……あの人は、何度も何度も――同じ言葉を私に投げたのです……

☆本日の作業用BGMは、『I NEED YOU』(モーリス・ホワイト)でした。

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 暮れも押し詰まってまいりましたね。
 師走もここに極まれりという感じで、どこもかしこも(せわ)しない空気で落ち着きません。

 この店はそんな心配もいりませんよ、お母さま。
 相変わらず、のんびりとしたものです。実際、これでもかとふんぞり返っております。
 

 本日の夕餉(ゆうげ)は、盛り蕎麦((おお)せいろ)です。勿論出前でございます。
 奇しくも五百円ですよ。コストパフォーマンスが絶妙です。一応、蕎麦湯付きです。
「ざる蕎麦」は頼まないのです。海苔と格闘してエネルギーを消耗するのがどうも……。

 私は舌バカ(兄様に言わせると「舌ましか」)ですが、蕎麦は好きです。味はよく分らなくても、蕎麦を手繰(たぐ)る・(すす)るという一連の所作が好きなのです。
「目の前でズルズルやられるのが嫌!」と言って、婚約破棄した女性タレントさんが嘗て話題になっておりましたが、「分かってねーなー」でございますよ。
 だって、蕎麦をズルズル啜らなくてどうするの? て話でしょう。

 いつもお願いするお店の蕎麦は皮ごと挽いた、当然の「二八」です。「十割」は喉につかえる気がして苦手です。まだ「外一(そといち)(蕎麦粉十に小麦粉一)」の方がましかも。
 どの道、繊細な味覚を持ち合わせていないので、私に更科粉(さらしなこ)(皮を除いた上品な白い粉)では「猫に小判」と言ってよいでしょう。
 つけ汁はかなり濃い目で、蕎麦を半分も浸す必要がありません。ので、そこそこ余ります。


 たっぷりと蕎麦湯を注ぎ、まったり味わっていると、来客を告げる音が耳に届きました。

 おや? あの方ですよお母さま。
「1・2・3(ワン・ツー・スリー)」のおじさまです。※1
 今日はスーツ姿ではございません。黒いセーターにジャケットと、カジュアルな装いです。
 目を凝らすと、リチ○ード・ギアに……部分的に似ているような気もいたします。気の所為かもしれませぬが。
 ダンディーなロマンスグレーであります。

 
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 椅子に腰掛け、『ぼろアパートの管理人(未亡人風)』を押下しました。
 思い入れがおありなのでしょうかね。

【こんばんは】
「――ファイブ・シックス・セーブンターイムス~(音ハズレまくり)」
【? ああ、ひょっとしてあの後、どこかでお聴きになったのですか響子さん】

 おじさまが嬉しそうに微笑みます。
 外れた音はしれっとスルーしてくださる……お気遣いに涙が滲みます。

「響子さんではありませんが――ニ○動で拝見いたしました。ヴォーカルの女性が大変にキュートでございました。曲もノリが良ろしく」
【そうでしょうそうでしょう。私も感激して、何度も何度も繰り返し聴きました。お陰で今は食傷気味です】
「……左様で」

 モニタに映るお顔は、以前いらした時よりも幾分血色が良いようです。

「ますますご健勝のようでなによりに存じます」
【ありがとうございます。実は、先週定年退職しまして。来年から嘱託で週二日出勤になります。憑き物が取れたのかもしれません。肩が楽になりました】
「それは……長い事お疲れ様でした」

 定年――そんなお歳だったですか。
 穏やかに笑うおじさまを見るにつけ、ふと疑問が湧きます。とても幸せそうですが……。

「……何か、ございましたか?」

 途端、おじさまの顔はゾンビのように、精気の無い土気色に変わりました。

【……退職したその日、妻はささやかな膳を用意して待っていてくれました】
「ああ、サチコさん――」
【違います】
「サチコさんとはどのような字で――」
【ですから違いますって! ……幸福の「福」に美しいで「福美」と申します】
「それはまたツイてる御名前で……ご利益ありそうですね」


