「同じ部活に入るんだし、連絡先交換しとこう?」

 入部届を書き終えたあと、汐見さんがそう言ってスマホを取り出した。
 お互いに同じメッセージアプリを使用していたので、その連絡先を交換し、その場で『イラスト部(仮)』という名前のグループも作っておく。
 現状のメンバーは俺と汐見さんだけだけど、そのうち増えるだろう。
 ……というか、初めて女の子と連絡先を交換した気がする。

「それじゃ、また明日ね。自前でスケッチブックくらいは用意しておくけど、他にも必要なものがあったら連絡してね」

 妙な気恥ずかしさを感じる俺を気にすることなく、汐見さんはそう言い残して部室から去っていった。

「いいなー。私も内川くんやほのかっちとメッセージ交換したい」

 スマホを手にしたままその背を見送るも、直後に雨宮部長が画面を覗き込んできた。

「そうは言っても、部長はスマホ触れないんでしょう? だったらどうしようもないじゃないですか」
「そうなんだけどねー。仲間はずれは嫌だよ」

 口を尖らせながら言い、俺のスマホ画面を何度も指でなぞる。いくらやっても反応しなかった。

「とにかく、今は部員が増えたことを喜びましょう。幸先いいですよ」
「それもそうだね。まずは一人ゲットだぜ!」

 俺が取り繕うように言うと、彼女はグータッチしてきた。相変わらず、切り替えの早い人だ。

「同好会から部活動に昇格するためには、最低でも部員が四人必要だから。残るは一人だよ」
「部長は姿が見えないんですから、実質あと二人ですよ」
「あ、そっか。でも、この調子だとすぐに集まりそう。期待してるぞっ、部長代理の内川くん」

 無邪気な笑顔を向けられ、俺は自分の顔が熱くなるのを感じたのだった。

  ◇

 それからしばらくして、俺も帰宅の途につく。
 徒歩でも帰れないことはないのだけど、今日はバスの気分だった。
 生徒の下校時間に合わせてくれているのか、この時間帯はバスの本数も多い。
 ちょうど校門前のバス停に循環バスがやってきたので、それに飛び乗った。
 空いている席に腰を下ろし、ぼんやりと窓の外を眺める。
 父親の仕事の関係で各地を転々としてきた俺だが、この街には小さな頃、半年ほど滞在したことがある。
 さすがに当時とは町並みも違うし、すでに記憶も曖昧だったが、心のどこかで懐かしさを覚えていた。
 ……5分ほどバスに揺られ、商店街の入口を過ぎた辺りで下車する。
 降りたバス停近くのコンビニで夕飯を買い、少し歩くと五階建てのアパートが見えてくる。そこが俺の家だ。

「ふう」

 エレベーターを待つ間、おもむろにスマホを取り出してイラスト部(仮)のグループを覗いてみる。
 そこには初期設定のままの俺のアイコンと、猫のイラストのアイコンが並んでいた。

「このイラスト、汐見さんが描いたのかな」

 やけに手足が短い猫で、その色合いがどことなく彼女を彷彿とさせる。

「ほのかっちからのメッセージがそんなに待ち遠しいかね?」
「おわぁ!?」

 その時、背後から雨宮部長の声がした。完全に気を抜いていた俺は腰を抜かしそうになる。

「部長、なんでいるんですか?」
「家庭訪問。同じバスに乗ってたけど、気づかなかった?」
「いやいや、気づきませんって」

 バスには同じ学校の生徒も多かったし、知った人間……いや、知った幽霊が乗ってるなんて思わなかった。

「地縛霊じゃないとは聞いていましたが、こんなところまで来て大丈夫なんですか?」
「大丈夫なんじゃない? 現に、こうやって来れてるんだから」

 にへらと笑ったあと、彼女はどこか嬉しそうに俺の隣に立ち並ぶ。

「家庭訪問って言ってましたけど、本当に俺の家に来るんです?」
「勢いでここまで来ちゃったからねー。いいから案内したまえ」

 周囲に人がいないことを確かめながら尋ねるも、雨宮部長は同じ調子でそう口にした。

「でも俺、一人暮らしですよ? 大丈夫ですか?」
「……はっ。まさか襲う気だったり?」

 思わずそう口にすると、彼女は大げさに後ずさる。

「いや、しませんけど……まったく、お手柔らかにお願いしますよ」

 当然ながら、俺にそんな度胸はない。彼女にとってはこれも触れ合いの一環なのかもしれないけど、完全におちょくられている気がする。
 もうこの際、信用されていると思うことにしよう……なんて考えた時、エレベーターがやってきた。


