「ねえ、なんで泣いてるの?」
「……泣いてねーよ」
ぽつり、と零された言葉。
いやいや泣いてるじゃん。って誰が聞いても思う涙声。
せっかくのかっこいい顔が台無しなほど、顔はぐちゃぐちゃだし。
目の前にいるのは私、成瀬結愛のカレシであり幼なじみの三浦祐希。
さらりとした茶髪が部屋の窓から差し込んでくる夕日によく映える。
耳にはピアスが2つ。シンプルなデザインだけど、存在が印象に残るもの。
……昔は綺麗な黒髪と、なにもない耳だったんだけどなぁ。いつの間にこうなってしまったんだろう。
ていうか、本当にどうして泣いてるの?
昔みたいに、近所の先輩にいじめられたのかな。
ううん、それはないよね。最近の祐希はケガして帰ってきても全然泣かないもん。
でも、ケガする頻度が多くなったから私は心配で夜に出歩かないでほしいと思ってる、けど。
この前それを伝えたら、軽く笑ってでも嫌そうにはぐらかしてきたからもう言わないことにしたんだよ。
「てか、勝手にこっち来んな」
「なんでよ。カノジョがカレシの家にいくのは普通じゃないの?」
「……そーゆーことじゃなくて、」
そこまで言って、どうしようもないくらいに顔を歪めた祐希。
そこまで言うのなら続きを言ってほしいものだけど、部屋の中にはチッ、チッ、と言う無機質な時計の針の音だけが響く。
代わりに出たのは祐希の掠れた声だった。
「1回だけ、抱きしめていい?」
「うん、いいけど」
ほれ、と正座をして、かろうじて泣くのを抑えているような表情をしている彼を見据える。
ふら、とおぼつかない足取りでこっちに来た祐希。
私を抱きしめようとする素振りは見せるけど、何かを迷うみたいに躊躇っている。
ぐしゃ、と茶色の頭をかいたと思えば、
1滴。その瞳から涙がこぼれ落ちた。
「っ、ごめん、ごめん、本当にごめん、俺のせいでごめん、ごめんな」
「え……?祐希?」
私と同じように正座をしてその場に崩れ落ちていった祐希。
謝罪の言葉を述べながら、拳を何回も床に叩きつけて子供のときのように声を上げて泣いている。
とりあえず震える大きな背中をさすろうと手を伸ばしたとき、
「……あ、」
━━━━祐希の背中がまるでないもかのように、私の手が空気へと貫通していた。
ううん、違う。祐希の背中がないんじゃない。
ないのは私の手なんだ。
私の手が、すり抜けてしまったんだね。
白い光とともに一気にフラッシュバックする記憶。
思えば私と祐希は高校1年生で付き合って以降、心のキョリが離れていった。
祐希が、派手なグループの子たちと遊ぶようになったから。
幼なじみだったから誰よりも近かったはずなのに、私と祐希はむしろ付き合ってからだんだんと話さなくなっていった。
ううん、ちょっと語弊があるかも。
私はいつも祐希に話しかけていたけど、あまり派手な方ではなかった私を避けていたのは祐希だった。
きっと周りの子に''陰キャ''の私と話しているところを見られたくなかったんだろう。
それでも私は祐希が好きだったし、祐希も私を好きだった、と思う。
その状態がズルズル続いて高校2年生の今。
うだるような暑い日。
セミがわんさか鳴いていて、
雨上がりだったから湿気もすごくて。
真っ直ぐにならない髪にやだなぁ、なんて思ってた。
そんな日に、文化祭関係のクラスの集まりがあった。
夏休み中の、しかもこんなに暑い日に行かないといけないのが嫌だった。
それは、皆も同じで文化祭準備なんてほとんどせずに同じ担当の人たちと遊んでばかり。
小道具作りだった私と、他数人の女の子たちは目立たないように黙々と作業を進めていたけど、祐希を含む派手グループの人たちは特に遊び呆けていた。
「日頃の恨みだぁぁ!」
「ちょっと辞めなよ〜」
新聞紙を丸めて剣にして、チャンバラをしたりシンプルに丸めて投げあったりもうメチャクチャだった。
派手な女の子たちも笑って動画を回してるだけで言葉に意味はこもってなくて。
「えっ、てかさ祐希と結愛ちゃんって付き合ってんの!?」
「なんでだよ」
「家近いんだろ〜!?少女漫画みたいな展開あったりして!」
いきなり私の名前が聞こえてビックリした。
小道具を作りながら耳だけをそちらに傾けたつもりだったけど、心臓がバクバクして身体中が熱くて。
ガタ、と音が聞こえてイスを踏み台にして立った祐希くん。どこから手に入れたのか水鉄砲を男子に向けて撃った。
「ばーか、あるわけねーだろ」
心に重い石が乗った感覚。
さっきまで異様に熱かった全身の血が一気に冷えきっていく音。
ああ、そうか。
私たちとっくに壊れていたんだね。
「ちょ、お前水ついたんだけど!仕返しだぁ!」
「っ、おい!」
水鉄砲で撃たれた男子が、祐希目がけて新聞紙で作った剣をブーメランのようにして投げた。
音がするほどに回転して飛んでいくそれ。
でも、進行方向はちょっと逸れて祐希の足元へ一直線に。
あ、やばい。
頭より先に体が動いた。
「は、結愛……?」
祐希が立っていたのは、この教室の窓際。
ここは4階。落ちたらひとたまりもない場所。
そこで足場を崩されたらどうなるかくらい、安易に想像がつく。
もっといい方法があったのかもしれない。
もしかしたら''悪ふざけ''で終わらせられてたのかも。
でも、私にはこれしか思いつかなかったらしい。
ドン!と祐希を教室内突き飛ばして、その代わりに私の体を外へ放り投げた。
戻れるかな、なんて思いは甘かった。
祐希は中学生のとき、サッカー部に入っていてがっしりとした体つきをしていたから押した反動で私の体はバランスを保てなくて。
最後に、見たのは。
「結愛!!」
顔面蒼白になりながら私の名前を呼ぶ祐希。
風にざわめく青々とした木々。
高速で落ちていっているからか、耳を突き抜けるヒュウという音。
ドン!
