柊様、柊様と都倉の低い声だけが倉庫に響く。
都倉はソファに腰掛けて目を閉じたままの柊の上半身を支え、小さく揺さぶった。
異常な怠さと眠気が体中を支配していたのだろう、彼女の名を何度も繰り返す都倉の声でようやく柊は重たい瞼を開いた。
柊がぱちぱちと目を開くと、全く見覚えのない場所にいることが分からず首を忙しなく左右に振る。彼女の眼前には見知ったスーツ姿の男。
柊が反射的に顔を上げると――――伊泉寺忍が眼を赫くして彼女を見下ろしていた。
「最初っからこうやってチンピラに襲わせときゃスムーズにコトが済んだものを……やり方が遠回しすぎんだよ」
言いながら忍は回収しておいた三丁の拳銃から銃弾を抜き取り、適当に拾った二つの工具ケースの中身を空にして別々に収納した。
「感謝するんだな。柊様のご慈悲あってのことだ」
ようやく完全に意識を取り戻した柊が倒れた見知らぬ男たちの姿を目にし、ここで何が行われたのかを頭で理解すると憎々しげに都倉を睨み付ける。
「勝手なことをして……」
「申し訳ありません。このまま見過ごせば柊様が奴に懐柔されるのが想像に難くなかったので、少々強引な手段をとりました。お叱りは後ほどお受けいたします」
「懐柔⁉」
「盗聴器もカメラも、昨日全てご自身で外されたでしょう。最初は何事かと思いました。事前に何も連絡をくださらなかったので心配になりました」
あなたもこちらの断りなく行動をしたのだから、こちらもあなたの断りなく行動を起こさせてもらった。忍にはそう聞こえた。
「ああ、やっぱ二人面識あるんじゃん」
忍が口を挟む。既に彼の虹彩は元の黒色を取り戻していた。
「一応聞くけど、そいつにライフル持たせて危なくなったら一般市民殺しても自分を守れって言ったの柊?」
「口が過ぎるぞ」
凄んだ都倉を柊が冷静に右手で制してソファから立ち上がり、続けて彼女の護衛も立ち上がる。
「ごめんなさい。あの件は本当に寝耳に水でした。あの中学生が死んでいたら手綱を握っていなかった私の責任です」
「柊もいざとなったら『秘書がやりました』って言うタイプか」
「なんとでも言ってください。信じてもらえないでしょうけど、荒川さんが来所された際に銃弾が事務所に送られてきた話を聞いて、ライフルは二度と持ち出さないようきつく言いつけました。
すみません。二階に上がったふりして、靴を脱いでから戻って聞き耳立ててました」
ちなみに銃弾の件について荒川が事務所を訪れた際、彼は既に柊の件を知っていたので、聞き耳を立てていた彼女に聞こえるよう忍はメモで示し合わせ、わざと結婚したことについて触れさせた。
説明し終わると今度は冷たい眼差しで横にいる都倉に低い声で囁く。
「ねえ、また性懲りも無く銃持ってきたでしょ。渡しなさい」
「柊様、この男の処分は私にお任せを……」
「渡してよ」
「柊様のお手を汚すわけにはいきません」
「渡して」
躊躇する都倉だったが、結局柊に押し負けて渡してしまった。
「もう一丁隠し持ってる?」
「いえ……持ち出したのはこの一丁だけです」
「こんなスムーズに拳銃を摘発しちゃうなんて荒川より優秀だなあ。じゃあ、俺が代わりに荒川へ責任持って渡してくるから、その銃預かるよ?」
忍が和やかな口調で柊に近づきながら右手で銃を寄越すよう手を伸ばすと、柊は彼の額目がけて右手で銃を構えた。
「これ以上近づかないでください」
「冷たいじゃん。せっかく褥を共にした仲なのに」
「見なかったことにはできませんから。仕方がないです」
「『離婚したくないです』とか言ったクセに、舌の根も乾かないうちにウソつきやがって。傷つくだろ」
「傷つけてごめんなさい。でも、この惨状を見たら――――」
柊は倉庫中で倒れている男達を一瞥する。
「中々手際が良いですね。赫眼していた割に」
「インドで修行したからね」
「こんな風に、冷静に殺したんですか。私の両親を」
柊は今まで忍に見せたことのないほど険しい顔で対峙した。
