燃え尽き症候群。2年と少しぶりに、その言葉を思い出した。
大学受験が終わってから入学するまで、昼を過ぎても布団から出られず、何をするにも億劫だったあの頃、わたしはまさに灰となっていたのだろう。今のわたしには、その時に近い堕落感が薄皮のようにまとわりついていた。煮崩れしたじゃがいものような、自分の形が分からないあやふやな感じ。
もちろん大学にはちゃんと行っているし、カメラのシャッターだって切っている。だけど、なんとなく気が抜けている。
心当たりは一つ、ある。今のわたしには目標がない。フォトコンテストに応募するまでは確かにあった。カメラの本を熟読したり、さまざまな写真集を眺めたり。受験生のようにがむしゃらに、坂道を駆け上がっていく感覚があった。
去年は、自分で稼いだお金でカメラを買った。達成感と高揚感がマーブル模様のように混じって溶けた。青春映画の主人公のように、わたしも成長できると信じていた。
だけど、そう簡単にいかないところが、わたしがわたしたる所以なのだ。全速力で走り続けたら息切れがする。ゴールテープが切れなかったら、途端に進む方向が分からなくなる。入賞を逃してからのわたしはそんな感じだ。その結果、燃え尽き症候群を発動している。
ひとまずは初心にかえって、何も考えずにカメラを楽しもう。そう思ってはいるものの、ただ写真を撮っているだけでは、停滞感がのっそりとつきまとう。一歩も前に進んでいないような気がして、楽しもうにも楽しめない。
何か、ヒントはないだろうか。そう思って、今まで撮った写真を見返してみた。金福寺や貴船神社、源光庵に城南宮。それほど時間は経っていないのに、どこもかしこもアルバムをめくる時のような懐かしさがあった。あの時はハートのあじさいを見つけたっけ、八木邸の刀傷には興奮したなぁ。そんなことを思いながら眺めていると、ところどころ記憶が抜け落ちていることに気がついた。どんなことを考えてこの構図にしたのか、どんな音が聞こえていたのか。パズルのピースが数個足りない。思い出が、完成しない。
どれだけ忘れたくないと願っても、すべてを覚えていることはできない。記憶はどんどん塗り替えられていく。太陽の眩しさだって、川のせせらぎだって、写真には写らない。写真に写らないことを、いつまで覚えていられるだろう。
パソコンの隣には、カメラがあった。最近、これがないと生きていけないんじゃないか、と本気で思う。平凡なわたしに色をつけるもの。わたしという人間を説明する時に、初めに出てくるもの。これがあれば繋がれる。繋がって、いられる。
カメラにはきつねのストラップがついている。1回生の時、間崎教授にもらったものだ。こん様と名づけた。名づけることで、生命を与えられる気がした。生命を持ったのなら、当然話すことだってできる。
(何を悩んでいるんですか、考えるよりまず行動ですよ)
ほら、しゃべった。こん様の言う通り、うだうだ悩むのはわたしには似合わない。立ち上がり、伸びをする。戦闘準備はもうできた。
松尾大社の山吹が見頃らしい。そんな噂を聞いたので、早速行ってみることにした。腰のあたりまで伸びた髪を一つに縛り、日焼け止めを顔と腕に塗りたくる。みっちゃんいわく、真夏でなくとも紫外線対策は必要らしい。髪の巻き方、メイクの仕方、肌の手入れ。全部、彼女から教わった。そのおかげで、少しは今どきの女子大生らしくなれたかもしれない。だけどわたしはみっちゃんではないので、今日はメイクをしないことにした。1回生の時に買ったTシャツと、高校生の時から履き古しているジーンズを身にまとう。女子力も、少しは休ませないといけない。
桜が散ると、京都はいつもの色を取り戻す。静かというわけではないけれど、泡立ちが収まって、呼吸がしやすくなる。散策には、今が一番適しているのかもしれない。電車の揺れに身を預けながら、のんびりと目的地に向かう。
松尾大社に到着すると、小さな山吹が幾重にも重なり、境内を黄金に染め上げていた。予想よりはるかに数が多い。今まで山吹をじっくり見たことはなかった。こんなにかわいらしい花だったのか。
手水舎の近くには、小さな白虎の置物がちょこんと並んでいた。行儀よく前足をそろえ、まんまるな目でわたしを見つめてくる。
