていた。
ゴミでも主張するんだなと変な関心を俺は抱いていた。
でもそれに意味は無い。
そしてイセが吠える。
「これはなんの狼藉か‼儂にこんな扱いをするとは?ベルメルト国王‼これを許していいのですか?それに貴様は誰だ‼玉座に腰かけるなど、不敬であるぞ‼」
イセの慟哭が木霊する。
ああ、煩い・・・声だけはデカいな。
態度もか?・・・どうでもいいか?
「黙れ犯罪者!お前は既に我らの手に落ちている。観念するのだな‼」
クモマルが珍しく声を荒げていた。
何処までも温厚なクモマルがこんなに感情を剥き出しにしているなんて・・・
あり得ないことだ。
こいつは相当な悪党なのだろう。
それだけでも分かるというものだ。
もうここで牢獄に放置してもいいんじゃないか?
って訳にはいかないよね。
「何を言っている!儂は何も悪い事はしていない!」
イセはこの場においても騒いでいる。
やっぱり騒ぐんだ・・・
そこに正義感の強いゴンが追い込む。
顔が振れようかという程の距離感で、不敵な笑いを浮かべてゴンが言い放つ。
「お前は何をやったというのですか?それを問わずともその顔が既に悪者であることを物語っていますがね」
ゴン・・・正解です!
「う!・・・」
機先を制されてハセは言葉を失っている。
「イセ侯爵、心当たりは無いと申すのか?」
大臣の一人が問いかける。
「フン!あろうはずもない!」
当たり前とイセが答えた。
「よく言う、この悪党め!」
クモマルが締め上げた腕を更に締め上げた。
「痛ててて!離せ!離せ!くそっ‼」
苦悶の表情でイセが悶える。
そんなイセを俺は無視した。
「クモマル、詳細を話せ」
クモマルは俺に跪く。
その様に大臣達も押し黙った。
中には俺に跪く者もいた。
王の間が静寂に包まれた。
「ハッ‼申し上げます。この者は女性の奴隷を三名従えており、その契約も無理やりさせた物になっております。恐らく慰み者にされていたのだと推察します。契約書を確認しましたが、一方的なものであり、断じて看過できるものではありません。さらに労働奴隷として獣人を数名奴隷としております」
「何を言う!契約は一方的なものなどでは無い、本人や家族が了承の上に結んだものだ。どこにそんな証拠があるというのだ!」
「証拠は挙がっている、この者は重税を課した上で、支払えないと奴隷として契約する様に迫っていたと証言は多数あります。なんなら証人全員を連れてこれますが如何なさいましょうか?」
クモマルは強気だ。
「くっ!そんな証人など、どうとでも捏造できるだろうが!それにそんなことが出来る訳がないだろう!証人全員連れてくるだと?あり得ないろうが!」
「ほう?そうですか。ならばその言葉、決して飲み込まぬように!」
まだイセは余裕を崩さない。
契約魔法で縛っているのだから、自分にとって不利益な証言は出来ないだろうとでも考えているのだろう。
だがその考えは甘い。
契約魔法をゴンから教わったアラクネ達は既に契約を無効にしているはずだ。
それだけでイセに不利な証言はいくらでも出来るだろう。
ここからはもう茶番劇だ。
その後イセはどんどんとその表情を崩していくことになる。
クモマルが合図をすると、ぞろぞろと人々が王の間に押し寄せた。
イセの表情が青ざめる。
慰み者にされていた奴隷の女性達、無理やり契約書にサインをさせられたその家族。
奴隷となっていた獣人達。
その他商人風の者や、貴族風の者もいた。
一部の者はイセと同様に後手に縛られていた。
そしてその中にはハセがいた。
心の折れたハセは、全ての悪事に関して自白していたのだった。
その大半の悪事の指示はイセからもたらされたものであり、正にハセは生き証人となっているのであった。
「なんと、これほどまでの者達が迫害を受けていたというのか・・・それに悪事に加担していたと・・・」
ベルメルト国王は眼を白黒とさせていた。
これが現実だ。
話をよく聞く国王といっても、それは一部の者達でしかない弊害がここにはあった。
自分の国の現状を把握できていないことに羞恥心を感じているのだろう。
ベルメルト国王は顔を真っ赤にして、イセを睨んでいた。
今にも掴み掛らんという程に。
「ベルメルト国王、はっきり言っておくが、これは氷山の一角に過ぎない。イセはこの国の悪事の中心にいた人物だが、それ以外にも悪事を働く者達は多数いる。心することだな。それにイセとハセは贈収賄や横領なども行っていた証拠も摘発している。あとついでといっては何だが、この国は奴隷制度を認めているのか?だとするならば、今直ぐ廃止しろ。これは俺の命令だ!いいな‼異論は認めない!」
俺の発言を受けてベルメルトは表情を硬くした。
そして跪く。
「畏まりました、仰せの儘に」
ベルメルト国王は頭を下げた。
それに倣って大臣達も跪き頭を下げる。
その様にイセは顔を歪めていた。
「それで、イセとやら。これだけの証人がいるのだが、まだ何かいうことがあるのか?」
イセはワナワナと震えていた。
「ハセ・・・裏切りやがったな・・・覚えておれよ・・・」
ここにきてイセはまだ強気な姿勢を崩さない。
こいつは何処までも腐っているな。
なんでこの後に及んでそんな態度でいられるのだろうか?
「イセ様・・・そんなことを言っていられる状況ではありません。すでに私達は詰んでおります」
ハセは悲壮感で打ちひしがれていた。
「なっ!・・・そんな馬鹿な・・・」
ベルメルト国王が前に出てきた。
イセを冷ややかに見下している。
そのベルメルトの態度にやっとイセは慄く。
「イセ侯爵、今直ぐ全ての所有する奴隷を解放せよ。そしてそなたとハセ伯爵の領地は没収とする。貴族の地位も返上し、ハセは平民として暮らすがよい。イセ、お前は国外追放とする‼この後一切この国に足を踏み入れることは許さぬ‼」
ベルメルトの王命である。
これは何をしても覆すことはできない。
がっくりと項垂れるイセ。
ハセは諦めの境地にあったのだが、国外追放されなかっただけましということだ。
自白をしたのが考慮されたということか。
でもある意味こいつの人生は終わりを告げたのかもしれない。
この先はこいつの頑張り如何だ。
国王の護衛が現れて、イセとハセ、そして後ろ手に繋がれている者達が連行されていった。
この後、詳細な沙汰が下されることになるだろう。
一先ずこれで今回の騒動は決着となったのであった。
今回の情報集めの中で、陶芸の神ポタリーに繋がる情報が寄せられた。
俺は王城でその報告を受けることになった。
例の騒動が終わった後、ベルメルトから懇願する様に、王城に滞在して欲しいと言われてしまったのだ。
俺としては、一度『シマーノ』に戻って、情報を纏めたいところだったが、あまりに必死に誘われてしまった為、無下には出来なかった。
それにもう少しこいつには関わらないといけなとは思っていた。
俺のお節介が顔を出してしまったみたいだ。
断ることは出来たが、俺はそうしなかった。
何処までもお人好しと思われるかもしれないがここは許して欲しい。
裏側ではクモマルが中心になって、ドミニオンの大臣達と会議を行っている。
集めた情報を基にどうやって悪党どもを検挙するのか、打ち合わせを行うとのことだった。
この先続々と闇に紛れている者達が連行されることになるだろう。
流石はクモマルだ。
クモマルに任せておけば、闇に紛れている者達を炙り出すことは容易いだろう。
それにクモマルはやる気に満ちていた。
ここで活躍すれば俺に恩を返せるとでも思っているのだろう。
なんて可愛い奴だ。
お前はもう充分に家族と言える存在だってのに。
島野一家は懇談会として、ベルメルト国王に食事を振舞われていた。
相手はベルメルト国王とその家族が同席している。
ベルメルト国王は多少緊張が解けているようだが、奥方と二人の息子達は緊張しているのが分かる。
特に息子の二人に関してはガチガチに緊張していた。
俺達の事をどう聞いているのか知らないが、食事の席ぐらい楽にして欲しいものだ。
今にも吐き出すのではないかと嗚咽を漏らしていた。
そして下の息子に関してはギルに釘付けだ。
ドラゴンに興味でもあるのだろう。
恐らく食事が終わったらギルが構うことになるだろう。
あいつは世話焼きだからね。
ベルメルトは自慢げにしていた。
命一杯のもてなしなのだろう。
ボア肉のステーキがメインのコース料理だった。
料理の評価としては、まあ無難だなというところ。
少々薄味なのが残念だ。
どうにもこの世界の調味料には物足りなさを感じる。
だがとても眼を引く物があった。
それは皿やカップなどの陶芸品だった。
とても品があって、繊細さを感じる品の数々だ。
ゴンガスの親父さんが造る陶芸品は実用性に特化している物が多い。
割れない様に頑丈にしてあったりとか、軽くしたりとかだ。
現に今では南半球では陶芸品は少なくなり、リザードマンの鱗を使った皿やカップ等が主流になっている。
それはそれでいいのだが、この陶芸品はそれとは違う良さがある。
芸術品として飾っておきたいような、そんな品々なのだ。
場を煌びやかにする様な、そんな雰囲気を纏っている。
島野一家は作法なんてものはお構いなしだ。
ギルがいつものごとくお代わりを主張しガツガツ食っている。
ノンはだらしなく食べ、ゴンに注意されていた。
エルはマジックバックから調味料を取り出して、味付けを変えている。
俺は微笑ましくそれを眺めていた。
俺達にとってはいつもの光景だ。
でも・・・ベルメルト・・・なんだかごめん。
マイペースなのが島野一家の売りなんでね。
流石に味変は無礼だったか?
でも俺も味変したかったな・・・
「なんだかすまないな、ベルメルト」
もうここからは呼び捨てだ。
島野一家のこの様を見ていると、どうでもよくなってきた。
俺の発言にニコニコと受け答えするベルメルト。
呼び捨てにされたことが嬉しいらしい。
「いえ、好きになさってください。この様にしていられるのも、島野様方のお陰なのです。ドミニオンの膿を出すことができたのです。こんな食事程度で恩返しが出来たとは思っておりません」
「そうか、この後の沙汰は全部お前達に任せる。いいな?」
「はい、寛大な御処置痛み入ります」
ベルメルトは頭を下げた。
さて、本題に入ろうか。
「ベルメルト、まずは陶芸の神ポタリーについて教えてくれ」
「喜んで!」
ベルメルトは喜々として答えていた。
居酒屋かよ・・・
「まず、今召し上がっていただいている。料理の器や皿等の陶磁器は全てポタリー様の造られた品です」
「だと思ったよ。この品々はとても品がある。是非手元に置きたい一品だ」
「お褒め頂き光栄です。ポタリー様の造られる品々はどれも一級品です。このドミニオンの誇りでございます。ドミニオンの産業の中心は陶芸品であると言っても過言ではありません」
「そうなのか、確かにここまでの一品であれば頷けるな」
俺も家に飾りたいぐらいだ。
「はい、実際ドミニオンはこの陶磁器によって経済が支えられているのです。ドミニオンは山を切り崩した国であることから、あまり農場にとって良質な土壌をしていないと聞いたことがあります。実際農業は下火で、自国での生産量だけでは自国を賄いきれず、輸入で凌いでいるのが現状です。そこでポタリー様の陶磁器が輸出されることによって、経済が潤っているのです」
なるほど、ここはアイリスさんの出番かな?
まだゴーサインを出すには早いけどね。
「ポタリー様ですが、とても勝気な女神様です」
へえーそうなんだ。
いぶし銀のおじさんだと想像していたよ。
女神とは少々以外だ。
それにしても勝気な性格なんだな。
そう聞くと、女神でも職人肌なのが何となく頷ける。
早く会いたいものだ。
「それで?」
「ポタリー様は、いつしかこのドミニオンに住み着きました。ポタリー様曰く、この土地の土壌がとても陶磁器に向いているということでした、それに釉薬が揃いやすいと仰ってました。私にはいまいちよく分かっておりませんが・・・」
農業には適していない分、陶磁器には向いている土壌ということなのだろうか?
