サトウくん、というらしい。さらりとした茶色い髪と、くるっとした丸い瞳が、最近はやりの誰それというアイドルに似ていた。昔、近所のおばさんが飼っていたチワワを思い出した。小学校の帰路でよく遭遇した。わたしを見つけるたびにきゃんきゃんと甲高く吠えるので、わざわざ遠回りして帰る日もあった。

サトウくんとは、国語学国文学の特殊講義で初めてしゃべった。同じ文学部とはいえ学生の数が多いので、3回生になっても接点がない人もいる。実際、話しかけられるまでサトウくんの顔すら知らなかった。元来、わたしは人の顔を覚えるのが苦手だ。バイト先であるおばんざい屋「花の」でも、常連さんの顔を覚えるのに何ヶ月もかかった。

サトウくんは、初回の講義に出席していなかったそうだ。2回目の講義でたまたま近くの席に座っていたわたしが声をかけられ、レジュメをコピーさせてあげた。そしたらお礼にとご飯に誘われ、連絡先を交換した。現状は、ここまで。

「それで、行くの?」

一連の流れを報告すると、みっちゃんは途端に怪訝な顔をした。

「まぁ、奢ってくれるって言うし」

わたしは焼きそばパンを口に運びながら答えた。桜はもう散ってしまったが、キャンパスにある大きなクスノキの下で過ごすにはちょうどいい気候だ。春のこざっぱりした風が気持ちいい。みっちゃんは長い足を何度も組み直しながら「へぇ、行くんだ。そうか」とひとりごとのようにつぶやいた。

「何、その反応」

「いや、なんか、意外で」

「みっちゃんだって1回生の時、サークルの新歓に行きまくってたじゃん。タダ飯最高! とか言って」

「それとこれとはさぁ、また違うじゃん」

「違うって、何が」

そう尋ねても、みっちゃんははっきり答えてくれない。彼女のカフェラテが半分も減っていないうちに、わたしはメロンパンの袋を開けようとしていた。惣菜パンと菓子パン、どちらを食べようか悩んだ末、両方買ってしまったのだ。焼きそばパンが主食で、メロンパンがデザート。どんな時でも、食後のデザートは欠かせない。

「あたしも行こうか」

「え? 何で?」

「だよね、それはさすがにおかしいよね……。ちなみに、ランチ?」

「まだ決まってない」

「ランチにしな。ディナーはやめな」

「何で?」

「何でも」

まったくもってよく分からないが、親友の助言は素直に聞くものである。そうか、琴子にもついに、とかなんとか言いながら、彼女はようやくカフェラテに口をつけた。





その後何度かやり取りをして、三条にあるリプトンでランチをすることになった。どれでもすきなものを頼んで、というので、悩んだ末、海老フライとハンバーグランチにした。セットで紅茶もつけた。

「御坂さんは、趣味とかあるの」
 
チキンオムライスを食べながら、サトウくんが尋ねた。お見合いみたいだなと思いながら、「写真を撮ります」と答えた。写真って、カメラで? うん、そう。へぇ、すごいね。そこで会話はぷつりと途切れた。

わたしは沈黙をごまかすように咳払いをした。誘いを受けた時は何とも思わなかったが、いざふたりきりで食事をしていると、周囲からどう見られているのか気になった。もしかしたらカップルだと思われているのかもしれない。一刻も早く店を出たい、でもあまり早く食べ終えたら失礼か、いやでもやっぱり早く出たい、とか考えながら、いつもより小さめにハンバーグを切って、ちまちまと口に運んだ。

「休日は何をしているの」

「お寺とか、神社を巡ったり」

「古いものがすきなんだ」

ええ、はい。うなずきながら、そうだろうか、と疑問を抱いた。確かに、間崎教授の影響で寺社にはよく足を運ぶ。だけど寺社仏閣マニアかと言われたらそうでもない。御朱印を集めているわけでもない。古いものがすき、も少し違う。その証拠に、古着は手に取らない。服はまっさらな方がよい。着るたびにしわが増えて、少しずつ汚れて、ようやく自分のものになる。

パッチワークのような会話をしながらも、なんとか無事に食事を終えた。デザートは頼まなかった。

「ちょっと歩かない」

店を出たところで、サトウくんがそんなことを言った。本当は今すぐ帰りたかったが、ご馳走してもらってすぐに解散するのも気が引ける。ハイ、ソウデスネ、なんてロボットのようにうなずいて、肩を並べて歩き始めた。





鴨川には「カップル等間隔の法則」なるものがある。その名の通り鴨川の両岸には、なぜかカップルが等間隔で座る光景がよく見られる。噂によると、論文のテーマとしても取り上げられているらしい。

