例祭当日。
 神社の鳥居から本堂までの長い参道には町内会の屋台がずらりと並び、たくさんの人で賑わっていた。
 神楽を踊る前だというのに、天音は咲と一緒に屋台で焼きそばを食べて楽しんでいた。

「やっぱ、屋台の焼きそばは美味しいねー」
「うん! でも、天音。そろそろ神楽踊る準備しなくても良いの?」
「え? もうそんな時間?」

 そこへ天音達のもとに、邪馬斗が息を切らしながら走ってくる。

「天音、こんな所に居たのか。じいちゃん達が呼んでたぞ。そろそろ準備始めるってよ」
「はーい。じゃー、咲。またねー。終わったら、今度は焼きとうもろこし食べよー!」
「はいよー! 頑張ってねー」
「ありがとー!」

 急いで神楽殿に向かう邪馬斗の後ろを、天音は焼きそばをかきこみながらついていく。

「てか、お前まだ食べる気かよ……」
「当たり前よ! 悔いなく食べ尽くさないと! 年に一度の例祭だからね!」
「太るよ」
「乙女に向かって失礼な!」

 いつもの痴話喧嘩をしていると、神楽殿に着いた。

「さぁ、お二人さん。衣装に着替えなさい」

 待ちくたびれた様子の鈴子が、神楽の衣装を準備して待っていた。

「はーい」

 二人は控えの間で神楽の衣装に着替える。
 天音は白の着物に赤の袴姿。邪馬斗は白い着物に水色の袴姿に着替えた。
 神楽殿で踊る時間まで待つ間、天音は邪馬斗に尋ねた。

「今年で何回かなー? 例祭で神楽踊ったの」
「3歳の時からだろ? 十五回目?」
「そっかー。そんなに踊ったのかー。あたし達、ベテランになったんじゃない?」
「なに呑気なこと言ってんだよ。いつまでこの例祭に出て笛を吹き続けなきゃいけねーんだろーなー」
「えー? あたし達の時みたいに後継者が現れる時までじゃない?」
「そーかー。トキ子おばあちゃんが見に来ていた時は、褒められるのが嬉しくて楽しかったのに、おばあちゃんが亡くなってからは、どうも乗り気じゃないんだよなー」
「あたしもー! わかるぅー! おばあちゃん亡くなってから二年経つもんねー」
「そうだな。俺ら中三の時だったなー」

 二人の神楽を誰よりも楽しみにしていた、近所のトキ子お婆ちゃん。
 二年前に、病気で亡くなってしまった。
 天音と邪馬斗は懐かしそうに昔の頃を回想しながら、時間が来るのを待っていた。

「お前達、時間じゃよ」
「はーい」

 義興が時間を知らせに来た。
 天音と邪馬斗は神楽殿に上がり、神楽を舞い始める。
 ゆっくりと落ち着いた笛の音が、静寂に満ちた神楽殿に響く。
 代々伝えられた、特別な木で作られた笛。
 邪馬斗の奏でる音に合わせ、天音が神楽を舞う。
 金色の神楽鈴を頭上で優雅に振り回し、クルクルと回りながら舞う。
 天音の舞と邪馬斗の笛に、人々は聞き入っていた。
 そして、舞の終わり間際には舞手が神歌を歌い、鈴を天に掲げて拝んで締める。

『彷徨える御霊よ、安らかに眠りたまえ。幽世へ行き来世の幸を祈ろうぞ』

 演目が終わり、天音と邪馬斗は観客に向かって深く頭を下げる。
 観客の拍手が鳴り響く。
 そして、今年も無事に例祭は幕を閉じた。
 後片付けをするため、天音と邪馬斗は本堂に行った。

「さっさと、本堂の掃除して帰ろー!」
「そうだなー。宿題もやんなきゃいけないし」
「邪馬斗、後で宿題見せてー。もう疲れて、宿題する気全く無いし」
「だからお前、頭悪いんだろ? 少しは自分で問題解けよ」
「えぇー、良いじゃーん。邪馬斗、成績優秀だし。少しくらい見せてよー」

 そう言いながら、天音が本堂の戸に手をかけた瞬間。

「きゃ! なに!?」

 突然、不気味な黒い霧が本堂を包み込んだ。

「天音!」

 邪馬斗は、咄嗟に天音を抱いて守る。
 その瞬間、パリッと何かが割れる音がした。

「何抱きついてんのよ! 離れなさいよ!」
「はぁ? どう考えてもやべー状況だろ? そこはお礼を言うべきだろ!? それより何か音しなかったか?」
「した! 何か割れた音した! ……邪馬斗! あれ!!!」