今までに聞いたことがない音がして、視界が真っ赤に染まった。
最後に聞いたのは、
衝撃音で一瞬だけ静まったセミが鳴く音。
最後に見たのは、
上から飛び降りようとしたのだろう。
友達に押さえつけられる祐希。
ねえ、祐希。
私は中学生のときの祐希が大好きだったよ。
友達と一生懸命サッカーやってさ。
泥だらけになったり、すれ違ってケンカして帰ってきた日もあったよね。
でも高校生になって部活にも入らずに。
ピアスを開けて、髪を茶色く染めて。
体育の授業のサッカーだって、仲間とテキトーにやって。
いつから、こうなっちゃったんだろう。
なにが、君を変えたんだろうね。
一見すると冷たいけど、実は本当に優しい祐希が大好きでした。
でも、それももう。
この口で伝えることはできないみたい。
𓂃٭𓈒𓏸
「あ、はは。わたし死んでたんだ……」
道理でここにいる理由が分からないわけだ。
自分の手をグーやパーにしてみても指が突き抜けちゃう、もんね。
わたし、今幽霊なのかな。
祐希は私が死んでることに気づいて、それを私に気づかせるために抱きしめていい?なんて……。
目の前ではまだ体を小刻みに震わせる祐希。
ごめん、ごめんとうわ言のように繰り返しながら頭を抱えている。
そんな姿を見て耐えられずに、そっと抱きしめた。
抱きしめる、って言ってもすり抜けちゃうから覆うみたいな感じ。
暖かい体温を感じることはもちろん、少しでも手を動かせばすり抜けてしまう。
「祐希、顔上げて」
「……っ、」
「私は全然怒ってないよ。むしろ祐希を助けることができて良かった」
微笑みかけると、やっと顔を上げた祐希。
昔見たときみたいに顔はぐちゃぐちゃ。
最近の祐希は、いつも香水の匂いがしていてしかめっ面でかっこつけてた。
今の感情をあらわにした顔の方が絶対いいに決まってる。
そっ、と祐希の頬を顔で包み込んだ。
「ゆあ、俺ほんとは好きじゃないなんて嘘だよ、ほんとはずっとずっと好きで、でも俺バカだから、うまくできなくて、」
「……うん。それ、私が生きているときに言ってほしかったなぁ」
ああ、もう。
必死な祐希の顔を見てたら私まで泣けてきたじゃん。
すーっと私の頬を伝って流れたはずの涙。
でもそれは落ちても床に水滴を作ることはなく、存在しないもののように消えてしまう。
存在しないもののように、じゃないね。
私は存在しないんだもん。
目の前の祐希はボロボロ泣いた証が全部、水滴となっているのに私にはそれがないことが惜しい。
それにどうしようもなく胸が締め付けられて、苦しい。
でも、ね。
「ほら、祐希。いつまでもそんなにくらい顔してちゃダメだよ」
「え……」
「私、祐希の笑った顔が大好きだったよ。高校に入ってからの薄っぺらい笑いなんかじゃない。サッカーやってたときの、あの心からの笑いが大好きだった」
そこまで伝えると、すうっと足元がなくなっていく感覚がした。
ああ、言いたいことを伝えられたから私は俗に言う''成仏''ってやつをするんだろう。
怖いような気もするし、祐希から離れてしまうのが寂しい気もする。
だからね。
最後に君の笑顔を見てから逝きたいの。
そうしたら、きっと私はどんなところでも頑張れる。
向こうで思い出す祐希の最後の顔が、そんな泣いてるところなんてやだよ。
「っ、結愛、ほんとにごめん、ごめん、行かないで……」
「ふふ、いいってば、その代わりに1つ約束。これからは自分に素直に生きて」
「うん守る、絶対守る。だからお願い……神様、」
「約束、ね」
指を絡めた瞬間、私の全身はこの世界から確実に消えた。
でも、満足。
だって白い光に視界が包まれる前、私が笑いかけると祐希がわずかに口角を上げて応えてくれた気がしたから。
もう私があなたに姿を見せることはきっとない。
だけど、ずっと。
遠くの場所からあなたの幸せを願っているから。
ほら、笑って。