「ご飯も食べたことだし、そろそろ見せてほしいなー」

 俺が食事を終えると、雨宮部長はそう言って立ち上がった。

「だから、男子の秘密はどこにもありませんってば」
「違うよ。私が見たいのは……内川くんの描いた絵」

 彼女は一瞬間を置いたあと、両手を後ろに組みながら言った。

「これまでに描いた絵、見せて。狭い部屋なんだから、隠しても無駄だぞ」

 続いて獲物を狙うような目で室内を見渡す。
 ひょっとして、わざわざ家まで押しかけてきた理由はこれなのかな。

「以前見せたじゃないですか。あれがそうですよ」
「あんな破られた作品じゃなくて、きちんとしたのが見たいの。部長として、部員の実力は把握しておかなくちゃ。どこだ? やっぱりここか?」

 そう口にしながら、本当にベッドの下を覗き込んでいた。そんなところには置いていない。

「……わかりましたよ。見せますから、少し待っててください」
「やた」

 俺はため息をついて立ち上がり、クローゼットの横にある押し入れを開ける。
 そして、そこにしまい込まれたいくつかの絵を引っ張り出す。風景画や静物画に加え、人物のデッサンなどだ。

「おお、上手」
「中学の時に描いたやつです。荷物になるので、大した数は持ってこれませんでしたが」
「こういうのもいいけど、イラストは? イラストはないの?」

 さっき以上に目を輝かせて、彼女は押し入れの中を覗き込む。

「ないですよ。俺、元々美術部志望だったんですから。こういうのばっかりです」
「あそっか。でも、これからはイラスト描いてもらわないと」
「わかってますよ」
「じゃあ、今から描いてみよう」
「え、今から?」

 思わず聞き返すも、彼女は本気のようで、押し入れの奥からスケッチブックを引っ張り出していた。

「描くって言われても……何を描けばいいのやら。モデルもないですし」
「何を言っているのかね。ここにかわいいモデルがいるではないか」

 そう言って、彼女は期待に満ちた表情で自分を指差す。
 かわいいとか、自分で言っちゃうんだ。まあ、確かにかわいいけど。

「……まあ、いいですけど。軽く描くだけですよ?」
「うんうん。よろしくお願いするよ」

 スケッチブックと鉛筆を持って、俺はベッドに腰を落ち着ける。対する部長はクッションを手に移動し、その対面に座り込んだ。
 それを確認してから、俺は描写対象の特徴を掴むため、部長の顔をじっくりと観察する。
 大きくぱっちりとしたマリンブルーの瞳と、ふわりとした黒髪のショートボブ。顔立ちも整っている。
 やっぱり、部長はかわいい。とても幽霊だなんて思えない。
 ……って、何を考えているんだろう俺は。
 突如として湧き上がってきた謎の感情を振り払って、俺は鉛筆を走らせる。
 最近はあまり描けていなかったけど、手はしっかりと覚えているようだった。大した時間もかからず、部長の肖像画を完成させる。

「……できました。どうですか?」
「さすが上手いとは思うけど……なんか硬いね」
「硬い?」

 完成した作品を本人に見せると、彼女はわずかに眉をひそめた。

「内川くんの絵は、イラストっていうよりデッサンに近いねぇ。物をそのままに描いてるの。だからなんか硬い。イラストは形や陰影より、描くモノの特徴を見つけるのが大事。多少形がデフォルメタッチでも、個性的なほうが味も出るというか」
「……もっと崩して描けってことです?」
「そうじゃなくて……うーん、説明が難しいなぁ」

 そう言った彼女の手が、もどかしそうに宙をさまよう。

「せっかくですし、部長も描いてみてくださいよ」
「あー、それができればしたいんだけどねぇ……ごめん」

 そう部長に謝られた直後、俺ははっとなる。
 彼女は先日、『意志を伝えられるものは持てない』と言っていた。
 つまり、画材――鉛筆や筆といった絵を描くための道具も、一切持つことができないということだ。
 イラスト部の部長までやる人だし、さぞかし絵を描くのが好きなはずだ。
 そんな部長が幽霊になったことで、大好きなイラストが描けなくなったとしたら。

「いえ……俺こそ、すみません」

 それに気づくも、俺はかけるべき言葉を見つけられず、ただ謝るしかなかった。

「気にしなくていいよ。それより目下の問題は、内川くんの画風だよ。もっとイラスト調にしないと」

 そんな俺に対して、彼女はあっけらかんと言い、手元の絵をじっと見る。

「とりあえず口頭で説明するから、頑張って描いてみよう!」

 その後、そう意気込んだ部長から色々と教えてもらうも、なかなか納得のいく作品は描けなかった。

 ◇

 絵の練習に没頭していると、いつしか時間が過ぎ、時計は21時を回っていた。

「部長、さすがに夜遅くなりましたし、部室に戻らなくていいんです?」
「……今日は帰りたくない気分なの」
「雰囲気作りながら言ってもダメですよ。帰ってください」
「えー、夜の学校って怖いんだよー」
「幽霊が言う台詞ですか。それにお泊りなんてされたら、俺が眠れません」
「ちぇー」

 俺の必死の訴えが通じたのか、彼女は口を尖らせながらも立ち上がり、玄関へと向かう。

「バスももうないのにー。はぁー、一人で歩いて学校まで帰るのかー」

 その間も、頭を抱えながらわざとらしい声を出す。
 確かに心苦しいけど、さすがに泊めてあげるわけにはいかない。俺たち、まだそんな関係じゃないし。
 そう自分に言い聞かせるも、部屋から出ていく部長の背中は寂しげだった。
 ……ああ、まったくもう。
 そんな彼女を見ていられず、俺はその後を追いかける。

「部長、学校まで送りますよ」

 そして彼女に追いついた直後、俺はそう告げた。

「そう言ってくれると思ってたよ。さすが、内川くんは優しいねぇ」

 その瞬間、部長は驚いた表情をしていたものの、すぐに笑顔になった。
 どうして追いかけたのか俺自身にもわからなかったけど、その表情を目にした時、なんとも言えない安心感が込み上げてきたのだった。