【食卓に着いて、私は妻に感謝の言葉を……】
「…………」
【君のお陰で、僕はこの数十年、存分に仕事に打ち込む事が出来た。君がいてくれなければ不可能だった。ありがとう、心から感謝しているよ……と】
「『全俺が泣いた』スタンプの出番です」
【……てっきり、私が重責から解放された事を、妻も喜んでくれるだろう、(ねぎら)ってくれるものと……】

 組んだ両手で、人差し指のペアが忙しなくデュエルを繰り広げます。
 規則正しく回り続ける指を、リチャード(仮)の目が虚ろに眺めています。

 ――奥様に何があったものか。
 普通は、例えば涙ぐんで、

「あなた……長い事お疲れ様でした」

 とか、

「ありがとうあなた。私なんて……」

 とか、ほっこり(?)微笑み合うところでしょうか。


【妻は――何て言ったと思います?】

 あれ? 違うの? 
 リチャード(仮)の両目は所在無く揺れながら、こちらを頼りなさげに見上げました。

「……え、えっと、あの……ご、五代さん――」
【違います。嬉しいけど違います】
「えー……『一日でいいから、あたしより長生きして……』とか?」※2
【う……違います】

『違いますオジサン』かよ。
 ちょっと面倒くさくなってきました……。

 おじさまは(リチャード飽きた)、(にわとり)の溜め息のような小さい塊をぽふっと漏らすと、

【……妻はこう、言いました】


《……あたし、あなたが仕事に精を出すの、大嫌いだったわ。心から頑張れーとは思わなかった……》


 途端、くっと声が漏れ、ガクンと項垂(うなだ)れました。

「……そ、それは……」

 二の句が告げません。労いの言葉もなく?

 久し振りに、店内の湿度がぐっと上がった気がいたします。
 今にも驟雨(しゅうう)が落ちて来そうなどんよりとした空気……。

「そ、惣一郎さん――」
【それも違います。ごっちゃになってます】
「奥様、本心から?」
【……本心です】

 すわっ! このままでは熟年離婚も?! ……いやいや、来店時はあんなに幸せそうだったじゃないですか……。


「……他には、何か仰いませんでしたか?」

 おじさまは市松模様の渋いハンカチを取り出すと、すすっと目尻を押さえました。

【……「いつもあたしだけ置いてけぼりだったわ」と】
「墨田・本所(ほんじょ)の『おいてけ堀』ですか……。『おいてけー、おいてけー』って」
【違います。語源はそうらしいですが】
「あ、そうなんですか」

 それは知りませんでした。一つ賢くなりましたよ。

【もう、置いて行かないでね、と。妻は目を潤ませながら、そう、言いました……】


 気が付くと――おじさまは顔を上げてニッコリ笑っていらっしゃいます。
 あれ? ……なにやら担がれたような……?

「なんだ! 良かったです。お人が悪い、思わず最悪の事態を想像してしまいましたよ」
【ははは、すみません。ちょと茶目っ気といいますか】

 茶目っ気とか言うなゴルァ! シャーッ! (わく)りまくったじゃないの。

「奥様、ひたすら寂しかったのですね」
【その点は、本当に面目ないです。私の思い上がりでした。全くもって、仕事を言い訳に、何も妻の身になって考えていなかったんだな、と……】


 長い歳月を一緒に過ごした熟練の夫婦でも、そんなズレがあるなんて……。
 油断できないものですね。メモメモ。
 
 世の中には思い込みが的を外れた、そんなふわふわしたものが案外と溢れているのかもしれませんね。

【手前勝手な話をお聞きいただき、すみませんでした。ありがとうございました】
「いえいえ、勉強させていただきました。こちらこそ、ありがとうございました」

 心から言葉を贈りました。

「ゴッド・ブレス・ユー……」

 お二人の今後に幸多からんことを――。


☆☆☆


 今日、何度「違います」と言わせてしまったものか……。
 合計「七回」だそうですよ、お母さま。(共○通信調べ・嘘)
 凄いでしょ? そうでもない? お母さまも是非数えてみておくんなまし。
「あ・あ・あ・メンドクセエ~(※3)」とか言わずにひとつ……。

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※1 (グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーン)
※2 『め○ん一刻』15巻より(響子さん)。
※3 『北斗〇拳』16巻より(ゲ〇ラ)。