これはアイリスさんに聞かないと分からないな。
でもあの人ならそんなことに関係なく、農業を盛んにしてしまいそうな気がする。
今では普通に田んぼやハウス栽培もお手の物になっているからね。
あの人に掛かれば、南極のような極寒の地であっても作物を育ててしまいそうな気がする。
それぐらいアイリスさんの農業に対する熱意は半端ない。
それに今ではアースラ様もいるしね。
「そうか、それでポタリーさんはどれぐらいドミニオンにいるんだ?」
「はい、実に五十年近くは駐留なさってくれております。この先もずっと居て欲しと私達も願っておりました・・・でも・・・」
ベルメルトは視線を落とした。
落胆しているのが丸分かりだ。
「俺達が必ず救い出す、安心してくれていい」
「本当で御座いますか‼」
ベルメルトが目を輝かせる。
「ああ、約束してもいい」
「なんと・・・」
ベルメルトは涙を流していた。
「ありがとうございます・・・」
「いいから泣くな!お前国王だろう?簡単に人前で泣くんじゃないよ」
はあ、困った奴だ。
でも分からなくはない。
これまでこいつなりに頑張って来たのだろう。
それをいきなり現れた者が簡単に問題を解決し、更に最たる問題を解決すると約束したのだ。
こんなに心強いことは無いだろう。
時間が許せばもっとこいつに関わってやりたいが、そうともいかない。
今は要点だけでも教えておいてやろうと思う。
その後、ポタリーさんに関してと、国政に関する相談を受けて、俺とベルメルトは夜を明かすことになった。
久しぶりの徹夜だった。
案の定ギルとノンは息子達と仲良くなり、意外にもエルとゴンは奥方と打ち解けていた。
こうしてドミニオンでの夜は更けていったのだった。
エリカは焦れていた。
『シマーノ』で守を待つと決めてから既に一週間が経っていた。
ゴブオクンから得た情報では数日中に守は『シマーノ』に帰って来るとの話しだった。
だが守は現れなかった。
憔悴したエリカは考える。
(ドラゴムに向かうべきだろうか?否、すれ違いは不味い。それに島野守、否、島野様は転移の能力がある。動くべきではないわ、ここは辛抱するのよ)
実はこの決断が正解だった。
もし業を煮やしてドラゴムにエリカが向かっていたら、守とすれ違うことになってしまっていたからだ。
でもその決断の本心には別の思惑があった。
エリカは漫画喫茶にもっと通い詰めたかったのだ。
エリカの知らない新たな作品の漫画の数々をまだまだ読みたいと思っていたからだ。
まだ読めていない作品は多い。
残念ながらエリカの本性は欲望に忠実だったのだ。
彼女の漫画熱は鉄を溶かすほどに熱い。
既に護衛の二人もエリカの決断に賛同していた。
信仰宗教国家『イヤーズ』に帰らずに、この魔物同盟国に亡命すると。
二人も魔物同盟国『シマーノ』にド嵌りしていた。
否、心酔していた。
今ではどうしたら魔物同盟国『シマーノ』の一員に成れるのかを夢想する日々だった。
そんな彼らを責めてはいけない。
なぜならば、幼少期からのエリカを知る彼らにしてみれば、信仰宗教国家『イヤーズ』の教義に対して疑念を持っていたからだ。
信仰宗教国家『イヤーズ』には娯楽が少ない。
その理由は簡単だ。
そんな暇があったら、あの人に祈りを捧げなさいということだ。
あの人を崇拝し、その力を蓄えさせなさいと・・・
彼らは崇拝を搾取されている気分になっていたのだ。
もうそんな国には帰りたくないと・・・
そう思っていたのだった。
エリカは自分の考えを悟られない様に努めてきたが、長年連れ添っていればその考えは浸透してしまうものだ。
そうとは知らずにいるエリカだったが、実はそれなりに影響力をエリカは持っていた。
それほど護衛の二人はエリカを信頼していた。
そんなエリカの決断を後押ししたいという想いと共に、二人にとってもどうしても行きたい街があった。
それは『サウナ島』だった。
これまでたくさんの魔物達からその存在を教えられてきた。
聞く限りその村は娯楽の宝庫であり、流行の最先端の街。
そして神々が集う街『サウナ島』
魔物達に言わせると『サウナ島』に行く為に、日々の仕事を頑張っているということだった。
魅惑の街『サウナ島』死ぬまでに一度は行かなければ後悔する、と考える程までになっていたのだった。
それぐらいに『サウナ島』の価値は高い。
同様にエリカも『サウナ島』に何としても行かなければと考えていた。
二人の動機とはちょっと違うのだが、その想いは一緒だった。
その為まずは島野様に会わなければと夢想する一同である。
そしてエリカはこれまでの自分をかなぐり捨てて、積極的に行動に出ることにした。
これまで守りに徹してきたエリカにとってはあり得ないことであった。
真っ先に行ったのは現状分析と聞き込みだった。
これまで封印してきた異世界の知識もフル活用し、どうすれば魔物同盟国『シマーノ』に受け入れて貰えるのかを真剣に考え始めた。
エリカにとっては、今の家族達にそれほどの思い入れはない。
多少の躊躇いはあるのだが、亡命することに迷いはないのだ。
だが心配なのは五人の老師の動向だった。
裏切ったと知られると、命の危険すらある。
まず間違いなく暗殺を企てられるだろう。
それぐらいエリカは信仰宗教国家『イヤーズ』の裏側を知り過ぎていた。
そしてそれは『イヤーズ』の国営だけに留まらず、あの人に関してもだ。
その性格や癖までも。
エリカ以外の老師達はあの人に心酔している。
それも盲目的に。
もしあの人に死ねと言われたら、躊躇いなくその命を投げ出すのではなかろうかと思えるほどだ。
ここに危機感を感じるのは当然のことだった。
でもどうにかなるのではとも思ってしまうエリカであった。
というのも、この国にいれば暗殺なんて出来ないのでは?と考えてしまうのだ。
この国の魔物達は連帯感が半端ない。
決して厳重な警備を布いている訳ではないが、簡単に暗殺者を通してしまう様な愚は犯さないのではないかと。
それにもしサウナ島に行けたなら・・・
追っ手は間違いなく撒くことができる。
転移扉の運用は厳密なのだ。
紛れ込むなんてできるはずがない。
一度転移扉が開かれるところを見たことがあるのだが、扉を潜った先にも受付が見えた。
もし透明化魔法を駆使してもサウナ島に入り込むのは難しいのでは?と思えるのだ。
それにエリカには隠蔽の魔法がある、それを駆使すれば暗殺者から逃げ遂せることは可能だ。
だが護衛の二人にはそんな魔法の能力は無い。
護衛のファビオとカミラには仲間意識がある。
この二人を蔑ろには出来ない。
そして二人はエリカに着いて行くと決めており、エリカにもそれを公言している。
エリカは二人の安全も確保しなければと考えているのだ。
これは安易では無い。
エリカにとってもファビオとカミラは家族以上の付き合いなのだ。
愛着が無いなんてことはあり得ないのだ。
更にエリカは気づいていた。
魔物達は人族より、格段に強いと。
その身体能力は高い。
それに魔物達は知力が高い上に、思慮深い者達が多い。
仲間になれば、魔物達が守ってくれるのではないかと思ってしまうのだ。
でもどうすれば受け入れて貰えるのか?
そもそもその判断を島野様に求めていいのだろうか?
エリカは考えを巡らせる。
この『シマーノ』は守が造った街であることはエリカも熟知している。
だが、その運営に関しては魔物達が行っており。
守が行っていないことも分かっていた。
ここは島野様では無く、魔物達に信用されるのが先では?
エリカの考えは纏まりつつあった。
どうやって魔物達の信用を勝ち取ろうか?
エリカの考察は続く。
武装国家ドミニオンは俺の後押しもあり、永世中立国ルイベントと同盟を結ぶことになった。
とても喜ばしいことだ。
そうなったことには、実はそうして欲しいと、スターシップとダイコクさんから暗に頼まれていたことでもあった。
ダイコクさんとしてはルイベントを中心とした同盟国を増やし、北半球の脅威に対する橋頭保を築こうと考えていたのだ。
俺としてもその考えには同意できる。
国家間で協力体制を築くことによって、北半球での趨勢を得てしまおうということだ。
それにスターシップならばその旗印としては適任であると思える。
あの者ならばそれぐらいの器量を持っているだろうと、容易に想像できた。
当然そのバックには魔物同盟国『シマーノ』がいる。
軍事力という点においては、おそらく『シマーノ』に敵う国は無いだろう。
『シマーノ』には軍はないが、そもそも魔物達の身体能力は高く、また魔法適正の高い者達が多い。
それに今では知力も高い。
いざとなったら人族では敵うはずがないのである。
でも本音は争いごとの嫌いな魔物達には、そんな荒事には巻き込まれて欲しくないと俺は思っている。
俺にとっては愛すべき者達なのである。
怪我をして欲しく無いし、ましてや命を懸けることにすら抵抗があった。
あいつらに争いごとは似合わない。
そうならないことを俺は切に願うばかりだ。
あいつらには楽しく自由に人生を謳歌して欲しい。
でも俺に何かある様であれば、あいつらは絶対に黙ってはいないだろう。
それほどに魔物達の信仰は厚い。
俺はまずは両国のトップ会談が必要であろうと、急遽ではあるが、首脳会談を行う手筈を整えた。
面倒な手続きとかは一切皆無だ。
そんなことに時間を割くわけにはいかない。
俺は勝手に動くことにした。
早速転移でダイコクさんを伴って、ベルメルトを紹介した。
ダイコクさんもドミニオンではそれなりに有名な神様だったようで、ベルメルトもダイコクさんには何度か会ったことがあるみたいだった。
挨拶の加減でそれぐらいは分かる。
今は少し前とは違って、ベルメルトの頭を悩ませる腐敗した貴族共はいない。
アラクネ達の活躍で悪事を企む者達は一掃されつつあるのだ。
クモマルの本気は凄かった。
あいつは本当に優秀だ。
ネットワークを駆使して、蜘蛛達からありとあらゆる情報と証拠を集めて、悪事を企む者達を検挙しまくっていたのだ。
その大活躍ぶりにドミニオンの大臣達は舌を巻いていた。
綺麗さっぱりとしたドミニオンは同盟国に値すると、ダイコクさんも認める国となっていた。
というよりは、これはある意味ダイコクさんの意図に俺は乗っかった結果でしかない。
ダイコクさんは俺がドミニオンでどう動くかを知っており。
その働きに期待を寄せていたのだ。
それにダイコクさんは俺達の能力の高さをよく知っている。
時に手を貸して欲しいと強請られるぐらいなのだ。
まあ手を貸したことは一度もないけどね。
毎回やんわりと断っている。
だってこちらには得がないんだもの。
俺はただのお人好しではないのだからね。
それにこう言ってはなんだが、俺の家族や魔物達は俺の為にしか動かないんだよな。
すまないが、ダイコクさんやスターシップの為には動いてくれないんだよ。
俺が頼めば話は別だが、そうする理由も無いしね。
唯一言う事を聞くのはソバルぐらいだろう。
そんなこんなで、同盟の話は当事者で纏める様に俺は任せた。
些事には付き合ってはいられない。
ダイコクさんとある程度の話を重ね終わった後に、俺はダイコクさんから連絡を受けて、今度はスターシップを転移でドミニオンに送った。
今後も何度もタクシー替わりに使われるのも癪だから、転移扉をルイベントとドミニオンの王城に設置して、運営をダイコクさんに任せることにした。
後は若い二人に任せますってね。
今後はダイコクさんが有意義に転移扉を利用することになるだろう。
これを基に両国の関係も一気に近づくに違いない。
まあ好きにしてくれということだ。
こうして一先ずは肩の荷が降りた俺達島野一家は、次の目的地魔道国『エスペランザ』に向かうことにした。
エリカは必死だった。
まず行ったのは鑑定魔法を駆使することだった。
その意図としてはこの国の有力者や首脳陣は誰かを探ることだった。
決して褒められることでは無いのは理解していたのだが、そんな事には構ってはいられ無かった。
ほぼ全ての魔物達に鑑定魔法を行い、その特性や職業などを把握していった。
エリカは魔物達の個人情報を網羅しまくっていったのだった。
そしてエリカは二人の候補者に辿り着いた。
それはソバルとプルゴブだった。
亡命の話を持ち込むにはこの二人しか考えられなかった。
そしてエリカは決断する。
ここはプルゴブに話をするべきだろうと。
その決断は正解だった。
もしその話をソバルに持ち込んだら、ソバルは疑うだけではなく、逆に警戒を高めていたことだろう。
ソバルはまずは疑えとダイコクに教え込まれていたのだから、そうなるに決まっていたからだ。
だがプルゴブは違う、プルゴブは温厚な上に聞き上手だ。
まずはじっくりと話を聞こうという姿勢を崩さない。
それにプルゴブはソバルよりも人族に抵抗が無い。
更にプルゴブが認めればソバルは認めることになる。
それぐらいソバルはプルゴブに全幅の信頼を置いている。
この兄弟は実にバランスの良い兄弟だったのだ。
プルゴブは誰ともつかない旅人の話を聞く事になった。
その根源には守の何気ない一言が影響を与えていた。
無論守はそんなことは気づかずにいる。
「プルゴブよ、真のリーダーは仲間の話をよく聞く者だと俺は思う、不平や不満、どうでもいい事や、嬉しいことまで、なんでも聞いてやるんだ。そうするとその者の本質が見えてくる。いいか?その本質を見極めて適材適所に役割を与えてやることができる者が、真のリーダーなんだよ」
守はいい加減酔っぱらって、何気無く話したことでしかない。
現に守はそんな話をしたことを覚えてなんかいない。
なんとも無責任な話である。
でもプルゴブにはこの言葉は金言として心に刺さっていた。
プルゴブは守に対して過剰なほどに信仰心を持っている。
魔物の中でも隋一とも言える程の守信者なのだ。
その信仰心はメタンに匹敵する。
プルゴブの聖者の祈りはメタンと同様に神気が濛々と登り立つのだ。
プルゴブにとっては、守の冗談すらも金言に聞こえてしまう。
実に純粋無垢なゴブリンなのである。
そんなプルゴブがじっくりと話しを聞かない訳がない。
そしてエリカはここぞとばかりに全てをぶちまけた。
自分が転生者であること、おそらく守と同じ時代に地球で暮らしていたこと。
更には今の立場や、自分の想い、そして信仰宗教国家『イヤーズ』の内政に至るまで。
実に六時間以上に及ぶ会談となってしまっていた。
最初はよくある旅人の、商店を開きたいとの相談であろうと高を括っていたプルゴブだったが、そうはいかなかった。
特に信仰宗教国家『イヤーズ』に関しては聞き逃せなかった。
毎日の定時連絡によって、この信仰宗教国家『イヤーズ』は最重要案件であることをプルゴブは把握していたのだから。
プルゴブは血相を変えて話を聞いていた。
途中でメモを取りに行く等、真面目なプルゴブらしい様子も見られた。
今の直ぐに島野様に話をしなくてはと、顔色も変えていた。
そしてエリカにとっては最高の返事がプルゴブからもたらされたのだった。
「ふう、もはや儂ではどうにも判断がつきませぬ。島野様にお会いして頂きくしかありませんのう」
エリカは見えない様に、机の下で拳を固めていた。
心の中ではよっしゃー‼と叫んでいた。
はやりこのゴブリンに話をして正解だったと、自分の良く利く鼻を褒めてやりたかったぐらいだ。
遂に島野様に会えると、エリカの興奮はマックス状態に陥っていた。
しかし、それを悟られない様にポーカーフェイスは崩さない。
エリカの目の前で、通信用の魔道具を取り出したプルゴブはまずはソバルに連絡をしていた。
今では直ぐに連絡が取れる様に、首領陣には通信用の魔道具が手配されている。
連絡を密にという守の教えを忠実に守っていた。
そしてソバルはクモマル以外の首領陣を記念館の会議室に集める事にした。
「エリカ殿、場所を変えましょう。まずは『シマーノ』の首領陣にお会い頂くこととしましょう」
「畏まりました」
