初めて間崎教授を見た時、なんて冷たい人なんだろうと思った。入学したばかりで浮かれていたわたしを現実へ叩き落とすような、雪風に似たさみしさを感じた。今となっては別に大したことではないし、間崎教授だけにそういう印象を抱いたわけではない。制服を脱いだばかりのわたしは、ああ、これが大学という場所で、大学教授という人なのだと思い知らされたような気がしたのだ。

高校生までのわたしは、庇護すべき対象として守られていた。家族と同居し、ご飯を用意してもらい、洗濯をしてもらい、病気になれば看病をしてもらった。家族だけではない、教師という肩書きの大人も、わたしたちを守ってくれた。知識を与えるだけでなく、必要な手続きがあれば逐一知らせ、体調が悪そうな生徒がいれば声をかけ、学業以外の相談にも乗る、第二の保護者のような存在だった。そう、わたしたちはありがたいことに、常に大人たちに気にかけてもらっていた。

そういう環境に慣れていたから、入学も祝われず、ラジオのように淡々と講義を進める教授を見て、高校生までとは違う立場になったのだと実感した。まるで舞台役者と観客のような、絶対に越えられない隔たりがあるのだと知った。

だから、教授が茂庵について話した時意外に思った。ひとりごとのようでもあり、語りかけているようでもあった。興味を引かれて、足を運んだ。

あの始まりの日を、わたしは今でも思い出す。





12月から1月、3月から4月。年が変わる、年度が変わる。それは章が変わるのと同じくらい明確な区切りを意味する。だけど今年は2月から3月も、大きな意味を持っていた。

わたしたちの代の就職活動は、3月から本格化する。就職情報サイトがオープンし、企業の説明会が行われ、未来への意思決定を迫られる。どこに進めばいいのか、何がしたいのか。刻一刻と進んでいく時間とは正反対に、相変わらずわたしは立ちどまったままだ。

ゲームのコマを進めるように、何の疑問も抱かず大学に進んだ。それが当然だと思っていたし、それ以外の道なんてないと思っていた。

大学生になった今、わたしの目の前には無数の選択肢があった。進学か、就職か。民間企業か公務員か。どこで、どの会社に就職すればいいのか。

自由はいいものだと人はいう。空を飛ぶ鳥にあこがれ、海を泳ぐ魚にあこがれる。誰だって決められた道を歩むより、自分で決めた道を歩いていきたいはずだ。だけど、与えられた自由はわたしの手に負えないくらい大きくて、どうしたらいいのか分からない。どの道を選んだら正解なのか。どれを選んだとしても、責任を負うのは自分自身だ。「人間は自由の刑に処されている」なんて、昔習った哲学者の言葉を思い出す。

何をすべきか分からなくても、何もしないわけにはいかない。進む道がどうあれ、視野を広げるべきだろう。ひとまず就職情報サイトに登録したり、就活に関する情報をぽつぽつと集めている。インターネットで検索すれば自己分析をしろだの、インターンシップに行けだの、パズルのピースが雑多に広がっている。「大学3年生のうちから準備をしろ」なんて文章を見つけると、もう手遅れのような気もしてくる。

受験勉強のようにやるべきことが決まっているわけでも、明確な目的があるわけでもない。そんな状態では、モチベーションがなかなか上がらない。得意なこと。苦手なこと。すきなもの。きらいなもの。やりたいこと。やりたくないこと。自己分析シートはなかなか埋まらない。自分のことなのに、なぜこんなにも文字にすることが難しいのだろう。高校生の時のように、導いてくれる人はいない。

立てかけてあった手帳を開いた。松尾大社に行った時から、訪れた場所をこつこつ書きためている。続けられるか不安だったけれど、今となっては1回生の頃から始めておけばよかったと後悔した。思ったことや感じたことは、写真には残らない。人の記憶はあいまいで、だからこそ、記憶し続けることは難しいのだと知った。 

手帳をぱらぱらめくっていると、携帯電話が鳴った。間崎教授からのメッセージを知らせる音だった。

『梅がほころびましたよ』

1ヶ月ぶりの連絡にしては、あまりにも素っ気ない。だけど、わたしはずっとこの一言を待っていた。見にいこうとも、写真を撮れとも言われていない。それでも、わたしは迷わずカメラを手に取ってしまうのだ。





やけにキャンパスが騒々しいと思ったら、合格発表が行われていた。喜びの表情を浮かべた親子や、サークルの勧誘チラシをばら撒く学生たちを見ると、改めて月日の経過を実感する。ついこの間だと思っていた出来事が、どんどん過去に遠のいていく。

「何だこれは」

先日ミールミィで買ったはちみつ酒を差し出すと、教授は怪訝そうな顔でわたしを見た。

「はちみつ酒です」

「そうじゃなくて、何かの記念日?」

「いいでしょ、何でも」

言い訳をするのも面倒で、投げやりに言った。何がおかしかったのか、教授は吹き出すように笑った。

「ありがとう。大事に飲むよ」

教授室の窓から入る日光が眩しくて、わたしは目を細めた。太陽との距離のせいだろうか、春の光はやわらかい。空気がはちみつのように色づいて見える。

「今日は何をしていたんですか」

春休み中なのだから、当然講義はないはずだ。人混みが苦手な教授が、わざわざこんな日に大学に来る必要もないだろう。

「昔を、思い出していた」

昔って、どのくらい?

