第一声は、あ、だった。「やったぁ」と声を上げるでもなく、感極まって涙を流すわけでもなく、「あ」と、雫のように一言、喉から声がこぼれ落ちた。
昨年の終わりに応募したフォトコンテストの結果が出た。「奨励賞」の文字の下に、撮影した写真とわたしの名前が、小さく掲載されていた。
その時のわたしの感情は、何かを成し遂げた達成感というより、無事目的地に到着できたような安心感に近かった。少なくとも、クリスマスプレゼントをもらった子供のような、純度100パーセントの喜びではなかった。
わたしの努力を、カメラと向き合ってきた時間を、むだではないと言われたような気がした。それは嬉しいのだが、一方で、去年応募した写真と今年の写真を比較し、その違いに首を捻った。正直言って、写真の出来は去年の方がよかったと思う。間崎教授もすきだと言ってくれた、源光庵の写真だ。迷いの窓から朝日が差し込んで、まるで高尚な絵画のようだ。一方、今年応募した高山寺の写真は、源光庵に比べると構図も雰囲気もやや凡庸に見える。なぜ高山寺の写真は選ばれて、源光庵は選ばれなかったのか。審査員はどういう基準で写真を選んでいるのか。
「そりゃ、人生って往々にしてそういうことが起こるもんよ」
入賞の報告と同時に心の内を曝け出したら、みっちゃんは自分の爪をじっと見つめながらそう言った。
「めちゃめちゃ美形な俳優の結婚相手が思ってた感じの人と違うと、『何で?』って思わない?」
「それはまぁ、その人にいろんな魅力があったからじゃない?」
「じゃあ、毎年の流行語大賞、『全然知らない』ってなることない?」
「まぁ、それはたまに思う」
わたしはこたつに入れた足を揉みながら答えた。携帯電話の小さな画面の中で、みっちゃんが爪を切っている。最近は出かけることすら億劫なので、お互い自宅にいながらテレビ通話でだらだらと話すことが多い。パックを顔に貼りつけたまま話すみっちゃんも、爪切りをしているみっちゃんも、もうすっかり見慣れてしまった。対するわたしも、3個目のみかんの皮をぺりぺりと剝いているところだ。せっかくダイエットをしようと決めたのに、実家からダンボールいっぱいのみかんが届き、結局ちょこちょこ食べてしまっている。罪滅ぼしのように腹筋を始めてみたが、今のところ目に見える変化はない。
「あと、レコード大賞で『何でこの曲?』ってのが受賞したり、ミスコンのグランプリよりも準グランプリの方がかわいかったり」
「まぁ、まぁ……。それって、審査員の好みじゃない?」
「そう。つまり、そういうこと。審査員次第で結果も変わる。だから、何でこれが受賞したんだろうとか、何であれがだめだったんだろうとか、考えてもむだでしょ」
「確かに」
みっちゃんが言うと妙に説得力がある。感情で動くわたしとは違い、みっちゃんは時折論理的だ。お買い得な商品があってもすぐには買わず、一晩置いて「あれはコスパがいまいちだ」と考え直したり、ドラマのご都合主義な展開に容赦なく突っ込みを入れたりする。みっちゃんは爪切りを置き、目線をわたしに向けた。
「でも、よかったじゃん。写真を誰かに気に入ってもらえたのは事実なんだし。素直に喜びなよ」
一歩前進、でしょ? そう言って笑うみっちゃんに、「うん、そうだね」と同意した。とにもかくにも、去年よりは成長した証が手に入った。たとえ大きな賞ではなくても、努力が認められたなら、今はそれで十分だ。
「間崎教授には報告した?」
「したよ。そしたら『おめでとう』って、一言だけ」
「それだけ? 相変わらずそっけないなぁ」
「でも、ご褒美に大原に連れていってもらう約束したの。雪の日に」
「いいねぇ、かなり寒そうだけど。いい写真、たくさん撮れるといいね」
「うん」
カメラについているこん様のストラップを指でつついた。3年目にして、ようやく教授と雪を見ることができる。寒さなんか気にしていられない。こん様も、無言でうなずいているような気がした。
教授と約束した当日。家の周辺に積雪がなかったので少し不安だったが、大原に着く頃にはあたり一面雪景色となっていた。裸の木の枝にどっしりと雪が積もり、まるで満開の桜のようだ。大体数センチくらい積もっているだろうか。一歩進むたび足が深く沈み込み、足跡がくっきりとついていく。
「すごいです、こんなに積もってるの見たことない!」