――――その眼が焦げついてしまいそうなほど、赫く赫く燃えていた。
「……要するに、あの日偶然俺が碧眼だったとこ見て、俺がお前の両親殺した犯人に違いないって押しかけ女房のフリしちゃったと。そういうこと?」
「一度都倉に当時の容疑者リストとアリバイの記録を入手させたことがありました。
時期が時期ですから、みんなイヴは自宅にいたとか、友人と過ごしてたとかそんなのばかりでした。
ただ一人、珍しい苗字と『家出中で自宅を離れ知人の探偵事務所で過ごした』とやけに具体的な人がいたのがずっと引っかかってて」
事件が起こってしばらくして、忍の元に二人組の警察官が来たことがあった。彼女の語った内容そのままを答えたのは本当だった。
「あの日偶然あなたの名刺拾って、探偵事務所所長って書いてあったから、もしかしてと思って事務所の外で様子を伺ってたら荒川さんとお会いして」
「ああ、そう言えばあいつに絡まれたって言ってたな」
「『ここ前は違う名前でした?』って尋ねたら『そうだよ』と教えていただいたんです」
忍は額に手を当てて呆れ顔で「あいつマジかよ」と呟く。
「お前、結局自分からゲロっちゃったけど、俺が犯人だったら勘づいて近づいて来たと思って口封じしたかもしれないぞ」
「そうですね。それでも良かったです。口封じしたいということは後ろめたいことがあるに決まってますから。
それにご覧の通り、私も赫碧症ですから」
柊はもう一度拳銃を構え直した。忍へと向けた柊の赫い眼は完全に据わっている。
「――あなたのこと、心から大好きって思い込まないとほら、こんなに……赫くなっちゃうのに……あなたから迫ってこられたら私、もっと赫くなっちゃう…………」
「そんな眼で怖いこと言わないでよ、怖いじゃん」
「そうですか? タイマンで戦ったら所長なら勝てるでしょう。それでも腕や脚の一本くらいお土産にいただきますけど」
「おー怖。お手合わせ願いたくないね」
「それに所長、私のこと早い段階で知ってたでしょう。敢えて自分の手元に置くことで私の動向探りたかったんじゃないですか」
「まあ『絶対俺のこと疑ってるんだろうなあ』って思ったから好きに調べれば? みたいな。
それに一緒に暮らしてた方が安全だったから。そこにおっかない護衛いるし、いざという時の人質はいるに越したことはないと思って」
柊の二回目の来所時に、彼女には窓がどうのこうのと誤魔化したが、忍は小雨が降っているにもかかわらず傘も差さずに突っ立っていた男――都倉の姿を窓の外から確認していた。
彼女が指摘した通り、柊の動向はすぐそばでチェックしておきたかった。ゆえに婚姻届の記入にも同意した。
「ずっと高見の見物してたってわけですか」
「お前だって別にバレてもいいって思ってただろ。結婚したら戸籍謄本取れちゃうし、むしろ言わないことでプレッシャーにもなるし。つーか実年齢知ってたクセに二十八歳とかぬかしやがって」
とうとうお互い打ち明けてしまった。
今までの結婚生活が全て虚構だったことに。
愛し合っていたわけではない。お互いにお互いを監視し合っていた関係だった、偽りの伴侶だったということに。
それでも二人を唯一繋ぎ止めていた紙切れが、ビリビリと引き裂かれる音が聞こえた。
これまでの思い出が――慌ただしかったけれども、おままごとを演じていると知りながらも、心のどこかで「心地良い」と思っていた日々が修復不可能なレベルで音を立てて崩れていくのを二人は感じていた。
「所長。件の犯人の少年なんですけど、報道された特徴をご存知ですか」
「中学生くらい、痩せこけてて細身、特徴的な目つき」
「事件当時、所長は中学生ですよね。
所長と有島さんが写ったあの写真……。あの写真に写っていた所長、目撃された少年と特徴が一致してませんか。あの日はクリスマスイヴで、所長は家出中ですよね。
あの日、所長は何をされてたんですか」
「事務所でクリスマスパーティーしてた。
――――――――そういうことにさせてもらった」
