隠した素顔の向こう側

 哀感を催す、というのはきっとこういうことを言うのだろう。朝七時過ぎのコンビニ。申し訳なさそうな表情を浮かべる店員を前にしながら、俺はそんなことを考えていた。
「申し訳ございません。こちらのくじなのですが、たった今終了してしまいまして……」
 壁に貼られたポスターには『一人三回まで』の文字。それでも販売開始僅か十数分で売り切れてしまうのだから、つくづくアイツは凄いやつだと思う。
 再度「申し訳ありません」と頭を下げる店員に「大丈夫です」と告げてから店を出る。覆面アーティストである輝夜(かぐや)の人気は、どうやら俺の想像よりもずっとずっと凄いようだった。

 輝夜。インターネットを主な活動場所に据える覆面アーティスト。動画サイトに歌を上げるときは狐の面を被った細見の男性の立ち絵を使用しており、ライブの際は立ち絵と同じ狐の面を被ってステージに立つ。そんな彼は、俺の中学時代の後輩であった。
『おまえ相変わらず凄い人気だな。今日発売のくじ、俺の目の前で売り切れたわ』
 家に向かって歩きながらそうメッセージを打ち込むと、珍しくもすぐに既読の文字がつく。輝夜は――というよりも、明確に勤務開始時間と終了時間の定められていない職に就く者は夜型の生活になりやすいらしい。彼自身も例に違わず昼夜逆転生活を送っていることがほとんどで、午前中にメッセージが既読になることは滅多になかった。こんな時間にスマホを開いているということは、朝から仕事でもあったのだろうか。学生時代からアイツのことを知っている身からすると、朝から活動的に動く輝夜というのはあまり想像ができないのだが――。
 とはいっても、彼ももう立派な社会人なのだ。仕事の打ち合わせだとか収録だとか、そういったものがあるのかもしれない。そう結論づけて一人頷いていると、輝夜からのメッセージが画面に表示された。
『先輩にならいくらでもグッズ差し上げます!何が欲しいですか!?』
 文面から感じるその勢いに、俺は若干気圧されながらも『職権乱用やめろ』と打ち返す。
 くじを引き損ねた悲しみと、後輩がどんどん人気になっていく喜びと――そんな哀歓こもった感情なんて、瞬く間にどこかへと消え去ってしまった。
『くじの景品はうちにないんですけど』『でも次のライブのグッズとかなら貰ってるので』『CDもあります』『あっ、CDにサインとか書きましょうか!?』
 学生時代の輝夜はここまで押しの強い人間ではなかったはずだ。彼はなぜだかやけに俺に懐いているけれど、俺は彼に特別好かれるようなことをした記憶もない。
『俺が先輩だからって余計な気つかわなくていいから』『輝夜の応援は自分の金でやるよ』
 ひとまずそう返信をして、俺はスマホをポケットにしまった。

『輝夜の応援は自分の金でやるよ』
 そう書かれた画面を眺めながら僕は『輝って呼んでください』と打ち込んで、結局送信することなくバックスペースを押した。恋人でもなんでもない、ただの学生時代の後輩からこんなことを言われるのは気持ち悪いだろう、と思ったからだ。代わりに『いつもご愛顧いただきありがとうございます』なんて冗談めかしたメッセージを送ったが、それに返信がくることはなかった。相沢先輩は僕と違って一般企業で働いているので、もしかしたらもう仕事に向かってしまったのかもしれない。
 相沢先輩は、僕――夜神輝(やがみひかる)の中学時代の先輩だ。輝、なんて名前をつけられた割に根暗で友達も少なく、インドアを極めていた僕に不満を募らせた両親は僕が中学に上がると半ば無理やりテニス部に入部させた。拒否権なんてものは、少なくとも当時の僕にはなかった。学校のテニス部は所謂陽キャと呼ばれるような人ばかりで、そもそも僕には満足にラリーができるほどの体力もなくて。力尽きて倒れて、躓いて転んで、周りからは嘲笑われて――。そんな日々を送る中で、唯一僕に優しくしてくれたのが相沢先輩だったのだ。
『倒れるのも転ぶのも、輝が頑張ってる証だろ』
 先輩にかけられたその言葉を、僕はきっと一生忘れないと思う。結局僕は、先輩の引退と同時に逃げるようにテニス部を辞めてしまったけれど――。でも、部活を辞めたことによって音楽に出会えた。今はアーティストとして生計も立てられているし、先輩に恥じるような生き方はしていないんじゃないか、と思う。肝心の先輩は、どうやら僕にかけた言葉を忘れてしまっているようだけれど。
「覆面アーティストが正体を明かすって、相当な好意の表現だと思うんだけどなぁ……」
 相沢先輩は、やろうと思えば僕の個人情報をばら撒くことも顔写真をネットにアップすることもできるのだ。でも、僕は先輩がそんなことをしないと信じているから――知っているから、親にも告げていないこの仕事のことを先輩にだけは伝えた。それを好意の表現と言わずして、一体なんと言うのだろう。
 少女漫画の鈍感キャラのような先輩は、僕が向けている敬愛とも崇拝とも呼べるような歪な愛の形に全く気付いていないようで少し心配になってしまう。けれど、それと同時に「それでこそ相沢先輩だ」と思ってしまうのも確かで。
「相変わらずだな、先輩は」
 椅子の背に凭れかかりながら、僕は思わずそう呟いた。
 学生時代の後輩だから、なんて理由で僕の活動を応援してくれるくらいには、相沢先輩は優しい人なのだ。
 だからこそ、これからも先輩に応援してもらえるように、もっともっと頑張ろう。そんな決意を胸に、僕は大きく伸びをする。思ったような声が出せなかったり忙しさでメンタルがやられたり、この業界に入ってからも僕は転んでばかりで――。けれど、それでも一歩ずつ確実に前を向いて歩くのだ。だって、倒れたり転んだりするのは僕が頑張っている証なのだから。

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