龍安寺は、堂本印象美術館から徒歩7分ほどの場所にあった。わたしたちが通った道は「きぬかけの路」というそうで、宇多天皇が真夏に雪見をするため、衣笠山に絹をかけたという故事にちなんで命名されたのだという。金閣寺や龍安寺、仁和寺など、有名寺院が並ぶ道として人気が高く、「観光道路」とも呼ばれていたらしい。
山門を通り抜けたところにある青もみじは、初夏の顔をしていた。枝の先端についている葉は黄色だが、幹に近づくにつれ深い緑色へと変化している。写真を撮っていると、外国人の団体客がぞろぞろとわたしたちを追い抜いていった。
連なる木々の隙間からは、大きな池が見えた。睡蓮の葉が池の表面を覆っている。
「鏡容池(きょうようち)というんだよ」
わたしの視線に気づいたのか、間崎教授が言った。
「かつてはおしどりの名所で、おしどり池とも呼ばれていたそうだ。鏡容池を含む庭園全体は、国の名勝に指定されている」
「龍安寺自体も世界文化遺産なんですよね」
入口でもらったパンフレットには、「世界文化遺産登録」という文字があった。どうりで外国人観光客が多いはずだ。
「龍安寺は有名だから、君でも少しは知っているだろう」
「名前は聞いたことがあるんですけど……確か、紅葉の名所として有名ですよね」
「これだけもみじが多いんだから、それは当然」
そりゃそうだ。教授の言葉に、わたしはうなずくことしかできない。
龍安寺という名前は知っている。きっとお寺に興味のない人だって、観光雑誌やテレビのニュースで見聞きしたことがあるに違いない。だけど、その程度だ。わたしたちはいつも、名前を聞いただけで知った気になってしまう。桜の名所です、紅葉の名所です。そう簡単に紹介されて、簡単に足を運んで、写真を撮って帰っていく。誰が何のためにその場所を作ったのかも知らずに、その場所に込められた意味も知らずに、満足して帰っていく。
「龍安寺は、細川勝元が妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いたことで創建された」
受付を済ませ、わたしたちは庫裡に入った。足裏がひんやりとして気持ちがいい。少し歩いただけなのに、額や首筋がじんわりと汗ばんでいる。
歩いてすぐ、白砂が敷き詰められた庭を見つけた。いたるところに大小の石が配置されている。
「有名なのが、虎の子渡しとも呼ばれているこの石庭。石の数を数えてごらん」
「あの、小さいのも含めて?」
「そう」
「1、2、3……14個です」
「はずれ」
「ええっ」
もう一度違う場所から数え直してみたが、やはり数は変わらない。
「やっぱり14個です」
「残念。本当は15個」
「嘘だぁ」
「龍安寺の石庭は、どの角度から見ても必ず石が14個しか見えないように作られているんだ。15という数字は、月が15日で満ちることから、東洋の世界で完全を表すとされている。その数字から一つ少なくすることで、不完全な庭を表現している、なんて説もある」
「意味は分かりましたけど、理屈が分からないです」
カメラを構えて写真を撮ってみるが、どうあがいても石は14個しか写らない。昔の人は、どんな計算をしてこの石庭を作ったのだろう。
「次は、君でも知っているものがあるよ」
方丈をぐるりと回っていくと、教授の言う通り、見知ったものが現れた。
「あ、知足のつくばい!」
そこには、金福寺で見たものと同じ形のつくばいがあった。中心の部分を「口」と見立てると、「吾唯足知(われただ足るを知る)」と読める。
金福寺は、教授と初めて一緒に訪れた場所だ。1回生の春、偶然恵文社で教授と出会い、偶然金福寺に行くことになった。わたしにとって金福寺は、教授と京都を巡ることになった、始まりの場所でもある。
「教授は、どうして写真がすきなんですか」
ふと思いついて、聞いてみた。前を歩いていた教授が振り向く。
「恵文社で、写真集を見ていましたよね。カメラを始めようとしたこともあるって。写真をすきになるきっかけみたいなものがあったのかなって」
教授はすぐに答えなかった。どう答えようか迷っているようにも見えた。わたしたちは再び靴を履いて外に出た。