プルゴブとエリカ一同は連れ立って移動することにした。
移動中も打ち解けたエリカとプルゴブは世間話に花を咲かせていた。
その様子を驚きと共に二人の護衛達は眺めていた。
ファビオは思う。
(まさかエリカ様は転生者であったとは・・・でも考えてみれば頷ける。その雰囲気はこれまでにも思い当たるところはあった。この方に着いて来てどうやら正解だったみたいだ。よかった・・・)
カミラもエリカの変貌ぶりに驚いていた。
(エリカ様がこんなに行動的で思慮深かったとは・・・この人は何かが違うと思っていたが、付いて来て正解だったようですね)
二人にとっても光明が射した気分だった。
エリカとプルゴブが会議室に着くと、既にソバルとオクボス、そしてマーヤは集合していた。
オクボスに関しては走って来たのか、肩で息をしていた。
コルボスは漁に出ている為、戻るのには一時間は掛かるということだった。
プルゴブはソバルとオクボス、マーヤにエリカを紹介した。
「エリカ・エスメラルダと申します。よろしくお願いします。そしてこの二人は私の護衛のファビオとカミラです」
エリカはお辞儀をした。
それに倣って三人の首領達も頭を下げた。
「儂はソバルじゃ、オーガの首領をしておる」
「俺はオクボスだ、オークの首領だ」
「私はマーヤよ、ジャイアントキラービーの首領をしているわ」
朗らかな笑顔でプルゴブが話し出す。
「兄弟達よ、今日は朗報だ。詳細はコルボスの兄弟が来てから話をするが、エリカ殿は儂らの新たな兄弟と成りうる存在じゃ。否、もしかしたら兄弟と呼ぶのは憚られるかもしれぬな、なんといっても島野様のいた世界に居た人物じゃからのう」
「なんと!プルゴブの兄弟がそれほどと申すか?もしかして五郎様とも通じるものがあるのか?」
実は五郎は魔物達からの人気が高い。
というもの、守が五郎の事を尊敬する大先輩だと公言していたからだった。
それを受けて密かに五郎を信仰する魔物達もいるぐらいだった。
それにその大胆不敵なキャラクターが魔物達には受けており、五郎をある意味守以上に信仰する魔物もいるぐらいだ。
そうとは知らない五郎は魔物同盟国『シマーノ』の大歓迎を、そういうものだと勘違いしていた。
こいつらは情に厚い奴らだと五郎は思っていたのだ。
五郎も守と一緒でどっかズレているところがある。
「いえ、私なんぞそんな大層な者ではございません。兄弟と読んでいただけるのならこれほど嬉しいことはありません」
エリカは謙遜している。
だが腹の中ではよかったと胸を撫で降ろしていた。
ここで魔物達を仲間に出来ればこれほど心強いことはないと。
この者達の義兄弟となれば、安全は担保されたと考えられる。
そして五郎とは何者かと訝しんでいた。
そんな必要は全くないのに。
その様にファビオは感心していた。
これでエリカ様は大手を振って街を歩けると。
「ハハハ、ご謙遜をエリカ殿、してコルボスの兄弟をただ待つのもなんだし、出前を頼もうではないか?」
その言葉にエリカは首を傾げる。
「出前ですか?それは何でしょうか?」
その発言をオクボスが受け取る。
「出前とは島野様が教授してくれたサービスの事で、食事を運んでくれるサービスのことだ。何でもデリバリーとか言うらしいんだが、この街では出前で通っているんだ。出前できるのは麺類や、丼物、ピザなんかに限られるけど。どうしても出歩きたくない時や、今みたいにこの場を離れられないけど、食事をしたい時なんかは重宝するのさ。デリバリー料金はかかるけど微々たるものさ。島野様のお陰でこの国には自転車がある、それで運んでくれるのさ、これは何でも岡持ちスタイルと言うらしい」
その言葉にカミラの眼が輝く。
エリカは驚愕していた。
ピザのデリバリーまであるとは、更に守への関心を高めていた。
なんて懐かしい世界観なのだと・・・
ピザのデリバリーは彼女にとっては特別であった。
それは月に一度ある、家族でのご褒美の食事だったのだった。
エリカにとっては思い出深い食事であったのだ。
それをこの世界で味わえるなんて・・・
エリカは涙を堪えるのに必死だ。
涙を堪える程に守への想いを募らせていくのだった。
「それは素晴らしいサービスですね。では私はピザを頼ませていただきましょうか。懐かしいです・・・」
こうなるとエリカは一択だった。
他も気になるメニューはあったがここはピザを頼むしかあり得なかった。
「ほう、エリカ殿はお目が高いようじゃな。出前の人気の断トツの一位がピザじゃからな。島野様直伝のマルゲリータは絶品ですぞ。儂もピザを頼もうかのう?」
ソバルは今にも舌舐めずりしそうな雰囲気であった。
マルゲリータですって?とエリカは興奮を堪えるのに必死になった。
「マルゲリータでお願いします」
「では儂もマルゲリータピザを」
「儂もマルゲリータじゃな」
「俺はかつ丼だな」
「私はザル蕎麦を」
ファビオは遠慮気味に手を挙げた。
「カツカレーは出前できますか?」
申し訳なさそうに尋ねていた。
「勿論です。カツカレーも美味しいですからのう」
ソバルは笑っていた。
一人真剣に悩んでいたカミラは、ここぞとばかりに注文をしていた。
「私はマルゲリータピザとカツカレーとかつ丼をお願いします!」
「「「えっ‼」」」
カミラはこれでも気を使っていた。
同じ注文ならお店側に負担を掛けないだろうと。
でもそこでは無いと一同は驚いていた。
(どんだけ食う気なんだお前‼)
エリカとファビオは頭を抱えていた。
そんな中、一人プルゴブは笑っていた。
「カミラ殿はどうやら大食いのご様子、ギル様のようで嬉しくなりますな」
何処までも島野一家を大好きなプルゴブであった。
丁度昼食を食べ終えた時にオクボスは会議室にやってきた。
全員が食事に満足し、旨かったと賛辞をしていたのだった。
「すまない兄弟、遅くなった」
オクボスは汗を拭いながら席に着いた。
「兄弟、急がせて悪かったな、まずは紹介させてくれるか?エリカ殿とその護衛のファビオ殿とカミラ殿じゃ」
エリカが立ち上がって挨拶をする。
それに倣って護衛の二人も挨拶をする。
「エリカ・エスメラルダと申します。以後お見知りおきを」
「護衛のファビオです」
「同じく護衛のカミラです」
その言葉を受けてコルボスも立ち上がって名乗りを上げる。
「俺はコルボスだ、コボルトの首領をやっている。そして俺は漁師だ。今日はクロマグロが数匹揚がった。晩飯は豪華になるぞ!」
「ほんとですか‼」
カミラが食いつく。
眼が欄々としている。
「お、おう!」
その圧力にたじろぐコルボス。
コルボスも今ではゴンズ様から免許皆伝を貰っており、更に守のクルーザーを受け継いだことにより、海の覇者になっていた。
このクルーザーを受け取る時には一悶着があった。
ゴンズが俺にも寄越せと守に詰め寄ったからだった。
だが守に一蹴されてしまう。
造れるだけの技術は伝授しましたよと。
これを機に守はゴンズをゴンズさんと呼ぶ様にした。
それを嬉しそうに受け止めていたゴンズだった。
そしてコルボスはサウナ島に倣い、今後は養殖に乗り出そうと、暇を見てはサウナ島に行き、レケの指導を受けていた。
ある意味師匠越えをしてしまいそうなコルボスである。
その働きもあって『シマーノ』は海鮮の宝庫になっていた。
『シマーノ』の海産物はとても充実している。
それは全てコルボスのお陰だった。
それに海産物といっても何も海のものに限った話ではない、川から捕れる魚もあれば、海苔なども加工物も充実していた。
今では『シマーノ』は食の宝庫となっているのだ。
「コルボスの兄弟、昼飯は食ったのか?」
オクボスが気を使う。
「おお、済んでいる。ありがとう」
「では兄弟も揃ったことだ、話を始めようか」
プルゴブが仕切り出した。
「ああ、お願しようか」
ソバルも快く答える。
「ではエリカ殿、ファビオ殿、カミラ殿、サポートを頼みますぞ」
「お任せを」
「心得ました」
「畏まりました」
プルゴブはエリカについて話を始めた。
全員が押し黙って話を聞いている。
途中に信仰宗教国家『イヤーズ』の名前が出てからは緊張が続いた。
全員が現状を把握できている証拠だった。
特にソバルは信仰宗教国家『イヤーズ』が未来に起こりうるダイコクの消息不明事件に関わっていると睨んでいた。
その眼光は鋭い。
時折エリカやファビオが言葉を重ねて、概ねの話は伝わった。
話し終え、会場は不思議な一体感を得ていた。
時間は掛かったが、全員がそんなことは気にしていない。
首領陣のエリカを見る視線が変化した。
「なんと、僥倖ではないか!」
「流石は島野様、とてつもない強運」
「そうだな、何もせずとも向うから現れてくれるとは、正に鴨葱ではないか、島野様は凄いな。否、もしかしたらこれすらも予想していたことかもしれん」
「ええ、島野様ならあり得るわ。島野様に不可能は無いもの」
「間違いないのう」
魔物達は守を過剰評価している。
守にはエリカの存在は分かるはずもない。
こと守のことになると、眼を狂わす魔物達だった。
だが話を真面に聞いてしまったエリカ一同は絶句していた。
(私の事を予想していたですって?そんな馬鹿な・・・否、これまで聞いてき島野様の人物像からだとあり得るのかもしれないわ、これはいけない、もっと島野様を上方修正しなくては)
その様にエリカは捉えてしまっていた。
そもそも魔物達は守を過剰評価していているので、五割増しスタートなのだ。
守がこの場にいたら間違いなく言っていただろう。
やれやれと。
「それにしても、エリカ殿。よくぞ亡命を望んでくれた。こちらとしても快く迎えさせて貰おう。なあ兄弟達よ!」
ソバルは上機嫌に言った。
「そうだ!」
「我が国にようこそ!」
「お友達になりましょうね」
「嬉しい出会いだ!」
こうしてあっさりとエリカ一同の亡命は受け入れられることになった。
魔物達の懐の深さに涙するエリカだった。
「・・・ありがとうございます・・・」
それをにこやかに頷く首領陣。
ファビオとカミラも安堵の表情を浮かべている。
「こうしてはいられん、兄弟よ。早く島野様に伝えねば!」
「そう焦るなソバルの兄弟よ、分かっておるわい。クロマル殿はおられるか?」
その言葉を受けてクロマルが入室してきた。
「クロマル殿、聞いておったのじゃろう?クモマルの兄弟に連絡を頼めるかのう?」
「元よりそのつもりだ、既に連絡は付いている。直にクモマル様は島野様一同を伴って来られるに違いない」
「相変わらず仕事が早いのう、クロマル殿は」
この言葉にクロマルは薄っすらと口元を緩める。
オクボスが疑問を口にする。
「ちょっと待ってくれ兄弟、島野様は『ルイベント』と『ドミニオン』の同盟の件で忙しいのではないのか?」
クロマルが口を挟む。
「大丈夫だ、既に両国にバトンは手渡されている。島野様達は魔道王国『エスペランザ』に向かおうと準備をなさっている」
「それならよいのだ、では島野様達の到着を待つとしよう」
この発言を受けてエリカに衝撃が走った。
(『ルイベント』と『ドミニオン』の同盟ですって?そんな・・・あの『ドミニオン』が同盟を結ぶだなんてあり得ない。だってあの国の主権は貴族達が握っていたはず。あの道徳心の欠片もない貴族達が『ルイベント』と手を結ぶですって?『ルイベント』といえば英雄と名高い国王のスターシップがいる。スターシップもそんな国と同盟を結ぶなんて考えられないわ。もしかしてあの貴族共を一掃したとでもいうの?まさかね・・・)
「ちょっと待ってください『ルイベント』と『ドミニオン』が同盟を結ぶってことなのでしょうか?」
タイミングよくカミラが疑問を投げかけた。
まるでエリカの心を代弁しているようだ。
「そうじゃ、島野様に不可能はないのじゃ、島野様は悪事を働く腐敗した貴族共を一斉に検挙し『ドミニオン』を正常な国に造り変えたのじゃ、それもものの一日でじゃ。流石は島野様じゃわい。ガハハハ‼」
(嘘でしょ?あり得ない・・・)
エリカは言葉を発することも出来なかった。
(島野様・・・凄すぎる・・・)
「そんな馬鹿な・・・あり得ない・・・」
「カミラ殿、驚くのもよく分かるぞ。だがこれが島野様なのだ」
コルボスは自分の事の様にどや顔をしていた。
それも頷けるものだ。
魔物達にしてみれば、何よりも守が最優先されるのだから。
守の功績は誇らしいものなのだ。
自分の事の様に嬉しくて溜まらないからだ。
『シマーノ』の魔物達はどこまでいっても守を信じているし、崇拝している。
その想いに一切の揺らぎはない。
自分の父母、息子娘以上に愛情を注いでしまうのだ。
それぐらい加護を与え、名を与えてくれた守に心酔していた。
でも魔物達にとってはそれは当たり前のことでしかない。
それは朝出会ったら、おはようと挨拶することぐらい当たり前のことなのだ。
魔物達の信仰は強固だ。
時折過剰評価をしてしまうのがたまに傷なのだが・・・
そんな魔物達を見てエリカは比べてしまっていた。
なんでこんなに違うのかと・・・
あの人に向ける『イヤーズ』の民の信仰とはあまりに違う。
例えるならば、強迫観念と自由意志だ。
『イヤーズ』でのあの人に向ける信仰は、しなければならないとされているものだった、なぜならばそれが教義だからだ。
自らの意思では無く、そうしなければならないという教義なのだ。
だが魔物達が守に向ける信仰は、自らの意思で信仰したいと、心から想っているものだ。
その違いはあまりに大きい、冷静に努めようとするエリカでさえも、既に守を信仰しようとその心は大きく傾いていた。
信仰の違いを知ったエリカだった。
その時は急に訪れた。
一同が気を抜いた瞬間に、島野一家は会議室に現れた。
突然のことに一同が驚くことかと思いきや、魔物達は慣れているのか全員の口元が緩む。
だがエリカ達はそうはいかない、急な事に腰を抜かしそうになっていた。
だがそんなことはお構いなしに守は平然と声を掛ける。
「よう、お前達どうしてた?」
「「「島野様!」」」
魔物達は席から立ち上がると、跪いた。
それに遅れてエリカとファビオ、カミラも跪く。
バタバタ感は否めない。
「お前達は相変わらず堅いなー、もっと楽にしろよ。さあ、立ってくれ」
笑顔で守は促す。
「「「はっ‼」」」
「それにそこの客人、俺に跪く必要なんてないぞ」
「有難きお言葉・・・」
エリカは呆気に取られている。
そしてここで初めて守の顔をしっかりと見た。
(この人が島野様・・・なんて日本人の顔をしているの・・・愛着が沸くわ・・・何で金髪?見た目は二十歳そこそこの男性だけど・・・存在感がデカい‼なんてオーラなの、これが本物の神!ああ・・・)
エリカは守から目が離せなくなってしまっていた。
エリカの瞳孔は開きっぱなしだ。
守はというと、真正面からじっと見られることに照れていた。
照れを誤魔化そうと、
「ゴブオクンはいるか?」
と居るはずの無い者の名前を呼んでいた。
「島野様、ゴブオクンは狩りに行っております」
そうとは知らずプルゴブは真面目に答える。
「そ、そうか・・・それであのー、誰?」
そう問われて始めてエリカは守をガン見していたことに気づいた。
「も、申し訳ありません!島野様、私はエリカと申します。エリカ・エスメラルダです。よろしくお願いします!」
エリカは緊張でガチガチに固まっていた。
護衛の二人を紹介するのを忘れてしまうほどに。
それと気づいてプルゴブがサポートする。
「それと護衛のファビオ殿とカミラ殿でございます」
守は頷いた。
「エリカさんに、ファビオさん、それにカミラさんですね。どうも始めまして、島野守です。よろしく、まずは座ってください」
こうしてエリカは遂に守との出会いを果たしたのだった。
見た目としては印象の薄い三十歳台の女性だった。
その印象の薄さに俺は違和感を感じていた。
これは何かの魔法の効果か?
護衛の二人からはそんな気配は感じない。
だが、それよりもなんでこんなにガン見されるんだ?
