「もう今年も終わりかぁ」
12月の後半にもなると、いよいよ寒さも本格化し、冷たい風に震える日が多くなった。
履修している講義もぽつぽつと終わりを迎え、あとは帰省するタイミングをうかがうのみだ。わたしとみっちゃんは特にすることもなく、大学の食堂でだらだらと過ごしていた。
「早いよね。年々早くなってる気がする」
「去年も同じこと言ってたよ」
そう言うと、みっちゃんは「そうだけどさぁ」とテーブルに突っ伏した。
「来年はとうとう4回生だよ? 就活も始まるし、憂鬱」
「そっか。そうだよね」
最近はもっぱら写真のことで頭がいっぱいで、就職活動の存在なんてすっかり忘れていた。
先日、去年と同じフォトコンテストに、高山寺で撮影した写真を応募した。赤く染まったもみじの一部に光があたり、そこだけ黄金に輝いている写真だ。今回は間崎教授に相談せず、自分で選んだ。この写真がすきだと思った。たとえどんな結果になったとしても、その気持ちは変わらないだろう。
「琴子は卒業したらどうするの? 地元に帰る?」
「まだ何にも決めてない」
「あたしも。大学院に行く気はないけど、就職もしたくない」
「大学院かぁ」
確かに、文学部だとあまり院に進む学生は多くない。大学院って、一体どんなところだろう。就職する道も、大学院に進む道も、いまいち想像できない。
小学校の次は中学校、中学校の次は高校、高校の次は大学。今まで、決められた道をただ歩いてきたような気がする。高校を卒業してすぐ就職する人もいるが、わたしの通っていた高校では、ほとんどの生徒が進学の道を選んだ。そういう環境にいたからか、大学に進学するのがあたりまえだと思っていたけれど、成人式で再会した小中学校の同級生の中には、すでに働いている子も大勢いた。毎日大変だよぉ、とか、学生はいいなぁ、なんて、大人のような顔で笑っていた。その時はまるで別世界の話のように感じたけれど、わたしにもそんな未来が、すぐそこに迫っているのかもしれない。
「いっそのこと神様に決めてほしい。おまえはこの道を進みなさいって」
「その方が楽かも」
神様に正しい道を示してもらえるのなら、それが一番いいのかもしれない。大学受験の時は自分で決めた。京都に行きたいという確固たる意志があったからだ。でも、今のわたしにはまだそれがない。やりたいことも、なりたい職業も、流れる雲のようにあいまいなままだ。
「そうだ。今から神社行かない?」
コーヒーを飲み干したみっちゃんが、唐突に言った。
「今から? 何で?」
「本当は初詣に行きたいけど、お正月ってどこも混むでしょ。だから、年末詣」
毎年初詣は地元で済ませてしまうので、京都では行ったことがない。年末年始くらいは実家でゆっくり過ごしたいし、混雑するのは目に見えているからだ。1回生の時は上賀茂神社、2回生の時は新熊野神社へ行ったが、どちらも初詣ではなかった。それなら、今のうちに参拝しておくのもありかもしれない。
みっちゃんの提案で、大学からも近い岡﨑神社に行くことにした。鳥居をくぐると狛犬ならぬ狛うさぎがちょこんと鎮座している。提灯に描かれているのもうさぎ、絵馬にもうさぎ、どこもかしこもうさぎだらけだ。
「すごい、かわいいね」
本殿の近くにはうさぎの形をしたおみくじがずらりと並んでいる。小さな前足がなんとも愛くるしい。松尾大社にいた白虎と同じシリーズなのかもしれない。
「小学校でうさぎ飼ってたなぁ。みんなでお世話するの」
琴子の小学校にもいた? みっちゃんの問いかけに、わたしは「ううん」と首を振った。
「そうなんだ。学校によるのかな。うちにはチャボもいた」
「いいなぁ、楽しそう」
実家にペットもいないわたしは、動物と触れ合う機会はあまりなかったように思う。たまにすれ違う犬や猫を見ると撫でてみたいと思うが、飼う勇気はない。自分の生活すらままならないのだから、動物のお世話をするなんて、と気が引けてしまう。それに、わたしにはこん様がいる。現実とも夢ともつかないあの世界で、もふもふの体を抱き締めることができる。そうみっちゃんに話したら、どんな顔をするだろう。
賽銭箱にお金を入れ、祈るように手を合わせた。今年1年、見守っていただきありがとうございました。来年も健康で過ごせますように。フォトコンテストで入賞しますように。楽しい未来が、待っていますように。
将来、わたしは何をしているのだろう。どんな仕事をしているんだろう。卒業しても、写真を撮り続けているのだろうか。大学に入学した直後のように、忙しさに追われ、撮影する喜びを忘れてしまわないだろうか。写真を撮らない人生なんて考えられない。そう思うけれど、社会人になったら、この気持ちも変わってしまうのかもしれない。
