食事処で軽食を済ませてから、西明寺へと向かった。神護寺ほどではないが、こちらも拝観者が大勢いる。外国人の姿もちらほら見え、それほど有名な場所なのだ、と悟った。京都に住んでいるわたしより、他国から来る人の方が、紅葉の名所には詳しいのかもしれない。
西明寺からさらに15分ほど歩くと、高山寺が見えてきた。今年の秋に行こう、そう決めたのは、夏に高台寺へ行った時だった。元々は鳥獣戯画が目当てだったが、神護寺と西明寺も予想以上にすばらしかった。京都はいつも、想像を超えた感動をわたしに与える。
「まずは石水院に行こうか」
間崎教授の言葉に従い、石水院の門をくぐり抜けた。受付の近くにはさまざまな鳥獣戯画のグッズが販売されている。おなじみの動物が描かれた手ぬぐいや扇子、クリアファイルなど、どれもほしくなるようなものばかりだ。
廂(ひさし)の間をのぞくと、小さな像のシルエットが見えた。
「あれは善財童子(ぜんざいどうじ)像。仏教経典『華厳経』などに登場する菩薩だよ」
写真を撮ろうとしたら、背後から教授が言った。
「高山寺を開いた明恵が善財童子を敬愛していたことから、この木像を置いたそうだ」
わたしは感心しながらカメラのシャッターを切った。思った通り、背後に見える紅葉の明るさと善財童子像のシルエットが、互いを際立たせるように写っている。
「いい感じですか」
「いい感じです」
教授の言葉に満足し、わたしはさらに奥へと進んだ。
高山寺の紅葉は、神護寺よりも少し黄色が強い気がする。真っ赤に燃えるというよりは、黄金に輝く、という表現が合うような様子だ。一言で紅葉と言っても、場所によって印象が違う。もみじの種類、光や水の量、気温など、さまざまな要素が色づきに影響を与えるのだろう。また来年ここに来たら、違うように見えるのかもしれない。
「ありました、鳥獣戯画!」
ガラスケースに、見覚えのある絵巻物が展示されていた。求めていた鳥獣戯画だ。カエルやうさぎなどの動物が、コミカルなタッチで描かれている。こちらはレプリカで、本物は東京国立博物館と京都国立博物館に保存されているそうだ。
「鳥獣戯画は甲・乙・丙・丁の四巻から構成されているんだ。甲巻がもっとも有名で、擬人化された動物が描かれている」
「他の巻は?」
「乙巻は実在する、または空想上の動物。丙巻は人間と動物による遊戯。丁巻は、法要や宮中行事などだな」
よくよく見ると、確かにそれぞれの巻で描かれているものも、絵のタッチも違う。鳥獣戯画といえば動物というイメージが強いため、今まで気づかなかった。
「どうしてこんなに違うんでしょう」
「甲乙巻が平安時代後期、丙丁巻は鎌倉時代の制作と考えられている。作者については鳥羽僧正覚猷(かくゆう)ともいわれてきたが、成立の時代から考えて、複数人いるという説が有力だろう」
わたしは隅々まで鳥獣戯画を眺めた。どの巻も興味深いが、やはりどうしても甲巻に目がいってしまう。仰向けに倒れたカエルを見下ろしているうさぎたちが、なんとも愛くるしい。
鳥獣戯画の他にも、明恵上人樹上坐禅像や仏師・湛慶(たんけい)が作った子犬の像などがあった。ぬいぐるみのようなフォルムの、かわいらしい子犬だ。明恵が日頃からかわいがっていたそうで、撫でたくなるような愛らしさがある。
鳥獣戯画が描かれたクリアファイルを購入して、石水院を出た。歩いた先に、「日本最古之茶園」という石碑が建っている。
「ここが茶園の始まりなんですか?」
尋ねると、教授は「そうだよ」と言った。
「栄西がもらった茶の実を、明恵が山内で植え育てたそうだ。茶には眠りを覚ます効果があるので、修行僧たちに薦めたらしい」
「眠気覚ましっていうとコーヒーのイメージがありますけど、緑茶もいいんですね」
「カフェインの含有量だけ見れば、緑茶の方が多いものもある」
「へぇーっ、そうなんですね!」