ちょっと照れるじゃないか、これは誤魔化さないと間が持たないな。
「ゴブオクンはいるか?」
なんてな、いる訳無いよな、だって首領陣の集まりだって聞いていたし、でもゴブオクンに会いたいな。
だってあいつといると笑えるしね。
顔を見ただけで爆笑だもんな。
「島野様、ゴブオクンは狩りに行っております」
「そ、そうか・・・それであのー、誰?」
そろそろ自己紹介してくださいよ。
「も、申し訳ありません!島野様、私はエリカと申します。エリカ・エスメラルダです。よろしくお願いします!」
緊張でガチガチじゃないか。
やっとガン見が終わったな、よかった、よかった。
知らない女性からガン見されるのってなんだか嫌だな、もしかして社会のドアが開いていた?とか顎に食べ残しが付いていた?なんてことがあったからね。
恥ずかしいったらありゃしないよ。
「それと護衛のファビオ殿とカミラ殿でございます」
護衛ね、まあ見た目から分かってはいたけど。
「エリカさんに、ファビオさん、それにカミラさんですね。どうも始めまして、島野守です。よろしく、まずは座ってください」
三人は立ち上がって深くお辞儀をした。
これまた礼儀正しいことで。
「島野様、こちらの方々の話を聞いてください。決して損はなさらないかと」
プルゴブは意味深な視線を送ってきた。
「ほう?プルゴブ。お前がそう言うのなら聞くしかないな」
「有難き幸せ」
実際プルゴブの判断力に俺は信頼を置いている。
こいつは俺に従順な上に、俺にとって何が重要かをよく考えている。
信頼に足りる奴ということだ。
「主、少々お待ちください、そこの女!主に失礼ですよ。いい加減その隠蔽の魔法を解きなさい」
ゴンが隣から入ってきた。
やっぱりな、そういうことか、変化の得意なゴンなら気づくだろうとは思っていたが。
「そうだよ、あり得ないよ」
ギルも見抜いたみたいだ。
やるじゃないかギル。
ノンとエルは平然としている。
多分気づいてはいただろうが、興味はないという処かな。
クモマルは呆気に取られていた。
顔を青ざめるエリカさん。
「も!申し訳ございません!失念しておりました。ご容赦くださいませ!」
というとエリカさんは隠蔽魔法を解いた。
見事な隠蔽魔法だと認めざるを得ない。
声まで変わっている。
これまでの印象の薄い外見から全く違う女性が現れた。
気品漂う高貴な女性だった。
年の頃は三十歳ぐらいだろうか、慎ましくも意思の強さが伺える強い光を帯びた眼差しをしていた。
とても綺麗な顔立ちをしている。
西洋風の美女と言ってもいいだろう。
目鼻立ちがくっきりとしていた。
隠蔽魔法を解いたことに首領陣は驚きを隠せないでいた。
こいつらでも気づけなかったとは、相当レベルの高い隠蔽魔法なのだろう。
それを気づいたゴンとギルは流石ということか。
「訳あっての隠蔽だろうが、ここからは本音で頼むよ、エリカさんも疑われるのも本意ではないだろう?それにお前達も気にしなくていい、エリカさんの隠蔽魔法の手腕は本物だからな」
プルゴブとソバルは恥ずかしそうに下を向いていた。
「ご厚意痛み入ります、今後は隠蔽の魔法は一切使いません」
いや、そこまでは求めてないよ。
まあいいか、先を急ごう。
「ではエリカさんとやら話を聞こうか?」
仕切り直しだな。
「ありがとうございます、私の事はエリカとお呼びください」
エリカの表情が引き締まったのが分かる。
さてどんな話が語られるのやら。
「私は転生者であります」
いきなり凄い事を言い出したよ。
「ほう、転移者ではなく転生者か?」
「そうであります、島野様は転移者ですよね?」
なぜ知っている?
「そうだ、良く知っているな?」
「失礼ながら調べさせて頂きました」
なるほど、調べは付いているということね。
まあいいでしょう、他意は感じないし。
「それで、その転生者さんが俺にどんな御用で?」
「担当直入に申し上げます、私達三人をこの魔物同盟国『シマーノ』に亡命させてください」
エリカ達は再び頭を下げた。
「それは俺では無く、こいつらに聞いてくれ、この国は俺の国では無い。こいつらが造り上げた国だ、俺はそれをサポートしたに過ぎない」
この言葉を首領陣は寂しくも、笑顔で受け止めている。
これまでに何度も俺はその様に言い聞かせてきたからね。
だからといって、決して魔物達を見放している訳ではない。
こいつらもそれをよく分かっている。
「実は既に首領陣からは了承を得ております」
「なら話は早い、良かったじゃないか」
エリカの表情が明るくなる。
「有難き幸せです。島野様にも認めて頂こうと考えたのですが、不要だったみたいですね」
「そうだな、それで?」
俺は話を促した。
「何処から話しましょうか、少々長くなりますがよろしいでしょうか?」
「なら飲み物を準備しよう、ゴン頼めるか?」
「お任せください」
ゴンはエルとマーヤを伴って飲み物を準備し出した。
首領陣も積極的に手伝っている。
俺はいつもの如くアイスコーヒーだ。
エリカ達も好きに注文をしている。
飲み物の準備が整ったので話を促すことにした。
エリカが訥々と話を始めた。
それは彼女の転生前の人生の話だった。
大使館に勤める父と、優しい母親と妹、家族について話をする彼女は実に活き活きとしていた。
彼女の家族への深い愛情が伝わってくる。
俺とは同じ時を過ごしたのが時代背景からよく分かった。
彼女が転生したのは、今より三十年ほど前のことみたいだ。
彼女は神妙な面持ちで俺に尋ねてきた。
「エリザベス女王はご健勝でしょうか?」
「ああ、元気にやっているみたいだよ」
ロイヤルファミリーのことは、テレビでたまにやっているからね。
「そうですか、それはよかったです」
ほっとしているのがよく分かる。
イギリスの地で暮らした人の愛情は、やはりロイヤルファミリーに向かうものだと思わされた。
転生した今ですらも、その精神性は変わらないものなのだと感心してしまう。
そして話は面白い方向へと変わっていった。
それはなんと日本文化への愛着と強い好奇心だった。
父親の影響で日本の文化に触れ、そのワビサビの精神とおもてなしの心に強く憧れを抱いたとの話だった。
更に日本には一度旅行で訪れたことがあるとのことだった。
その時に食した日本食が忘れられず『シマーノ』で食べた日本食に、涙を流してしまったと眩しい笑顔で語っていた。
俺は異国の人が日本の文化に触れ、その精神性に強く惹かれることがあることを知っている。
まさかこの世界に来てそんな人に巡り合うとは思ってもみなかった。
不思議な御縁だと思わざるを得ない。
俺の愛して止まないサウナだが、その本場はフィンランドである。
そんなフィンランド人も、日本のサウナ文化に一目置いていることも知っている。
日本人の文化や精神性はワールドワイドだと思ったものだ。
そして漫画について話をする彼女は躍動感に満ちていた。
それだけでも彼女が漫画を愛しているのが窺い知れた。
恥ずかしがりながら『シマーノ』の漫画喫茶に、一週間も缶詰状態であったことを話してくれた。
俺はそれを微笑ましく聞いていた。
この時点で彼女が悪感情を持ってここに居ない事が分かった。
そして話しは不意に佳境を迎えた。
ダンプカーに轢かれてその生を終えてしまったと。
その時に愛する家族と天国で暮らせると思っていたのだが、意図せずにこの世界に転生してしまったのだと。
その時を思い返していたのか、彼女の頬は涙で濡れていた。
彼女を俺は慮ることは出来そうもなかった。
でもその気持ちは痛いほどに伝わってきた。
俺はこの時すでに彼女に対して同郷者の一体感を感じていた。
この人は守ってあげないといけないと・・・
エリカの話は続く、
「エリカ、よく話してくれた、ありがとう。どうやら同郷の誼のようだ、出来る限りの協力はさせて貰うよ」
「ありがとうございます、本当に嬉しいです」
エリカは涙を拭っている。
「やはり、エリカ殿は島野様と同郷者だったのですね」
プルゴブが喜んでいた。
「そのようだな、これで同郷者は五郎さんに続いて二人目だ」
これに首領陣が沸く。
「おお!五郎様とも同郷者になるのですね!それは僥倖!」
「それは凄い!」
「なんと、やはりエリカ殿は島野様の同郷者であったか!」
「エリカ殿もいずれ神に成られるのでしょうね」
エリカは何とも言えない苦笑いをしていた。
俺の同郷者というだけでこの騒ぎだ。
なんだろうね?
まあ好きにしてくれ。
そしてエリカは表情を改める。
「ここまでお付き合いくださいましてありがとうございます」
「いいんだよ」
「でも話はここからが本題になります」
エリカの眼差しは真剣だ。
「ほう?それは?」
「私は新興宗教国家『イヤーズ』の主要メンバーの一人であります」
俺は気を引き締めた。
どうやらここまでと同じ空気感で話を聞く訳にはいかないみたいだ。
新興宗教国家『イヤーズ』といえば俺達の最重要案件だ。
俺は新興宗教国家『イヤーズ』は将来起こるであろう、ダイコクさんの消息不明事件の黒幕と睨んでいる。
それにどうしても宗教国家ということに違和感を感じざるを得ない。
この世界の異物と感じてしまうのだ。
「なるほど、それで亡命ということなんだな」
「そうです、これから私の知る『イヤーズ』の全てをお話させて頂きます。その上でもし私に出来ることがあるようでしたら、何なりとお申し付けくださいませ」
ちょっと待てよ、このままこの場で話をしていていいのか?
南半球に移った方がいいのか?
クモマル達が警戒を怠っていないからいいのか?
話の加減によっては場所すら変えた方が良いかもしれない。
『イヤーズ』の力を把握できていない今、最大限の警戒をするべきなんだろうか?
待てよ、それは大袈裟すぎるかもしれない。
まずは状況を見極めよう。
「分かった」
俺は頷いた。
「まず新興宗教国家『イヤーズ』はその名の通り、宗教が国の根幹を担っております。神様の顕現しているこの世界において、それは異質なことであると、地球を知る私には違和感があります。因に私はキリスト教徒です」
それは同感だな。
宗教国家なんて違和感があり過ぎる。
「国家の運営自体は王政を布いておりますので、国王の国であります。しかし国王のラズベルト・フィリス・イヤーズは、教祖であるあの人に逆らうことは一切致しません」
「あの人?」
なんで固有名詞じゃないんだ?
「はい、あの人です。教祖のことをイヤーズの国民はあの人と呼んでいます。あの人の本名を知る者は僅かな者に限られています」
「それはどうしてなんだ?」
「恐らく契約行為に関係しているのかと思われます」
そうなるのか、契約は必ず本名で行わなければならないのはこの世界でも一緒ということだな。
本名を知られてしまっては、勝手に契約を無効にされる可能性があるということか。
この世界での契約のほとんどは魔法で縛っている、だがその原理は単純でゴンに言わせればどれだけでも介入可能だということだった。
それはゴンの魔法の能力が著しく高いことになるのだが、今はどうでもいいことだろう。
「なるほど」
「そして私はあの人の本名を知っております」
どうしてエリカが?
「ほう?それはどうしてだ?」
「私の父はイヤーズの大貴族であり、私はその代行者として五人の老師の一人だからです」
なんとも言えない名前が出てきたな。
「五人の老師とは?」
「はい、五人の老師とはあの人を裏側から支える、ごく一部の有力者達で結成されている秘密結社でございます」
「ふーん」
よく聞く話だよね。
悪の組織ってやつかな?
秘密結社って・・・仮面ライダーかよ。
ヒィー‼てか?
「私はその一人である為、あの人の本名を知っているのです」
「そうか」
エリカは最重要人物であることは間違いない。
彼女の希少価値は測り知れない。
そしてあの人の本名がエリカの口から告げられる。
「あの人の本名はラファエル・バーンズ」
「ラファエル・バーンズ・・・」
この世界の者らしからぬ名前だな。
響きとしてはアメリカ人か?
「はい、お察しかと思いますが、おそらく転移者か転生者です」
「そうみたいだな」
というのも、この世界でファミリーネームを持つ者は少ない。
ファミリーネームを持つ者は、王族や貴族に限られているからだ。
前にマークとファミリーネームについて話をしたことがあるのだが。
「この世界ではファミリーネームを持つ事に価値を感じる者なんて、相当浮かれた奴ですよ」
とマークは話していた。
価値観の違いとはこのことだと思った。
家名を残すことに意味を感じないという価値観だ。
それはそれでそうだなと頷く俺だった。
大した資産も実績も偉業もないのに名前を残すことには意味を感じない。
名を残さなければならないほどの功績のある者であれば別だろうが。
さらにラファエル・バーンズという、その名前の響きからして、転移者か転生者では?と思ってしまったのだ。
それにそもそも宗教という概念を知る者は、地球での記憶がある者に限られると考えられた。
エリカの口ぶりからして確定はできないが、まず間違いないだろう。
俺はそう睨んでいた。
「『イヤーズ』が新興宗教国家を名乗り出したのは今から約百十年前になります、以降今日まで新興宗教国家を名乗っております。それより前はただの『イヤーズ』でした」
ということは、ラファエルが宗教を開いたのが百十年以前になるという事だ。
無難に考えてラファエルは百十年以前からの転生者か、転移者と考えるのが妥当であるが、実はそう簡単には結論付けることは出来ない。
なにより、五郎さんと俺と、そしてリョウイチ・カトウのこの世界に転移したタイムラグがあるからだ。
エリカは俺の時間軸と大差は無さそうだが、サンプル的にみれば、こちらの方が少ないのだ。
転移や転生の時間差は一定ではないと考えた方が正解のような気がする。
「あの国はラファエル・バーンズの国と言っても過言ではないでしょう」
「なんで国王のラズベルトはラファエルに従順なんだ?」
何かしらの理由がありそうだ。
間違っても一国の王だぞ。
その権限は計り知れないだろう。
それを王家に連ならない者に従うなんて・・・
余りに異様だ。
「それは、今の『イヤーズ』を造ったのはラファエルだからです」
今の国を造った?
「どういうことだ?」
「ラファエルは現代地球の知識を使って国を発展させたからです。更にその知識を駆使して、利権の全てを牛耳っているからです」
発展に伴って自分に利益が向くようにしたんだな。
これは少々考えなければならないことだ。
というのも実は俺も考えたことがあるからだ。
著作権を取るべきではなかろうかと・・・現に漫画喫茶では一部権利料を搾取している。
だがそれは微々たるものでしかない。
搾取していることに間違いはないのだが、可愛いものだろう。
俺がそうしなかったことには理由がある。
それは俺が生み出した物ではないからだった。
俺が研究や開発をして、一から造り出した物ではないからだ。
例えばサウナ島やシマーノでは普通に自転車が使われている。
自転車は俺が生み出した物では無く、異世界の知識を流用したものでしかない。
これを俺が生み出したと言うには憚られた。
それに著作権を主張するのは筋道が違うと考えたからだ。
だが、自分の知識であると言い張ることは出来る。
経緯は知らないが、転移であれ転生であれ、その知識は自分の一部であると言えなくはないのだ。
俺はそこに固執せずに有用な知識は広めて当然との価値観を持っていただけなのである。
何とも難しい所だ。
見方によってはどちらが正解とも取れるのである。
「それは水道であったりのインフラとかかな?」
であれば悪質に感じる。
その規模感はあまりに大きすぎる。
「正にそうです、水道を使うには利用料の一部をラファエルに支払う必要があります。それにどういった経緯でそうなったのかは分かりませんが、ラファエルは国の約半分の土地を所有しております」
「なるほど、土地の賃貸料も得ているということか、ラファエルは大富豪だろうな」
そんなに稼いで何がしたいのか?
「そうです、それにラファエルが開発した物品から、はたまた魔道具まで、権利が発生しているのです、後は橋の通行料もです」
ラファエル、強欲過ぎないか?