かつて平安京は平安神宮を中心に、北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎が守護する「四神相応(しじんそうおう)の地」として造られた。この松尾大社は西に位置するため、白虎のおみくじやグッズがあるのだと、授与所の人が教えてくれた。
せっかくなので、おみくじを一つ買ってみることにした。白虎の顔立ちをじっくり見てから選ぶと、見事大吉を引き当てた。「心の赴くままに進むべし」と、なんともありがたいアドバイスが書かれている。こん様のストラップと白虎のおみくじを見比べてみた。色といい形といい、なんとなく2匹は似ている。
神輿庫(みこしぐら)には住吉、水芭蕉、龍力、七本槍など、全国から酒樽が奉納されていた。松尾大社は「日本第一醸造祖神」、すなわちお酒の神様として信仰を集めており、境内にある「亀の井」の水を醸造の時に混ぜるとお酒が腐らないといわれているそうだ。成人したばかりのわたしには、まだお酒のよさは分からない。もっと大人になったら、おいしく感じるのだろうか。
お参りを済ませたあとは、拝観料を払って松風苑を見学することにした。松風苑は重森三玲の設計で、上古の庭、曲水の庭、蓬莱の庭という三つの庭から構成されている。京都に来て2年と少し、いろいろな場所を巡るうちに、わたしにも少し知識がついた。重森三玲といえば、東福寺の八相の庭や光明院の波心の庭も造った、昭和を代表する作庭家だ。いくつも置かれた大岩が、どことなくモダンな雰囲気を醸し出している。
京都に来てから、一言で庭と言っても場所によってまったく違うことを知った。詳しいことはよく分からないけれど、こうして庭を眺めていると心が落ち着く。「すき」の始まりはそんなものかもしれない。どこがどう、というのは分からなくても、なんとなく、いいなぁ、と思う。
庭の見学を終え、お酒の資料館で撮影した写真を確認してみた。山吹の華やかさも松風苑の美しさもばっちり撮れている。今回は、動画も少し撮ってみた。風に揺れる葉の音や鳥の鳴き声など、写真に写らないことも記録されているけれど、人の話し声も入ってしまっている。ただの記録用ならいいかもしれないが、やはり何か物足りない。テレビのようにはうまく撮れないし、本格的に動画を始めたら、編集作業も大変だろう。そうではなくて、ただ10年後も20年後も、今日のことを覚えていたい。今日見た景色を、感じたことを、もっと人に伝えたい。そのためには、一体どうしたらいいのか。
帰宅する前に、河原町にある丸善に行ってみた。梶井基次郎の小説「檸檬」にも出てきた有名な本屋だ。何を見るでもなくぶらぶらしていたら、ふと文具コーナーにある手帳が目に入った。洋書風のシックな表紙で、中を開くと罫線だけがあるシンプルなデザインだった。
そういえば、以前教授も誰かに手紙を書いていた。知恩寺の手作り市に行った日だったから、確か1回生の秋だった。もみじ柄のかわいらしい封筒が意外だったので、やけに印象に残っていた。
記憶に引っ張られるように、手帳をレジに持っていった。デザインが気に入ったから、というだけではなく、買ったら何か変わるかも、なんて思いもあった。
家に帰って写真の整理をしたあと、手帳を机の上に広げてみた。文章を書くのは得意ではない。日記だって続いたためしがないし、誰かに手紙を出す機会もない。そんなわたしでも、メモ程度のものなら続けられるかもしれない。そう思って、早速ペンを手に取った。
『山吹がきれいだった』
いや、それは写真を見たら分かる。写真に写らないことを書き残さなければ。うんうんと唸りながら筆を走らせる。
『境内が広かった』
『亀の井の水が冷たかった』
『風に揺れる葉がカサカサと音を立てていた』
どうやら、わたしには文才がないらしい。まぁ、誰に見せるわけでもないし、いいか。短く息を吐き、ペンを置いて天井を仰いだ。これが写真技術の向上に繋がるかは分からないけれど、10年後も記憶が色褪せないように、少しずつ習慣にしていけたらいい。
手帳を閉じ、今度は教授宛てにメールを書くことにした。
『今日は松尾大社に行ってきました。山吹がきれいだったので送ります』
いつものように短い文を書いて、写真のデータを添える。送信ボタンを押す前に、もう少しだけ、キーボードの上に指を滑らせた。
『間崎教授と』
途中まで打って、全部、消した。何を伝えようとしたのか、何を書きたかったのか、自分でもよく分からない。結局いつも通り何の装飾もない言葉だけ打って、メールを送信した。文章って、伝えるって、難しい。そう思いながら、パソコンを閉じた。
