誰かの声が聞こえる。
 そんなものはアニメなんかによくある展開だろう。
 そういえば、クラスのアニメオタクがそんな展開のアニメでいいものがあると見せてくれたことがあった。
 あれは、そうだな。可愛い絵面の割に内容が重くてドロドロしてて見る層を選びそうではある。……ん?なんか違くね?おい、あいつに騙されたじゃねぇか!
 とはいえ、現実にもそんなことがあるんだなと夢現な今に思う。
 なんと言っているのか。僕の名を呼んでいるのか?違う気がするわけで。
「タイムリープでもしてやり直せ」と、誰かが言う。
 ……なんだそれ?
 現実にタイムリープなんかできるわけがなかろう。
 馬鹿な頭は、馬鹿な言葉を想起させるのか?いや、誰が馬鹿だ。
 そしてまた微睡みの中に。

 目が覚めるといつも通りの……。
「なんだここ」
「やっと、目が覚めた。早く起きて?稽古始まるから」
 南沢の声。ああ、そうか、演技の稽古か。
「部活の疲れ取れてないの?」
「夜遅くまでセリフを覚えていたからな」
 セリフは言えるが、心情や言葉の抑揚までは把握できていない。役を演じるのは細部まで神経を使わないといけないと改めて思い知らされる。
 起き上がると演技の講師である広丸康二が、台本を丸く棒状にして頭めがけて振り下ろしていた。
 それを手元にある台本でパッと止める。まるで武田信玄と上杉謙信のようである。
「目は覚めたか?」
「覚めました」
 始めるぞと鏡前にいく広丸の後ろでスマホを確認する。
 8月2日。部活の顧問には伝えてある。稽古があり、部活に行けないこと。
 南沢がこの地域の劇団のオーディションを見つけてくれたことがきっかけだ。一歩を踏み出せたのは彼女のおかげだ。
 桂と南沢が前々から仲が良く、桂には俳優、役者になりたいと言うことを伝えていた。南沢も同じだと言うことを知っていた彼は、それを知らない僕と接点を作り仲良くさせた。
 元から、人と仲良くなることが得意だった僕にとってはなんの不安も不満もないことである。
 オーディションは、二人で参加した。
 他の参加者は別日に行ったりするみたいで会うことはなかった。
 そして、夏休みに入った段階で、顧問にはそれらを伝えて休むことが増えると伝えた。
 サボっているわけじゃない。夢のために叶えるためにここにいるのだ。
 家で引きこもっているわけじゃない。
「寝転んでないで、早く、このシーンをやってくれ」
 この舞台の台本で得られた役は悟で、主人公の脇にいるタイプ。そのくせテンションは高い。
 なのに、演技がちゃんとしていないと悪目立ちするし、間違っても主役より目立ちすぎてはいけない。
 しかし、思っているよりも主役の演技はいまいちだ。前に見た演技のような光を感じない。僕の知ってる彼女の演技じゃない。だが、そんなこと言うほど僕はいい演技ができるわけでもない。
 10月の初めに公開予定の舞台に立てるほどのいい演技はまだない。
 八月の半ばには別の舞台のオーディションがある。その舞台に出られるように今、いい演技をしておく必要があると言うのに。焦りがあることを自分自身が感じている。
 主役の三島と演技に対する話し合いもしてない。まだ演技だけで、会話さえまだ少しだけ。
 演技は技量によって落とさないといけないし、同じ空間にいる中で一人だけいい演技をすると目立つ。しかし、彼女の演技の本番を考えると今抑えるのはまた話が変わってくる。
 ある程度落として演技をすることで周りから見やすい舞台だと思われることもあるけど、今それをするのは違う。
 今の演技力は間違いではないが、良いわけでもない。中途半端だ。
 いい役をもらえたはずなのに、どうも力が入らないのは主役の演技が日によってバラバラで動画を撮って見返すと悪く目立つ時が多くて困るのだ。
 演技が上手いわけでも臨機応変に対応できるわけでもないので、微妙な力加減が一切出来ない。
「相川、お前は周りを見過ぎだ。いつも言ってるだろ。自分のできる演技の最大を出せって」