どしてそこまで利権に拘るのだ?
「それらすべてを契約で縛っているということだな」
「その通りです」
そうなると国王といえども逆らう訳にはいかないということだろう。
完全に首根っこを抑えられている。
反旗を翻されたら国が傾くということだ。
これはラファエルの国と言えるのは頷けるな。
それぐらいラファエルは『イヤーズ』に根を張っている。
これは直ぐにどうにか出来るものではない。
一朝一夕で解決できる隙は今の所ない。
「ですが契約に関わらず、国王のラズベルトはラファエルを信仰している節があります。それも盲目的にです」
どういうことだ?
「へえー、なんでだろうな?」
「定期的に国王はラファエルに謁見しています、ここに何かあるのではと私は睨んでいます」
エリカは何か心当たりがありそうだった。
そうか・・・洗脳か。
謁見時に洗脳を施して信仰心を高めているということだな。
エリカは大丈夫なのか?
念の為、俺はエリカに『催眠』の能力を使用した。
もしエリカにその兆候があったら、会話に違和感がでることだろう。
催眠状態で俺に隠し事は出来ない。
それに担当直入に聞いてみることも必要だろう。
俺は遠慮なくエリカに尋ねることにした。
「エリカは洗脳を知っているか?」
「ええ、存じております。確か日本では洗脳によって、凄惨な事件がありましたよね?」
オウム事件の事だな。
「そうだ、やはり知っていたか」
「はい、存じております。日本を愛する私にとっては、とてもセンセーショナルな事件でした。日本でもあの様な凄惨な事件が起こるのだと」
エリカは遠い眼をしていた。
当時を思い出しているのだろう。
「ああ、あれは酷かった。教祖は死刑になったよ」
「そうですか・・・私は実は当初から教祖のラファエルを胡散臭いと睨んでいました。その為、謁見も最小限にとどめており、洗脳を受けない様にして来たつもりです」
地球を知るエリカだからこそ、この様に出来たことだろう。
だが、まだ油断は出来ない。
それにしてもエリカは警戒心が高いな。
「そうか、すまないが君が洗脳を受けていないかどうかを、俺は少し前から確かめながら会話をしている。もしその素振りがあったら問答無用でその洗脳を解かせて貰うぞ。いいな?」
エリカは驚愕の表情を浮かべていた。
だが直ぐに表情を引き締めた。
「ありがとうございます。助かります」
「まあでも、君の亡命したいという想いは本心であるのは分かっているから、これは念の為の処置でしかない。安心してくれていい」
「畏まりました」
エリカは安堵の表情を浮かべている。
「続けてくれ」
「はい、話を戻しますが、宗教その物に名前はありません。ですが国民の大半はあの人教と勝手に名付けております。そのネーミングセンスの無さは笑えますが」
「だな、ダサすぎる」
あの人教ですって、全く笑えないね。
「ですね、教義は簡単です、毎日食事の前にあの人に祈りを捧げることです」
ちょっと待て、という事はあの人、つまりラファエルは神という事なのか?
だって祈りを必要としているという事は神気を欲しているということだ。
これは複雑になってくるぞ。
これまで俺の知る神は、皆その実績と慈悲深さで神になっていた。
宗教を開くほどの者が慈悲深いのか?
ここは何とも言えない部分だ。
宗教を開くことによって、何かしら救われたと考える者もいるのかもしれない。
否、待てよ。
この世界でラファエルが広めている宗教が、地球での宗教とイコールとなるとは限らない。
でも信仰心を集めるということは、ラファエルは神であることに他ならない。
ダイコクさん事件の黒幕が神だってのか?
それにポタリーさんの件はどうなっている?
・・・何か腑に落ちない・・・
まだパズルのピースが足りない気がする。
まだ話を纏めるには早すぎる。
焦ってはいけない。
「他には無いのか?」
「そうですね、年に二回必ずあの人を拝謁することが国民には義務づけられています」
「なるほど、それはどんな拝謁なんだ」
「あの人に向けて直接祈りを捧げるものです、千人単位で一斉に行う行事です」
「その行事には音楽や、映像はあったりするのか?」
「あります、決まって映像を見る様に強要されます、何とも言えない映像なのですが、私は真面に見ない様に気を付けていました」
それは正解だな。
間違いなく擦り込みだ。
やってくれる。
ラファエルは間違いなく洗脳を理解している。
もしかしてヒプノセラピストなのか?
だとしたら許せない。
こいつは捨ておけない。
何が何でも引きずり降ろしてやる。
俺の愛するヒプノセラピーを冒涜しやがって。
神が相手であったとしても俺は容赦しない。
ヒプノセラピーを悪用するんじゃないよ!
ヒプノセラピーは愛情の心理カウンセリングなんだよ‼
「エリカ、それは正解だよ。これで君の潔白は証明された、完全に君はこちら側の人物だ。おめでとう。君は俺達の仲間だ!」
この発言に一同が沸く。
「島野様が認められたぞ!」
「やった!新たな仲間が出来たぞ!」
「これはお祝いしなくては、今日は宴会だ!」
「エリカ殿!おめでとうございます!」
好きに騒いでいる。
「ありがとうございます、やはりあれは・・・」
エリカはほっとした表情をしていた。
「ああ、擦り込みだな。とある映像技術の一つで、深層心理に働きかける心理現象の一つだ。典型的な洗脳の技術だよ」
エリカは頷いていた。
「やっぱり・・・だと思っておりました・・・地球の時代の知識に同じ物がありましたので警戒しておりました」
エリカは鋭いな、この子は信用できるし、かなり優秀だ。
それに地球での知識も高いものがある。
この子に出会えて俺は幸運だったと思える。
「エリカ、これでラファエルがはっきりと黒だと俺は断定できたのだが、まだ情報が足りない。もっと情報が必要だ」
「分かっております。私の知る全てをお話しさせて頂きます」
「頼む」
ここからの話はとても深いものになった。
ほとんど俺とエリカのラリーになっていた。
もしかしたら首領陣の数名は付いて来れていなかったかもしれない。
現に首領陣ではないが、ノンは鼾をかいて寝ていた。
エルは何を考えているのか歯茎を剥き出しにしていた。
もしかして眠気を堪えていた?
まあこいつらはこれでいい。
ギルは本人なりになんとかついて来ようと頑張っていた。
ギルは何度も質問を挟んで、理解しようと努めていた。
ギルが質問し出してからは、首領陣もここぞとばかりに疑問点を投げかけてきた。
どうしても理解したいと、あいつらも必死だった。
ゴンは冷静に努めていたのだが、途中から理解が及ばなくなったのか、同じ質問を投げかけていた。
こいつらなりに一生懸命なのはよく分かった。
でもこれを責めてはいけない。
というのも、俺とエリカの共通の認識がこの世界での常識では無かったことがいくつもあったからだ。
例えばそれはラファエルが国造りに行った行為にあった。
ラファエルは数字に拘る質だったみたいだ。
時間や数量などの効率を重視する人物だったみたいだ。
その為、タイムテーブルや、生産性に拘る話が多かったのだ。
これは同郷者特有の会話になってしまったのかもしれない。
申し訳ないとも思ったが、俺はまずは自分の理解を優先させてもらった。
無論エリカもそう考えていたようで、とにかく俺に伝えようと必死に話してくれていたのだった。
俺はこれまで数字に拘ることをあまり披露してこなかった。
それには理由がある。
会社員時代の俺は実は数字に拘っていた。
なぜならそれが利益に直結していたからだ。
だが、この世界ではそれをしたくは無かったからしてこなかったのだ。
導入することは簡単だった。
だがこの世界には不向きだと思ったのだ。
そこに価値を見出せなかったからだ。
俺はのんびりとしたかった。
数的な管理と時間の管理をすることによって、生産性を上げることが出来ることを俺は骨身に染みて知っていた。
だがこの世界にはそれは似合わない。
そうあるべきではないと本能的に捉えていたからだ。
恐らくそういった側面を持ち出したら、それはそれで有効だと思われたのかもしれない。
もしかしたらマークやロンメル辺りは関心したのかもしれない。
でもそれはあまりにも機械的で俺は嫌だったのだ。
それに冷たく感じる側面も持っている。
だって俺達は管理される物では無いのだ。
俺達は自由意志を持つ者なのだから。
気楽に生きたい。
この世界はそうあって欲しと俺は考えるのだ。
時間に追われる人生を送って欲しくはない。
そう切に想うのだった。
ラファエル・バーンズを説明するのはとても難しい。
ラファエルは独特な感性と価値観を持っていたからだ。
彼を語るにはその生まれから説明しなければならない。
彼はアメリカのサンフランシスコに生まれた。
丁度、守が日本にその生を受けたのと同時に。
期せずして二人の生年月日は同じだった。
ここに何かしらの因果が生れていたのかもしれないが、それは二人には窺い知ることはできないことだ。
ラファエルの幼少期は街の悪ガキのボス的な存在だった。
多くの下っ端を従えて、自分は強いのだと喧嘩に明け暮れた。
ラファエルは同年代の者達に比べて身体も大きく、力も強かった。
でも時にはラファエル以上にデカく、頑丈な者もいた。
でも彼は喧嘩で負けなかった。
実は彼の喧嘩のスタイルは独特だったのだ。
虚を突くのが上手かったのだ。
ラファエルの喧嘩のスタイルは力で押している様に見えて、実は巧みに言葉で誘導するスタイルだった。
これは本能的なものなのか、彼が気づいて生み出したものなのかは分からない。
喧嘩相手にしてみると気が付いたら顎に一発を貰っているのだ。
これは堪ったもんじゃない。
始めはなんてことない会話から始まる。
やれ肩が触れただとか、唾が掛かったとかよくある喧嘩の切っ掛けだ。
其処での会話が彼はとても巧みだったのだ、その会話で自分のペースに持っていき、虚を突いて一発を入れるスタイルだ。
これをやられた者は堪らない。
虚をつかれた一発というのは、体力よりも理解力を持っていかれるのだ。
何が起こったのかと一瞬訳が分からなくなるのだ。
喧嘩の最中にそんな隙をみせたら致命的だ。
この一発が入ればもうラファエルのペースになる。
ここから巻き返すには尋常じゃない精神力が求められる。
そしてあまり知られていないことなのだが、その虚を突くスタイルは実は催眠に通ずるものがあった。
催眠には実は二つの誘導方法が存在する。
守が好きなのは呼吸法とイメージを駆使した誘導による催眠誘導だ。
そしてもう一つは速攻催眠と呼ばれる催眠誘導法である。
これは虚を突いたものであり、脳の隙を突いたものであるのだ。
具体的には、ビックリさせることにある。
大声を出してビックリさせてもいい。
いきなり虚を突いて後ろから押してもいい。
要はタイミングを外してビックリさせることに意味がある。
即ち虚を突くということだ。
虚をつかれた時、実は人間は潜在意識が剥き出しになってしまう。
人間はその様に出来ているのだ。
この状態で命じられると、命じられるままにしてしまうのが特徴的だった。
なんなら信頼できる身内で一度試してみて欲しい。
ビックリさせた瞬間に、眠れ!と強く命じてみると、被験者はあっさりと眠りに落ちてしまう。
安全を確保してから行うことをお勧めしたい。
いきなりバタリと倒れるから心して欲しい。
マットを配置することをお勧めしたい。
実はこの速攻催眠は、守もM氏から伝授された催眠誘導法でもある。
ただ雰囲気を大事にしたい守はあまりこの方法を取って来なかっただけで、やろうと思えば出来る方法ではある。
守にしてみればちょっと強引な催眠誘導法であるこの方法を、あまり好んでなかっただけに過ぎない。
だがその有効性を守はよく理解している。
そしてこれが問題なのが、ラファエルがこれに気づいてしまったことだった。
本能的なのか作為的なのか、虚を突くことを得意としていたラファエルがこれを知ってしまったのだ。
ラファエルの中で、一つの人攻略方が出来上がってしまった。
人は虚を突く時に命じると、そのままに従うのだと。
そしてラファエルはこれを誰にも教えることも無く、自分だけの人攻略法として後生大事に秘密にしていた。
ラファエルは独占欲が強い、そんなラファアエルが簡単に人攻略法を誰かに教える訳がなかった。
そしてラファエルは催眠に興味を持つ事になる。
その動機は人を従えるには催眠が有用であるのでは?
