中学校の入学式。小学校を卒業したばかりの私は、どんな一年が待っているのかとわくわくしていた。なんというか、心が舞い上がっいるような感じだった。
私は、
(去年と同じように、楽しく学校生活を過ごせたらいいな……。)
そんな事ばかり考えていた。
しかし、その希望は妄想へと変わってしまうのであった。
中学校に入学してからしばらくして、私は授業が鬱陶しく思うようになってきた。
今の授業、終わらないかな、終わらないかな、と。私は学校という場所が大きな檻のように感じた。
また、ここから出たい、ここから出たいと、思いがぐるぐると疼き、廻り、疼き、疼いていた。
そして私は思ったーー
もう、"学校に行きたくない"と。
そして私は、毎日学校に行く日になるたびに行くことを拒否した。
「今日は学校行こう」「行けるかな」「明日はいけるよね」「昨日行くって言ったでしょ」
親の声が苦痛だった。
私は、前から〝不登校になっても大丈夫〟みたいなことは知っていたーーそういう系の漫画とかも見たーーみんな救われるんだってーーだったら私も同じことして、救われたらいいじゃんーー
そんな安易な考えで、学校にいくことを拒否し続けた。一方、それは『ある種の好奇心』でもあった。怖いと思うかもしれないが、そういう感情も渦巻いていた。
8時。制服を着る。
8時15分。わざと時間を遅らせて、ベッドの上に寝転ぶ。「今日は、学校行く?」と聞かれる。
「行かない」と言うと、
「なぜ?」と聞かれる。
当然だ。休むんだったら理由がいる。皆が納得できるために。
しかし、答えられない。〝ここから出たい〟なのか。或いはそれ以外なのか。私はわからなかった。わかることができなかった。
"私はなぜ学校に行けないの?"
この問いの答えが思いつかなかった。見つからない、なあに、なあに、答えを知ってるんだったら教えてよ、と何度も自分を問い続けた。
そして毎日結論を出す。
「わからない」と。
両親はとても怒った。いつもは怒らない父親まで怒らせて、母親には泣かせてしまった。私は暗い暗い洗面所の中に閉じこもっていた。朝なのに暗かった。中は紺色をしていた。でも朝だったから、ひとつの窓から少しだけ光が差し込んでいた。
そんなある日。何故か覚えていないが、スクールカウンセラーの人と話す機会を貰った。スクールカウンセラーの人が、
「区の適応指導教室に行ったらいいんじゃない?」
と言ってくれた。
私はそれがとても気になった。それと同時に楽しみになった。今までのつらい日々が、何かと報われる気がしていた。ということで、私は見学に行ってみることにした。
区にはいくつかの適応指導教室があり、その中から毎日通える候補を探した結果、2つに絞れた。
一つは、家から近い適応指導教室。しかし、そこは学校がすぐそばにあった。
もう一つは、家から遠い適応指導教室。しかし、ここは遠い。電車で毎日通うことはできるが、遠かった。
2つ見学に行った結果、建物全体が綺麗だった家から遠い適応指導教室に行くことに決めた。
最初の日。10月くらいだった。簡単な面談をして、スタッフと一緒に中に入っていくことにした。
その日はスタッフとお話をしただけだった。それだけど、建物が明るくて、なんとなく、安心したような気がした。
その後、学校からオンライン授業を受けることを提案され、適応指導教室には行かなくなった。しかし、オンライン授業を受けても授業はつまらなく、実際に授業を受けたほうがマシなくらいだった。
2月ごろ、オンライン授業をやめて適応指導教室に行くことを始めた。
最初は週1日とかくらいだったかもしれない。でも、自己紹介をしたり、いろいろな活動の中で、行く回数が増えてきた。
校外学習では、先輩が優しくしてくれたりして、嬉しかった。私は話しかけてくれたりするのがとても嬉しかった。