「はい」
 ついに言われてしまった。
 演技についての評価は割と買ってもらっていると思うが、それでも半人前、いやそれ以下であることは間違いない。やっぱ、焦ってるのかもしれない。自分の演技力のなさに失望する。
 もう一度のそのシーンを演じる。主役と演技でぶつかり合うこともない。ただ、淡々とこなしているよう。
 一学期に南沢と見に行ったこの劇団の舞台でこの主役は主役の隣にいるような、今の僕の役のようなところで存在感を放っていた。
 なのに、今はそんな感じもしない。
「三島さん、そろそろ本気でやってくれる?」
 広丸の言葉に、主役の三島は頷いた。いや、返事しろよ。
「初めての主役なんだし、力入れてもらいたい」
「……はい」
 小さい声で聞こえた返事にイライラしながら、流石にもうコミュニケーションを取るしかないと考えた。
 シーンが終わり、敵役の南沢が出るシーンへと移った。
 三島が、廊下に出たのでついていった。
「三島さん」
 この春から高校三年生の三島は、演技以外の活力がないのか力の抜けた返事ばかりで静かな印象が目立つ。
 振り向いた彼女に笑顔を向けながら、お疲れ様ですという。
「演技で分からないところがあるので、教えてもらえたらと思って」
「……教えることなんて何も」
「いやぁ、僕、始めたばかりで何も分からないんです。教えてください」
「……君のようにガツガツくる人多いけど、私じゃなくてもいいと思う」
 ネガティブなことこの上ないな。
「僕、実はあなたが出てる舞台見にいったことあるんです。脇役ながらすごいなと」
「……脇役?」
「え、はい」
「……あのさ、思ってたんだけど、君、演技やめた方がいいよ」
「え……」
 彼女は、僕に目を向けることもせずスタスタと歩いてしまう。
 どう言う意味だろうか。脇役は脇役じゃないか。所詮、主役でもなんでもない。思ってたってことは、前から不満があったのだろうか。
「ちょっと、待ってください」
 彼女の向かう先を阻み、訪ねる。
「脇役って言葉に嫌味を感じたなら謝ります。演技もろくに出来ないし、分からないことばかりだけど、何か間違っていたならはっきり教えてください」
「……あなたの演技は、微妙。ずっと変わらないだから、気が乗らない。それだけ」
 バッサリと切られたその言葉に少なからず動揺した。
 彼女にこれ以上聞くこともできず力が抜けた。
 演技ができないのは、始めたばかりだからしょうがないじゃないかと言いたかった。だけど、彼女の目は違った。
 演技を舐めるなと言わんばかりの目つきに苛立ち。
 声に力がこもっていた。
 稽古場に戻ると脇役である僕と南沢の敵対意識を見せるシーンになっていた。
 水を飲み、持ち場につく。
 一通り演技が終わる頃、三島が戻ってきた。
 広丸から演技の指導をもらいもう一度。
 どうしてか、南沢と演技でぶつかり合う感じがしない。
 他の誰とやってもそうだ。やっぱり僕は下手なのか。
 三島の視線にやりずらさを感じていると彼女は口を開いた。
「南沢の演技を見習って。あなたの演技は弱い。ドラマを見ているみたい。舞台をやっているの。もっと大胆に動きを見せて。声の大きさは常に一定よ」
 睨みつけるような彼女の目はまるで蛇だ。蛇に睨まれたカエルはこんなにも怯えてしまうのか。
 自分のシーンが終わったからって、薄いメイクまで落として。ていうか、全然顔変わらないじゃん。
 三島は、南沢の位置に着くと南沢のセリフを口にした。
 まるで、別人だった。何を言おうが見ればわかる。全く違う。
 彼女の迫力に気圧され言葉に詰まっていると、彼女はアドリブを加えてきた。
 役の設定をよく理解している人の言葉というより、役そのものが言った言葉のよう。
 他の役のセリフを覚えている。それ自体が驚きであるのにそれを超えてくる。
 メイクを落としオフ状態に見えたのに。
 ため息をついた三島。