というものだった。
これが彼の人生、更には彼の運命を決定づけることになっていたのだが、この時のラファエルはそれを知る由もない。
実は既にこの時点において、速攻催眠は確立された理論であったのだが、ヒプノセラピーは狭い世界である。
一般人に知れ渡るほどの影響力は無い。
それを知らないラファエルは独自の方法で催眠を研究することになった。
彼はこれまでのガキ大将の側面を一旦捨て、催眠や心理学に関する本を読み漁ることにした。
そして自分なりの解釈で自分独自の理論を構築していく。
これが教えを請って誰かに師事していたら、また違ったかもしれない。
だが自分に異常な自信を持っている彼が、誰かから教えを乞う事はあり得ないことだった。
彼はこれによって、何かを学ぶことに一定の価値観を得ることになる。
それは単純なことで、勉強する姿が家族に喜ばれたからだった。
家族にしてみれば改心したのだと勘違いしてしまったのだろう。
それぐらい遠目には彼は変わったと見えていたのだ。
それにより、ラファエルはこれまでの素行とは違い、知識を得ることに価値を得ることになった。
それによって彼の学力はそれなりの評価を得ることになる。
結果、彼は大学に進学することになったのだった。
これは異例の話だ。
急に学力が挙がったことに訝しがる教師も数名いたが、実際にテストの点数が彼の実力を証明しているのだから物言いは付けられなかった。
優等生とまではいかないが、それなりの秀才と言えるぐらいの評価を得ていたのだ。
だがラファエルにとっては、それは興味を突き詰めてみた結果でしか無かった。
でも自分の事を低く見ている大人達を驚かせることに、爽快感は感じていたのだ。
彼は欲望に忠実だ。
そしてそんな自分に酔っていた。
俺は何でもやれば出来ると・・・
俺は天才なのだと。
実際彼は器用だった。
それなりに何でも熟してしまっていた。
というもの彼はコツを掴むのが上手かった。
大体の事が出来てしまったのだ。
これを彼は誇りに思っていた。
俺は他の者とは違うと・・・
俺は選ばれた存在であると。
これが不味かった。
この評価が彼の本当の実力以上であることを、彼は理解していなかったのだ。
彼は自分の実力や有益性を疑わない。
それが彼の誇りだったのだから。
彼は異常にプライドが高い。
本人はそれを認めないが、彼を知る者は皆、そのプライドの高さを指摘する。
でも彼はそれを認めない。
俺が間違える訳は無いと、俺を俗物扱いするなと、その指摘を受け入れることは無かった。
それ程に彼は孤高だった。
悲しいまでに・・・
でも彼はそれに気づいていない。
彼は自分が完璧だと信じていたからだ。
それほどに彼は自分の完璧性を疑わなかった。
ラファエルは、大学卒業後に大手保険会社に就職した。
彼の父は税理士であり、税理士事務所を経営している。
誰もが父の跡継ぎになるものだと思っていたが、彼はその道を選ばなかった。
父の税理士事務所は弟が継げばいいと、その道を選択しなかったのだ。
それにそもそも彼の父は放任主義者である。
ラファエルの弟にすらも税理士事務所を継いでくれなくてもいいと、考えていたぐらいだった。
結果的にはラファエルの弟がその会社を継ぐことになるのだが、ラファエルにとってはどうでもいいことだった。
ラファエルが保険会社を選択したことには理由があった。
それは営業の場において、彼がこれまでに学んできた心理学や催眠が有効なのかを検証したかったからだ。
もしこれが有効だった場合、巨万の富が得られるのではないか?とラファエルは考えたからだった。
この頃に彼はどうしたら巨額の金額を稼ぐことが出来るのかを、常に考えるようになっていた。
ラファエルは金銭欲に取りつかれ出していた。
ことある事に、どうしたら大きく稼ぐことが出来るのかを考えていたのだ。
動機は些細なことでしかない。
多くの金銭を持っていれば、凄いと思われるからだ。
そして世間的にも富豪を持て囃す風潮にあった。
ラファエルの本質は実はここにある。
彼はとにかく凄いと思われたいのだ。
俺は凄いということを、他者に認められることに大きな喜びを感じている。
本当の成功者にはあり得ない、醜い感情なのだが、彼はそれを正義と疑わない。
事実、本当の成功者と呼ばれる者達は、そんなことは微塵も考えてはいない。
でも彼は自分の完璧性を疑うことなくその考えを一切改めない。
これがラファエルがラファエルたる所以である。
保険会社の営業での彼の検証が始まった。
彼は営業活動に愚直に取り組んだ。
それはそうだろう、この検証如何では巨万の富が手に入る可能性があるのだから。
彼は寝る暇も惜しんで、営業活動に明け暮れた。
彼の知る心理学や催眠の手法を駆使して。
その努力は認められるものだった。
現に社内ではラファエルは働き者だと絶賛されていた。
そして一年が経った時、その成果が現れた。
彼は月間MVPの営業マンになっていた。
新規契約数の月間ランキング一位を獲得したのだった。
その時のラファエルの歓喜は凄まじかった。
でもそれは異質な喜びだった。
それはやっと自分の理論が結果として現れたのだと、自分を納得する為のものだったのだ。
同僚の賛辞も彼の心には響いていない。
俺はやはり天才なのだと、頷いていたのだ。
言葉ではありがとうと言いつつも、当たり前の結果だと、上から眺めていたのだ。
そしてこの結果が彼を助長させる。
要らない自信をつけさせたとも言える。
実際ラファエルは有頂天だ。
一つの結果がついてきたことに傲慢にすらなりつつあった。
ことある事にそれを周りに自慢し、その経緯を語って聞かせた。
成功とはこういう物だと自画自賛のオンパレードだ。
その時のラファエルは世界すらも我物にしたと言わんばかりの勢いだった。
そして語れば語るほど、その自己陶酔は深まっていった。
それは正に自分に酔っていたのだ、溺れる程に。
そうと知る第三者からしたら、これほど気持ち悪い者はいない。
だがそれを指摘できる様な人物を、彼は自分の周りにおいてはいなかった。
彼の言う事を素直に聞いて、それを凄い凄いと賛辞する者達しか、彼の周りには残っていなかった。
不審感や違和感を覚えた者達や、彼に苦言を呈する者達は、とっくに彼から離れていっていた。
それは、全く聞く耳を持たない彼に嫌気がさしていたからだ。
だが結果的にはラファエルの心理学と、催眠のテクニックを用いた営業活動は、上手くいった。
彼が睨んだ通り、その有効性が認められたのだ。
こうなるとラファエルは次の一手を考えだしていた。
彼独自のメソッドで何ができるかのかと・・・
検証結果が良かったいま、次に何を行うべきかを検討し出していたのだ。
そして彼は会社の設立を目論みだす。
だが、何を売ろうかとその商品が定まらない。
保険の代理店を開くのも手だったのだが、あまりその気にはなれなかった。
ラファエルは既に保険の業界を制覇したと考えていたからだ。
たった一度の栄光でしかないのに。
だがそれも彼の性格からしたら当たり前のことでしかない。
彼は何処か世間を舐めている節があったのだ。
それは人や物、何に対してもそうだ。
常に心の中では上から眺めていたのだ。
そして彼の行きついた結論は、今はまだその時ではないというものだった。
ある意味冷静な判断だと言えた。
そして彼はとあるビジネスと出会うことになる。
ネットワークビジネスと呼ばれる口コミ商法だった。
名前をベルーザと言う。
その手段はねずみ講に似ている。
厳密には違っており、合法ではあるのだが印象はあまりよく無い。
アムウェイという一世を風靡したネットワークビジネスを参考に造られた、ビジネスモデルである。
化粧品や健康食品をメインに、口コミで販売するビジネスであった。
そして彼が勤めていた保険会社は副業を認めていた。
彼は夜な夜なネットワークビジネスに明け暮れた。
結果、彼の収入は数倍に膨れ上がっていた。
もはや副業の粋を超えていた。
本業の数倍もの月収になっていたのだ。
そして彼は脱サラし、ネットワークビジネスを生業にすることにしたのだった。
この閉鎖された世界は彼にとっては独壇場だった。
実際に王様になった気分だった。
部下では無いのだが、自分から派生した枝葉の者達を顎で使い。
そして凄い凄いと持て囃されていた。
それは彼がそう仕向けたからだ。
そう、それは彼が最も望んだ世界だった。
彼は凄いと賛辞を浴びたいのだ。
それは彼の生きがいである。
実際彼は凄かった、傘下の枝葉をどんどんと広げていった。
その秘訣は彼主催のセミナーにあった。
彼は独自のメソッドでセミナーを開き、そこに人を集めさせた。
そしてまるで演説の様な講習を行う場であった。
それは如何に自分が優れていて、富を得ているのかを語る場となっていた。
彼は有頂天だった。
成功とは何なのかを声高に説明し、悦に達していたのだ。
ここで彼は上手く心理学を駆使することになる。
それは天才的とも言えた。
話の口調や声量、タイミングに拘り、人を惹きつけるテクニックを惜しげもなく駆使していたのだ。
更に彼はミーティングと称して、枝葉の主だった人物を厳選して集め、会議を行いだしていた。
これは彼にとっては暇つぶし程度に始めたことではあったのだが、これが彼を大きく道を踏み外させることになる。
ここで彼はこともあろうか、洗脳の実験を行い始めたのである。
その手法は多岐に渡る。
先に述べた速攻催眠や、過剰なストレスを与えて無意識を剥き出しにした状態で、暗示を与える方法など、様々な方法を使って洗脳を行っていったのだった。
だがあくまでそれは素人に毛が生えた程度の催眠である。
もしその場に守がいたらブチ切れていただろう。それぐらいの禁じ手である。
だが、そうとは知らないミーティングの参加者は、どんどんと彼の洗脳に掛かっていくのだった。
そして彼の信者とも呼べる者達がどんどんと増えていった。
彼は更に自分の組織を拡大していく。
最早大樹と呼ばれる程の巨木へと成長していた。
結果、彼はベルーザで五本の指に入るほどの収入を叩き出していた。
こうなってくると更に彼の周りの者達はヒートアップする。
彼に教えを請いたいと集まる者が後を絶たなかった。
それを助長させたのは彼の信者達である。
それを彼は満足して受け入れていた。
ラファエルはこの世の春を謳歌していたのだった。
だがそんな幸運は続かない。
人生は甘くないのだ。
次第にネットワークビジネスが下火になっていったのだった。
世間の風潮はどんどんと変わり始めていた。
これまでは富を得ている者を敬う風潮にあったが、それが多様化の社会にシフトしていったのだ。
流石のラファエルもこれを止めることは出来なかった。
日に日に彼から人が離れていった。
高収入を得ることが全てでは無いと、人の価値観は変わり出したのだ。
それに彼の洗脳実験を垣間見て、これはおかしいと指摘する者達が現れたのだ。
その者達の指摘は的を得ていた。
ラファエルの勢いはどんどんと鈍化していった。
彼の行うセミナーも、もはや人が集まる気配はなく。
閑古鳥が鳴いていた。
それを彼は受け止められず、洗脳した者達に教育と称して当たり散らしていた。
いくら洗脳を受けているといっても、限界はある。
それはそうだろう、洗脳とはいっても彼のそれはプロの所業では無い。
脇が甘いのだ。
簡単にその洗脳は解けるのだ。
彼の周りの者達は徐々に彼に不信感を抱き始めていた。
そして日に日に彼から人が離れていった。
それを繋ぎとめようと奔走するラファエルだが、功を奏していなかった。
時には脅すかの如く止めに入っていた。
そうすればするほど、ラファエルから人が去っていたのだ。
ラファエルにとってはどうしてそうなるのかを理解出来ていない。
気が付くと、もはや彼の周りには片指で数える程しか人は残っていなかった。
それに彼の収入も保険会社に勤めていたころの半分に成り下がっていたのである。
その現実をラファエルは受け止められない。
僅かに残った洗脳の抜け切らない者達に当たり散らし、無理難題を押し付けていたのだった。
何が何でも自分の王城を守ろうとラファエルは必死だった。
でも現実は残酷だ。
いつしか誰も彼に取り合わなくなってしまっていた。
ラファエルはこうなっても自分の間違いを見直さない。
自分に間違いは無いのだと、その矜持は捨てられなかった。
そしていつしか彼の人生はこれまでの煌びやかな人生とは、真逆な方向へと走り始めるのだった。
それはある一本の電話から始まった。
労働組合からの一報だった。
内容としては、数々の労働を押し付けられたことへの、労働の対価を支払えというものだった。
当然彼は労働契約も結んでなければ、社員を抱えたこともない。
だが彼は実は会社を設立していたのだった。
それはベルーザの商品を仕入れる際に法人を有していた方が、手数料を貰えると知ってのものだった。
そしてベルーザにおける労働が、それに当たると判断した労働組合が、組合員を通じて彼を断罪しようと動きだしたのだ。
彼はとにかく逃げることにした。
実はラファエルは攻めることは得意だが、攻められるとあり得ないぐらい弱いのだ。
敵わないと思う者や、理解に及ばない者から攻められると、逃げるという特性をもっていた。
本当の彼は虚弱である。
余りに弱かった。
実際のところ、彼は第三者から見れば実に哀れだった。
敵わないとみるととにかく逃げるのだ。
ここで立ち向かえるだけの精神性は有していない。
そして逃げ切ることは叶わず、彼は多額の借金をすることになってしまっていた。
彼の転落人生はここから始まったのかもしれない。
もし立ち向かっていたなら違った結果であったかもしれないが、そうは成らなかった。
その後彼は完全に自分を見失う。
だがその強固なまでのプライドをまだ捨てきれないでいた。
でも限界はあった。
気が付くと多額の借金に追われる生活に成り変わっていたのだ。
そしてラファエルは気が付くと高層ビルの屋上にいた。
もはや精神を病んでいたのだ。
自分で自分を制御できる状態になかった。
それは異常に高すぎるプライドがそうさせたのかもしれない。
だが彼はそうとは気づけない。
ここで彼はふと何でだろう?と思い付く。
でも心と体のバランスを崩している彼の歩みは止まらない。
否、止められないのだ。
ラファエルは屋上の縁に一直線で歩んでいた。
彼は心では止まれと命じているのだが、それを全く身体が受け付けない。
徐々に屋上の縁が迫ってくる。
ラファエルはここで完全にパニックになっていた。
(何でだ‼畜生‼何で俺にこんな仕打ちをするんだ‼)
誰ともつかない誰かに責任を押し付けていた。
(嫌だ‼まだ終われない‼こんなところで俺は終わってはいけない‼俺にはもっと恵まれた人生を歩むだけの能力や実力があるのに‼まだ何かあるだろうが‼)
ラファエルは諦めない。
でもじわじわと縁が近寄ってくる。
(くそぅ‼これで終われるか‼まだだ‼まだ何かあるはずだ‼止まれ‼止まれよーーー‼‼‼‼)
この思いに世界が共感した、否、してしまった。
ラファエルの強い情念が奇跡を呼び起こしていた。
高層ビルの最上階から身を投げだしたラファエルは、異世界に転移していたのだ。
ラファエルは気が付くと中世ヨーロッパの町並みに似た表街道に佇んでいた。
人の往来が激しく、馬車が行き来している。
なんだこれは?とラファエルは我が目を疑っていた。
余りのことにショックを受けて、身体が固まっている。
もしかして精神のいかれた俺は幻覚を見ているのかと、ラファエルは戸惑っていた。
そこにとある人物がラファエルを呼びかける。
人の好さそうな、お腹のポッコリと出た初老の男性だった。
「ビビビビビビ・・・」
ラファエルにはそう聞こえた。
混乱した頭にこれまで聞いたことがない言語に、脳がついてこれいていなかったのだ。
話し掛けてきた人物を無視してラファエルは周りを見回す。
(ここは何処だ?・・・英国の田舎か?・・・否、そうでもないぞ・・・町並みは似ているが、文化的な物を見かけない・・・なんなんだいったい!どうなっているんだ?)
彼は現状を理解しようと必死になる。
頭を巡らせて思考を始めた。
それはラファエルには僥倖だったといえる。
精神を病んでいたラファエルには、一つのショック療法の様な効果が表れていたのだ。
彼の壊れた精神が徐々に回復しつつあったのだ。
そしてじんわりと話し掛けてくる人物の話に耳を傾けることができてくる。
「お・、な・をして・るだ?」
徐々に言葉が理解出来てきた。
「おめえ、何をしているだ?」
(何って?俺が聞きたいよ。なんだこいつ?)
ラファエルはその人物を見上げた。
「おめえ、もしかして異世界人だか?そんな服装の者をおいらは見たことがないだよ」
(異世界人?このおっさん何を言ってやがる?なんだよ異世界人って?・・・俺のことか?)
「おめえ、名はなんというだ?」
名を問われてラファエルは思わず返事してしまっていた。
「俺はラファエル・バーンズだ」
「おりょりょ?家名があるだか?おめえお偉いさんだか?」
「はあ?何をさっきから言っているんだ?おっさん」
「ナハハ!おっさんだか!そうだ、おらはおっさんだ!で、おめえは何でここにいるんだか?」
「それは俺が知りたいよ・・・」
「ははーん。やっぱりおめえ異世界人だな、ここの世界に来てまだ間もないだか?」
ラファエルは訝しむ。
(何なんだよさっきから異世界人って・・・俺のことか?・・・もしかして・・・俺は異世界に来たってことなのか?・・・ちょっと待て・・・俺はさっき・・・屋上から・・・そうか・・・そうなのか・・・俺はだ終わって無いのか!これは現実なんだ!)