3月。中学1年生が終わる月。そして中学3年生の先輩たちが卒業してしまう月。私は中学1年生の自分に終わりを告げた。
4月。適応指導教室の中に先輩はいなかった。
思いを噛み締めていた。だけど、まだ仲間がいた。だから、思いっきり遊んだ。
引き続き適応指導教室に行き始めた。日を重ねるごとに行く回数も増え、9月頃には毎日通うようになっていた。
私は漫画を読んだり、カードゲームやボードゲームをしたり、行事に参加したり、調理実習をしたり、一人芝居を見たり、畑仕事をしてみたり、ワークショップに参加したり、博物館に行ったり、遊園地に行ったり、本当にいろいろなことをした。毎日心が穏やかだった。安心して過ごせた。私は嬉しかった。嬉しい経験を重ねて、私の中でも〝もっといろいろ挑戦したいな〟という思いが生まれてきていた。
でも、失ったものもあった。
普通の学校生活ではできることが、私にはできなかった。1年生のときはやったけど、2年生のときには出られなかった体育祭。一度もやったことがない合唱コンクール。怖そうでやめた職場体験。そんな普通の〝青春〟とか言われそうなものを、私はできなかった。
それでも、私は適応指導教室で同じくらいの〝青春〟を過ごした。学校ではできないこと、それをたくさんやった。そんなつもりだ。
私は自分で決めることの大切さを知った。私はいくつかの行事を、行くか行かないか自分で判断した。決めて後悔したこともあるが、決めた自分を責めているわけではない。それをやれなかったことだった。でも、それはひとつひとつもう一度チャンスを掴み取ってきた。例えば職場体験。学校でやる予定だった職場体験には行かないと自分で決めた。でも、後になってみるとやはり後悔した。やっぱりやっとけばよかったと。
その時気づいた。
〝もしやりたかったら、これからやればいいじゃん〟と。
そうして、今年の春休みにチャンスを掴み取った。保育園の保育体験だった。
正直、私は年下の子が苦手だった。何故なら幼稚園の年長のときに無理やり年少のお手伝いをやらされ、その時嫌なことがあった記憶があるからだった。
でも、そんなことはなかった。私が担当したのは2歳児の子たちだったが、足に抱きついてきたり、「ばああ」と可愛い声でいってきて、本当に可愛いのだった!尊いというべきであろう。
それから、年下の年長さんの子がとてもリーダーシップを発揮しているようで、私より大人に見えた。
そして4月8日、始業式の日がやってきた。
朝、慣れない7時に起きる。朝食を食べる。だんだん時間が近づいてくるごとに、腹痛が私を襲う。
それでも。適応指導教室のスタッフさんや、みんなが応援してくれたから。何より後悔したくないから。私は玄関の扉を開けた。
私は通学路を進んでいく。上を見ると、桜が綺麗に咲いていた。
足を進めるごとに近づいてくる時間。でも歩くと、不思議と安心していれた。
そして学校に着いた。すると、新クラスの発表があった。見たらとても良いクラスだった。家が近い人とも一緒だし、1年生の時に仲が良かった人とも一緒のクラスになれた。ずっと同じクラスになれなかった人とも同じクラスになれた。
私はとても嬉しかった。
2年生の時の教室に入ると、みんなが嬉しがってくれた。
「来てくれたんだ!」「よろしくね!」とか。
私は嬉しいのかなんなのか複雑な気持ちになった。でも、一番最初は始業式とか次の日の入学式の準備とかだったので、私はとても楽に過ごすことができた。
帰り道。私は商店街を歩いていた。昼に帰るから、明るいBGMが流れていた。
私は今日あったことを思い返していた。
"入学式に、何を思って迎えるか。"
その問いをずっと問っていた。
次の日。入学式の日。私は「迎える側」の気持ちになって、晴れやかな気持ちで、新入生を迎えるんだ!
