刹那。忍の碧眼()が「回避せよ」という信号を全身に送っていた。

 回避直後に一発の発砲音が鼓膜を襲う。
 発砲したのは柊ではない。彼女の手から咄嗟に拳銃を奪った都倉の仕業だった。

「やめて! 彼に碧眼(それ)を使わせないで!」
「柊様、こうなっては仕方がありません。秘密を暴かれた以上、二人で奴を始末するしかありません」

「――――――え?」


 彼女は一瞬我が耳を疑った。今聞こえたのは外国語か何かでは、と柊の脳が思い込もうとしている。


「柊様…………ずっと騙している形になって申し訳ありませんでした。
 パーティーのあと、柊様へのクリスマスプレゼントを預け忘れたと気づいて夜分遅くではありましたがもう一度お家に伺った際、ご両親はもう事切れて、その場に柊様が………………。
 証拠の類は全て隠滅させていただきました」

 もしかしたら本当はそうではないのかと。ずっと自分でも思っていた疑念が、旧知の人物から真実だと告げられる。
 二本足で立つことすらやっとで、少しずつ後ろに下がり、都倉から離れたところでついに力尽きた柊がへたり込んだ。

 混乱と深刻な不安に陥ったことで、赫眼(かくがん)の影響が柊にそろそろ出始めている頃合ではないのか。焦りを覚えた忍は彼女の元へ駆け寄ろうとするも、それは叶わなかった。
 都倉の引き金を絞る指先の小さな動きを碧眼(へきがん)は決して見逃さず、駆り立てられるかの如く一目散に彼に向かって体が疾走(はし)ってしまう。


 そして忍には見えていた。都倉が背中に隠した手には本命――――バタフライナイフが仕込まれていることを。


「だから殺気隠すのドヘタクソ…………おおッッとォッ!」



 忍が何かに気づいて大きく後ろへ飛び引いた。
 都倉は突然の不審な行動の意味が分からずに――――

 頭頂部に真上から降ってきた植木鉢が激突して、その場に倒れ込んだ。

 素焼きの植木鉢は床に落下して欠片の集まりと化した。そこそこの大きさだった。


 植木鉢? なぜこんなところに?


 都倉の背後には赤いネスティングラックがあり、一番上に大きな積荷が乗っている。


 そこをよくよく見ると、上――高さ三メートル弱――から四つん這いになった蒼樹が倒れた都倉の様子をしげしげと観察している。

 頭に疑問符を浮かべていた蒼樹と忍の目が合った。


「死なない程度のサイズをセレクトしたつもりだったんだけど」
「お前か、模倣犯は。オリジナルは人の真上に落とさないように気をつけてたぞ」





「わ~ん何この車~~、エンジン音かっこ悪い乗り心地微妙すぎ地味すぎて気分アガらな~い」
「お前の無駄に派手でバカうるさい車で張り込みなんぞできるかい。適材適所だよ」

 都倉が気絶したあと、一旦柊の赫眼が治まるまで落ち着かせ、忍が都倉を担ぎ込み蒼樹が放心状態の柊を連れて現場からトンズラした。
 都倉はひとまずトランクに詰めておいて蒼樹を助手席に、柊を後部座席に乗せてSD倉庫を後にする。


「さっきの会話、全部聞いてた?」
伊泉寺(いせんじ)くんの赫碧症(かくへきしょう)発覚から衝撃のカミングアウトまでしっかり。陰で録音しといたわよ」

「男の名誉に関わるから消してほしいな」
「ンなことどうでもいいわよ」

「…………真剣に悩んでたのに…………」
「そういう意味じゃない。(つごもり)(ひいらぎ)もとい樫井柊が赫碧症で、樫井夫妻を殺害した真犯人、その鍵を握る重要な証拠を消すわけにはいかないの」

 助手席の蒼樹が自分の谷間をチラリと覗かせる。
 KYにも誘惑しているわけではなく、ボイスレコーダーを挟んでいるのを忍に見せつけていた。

「彼女の目が赫くなってた瞬間も二人が痴話喧嘩してた間に撮影済みだから」
「……蒼樹。さっき俺はああは言ったけど、確証があって言ったわけじゃない。とりあえず俺への疑いの目を逸らすために、なんかそれっぽいこと言って一旦柊に罪をなすりつけただけだ。本当に柊が犯人だなんて思ってない」

 後部座席でうなだれていた柊が一瞬ぴくんっ、と肩を動かす。

「ん? じゃあ無理になったって言うのは――――」

 全て言い終わらないうちに忍はハンドルを右手で握ったまま素早く、そして躊躇なく彼女の胸元へ左手を伸ばした。

 が、忍の予想に反し彼女が右手だけで強く掴んで制止する。


「お前、そういう悪い目つきもできるんだな。しかも結構簡単に目が碧くなるのな」
「車トバしてる時もよくなるの」

「脳によくないぞ。この車内赫碧症者(かくへきしょうしゃ)率一〇〇パーセントかよ」
「トランクで寝てる人含めたら七五パーセントだけどね」

「なんで俺のまわりには赫碧症の奴らが集まってくるかね」
「類友じゃない」

「この流れでいくと荒川も赫碧症の可能性ありえるな」
「荒川くんがそうなら旧車の運転中に赫眼になってないとおかしいから」
「そうだった。そういう趣味の持ち主だった」


 二人はいつものように軽口を叩き合っている。

 いつもと違うのは、運転席と助手席の間で二人の手と腕が拮抗し続け、横顔の蒼樹の目つきは険しく、そして碧い瞳を携えていること。

 「フリーの記者、忍の知人である蒼樹華蓮」としては今まで見たこともないと形容できるほどの目つきだったが――――。


「蒼樹さん、もしかして……。昔、私と会ったことがありますか」


 柊が言い終わると同時に、蒼樹が忍の腕を弾き返した。脳への負担のことを知っている忍は、弾き返された腕をもう一度彼女に伸ばす気にはなれなかった。

 バックミラーに映る蒼樹の瞳、そこに薄く灯っていた碧色が徐々に黒の虹彩に溶けていくまで、柊は瞬き一つできなかった。

「『クスリでみるみるうちに痩せた』って、まさか……」
「あーあ、あの時クスリやってなきゃ今よりもっと巨乳だったのになー。あのペッタンコからここまで持ち直すためにバストアップどんだけ頑張ったか」

「髪も、凄く短かったですか」
「昔徒党組んでばっかで好き放題派手やってたら古参グループに睨まれちゃってねー。闇討ちされちゃって赫眼三人同時は碧眼でも流石にキツすぎた。それでリンチされて、伸ばしてた髪短く切られちゃった」

 あの時は逃げるのに苦労したわ、と蒼樹が武勇伝のように語っている。

「ああ今分かった。あのヤクザが事務所に押し入った原因になった『赫眼の鉄砲娘』ってやっぱお前のことだったんだ」
「え⁉︎ そんなことあったの⁉︎ 有島さん教えてくれないんだから……」
「あの日、クリスマスイヴの日に、私の家に来ましたか。その時、眼が赫くなってませんでしたか」
「あの時あなたも眼が赫くなってたから記憶が混濁してるだけじゃない?」
「……どうして、私の眼が赫くなってたと知ってるんですか」
「ただの憶測よ。あなたが殺したんだから赫眼してたんじゃないの?」
「おい、さっきからはぐらかすな。あの日柊の家にいたのかいなかったのか。どっちなんだ」







「うん。いたよ。二階の窓割ったのわたしだから」



 なんてことないように、彼女はケロッと暴露した。