「相手のことを見れるのは素晴らしいけど、あなたは今ここに役者として立っている。役を演じるみんなを見て演技して。あなたの役が薄いから周りも演技がしずらくなるの。あなたの演じている悟はまだまだよ」
 置いていたスマホを彼女は取ると僕に突きつける。
「この動画で一番ブレているのは誰だと思う?」
 動画は、グループLINEで送っている。広丸の案で撮ったら毎回送るようにと言われた。
 三島と言おうと思ったけど、言えなかった。
「あなたよ。客観的に見れるはずの動画でどうして、見れていないの?この動画は、あなたが撮りたいと言い出したのよ?私は止めたはず。でも、あなたがそれでもと言うから続けた。結果、ドラマのような演技になってしまっている。あなたの努力、失敗したわね」
「……」
 フェイスIDで開かれたスマホの写真アプリで動画を見せられる。
 公開説教されているみたいで気分が下がっていく。
 確かに、見てみれば僕の演技は回を重ねるごとにドラマのような動きになっていた。
 舞台のような大きな動きがそこにはない。
 反対に周りの演技はどんどん舞台らしく良いものになっていた。
 言われて気がつくだなんて遅すぎる。
 もう二ヶ月切ったと言うのに。
「あと、あなたは焦りすぎ。その勢いじゃ欲しかったものさえ取れなくなるわ」
「でも、稽古は後八回くらいしか」
 一週間に一回という短さで個人練習でここにきても役者が全員揃うことはないし、南沢と僕が広丸に教えてもらう程度。本番前の稽古の予定は知らない。だから、なおさら焦る。
 初心者だから周りに追いつかないといけないのに。
「だからなんなの?なんのために個人で練習しているの?あなたの欠点は、あなたの演技が足りないのに次に行くこと。一つ一つ丁寧に演じて。それができない間は次に行かないで。上達したいなら一つ一つ丁寧に。広丸さんから聞いてるよ。あなたは、毎日違うシーンばかりを演じていて、上達を感じられないって。その場にいない私だから余計にわかる。何一つ進歩がない」
 直球で、オブラートに包むことさえない正論パンチは耳に痛いほど伝わる。中途半端な理由が明確になる。
 返す言葉など一つもない。
 しかし、今、知ることができて本当に良かったと思う。
「あ、時間だ。じゃ、みんな帰って。鍵返さないと」
 広丸がいう。
 爆速で帰る人もいれば、のんびり片付ける人もいる。
 三島は、僕のスマホを勝手に漁りLINEを追加してきた。
「え?」
「ほら、演技教えてほしいんでしょ?」
「え、でも」
「高三って意外と暇なの。恋愛でもなんでも相談乗るから」
「……あれ、キャラが」
「演技するときは、気持ちをそれ以上に昂らせたくないの。役以外の気持ちはいらないから。それに憑依するタイプだから」
 あなたと同じよと付け足すが、何を言っているのかさっぱりわからない。
「……」
「普段は、もうちょっと可愛い女の子なので。よろしく」
「……」
 さっきの怖すぎて震えてたのに、寒気がする。
 スタスタと帰る彼女の後ろ姿は確かに女の子っぽい。
「惚れた?」
 南沢に聞かれ、驚いたがそんなわけないと返す。
「ただ、自分の欠点をちゃんと指摘してくれる人がいて良かった」
 このままじゃ、演技もできない自意識過剰なナルシストになっていた。
「南沢の演技ってあまり指摘ないよな。いつもどんな練習してるの?」
「え?私は、感覚だよ」
「……」
 イラつく。暴言が出なくて本当によかった。
 この手のタイプは本当に感覚で全部できるタイプだ。このセリフからこんな感じかなぁでできる人。
 僕の場合は、のめり込んでそのキャラクターの設定も性格もあるなら全部知っておきたいタイプ。
「三島さん、憑依するタイプだって」
「相川と同じタイプだね。似てる」
「そんなわけないでしょ」
 軽く否定してみたけど、案外同じだからこそ僕のことを理解してくれたのかもしれない。南沢もそう思っていたのなら、もしかしたら三島に演技を聞くのは良いことなのかもしれない。
 それではっきりと伝えてくれた?
