第二章 もう恋なんてしない

 希美が働き始めてから二週間が経った。
 後輩から研修の進捗を聞くと、おおよそ予想通りである。
 希美はまるでやる気がないようで、なにか注意を受けるたびに「私はそのうち社長夫人になる」と言って、注意してきた後輩スタッフをクビにするだのと脅しているらしい。
 このままではほかのスタッフの士気にも関わる。
 千花は、店舗を巡回している基紀を呼びだし、応接室で彼と応対した。

「話とは?」

 基紀の顔は厳しい目で千花を睨みつけた。その顔は、殺気立っていると言っても過言ではない。八年の付き合いで千花が見たことのない顔だった。
 薄くはあるが悪意の籠もった黒い色に覆われている。

「町田さんの件です」
「希美の……俺も話は聞いている」
「なら……っ」

 彼女を働かせるのは無理だとわかってくれたのかと、一縷の望みを込めて言うが、彼から告げられた言葉は予想だにしないものだった。

「君は希美に嫉妬し、彼女が泣くほどの嫌がらせをしているんだろう!」
「え……?」

 そのとき、応接室のドアをノックする音が聞こえて、基紀が返事をする前にドアが開けられる。基紀の顔を見ていた千花には、彼の表情の変化、感情の変化がすぐにわかった。

「遅くなっちゃった! 基紀っ、お疲れ様ぁ~」

 希美は、ぴょんと飛び跳ねるように基紀に抱きついた。基紀も元妻の前だという認識はすでにないのか、希美の身体を愛おしげに抱き締める。

「あぁ、毎日頑張っていると聞いている。だが……」

 基紀が言うと、希美は顔を曇らせた。そして千花をちらりを見つめる。
 彼女の身体からは真っ黒の靄が噴きでていた。これほどまでの悪意を、千花はいまだかつて見たことがない。

「この人が……私を虐めるの。仕事はまったく教えてくれないし。すぐに怒鳴るし。暴力だって……っ!」
「そんなわけ……」
「お前っ! 希美に暴力を!?」

 千花の言葉を遮るように基紀が怒鳴った。

「そんなことするわけないじゃない!」
「希美がそう言ってるんだ! 泣いているじゃないか!」

 基紀には、はなから千花を信じる気などなかったのだ。希美が黒といえば白でも黒。今の彼には番以上に信じられる存在はいないのだろう。