都倉はソファに腰掛けて目を閉じたままの柊の上半身を支え、小さく揺さぶった。
異常な怠さと眠気が体中を支配していたのだろう、彼女の名を何度も繰り返す都倉の声でようやく柊は重たい瞼を開いた。
柊がぱちぱちと目を開くと、全く見覚えのない場所にいることが分からず首を忙しなく左右に振る。彼女の眼前には見知ったスーツ姿の男。
柊が反射的に顔を上げると――――伊泉寺忍が眼を赫くして彼女を見下ろしていた。
「最初っからこうやってチンピラに襲わせときゃスムーズにコトが済んだものを……やり方が遠回しすぎんだよ」
言いながら忍は回収しておいた三丁の拳銃から銃弾を抜き取り、適当に拾った二つの工具ケースの中身を空にして別々に収納した。
「感謝するんだな。柊様のご慈悲あってのことだ」
ようやく完全に意識を取り戻した柊が倒れた見知らぬ男たちの姿を目にし、ここで何が行われたのかを頭で理解すると憎々しげに都倉を睨み付ける。
「勝手なことをして……」
「申し訳ありません。このまま見過ごせば柊様が奴に懐柔されるのが想像に難くなかったので、少々強引な手段をとりました。お叱りは後ほどお受けいたします」
「懐柔⁉」
「盗聴器もカメラも、昨日全てご自身で外されたでしょう。最初は何事かと思いました。事前に何も連絡をくださらなかったので心配になりました」
あなたもこちらの断りなく行動をしたのだから、こちらもあなたの断りなく行動を起こさせてもらった。忍にはそう聞こえた。
「ああ、やっぱ二人面識あるんじゃん」
忍が口を挟む。既に彼の虹彩は元の黒色を取り戻していた。
「一応聞くけど、そいつにライフル持たせて危なくなったら一般市民殺しても自分を守れって言ったの柊?」
「口が過ぎるぞ」
凄んだ都倉を柊が冷静に右手で制してソファから立ち上がり、続けて彼女の護衛も立ち上がる。
「ごめんなさい。あの件は本当に寝耳に水でした。あの中学生が死んでいたら手綱を握っていなかった私の責任です」
「柊もいざとなったら『秘書がやりました』って言うタイプか」
「なんとでも言ってください。信じてもらえないでしょうけど、荒川さんが来所された際に銃弾が事務所に送られてきた話を聞いて、ライフルは二度と持ち出さないようきつく言いつけました。
すみません。二階に上がったふりして、靴を脱いでから戻って聞き耳立ててました」
ちなみに銃弾の件について荒川が事務所を訪れた際、彼は既に柊の件を知っていたので、聞き耳を立てていた彼女に聞こえるよう忍はメモで示し合わせ、わざと結婚したことについて触れさせた。
説明し終わると今度は冷たい眼差しで横にいる都倉に低い声で囁く。
「ねえ、また性懲りも無く銃持ってきたでしょ。渡しなさい」
「柊様、この男の処分は私にお任せを……」
「渡してよ」
「柊様のお手を汚すわけにはいきません」
「渡して」
躊躇する都倉だったが、結局柊に押し負けて渡してしまった。
「もう一丁隠し持ってる?」
「いえ……持ち出したのはこの一丁だけです」
「こんなスムーズに拳銃を摘発しちゃうなんて荒川より優秀だなあ。じゃあ、俺が代わりに荒川へ責任持って渡してくるから、その銃預かるよ?」
忍が和やかな口調で柊に近づきながら右手で銃を寄越すよう手を伸ばすと、柊は彼の額目がけて右手で銃を構えた。
「これ以上近づかないでください」
「冷たいじゃん。せっかく褥を共にした仲なのに」
「見なかったことにはできませんから。仕方がないです」
「『離婚したくないです』とか言ったクセに、舌の根も乾かないうちにウソつきやがって。傷つくだろ」
「傷つけてごめんなさい。でも、この惨状を見たら――――」
柊は倉庫中で倒れている男達を一瞥する。
「中々手際が良いですね。赫眼していた割に」
「インドで修行したからね」
「こんな風に、冷静に殺したんですか。私の両親を」
柊は今まで忍に見せたことのないほど険しい顔で対峙した。