鏡容池の中心にある弁天島には、弁財天の鳥居が建っていた。かつて豊臣秀吉も、「鏡容池には霊力がある」として礼拝したそうだ。鏡容池には二つの島があり、もう一つは虎が伏せているように見えることから「伏虎島(ふしとらじま)」というらしい。昔は石庭よりも鏡容池の方が有名だったのだという。変わらないものがある一方で、年月を経て、少しずつ変わっていくものもある。
「どれだけ上手に写真を撮っても、結局実際に目で見るのには敵わない。君は以前、そう言っていたね」
境内をしばらく歩いたところで、教授が口を開いた。両脇の木々が空を覆って、教授の顔に影を落としていた。
「確かにそうかもしれないが、写真は目で見たものを正確に伝えられる。写真をよりどころに、いろいろなことが思い出せる。その場所で何があったか、どんな音が聞こえたか、何を感じたか。そういう力があるから、写真がすきなんだ」
写真は、記憶そのもの。そう、教授は言うけれど。
教授は、何かを思い出したいのだろうか、それとも、忘れたくないのだろうか。写真について語る時の教授は、どこか遠くにいるように感じる。近づいたと思ってもすぐに離れる。
わたしはずっと、適切な言葉を探している。少し間違えたらこの関係が壊れてしまいそうで、うまく問いかけることができない。
すきな映画は何ですか。休日は何をしていますか。出身はどこですか。どうして、京都がすきなんですか。
どこまで知ることがわたしに許されているのか、今のわたしには分からない。分からないから、わたしはカメラを手放せない。カメラがなかったら、きっと隣にはいられないだろう。
「わたし、たくさん写真を撮ります」
地面に敷き詰められた小さな石が、歩くたびにじゃりじゃりと音を立てていた。
「だからこれからも、いろいろな場所に連れていってくださいね」
懇願するように、言った。年齢だって、性別だって、歩く速度だって違う。京都と写真。それだけが、わたしたちを繋いでいる。
そうだね、と教授は言った。言いながら、おかしそうに笑った。短くて軽い言葉だった。たったそれだけの答えなのに、少しだけ、泣きそうになった。
わたしはふと鏡容池を見た。先ほどよりも雲が増え、池も沈んだ色に染まっている。
かつて、おしどり池と呼ばれていた鏡容池。おしどりはどこへ消えたのだろう。時間が流れ、景色が変わっていくように、いつかわたしたちも変わってしまうのだろうか。そんなことを思いながら、わたしはまたシャッターを切った。
山門を通り抜けたところにある青もみじは、初夏の顔をしていた。枝の先端についている葉は黄色だが、幹に近づくにつれ深い緑色へと変化している。写真を撮っていると、外国人の団体客がぞろぞろとわたしたちを追い抜いていった。
連なる木々の隙間からは、大きな池が見えた。睡蓮の葉が池の表面を覆っている。
「鏡容池(きょうようち)というんだよ」
わたしの視線に気づいたのか、間崎教授が言った。
「かつてはおしどりの名所で、おしどり池とも呼ばれていたそうだ。鏡容池を含む庭園全体は、国の名勝に指定されている」
「龍安寺自体も世界文化遺産なんですよね」
入口でもらったパンフレットには、「世界文化遺産登録」という文字があった。どうりで外国人観光客が多いはずだ。
「龍安寺は有名だから、君でも少しは知っているだろう」
「名前は聞いたことがあるんですけど……確か、紅葉の名所として有名ですよね」
「これだけもみじが多いんだから、それは当然」
そりゃそうだ。教授の言葉に、わたしはうなずくことしかできない。
龍安寺という名前は知っている。きっとお寺に興味のない人だって、観光雑誌やテレビのニュースで見聞きしたことがあるに違いない。だけど、その程度だ。わたしたちはいつも、名前を聞いただけで知った気になってしまう。桜の名所です、紅葉の名所です。そう簡単に紹介されて、簡単に足を運んで、写真を撮って帰っていく。誰が何のためにその場所を作ったのかも知らずに、その場所に込められた意味も知らずに、満足して帰っていく。
「龍安寺は、細川勝元が妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いたことで創建された」
受付を済ませ、わたしたちは庫裡に入った。足裏がひんやりとして気持ちがいい。少し歩いただけなのに、額や首筋がじんわりと汗ばんでいる。
歩いてすぐ、白砂が敷き詰められた庭を見つけた。いたるところに大小の石が配置されている。