ラファエルは歓喜した。
終わった筈の人生がまだ先があったのだと。
世界が俺の請願に答えたのだと。
そしてラファエルは考えを固める、それは自分に都合の良い方向へと。
(俺は死んでいない。これは世界が俺を死なせるには勿体ないと思ったのだろう。そうだ、そうに違いない!俺は天才だ!死なせる訳にはいかなかったということだ、そうに決まっている・・・そしてこの商人風情の者がいう通り、俺はこの世界にとっては異世界人なのだろう。この世界で俺はやり直せるということだな。否、やり直せということなんだろ?・・・いいさ・・・やってやる・・・俺の有用性を知らしめてやるよ‼俺は天才なんでね‼)
一度砕かれた心が再び形を成そうとしていた。
世界にとってはよく無い方向に。
「異世界人、ラファエルだか?それでおめえ、これからどうすんだ?行く当てはあるだか?」
「いや・・・無い。そもそも何で話が出来ているんだ?さっきは言葉なんて理解出来ていなかったはず・・・」
「なんでだか?おらには分かんねえだ」
(それよりも、このおっさんが言う通り、行く当てなんてどこにもない。それにこの世界の事を俺は何も知らない。どうしたものか・・・)
「おめえ、なんならおらの所に来るだか?おらは小さな商店を開いているだ。ちょうど住み込みの社員が退職して間もないだ、どうだ?おらの所で住み込みで働いてみるだか?」
ラファエルに再び幸運が舞戻ってきた。
(これは助かる、食い扶持と住む家が同時に舞い込んできたぞ・・・待てよ・・・俺の現状を知って低賃金で労働させようってことか?・・・否、身なりや顔を見る限り、そんな類の人物ではなさそうだ。お人好しなのが見え見えだ)
「ああ、助かる。そうさせて貰うとしよう。ところでおっさんの事をなんて呼べばいいんだ?」
「おらの事はザックおじさんとでも呼んでくれるだか?皆なそう呼んでるだ」
「ザックおじさん、よろしく頼む」
ラファエルは立ち上がると右手を差し出した。
ザックおじさんは握り返すと、
「うんだ、こちらこそよろしくだ」
ニコニコと喜んでいた。
こうしてラファエルはザックおじさんに着いて行くことになった。
ザックおじさんのお店は、所謂道具屋だった。
取り扱う品目は多い。
生活必需品が中心ではあるのだが、様々な品物が所狭しと並んでいる。
防具や武器もある。
中には魔道具まで取り揃えていた。
ラファエルには二階の一部屋が貸し与えられた。
狭く小さな部屋ではあったが、ラファエルは文句を言わなかった。
今日は食事を取って、眠ることになった。
食事も味気ない物であったが、腹を満たせただけ益しと受け止めていた。
ラファエルにとっては味を感じる食事など久しぶりなのだ。
食事の最中にラファエルはザックおじさんに、この世界について教えて貰おうと考えていたが、ザックおじさんからそんなことは何時でも学べるからと、食事を優先する様に促された。
ザックおじさんの計らいで、疲れているだろうからと、早々にラファエルは眠りに着くことになった。
だがラファエルは直ぐには眠れなかった。
ラファエルは興奮していたのだ。
新たなスタートを切れると喜んでいたからだ。
でもこれまでの自分が頭を過る。
精神が壊れてからの自分の事はあまり覚えていなかった。
所々記憶はあるのだが、思い返したくはなかった。
ベルーナでの栄光はまるで遠い過去だと感じていた。
(俺は何処で間違ったのだろうか?・・・)
ラファエルは考えを巡らせる。
(俺の何処に落ち度があったというのか?・・・否、俺は間違ってなどいない。俺から離れていった奴らが間違っているのだ)
ここに来てなお反省しないラファエル。
(まあいい・・・こうして再スタートを切ったのだ。必ず上手くやってみせる。俺なら出来るはずだ。俺の王国を築いてみせるぞ!)
こうして夜は更けていったのだった。
翌朝、朝食が出来たとザックおじさんにラファエルは叩き起こされた。
とても深い睡眠がとれたことにラファエルは満足感を覚えていた。
実に数年ぶりに真面に寝られた気分だった。
朝食も呆気ない物であったが、ラファエルにとっては味を感じることに満足出来ていた。
堅いパンと薄味のスープ。
栄養など一切無さそうな食事ではあるのだが、そんなことは今のラファエルにはどうでもよかった。
「それで、ザックおじさん。俺はどんな仕事をすればいいんだ?」
「おりょりょ?ラファエル、やる気満々だか?」
「そりゃあそうよ、ザックおじさんには拾って貰った恩があるからな。たくさん働いて早く恩返しをしないとな」
「なはは!大いに結構、ラファエルにはまず店の事を知って貰うだ、取り扱う商品のこと、来店してくれるお客さんの対応、そうすることでこの世界の事も次第に分かってくるだ」
(このおじさん、案外思慮深いんだな、ただのお人好しではなさそうだ)
「それで?」
「そうしたら、その先は好きにしてくれていいだ」
「はあ?好きにするって・・・」
(なんだこの抱擁感は・・・あり得ないだろう?・・・まあ俺にとっては自由が約束されて嬉しくはあるのだが・・・この世界ではこれが常識なのか?)
ラファエルは不思議な感覚に捕らわれていた。
今までに感じたことのない、自由である。
「おらには異世界人のことはよく分からないだ、これでもおらは商売人だ。人を見る目は持っているだ。おめえはここのお店で一生を終える様な器ではないだ。おめえには世界を変える何かがあるだよ」
ザックおじさんから思っても見ない一言が発せられた。
「えっ!」
ラファエルは頬を伝う涙を拭うことが出来なかった。
これまでラファエルは自分を認めさせようと必死だった。
でも目の前にいる、冴えないおじさんからは、話も碌にしていないのに、自らを認めてくれる一言が飛び出してきたのだ、それも最大限の。
ラファエルは生れて初めて涙を流した。
抑えきれない感情に飲み込まれそうだった。
でもその感情は嬉しいものであり、ラファエルにとってはこれまでの自分を変えるほどの衝撃だった。
ラファエルは優しさに包まれている気分だった。
そんなラファエルをザックおじさんは笑顔で見つめていた。
こうしてラファエルの異世界での生活が始まった。
ラファエルは一生懸命働いた。
そしてザックおじさんの言う通り、お店の事を知れば知るほど、この世界の事を理解出来てきたのだった。
まずラファエルが住むこの国は『イヤーズ』という国であること。
世界は平和で、戦争などは皆無であること、多少の国家間での小競り合いはないことはないが、大きな争いに発展することはあり得ないことだった。
文化レベルは中世ヨーロッパぐらいであり、文化的な暮らしをしてきたラファエルにとっては少々物足りなさを感じていた。
だがラファエルは魔道具に心を掴まれた。
それと同時にこの世界には魔法があるということを知った。
現代の地球にはない、極めて価値の高い社会形態であると認識したのである。
さらにラファエルは自分にも魔法の適正があることを理解した。
現在のラファエルのステータスは以下の通りである。
『鑑定』
名前:ラファエル・バーンズ
種族:異世界人
職業:商人見習いLv3
神気:0
体力:345
魔力:368
能力:土魔法Lv1 火魔法LV1 鑑定魔法LV1 催眠魔法LV1
ラファエルは衝撃を覚えた。
始めて使った魔法は土魔法だった。
当初は魔法の発動に苦しんだが、コツを掴むことが得意なラファエルは直ぐに魔力の流れを掴むことが出来た。
地面から土が盛り上がる様を見た時は感動を覚えたものだった。
そして催眠魔法は使わないことをラファエルは決心した。
どうしてこんな魔法が使えるのかラファエルは理解に苦しんだが、これは固有魔法であり、ラファエルの特性に応じて根付いた魔法であった。
今のラファエルは催眠と距離を置きたい気分だった。
地球の頃を思い出させる催眠には忌避感があったからだ。
だが鑑定魔法をラファエルは大いに使用した。
というのも、鑑定を行うのはあまり褒められたことでは無いと、ザックおじさんからは咎められていたのだが、ある客がザックおじさんのお店で窃盗を働いたことが切っ掛けで、ラファエルは問答無用で鑑定魔法を使うことになっていたのである。
自衛としては許されるであろうと考えたからだ。
それにラファエルとしても、ザックおじさんのお店に悪意を向けられることは許せなかった。
それほどまでにラファエルにとっては、ザックおじさんとそのお店は大切な存在になっていたのである。
ラファエルはそんな自分を好きになっていた。
自分以外の者にこんなに愛情を注げることに喜びを感じていたのだ。
そんなラファエルに、ザックおじさんも優しく接した。
時には厳しく叱責することもあったが、ラファエルもザックおじさんの言う事には耳を傾けた。
それほどまでにラファエルは、ザックおじさんを信頼していた。
遠目には二人の関係は親子のそれに見えていた。
肉親で無い事が嘘の様に二人は仲が良く、そしてお互いを信用していた。
ラファエルはこの世界の文明が低い事に速い段階から気づいていた。
だが、これを大きく変えるには資金が必要な事も分かっていた。
自らの力だけではインフラを整備するほどの力は無いと理解していたのだ。
そこでラファエルは魔道具に目を付けた。
魔石が潤沢にある北半球では魔石の価値は南半球程高くはない。
魔道具もいくらでもある、ありふれた道具だった。
魔石に可能性を感じたラファエルは自らの資金において、魔道具を造ることにした。
最初に手を付けたのは、魔道コンロの開発である。
火魔法を持つ者にとっては必要を感じない物ではあったが、火魔法の適正の有る者は全体の二割程度であることを知ったラファエルは、必ず魔道コンロはヒット商品になると考えたのだ。
ラファエルはザックおじさんの協力の元、魔道コンロの開発に必要となる人物を紹介して貰い、商品の完成に漕ぎつけた。
魔道コンロの販売当初はいまいちの売行きであった。
そこでラファエルは自ら店頭に立ち、まるでテレビショッピングの様に面白可笑しく商品を宣伝しだしたのだ。
それはまるでバナナの叩き売りともとれた。
これが面白いぐらいにウケた。
飛ぶ様に魔道コンロは売れ、ラファエルの睨んだ通り、ヒット作品となっていた。
ラファエルは有頂天になった。
自らの能力に鼻を高くしたのだった。
ラファエルの悪い癖が再発しだしたかに思えたが、そうは成らなかった。
それを抑え込んだのはザックおじさんだ。
「ラファエル、おめえは凄えが今回の成功はおめえだけのものではないだ。手伝ってくれた鍛冶職人や、おめえの商品が良いと口コミしてくれたお客様のお陰だ。決して自分だけの手柄とは思うでねえだ」
こう口酸っぱくラファエルに言い続けたのだ。
ラファエルも、
「ザックおじさん、分かってるっての、それ言うの何回目だよ?」
と受け止めていた。
このザックおじさんの苦言が無ければ、ラファエルはまた自信過剰になっていただろう。
そして同じ過ちを繰り返すことになっていたに違いない。
ラファエルはそこで得た資金を基に、新たに魔道具を開発していくことになる。
そのどれもがヒット商品となっていく。
特に冷蔵庫の売れ行きは凄かった。
氷魔法と風魔法を付与した魔石を、鉄で囲まれた立方体に備えつけ、冷蔵庫の劣化版が出来上がっていた。
この商品の難は、取っ手まで冷えてしまい開け締めする時に、冷っとすることだった。
だがそんな些事は気にするなと、ラファエルはその商品の有効性を説き、国中に向けて販売を行ったのである。
これは革命的なことである。
これまでの、食料品の保存期間が飛躍的に伸びると、誰もが競い合う様に買い漁っていたのだった。
そんなラファエルに世間が注目を集めるのは必然であった。
ラファエルは好意的にそれを受け止めていた。
自分に注目が集まることが大好物なラファエルである。
放置すればすぐにでもラファエルの鼻は何処までも高くなる。
しかしそこにはザックおじさんの苦言が入る。
ここでもまた、ザックおじさんがラファエルを救っていた。
ラファエルはまだ本質的に変われた訳ではないのだ。
簡単に元の傲慢な自分に戻ることができる。
まだまだ危うい精神状態なのだ。
ザックおじさんとの出会いはラファエルにとって本当の幸運であった。
この冴えないおじさんが、実にラファエルの精神安定剤の役割を得ていたのだ。
そしてラファエルとザックおじさんに一報が届く。
それは王城に来て、国王に謁見して欲しいとの話だった。
これにザックおじさんは大喜びしていた。
小躍りするほどの喜び様にラファエルまで嬉しくなっていた。
これで多少は恩返しが出来たと胸を撫で降ろした。
「ラファエル!これは凄いことだで、おめえ遂にやったな!おらは誇らしいだで!」
「何言ってるんだ、ザックおじさん。これもザックおじさんが支えてくれたからじゃないか?」
「ラファエル・・・おめえ・・・泣けること言うんじゃねえだか。泣いちまうだろ。止めるだ!」
ザックおじさんは涙を流していた。
それを誇らしくラファエルは眺めていた。
国王に謁見する時がやってきた。
この日の為にとザックおじさんが用意した一張羅を着込んでいる。
なにもそこまでしなくてもとラファエルは思ったのだが、言うのは止めておいた。
ザックおじさんの喜び様に、水を差す気にはなれなかったからだ。
ラファエルはザックおじさんの為にと、趣味では無かったが付き合うことにした。
お店の前に王城からの使者と馬車が到着した。
それを緊張した面持ちでザックおじさんが迎えていた。
その様を見てラファエルは、
「ザックおじさん、緊張しすぎだろ?もっと肩の力を抜けよ」
「ラファエル・・・そうともいかねえだ、だって国王様と会うんだで」
「そうはいうけどよ、王様だって同じ人間だろうが?」
「まあ・・・だな」
ザックおじさんの歯切れは悪い。
「異世界人の俺にはよく分からんが、そんなに王様は偉いのか?それに王様に会うことがそんなに栄誉なことなのかよ?さっきも言ったけどよ、同じ人間なんだぜ。たまたま王家に生まれただけのことだろうが?」
ザックおじさんは何も言い返すことは出来なかった。
「まあよう、気楽に行こうぜ!」
ラファエルは呑気に言う。
ラファエルにとっては王様だろうが一人の人間であるというスタンスである。
実にアメリカ育ちの価値観であった。
ラファエルは何処までも実力主義者なのである。
国王であれど、その人的価値が低ければ、彼にとっては一般人と変わらない。
その立場には憧れはあるのだが、あくまでその所業を見させて貰うと、高圧的な態度は崩さない。
アメリカの大統領であっても、無能と判断したら認めることはないのだ。
ここの本質的な部分に関しては、ザックおじさんでも変えることは出来なかった。
否、反論できなかったのだ。
そして遂に両者は『イヤーズ』の国王と謁見することになったのだった。
警護の兵士に誘われるが儘に、ラファエルとザックおじさんは歩を進めた。
そして王の間に入場することになる。
王様の脇には大臣が数名と、警護の兵士達が背後と両脇を固めていた。
その姿にラファエルは苦笑する。
(豪華なことだな)
その苦笑が気にいらなかったのか、数名の護衛と大臣が鼻白む。
これは不味いと思うザックおじさんだったが、王の御前であると、口を挟むことが憚られた。
(ラファエル、おめえなにやってんだ?帰ったら説教だで)
ザックおじさんは誓う。
