半年後。
「流行病があっという間に収束したみたいです。それはよかったとして、これからはカフェを開いて――」とか「本屋さんも楽しそうかなって――」なんて言い出した。
次々に出てくる彼女の夢を潰していった。
だってそこには僕は君と同じ世界に飛び出せない。
卑怯だと言われても、君を手放したくないのに。
月日は流れレティシアは十六歳になった。髪も伸びたし、背も伸びて大人の女性に成長を遂げた。小さな唇、華奢な体を抱きしめる。花のような甘い香りにくらくらしそうだ。
「レティシア、愛している」
「私もフレデリック様が大好きです!」
抱擁も最初は恥ずかしがって抵抗していたけれど「婚約者なのだから」という言葉で納得させた。本当はキスもしたいのに我慢しているのだから褒めてほしいところだ。
レティシアはどこもかしこも柔らかくて温かい。
特に冬になると暖炉の火にあたりつつ密着する。ソファを一人用から二人用に手配してよかった。
「ねえ。前も言ったけれど、僕の傍はダメなの?」
「ダメですよ。いつかはエレーヌ様が現れるのに私なんかが傍に居られないですよ」
「なんで?」
レティシアは笑っていたけれど、そこに陰りが生じた。
篝火の爆ぜる音が部屋に響く。
「私は魔眼に耐性があるから婚約者に選ばれただけで……、大して可愛くもないですし、いずれ『エレーヌ様を貶めた悪女』と後ろ指指される悪役枠でしかないんです。お話を盛り上げるための当て馬なのですからしょうがないのです!」
どうしてそこまで自分を過小評価するのだろう。
僕は君がいるだけで幸せなのに、君は『運命は変わらない』といって僕の気持ちを信じてくれない。
どうして僕と君の仲を裂く人間を好きになれると思うのだろうか。
一目惚れならもうとっくに君にしているのに。
イライラする。
僕も君も互いが好きなのに、なんで『運命の相手』とやらに振り回されないと行けないのか。
「……ところでその『運命の相手』というのはどういう人なんだい?」
「やっと興味が出てきましたか! 彼女は王都のパン屋で働く子なのですが、この冬に聖女の力が目覚めるんです。髪は飴色で、天空の瞳。名前はエレーヌ様です。とっても可愛らしい方なのですよ」
その可愛い人にはきっと別の人が似合うだろう。
僕の呪いはこのままでいい。
呪いが解けるより、君がいないほうが辛くて悲しいのだから。
一年後。
レティシアが十七歳になった。
今日は料理長に頼んでとびきりの料理とケーキを用意してもらった。ごちそうを前に彼女の顔は真っ青だ。
「お誕生日おめでとう、レティシア」
「あ、ありがとうございます……、でもどうしましょう。エレーヌ様が全然姿を見せないなんて……」
今にも泣きそうな愛しい婚約者に僕は微笑む。
「運命なんて当てにならないんだよ。君の未来予知だって外れることがあるってことさ」
「フレデリック様……」
僕は彼女の頬に触れた。すべすべの頬がほんの少し赤く染まる。
とっても可愛い愛しい人。
ようやく君にキスができる。頬にキスをして、唇に触れた。君は熟れたリンゴのように真っ赤になって、本当に可愛い人だ。
「ヒロイン不在のお話に切り替わった? うーん。でも聖女様が誕生したって噂も聞かないし……」
「待っても来ない相手なんかよりも僕はレティシアがいい。君が僕のお嫁さんになって、ね」
「わ、私なんかがフレデリック様のお嫁さんなってもいいのでしょうか?」
「もちろん。十七歳になっても君を好きでいたし、君以外いらない。ね、だから僕の傍にいて」
コツンと額を合わせると、くすぐったそうに彼女は微笑んだ。
「わかりました。ヒロインが不在な以上、私がフレデリック様を幸せにします!」
「ふふっ、頼もしいな。嬉しいよ、レティシア」
彼女はスパッと決意を新たにした。
こういう思い切りの良いところも好きだ。
嫌いなところなんてない。
愛おしくて、好きで、大事で。
これでやっと僕のものだ。
閉じた世界だろうと君がいれば何処よりも楽園だと、今度は伝わるかな。
(――それにしてもあの女、既に四股しておきながら、王族まで手を伸ばそうとするなんてね。欲張らずにいれば石化なんてしなかったのに。馬鹿な女だ)
僕の眷族は何処にでも入り込める。
国中どこにでも居るし、僕の手足のように動く。
王の座はいらないけれど、レティシアと幸せに暮らすためにも国の平穏は約束してあげるとしよう。
ふと彼女は僕をまじまじと見て安堵する。
「どうしたの?」