教授は京都のことだけでなく、他の分野の知識も豊富だ。日頃の疑問も、教授に聞けば何でも解決してくれそうな気がする。
「ちなみにチョコレートにもカフェインは含まれている。つまり、作業に甘いものは必須ということだ」
「へぇーそうなんですねー」
カフェイン補給のためなんて、教授室に甘いお菓子が大量にある理由にはならない。単に甘いものがすきなだけなのだ、この人は。
その後境内を一周し、思う存分写真を撮ってからバスに乗った。
「さすがに疲れました。明日は筋肉痛かも」
「ああ。甘いものが食べたくなってきた」
「それ、いつもじゃないですか」
バスに揺られながら、わたしは窓の外を眺めた。紅葉が徐々に少なくなり、代わりに建物が増えていく。車が増え、人が増え、いつもの日常に戻っていく。西に傾いた太陽が、景色を黄色く照らし出している。
秋になり、一日の長さがぐんと短くなった。朝、目覚めた時に見る光はあんなにも希望に満ちたものなのに、どうして夕日はこうも切なさを含んでいるのだろう。楽しい時間はあっという間に過ぎるのが世の常で、時間の流れには逆らえない。わたしと教授の一日が、あと少しで終わってしまう。
フォトコンテストへの応募を、わたしはまだ決めかねていた。去年あれだけ意気込んだのに、入賞することはできなかった。今年もまた結果を残せなかったら。そう思うと、少しこわい。わたしが今まで写真にかけてきた時間を、すべて否定されるような気がする。
今日撮った写真を眺めていると、隣にいる教授がのぞき込んできた。
「どうですか」
見やすいようにカメラを傾けると、教授は素っ気なく「別に、いつも通り」と答えた。
「何ですかそれ」
「いつも通り、最高ですよ」
教授はあくびを一つすると、腕を組んで目を閉じた。
そうだ、入賞なんかしなくていい。隣にいるこの人が褒めてくれる。それだけで、わたしの写真には価値があるのだから。
目的地にはまだ遠い。これからのことは、ゆっくり考えればいいのだ。わたしはカメラの電源を切り、教授の隣で目蓋を下ろした。
西明寺からさらに15分ほど歩くと、高山寺が見えてきた。今年の秋に行こう、そう決めたのは、夏に高台寺へ行った時だった。元々は鳥獣戯画が目当てだったが、神護寺と西明寺も予想以上にすばらしかった。京都はいつも、想像を超えた感動をわたしに与える。
「まずは石水院に行こうか」
間崎教授の言葉に従い、石水院の門をくぐり抜けた。受付の近くにはさまざまな鳥獣戯画のグッズが販売されている。おなじみの動物が描かれた手ぬぐいや扇子、クリアファイルなど、どれもほしくなるようなものばかりだ。
廂(ひさし)の間をのぞくと、小さな像のシルエットが見えた。
「あれは善財童子(ぜんざいどうじ)像。仏教経典『華厳経』などに登場する菩薩だよ」
写真を撮ろうとしたら、背後から教授が言った。
「高山寺を開いた明恵が善財童子を敬愛していたことから、この木像を置いたそうだ」
わたしは感心しながらカメラのシャッターを切った。思った通り、背後に見える紅葉の明るさと善財童子像のシルエットが、互いを際立たせるように写っている。
「いい感じですか」
「いい感じです」
教授の言葉に満足し、わたしはさらに奥へと進んだ。
高山寺の紅葉は、神護寺よりも少し黄色が強い気がする。真っ赤に燃えるというよりは、黄金に輝く、という表現が合うような様子だ。一言で紅葉と言っても、場所によって印象が違う。もみじの種類、光や水の量、気温など、さまざまな要素が色づきに影響を与えるのだろう。また来年ここに来たら、違うように見えるのかもしれない。
「ありました、鳥獣戯画!」
ガラスケースに、見覚えのある絵巻物が展示されていた。求めていた鳥獣戯画だ。カエルやうさぎなどの動物が、コミカルなタッチで描かれている。こちらはレプリカで、本物は東京国立博物館と京都国立博物館に保存されているそうだ。