ラファエルから見た国王は凡庸な印象だった。
この国王はその名をバハムート・メール・イヤーズという。
その実力はラファエルの印象通りの凡庸な王様である。
だがそんな王であっても特徴があった。
それは刺激的なことや、新しい物が大好きなのであった。
要は流行好きという事だ。
この娯楽の少ない世界にあって、その性格は可哀そうとも言える。
でもその性格は治すことは出来ない
国王の立場に立ってからというもの、誰もバハムートに意見を言えない状況にあったのだから。
王の御前にてラファエルは跪かない。
ザックおじさんは当然の如く跪いている。
ラファエルは両手を組んで顎を上げている。
その態度に大臣の一人が言い放つ、
「おい!お前失礼にもほどがあるぞ、跪け‼」
本気で怒鳴っていた。
大臣としても王の威厳を貶める訳にはいかないのだ。
それを平然とラファエルは回答する。
「お前アホか?呼びつけたのはそっちだろうが?俺はこんな所に来たくはなかったんだがな、別に俺はそこの王様に忠誠を誓った覚えは無いぞ。ああ、言っておく。これは俺の考えであって。俺とザックおじさんは別の価値観だから、ザックおじさんを巻き込まないでくれ」
大臣達がいきり立つ。
「何を言っている!無礼者!ええい!不敬罪にせよ!この様な礼儀知らずな者など今直ぐ牢獄に閉じ込めてしまえ‼」
「そうだ!摘まみだしてしまえ‼」
ラファエルは気だるそうに首を振っている。
「だからさあ・・・言っただろ?俺は別にここに来たくて来たわけではないんだっての、一方的に呼びつけておいて、無害な一般人を牢獄に入れようってか?それが本気ならこの国は腐っているぞ」
「なっ!・・・」
ラファエルの反論に大臣は言葉を飲み込む。
「まあ、よいではないか。その者が言う事も一理ある。確かに呼びつけたのはこちらである。ここはまずは来てくれた礼を言うのが礼儀というものではないのか?」
バハムート国王は寛容に言葉を掛けた。
ラファエルは思う、
(ほう、話の分かる王様じゃねえか。これは面白い)
ラファエルは心の中でニヤリと笑っていた。
高圧的は態度を崩さない。
「それで俺達を呼びつけた理由を聞こうか?」
何処までも怠慢な態度に護衛の者達と大臣達は苛立っている。
だがバハムート国王からのお達しにより、声を挙げることは出来なくなってしまった。
「お主はラファエルというらしいではないか、そして異世界人であるとな?実であるか?」
「ああ、間違いない」
ラファエルは頷く。
「ほう、その異世界の知識でたくさんの魔道具を開発したと聞いておる、違いないか?」
「違わないな」
ここでラファエルはピンとくる。
なるほど、ここに俺達を呼びつけた理由があるんだな。
目的は俺の異世界の知識だろうとラファエルは当てを付けていた。
「ホホホ、素晴らしいではないか。この国にも異世界人が来ようとはな、創造神様に感謝であるな」
「創造神だと?」
知らない言葉にラファエルは訝しむ。
「ほう、お主。創造神様を知らんと見受けられるが?」
「知らねえな、俺は無信仰者なんでね」
「そうか、それはまた・・・剛毅な者よ・・・」
バハムート国王はたじろいでいた。
ラファエルはこの反応に違和感を感じていた。
(何がおかしいってんだ?無宗教論者なんて珍しくもないだろうに)
この時ラファエルはまだ知らなかった、この世界は神様が顕現している世界だということを。
この発言に場内がざわつく。
ザックおじさんとしては、いても経っても居られなかった。
だが、口を挟むことは出来ないジレンマに苛まれていた。
王の御前にして口を挟む訳にはいかないからだ。
「なんだってんだよ、無信仰者がそんなに珍しいのかよ?」
「お主、この世界に来てどれぐらいになるのだ?」
バハムート国王は不思議そうに尋ねていた。
「だいたい三ヶ月ぐらいだな」
その回答にバハムート国王はゆっくりと頷く。
「そうか・・・まあ知らぬこともしょうがないではないか。この世界は神様が顕現しておるのだよ。詳細はそこのザックにでも教えて貰うと良い。異世界人のお主には不思議であろう?」
「はあ?神様が顕現しているだって?嘘だろ!」
ラファエルは驚きを隠せない。
「ラファエル、詳細は返ってからだで」
ここでやっとザックおじさんは口を開いた。
「ああ・・・」
ラファエルは狐に摘ままれた気分になっていた。
でもここは直ぐに気分を入れ替える。
こういった所はラファエルは優秀である。
ラファエルの切り替えの潔さは天晴であった。
「まあいいさ、それで?話が逸れているな。で?俺とザックおじさんを呼びつけた理由を聞こうか?」
「そうであったな、これはすまん。お主が造った魔道具によって、この国には優秀な魔道具師がおると話題になっておってな、それで一度会いたいと思ったのだよ、それに聞くと異世界人というじゃないか、これは先ずもって会わねばと考えたのだよ」
やはりな、そこになるんだな。とラファエルは心の中で頷く。
どうやらこの世界での異世界人は価値が高いみたいだな、とラファエルはほくそ笑む。
「へえー?そうなのか。そんなに異世界人は珍しいのかよ、過去に何人も居たと聞いたんだがな」
「そうなのだよ、異世界人は豊富な知識と知恵を持っており、国を繁栄させると言われておるのだよ。知らなんだか?」
「知らねえな、なんだ?俺は貴重価値が高いってことかよ。これは笑えるぜ、ガハハハハハ‼」
この態度に再び大臣達が色めき立つ。
でもその反応とは違い、バハムート国王はその豪胆な態度に興味を抱いていた。
それはそうだろう、バハムート国王はそんな大胆不敵な人物が大好物なのだから。
「ホホホ、そうであるな。お主は貴重な人物だよ。して、その豊富な知識を披露しては貰えんだろうか?」
ラファエルは確信を得ていた。
まず、この国王は刺激に飢えていると。
そしてこの国にとって有益な知識を欲していると。
ラファエルは逡巡する。
その優秀な頭脳で、自分の価値を最大限披露するにはこの場は打って付けであるのではなかろうかと。
(これはチャンスだ!ここの立ち振る舞い次第では、俺は地球での俺を簡単に凌駕出来そうだ)
ここに来てラファエルの本心がムクムクと顔を出して来ていた。
タイミングが良くなかった。
今のザックおじさんにはラファエル止めることが出来ない状態にあったからだ。
これが王の御前でなければ、とっくにザックおじさんはラファエルを咎めている。
下手をすると拳骨を頭に落としていたかもしれない。
それぐらい横柄な態度と、上から眼線にザックおじさんは苛々していたのだ。
ザックおじさんにとっては、王様とは平伏して当たり前という存在なのである。
間違っても同じ目線で会話をしていい相手ではない。
それなのにラファエルは同じ処か上から話している。
最早ザックおじさんにしてみれば、常識を飛び越え過ぎて訳が分からなくなっていたのだった。
「そうか、異世界の知識をお披露目して欲しいのかよ。いいぜ」
「なんと!よいのか?」
バハムート国王は興奮を隠さない。
「ああ、そうだなあ。まずは水資源だな。この国にはクマル川がある、その川から水を引き込んで、上下水道を引き込むことができる。水道は大事だぞ。様々な病気は汚れた水から起こると言ってもいいからな。水道は水の安全だけじゃないぜ、とても暮らしが便利になるし、何よりも清潔になるからな。これは外せない」
「水道とな?どうすればそれを造れるのだ?」
バハムート国王は前のめりだ。
「そりゃあ金は掛かるぜ、まず欠かせないのは土魔法を使える者共が沢山いる。それに水道管を造る鍛冶師がいるな」
教えることにラファエルの上から目線は更に上からになっていく。
「どれぐらいいるのだ?」
「それはどれぐらいの工期にするのかによって変わってくるさ、数日中にどうにかできるほど安易な工事じゃねえからな」
「そうか・・・工期か・・・」
バハムート国王は考えを巡らせる。
「それにただ水道を引き込むだけでは意味がない、それを各家庭に配備してこそ意味があるんだ」
「各家庭にとな?」
バハムート国王は驚愕しつつも、水道を理解しようと努めている。
「ああ、そうだ」
ラファエルは満足げに頷いている。
「なんと・・・」
「何を気にしているんだ?確かに金と時間はかかるさ、でもこれを完備できれば、国民の満足度は格段に上がるんぜ。それにその噂を聞きつけて何人もの人々がこの国に暮らしたいと言ってくることになるんだぞ」
この言葉がバハムート国王の決心を固めることになった。
「そうか、ではやろうではないか!その水道工事とやらを‼」
バハムート国王は高らかに宣言した。
こうなってしまうと大臣達も口を挟むことは出来なくなってしまった。
勿論ザックおじさんもだ。
中には頭を抱える大臣もいた。
でもそんなことはラファエルにはどうでもいいことだ。
頭さえ押さえてしまえば、後はどうとでもなる。
言質を取ったと、腹の中ではほくそ笑んでいたのだった。
もうこうなるとラファエルは止められない。
地球時代のラファエルに戻ったかの如く、その表情は有頂天になっている。
現にその口元にはしたたかな笑みが浮かんでいた。
ここからはラファエルの独壇場だった。
更にラファエルは畳み駆ける。
興が乗ってきていた。
ラファエルは更に水道の有効性を説き、関心を集めた。
ここまでくると大臣達もその話術に見入っている。
中には心を掴まれている者もいた。
こいつは天才ではなかろうかと。
ザックおじさんは後悔の念に苛まされていた。
モンスターを王様に会わせてしまったと。
でも口を挟むことは出来ない。
意を決して、とも考えたのだが、もうその機はとっくに逃している。
諦めの境地で見守ることしか出来なかった。
ラファエルは止まらない。
具体的な話に及ぶとやはり主張したのは権利だった。
ラファエルが求めたのは水道の利用料の二割を寄越せというものだった。
流石にこれには待ったが掛かる。
暴利が過ぎたのだ。
「ラファエル殿、それはあまりにも莫大ではないだろうか?」
「そうである、一割でも多大な金額になるのではないのか?」
「これは欲張り過ぎであろう」
大臣達は頭を働かせて計算を行っている。
それはそうだろう。
考えてみて欲しい。
この世界で水道メーターなどという物は存在しない。
だが固定費として利用料を国に支払うとした場合に、現在の日本の二ヶ月に一度払う利用料で考えた際に、その二割の金額がラファエルに集まって来ると考えたら恐ろしい金額になってしまう。
『イヤーズ』の国民の総数は約七万人である。
仮に日本円で計算すると、およそ二ヶ月に一度の利用料が五千円であった場合に、毎月三千五百万円ほどの金額が得られる。
年収四億二千万にもなるのだ。
これは異常なことである、この世界においてこの収入はもはや王族以上に成りえるのだ。
国を興せる金額であるという事になる。
でもラファエルは決して譲らない。
これを飲まなければこの話は無しだという姿勢を崩さない。
譲る気はないとその視線が語っていた。
そしてあろうことか、バハムート国王はそれを認めてしまった。
「いいではないか、ここで大事なのはラファエルの収入ではなかろう?この国が今よりも豊かで住みたいと思える国になることではないのか?」
こう言われてしまってはもう逆らえない。
同意せざるを得ない。
「そうですな」
「であろうか」
「そうで御座います」
ラファエルはガッツポーズをしたい気分だった。
誰と競っている訳でも無いのに、心の中で勝った‼と叫んでいた。
これは大事だとザックおじさんは青ざめていた。
こうなるとラファエルは留まることを知らない。
もう誰にも止められない。
言質を取ったと、口元に下卑た笑いを浮かべている。
最早ラファエルは世界をその手に収めたと感じ始めていた。
「さて、詳細を詰めようか?」
既成事実が出来上がってしまった。
もうこれを覆すことは出来ない。
完全にラファエルは過去の自分に戻ってしまっていた。
これまでのザックおじさんの努力は水の泡に消えてしまった。
もうラファエルの目線の中にはザックおじさんはいない。
ここにきてラファエルは恩を仇で返すことになっているのだが、そうとは気づけない。
完全に調子に乗っていた。
本人にその気は全くないのだが、結果的にはそうなっている。
そうと気づけないほどラファエルは本能に忠実になってしまっていたのだ。
その後ラファエルは大枠の話を行い、後日打ち合わせを行うことに纏めた。
『イヤーズ』にとっての災厄の始まりであった。
お店に帰ってくると、ザックおじさんは御冠だった。
否、そんな生易しいものでは無い。
烈火のごとく怒り出したのだ。
だがラファエルはそんな暴風もどこふく風と取り合わない。
「ザックおじさんよ、何がいけねえってんだ?大金が入るってのによ。俺はこれであんたに恩を返せると思ったんだがな」
「何が恩返しだ!国王にあんな態度を取っておいて、恩返しどころか、恩を仇で返された気分だで!」
「何だと?そこまで言うかよ!だいたいなんでそんなに国王に跪く必要があるってんだよ!言ったじゃねえか!国王もただの人間だろ?違うか?」
「な!・・・おめえ・・・」
ザックおじさんは言い返せない。
「まあいいじゃねえか、それよりも教えてくれよ。この世界には神が顕現しているって話だ。本当なのか?」
何とか怒りを納めようとザックおじさんは懸命に堪えている。
どうにかして怒りを納めた後には、今度はうんざりとした気分になっていた。
首を振って、ため息を吐いている。
「ふう・・・そうだで・・・本当だで。この世界には神様が顕現してるだで。この北半球にも何人もの神様がいるだ。そして北半球にはエンシェントドラゴンもいるだよ」
「何?ドラゴンだと?」
「そうだ、ドラゴン様だ。ドラゴンはその数が少なく、その存在は中級神以上だで、エンシェントドラゴンに関しては上級神だでよ。この世界を滅ぼすことができる存在だと言われているだよ」
これは現実なのかとラファエルは耳を疑った。
「何だそれ?ゲームの世界かよ?」
「ゲームが何だか知らんだで、でも嘘じゃねえだ、それに人間から神に至ることもあるだでよ」
更にラファエルは混乱する。
「人が神に成るってことか?」
「ああ、そうだで。隣国の魔道王国『エスペランザ』には陶磁器の神ポタリー様がいるだでよ。あの方は元は人間だって話だでよ」
ここに来てラファエルは興味が沸いてきた。
俺も神に成れるのかと・・・
「ちょっと待て、どうやって神になるんだ?」
「うーん、よく言われているのは、実績を積んでそれを天界にいる神々がそれを認めれば成れるということらしいだで、でも本当の所はよく分かっておらんだでよ」
ラファエルは考えを巡らせる。
(神か・・・オモしれえ、成ってみるか俺もその神とやらによ!)
どうやらラファエルには目標が出来てしまったみたいだ。
その考えを敏感にザックおじさんは感じ取る。
「おめえ、まさか神様に成ろうとでも思ってねえだか?」
「ん?駄目だってのか?」
「いや・・・そうではねえだが・・・」
ザックおじさんは言葉を飲み込んだ。
(おめえの様な欲深い者がなれるとは思えねえだが・・・でもその過程でラファエルも成長するかもしれねえだ、ここは見守るしかねえだで)
何処までも慈悲深いザックおじさんだった。
本当は神の素質があるのはザックおじさんだと考えられた。
だが当の本人には大逸れたことと、実績を積もうとは考えてはいなかった。
残念な話である。