あ、紅葉している。

街中を歩いていると、ぽつぽつ赤い葉が目立ち始めた。青葉にじわじわと赤色が染み込んでいくのを見ながら、間崎教授と出かける予定までの日数を指折り数える。あと少し、もう少し。

教授との紅葉巡りも、今年でもう三度目になる。去年、おととしは25日前後に行っていたが、今年はそれより一週間ほど早い日程となった。今回予定しているのは高雄・槇尾(まきのお)・栂尾(とがのお)という、紅葉の名所三尾と呼ばれるエリアだ。気温の関係で、京都の市街地より一週間ほど早く紅葉するのだという。

「この階段を上るんですか」

延々と伸びる階段を見上げ、わたしはたじろいだ。右手には「高雄山神護寺参道」と大きく案内が出ている。段差はさほど大きくないし、傾斜はゆるやかなように見える。しかし、下りてきた人たちの疲れ果てた様子を見ると、決して楽な道ではなさそうだ。

バスを降り、高雄橋を過ぎる頃までは気楽だった。すっかり紅葉していますねぇ、なんて言いながら、呑気にシャッターを切っていた。

「言ったでしょう、ハードだって」

教授は飄々とそう答え、気合いを入れるように腕のストレッチをしている。ある程度予想はしていたが、これでは完全に登山だ。

「ほら、突っ立ってないで行くよ」

「うぅ」

わたしはのろのろと階段を上り始めた。残念ながら、体力には自信がない。5分ほど過ぎた頃には、じわじわと疲れが滲み始めた。

「教授ぅ、どうしてそんなに余裕なんですか」

わたしとは反対に、教授はまるで平地を散歩しているような軽快さで上っていく。

「覚悟してきたから」

「わたし、覚悟が足りなかったかもしれません」

「若いくせに、情けない」

言い返したいところだが、もはや声を出すのも苦しい。のろのろ上るわたしを、後方から来たおじいさんやおばあさんがどんどん追い抜いていく。彼らの体力は一体どこから来ているのか。やはり教授の言うように、覚悟の違いだろうか。途中で食事処を見つけ、今すぐ休憩したい気持ちに駆られた。しかし、まだ神護寺に到着すらしていないのだ。ここで休憩するわけにはいかない。

ようやく神護寺の入り口らしき門が見えてきた。両足が雛鳥のように震えている。手すりをつかみながら、最後の体力を振り絞る。

「ほら」

先に上まで到達した教授が、わたしに手を差し伸べた。その手を取って、ぐいっと引き上げられながら、最後の一段を上りきる。わたしが呼吸を整えている間に、教授はふたり分の拝観料を支払ってくれた。

疲れた。それほど長い時間上っていたわけでもないのに、とにかく疲れた。ペットボトルの水をぐびぐびと喉に流し込む。まだ門すらくぐっていないのにこの調子じゃ、先が思いやられる。日頃の生活習慣を見直すべきかもしれない。

神護寺の門をくぐると、広々とした境内に目を見張った。街中ではまだ色づき始めだが、ここにあるもみじはちょうど今が盛りという感じだ。風が吹くとはらはらともみじが落ち、地面まで赤く染め上げている。ぽつぽつ落ちているどんぐりが、秋の色を濃くしていた。

京都駅からずいぶん離れているが、紅葉の名所なだけあって拝観者が多い。敷地面積が広いので、撮影する際にも人が写り込まないのがありがたい。

「さっき上った階段、何段だと思う」

カメラの準備をしているわたしに、教授が問いかけた。

「分からないですよ、数える余裕なんてなかったもん」

「正解は、約400段」

ひぃ、とかすれた声が出た。

「聞かなくてよかったです」

「だから今言ってみた」

「お気遣いありがとうございます」

太陽光に照らされたもみじは、神々しさすら感じるほど美しかった。花摘みをするように、目の前にある美しさを切り取り、自分のカメラに収めていく。あれほど疲れていたはずなのに、シャッターを切っていると、みるみるうちに体力が戻っていくからふしぎだ。やっぱりわたし、写真がすきだ。そう、改めて思う。

「そこにあるのが、和気公霊廟。和気清麻呂を祀っている」

朱色の建物を指差しながら、教授が言った。

「神護寺は、和気清麻呂が建立した神願寺と高雄山寺が合併したことに始まる。元々、この場所には和気清麻呂を祀る別の社があったが、京都御苑の近くにある護王神社へ移されたそうだ」