と思ったら、風が強く、雨が激しく降っていた。
なんでだろ、と思いながら、私は学校へと向かった。
学校には入学式の立て看板があった。私はここにいていいのだろうかと、怖く感じた。
そのとき、そばで新入生の案内をしていた人が、
「『すみません。』って言って通してもらいな。」
と言ってくれたので、私は通してもらおうとしたら、間が空いていたので普通に入れた。
中には傘をたたむひとが何人かいた。靴を履き替え、列に並ぶ。
昨日用意した椅子が、静かに佇んでいた。
私たちはこの椅子に座った後、新入生が来るのを待っていた。かなりの時間だった。歌を思い出したりしながら、たんたんと時間を過ごしていった。
そして、入学式の時間が来た。
新入生が入場してくる。実にかわいい人たちであった。私たち3年生より身長が小さく、ほっそりとしたかわいい人たちであった。
私は歓迎の意味を込めて拍手をした。
その後、次々と式は進んでいった。特に新入生代表の言葉は立派に感じた。新入生の、心からの決意を感じたからだ。
私は動揺した。先輩である私が、こんな姿でいいのだろうか、と。
でも、私ならきっと大丈夫と、突然思った。理由もないけど。私でもこの学校を説明することくらいはできるだろう。3ヶ月くらい行っていたのだから。
新入生が退場するとき、私は彼らに希望をいだきながら、
(絶対、いい学校生活を送ってね。)
と、心の中で思った。
その後、私たちは4日間ほどのオリエンテーションを終えた。そして、授業が始まることになった。
私はとても緊張していた。今まではオリエンテーション期間だから、過ごすのは簡単だし、精神的にも楽だろう。しかし授業となると大変だ。体育の授業では本当に急いで着替えなくてはならないし、教室移動も多い。
"疲れてしまわないか"
それが一番の私の不安だった。
そして授業が始まった。私は不安を抱えて学校に足を運ぶ。何を持っていけば分からないのか不安で、これでは新入生と同じなのではないかと、虚しく思ってしまった。
しかし、学校につくと、不安は飛んでいってしまった。
最初は授業もオリエンテーションのような感じで、配布物がたくさん配られる。授業があっても、みんなで爆笑したり、問題を解いたり、テストをやったりと、楽しく過ごせた。
私は良かったと思った。今までできなかったこともあるけど、ここで巻き返すことができた。それが私にとってとても嬉しいことだった。
別に、巻き返すのに遅いことはない。
いつから始めても、何があっても、きっとなんとかなる。
そういう楽な気持ちで生きれたらどれだけ楽だろうかと何度も思った。でも、きっと大丈夫だと信じている。
だって、人生なんとかなるんだから。
私は、
(去年と同じように、楽しく学校生活を過ごせたらいいな……。)
そんな事ばかり考えていた。
しかし、その希望は妄想へと変わってしまうのであった。
中学校に入学してからしばらくして、私は授業が鬱陶しく思うようになってきた。
今の授業、終わらないかな、終わらないかな、と。私は学校という場所が大きな檻のように感じた。
また、ここから出たい、ここから出たいと、思いがぐるぐると疼き、廻り、疼き、疼いていた。
そして私は思ったーー
もう、"学校に行きたくない"と。
そして私は、毎日学校に行く日になるたびに行くことを拒否した。
「今日は学校行こう」「行けるかな」「明日はいけるよね」「昨日行くって言ったでしょ」
親の声が苦痛だった。
私は、前から〝不登校になっても大丈夫〟みたいなことは知っていたーーそういう系の漫画とかも見たーーみんな救われるんだってーーだったら私も同じことして、救われたらいいじゃんーー
そんな安易な考えで、学校にいくことを拒否し続けた。一方、それは『ある種の好奇心』でもあった。怖いと思うかもしれないが、そういう感情も渦巻いていた。
8時。制服を着る。
8時15分。わざと時間を遅らせて、ベッドの上に寝転ぶ。「今日は、学校行く?」と聞かれる。
「行かない」と言うと、
「なぜ?」と聞かれる。
当然だ。休むんだったら理由がいる。皆が納得できるために。
しかし、答えられない。〝ここから出たい〟なのか。或いはそれ以外なのか。私はわからなかった。わかることができなかった。
"私はなぜ学校に行けないの?"