ざくざくと雪を踏みながら、わたしは大きく声を上げた。少し離れたところにいる教授が、首を縮めながら恨めしそうにわたしを見ている。雪風がびゅうっと強く吹きつけ、わたしの視界をさえぎった。
「大変です、前が見えません」
去年は蓮華寺を、その前は金閣寺を見るには見たが、ここまでの積雪はなかった。歩いているだけで、頭や体にどんどん雪が積もっていく。
三千院までの道はしっとりと濡れ、氷の上を歩いているようだった。気を抜くとつるっと転んでしまいそうだ。
「すべる、すべっちゃう」
思わず教授の腕をつかもうとすると、ものすごい勢いでさっと避けられた。
「何で避けるんですか」
「巻き込まれたくないから」
「大人げない。大人げなさすぎます」
大雪のせいか、観光客の姿は少なかった。道脇に立ち並ぶ店が、みな黙り込んでわたしたちの横を通り過ぎていく。口から吐く息はすぐに白く曇り、雪のように消えていく。
雪が、音も、色も奪っていく。古い日本の原風景のような、灰色のフィルムに焼きついた御伽話のような顔をしている。
慎重に歩いていくと、「三千院門跡」という大きな石碑が建っているのを見つけた。階段を上り、御殿門と呼ばれる門をくぐる。靴を脱いで客殿に入ると、廊下が冷えているせいか、氷の上を裸足で歩いているようだった。聚碧園(しゅうへきえん)という庭にもどっさりと雪が積もり、水墨画のような景色が広がっている。雪が、枝を重たくしならせている。
「普段は緑が美しいんだが」
教授はそこで言葉を切った。これだけ真っ白だと、積雪のない庭を想像することは難しい。
うらやましいな、と思った。教授は、他の季節の三千院を知っている。雪に覆われた庭を見て、違う景色を想像することができる。それは、京都で過ごしてきた年月が長いからこそ成せる技だろう。
わたしは、どうだろう。わたしにとっての大原は、今目に映る風景がすべてだ。他の季節にどんな景色が広がっているのか。どんな顔をしているのか、わたしは知らない。
三千院は、最澄が比叡山東塔に建てた草庵が前身だそうだ。妙法院、青蓮院とともに天台宗三門跡の一つで、「一念三千(いちねんさんぜん)」という天台宗の教えからその名がついたらしい。
宸殿を見たあと、有清園という庭に降り立った。春には桜とシャクナゲが庭を淡く染め、夏の新緑や秋の紅葉も美しいという。普段は苔が広がっているそうだが、今日は一面雪に覆われている。
モノクロだ。雪は、木々や苔の色すら白く染め上げてしまう。呼吸を塞ぐように、静かに生命を奪っていく。手のひらに落ちるとすぐに消えるのに、あっという間に静寂の世界を作り出してしまう。
隣を見ると、教授がいた。白黒の世界で、教授だけがただひとり、色を失わずにそこにいた。生命、の、かたち、のようなものが、うっすらと見えた気がした。
雪がきらいだ、と教授は言った。だけど皮肉にも、教授は雪が似合うと思った。雪みたいな人。いつだったか、みっちゃんがそんなことを言っていたのを思い出した。あの時はよく分からなかったけれど、今ならその意味が理解できる。
往生極楽院には、国宝である阿弥陀三尊像が祀られていた。両脇にある観世音菩薩と勢至(せいし)菩薩は、少し前かがみにひざまずいている。これは「大和坐り」というめずらしい姿だそうだ。
「そこにあるわらべ地蔵も人気なんだ」
再び有清園を歩きながら、教授が言った。
「全然見えません」
「苔の上でにっこり笑っている姿がかわいらしいと評判でね」
「さっぱり分かりません」
苔も地蔵も、雪のせいでまったく見えない。雪景色と引き換えに、見られないものもある。
「そこにある竹筒から出ている水は、金色水と呼ばれている。福寿延命の水なんだ」
目を凝らして見てみると、確かにちょろちょろと水が出ていた。
「触れると寿命が延びるよ」
「気になりますけど、やめときます」
今冷たい水に触れたら、間違いなく指先が凍えてしまう。先ほどから靴の先がしっとりと濡れ、ポケットにあるカイロもあまり意味を成していない。万全の対策をしてきたつもりだが、やはり街中とは寒さの質が違う。
三千院は、広かった。歩いても歩いても果てが見えない。ひとりだったら迷子になってしまいそうだ。長時間歩いていると、どんどん体が冷えてきた。寒さから身を守るようにしゃがみ込む。わたしは足元にある雪を手に取った。
「何をしているんだ」
前を歩いていた教授が足をとめ、振り返った。
「雪だるまを作ってます」
「寒い。早く」
「待ってください」
