●四月十七日(水曜)


「所長、おはようございます。……目のクマが凄いですよ、昨日あまりお休みできなかったですか」
「ああ、おはよ……いや、そういう晦さんこそクマが凄いけど、あれから眠れなかった?」


 朝食の時間になったので二人揃ってダイニングで顔を突き合わせると、お互いのクマが目についてしまって指摘せざるを得なかった。
 柊は上着だけを外した制服姿の上にエプロンをつけている。テーブルには既に白身魚と卵焼き、ほうれん草のおひたし、味噌汁、漬物、そして白ごはんと典型的な和食の朝ごはんといったメニューが用意されていた。

「昨日の夜ガラスが割れたのが気になって……結局なんだったんですか?」
「え? ああ、なんか超瞬間最大風速が凄かったみたいでどこからともなく植木鉢が飛んできてバリーンと……」

 都倉のことを言おうか言うまいか一瞬悩む忍であったが、結局嘘をつくことにした。

「そうでしたか。お片づけで大変だったんですね……」

 柊が憂鬱な面持ちでらしくなく小さなため息をついたので、流石の忍も心配になってしまう。

「深夜に突然のアレは怖かったよな? でも今度からセキュリティサービスを頼むことにしたから、俺が留守の時も心配しなくていいよ」

 ちなみにセキュリティサービスとは他ならぬ昨夜ガラスを割った張本人のことである。
 柊は少しだけキョトンとした顔をするも、再び憂鬱そうな顔に逆戻りしてしまった。

「昔の話なんですけど。夜中に家の窓ガラスを割られたことがあって。どうしてもその時のことを思い出してしまって」

 彼の戸惑いを感じ取ったのか、柊は辿々しくも幼い頃の記憶を吐露する。
 それで昨日眠れなかったのかと忍は合点がいった。そしてあの男やっぱり無能なんじゃないかと都倉の護衛としての適正を再度疑ってしまったが、今は柊を慰めることが第一だった。

「なるべく早めに物置部屋片付けて俺も二階で夜は過ごすようにするから。余裕ができたらダブルベッドでもクイーンでも用意してあげるよ」

 忍が優しく柊の肩を撫でた。珍しく弱々しい態度だったので思わず彼女が喜びそうなリップサービスまでしてみたものの、思いのほか柊は戸惑っている反応を見せる。まるで自分が下心で言ったみたいじゃないかと彼は少し気恥ずかしくなった。

「ごめん、ベッドは冗談だから。寝てないなら学校休んで今日はゆっくりしたら? 一日くらいいいだろ」
「いえ、学校には行きます。それと……新しいベッド、お待ちしてます」

 自分の顔を見られたくないかのように、柊は朝食をとるべくそそくさと椅子に腰掛けた。
 


 なんとなくとぼとぼと登校した柊が気になりつつも、忍は一度銀行に向かった。帰りにタイミングよく荒川が来所し、彼を中へ迎え入れる。
 昨夜頑張ってガラスの破片を丹念に除去した上に、念のためクッションも用意した来客用のソファに彼を一人残し、忍はオフィスチェアに腰掛けパソコンの画面に映る情報をだらだらと読み上げ始めた。

「『晦昌紀(つごもりまさき)』、風景写真家。自然を芸術の美と見事に調和させたセンスに優れ、数々の写真集は世界中に出版、だってよ。ああ、写真集が世界中で売れてるわけね。この本とか価格一万かよ。使用料も相当……そりゃあんな額を毎月ポンと送ってくるわけだ」

 忍はため息をつき、写真家の華々しい活躍について語り終える。

「で、この金持ちに雇われてる護衛がライフル構えたり銃弾送りつけてきたりしたわけ」
「それで危うく市民を殺しかけたのかそいつは。お前の伴侶の護衛だろ、なんとかしろ」
「銃火器持ち出し厳禁と、一般市民に『は』危害を加えないように約束させたよ。口約束だけど」
「なんだその一般市民に『は』の『は』は」

「お前にそいつのことペラペラ話したらお前が行方不明になるって脅された…………」
「なんっ、お前、その。ふざけるな」

 荒川が慌てて背後にある窓から人影がいないか振り向く。しかし窓は現在段ボールで一旦応急処置されていたため、彼の位置から真後ろの景色を伺うことは叶わなかった。

「けど街にライフル魔が潜んでいると市民の味方の警察官としては不安なんじゃないかと思って、勇気を出して打ち明けてみた」
「昨日の今日でか! 涼しい顔で事務所迎えやがって!」
「まあそう言うわけだから。あの護衛経由で晦さんに捜査の手が及ぶと俺としても見過ごせないから、銃弾お届け事件については上手い具合にお宮入りさせといてね。行方不明になりたくないでしょ」
「言われなくてももう誰も調べてないよ。ただのイタズラだとか、他にもやることがあるって。もはや覚えてるのは俺くらいだよ」

「そうそう、臨時収入が入ったんだけど」
「臨時収入って? なんか割の良い仕事入ってきた?」
「いや、後ろの窓の修理代。壊した本人に請求したら振り込んでくれた。金銭感覚狂ってる金持ちに雇われてると、雇われてる方も金銭感覚が狂うのかね……」

 要するに、修理代の相場よりも多めに振り込んでくれたということだ。

「はいこれ」

 忍は荒川に近づき、銀行のATMに備え付けの封筒を一封テーブルの上に置く。荒川は中身を確認して封筒をスーツの内ポケットにしまう。



 蒼樹から初めて荒川に引き合わされた時、彼女からこう紹介された。





「この人、お金払えば何でも教えてくれるし揉み消してくれる悪徳警官だから。立派な市民の敵よ」