この問いの答えが思いつかなかった。見つからない、なあに、なあに、答えを知ってるんだったら教えてよ、と何度も自分を問い続けた。
そして毎日結論を出す。
「わからない」と。
両親はとても怒った。いつもは怒らない父親まで怒らせて、母親には泣かせてしまった。私は暗い暗い洗面所の中に閉じこもっていた。朝なのに暗かった。中は紺色をしていた。でも朝だったから、ひとつの窓から少しだけ光が差し込んでいた。
そんなある日。何故か覚えていないが、スクールカウンセラーの人と話す機会を貰った。スクールカウンセラーの人が、
「区の適応指導教室に行ったらいいんじゃない?」
と言ってくれた。
私はそれがとても気になった。それと同時に楽しみになった。今までのつらい日々が、何かと報われる気がしていた。ということで、私は見学に行ってみることにした。
区にはいくつかの適応指導教室があり、その中から毎日通える候補を探した結果、2つに絞れた。
一つは、家から近い適応指導教室。しかし、そこは学校がすぐそばにあった。
もう一つは、家から遠い適応指導教室。しかし、ここは遠い。電車で毎日通うことはできるが、遠かった。
2つ見学に行った結果、建物全体が綺麗だった家から遠い適応指導教室に行くことに決めた。
最初の日。10月くらいだった。簡単な面談をして、スタッフと一緒に中に入っていくことにした。
その日はスタッフとお話をしただけだった。それだけど、建物が明るくて、なんとなく、安心したような気がした。
その後、学校からオンライン授業を受けることを提案され、適応指導教室には行かなくなった。しかし、オンライン授業を受けても授業はつまらなく、実際に授業を受けたほうがマシなくらいだった。
2月ごろ、オンライン授業をやめて適応指導教室に行くことを始めた。
最初は週1日とかくらいだったかもしれない。でも、自己紹介をしたり、いろいろな活動の中で、行く回数が増えてきた。
校外学習では、先輩が優しくしてくれたりして、嬉しかった。私は話しかけてくれたりするのがとても嬉しかった。
3月。中学1年生が終わる月。そして中学3年生の先輩たちが卒業してしまう月。私は中学1年生の自分に終わりを告げた。
4月。適応指導教室の中に先輩はいなかった。
思いを噛み締めていた。だけど、まだ仲間がいた。だから、思いっきり遊んだ。
引き続き適応指導教室に行き始めた。日を重ねるごとに行く回数も増え、9月頃には毎日通うようになっていた。
私は漫画を読んだり、カードゲームやボードゲームをしたり、行事に参加したり、調理実習をしたり、一人芝居を見たり、畑仕事をしてみたり、ワークショップに参加したり、博物館に行ったり、遊園地に行ったり、本当にいろいろなことをした。毎日心が穏やかだった。安心して過ごせた。私は嬉しかった。嬉しい経験を重ねて、私の中でも〝もっといろいろ挑戦したいな〟という思いが生まれてきていた。
でも、失ったものもあった。
普通の学校生活ではできることが、私にはできなかった。1年生のときはやったけど、2年生のときには出られなかった体育祭。一度もやったことがない合唱コンクール。怖そうでやめた職場体験。そんな普通の〝青春〟とか言われそうなものを、私はできなかった。
それでも、私は適応指導教室で同じくらいの〝青春〟を過ごした。学校ではできないこと、それをたくさんやった。そんなつもりだ。
私は自分で決めることの大切さを知った。私はいくつかの行事を、行くか行かないか自分で判断した。決めて後悔したこともあるが、決めた自分を責めているわけではない。それをやれなかったことだった。でも、それはひとつひとつもう一度チャンスを掴み取ってきた。例えば職場体験。学校でやる予定だった職場体験には行かないと自分で決めた。でも、後になってみるとやはり後悔した。やっぱりやっとけばよかったと。
その時気づいた。
〝もしやりたかったら、これからやればいいじゃん〟と。
そうして、今年の春休みにチャンスを掴み取った。保育園の保育体験だった。
正直、私は年下の子が苦手だった。何故なら幼稚園の年長のときに無理やり年少のお手伝いをやらされ、その時嫌なことがあった記憶があるからだった。