胴体の部分を作り、その上にもう一つ雪玉を重ねる。ついでに耳もつけ足した。
「何だそれは」
「こん様です。似てません?」
カメラのストラップを見せると、教授はこん様と雪だるまをしげしげと見比べた。
「そうだな。耳が二つあるところなんてそっくりだ」
「ばかにしてますよね」
わたしはむかむかして、足元の雪をすくって教授に投げた。教授のコートに雪玉があたる。教授は一瞬固まったが、すぐに3倍ほどの雪玉をわたしの方に投げてきた。まったく大人げない大人である。
大原に到着して1時間以上経ったが、雪は溶けるどころか厚みを増していく。わたしは木の枝にどっさりと積もった雪を指差した。
「あそこの枝、エクレアみたいです」
「もっと風情のある感想はないのか」
「じゃあ、あの茂み、白いゆりの花みたいです」
「……花弁の形が違うだろう」
「となるとやっぱり、雪見だいふくですかね」
「食べ物から一旦離れなさい」
その後も、 金色不動堂や観音堂を見学しながら境内を歩いていった。寒さに手がかじかみ、手袋は何の意味も成していない。
「結構、頑張った気がします」
宝物館に入り、撮影した写真を確認した。どれもこれも雪がどっさりと積もり、写真からでも寒さが伝わってくるようだ。教授に見せると、「いいね」と満足そうにうなずいた。それから思い出したように、
「コンテスト、入賞おめでとう」
「どうしたんですか、改まって」
直接伝えてなかったからね。教授はそう言って微笑んだ。
「君の写真は、とてもいい。君の写真は」
「強調しなくていいです」
もう少し素直に褒められないのか。そう思ったが、今はその言葉を素直に受けとめるべきかもしれない。
初めてカメラを手にした幼い日の自分に、ようやく顔向けできるような気がした。わたしはちゃんと成長している。少しずつ、前に進んでいる。今ならそう、胸を張って言える。
「嬉しいです。とっても」
小学校の頃は、ただなんとなくシャッターを切っていた。目的もなく、これといって撮りたいものもなく、ただその瞬間、気の向くままに撮っていた。だけど、今は違う。行きたい場所があり、知りたいことがあり、撮りたい景色がある。「美しい」を、もっと集めていきたい。
外に出ると、雪が花びらのようにひらひらと舞っていた。まだ当分、やみそうにない。
昨年の終わりに応募したフォトコンテストの結果が出た。「奨励賞」の文字の下に、撮影した写真とわたしの名前が、小さく掲載されていた。
その時のわたしの感情は、何かを成し遂げた達成感というより、無事目的地に到着できたような安心感に近かった。少なくとも、クリスマスプレゼントをもらった子供のような、純度100パーセントの喜びではなかった。
わたしの努力を、カメラと向き合ってきた時間を、むだではないと言われたような気がした。それは嬉しいのだが、一方で、去年応募した写真と今年の写真を比較し、その違いに首を捻った。正直言って、写真の出来は去年の方がよかったと思う。間崎教授もすきだと言ってくれた、源光庵の写真だ。迷いの窓から朝日が差し込んで、まるで高尚な絵画のようだ。一方、今年応募した高山寺の写真は、源光庵に比べると構図も雰囲気もやや凡庸に見える。なぜ高山寺の写真は選ばれて、源光庵は選ばれなかったのか。審査員はどういう基準で写真を選んでいるのか。
「そりゃ、人生って往々にしてそういうことが起こるもんよ」
入賞の報告と同時に心の内を曝け出したら、みっちゃんは自分の爪をじっと見つめながらそう言った。
「めちゃめちゃ美形な俳優の結婚相手が思ってた感じの人と違うと、『何で?』って思わない?」
「それはまぁ、その人にいろんな魅力があったからじゃない?」
「じゃあ、毎年の流行語大賞、『全然知らない』ってなることない?」
「まぁ、それはたまに思う」
わたしはこたつに入れた足を揉みながら答えた。携帯電話の小さな画面の中で、みっちゃんが爪を切っている。最近は出かけることすら億劫なので、お互い自宅にいながらテレビ通話でだらだらと話すことが多い。パックを顔に貼りつけたまま話すみっちゃんも、爪切りをしているみっちゃんも、もうすっかり見慣れてしまった。対するわたしも、3個目のみかんの皮をぺりぺりと剝いているところだ。せっかくダイエットをしようと決めたのに、実家からダンボールいっぱいのみかんが届き、結局ちょこちょこ食べてしまっている。罪滅ぼしのように腹筋を始めてみたが、今のところ目に見える変化はない。
