私が暮らす村にはある伝説がある。
大昔、悪しき大蛇の脅威に晒されていた村を龍神によって救われ、龍神の加護を受けたことで村は栄えた。
今は、龍神を敬い、平和を願う人々が多く住んでいる。
村を救ったとされる龍神が祀られている大きな神社があり、そこには村民だけでなくいろんな所から参拝に大勢やって来ていた。
龍神から癒しの異能を授かった一族である私は、龍神の巫女として祈りを捧げ、病に倒れた人や、傷ついた人達を分け隔てなく癒していた。
神社の宮司の跡取りであり幼馴染の和正との婚約は生まれた時から決まっていて、幼い頃からずっと一緒だったこともあり想い合うのも必然だった。
未来の宮司と村の平和の象徴である龍神の巫女が結ばれる事は両家と村民達の望みだった。
きっと、龍神様もそれを望んでいるだろうと勝手に思っていた。
だが、自体は一変する。
事の発端は結婚して半年経った頃。彼の口から告げられた一言。それが全ての始まりだった。
突然、和正が私の妹の玲奈を家に連れてきた。玲奈はどこか勝ち誇った様な顔で私を睨みつけてくる。
玲奈はいつもわたしのことをそんな目で見てくる。いつものことだ。わざと目を逸らす。

「どうして玲奈を連れて来たの?何かあったわけ?」

和正は申し訳なさそうに私を見ながら話し始めた。

「それなんだけど…」

どこかおどおどしている和正に何を隠しているのか問いただそうとした途端、和正は勢いよく私に向かって土下座してきた。

「俺達結婚したばかりだけど!!ごめん!!!俺と離縁してくれないか!!!!」

離縁。和正の口から出たその二文字に私は一瞬だけ意識が飛んだ。
この人は何を言っているのだろう?私達まだ新婚だよ?まだ一年も経ってないのに。
困惑で頭が真っ白になってしまった。

「……は?」
「あ、あの、そうだよな。驚くのも無理ないか…。実は…」
「お姉様ごめんねぇ?実はぁ、和正さんの赤ちゃんが私のお腹にいるのぉ♪」

もごもごとしてなかなか口を割らなかった和正に痺れを切らした玲奈が嬉しそうに真相を告げてきた。その口調に反省の色なんて微塵もなかった。

(え?は?何?赤ちゃん…?)
「お姉様が悪いのよ?巫女のお仕事が忙しいからってなかなか和正さんに構ってあげてなかったからぁ。和正さん言ってたよぉ?そろそろ子供が欲しいって?」
「うぅ…本当にすまない…」

すまないとかごめんなさいで済む問題ではない。
確かに玲奈の言う通り、私は龍神の巫女としての務めで忙しく和正に構ってあげられなかったのは事実だし、お互い分かっていた筈だ。なのに私を裏切って不倫をし子供を作ってしまうなんて。しかも、その不倫相手が私の妹だなんて。

「……お継母(かあ)様達は知ってるの?貴方達のこと…お腹の子供のこと…」
「もちろん知ってるわよ。すごく喜んでくれたし♪親不孝なお姉様に早く和正さんと離縁してもらえって言ってくれたし♪」
「そんな…」
「だからもう分かっただろう?たのむよ…」

私がいないところで話は勝手に進んでいた。
継母(かあ)様達は和正さんと玲奈の不倫を認め妊娠を喜んだ。しかも、今までずっと尽くしてきた私を罵って。
目の前が歪む。

「陽子。分かってると思うけど、龍神の巫女の力と役職を玲奈に継承してくれないかな?」
「え…?」
「だって、龍神様の神社を守る宮司が結婚していいのは龍神の巫女のみだって掟で言われてるだろ?だから陽子が玲奈ちゃんに全て継承してくれなきゃ俺達結婚できないじゃないか」

ふざけてる。どこまでもふざけてる。掟を盾にして私から全てを奪おうとする妹達が憎い。
私は居た堪れなくなり、立ち上がって外へ飛び出そうとした。
すると、玲奈達を追ってきたのかお母様達が玄関で鉢合わせした。お父様の顔を見た途端、彼に縋りながら思わず悲しみと怒りを全てぶつけてしまう。

「お父様!お継母(かあ)様!!私は絶対に和正さんと離縁なんてしたくありません!!どうして玲奈に私から全てを奪うのを許したのですか?!!私は…っ!!」

突然、右頬に強い衝撃が走り床に倒れ込む。私は呆然としながらお父様を見上げる。お父様とお継母(かあ)様の目はとても冷たいものだった。

「我儘を言うな。和正くん達の言う通りにしなさい」
「でも…っ!!」
「口答えをするな。貴様、可愛い玲奈の子から父親を奪うつもりか?」

赤く腫れた頬を抑える私をお父様の後ろにいるお継母(かあ)様は嘲笑う。そうだった。昔からこの人達は玲奈の味方だった。
目の前にいる女性(ひと)は私の本当の母親ではない。
私の母親は私と同じ龍神の巫女で、8歳の私に巫女の力を継承してすぐに病で亡くなってしまった。
母が亡くなってから日を経たずに今のお母様と玲奈がやってきてそのまま再婚となった。
きっと、お父様は私と本当のお母様に隠れてこの女性(ひと)と関係を持っていたのだろう。2人の間に生まれた玲奈にとても溺愛していた。
前妻の子である私のことなど見向きもしなかった。
後妻も私を蔑むまで見てくる。どうして可愛い玲奈が龍神の巫女じゃないのかと騒ぎ立てることもある。
孤独な私を助けてくれたのが幼馴染の和正だけだったのに遂に彼にも裏切られてしまった。
もう味方なんて誰一人いなかった。

「陽子。たのむよ。俺のことが大切なら言う通りにしてくれ」
「お姉様。この子からお父さんを奪わないでよ。それにぃ、私が巫女の異能を持った方が龍神様も喜ぶと思うの」

絶望する私に選択肢はない。抵抗しても事態は変わらない。先に宮司の子を宿した方が勝ちなのだと全員から言われている様に感じる。何も生み出さないお前に巫女である筋合いはないとも。
この後の記憶は朧げだ。
ただ、震える手で離縁状に記入した事と、紙に涙が落ちて滲んだ事だけは覚えている。

お母様が亡くなる前の優しかったお父様はもういない。
ずっとひとりぼっちで泣いていた私を明るく励ましてくれた大好きな和正は此処にはいない。私の目の前にいるのは、玲奈の可愛さに目が眩んだ男だけ。
玲奈にだけはこの力を渡したくなかったのに。龍神様とお母様が託してくれた異能を。優しくて美しいこの異能を彼女にだけには触らせたくなかった。