大学受験が終わってから入学するまで、昼を過ぎても布団から出られず、何をするにも億劫だったあの頃、わたしはまさに灰となっていたのだろう。今のわたしには、その時に近い堕落感が薄皮のようにまとわりついていた。煮崩れしたじゃがいものような、自分の形が分からないあやふやな感じ。
もちろん大学にはちゃんと行っているし、カメラのシャッターだって切っている。だけど、なんとなく気が抜けている。
心当たりは一つ、ある。今のわたしには目標がない。フォトコンテストに応募するまでは確かにあった。カメラの本を熟読したり、さまざまな写真集を眺めたり。受験生のようにがむしゃらに、坂道を駆け上がっていく感覚があった。
去年は、自分で稼いだお金でカメラを買った。達成感と高揚感がマーブル模様のように混じって溶けた。青春映画の主人公のように、わたしも成長できると信じていた。
だけど、そう簡単にいかないところが、わたしがわたしたる所以なのだ。全速力で走り続けたら息切れがする。ゴールテープが切れなかったら、途端に進む方向が分からなくなる。入賞を逃してからのわたしはそんな感じだ。その結果、燃え尽き症候群を発動している。
ひとまずは初心にかえって、何も考えずにカメラを楽しもう。そう思ってはいるものの、ただ写真を撮っているだけでは、停滞感がのっそりとつきまとう。一歩も前に進んでいないような気がして、楽しもうにも楽しめない。
何か、ヒントはないだろうか。そう思って、今まで撮った写真を見返してみた。金福寺や貴船神社、源光庵に城南宮。それほど時間は経っていないのに、どこもかしこもアルバムをめくる時のような懐かしさがあった。あの時はハートのあじさいを見つけたっけ、八木邸の刀傷には興奮したなぁ。そんなことを思いながら眺めていると、ところどころ記憶が抜け落ちていることに気がついた。どんなことを考えてこの構図にしたのか、どんな音が聞こえていたのか。パズルのピースが数個足りない。思い出が、完成しない。
どれだけ忘れたくないと願っても、すべてを覚えていることはできない。記憶はどんどん塗り替えられていく。太陽の眩しさだって、川のせせらぎだって、写真には写らない。写真に写らないことを、いつまで覚えていられるだろう。
パソコンの隣には、カメラがあった。最近、これがないと生きていけないんじゃないか、と本気で思う。平凡なわたしに色をつけるもの。わたしという人間を説明する時に、初めに出てくるもの。これがあれば繋がれる。繋がって、いられる。
カメラにはきつねのストラップがついている。1回生の時、間崎教授にもらったものだ。こん様と名づけた。名づけることで、生命を与えられる気がした。生命を持ったのなら、当然話すことだってできる。
(何を悩んでいるんですか、考えるよりまず行動ですよ)
ほら、しゃべった。こん様の言う通り、うだうだ悩むのはわたしには似合わない。立ち上がり、伸びをする。戦闘準備はもうできた。
松尾大社の山吹が見頃らしい。そんな噂を聞いたので、早速行ってみることにした。腰のあたりまで伸びた髪を一つに縛り、日焼け止めを顔と腕に塗りたくる。みっちゃんいわく、真夏でなくとも紫外線対策は必要らしい。髪の巻き方、メイクの仕方、肌の手入れ。全部、彼女から教わった。そのおかげで、少しは今どきの女子大生らしくなれたかもしれない。だけどわたしはみっちゃんではないので、今日はメイクをしないことにした。1回生の時に買ったTシャツと、高校生の時から履き古しているジーンズを身にまとう。女子力も、少しは休ませないといけない。
桜が散ると、京都はいつもの色を取り戻す。静かというわけではないけれど、泡立ちが収まって、呼吸がしやすくなる。散策には、今が一番適しているのかもしれない。電車の揺れに身を預けながら、のんびりと目的地に向かう。
松尾大社に到着すると、小さな山吹が幾重にも重なり、境内を黄金に染め上げていた。予想よりはるかに数が多い。今まで山吹をじっくり見たことはなかった。こんなにかわいらしい花だったのか。
手水舎の近くには、小さな白虎の置物がちょこんと並んでいた。行儀よく前足をそろえ、まんまるな目でわたしを見つめてくる。
かつて平安京は平安神宮を中心に、北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎が守護する「四神相応(しじんそうおう)の地」として造られた。この松尾大社は西に位置するため、白虎のおみくじやグッズがあるのだと、授与所の人が教えてくれた。