 天音は本堂の中を指差し、驚きながら邪馬斗に言った。
 天音が指で示した先には、巫神社の御神体とされている神鏡がある。
 それが、粉々に砕け散っていた。そして、飛び散った神鏡の破片が、光を放ちながら消えてしまう。
 天音と邪馬斗は目を丸くして驚き、言葉を失った。

「御神体が……。どうしよう……」

 天音がやっと言葉を発すると、物音を聞きつけた鈴子と義興が駆けつけた。

「どうした!? 本堂の方で強い光が……音が聞こえてきたのじゃが……」
「なんと!? 義興じいさん!」
「……なんということじゃ……」

 神鏡が失くなっているのを鈴子と義興は、呆然として見つめた。

「おばあちゃん……」
「天音! 怪我はないかい!?」
「うん……」

 突然の出来事に、天音は気が動転し涙目になっていた。

「邪馬斗、大丈夫か?」
「あぁ……まぁ。じいちゃん……」

「邪馬斗、今は何も言わんでええ。まだ町内会の人達がいるからな。とりあえず、本堂の戸を閉めなさい。ワシの家で話を聞こう」

 義興はそう言って、本堂を後にした。

「天音、私も義興じいさんの家へ先に行っているから、落ち着いたら邪馬斗君と一緒に来なさいな」
「分かった……」

 鈴子はそう言って、義興を追うように行ってしまった。

「邪馬斗……。これからどうなっちゃうんだろ? なんか大変なことになっちゃった感じがする」
「分からない。とりあえず、じいちゃん達にさっきのことを伝えて、これからのことについて話し合おう」

 邪馬斗は本堂の戸を静かに締めながら言った。
 天音と邪馬斗は残りの片付けをして巫川家に向かう。
 居間では鈴子と義興が並んで座布団に座り、深刻な顔で天音と邪馬斗を待っていた。
 天音と邪馬斗は、怯えた様子で二人の前に座った。

「例祭でお疲れのところ申し訳ないが、二人で本堂の掃除に行った時のことを話しておくれ」
「あ、うん……。あの、突然、すごい音が……光が……」
「落ち着け、天音」

 まだ動転している天音を察し、邪馬斗が代わりに話し始めた。

「俺の口から言うよ。天音と一緒に本堂の掃除をしようとして本堂の戸を開けようとしたら、急に黒い霧が本堂を包んだんだ。そしたら、神鏡が割れて飛び散った破片が光を放って消えた。そこに、じいちゃん達が来てくれた」

 天音も頷きながら、邪馬斗が話を聞いていた。

「そうか。実は、二人と別れた後、代々伝わる巫神社の書物を蔵から持ってきたんじゃ」

 義興はそう言って、天音と邪馬斗の目の前に一冊の古い本を差し出して見せた。その本はかなりの年季が入っていて黄ばみ、ボロボロになっている。

「この本に、今回の原因ではないかということが載っていたのよ」

 鈴子がそう言うと、義興が頷きながら話を続けた。

「お前たちにもいずれかは巫神社と巫神楽のことをきちんと話さなければならないと思っていた。今回がその良い機会だと鈴子ばあさんもワシも思っている」

 義興は巫神社の書物を開いて見せながら、巫神社と巫神楽について話し始めた。
 巫山家と巫川家の間に建つ巫神社は、いつからあるのかも不明なくらい歴史が古い。
 毎年例祭が行われており、そこで必ず巫神楽を奉納している。
 巫神楽は、巫山家の舞と巫川家の笛で構成されている。
 しかも、舞で使う鈴と笛を鳴らすことができる者しか神楽を奉納することが許されてない。
 後継者の舞と笛は不思議な力がある。
 古来より例祭で奉納されている神楽はこの世を彷徨う霊を魂送りできると代々言われていた。
 そして、巫神社の御神体と言われている神鏡は後継者が神楽を継承されていることによって守りの力が備わっていた。
 そのため、後継者の意志は神社の力を左右するとも言われている。