「あと、レコード大賞で『何でこの曲?』ってのが受賞したり、ミスコンのグランプリよりも準グランプリの方がかわいかったり」
「まぁ、まぁ……。それって、審査員の好みじゃない?」
「そう。つまり、そういうこと。審査員次第で結果も変わる。だから、何でこれが受賞したんだろうとか、何であれがだめだったんだろうとか、考えてもむだでしょ」
「確かに」
みっちゃんが言うと妙に説得力がある。感情で動くわたしとは違い、みっちゃんは時折論理的だ。お買い得な商品があってもすぐには買わず、一晩置いて「あれはコスパがいまいちだ」と考え直したり、ドラマのご都合主義な展開に容赦なく突っ込みを入れたりする。みっちゃんは爪切りを置き、目線をわたしに向けた。
「でも、よかったじゃん。写真を誰かに気に入ってもらえたのは事実なんだし。素直に喜びなよ」
一歩前進、でしょ? そう言って笑うみっちゃんに、「うん、そうだね」と同意した。とにもかくにも、去年よりは成長した証が手に入った。たとえ大きな賞ではなくても、努力が認められたなら、今はそれで十分だ。
「間崎教授には報告した?」
「したよ。そしたら『おめでとう』って、一言だけ」
「それだけ? 相変わらずそっけないなぁ」
「でも、ご褒美に大原に連れていってもらう約束したの。雪の日に」
「いいねぇ、かなり寒そうだけど。いい写真、たくさん撮れるといいね」
「うん」
カメラについているこん様のストラップを指でつついた。3年目にして、ようやく教授と雪を見ることができる。寒さなんか気にしていられない。こん様も、無言でうなずいているような気がした。
教授と約束した当日。家の周辺に積雪がなかったので少し不安だったが、大原に着く頃にはあたり一面雪景色となっていた。裸の木の枝にどっしりと雪が積もり、まるで満開の桜のようだ。大体数センチくらい積もっているだろうか。一歩進むたび足が深く沈み込み、足跡がくっきりとついていく。
「すごいです、こんなに積もってるの見たことない!」
ざくざくと雪を踏みながら、わたしは大きく声を上げた。少し離れたところにいる教授が、首を縮めながら恨めしそうにわたしを見ている。雪風がびゅうっと強く吹きつけ、わたしの視界をさえぎった。
「大変です、前が見えません」
去年は蓮華寺を、その前は金閣寺を見るには見たが、ここまでの積雪はなかった。歩いているだけで、頭や体にどんどん雪が積もっていく。
三千院までの道はしっとりと濡れ、氷の上を歩いているようだった。気を抜くとつるっと転んでしまいそうだ。
「すべる、すべっちゃう」
思わず教授の腕をつかもうとすると、ものすごい勢いでさっと避けられた。
「何で避けるんですか」
「巻き込まれたくないから」
「大人げない。大人げなさすぎます」
大雪のせいか、観光客の姿は少なかった。道脇に立ち並ぶ店が、みな黙り込んでわたしたちの横を通り過ぎていく。口から吐く息はすぐに白く曇り、雪のように消えていく。
雪が、音も、色も奪っていく。古い日本の原風景のような、灰色のフィルムに焼きついた御伽話のような顔をしている。
慎重に歩いていくと、「三千院門跡」という大きな石碑が建っているのを見つけた。階段を上り、御殿門と呼ばれる門をくぐる。靴を脱いで客殿に入ると、廊下が冷えているせいか、氷の上を裸足で歩いているようだった。聚碧園(しゅうへきえん)という庭にもどっさりと雪が積もり、水墨画のような景色が広がっている。雪が、枝を重たくしならせている。
「普段は緑が美しいんだが」
教授はそこで言葉を切った。これだけ真っ白だと、積雪のない庭を想像することは難しい。
うらやましいな、と思った。教授は、他の季節の三千院を知っている。雪に覆われた庭を見て、違う景色を想像することができる。それは、京都で過ごしてきた年月が長いからこそ成せる技だろう。
わたしは、どうだろう。わたしにとっての大原は、今目に映る風景がすべてだ。他の季節にどんな景色が広がっているのか。どんな顔をしているのか、わたしは知らない。
三千院は、最澄が比叡山東塔に建てた草庵が前身だそうだ。妙法院、青蓮院とともに天台宗三門跡の一つで、「一念三千(いちねんさんぜん)」という天台宗の教えからその名がついたらしい。
宸殿を見たあと、有清園という庭に降り立った。春には桜とシャクナゲが庭を淡く染め、夏の新緑や秋の紅葉も美しいという。普段は苔が広がっているそうだが、今日は一面雪に覆われている。