「有名なのが、虎の子渡しとも呼ばれているこの石庭。石の数を数えてごらん」
「あの、小さいのも含めて?」
「そう」
「1、2、3……14個です」
「はずれ」
「ええっ」
もう一度違う場所から数え直してみたが、やはり数は変わらない。
「やっぱり14個です」
「残念。本当は15個」
「嘘だぁ」
「龍安寺の石庭は、どの角度から見ても必ず石が14個しか見えないように作られているんだ。15という数字は、月が15日で満ちることから、東洋の世界で完全を表すとされている。その数字から一つ少なくすることで、不完全な庭を表現している、なんて説もある」
「意味は分かりましたけど、理屈が分からないです」
カメラを構えて写真を撮ってみるが、どうあがいても石は14個しか写らない。昔の人は、どんな計算をしてこの石庭を作ったのだろう。
「次は、君でも知っているものがあるよ」
方丈をぐるりと回っていくと、教授の言う通り、見知ったものが現れた。
「あ、知足のつくばい!」
そこには、金福寺で見たものと同じ形のつくばいがあった。中心の部分を「口」と見立てると、「吾唯足知(われただ足るを知る)」と読める。
金福寺は、教授と初めて一緒に訪れた場所だ。1回生の春、偶然恵文社で教授と出会い、偶然金福寺に行くことになった。わたしにとって金福寺は、教授と京都を巡ることになった、始まりの場所でもある。
「教授は、どうして写真がすきなんですか」
ふと思いついて、聞いてみた。前を歩いていた教授が振り向く。
「恵文社で、写真集を見ていましたよね。カメラを始めようとしたこともあるって。写真をすきになるきっかけみたいなものがあったのかなって」
教授はすぐに答えなかった。どう答えようか迷っているようにも見えた。わたしたちは再び靴を履いて外に出た。
鏡容池の中心にある弁天島には、弁財天の鳥居が建っていた。かつて豊臣秀吉も、「鏡容池には霊力がある」として礼拝したそうだ。鏡容池には二つの島があり、もう一つは虎が伏せているように見えることから「伏虎島(ふしとらじま)」というらしい。昔は石庭よりも鏡容池の方が有名だったのだという。変わらないものがある一方で、年月を経て、少しずつ変わっていくものもある。
「どれだけ上手に写真を撮っても、結局実際に目で見るのには敵わない。君は以前、そう言っていたね」
境内をしばらく歩いたところで、教授が口を開いた。両脇の木々が空を覆って、教授の顔に影を落としていた。
「確かにそうかもしれないが、写真は目で見たものを正確に伝えられる。写真をよりどころに、いろいろなことが思い出せる。その場所で何があったか、どんな音が聞こえたか、何を感じたか。そういう力があるから、写真がすきなんだ」
写真は、記憶そのもの。そう、教授は言うけれど。
教授は、何かを思い出したいのだろうか、それとも、忘れたくないのだろうか。写真について語る時の教授は、どこか遠くにいるように感じる。近づいたと思ってもすぐに離れる。
わたしはずっと、適切な言葉を探している。少し間違えたらこの関係が壊れてしまいそうで、うまく問いかけることができない。
すきな映画は何ですか。休日は何をしていますか。出身はどこですか。どうして、京都がすきなんですか。
どこまで知ることがわたしに許されているのか、今のわたしには分からない。分からないから、わたしはカメラを手放せない。カメラがなかったら、きっと隣にはいられないだろう。
「わたし、たくさん写真を撮ります」
地面に敷き詰められた小さな石が、歩くたびにじゃりじゃりと音を立てていた。
「だからこれからも、いろいろな場所に連れていってくださいね」
懇願するように、言った。年齢だって、性別だって、歩く速度だって違う。京都と写真。それだけが、わたしたちを繋いでいる。
そうだね、と教授は言った。言いながら、おかしそうに笑った。短くて軽い言葉だった。たったそれだけの答えなのに、少しだけ、泣きそうになった。
わたしはふと鏡容池を見た。先ほどよりも雲が増え、池も沈んだ色に染まっている。
かつて、おしどり池と呼ばれていた鏡容池。おしどりはどこへ消えたのだろう。時間が流れ、景色が変わっていくように、いつかわたしたちも変わってしまうのだろうか。そんなことを思いながら、わたしはまたシャッターを切った。