 義興は淡々と書物を見ながら天音と邪馬斗に巫神社と巫神楽について語った。

「ということは毎年例祭で踊っていた神楽って、ただの踊りじゃなかったってこと?」

 天音が考えながら言うと、鈴子が大きく頷きながら、

「でも、ここまで影響があるとは思ってもいなかったが」

 と言った。

「影響?」

 天音が頭を傾げながら言った。

「どういうことだ? 俺達となんの関係があるというんだ?」

 邪馬斗も全く分からない様子で言った。すると、義興が大きく深呼吸をした後、ゆっくりと話の続きを語り始めた。

「つまり、唯一の原因はお前達じゃよ」
「私達……?」

 天音と邪馬斗はお互い顔を見合わせた。

「そうじゃ。お前達神楽の後継者の意志が薄れてしまったことが神鏡が割れてしまった原因じゃ。お前たちは最近稽古をサボり気味になっていたじゃろ? そのため、舞と笛に気持ちが入っておらず、なぁなぁにやり続けたことによって、神社に力が失くなり、神鏡が割れてしまったのじゃろう。このままじゃと、神社の力が失くなったままになり、魂があの世に行けず彷徨ったままになってしまうのじゃ。霊たちがあの世に行って安らかに休めるように、巫神楽の後継者であるお前たちが、彷徨っている霊たちの魂送りをして、神鏡を元に戻して、神社の力を取り戻してほしいのじゃ」
「神鏡を元に戻すのと、魂送りは何の関係があるんだ?」

 邪馬斗は義興に聞いた。

「書物によると、魂送りと神鏡の修復は深い関係にあると書いている。詳しい理由は分からんが、今はこの書物に書いてあることを信じてやっていくことしかできん。なんせ、神鏡が割れて失くなってしまうなんぞ例外なことじゃからな」
「そんなに重要なことを引き継いでいたなんて思ってもいなかった……」
「俺も……。」

 天音と邪馬斗は、自分達が軽い気持ちで神楽を継承してきたせいで神鏡が割れてしまったという罪悪感に大きなショックを受けた。

「あなた達二人で協力し合って、どうかお願いします。私達には神楽の後継者の資格が失くなってしまっているから、二人にしか出来ないことなの。」

 鈴子は涙目で天音と邪馬斗に頭を下げて言った。

「私……やるよ!」
「もちろん俺もやるよ!」
「うむ! 頼むぞ!」

 こうして、天音と邪馬斗は神鏡を戻すために霊を魂送りすることになった。

 翌日。
 天音と邪馬斗は改めて巫神社に来ていた。天音は神鏡を飾ってあった場所を眺めながら

「いつもあるものが無いと寂しいね」
 
 と、呟くように言った。

「そうだなー。まさか、こんなことになるとは思ってもいなかったもんなー」
「わたしもー。まさか、漫画の中みたいなことが起きるなんてねー。でもさー、私霊感なんて無いんだけど、どうやって霊を見つけて魂送りするのかな?」
「じいちゃん達も分かんないって言ってたもんなー。それに神鏡が割れるなんて前代未聞なことらしいから詳しいことは不明らしいし……。こりゃー、手探りでの活動になるなー」
「はぁ、長い道のりになりそうだね~」

 二人は顔を見合わせ、ガックリを肩を下ろした。

「そういえばさ。私達が神楽に力が入らなくなったのって、二年前のトキ子おばあちゃんが亡くなってからじゃない?」
「そうかもなー。いつも俺らの神楽を褒めてくれてたからなー。俺、おばあちゃんが亡くなった時、結構ショックが大きかったんだよなー」
「私もー。トキ子おばあちゃんのこと大好きだったから……」
「そうだな……」

 天音と邪馬斗は懐かしそうに神楽を楽しく踊っていた頃を振り返っていた。
 しかし、後継者としての意志が薄れてしまった原因の始まりでもあったことを思うと、再び気が重くなってしまったのであった。 
 そんなことを思いながら本堂を眺めていると、後ろに何か気配を感じた。
 二人はびっくりし、振り向かずに小声で話す。

「ねぇ……。邪馬斗……」
「何も喋んな! お前が言いたいことは大体分かる!」
「こんな真っ昼間に出るもんなの!?」
「そんなこと知るか!」

 二人が言い合っていると、向こうの方から二人に話しかけてきた。

「もしかして……天音ちゃんと邪馬斗ちゃんかい?」

 二人は声を聞くと思いっきり後ろを振り向いた。その声は懐かしい聞き覚えのある声であった。
 振り向くと、そこには少し腰が曲がった八十代後半くらいの女性が一人ニコニコしながら立っていた。
 その女性は二年前に亡くなった、二人が大好きだったトキ子おばあちゃんであった。
「トキ子おばあちゃん!!!」