「大学生になったばかりの頃」

そんな時期、あったんですか。思わず尋ねると、あるに決まってるだろ、と教授が答えた。そりゃそうですよね。そう言いながらも、いまいち理解できなかった。だって出会った時から、教授は教授だったのだ。大学生だった頃の教授を、うまく想像することができない。この人は、どんな学生時代を送っていたのだろう。どんなものを見て、どんなことを感じていたのだろう。わたしと同じように、進路に悩んだりしたのだろうか。

「散歩をしようか」

教授がおもむろに立ち上がった。

「今からですか」

「そのために来たんでしょう」

コートを羽織りながら、カバンの中を見透かすように言う。行きます。そう答えて、わたしは教授のあとに続いた。





太陽の光、空の色、道行く人の服装まで、気づかないうちにずいぶん春が染み込んでいた。学年が変わる、年度が変わる、一つ歳を取る。春は、いやおうなく変化を運んでくる。今までは何とも思わなかったのに、今年は変わることを急かされているように感じる。

京都御苑に行くと、赤と白の梅が咲いていた。見頃のものもあれば、蕾が膨らんでいるものもある。多くの人が携帯電話のカメラで写真を撮っていた。

「近くにこんな場所があるのって、贅沢ですよね」

散歩をしている人を見ながら言った。梅や桜、あじさいに紅葉。名所と呼ばれる場所がたくさんあって、行こうと思ったらすぐに行ける。それはきっと、あたりまえのことではない。

「長年住んでいると、忘れてしまう人もいるだろうけどね」

でも、と教授は言葉を続けた。

「何年経っても、京都はいいものだよ」

キャンパスで合格を喜んでいた、少年少女たちが頭をよぎった。府外から京都に越してくる子もいるだろう。あの子たちは、これから京都のすばらしさを知るのだろうか。京都御苑の梅や鴨川の桜、東福寺の紅葉を見て、心を震わせるのだろうか。

シャッターを切っていると、一つの木に赤と白の梅が咲いていることに気づいた。

「教授」

近くにいた教授を呼び、梅を指差す。これ、どうなっているんですか。

「思いのまま」

「何ですか、それ」

梅の品種。教授は答えた。

「赤いのも、白いのも咲く。思いのままに」

「ずいぶん自由な梅ですね」

「人間と同じだよ」

どこにだって行けるし、何をしたっていい。そう言いながら、教授は慈しむように梅を眺めた。

1回生の時も2回生の時も、教授と一緒に梅を見た。同じ写真は1枚としてなかった。梅だけじゃない。どの場所に行っても、新しい発見があった。

北海道の雪景色をわたしは知らない。沖縄の海も見たことがない。ヴェルサイユ宮殿も万里の長城も、ウユニ塩湖だってわたしは知らない。

フランス旅行について、楽しそうに話すみっちゃんを思い出した。行ってからも楽しかったけど、行く前も楽しかったなぁ。高校時代の友だちと、それぞれ行きたい場所について調べていったの。その場所にどんな歴史があるのか、どんな魅力があるのかプレゼンして、ルートを決めたんだよ。

わたしの地図はいつだって間崎教授だった。教授に教えてもらった場所に行き、その場所の歴史を知った。わたしは写真を撮ってさえいればよかった。

卒業したわたしの隣に、教授はいない。道しるべがなくても、ひとりで歩いていかなければならない。

目を、閉じた。京都のことを考えながら、京都ではない場所を思う。まだ見たことのない景色。これから出会う人やもの。シャッターを切るたび、増えていく写真を想像した。京都がすきなはずなのに、京都にいたいはずなのに、確かに胸が高鳴った。

得意なこと。苦手なこと。すきなもの。きらいなもの。やりたいこと。やりたくないこと。空白ばかりの自己分析シートが、少しずつ埋まっていく。写真がすきだ。絵がすきだ。本を読むのも、おいしいものを食べることもすきだ。

手帳を開くと、たくさんの「すき」が溢れていた。『山吹がきれいだった』『間崎教授と一緒に見れたらよかったのに』『教授と食べたあぶり餅がおいしかった』『虎の子渡しを教授に教えてもらった』

――ああ、そうか。

ゆっくりと、目を開いた。

本当は、とっくの昔に気づいていた。変わってしまうのがこわくて、ただ目を逸らしていただけだった。京都を離れたくないと思う本当の理由を、この感情の本当の名前を、わたしはとっくに知っていた。

白い梅の向こうに教授がいた。わたしの方を振り向いて、早くおいでと誘っている。いつだってそう。わたしの景色には、確かにあなたの姿があった。

10年後も20年後も、美しい景色を一緒に見たい。知らないことを教えてほしい。わたしのことを知ってほしい。ずっと隣にいてほしい。

あたたかい春の風が吹く。わたしの体を貫いて、弱い心を震わせる。





この気持ちを、人は恋と呼ぶのだ。