激痛が走り、うめき声が漏れた。
 骨が軋む。力任せに床に叩き潰された際、足首を痛めたようだ。

 いや足だけではなくあちこちが痛い。
 熱い。
 息が苦しい。それでも床に転がるフランの元に這ってでも向かおうとした。それが気に入らなかったのか、クリストファ殿下は私の体を何度も踏みつける。

「第二王子である、私に、怪我を、させようとするのは、どういうつもりだ。答えろ、オリビア!」
「がっ、……ごほごほっ」

 暴行を受けても誰も助けてはくれなかった。自分の身を護るため両腕で頭を庇い縮こまる。理不尽で身勝手な言動。意識が遠のきかけた時、枢機卿が声をかけた。

「クリストファ殿下、これ以上はお控えください」
「しかしサイモン枢機卿。王族である私を──」
「上位精霊が暴走するというのは、契約者の感情が大きく乱れたからでしょう。彼女は大切な聖女様ですよ。あまり傷をつけてはなりません。……竜魔王の怒りを買いたいのですか」
「っ──チッ」

 竜魔王。
 その言葉にクリストファ殿下は動揺し、苛立ちを呑み込んだ。
 海の彼方に存在するグラシェ国は、竜人族やドワーフ族、エルフ族など多種多様な種族が存在する古き神が残した大国で、祖国フィデスと国交を結んでいた。

 昨今、魔物問題に人類が怯えずに暮らしているのも全て竜魔王が存在しているからに他ならない。人類にとって絶対に敵に回してはならない存在、そう昔から教えられてきた。

 王族であるクリストファ殿下ですら下手を打てないとわかっているからこそ、これ以上の暴行はなかった。逆にそれだけの理由がなければ暴行は続いていただろう。竜魔王によって命が救われた──いや竜魔王の生贄発言がなければ、私がこうなることもなかったが。

(エレジア国の次はグラシェ国……。死ぬまで利用されて搾取され続けるの?)
「サイモン枢機卿、彼女に治療をかけてやれ」
「承知しました。それでは聖女様は私どもが責任をもって竜魔王様にお届けします」
「ああ、そうしてくれ」
(フラン……)

 床に倒れているフランへ手を伸ばそうとするが届かない。
 あと少しだというのに体が痛くて動かなかった。

 竜魔王のお告げ。
 生贄なんて国交を結んでいたフィデス王国にはない風習だった。
 竜魔国グラシェは竜魔人が治める法律国家で、秩序と統制が取れた自然豊かな国。竜の庇護を受けていたフィデス王国は貿易も盛んだったのに現在は──この国と国交を結んでいるのか。

(どうして、こんなことに?)

 昨日までは貧しいながらもフランと一緒だったから耐えられた。三年の期限も目前で僅かな希望だってあった。亡国の令嬢としてエレジア国に保護され、子爵としての地位を用意してくれた。叔父夫婦が豪遊していなければ、生活する分には困らなかったはずだ。

 全ては都合のいい情報だけを与えて、いいように手のひらで踊らされていた。
 私は知らな過ぎた。亡国を救うために内職する日々ばかりで、情報を集める時間がなかったなんてそれは言い訳でしかない。

「では聖女様を馬車に」
「はっ!」
「痛っ、待って。待ってください。フランを、フランを助けて!」
「ああ、大丈夫だよ。オリビア」

 甘い声でクリストファ殿下は私にそう告げた。最後の慈悲でフランを助けてくれるのだろう。そう思っていた私の期待は一瞬で打ち砕かれた。

 クリストファ殿下が抜身の剣を手にしている姿を見た瞬間、ゾッと背筋が凍り付いた。その刃先は私ではなく、フランに向けられたのだから。
 唇が戦慄き、衝動的に飛び出した。騎士たちを振り切ろうとするが間に合わない。取り押さえられ床に叩きつけられる。

 痛い。
 苦しい。
 でもそんなことよりもフランを──。

「殿下、……どうか。お願いです、フランを」
「君も生贄になって奉げられるのだから、せめてもの情けに上位精霊も一緒に送ってあげよう」
「や、やめてぇええ!!」

 私の言葉も虚しく刃は振り下ろされた。


 ***


 その日、私は馬車で神殿の医務室へと案内された。もっとも外見で見えるところのみの治療で、折れた骨はそのままだった。

 その後、神殿で『清浄の儀』と称した水浴びを強要され、身綺麗にはなったが質素で飾り気のない麻の服に袖を通した。装飾品の一つもない。
 けれどフランを失った今、私にはどうでもよかった。
 神殿の聖女見習いたちの心ない暴言も、嫌がらせも、どこか遠くから聞こえてきて現実味がない。

(フラン……。ごめん。私と出会わなければ、あんな死に方なんてしなかったのに……)

 聖女見習いたちは私の反応が乏しかったからか、早々に飽きてどこかに行ってしまった。嫌がらせや罵倒、体罰も叔父夫婦や屋敷の使用人たちから受けることが多かった。だから慣れていると言えば変だが、感情が死んでいたと思う。

 あっという間に神殿での準備を終えた所に、修道服に身を包んだ女性が姿を見せる。私と異なり上質な絹で作られた白いドレスに身を纏い、金の刺繍をあしらったベールを被っていた。私と同世代だろう。

 桃色の髪に、透けるような白い肌、彼女は──エレジア国の聖女エレノア様だ。
 もし本当に竜魔王が聖女を望んだのなら、彼女が生贄の役目を担わなければならないというのに、どうして私になってしまったのだろう。

「身代わりご苦労様、ハズレくじを引いた()()鹿()()()()()()()()
「…………え」