 二年前に病気で亡くなった、二人の神楽を誰よりも楽しみにしていた近所のトキ子おばあちゃんがニコニコしながら立っていた。
 天音は泣きながらトキ子おばあちゃんに飛びついた。
 しかし、トキ子おばあちゃんは透けていたため、抱きつこうとした天音は通り抜けてしまい、コケて地面にうつ伏せになってしまった。

「おい、天音! 大丈夫か?」
「いったあーい!」

 邪馬斗が天音に近寄って声を掛けた。
 天音は奇跡的にも無傷だった。

「おやおや、大丈夫かい?」

 トキ子おばあちゃんも天音のことを心配して近寄ってきた。

「本当に……本当にトキ子おばあちゃんなの?」

 天音が恐る恐る聞くとトキ子おばあちゃんはニコニコしながら

「そうだよ。二人とも、大きくなったね~」

 と答えた。

「トキ子おばあちゃん、何でこんなところにいるんだ?」

 邪馬斗が不思議そうに言った。
 すると、トキ子おばあちゃんは困った顔で言った。

「あの世に行けなくてねー。困っている所にお前さんたちを見かけてねー」
「そうだったんだ」
「あ、邪馬斗! おばあちゃんと義興おじいちゃんが言っていたこと! 魂送りをやればトキ子おばあちゃん、あの世に行けるんじゃない!?」
「そうか! そうだな! 早速やってみるか!」

 天音と邪馬斗は早速トキ子おばあちゃんの前で、魂送りをした。トキ子おばあちゃんは、久しぶりに見る天音と邪馬斗の巫神楽に涙を浮かべ、喜びながら見ていた。

「あぁ……。また、天音ちゃんと邪馬斗ちゃんの神楽を見れるなんて……。ありがたや~」

 二人が神楽を踊り終わる。
 しかし、トキ子おばあちゃんは二人のことをニコニコと微笑みながら拍手をしていた。

「あれ? おばあちゃんまだいるね……」
「おばあちゃん! 私達の神楽、どうだった!?」
「良かったよー。また見れておばあちゃんは嬉しいよ~。ほんと、天音ちゃんと邪馬斗ちゃんは上手だねぇ~」

 天音は嬉しそうにトキ子おばあちゃんと話をしていた。
 そこに、邪馬斗が呆れながら、天音にツッコんできた。

「おい、天音! そんなこと言ってる場合か! ちゃんとじいちゃん達に教えてもらった通りに魂送りやったのに、トキ子おばあちゃん、あの世に行けていないんだぞ! おかしいと思わないのか!」
「あ、そうだった! 趣旨を忘れてた! てへっ」
「ブサイクが、てへって言うな」
「誰がブサイクですって!?」

 天音と邪馬斗が喧嘩をしていると、トキ子おばあちゃんがクスクスと笑って言う。

「相変わらず、二人は仲良しさんで良いねぇ~」
「よくなーい!」

 天音と邪馬斗は声を合わせて言った。

「とにかく、天音。トキ子おばあちゃんの魂送りができるように考えないと……」
「そう言われても……。う~ん……。……あ!」

 考えていると天音が一つの考えが閃いた。
 そして、トキ子おばあちゃんに問いかけた。

「ねぇ、トキ子おばあちゃん。もしかして、この世に未練が残っていたりしない?」

 トキ子おばあちゃんは少し考えた後、ハッとした顔をして天音と邪馬斗に話し始めた。

「あぁ……。言われてみれば、一つあったのぉ~」
「なになに!? 言ってみて!」
「病院に入院していた時、もう一度行ってみたいと思っていた所があったんよー。だけど、一度も退院できずに、病院でポックリ死んでしまったからね~。行ってみたかったが、叶わなくてね~」

 トキ子おばあちゃんは寂しそうに言った。

「行ってみたかった所ってどこなんだ?」

 邪馬斗がトキ子おばあちゃんに聞いた。

「ほれ、お前たちとよく遊びに行っていた、あのナギの木が立っている小山だよ」

 巫神社の裏山に小山がある。その頂上には大きなナギの木が立っている。
 天音と邪馬斗は幼少期、よくナギの木までトキ子おばあちゃんと一緒に散歩をしに行っていた。
 ナギの木から見える景色がとても良く、町を一望できる。

