日が暮れてきた。
そろそろ一丸が戻ってくるだろう。
「疲れたなら眠っていていいですよ。私が外は見張ってますから」
そう言われたので、あたしは車の中でうとうととしていた。皇子がついていてくれるなら大丈夫だ。
しばらくすると、外から騒がしい音が聞こえてきた。
一丸が戻って来たのかな。
あたしは御簾の端から少し外を覗いた。
「あれ?」
外に集まっているのは見慣れた顔ぶれ。皇子が話しているのは化け狸族の従者たちだ。
あたしが輿入れで出て行ったあと、狸の宮にも帝からの木簡が届いたのだろうか。それで迎えに来てくれたのかもしれない。
あたしはするりと御簾をくぐって車から降りた。あたしに気付いた皇子はこちらに走り寄ってきた。その顔は紅潮していた。
「あ、あの。皇子?」
あたしが尋ねると皇子は珍しく心底悔しそうな顔をした。
「どうしたらいいのかわかりません」
「何をです?」
皇子はそれには答えず歯を食いしばった。
「あの男、許すわけにはいきません」
「は、はあ」
あの男とはさきほどの災厄の一族の男だろう。
「でも、許してしまうかもしれません」
「べ、別に皇子が良ければいいのでは? あたしはそんなに気にしてませんし」
その悔しそうな様子に心配になってあたしは早口で言った。
「ヤバいです」
「だから何が」
皇子は黙ってあたしの手を取った。そして皆が集まっているほうへと歩き出す。
「にゃあああ-」
狸族の従者の一人の腕の中にいたのは、小さなもふもふの黒い塊。目がまん丸で小さな頭の上にちょこんととんがった耳がついている。長いしっぽをゆらゆらさせながら、小さな手足で従者の胸にしがみついている。
「かわいい」
それ以外の何物でもない。
「何コレかわいい」
あたしはもう一度呟いた。するとあたしの手を握っていた皇子の手にぎゅっと力が籠もった。
「くそっ。災厄の一族が、なんでこんなにかわいい生き物なんだよ……」
「みゃあああ-」
小さな獣はひと鳴きすると体をぶるりと震わせた。そして目の前に変化してきたのは。
「あの男……」
「バカもん!」
あたしが声を上げる前に、年嵩の従者が男の頭をぺしんと殴った。そのまま頭を下げさせる。
「皇女さま、大変申し訳ありません! こやつは三日前より我が狸の宮にやってきた災厄の一族のうちの一人でして! 化け猫族と申します!」
「ねこ……」
どうやらあの黒いもふもふは猫という生き物らしい。
「かの一族は! 狸の宮の王を初め、我が一族の者をあっという間に虜にし! 何故か我々は進んでこの一族の下僕となってしまい!」
なんとなく状況がつかめてきた。
「ただ、こやつは女癖が悪く、男衆から煙たがられておりまして! かといって男衆もこやつにめろめろで! 見かねてわたくしめが引き取って面倒をみることにあいなりまして! ほら、皇女さまにお詫びしろ!」
「えー。だってかわいかったから」
「お詫びしろ!!」
すると、化け猫族の男はひゅるりと変化した。黒いもふもふだ。
たしっと地面に降り立つと、あたしの足下にまとわりついた。
「ごめんにゃあ」
「いいのよ……!」
あたしは思わずしゃがみこんで黒いもふもふを抱き締めた。が、その瞬間黒いもふもふは首根っこを掴まれてあたしから引き剥がされた。
「お前は! 俺の妻だって言っただろ!? 馴れ馴れしくすんな!」
「うるさいにゃあ」
「『にゃあ』付けなくてもしゃべれるんだろ?! そんなことしてもかわいいだけなんだよ!!」
皇子は黒いもふもふをぽいっと手放すと、あたしに向き直った。
「ということで、狸の宮へ参りましょう」
「は?」
皇子はあたしに近寄ると、そっと耳打ちした。
「話はもうつけました。両族の縁談話は継続。私が狸の宮に婿入りします」
「なんで?!」
あまりの展開にあたしは頭がパンクしそうだった。皇子は無表情のままあたしに告げた。
「このかわいい黒い塊からあなたを守る為です」
「いや、別に皇子に守っていただかなくてもですね」
別に皇子には関係ないことでは。
そう思ったが。
「私が! あなたが黒い塊といちゃつくのは嫌なんですよ!」
皇子はあたしの手首を掴んで翡翠の腕輪を外した。
「あ、それあたしの……」
「ほら!」
手を伸ばしたあたしの指に素早く水晶の指輪がはめられる。
皇子は自分の手首に翡翠の腕輪をつけた。
「一緒にいるんだからいつでも使えばいいでしょう」
そう言ってそっぽを向いた皇子の顔は怒ったようであったけれど。
耳が真っ赤だった。
おわり