わたしたちはカップルとカップルの間に腰を下ろした。右を見てもカップル、左を見てもカップル。ということは、真ん中にいるわたしたちもカップル、ということになるのだろうか。いやいや、そんなオセロみたいなことがあってなるものか。そんなことを思いながら鴨川を眺めた。

鴨川の水は透明度が高い。「鴨川の水で顔を洗うときれいになる」なんてことわざもあるくらいだ。川の中央あたりには、大きなアオサギが我が物顔で立っていた。じっと見つめていたら、アオサギもわたしを見つめ返してきた。目を逸らしたら負けな気がする。負けてなるものか。

わたしがアオサギと戦っている間にも、サトウくんは滔々と話し続けた。高校時代はバスケ部だった、とか、最近体がなまってるんだ、とか、うんたらかんたら。アオサギはまだわたしを見ている。写真を撮ってやろうと思ったところで、カメラを持っていないことに気がついた。はぁ、とかええ、とかうなずきながら、カバンからそろりそろりと携帯電話を取り出す。パシャリ。シャッター音が弾けた。

「何撮ってるの」

サトウくんがひょいっと画面をのぞき込んできた。肩と肩が触れ合って、思わずぎゃっと飛び跳ねた。

「ごめんなさい、ちょっと、あの、用事が」

わたしは慌てて立ち上がり、すたこらさっさと歩き出した。まいった。これ以上はもうむりだ。ひっくり返される前に、逃げ出さねば。





鴨川のほとりをずんずん歩いた。兵隊のように、ずんずん、ずんずん。四条まで歩いたところで、我に返って大通りに戻った。

みっちゃんが心配していた理由がようやく分かった。自惚れでなければ、いや、おそらく、確実に、サトウくんはわたしに好意を持っている。普通の人なら喜ぶべきところかもしれない。誰かに好かれる、告白される。それは青春の一ページを鮮やかに染め上げる出来事だと思っていた。だけど違う。何かが違う。袖をまくると腕に鳥肌が立っていた。サトウくんのことはすきでもきらいでもない。だけど、全身が拒否している。アオサギとの勝負にも負けた。だめだこりゃ。

せっかくおいしいランチを食べたのに、このまま帰ったら後味が悪い。どうにかして自分の機嫌を回復しなければ。そう考えながら歩いていたら、ふと喫茶ソワレの看板が目に入った。いつか行きたいと思っていたレトロな喫茶店だ。雑誌でも度々取り上げられるくらい有名な店だけれど、幸運なことに行列はない。わたしは喫茶ソワレの扉を開けた。





店内は青々としていた。夜が美しく染み渡ったような、群青色の空に似ていた。ソワレとはフランス語で「夜会」「素敵な夜」、メニューの表紙にある文字「Soyez la bienvenue」は「ようこそいらっしゃいませ」という意味らしい。入口にあった小さなリーフレットにそう書いてあった。

メニューを開き、ゼリーポンチを頼んだ。壁にかかっている女性の絵を見たり、リーフレットを読んだりして待ち時間を潰した。美しい絵の数々は東郷青児や佐々木良三らの作品で、店の照明が青いのは、「女性が美しく見え、男性は若々しく見えるから」らしい。豊穣の象徴とされるぶどうや、ひまわりの木彫刻も数多く見られる。内緒話をするような会話や、時折聞こえるカップの音だけが、上質なBGMのように耳に届く。

お待たせしました、という声とともに、ゼリーポンチがテーブルの上に置かれた。赤や緑、黄色や紫。色とりどりの小さなゼリーは、子供の頃に集めていたビー玉に似ていた。あの頃はゲームがなくても、遊園地に行かなくても、スーパーのお菓子コーナーに行くだけで楽しかった。母に買ってもらうカラフルな飴玉が、60円のグミが、バースデーケーキのように特別だった。道端できれいな石を見つけるだけで幸せな気持ちになれた。サイダーの中に沈むゼリーを見ていると、子供の頃から何も変わっていない自分に気づいた。わたしは、いくつになってもわたしのままだ。

宝物を閉じ込めるように、口の中にゼリーを運んだ。食べれば食べるほど、胃の中に宝石が敷き詰められていくような気がした。荒ぶっていた心がゆっくりと凪いで、青い静けさに満ちていく。

真夜中のように、ひっそりと時間が過ぎていった。何にも縛られず、誰にも気を遣わず、わたしだけの時間が流れていく。

京都のすきなところ。四季を感じられるところ。教科書やガイドブックに載っているような場所にすぐ行けるところ。少し歩いたら、おしゃれな店に出会えるところ。

間崎教授と来たいな、と思った。教授と来て、いろいろなことを話したい。最近撮った写真のこと。鴨川で遊ぶ鳥のこと。喫茶ソワレのこと。きっと、話題が尽きることはないだろう。