「トキ子おばあちゃんはナギの木の所に行きたいの?」

 天音はトキ子おばあちゃんに確認した。

「そうだよ。思い出の場所だからねぇ~。もう一度行ってみたいね~」
「分かった! んじゃー、明日学校休みだし、三人で行こう! 邪馬斗、明日部活休んでね! 私も休むから!」
「言われなくても休む気でいたし。最近、ナギの木まで行っていなかったから、久々に行きたいしな」
「よし! けってーい! じゃーまた明日、ここに集合ね!」

 こうして明日、天音と邪馬斗はトキ子おばあちゃんと共に、巫神社の裏山に行くことになった。
 そして、翌日。
 天音は巫神社に向かった。
 神社には邪馬斗、トキ子おばあちゃんが既に待機していた。

「おっはよー!」

 天音は元気に邪馬斗とトキ子おばあちゃんの元に駆け寄った。

「おはよう。天音ちゃんはいつも元気だね~」
「遅いぞ!」
「ごめんごめん。さ、行こうよ!」

 三人は巫神社の裏山に入り、ナギの木を目指して歩き始めた。
 街を一望できることで有名なところでもあるため、参道は整備されており、とても歩きやすくなっている。
 しかし、小山とだけあって坂道となっている。
 頂上に着くと、道が拓ける。正面には大きなナギの木がそびえ立っていた。

「久しぶりに来たぁー! この木はやっぱりおっきいなー!」

 天音はナギの木に駆け寄り、大きく手を広げながら言った。

「お前はガキか。はしゃぐなよ」

 邪馬斗は呆れながら言った。

「やっぱり、ここから見る景色は良いよねー」

 天音がそう言うと、トキ子おばあちゃんが天音に近づき、街の景色を見渡した。

「そうだね~。ここはとてもいい場所だ」

 トキ子おばあちゃんがそう言って、ナギの木に近づいて行った。
 そして、高くそびえ立つナギの木を見上げながら言う。

「ここはね、もう一つ思い出があってね。私の旦那との思い出の地でもあるんだよ。よく旦那とここに来て、この街の景色を見ていたんだよ。あと、このナギの葉は縁結びとも言われていてねー。このナギの葉のお陰かもねー、旦那と一緒にいれたのは。でも、早くに亡くなっちゃってねー……。旦那もあの世で私のことを待っているだろうね。早く会いたいな……」

 トキ子おばあちゃんはそう言っていたが、寂しい顔はしていなかった。
 むしろ、大好きな旦那ともう少しで出会える嬉しさを感じられる表情をしていた。

「ありがとうね。思い出の地にまた天音ちゃんと邪馬斗ちゃんと一緒にこれてよかったよ~」
「私もトキ子おばあちゃんと一緒にここにこれてよかったよ!」
「俺も。ありがとう、トキ子おばあちゃん」
「もう未練は無いよ。さぁ、旦那が待っているあの世に送っておくれ」
「うん」

 天音と邪馬斗は魂送りをした。
 天音が邪馬斗の笛に合わせて舞始めると、淡い光が辺りを包み始めた。
 その光は暖かくも優しい感じの光であった。
 魂送りをしていると、トキ子おばあちゃんの話す声が聞こえた。

「これからもわたしの大好きな神楽を引き継いでいってね。みんなが楽しみにしているよ。頑張ってね」

 そして、舞の終盤となり、天音は神歌を歌う。

『彷徨える御霊よ、安らかに眠りたまえ。幽世へ行き来世の幸を祈ろうぞ』

 天音が踊り終わると、トキ子おばあちゃんの魂はあの世に行き、消えてしまっていた。

「トキ子おばあちゃん……。私、頑張るね。この神楽引き継いて、絶対に神鏡を元に戻すね……」

 天音は泣きながら言った。

「天音にもトキ子おばあちゃんの声が聞こえたのか」
「うん……。トキ子おばあちゃんのためにも、街のみんなのためにも、神鏡を元に戻すためにも……。がんばろうね、邪馬斗!」
「あぁ!」

 天音と邪馬斗は、トキ子おばあちゃん、街の人達のためにも、神鏡を元通りにすること、魂が待っている人の元へ行けるように魂送りをやっていくことを思い出のナギの木の元で強く誓うのであった。
 早朝。
 鈴の音がシャンシャンと家中に鳴り響いている。
 天音は一人、家の広い座敷で神楽の練習をしていた。
 何回練習したのか、額には汗が滲んでいた。
 鈴の音を聞いた鈴子が座敷に入ってきた。
 鈴子は天音が神楽を練習している姿を見て、目を丸くして驚いた。

