「俺が番である君に惹かれる気持ちは本能だと思う。うちの一族の人間は、生まれたときから番を探すことを義務づけられる。だからこそ常に考えていたんだよ。本能だとしても、もしも自分の番がまったく許容できないような人間だったらどうするべきか、と」
「私がそうだったら、どうするんですか?」
「それなら俺は今ここにいないよ」
「どういう、意味?」
「この店で初めて言葉を交わしたね。千花はあれが出会いだと思ってる?」

 まさか、と千花が手を止めると、隼人は穏やかな表情は変えずに、口の端だけを上げた。穏やかなのに、絶対に譲らない信念のようなものが垣間見えて、千花は総毛立つ。

「千花という番を見つけたから、ここに来た。見つけたのは駅の近くで偶然だったけどね」

 もしかして隼人に出会った日、誰かからの視線を感じた。それが彼だったのだろうか。
 紫藤グループの力にかかれば、街ですれ違っただけの相手の素性を調べるのもたやすいのだろう。その巨大な力の一端を見たような気がする。
 おそらく隼人は、千花が離婚したなどとうに知っていたに違いない。

「そういう、騙し討ちみたいなのは好きじゃないの」
「うん、ごめんね。もうしないし、隠しごとももうないよ。千花には正直でありたいんだ。それで俺を好きになってほしい」
「紫藤家の力を使えば、私を追い詰めて、無理矢理結婚させることくらい可能なんじゃないの?」
「そうだね。できないことはないよ。職を失わせて、君がどこにも雇ってもらえないように圧力をかけるだけでいい。でも、それじゃあ意味がない」
「意味?」

 千花が首を傾げると、隼人は身体の周りを覆う赤を深めて、にこりと笑った。

「俺は君と恋愛がしたい。夫婦はずっと長く共にいるんだ。嫌いな相手と何十年も一緒にいられないでしょう?」

 扱く真っ当な言葉が返ってきたことに驚いた。この人は千花とまともに恋愛をするつもりでいるのだ。頬に熱が籠もり、彼を見ていられなくなる。

「本能的に番に惹かれる気持ちだけじゃなく、君となら毎日穏やかに過ごせると思った。もちろんこの国のためでもあるが、俺の気持ちでもあるんだ」

 紫藤家の中でも彼はひときわ力が強いという。彼が荒ぶれば海も荒れる。隼人は感情を波立たせないように過ごさなければならない。
 だからたとえ番だとしても、人として許容できない相手とは結婚できないのだ。

「私は……なんでも一緒に楽しんでくれる人が好き」
「そう、わかったよ。教えてくれてありがとう」

 千花がぼそりと言うと、隼人が目を輝かせた。
 彼を受け入れたわけじゃない。番を認めたわけでも、結婚するつもりもない。
 ただ、誠意を持って言葉を尽くしてくれた相手に、同じだけの正直さで言葉を返さなければ失礼だと思っただけだ。