お参りを済ませたあと、受付でうさぎのおみくじを購入することにした。開いてみると、なんと末吉である。
「人間関係に亀裂が入るって」
読み上げながら、わたしは顔を苦くした。学業にいたっては「十分に実力を発揮できない」、仕事の面では「まとまりにくい」なんて書いてある。
「みっちゃんは?」
「あたしは小吉。末吉と小吉ってどっちがいいの?」
「さぁ……」
いずれにせよ、ふたりともあまりいい結果ではないらしい。
「微妙だね」
「うん、微妙だ」
あたるも八卦、あたらぬも八卦。そうつぶやきながら、おみくじを指定の場所に結びつけた。うさぎは多産なことから安産・子授けの神でもあるが、「ツキ」を招くともいわれているらしい。わたしたちに、どうか運をお招きください。そう願って、境内をあとにした。
まだ解散するには早いので、そのまま河原町に向かった。大きなツリーが置かれていたり、イルミネーションが施されていたりと、すっかりクリスマスモードだ。
自分たちの機嫌を取るように、三条のリプトンでケーキを食べた。おいしいねぇ、ちょっと早いクリスマスだね。そう言い合いながらぺろりと完食し、ロフトで新しいスケジュール帳を買って帰った。
もうわたしのところにサンタは来ない。ほしいものは自分で買うし、誰かにねだることもなくなった。大人になるって、そういうことかもしれない。魔法少女になる夢を諦めて、サンタクロースを信じなくなって、どうやって遊ぶかよりもいくら稼げるかを考えて、やりたいことよりやるべきことを優先する。そうやって、地面に足がついていく。
大人たちは、どうやって自分の道を決めたんだろう。明確にやりたいことがあって、それに向かって進んでいったのか。それとも、ただなんとなく流されただけか。明日のことすら分からないのに、未来のことなんて分からない。10年後、20年後、「あの時ああしておけばよかった」と、後悔する日が来るのかもしれない。それでも、否応なく進まなければいけないのだろう。
家に帰って、白虎の隣にうさぎのおみくじを置いた。ツキを招くうさぎは、わたしに何をもたらしてくれる? 神の啓示のように、歩むべき道を教えてくれたらいいのに。
もう少しで、新しい年が来る。決断の時は、すぐそこまで迫っているような気がした。
12月の後半にもなると、いよいよ寒さも本格化し、冷たい風に震える日が多くなった。
履修している講義もぽつぽつと終わりを迎え、あとは帰省するタイミングをうかがうのみだ。わたしとみっちゃんは特にすることもなく、大学の食堂でだらだらと過ごしていた。
「早いよね。年々早くなってる気がする」
「去年も同じこと言ってたよ」
そう言うと、みっちゃんは「そうだけどさぁ」とテーブルに突っ伏した。
「来年はとうとう4回生だよ? 就活も始まるし、憂鬱」
「そっか。そうだよね」
最近はもっぱら写真のことで頭がいっぱいで、就職活動の存在なんてすっかり忘れていた。
先日、去年と同じフォトコンテストに、高山寺で撮影した写真を応募した。赤く染まったもみじの一部に光があたり、そこだけ黄金に輝いている写真だ。今回は間崎教授に相談せず、自分で選んだ。この写真がすきだと思った。たとえどんな結果になったとしても、その気持ちは変わらないだろう。
「琴子は卒業したらどうするの? 地元に帰る?」
「まだ何にも決めてない」
「あたしも。大学院に行く気はないけど、就職もしたくない」
「大学院かぁ」
確かに、文学部だとあまり院に進む学生は多くない。大学院って、一体どんなところだろう。就職する道も、大学院に進む道も、いまいち想像できない。
小学校の次は中学校、中学校の次は高校、高校の次は大学。今まで、決められた道をただ歩いてきたような気がする。高校を卒業してすぐ就職する人もいるが、わたしの通っていた高校では、ほとんどの生徒が進学の道を選んだ。そういう環境にいたからか、大学に進学するのがあたりまえだと思っていたけれど、成人式で再会した小中学校の同級生の中には、すでに働いている子も大勢いた。毎日大変だよぉ、とか、学生はいいなぁ、なんて、大人のような顔で笑っていた。その時はまるで別世界の話のように感じたけれど、わたしにもそんな未来が、すぐそこに迫っているのかもしれない。
「いっそのこと神様に決めてほしい。おまえはこの道を進みなさいって」
「その方が楽かも」
神様に正しい道を示してもらえるのなら、それが一番いいのかもしれない。大学受験の時は自分で決めた。京都に行きたいという確固たる意志があったからだ。でも、今のわたしにはまだそれがない。やりたいことも、なりたい職業も、流れる雲のようにあいまいなままだ。