「天音……。こんな朝早くから率先して練習して……。その気になってくれたんだね……私は嬉しいよ……」

 感激の涙を流しながら、鈴子は言った。
 天音は鈴子の声に気づき、練習を中断した。

「あ、おばあちゃん。おはよー」
「おはよう。こんなに朝早くどうしたんだい?」
「あぁ……。えーっと、実は昨日、トキ子おばあちゃんを魂送りしたんだけど……。トキ子おばあちゃんが神楽を引き継いで頑張ってって言っててさー。トキ子おばあちゃんの気持ちを考えたら、頑張らなきゃと思って、朝練してたの……」

 天音は照れくさそうに言った。

「トキ子って……二年前に病気で亡くなったトキ子さんのことかい!? お前、トキ子さんに会ったのかい!?」

 天音は昨日、邪馬斗と一緒に魂送りしたことを鈴子に話した。

「うん。会ってすぐ魂送りをしたんだけど、送れなくてさ。トキ子おばあちゃんがこの世に未練があることを知って、邪馬斗と一緒に未練を晴らしてから魂送りをしたら、魂があの世に行けたんだー」
「ほぉー……。ただ、魂送りをやれば良いって事ではないようだね。よく頑張ったのー、天音」
「おばあちゃん! 私、もう一度真剣に神楽と向き合って、巫神社の力を取り戻せるように頑張るよ!」
「うん! うん! ……ん? なんだね? この匂いは……」

 鈴子は、ふと匂いを気にし始めた。

「ん? ……なんか焦げ臭い……。あぁー!!!」

 天音はハッとして台所へ急いで走って行った。
 オーブンを開けると、朝食用に準備していた食パンが真っ黒に焦げていた。

「あちゃ~、やっちゃったぁ……。しょうがないか……」

 天音はがっかりしながら、真っ黒になった食パンにジャムを塗って齧りつく。
 食べながら家を出ると、ちょうど邪馬斗が家から出てきた。

「おはよー!」
「おー、おはよう。なんだその黒いパンは? 新作のパンか?」

 天音が食べていた真っ黒に焦げたパンを見て、邪馬斗はからかうように言った。

「ただ、焦げただけ!」
「お前、お菓子作りが下手な上に、食パンですらろくに焼けないのか」
「うるさいなー。神楽の練習してたらパン焼いていたこと忘れてたんだよ!」
「あー、やっぱり。なんか鈴の音聞こえるなーって思ってたんだよなー。実は俺も朝早くにヤギの木の所に行って、街の景色を見ながら笛の練習をしてたんだ」
「へー。よくいつもどおりの時間に家出れたね」
「お前と違って、時間に余裕を持って行動してんだよ。お前もちゃんと時間にゆとりを持って行動しろよ」
「でも、間に合ってるから良いじゃん」
「まったく……」

 会話をしながら学校に登校した二人。
 教室に着き、それぞれ席についた。
 天音が席に着いてのんびりしていると、咲が話し掛けてきた。

「おはよー、天音! 昨日部活休むなんて珍しいね! なんかあったの?」

 天音も邪馬斗も、魂送りの件については家の人以外には誰にも話していない。
 話したところで、誰も霊のことなんて信じてくれないからだ。

「あー、まぁー……。家にいるおばあちゃんがちょっと具合悪くてさー。ほら、私の両親って出張が多くて家にいることないじゃん? だから、私がおばあちゃんの看病をやんなきゃいけなくてさー」
「そうだったんだー。大会近いのに大変だねー」
「あっ……。大会……」
「えっ!? あんなに部活熱心な天音が大会のこと忘れることあんの!?」
「いやいや、忘れてないよー! ただ最近、ちょっと目まぐるしくてさー」
「しっかりしなよ、天音! あんた、優勝候補なんだから!」