 スマホを見ると桂からLINEがきてた。
『部活、来ないの?』
「あれ、桂じゃん。劇団に入ったこと伝えてないの?」
 スマホを覗き見た南沢は不思議そうに聞く。
 仲がいいからてっきり伝えていたのかと思ったと言わんばかり。
「あー……。言ってない。言うタイミングがなくてさ」
「まぁ、そうだよね……」
「帰るか」
 広丸に明日も空いてるか聞いて、空いているそうなので明日も行くことにした。
 今日のアドバイスが活きるように練習するだけ。
 夕飯を食べた後、部屋で台本を読んでいると着信があった。桜だ。
 反応せずに台本を読み続ける。
 また着信音がする。反応せず、今度は通知を切った。
 役をもっと理解する。理解してセリフからその役を感じてもらう。
 僕が演じて、「あ、あいつだ」となるように。他の役を今後やっていくことになるだろう。
 たくさんの役をやってもすぐに「あ、あいつだ」となるような演技を。
 センスなんかないんだ。やるしかないんだ。
 折れてちゃいけない。下手なことはできない。失敗できない。
 クラスメイトにも誰にも言わない。
 特に桜には言わない。絶対に。今は、言う時じゃない。

 翌日、家を出ると桜がいた。
「おはよ」
 昼間なのにこんにちわではないのか。
「おはよ」
「お出かけ?」
「あー、そんな感じ。じゃあ」
「あのさ」
「ちょっと急いでいるから」
「……」
 自転車に跨りペダルを踏む。
 桜とは距離がある。今思えば昔からわがままな女子だった。
 話は通じるし、会話に不満があるわけじゃない。
 ただ、今は話したいと思わない。
 なんだか、知らない記憶が流れ込んでくる。
 勉強会でもしたのだろうか。
 それは今日だったか?違う……。違うな。
 ずっと彼女の勉強に付き合っていたような。
 そんなわけないか。彼女は、学校に来なくなってそれきりだ。確か。
 今更、どうして僕が構う必要があるのか。
 距離を置きたくなったのは、彼女が夢について語った4月の前ごろ。「今のまま楽しい生活するのも悪くないんじゃない?」と、僕は彼女に求めていた言葉とは違う言葉を言われてしまった。夢なんてなくて今を楽しく生活したいらしい。
 彼女なら応援してくれると思った。
 しかし、現実は違った。否定されたような気分になった。
 合格したら劇団に入ったことを伝えるつもりだった。その前に言われた言葉だ。劇団に入ったとは言えなくなった。
 夢を持ち叶えたい僕と、夢もなくただ平穏に生きる彼女。溝を感じた。溝が少しづつできていた。圧倒的に違った。いつの間にか壁さえも作っていた。
 言えぬまま、6月末にオーディションを受けて、七月の初めに結果が届いた。
 彼女との会話を思い出す。
「そっか」
「葉もそうだよね?大学とか行って就職して。そっちの方が安定してるし良いと思う」
「……」
「葉?」
「あ、いや、そうだな」
「だいたい、夢を考えるなんて馬鹿みたい。そんなことするなら現実見ようよ。ね?」
 悪意もないその言葉にひどく傷ついたことをよく覚えている。悪意がないから余計に。桜は間違ってない。
 なんだか前に見た夢のような記憶とはかけ離れた関係性だ。
 確かに、あんな風に桜とどこか映画にでも出かけたいけど、そんな気分にはなれない。
 だって、彼女には夢がないのだから。気持ちを言えないのに一緒にいたって、それに察した彼女が苦しくなるだけじゃないか。聞きたいけど、聞けないと思われるのは精神的に避けたいではないか。
 ならば、南沢のように同じ夢があって切磋琢磨しあえる人と一緒にいたい。そう思うようになったのは、その頃からだ。
 分け隔てなく話す僕だけど、桜の言葉を聞いたあの日、多少なりとも嫌悪感を抱いた。
 彼女から理想の言葉を聞けなかったからじゃない。想像していた彼女を押しつけたわけでもない。
 ただそこにあったのは、寂しさだ。
 いつの間にか知っている彼女に変化があって、その変化に気づけなくて。同時に僕自身も変化していって。
 幼馴染だから仲良くするのはなんだか違う気がした。
 これ以上仲良くする必要もない気がした。
 それが、よくなかったのだ。
 僕が彼女と話さなくなったことで周りも話さなくなった。