「へぇーっ」

護王神社なら、大学からもすぐ行ける距離だ。遠く離れている場所同士でも、思いがけない繋がりがある。

神護寺は敷地が広い分、見どころも多い。書院や鐘楼、明王堂など、一つ一つ見て回るだけでも相当時間がかかる。

階段を上り、金堂の中に入った。教授いわく、神護寺は国宝の薬師如来像のほか、現存最古の両界曼荼羅である高雄曼荼羅、空海筆の灌頂歴名(かんじょうれきみょう)、伝源頼朝像など、多数の国宝や重要文化財を所蔵しているそうだ。「弘法大師の納涼房(どうりょうぼう)」とも呼ばれる大師堂には、板彫の弘法大師像が安置されているらしい。残念ながら今回は時期がズレてしまったが、特別公開される時もあるのだという。

「こんなに重要なものが集まっていると、一気に知識が増えたように感じます」

やはり、家にこもって教科書を眺めているのとは違う。実際に足を運び、自分の目で見ることで、しっかりと記憶に刻まれる。

さらに歩いていくと、目の前に雄大な渓谷が現れた。

「わぁ、いい眺め!」

柵には「高雄名勝錦雲渓(きんうんけい)かわらけ投げ」という案内板がかけられている。階段を上っている時は地獄のように思えたが、この景色を見たら、上ってきたかいがあるというものだ。広々とした青空と、緑の中にぽつぽつ散在する赤や黄色の木々、そしてはるか下方に流れる川が、全身の疲れを吹き飛ばしてくれる。秋の乾いた風が心地よく頬を撫でた。

写真を撮っていると、隣にいたはずの教授がいない。周囲を見渡すと、教授が売店から戻ってくるのが見えた。

「はい」

「何ですか、これ」

教授から、小皿のような素焼きの土器を2枚渡された。真ん中に「厄除」という文字がある。

「かわらけ。これを谷底めがけて投げる」

「投げるんですか」

「厄除や願かけの意がある」

なるほど、それならやってみよう。わたしは大きく振りかぶってかわらけを投げた。遠くまで飛ばしたつもりだったが、風に邪魔されたのか、ひょろひょろと手前で落ちていく。

「全然飛びません」

「下手くそ」

教授が鼻で笑った。

「じゃあ、お手本を見せてくださいよ」

「いいだろう」

教授はフリスビーを投げるようなフォームでかわらけを投げた。わたしの時とは比べものにならないくらい、はるか遠くまで飛んでいく。

「何でですか」

「経験の差」

「そんなに飛ばしまくってるんですか」

絶対嘘だ。日常的にかわらけを投げる人間がどこにいる。わたしはふと思いついて、携帯電話のカメラを教授に向けた。

「何撮ってるんだ」

「お手本にするんです。投げてください」

「流出させないように」

「しません」

教授が再びかわらけを錦雲渓に向かって投げた。1回目と同様、いや、それ以上に飛距離を伸ばして落ちていく。

「はい、次」

教授がわたしの手から携帯電話を奪った。

「わたしはいいですって」

「いいから、ほら」

拒否することもできず、わたしは教授と場所を交代した。教授が携帯電話越しにわたしを見ている。いつも写真を撮るばかりだが、撮られる側ってこんなに恥ずかしいのか。わたしは勢いよくもう1枚のかわらけを投げた。こちらも1回目と同様、教授よりはるか手前で落ちて消えた。

「だめでした。全然だめ。ほら、終わりです」

わたしは教授の手から携帯電話を奪い返した。あとでこの動画を見返したら、羞恥心で悶絶しそうだ。

「教授、おなかがすきました」

「それ、いつも言ってないか」

「言ってるかもしれないし、言ってないかもしれません」

あれだけ長い階段を上り、境内を歩き回り、その上かわらけ投げまでしたのだ。そろそろ休息が必要だと、全身が訴えている。

教授と道を引き返しながら、あ、と気づいた。投げるのに夢中で、願かけするのを忘れていた。どうした、と教授が聞く。何でもありません、何でも。わたしは慌てて首を振り、ごまかすように両腕を大きく動かした。

もみじが赤く燃えている。秋の気配に満ちている。