「来週から別の店舗への異動を命じる。お前に希美を任せたのが間違いだった」
「……わかりました」

 千花がそう言うと、希美の口元がしてやったりと歪められた。基紀は今の彼女のオーラと顔を見ても、番だからと愛し続けるのだろうか。
 千花は冷め切った気持ちで頭を下げると、その場を去った。

 翌週から、千花は本店からだいぶ離れた場所にある男性向けエステサロンで働くことになった。
 それもチーフという立場ではなく、一般社員として。それは事実上の降格だった。マンションからは片道一時間半の距離で通勤が非常に苦痛だ。
 駅に向かって歩いていると、ふと誰かの視線を感じて、周囲を見回した。
 だが、こちらを見ている人はいない。

(気のせいか……)

 もしかしたら、彼らのせいでずいぶんと神経が過敏になっているのかもしれない。店にいても基紀と顔を合わせないように一日中張り詰めていた。
 今もそうだ。社長の視察が入ると顔を合わせるかもしれない。基紀と会いたくなくて、休憩も取らずに雑用をしているくらいだ。
 いったい千花がなにをしたというのだろう。ただ元妻というだけで、ここまで彼らに疎まれなければならないのか。
 電車に乗り込み、携帯電話で新しい仕事情報を確認した。
 このまま同じ職場で働いていても、これ以上の出世も望めないし、自分の立場は悪くなっていくばかりだ。
 千花はまだ二十四歳だ。いくらでもやり直しは利く。わかっていても、新しいところで頑張ろうという気力さえ湧かない。

 職場について、今日のお客様の予約表を確認する。
 千花にはまだ固定の予約客はついておらず、体験で来店した客の案内や説明を担当している。
 朝イチで予約表をチェックすると、WEBから十三時に新規の体験予約が入っていた。ほかのスタッフは予約で手一杯だ。千花が担当することになるだろう。
 午前中は飛び込み客のヘッドスパを担当し、昼休憩を取った。

 時刻は十二時五十分。
 そろそろかと壁に掛かった時計を見ると、受付から色めき立ったような女性の声が聞こえてくる。ほかのお客様もいるのにどうかしたのかとそちらに目を向けると、一人の男性が受付の案内でこちらに向かって歩いてくるところだった。

「十三時にご予約の紫藤《しどう》隼人《はやと》様です」

 受付スタッフに言われて彼の顔を見ると、思わずぽかんと口を開けて凝視してしまうくらいの美貌に面食らう。
 仕事上、芸能人の担当をすることもある。だが、彼はそれ以上だ。というか、あれほどに綺麗な顔を千花は見たことがない。年齢は二十代後半だろうか。
 艶のある黒髪は左右に分けられており、流された前髪が目にかかっている。
 綺麗な弧を描く目元、真っ直ぐに通った鼻、それらは完成された男の美しさを持っているが、中でもひときわ目立つのは青く輝いた瞳だろう。