「……あ、いえ。ヒロインが現れない場合、フレデリック様が闇落ちして魔王になるってシナリオにあったのですが、そちらも回避できてよかったです!」
「ああ、そういうこと」
彼女がずっとヒロインと結ばれることを望んでいた理由。
僕が闇落ちして魔王になるのを回避したかったのだと理解する。結局、レティシアは僕のことを一番に考えてくれたのだと嬉しくて、それと同時に勘違いをしている彼女に本来の姿を見せてあげた。
艶のある菫色の長い髪先が一匹ずつ蛇へと姿を変え、歯の牙が生じて、爪が長くなる。極めつけはコウモリの羽根、人ならざるものへの変容にレティシアは目を見開いた。
固まっていると言ってもいいだろう。
「闇落ちならとっくにしているよ?」
「そんな。……フレデリック様、……いつから?」
絞り出すような声に、口元がニヤけた。
今さら何を言うのだろう。
「君が婚約破棄したいと言い出したその時さ」
「えっ、そんな……」
そう君が婚約破棄と言った瞬間、僕は絶望した。
僕にとってそれほど君と離れることは筆舌に尽くしがたい感情だったのに、君はあまりにも明るく、嬉しそうに言うからいけないんだ。
「どう? 怖い? でもこれは君が招いたことだから責任をとってね?」
「――っ」
本来の姿を見せて、今さら拒絶されようと、怯えて逃げようとしても、もう遅い。
君が僕をこうさせたのだから。
レティシアはゴクリと喉を鳴らした。
「フレデリック様……」
「ん? どうしたの? 逃げ場なんて――」
「魔王様モードって形態は何段階あるんですか?」
「……いや、ちょっとまて」
「目からビームとか出るんですか?」
「なにその機能!?」
「じゃあ、四天王はいらっしゃるのですか!?」
「レティシア、落ち着いて」
最初に聞くことはそれなのか。魔王化に対してすんなり受け入れすぎじゃないのか。彼女を凝視するがいつもと変わらない――いや目を輝かせている。
「……レティシア、僕が怖くないのか? えっと、僕正真正銘化物なのだけれど」
「フレデリック様はフレデリック様でしょう? お話もできていますし」
「いや、まあ、そうだけど……怖くないの?」
「姿が多少変わってもこれはこれで格好いいですし! ゲームシナリオだとラストステージでしか見られませんでしたし貴重です! こっちはこっちでかっこいい!」
「多少……、ふ、ふふふ、あはははは。あーあー、もう、レティシアは」
「?」
僕が彼女を捕らえたのだと思っていたけれど、そうじゃなかった。
髪の毛の蛇たちもケラケラと心から笑った。ああ、こんなに笑う日が来るなんて思わなかったな。
最初から彼女の器を図り間違っていたのだ。
この僕が見誤るなんて。
「じゃあシナリオ展開だっけ? それにこだわっていたのも……」
「はい。ヒロインと出会うことでフレデリック様の闇落ちと魔王の暴走を阻止するのが目的でした。それに呪いも解けて外の世界に出ることがフレデリック様の幸せになるって思っていました」
「ああ。なるほどね。最初からそう言えばよかったのに」
「フレデリック様には幸せになってほしいと最初に言いましたよ?」
彼女の中では闇落ちイコール『魔王の暴走』と考えていたようだ。理性なく暴れ、討伐される可能性を摘み取りたかったのだろう。しかし闇落ちしようが、魔王になろうと僕が僕であるなら問題ないと言う。
僕はレティシアの器の大きさを思い知らされた。
「とにかく私はフレデリック様の幸せが一番ですので!」
「そう。じゃあレティシアがいたらそれでいい。……今度は受け入れてくれるんだよね」
念を押す僕にレティシアは「はい」と、はにかんでくれた。
「フレデリック様とずっと一緒に居られて嬉しいです!」
「僕もだよ」
僕たちにとってはハッピーエンドの終幕。
これ以上ない甘くて最高の展開といえるだろう。
***
国を守るために生涯を費やすことで称えられた魔王がいた。
彼は古塔から一歩も出てこなかったが国のあらゆることを知り、いたるところに手が届いた。
彼がいることで作物が豊富に実り、国は繁栄する。
魔王の傍らには可愛らしい花嫁が付き添っていた。
国民は魔王に感謝し、年に一度祝福祭を行う。
その祭りは少し変わっており、みな仮面あるいは目を何かで覆うというものだった。なんでも魔王は嫉妬深く、花嫁に色目を使う者は手当たり次第に石にしてしまうらしい。一度危険視され魔王討伐の話も出たが、あっという間に首謀者たちは消えてしまったそうだ。もしかしたらその者たちは、人知れず白銀に煌めく湖の下に沈んでいるのかもしれない。