 気がつけば、桜と仲良くしていた人たちでさえ話さなくなっていった。
 まるでいじめのような展開に苛立ったことを覚えている。どうして、こんなにも幼稚なのかと。
 それ以上に僕が幼稚すぎるんじゃないかと。
 誰かに桜と話すなと言ったわけじゃない。
 嫌いなわけでもない。価値観が合わなかっただけ。
 これみよがしに桂は桜に告白していたけど、失敗していた。
 わかってる。桜が好きなのは僕だ。あの目を感じ取れないわけがない。どんなに鈍感なやつだってあの目を向けられたら気づく。女の目というべきか。
 どれだけ見てきたと思ってる。
 だが、桂はそれでも桜と話し続けた。
 このままアタックしていれば、好きになってくれると思っているんだろう。嫌だな、もやもやするな。
 もうその二人で付き合えばいいのに。なんて、ヤケクソだ。
 どんな言葉も恐れず俳優になりたいと言えばいいだけなのに。
 その言葉が言えないのは、彼女が僕から離れていくことが怖いからだ。どうしようもなく離れてしまっている現状を見て見ぬふりしているのに。
 自分とは違う考え方に戸惑い、自分自身が言った言葉に後悔してほしくない。桜は、悪いこと言ったわけじゃないのだから。
 もし、僕が桜に好きだと伝えても考え方の違いや価値観の問題で気持ちが理解しあえなかったら。
 彼女の気持ちを尊重すると僕が哀れになって、僕の気持ちを伝えようとすると彼女が発した言葉に彼女が苦しめられる。
 だから、一旦距離置いて考える時間必要なんだ。
 気持ちが安定している時にちゃんと伝えるべきなんだ。
 まだその時じゃない。もう少し落ち着いてからがいい。
 役の演技もままならない僕が俳優になりたいと劇団に入った。舞台で演技をしたら説得力はあるだろうか。
 劇団の稽古場に到着すると南沢が発声練習をしていた。
「よ、一緒にやろうよ」
「やろうか」
 二人で鏡を向き、発声をする。
 声が出ないと演技もできやしない。
 舞台の演技において声は大事だ。
 一定の声量をキープするんだ。
 この日はひたすら昨日できなかったところのアドバイスをもらい演技の修正をした。
「昨日よりは良くなってるよ。あとは、表情をもっと大きく見せてほしいな」
 広丸のアドバイスを聞き、メモを取る。
「この役の場合、クールな印象を受けるんですが」
「そうだね。でも、セリフはあるだろう?静かすぎてもそれはかっこよさに繋がるわけじゃないからね」
「クールだから動きも少ないっていうのは良いとは思わない。君が演じる悟はまだ足りないよ」
 悟は役名だ。飯沼悟。アクションがメインの舞台、クールで主役の右腕とも言える存在。主役にとって重要になってくる人物だ。クールだけどアクションシーンでは大きく動くようにと言われていた。
 最後の彼の見せ場で、感情をたっぷり入れることが感動につながると思っていたけど。
「悟は、こんなんじゃない……」
 僕は、まだ悟を知らない。もっと知らなければいけない。
「もっと動きが欲しい。このシーンは今のままでいいけど、前回やった主人公とのぶつかり合いなんかは感情をぶつける勢いでいくといいよ」
「感情をぶつける」
「相川は、キャラクター設定に忠実すぎるかな。そのせいでシーンのキーポイントが欠ける。人がおっ!となるような動きはない。役として動いてないんだよ」
 ロボットのような、言われた言葉をやっているだけ。そう言われているような気がした。
「……」
「それなら……、学校行ってるだろ?相川は部活をやる時とクラスにいる時の気持ちの変化は?」
「部活をやっている時の方がテンションは高いかも」
「そう、それだよ。感情の起伏が表情にも出てほしい。声だけじゃダメだよ。声量は一定だけど感情の振り幅は無限だよ。伝えたいことは伝わってる?」
「はい」
「よし、ならよかった」
 次なる課題は、役としての表情だ。それは一重に感情が足りていない。
 声はまだ良いらしいから表情を次までに作れるようにする。
 ……違う。
 なんだ、なんだかさっきから違う気がしてならない。
 演じるとはなんだ?演技ってなんだ?
 自分がその役を演じるってどういうことだ?あれ、僕って今まで何をやっていたんだっけ?
