「幸、幸、起きて」
耳元で誰かが私を呼んでいる。
それも、もの凄くとても近いところで…
幸は、時計を見てみた。
え?まだ朝の6時にもなってないじゃん。
「幸、起きて~」
「誰?」
幸は、目を閉じたまま寝ぼけた声で呼びかけた。
辺りは静けさが漂っている。
幸は気のせいだと思い、また眠りにつこうとした。
「福だよ、久しぶり…」
うとうとしている幸の頭の中はパニックになる。
「え、福?」
福は、私の双子の妹、ずっと夢でもいいから会いたいと思ってた。
あの日以来、ずっと…
「幸、会いたかったよ、でも、驚かないで…
これは夢じゃないの…
信じられないかもしれないけど、福は神様にお願いして幸の元へ帰って来たの」
福は、八歳の誕生日を迎える一日前に死んだ…
幸と福は、一卵性双生児としてこの世に生を受けた。
しかし、母体の中の異常で福には栄養がいかず、福はとてもとても小さく生まれた。
幸は、比較的早くに普通に戻り元気に育ったが、福は、心臓や肺に先天性の異常があり一日一日を生きて行くことがやっとだった。
病院の先生に、「頑張っても小学校入学は無理でしょう」と言われた福だったが、持ち前の明るさと力強さで、幸と一緒に小学校の入学式を迎えることができた。
幸も福も両親も、もう大丈夫だと思っていた。
それなのに、運命というものは残酷なもので、二年生に進級した今と同じこの季節に、夏風邪をこじらせた福は肺炎にかかり、あっという間に天国へ旅立った。
「福…どこにいるの?
幸に顔を見せて…」
幸は、夢なら醒めないでと心の中で祈った。
「幸、よく聞いて。
私は、魂だけで幸の体に帰ってきたの。
今も幸の頭と心を借りて、こうやって話せてる。
私は、神様とたくさんの約束をして、だから、今ここに居られるの」
「神様?
福は、天国にいたの?」
「分かんない… そこが天国なのかとかは。
でも、私達が住んでる島の神様は、一つだけ皆に贈り物をしてくれて、一つだけ、願いを叶えてくれる」
幸は、不思議なことに、とても近い場所に福を感じていた。
「私は、神様に、17歳の誕生月に幸の元へ行きたいってお願いした。
今までそんなお願いをした人はいなかったから神様は驚いたけど、たくさんの決まりや制限を作って、私をここへ送り出してくれたの」
「決まり事や制限って?」
「そんな事は幸は知らなくていい。
それより、幸…
私にこの体を一か月貸してくれない?」
「貸すって?」
幸は今でははっきりと分かっていた。
私は、本物の福と話している。
「貸すというか…
例えば、幸の体がステージだとしたら、私にしばらくその舞台に立たせてほしい。
幸は、舞台袖から私の事を見守っててほしいんだ。
でも、目を閉じてこうやって眠りにつけば、私達はいつでも話ができる」
「でも、私じゃないといけない時だってある」
「その時は、幸が舞台に立てばいい」
「うーん、何だかよく分からないけど…
え、でも、福、一か月ってどういう事?」
幸はすでに嫌な予感がしていた。
「幸と福の誕生日は9月25日でしょ?
だからこの9月を選んだの…
神様との約束はこの一か月。
9月が終わる時に、私はまたあの場所に帰る…」
幸は何も言えず黙ってしまった。
「ねえ、幸、喜んでよ、私達またこうやって会えたんだよ。
悲しい気持ちにならないでこの一か月は楽しく過ごしたい。
それに、神様と約束した事を、絶対やり遂げなきゃならないし」
幸は、福のこういう明るい性格が大好きだった。
前向きで、くよくよしない。
一卵性双生児で生まれたはずなのに、幸と福は全く違う性格だった。
「神様と何を約束したの?」
福の顔は見えないけれど、微笑んでいるのが分かる。
「れんれんに告白して、れんれんと恋愛するの」
「え?
れんれんて、大石蓮?
恋愛するって?」
大石蓮、私達の幼なじみ。
そう、福はれんれんが大好きだった。
そして、蓮も…
でも、今の蓮は、モテモテのチャラ男に成り下がっている。
今の幸の私になんて、全く興味もないのにつき合えるわけないじゃん。
「福、蓮はね…」
「いいの、聞きたくない。
幸、もし、私が間違ったことやヤバいことをしでかしそうになったら、大きな声で叫んで。
そしたら、幸の声が私に届くから」
幸は、この少しの間に起こった出来事を、もう一度頭の中で整理したかった。
それほど、驚くことが多すぎる。
「幸、そろそろ起きる時間だよね?」
「私は福に体を貸している間、何をしてればいいの?」
「幸には今まで通りに全部見えるから、ただ、意識は私が支配してるけど。
ごめんね、でも、お願い、私を見守ってて」
「うん、分かった」
幸はそう言うしかなかった。
可愛い妹のお願い事を、突っぱねることなんてできない。
福がそれで幸せになれるのなら、体を貸すことくらいなんでもなかった。
「福、今日から新学期の始まり。
ちゃんと幸の様にふるまってね」
そして、福は、目を覚ました。
そこに見えるのは、かつて幸と福が二人で使っていた子供部屋だ。
でも、実際は、子供の頃の福は、この部屋に来た事は数回しかなかった。
ほとんど寝たきりだった福は、リビングで一日の大半を過ごしていた。
福は、リビングへ降りてみる。
懐かしいコーヒーのいい香りがした。
そして、キッチンに立つママの姿が見た福は、こみ上げてくる涙を必死に飲み込んだ。
泣くわけにはいかない。
神様との約束の一つに、幸以外の人達には、絶対に福の存在を知られたらいけないという決まりがある。
「幸、起きた?
早く支度してご飯食べちゃいなさい」
福は小走りでママの元へ駆け寄り、そして、後ろから抱きついた。
「ママ、おはよう」
「やだ、幸、どうしたの?」
福は、抱きついたまま離れない。
「ちょっと怖い夢を見ただけ。
ママと離れ離れになっちゃう夢を…」
「何、子供みたいな事言ってるの」
そう言うと、ママは笑った。
福が大好きだったママの笑顔は、今でも何も変わらずにそこにあった。