「そうだ。今から神社行かない?」
コーヒーを飲み干したみっちゃんが、唐突に言った。
「今から? 何で?」
「本当は初詣に行きたいけど、お正月ってどこも混むでしょ。だから、年末詣」
毎年初詣は地元で済ませてしまうので、京都では行ったことがない。年末年始くらいは実家でゆっくり過ごしたいし、混雑するのは目に見えているからだ。1回生の時は上賀茂神社、2回生の時は新熊野神社へ行ったが、どちらも初詣ではなかった。それなら、今のうちに参拝しておくのもありかもしれない。
みっちゃんの提案で、大学からも近い岡﨑神社に行くことにした。鳥居をくぐると狛犬ならぬ狛うさぎがちょこんと鎮座している。提灯に描かれているのもうさぎ、絵馬にもうさぎ、どこもかしこもうさぎだらけだ。
「すごい、かわいいね」
本殿の近くにはうさぎの形をしたおみくじがずらりと並んでいる。小さな前足がなんとも愛くるしい。松尾大社にいた白虎と同じシリーズなのかもしれない。
「小学校でうさぎ飼ってたなぁ。みんなでお世話するの」
琴子の小学校にもいた? みっちゃんの問いかけに、わたしは「ううん」と首を振った。
「そうなんだ。学校によるのかな。うちにはチャボもいた」
「いいなぁ、楽しそう」
実家にペットもいないわたしは、動物と触れ合う機会はあまりなかったように思う。たまにすれ違う犬や猫を見ると撫でてみたいと思うが、飼う勇気はない。自分の生活すらままならないのだから、動物のお世話をするなんて、と気が引けてしまう。それに、わたしにはこん様がいる。現実とも夢ともつかないあの世界で、もふもふの体を抱き締めることができる。そうみっちゃんに話したら、どんな顔をするだろう。
賽銭箱にお金を入れ、祈るように手を合わせた。今年1年、見守っていただきありがとうございました。来年も健康で過ごせますように。フォトコンテストで入賞しますように。楽しい未来が、待っていますように。
将来、わたしは何をしているのだろう。どんな仕事をしているんだろう。卒業しても、写真を撮り続けているのだろうか。大学に入学した直後のように、忙しさに追われ、撮影する喜びを忘れてしまわないだろうか。写真を撮らない人生なんて考えられない。そう思うけれど、社会人になったら、この気持ちも変わってしまうのかもしれない。
お参りを済ませたあと、受付でうさぎのおみくじを購入することにした。開いてみると、なんと末吉である。
「人間関係に亀裂が入るって」
読み上げながら、わたしは顔を苦くした。学業にいたっては「十分に実力を発揮できない」、仕事の面では「まとまりにくい」なんて書いてある。
「みっちゃんは?」
「あたしは小吉。末吉と小吉ってどっちがいいの?」
「さぁ……」
いずれにせよ、ふたりともあまりいい結果ではないらしい。
「微妙だね」
「うん、微妙だ」
あたるも八卦、あたらぬも八卦。そうつぶやきながら、おみくじを指定の場所に結びつけた。うさぎは多産なことから安産・子授けの神でもあるが、「ツキ」を招くともいわれているらしい。わたしたちに、どうか運をお招きください。そう願って、境内をあとにした。
まだ解散するには早いので、そのまま河原町に向かった。大きなツリーが置かれていたり、イルミネーションが施されていたりと、すっかりクリスマスモードだ。
自分たちの機嫌を取るように、三条のリプトンでケーキを食べた。おいしいねぇ、ちょっと早いクリスマスだね。そう言い合いながらぺろりと完食し、ロフトで新しいスケジュール帳を買って帰った。
もうわたしのところにサンタは来ない。ほしいものは自分で買うし、誰かにねだることもなくなった。大人になるって、そういうことかもしれない。魔法少女になる夢を諦めて、サンタクロースを信じなくなって、どうやって遊ぶかよりもいくら稼げるかを考えて、やりたいことよりやるべきことを優先する。そうやって、地面に足がついていく。
大人たちは、どうやって自分の道を決めたんだろう。明確にやりたいことがあって、それに向かって進んでいったのか。それとも、ただなんとなく流されただけか。明日のことすら分からないのに、未来のことなんて分からない。10年後、20年後、「あの時ああしておけばよかった」と、後悔する日が来るのかもしれない。それでも、否応なく進まなければいけないのだろう。
家に帰って、白虎の隣にうさぎのおみくじを置いた。ツキを招くうさぎは、わたしに何をもたらしてくれる? 神の啓示のように、歩むべき道を教えてくれたらいいのに。
もう少しで、新しい年が来る。決断の時は、すぐそこまで迫っているような気がした。