 演技というものがわからなくなっている。ゲシュタルト崩壊を起こしている。
 だめだ。それはだめだろ。自分がやりたいから親にもお願いして、劇団に入れてもらえるようにサインしてもらったんじゃないか。
 ドツボにハマった、永久に出ない答えを出そうとしているよう。
 自分の頭では簡単に解けない問題を解いている。
「あのさ、南沢って演技をするってどんな感じ?」
 ひどく抽象的だ。どんな答えを求めているかもわからない。むしろ、南沢の答えが欲しいくらいなのに答えづらい質問をしてしまっている。
 広丸がいなくなった稽古場で彼女に聞いた。解けない問題は人に聞いた方が回答へのきっかけになる。トリガーになり得る。
 答えが出ても、自分が納得するかどうかは別問題だから変な期待はしない。
「演技をする?えー……、改めて聞かれると困るなぁ」
 悩むように腕を前にクロスさせる彼女。
「ドラマを見るような感じかな?ほら、映画とか」
「……ピンとこない」
「じゃあ、映画を見に行こうよ。そしたら、答えが出るんじゃない?」
「そうかな」
「そうだよ。相川が今、何に悩んでるかわからないけどさ。役を演じるならいろんな役を知る方がいいと思う」
 役を知っても、悟という役を演じれるわけじゃない。例え似ていてもそれは悟じゃない。
「……それはさ、形から入れってこと?」
「そうだよ」
 あっけらかんと答える彼女に頭を抱えそうになった。
 僕よりも演技できる彼女がどうしてそんな軽く答えるのだろう。もう少し悩んでくれた方が考えようがあるのに。
「でもそれは」
「演技じゃないかもね。でもさ、まだあと二ヶ月はあるんだよ?通しの練習は近づくにつれて日数も回数も増えるんだから、今は形だけで演じれば良くない?」
「それじゃ」
「じゃあ、相川は数学の問題を公式も使わずにすぐに解ける?」
「……それは」
 できない。できるわけがない。
 それと同じだと彼女の目は伝えていた。形を知れば、解ける問題がある。それ以上考えなくていいと言っているようだ。
 僕は、無理に今すぐ悟という役を演じようとしていたのだろうか。だから、焦って必死になって、なのに結果的に空回りしたわけだ。
「私もすぐにはできないし。自分の知ってる感情の中から演じることもあるし、見たことあるドラマや映画の役のセリフや声、表情を真似するよ」
「……」
 そんなものは偽物じゃないか。役じゃない。キャラクターじゃない。
 そう言ってやりたかった。でも、できなかった。
 例え、偽物であろうと本物に見えたから。
 嘘だって本当のことのように話せば、相手にしてみれば本当のことになる。
 彼女は、そうやって今の稽古を挑んでいるのだ。
 いつか本番までに演技が本物になるように。だけど、本物っぽく演じる。
 言い返せるわけなんかなかった。
「……あのさ、怒らせたらごめん。演技、ずっと悩んでいるんじゃない?少しブレイクした方がいいと思う」
 ブレイクって、まさか休めっていうのか?
 八月の半ばには劇団のもう一つのオーディションが開催されてその審査に広丸もいるのに。
「そんな時間あるわけないだろ」
「あるよ。1日くらい休も」
「無理だ」
「いいじゃん」
「少しでも休めば周りにおいてかれる。ただでさえ足手まといだ。足枷になんかなりたくない」
「だからこそ、自分を客観視できるようになった方がいいの。ずっと演技付けは体を壊すよ。それどころか精神的にもだいぶ」
「でも!」
「やめて!!わかった。そんなにいうなら、少しでも遅れたと思うなら私のせいにして」
「……は?いや、そんなの」
「それが嫌なら、私に従って」
「言ってることがめちゃくちゃだ」
「あなたにノーと言える権利はない」
「……」
 降参だった。南沢が有無言わせぬことなんてなかったし、大抵は軽く流せるのにそれさえできなかったのだから。噛みついた時点で負けていた。
「それで、どこ行くの?」
「映画だよ」
「さっき、演技は考えないって」
「刺激は欲しいでしょ」
「……」
「何考えたの、今」
「別に。じゃあ、わかった。映画な。確かに、最近全然行ってなかったし、いい機会だと思う」
 予定の空いている日を確認してその日に行くことになった。
 そうだ。あの夢のようなことは起こらないのだ。
 桜と映画に行くなんてこと一切ない。だって、あの日は南沢と行くのだから。
 しかし、桜に会わなかったわけでもない。
 正夢とまではいかないが、ある意味正しいわけだ。
 なんか、思い出してきたぞ。
 僕は確か……。
「お目覚めか」
「やっぱり……」
 そこには死神がいた。
 ここには僕と死神の二人だけ。南沢はいない。
「夢の中ならなんでもありなんだな」
「カッコつけなくていいから。気持ち悪い」
 と、身震いする死神を本気でぶん殴りたい。
「てか、お前早く僕を夢から覚ましてくれ!」
 死神の胸ぐらを掴もうにもここは夢の中。掴んだ感覚なんてない。
 突き放されたその手に痛みもない。痛みがない……?