「鳥獣戯画は甲・乙・丙・丁の四巻から構成されているんだ。甲巻がもっとも有名で、擬人化された動物が描かれている」
「他の巻は?」
「乙巻は実在する、または空想上の動物。丙巻は人間と動物による遊戯。丁巻は、法要や宮中行事などだな」
よくよく見ると、確かにそれぞれの巻で描かれているものも、絵のタッチも違う。鳥獣戯画といえば動物というイメージが強いため、今まで気づかなかった。
「どうしてこんなに違うんでしょう」
「甲乙巻が平安時代後期、丙丁巻は鎌倉時代の制作と考えられている。作者については鳥羽僧正覚猷(かくゆう)ともいわれてきたが、成立の時代から考えて、複数人いるという説が有力だろう」
わたしは隅々まで鳥獣戯画を眺めた。どの巻も興味深いが、やはりどうしても甲巻に目がいってしまう。仰向けに倒れたカエルを見下ろしているうさぎたちが、なんとも愛くるしい。
鳥獣戯画の他にも、明恵上人樹上坐禅像や仏師・湛慶(たんけい)が作った子犬の像などがあった。ぬいぐるみのようなフォルムの、かわいらしい子犬だ。明恵が日頃からかわいがっていたそうで、撫でたくなるような愛らしさがある。
鳥獣戯画が描かれたクリアファイルを購入して、石水院を出た。歩いた先に、「日本最古之茶園」という石碑が建っている。
「ここが茶園の始まりなんですか?」
尋ねると、教授は「そうだよ」と言った。
「栄西がもらった茶の実を、明恵が山内で植え育てたそうだ。茶には眠りを覚ます効果があるので、修行僧たちに薦めたらしい」
「眠気覚ましっていうとコーヒーのイメージがありますけど、緑茶もいいんですね」
「カフェインの含有量だけ見れば、緑茶の方が多いものもある」
「へぇーっ、そうなんですね!」
教授は京都のことだけでなく、他の分野の知識も豊富だ。日頃の疑問も、教授に聞けば何でも解決してくれそうな気がする。
「ちなみにチョコレートにもカフェインは含まれている。つまり、作業に甘いものは必須ということだ」
「へぇーそうなんですねー」
カフェイン補給のためなんて、教授室に甘いお菓子が大量にある理由にはならない。単に甘いものがすきなだけなのだ、この人は。
その後境内を一周し、思う存分写真を撮ってからバスに乗った。
「さすがに疲れました。明日は筋肉痛かも」
「ああ。甘いものが食べたくなってきた」
「それ、いつもじゃないですか」
バスに揺られながら、わたしは窓の外を眺めた。紅葉が徐々に少なくなり、代わりに建物が増えていく。車が増え、人が増え、いつもの日常に戻っていく。西に傾いた太陽が、景色を黄色く照らし出している。
秋になり、一日の長さがぐんと短くなった。朝、目覚めた時に見る光はあんなにも希望に満ちたものなのに、どうして夕日はこうも切なさを含んでいるのだろう。楽しい時間はあっという間に過ぎるのが世の常で、時間の流れには逆らえない。わたしと教授の一日が、あと少しで終わってしまう。
フォトコンテストへの応募を、わたしはまだ決めかねていた。去年あれだけ意気込んだのに、入賞することはできなかった。今年もまた結果を残せなかったら。そう思うと、少しこわい。わたしが今まで写真にかけてきた時間を、すべて否定されるような気がする。
今日撮った写真を眺めていると、隣にいる教授がのぞき込んできた。
「どうですか」
見やすいようにカメラを傾けると、教授は素っ気なく「別に、いつも通り」と答えた。
「何ですかそれ」
「いつも通り、最高ですよ」
教授はあくびを一つすると、腕を組んで目を閉じた。
そうだ、入賞なんかしなくていい。隣にいるこの人が褒めてくれる。それだけで、わたしの写真には価値があるのだから。
目的地にはまだ遠い。これからのことは、ゆっくり考えればいいのだ。わたしはカメラの電源を切り、教授の隣で目蓋を下ろした。