 天音はダンス部の中でもなかなかな実力者である。
 そのため、今度のダンス部の県大会では優勝候補と言われていた。

「大丈夫! 練習はバッチリだよ!」

 天音は自信満々に答えた。

 そして、放課後。

「ワンツースリーフォー、ファイブシックスセブンエイト……」

 天音はダンスの練習に励んでいた。
 天音はソロの部に出場する。

「ふぅ……。もう一回! ……ん?」

 天音が何か気配を感じた。
 周りをよく見ると、一人見慣れない女の子が部室の隅でダンスを踊っていた。
 天音と同じくらいの歳に見える。

「あの子……。もしかして、霊? にしても、メッチャ上手い!」

 天音は女の子を見ながら感嘆の声を漏らした。
 すると、その女の子が天音に気づいて近づいてくる。

「君、あたしのこと見えるんだね! 良かったー! 話せる人いて! 私のこと見える人が居ないから退屈してたよ~」

 馴れ馴れしく女の子は話し掛けてきた。
 元気いっぱいでテンションも高かったため、天音は困惑してしまう。

「えーっと……。元気が良いね……」
「元気だけが取り柄なんだー!」

 すると、心配そうに咲が話し掛けてきた。

「どうしたの? 独り言なんて珍しいね。大丈夫?」
「あー、ちょっとトイレに行ってくる!」

 天音は女の子に小声で「ちょっと来て」と言って部室を出て、外まで走って行った。
 周りに人が居ないことを確認し、天音は小声で話し掛けた。

「ふぅ……。ここなら人気を気にせずに話せるね。あなた、名前は?」
「あたし、茜! ねえ! 本当にあたしのことが見えるの!?」
「うん。茜ちゃんはなんでこんなところにいるの?」
「うーん……。気づいたらここに居たー。あたし、高二の時に交通事故で死んじゃってさー。ていうか、君! ダンス上手いね! 見てたよ!」
「ありがとう……。私も高二なんだー」
「そうなの? 同級生じゃん! イエーイ!」

 茜ははしゃぎながら、天音にハイタッチを求めながら言った。
 あまりのテンションの高さに、天音は苦笑いを浮かべ、ぎこちなく茜とハイタッチを交わす。

「ごめんね。うるさくて」

 茜は気を遣ったのか、少しトーンを落とす。

「うんうん。大丈夫。ところで、茜ちゃん。私、茜ちゃんみたいにこの世にいる霊をあの世に行けるように魂送りしているんだけど……。もしかして茜ちゃんがまだこの世に居るのって、何かやり残したことがあるからだと思うんだけど、何か心当たりないかな?」
「あー、だからあたしのことが見えるんだね。う~んとね~……」

 少し考えると、茜は何か思い出したのか、ポンと手を叩いた。

「そうそう! あたしが交通事故で死んじゃった日、ダンスの大会があったんだ! 会場に向かっていた時に事故にあって死んじゃったんだよね。団体戦に出ることになってたんだー……。凄く悲しくて、悔しかったんだけど、亡くなってから結構時間が経って、死んじゃった現実と向き合うことが出来て、その間にちゃんと家族とダンスの仲間にお別れを言えたんだけど、何故かこの世に留まっていたんだよね。これからどうしたら良いのか分からなくなっていなんだけど、誰もあたしに気づいてくれなくて。踊っていれば、誰か気づいてくれるかなって思って、色んな所で踊っていてさー。そしたら、この高校からポップスの音楽が聞こえて来てみたら、ダンス部見つけてさー。んで、踊っていたら天音ちゃんが見つけてくれたんだよねー。そこでお願いがあるんだけど、今度天音ちゃんが出る大会で一緒に踊りたいんだけど……。お願いします!」

 茜は一気にまくし立てて、深々とお辞儀をする。

「でも、私が出るのって個人の部だよ?」
「邪魔だよね……」
「いや。それでも良いのであれば私は構わないけど」

 天音がそう言うと、

「いいの!? ありがとう! 本当にありがとう! めっちゃ嬉しい!!!」

 と、茜は嬉しそうに飛び跳ねた。

「んじゃ、明日から練習しよう!」
「うん! よろしくね、天音ちゃん!」

 茜が右手を差し伸べた。
 天音が茜の手を握ろうとするも、すり抜けて握手ができなかった。

「あ……。そうだった」

 霊体の茜と握手ができないことに気づき、お互いに笑い合った。

「あっ! 部活抜け出していたんだった! 早く戻らないと! そうだ茜ちゃん。帰り、魂送りを一緒にやっている相方のこと紹介するから待ってて!」
「分かったー。あたしのせいでごめんね。部活頑張ってね。振り付け考えながら待ってるねー」
「うん!」

 そう言って、天音は部室へと走って戻った。
 部室に戻ると、既に練習は終わっていてミーティングをしているところであった。
 天音はそっと忍び足で部室に入り、こっそりミーティングに加わった。
 天音が戻ってきたことに気づいた咲は、小声で天音に話し掛けた。