せっかくなので、おみくじを一つ買ってみることにした。白虎の顔立ちをじっくり見てから選ぶと、見事大吉を引き当てた。「心の赴くままに進むべし」と、なんともありがたいアドバイスが書かれている。こん様のストラップと白虎のおみくじを見比べてみた。色といい形といい、なんとなく2匹は似ている。
神輿庫(みこしぐら)には住吉、水芭蕉、龍力、七本槍など、全国から酒樽が奉納されていた。松尾大社は「日本第一醸造祖神」、すなわちお酒の神様として信仰を集めており、境内にある「亀の井」の水を醸造の時に混ぜるとお酒が腐らないといわれているそうだ。成人したばかりのわたしには、まだお酒のよさは分からない。もっと大人になったら、おいしく感じるのだろうか。
お参りを済ませたあとは、拝観料を払って松風苑を見学することにした。松風苑は重森三玲の設計で、上古の庭、曲水の庭、蓬莱の庭という三つの庭から構成されている。京都に来て2年と少し、いろいろな場所を巡るうちに、わたしにも少し知識がついた。重森三玲といえば、東福寺の八相の庭や光明院の波心の庭も造った、昭和を代表する作庭家だ。いくつも置かれた大岩が、どことなくモダンな雰囲気を醸し出している。
京都に来てから、一言で庭と言っても場所によってまったく違うことを知った。詳しいことはよく分からないけれど、こうして庭を眺めていると心が落ち着く。「すき」の始まりはそんなものかもしれない。どこがどう、というのは分からなくても、なんとなく、いいなぁ、と思う。
庭の見学を終え、お酒の資料館で撮影した写真を確認してみた。山吹の華やかさも松風苑の美しさもばっちり撮れている。今回は、動画も少し撮ってみた。風に揺れる葉の音や鳥の鳴き声など、写真に写らないことも記録されているけれど、人の話し声も入ってしまっている。ただの記録用ならいいかもしれないが、やはり何か物足りない。テレビのようにはうまく撮れないし、本格的に動画を始めたら、編集作業も大変だろう。そうではなくて、ただ10年後も20年後も、今日のことを覚えていたい。今日見た景色を、感じたことを、もっと人に伝えたい。そのためには、一体どうしたらいいのか。
帰宅する前に、河原町にある丸善に行ってみた。梶井基次郎の小説「檸檬」にも出てきた有名な本屋だ。何を見るでもなくぶらぶらしていたら、ふと文具コーナーにある手帳が目に入った。洋書風のシックな表紙で、中を開くと罫線だけがあるシンプルなデザインだった。
そういえば、以前教授も誰かに手紙を書いていた。知恩寺の手作り市に行った日だったから、確か1回生の秋だった。もみじ柄のかわいらしい封筒が意外だったので、やけに印象に残っていた。
記憶に引っ張られるように、手帳をレジに持っていった。デザインが気に入ったから、というだけではなく、買ったら何か変わるかも、なんて思いもあった。
家に帰って写真の整理をしたあと、手帳を机の上に広げてみた。文章を書くのは得意ではない。日記だって続いたためしがないし、誰かに手紙を出す機会もない。そんなわたしでも、メモ程度のものなら続けられるかもしれない。そう思って、早速ペンを手に取った。
『山吹がきれいだった』
いや、それは写真を見たら分かる。写真に写らないことを書き残さなければ。うんうんと唸りながら筆を走らせる。
『境内が広かった』
『亀の井の水が冷たかった』
『風に揺れる葉がカサカサと音を立てていた』
どうやら、わたしには文才がないらしい。まぁ、誰に見せるわけでもないし、いいか。短く息を吐き、ペンを置いて天井を仰いだ。これが写真技術の向上に繋がるかは分からないけれど、10年後も記憶が色褪せないように、少しずつ習慣にしていけたらいい。
手帳を閉じ、今度は教授宛てにメールを書くことにした。
『今日は松尾大社に行ってきました。山吹がきれいだったので送ります』
いつものように短い文を書いて、写真のデータを添える。送信ボタンを押す前に、もう少しだけ、キーボードの上に指を滑らせた。
『間崎教授と』
途中まで打って、全部、消した。何を伝えようとしたのか、何を書きたかったのか、自分でもよく分からない。結局いつも通り何の装飾もない言葉だけ打って、メールを送信した。文章って、伝えるって、難しい。そう思いながら、パソコンを閉じた。