モノクロだ。雪は、木々や苔の色すら白く染め上げてしまう。呼吸を塞ぐように、静かに生命を奪っていく。手のひらに落ちるとすぐに消えるのに、あっという間に静寂の世界を作り出してしまう。
隣を見ると、教授がいた。白黒の世界で、教授だけがただひとり、色を失わずにそこにいた。生命、の、かたち、のようなものが、うっすらと見えた気がした。
雪がきらいだ、と教授は言った。だけど皮肉にも、教授は雪が似合うと思った。雪みたいな人。いつだったか、みっちゃんがそんなことを言っていたのを思い出した。あの時はよく分からなかったけれど、今ならその意味が理解できる。
往生極楽院には、国宝である阿弥陀三尊像が祀られていた。両脇にある観世音菩薩と勢至(せいし)菩薩は、少し前かがみにひざまずいている。これは「大和坐り」というめずらしい姿だそうだ。
「そこにあるわらべ地蔵も人気なんだ」
再び有清園を歩きながら、教授が言った。
「全然見えません」
「苔の上でにっこり笑っている姿がかわいらしいと評判でね」
「さっぱり分かりません」
苔も地蔵も、雪のせいでまったく見えない。雪景色と引き換えに、見られないものもある。
「そこにある竹筒から出ている水は、金色水と呼ばれている。福寿延命の水なんだ」
目を凝らして見てみると、確かにちょろちょろと水が出ていた。
「触れると寿命が延びるよ」
「気になりますけど、やめときます」
今冷たい水に触れたら、間違いなく指先が凍えてしまう。先ほどから靴の先がしっとりと濡れ、ポケットにあるカイロもあまり意味を成していない。万全の対策をしてきたつもりだが、やはり街中とは寒さの質が違う。
三千院は、広かった。歩いても歩いても果てが見えない。ひとりだったら迷子になってしまいそうだ。長時間歩いていると、どんどん体が冷えてきた。寒さから身を守るようにしゃがみ込む。わたしは足元にある雪を手に取った。
「何をしているんだ」
前を歩いていた教授が足をとめ、振り返った。
「雪だるまを作ってます」
「寒い。早く」
「待ってください」
胴体の部分を作り、その上にもう一つ雪玉を重ねる。ついでに耳もつけ足した。
「何だそれは」
「こん様です。似てません?」
カメラのストラップを見せると、教授はこん様と雪だるまをしげしげと見比べた。
「そうだな。耳が二つあるところなんてそっくりだ」
「ばかにしてますよね」
わたしはむかむかして、足元の雪をすくって教授に投げた。教授のコートに雪玉があたる。教授は一瞬固まったが、すぐに3倍ほどの雪玉をわたしの方に投げてきた。まったく大人げない大人である。
大原に到着して1時間以上経ったが、雪は溶けるどころか厚みを増していく。わたしは木の枝にどっさりと積もった雪を指差した。
「あそこの枝、エクレアみたいです」
「もっと風情のある感想はないのか」
「じゃあ、あの茂み、白いゆりの花みたいです」
「……花弁の形が違うだろう」
「となるとやっぱり、雪見だいふくですかね」
「食べ物から一旦離れなさい」
その後も、 金色不動堂や観音堂を見学しながら境内を歩いていった。寒さに手がかじかみ、手袋は何の意味も成していない。
「結構、頑張った気がします」
宝物館に入り、撮影した写真を確認した。どれもこれも雪がどっさりと積もり、写真からでも寒さが伝わってくるようだ。教授に見せると、「いいね」と満足そうにうなずいた。それから思い出したように、
「コンテスト、入賞おめでとう」
「どうしたんですか、改まって」
直接伝えてなかったからね。教授はそう言って微笑んだ。
「君の写真は、とてもいい。君の写真は」
「強調しなくていいです」
もう少し素直に褒められないのか。そう思ったが、今はその言葉を素直に受けとめるべきかもしれない。
初めてカメラを手にした幼い日の自分に、ようやく顔向けできるような気がした。わたしはちゃんと成長している。少しずつ、前に進んでいる。今ならそう、胸を張って言える。
「嬉しいです。とっても」
小学校の頃は、ただなんとなくシャッターを切っていた。目的もなく、これといって撮りたいものもなく、ただその瞬間、気の向くままに撮っていた。だけど、今は違う。行きたい場所があり、知りたいことがあり、撮りたい景色がある。「美しい」を、もっと集めていきたい。
外に出ると、雪が花びらのようにひらひらと舞っていた。まだ当分、やみそうにない。