でも、そんなことはなかった。私が担当したのは2歳児の子たちだったが、足に抱きついてきたり、「ばああ」と可愛い声でいってきて、本当に可愛いのだった!尊いというべきであろう。
それから、年下の年長さんの子がとてもリーダーシップを発揮しているようで、私より大人に見えた。
そして4月8日、始業式の日がやってきた。
朝、慣れない7時に起きる。朝食を食べる。だんだん時間が近づいてくるごとに、腹痛が私を襲う。
それでも。適応指導教室のスタッフさんや、みんなが応援してくれたから。何より後悔したくないから。私は玄関の扉を開けた。
私は通学路を進んでいく。上を見ると、桜が綺麗に咲いていた。
足を進めるごとに近づいてくる時間。でも歩くと、不思議と安心していれた。
そして学校に着いた。すると、新クラスの発表があった。見たらとても良いクラスだった。家が近い人とも一緒だし、1年生の時に仲が良かった人とも一緒のクラスになれた。ずっと同じクラスになれなかった人とも同じクラスになれた。
私はとても嬉しかった。
2年生の時の教室に入ると、みんなが嬉しがってくれた。
「来てくれたんだ!」「よろしくね!」とか。
私は嬉しいのかなんなのか複雑な気持ちになった。でも、一番最初は始業式とか次の日の入学式の準備とかだったので、私はとても楽に過ごすことができた。
帰り道。私は商店街を歩いていた。昼に帰るから、明るいBGMが流れていた。
私は今日あったことを思い返していた。
"入学式に、何を思って迎えるか。"
その問いをずっと問っていた。
次の日。入学式の日。私は「迎える側」の気持ちになって、晴れやかな気持ちで、新入生を迎えるんだ!
と思ったら、風が強く、雨が激しく降っていた。
なんでだろ、と思いながら、私は学校へと向かった。
学校には入学式の立て看板があった。私はここにいていいのだろうかと、怖く感じた。
そのとき、そばで新入生の案内をしていた人が、
「『すみません。』って言って通してもらいな。」
と言ってくれたので、私は通してもらおうとしたら、間が空いていたので普通に入れた。
中には傘をたたむひとが何人かいた。靴を履き替え、列に並ぶ。
昨日用意した椅子が、静かに佇んでいた。
私たちはこの椅子に座った後、新入生が来るのを待っていた。かなりの時間だった。歌を思い出したりしながら、たんたんと時間を過ごしていった。
そして、入学式の時間が来た。
新入生が入場してくる。実にかわいい人たちであった。私たち3年生より身長が小さく、ほっそりとしたかわいい人たちであった。
私は歓迎の意味を込めて拍手をした。
その後、次々と式は進んでいった。特に新入生代表の言葉は立派に感じた。新入生の、心からの決意を感じたからだ。
私は動揺した。先輩である私が、こんな姿でいいのだろうか、と。
でも、私ならきっと大丈夫と、突然思った。理由もないけど。私でもこの学校を説明することくらいはできるだろう。3ヶ月くらい行っていたのだから。
新入生が退場するとき、私は彼らに希望をいだきながら、
(絶対、いい学校生活を送ってね。)
と、心の中で思った。
その後、私たちは4日間ほどのオリエンテーションを終えた。そして、授業が始まることになった。
私はとても緊張していた。今まではオリエンテーション期間だから、過ごすのは簡単だし、精神的にも楽だろう。しかし授業となると大変だ。体育の授業では本当に急いで着替えなくてはならないし、教室移動も多い。
"疲れてしまわないか"
それが一番の私の不安だった。
そして授業が始まった。私は不安を抱えて学校に足を運ぶ。何を持っていけば分からないのか不安で、これでは新入生と同じなのではないかと、虚しく思ってしまった。
しかし、学校につくと、不安は飛んでいってしまった。
最初は授業もオリエンテーションのような感じで、配布物がたくさん配られる。授業があっても、みんなで爆笑したり、問題を解いたり、テストをやったりと、楽しく過ごせた。
私は良かったと思った。今までできなかったこともあるけど、ここで巻き返すことができた。それが私にとってとても嬉しいことだった。
別に、巻き返すのに遅いことはない。
いつから始めても、何があっても、きっとなんとかなる。
そういう楽な気持ちで生きれたらどれだけ楽だろうかと何度も思った。でも、きっと大丈夫だと信じている。
だって、人生なんとかなるんだから。