 記憶が呼び起こされたようで。あの時、またタイムリープしてやり直したのなら。
「どうして、あの時痛みを感じたんだ」
「勘がいいなぁ、本当に。その痛みが偽物だったらどうするの?」
「ならなんで勘がいいなんていうんだよ」
「おっと、良くないねぇ。じゃあ」
 と、声のトーンが下がる。本題に入るみたいだ。
「今の君が夢から覚められないと言ったらどうする?」
「いや、わけわかんないこと言うなよ。こんな悪夢早く終わりにしてくれ。桜が事故死とか信じたくないし、リアルすぎる夢も見たくない」
「でも、まだ無理」
「死神なら、できるでしょ」
「何言ってんの?」
 あぁ、知らないんだ見たいな顔してため息をつく彼。
「僕は、死人に会いにきているだけなんだけど」
「………………は?」
 その言葉をうまく飲み込めない。脳が処理を拒んでいるよう。グラグラする頭で必死に抵抗する。
 ただの夢じゃないのか?変な夢を見てるだけで。それ以上でも以下でもなくて。目が覚めれば勝手に消えていくありふれた夢の中。
 ……違った?
「僕は、死んだ?」
 嘘だ。いや、あり得ない。信じない。
「馬鹿なこと言うなよ。だったら、なんで喋ってんの?一応、生きてる。ただ、実際のところお前は死んだ。体はまだ生きてる」
「何言ってんのかわからない」
「そりゃそうだろうよ」
 僕が死んだ?なのに、体は生きてる?
「少し教えてやるよ。どうせ、タイムリープしたら導火線だのトリガーだのなければ記憶は戻ってこないし。お前の体は痛みを感じた時に現実で急変した。そして、手術を受けて一命を取り留めた」
 そこまではついてこれるか?と続けた。一歩前に来る死神。
「でも、お前は夢の中。仮死状態っていうとまた違うからね。意識不明の重体って言った方が間違いではないかもしれない」
「僕は、なんでそんなことに」
「それは、お前のせいさ」
「回りくどいことしてないで早く答えろ!」
「うるさいなぁ。それは、お前が八月のラストまで夢を見続ける必要があるの。別にカットもかけられるし、時間も飛ばせる。でも、お前はしない。僕は悪くない。だろ?」
 だろ?じゃねえよ、まじ許さねぇ。
「じゃあ、八月のラストまで見ないといけない理由は?」
「それは答えじゃん。今からまた見直すといいよ」
「おい、それじゃ時間がかかるだろ」
「時間がかかってもいいさ。どうせ、リアルはそんなに時間が経ってないだろうから」
 どれだけ知りたくても答えてはくれないみたいだ。
 これ以上は不毛なので仕方なくこいつの願い通りに動くことにした。ただ、一つ聞きたいこともある。
「僕は、このタイムリープを一体どれくらい続けているんだ」
「んー。二十回くらいは余裕で超えているんじゃないかな」
 嘘つけよ。だったら、なんで前回の記憶だけしか残ってないんだ。
 それは、それで違うのか?
 前回もあれ、これ違くね?見たいな時は度々あった。嘘ではない?
 リアルはなんだ?本当の過去はなんだ?記憶はどうなっているんだ?曖昧すぎて怖い。それを二十回以上?冗談じゃない。
 返してくれ。夢なんかにいたくない。現実を……。
 そのために最後までやってやる。八月のラストまで記憶を、夢を見続けてやる。
 あぁ、それとと死神は思い出したように言葉を紡ぐ。

「夢の中と言えど、ここで死んだら後はない。地獄に落ちるかもな」

 この記憶だけは残しておいてやると彼は言って、僕はまた眠らされた。