――――その眼が焦げついてしまいそうなほど、赫く赫く燃えていた。
「……要するに、あの日偶然俺が碧眼だったとこ見て、俺がお前の両親殺した犯人に違いないって押しかけ女房のフリしちゃったと。そういうこと?」
「一度都倉に当時の容疑者リストとアリバイの記録を入手させたことがありました。
時期が時期ですから、みんなイヴは自宅にいたとか、友人と過ごしてたとかそんなのばかりでした。
ただ一人、珍しい苗字と『家出中で自宅を離れ知人の探偵事務所で過ごした』とやけに具体的な人がいたのがずっと引っかかってて」
事件が起こってしばらくして、忍の元に二人組の警察官が来たことがあった。彼女の語った内容そのままを答えたのは本当だった。
「あの日偶然あなたの名刺拾って、探偵事務所所長って書いてあったから、もしかしてと思って事務所の外で様子を伺ってたら荒川さんとお会いして」
「ああ、そう言えばあいつに絡まれたって言ってたな」
「『ここ前は違う名前でした?』って尋ねたら『そうだよ』と教えていただいたんです」
忍は額に手を当てて呆れ顔で「あいつマジかよ」と呟く。
「お前、結局自分からゲロっちゃったけど、俺が犯人だったら勘づいて近づいて来たと思って口封じしたかもしれないぞ」
「そうですね。それでも良かったです。口封じしたいということは後ろめたいことがあるに決まってますから。
それにご覧の通り、私も赫碧症ですから」
柊はもう一度拳銃を構え直した。忍へと向けた柊の赫い眼は完全に据わっている。
「――あなたのこと、心から大好きって思い込まないとほら、こんなに……赫くなっちゃうのに……あなたから迫ってこられたら私、もっと赫くなっちゃう…………」
「そんな眼で怖いこと言わないでよ、怖いじゃん」
「そうですか? タイマンで戦ったら所長なら勝てるでしょう。それでも腕や脚の一本くらいお土産にいただきますけど」
「おー怖。お手合わせ願いたくないね」
「それに所長、私のこと早い段階で知ってたでしょう。敢えて自分の手元に置くことで私の動向探りたかったんじゃないですか」
「まあ『絶対俺のこと疑ってるんだろうなあ』って思ったから好きに調べれば? みたいな。
それに一緒に暮らしてた方が安全だったから。そこにおっかない護衛いるし、いざという時の人質はいるに越したことはないと思って」
柊の二回目の来所時に、彼女には窓がどうのこうのと誤魔化したが、忍は小雨が降っているにもかかわらず傘も差さずに突っ立っていた男――都倉の姿を窓の外から確認していた。
彼女が指摘した通り、柊の動向はすぐそばでチェックしておきたかった。ゆえに婚姻届の記入にも同意した。
「ずっと高見の見物してたってわけですか」
「お前だって別にバレてもいいって思ってただろ。結婚したら戸籍謄本取れちゃうし、むしろ言わないことでプレッシャーにもなるし。つーか実年齢知ってたクセに二十八歳とかぬかしやがって」
とうとうお互い打ち明けてしまった。
今までの結婚生活が全て虚構だったことに。
愛し合っていたわけではない。お互いにお互いを監視し合っていた関係だった、偽りの伴侶だったということに。
それでも二人を唯一繋ぎ止めていた紙切れが、ビリビリと引き裂かれる音が聞こえた。
これまでの思い出が――慌ただしかったけれども、おままごとを演じていると知りながらも、心のどこかで「心地良い」と思っていた日々が修復不可能なレベルで音を立てて崩れていくのを二人は感じていた。
「所長。件の犯人の少年なんですけど、報道された特徴をご存知ですか」
「中学生くらい、痩せこけてて細身、特徴的な目つき」
「事件当時、所長は中学生ですよね。
所長と有島さんが写ったあの写真……。あの写真に写っていた所長、目撃された少年と特徴が一致してませんか。あの日はクリスマスイヴで、所長は家出中ですよね。
あの日、所長は何をされてたんですか」
「事務所でクリスマスパーティーしてた。
――――――――そういうことにさせてもらった」