「……狭いですけど、どうぞ」
「おお、ここが内川くんの部屋」

 鍵を開けて、部長を自室へと招き入れる。
 このアパートは学生向けのワンルームなので、決して広いとは言えない。
 それでも物珍しそうに、彼女は室内を見渡していた。

「さて、男の子の部屋に来たらやることは一つだよね」

 そしてなんか言いながら、嬉々としてベッドへ向かっていく。

「部長、何する気ですか?」
「え? まずはベッドの下をチェックしようかと」
「ベタすぎてそんなところには何もありませんから」
「ほう。じゃあ、どこか別の場所にはあるんだね? 男の子の秘密」
「ありませんって。あからさまな家探しは止めてください」

 続いてクローゼットのほうへ向かおうとした部長を引き止めて、用意したクッションに腰を落ち着けてもらう。

「食べられない部長の前で悪いですけど、晩飯食わせてもらいますんで」

 俺は一言断ってからコンビニの袋をテーブルに置き、着替えを持って脱衣所へと向かう。
 たとえ幽霊でも、女性の前で着替える勇気はなかった。

「おお、チキンカツカレーだ。さすが男の子、かっつりいくね」

 それから部屋着に着替えて戻ると、部長は勝手に袋を開けていた。
 コンビニで温めてもらっていたので、すでにスパイシーな香りが部屋に充満している。

「部長、よだれ出てますよ」
「おっと失礼」

 思わず指摘すると、彼女は服の袖で口元を拭う。

「食べ終わるまで、テレビ見てるね。リモコンこれ?」

 返事をする前に彼女は俺に背を向け、テレビのスイッチを入れる。
 幽霊のはずなのに、リモコンはしっかりと反応していた。

「テレビが勝手に付いたり消えたりする心霊現象ってありますよね。あれってまさか、部長みたいな幽霊が勝手にテレビ見たりしてるんですか?」
「どうだろうねぇ……私も自分以外の幽霊に会ったことないから」

 チキンカツカレーを口に運びながら、そんな質問をしてみる。彼女はリモコンを頬に当てながら考えるも、答えは出ないようだった。

「あ、見て見て、温泉気持ちよさそう」

 やがて彼女は話題を変えるかのようにテレビ画面を指差す。そこには温泉に入るレポーターが映し出されていた。

「そういえば、部長ってお風呂はどうしてるんです?」
「あー、なんか幽霊になってから、不思議と入りたいと思わなくなった」
「え、じゃあ三年間、一度もお風呂入ってないと……?」
「……なんだねその顔は。特に匂わないし、むしろいい香りがしてると思うんだけど」

 部長は自身の二の腕に鼻を近づけ、くんくんと匂いをかぐ。
 幽霊である以前に女の子だし、ちょっとデリカシーのない質問だったかもしれない。

「せっかくだし、内川くんの家のお風呂借りちゃおうかなー」

 彼女は冗談とも本気ともつかぬことを言って立ち上がり、部屋を横切って脱衣所へ向かっていく。

「……うわ、お風呂狭い」

 そしてその扉を開けるやいなや、ため息まじりにそう言った。

「ユニットバスなんですよ。俺も普段はシャワーしか使ってません」
「えー、シャワーだけだと疲れ取れないよね?」
「商店街の入口に銭湯がありますから、どうしても湯船に浸かりたくなったらそこに行くんです」
「あー、朝霧の湯だね。私もよく行ってたよ」

 再びクッションに腰を下ろしながら、部長はどこか嬉しそうだった。
 当たり前だけど、彼女も生前はこの近くに住んでいたのかな。


 ……その後は時折話題を振ってくる雨宮部長に相槌を打ちながら、食事を続けた。
 自然と受け入れてしまっているけど、家に女の子を上げたのは、今日が初めてだったりする。
 相手は幽霊だからノーカン……といわれれば、それまでだけど。
 本当、数日前には思いもしない状況だった。