「天音、大丈夫? トイレ長すぎない?」
「ごめんごめん。 ちょっとお腹痛くて……。でももう治ったから大丈夫だよ」
「なら良いんだけど……。大会まであと二週間だね。優勝候補、頑張れ」
「ありがとう! 咲も団体戦頑張ってね!」
「うん!」

 ミーティングが終わり、天音は制服に着替えて学校を出た。
 校門を出ようとすると、茜が声を掛けてきた。

「天音ちゃん、お疲れー!」
「おまたせ。あ、ちょっと待っててね。もう少しで、邪馬斗が来ると思うから」
「なに、男? 彼氏?」

 茜は、ニヤニヤしながら天音に言った。

「違うよ! 一緒に魂送りしている相方のことだよ!」
「ふ~ん」

 茜はさらにニヤニヤしながら、天音を見た。

「あ! 邪馬斗!」

天音は手を振りながら、校舎の玄関から歩いてきた邪馬斗を見て言った。

「お疲れー。誰、その子? てか、霊だな」

 邪馬斗は、茜を見るなり言った。

「そう。茜ちゃんっていうの」
「茜です! よろしくね、邪馬斗君!」

 茜は元気に邪馬斗に挨拶をする。

「こんにちは。ところで、この子の未練って聞いたの?」

 邪馬斗は早々、天音に聞いた。

「うん。この子もダンスを高校でやっていたらしいけど、ダンスの大会の当日に事故で亡くなっちゃったんだってさ。んで、今度私が出る大会で一緒に踊りたいんだってさ」
「なるほど。確か、天音のダンスの大会って二週間後だったな。ということは魂送りするのは二週間後の大会の後ってわけだな」
「そういうこと。邪馬斗、大会に来れる?」
「うん。何も予定ないから行けるよ」
「ありがとう! 茜ちゃん、大会頑張ろうね!」
「うん! もう一度大きいステージで踊れるって思うと、ものすごくテンション上がる! 頑張るぞぉー!!!」
「おー!!!」

 天音と茜は、そろって拳を掲げて気合いを入れた。

「お前ら、本当に今日知り合ったばっかりなのか? 知り合ったばかりとは思えないくらい意気投合してんな」

 邪馬斗は二人のことをポカーンと口を開く。

「だって私達、コンビで踊るんだもん!」
「イエス! 天音ちゃん!」
 
 天音と茜は、まるで昔からの親友のように笑い合った。

 それから、天音と茜はダンスの大会に向けて練習に励んだのであった。
 茜は天音の振り付けに合わせながら、自分らしいダンスの振り付けを考えて練習に励んだ。
 学校では周りの目もあるため、お互い自主練をし、朝練や休日の時に巫神社で一緒に練習をしていた。

「茜ちゃん、短時間で私のダンスに合わせて、しかも茜ちゃんらしい振り付けを考えれるなんて……。しかもこの完成度の高さ。凄すぎる! もしかして茜ちゃん、ダンスの大会とかで入賞したことあるでしょ?」

 茜のハイレベルなダンスのクオリティーに、天音は驚いていた。

「あたし、亡くなった日、初めて大会に出る事になっていたんだ。でも叶わなくて……。プロダンサーを夢見てたんだよねー」
「そうだったんだ。大会では思いっきり踊ろうね!」
「うん! ありがとう、天音ちゃん! ほんと天音ちゃんと出会えて良かったー!」

 二人は手を取り合うようにして、楽しそうに飛び跳ねていた。
 そして、大会当日。
 控室に邪馬斗が顔を見せた。

「天音、茜ちゃん頑張れよ」
「わざわざ控室まで来てくれたの? ありがとう!」

 天音がお礼を言うと、邪馬斗が天音のほっぺたをつねる。

「何言ってんだよ! お前、緊張しすぎ! 巫山のおばあちゃんがお昼の弁当忘れて行ったから届けて欲しいって頼まれてきたんだよ! ほら! 弁当!」
「あ! 忘れてた! ごめん!」

 天音は邪馬斗から弁当を受け取った。

「ほんと仲が良いんだね。お二人さん付き合ったら?」

 茜が言うと、天音と邪馬斗が声を大きくして、

「絶対にあり得ない!」

 と叫ぶ。
 周りにいた人達が驚くのに気づいて、天音と邪馬斗は気まずくなり、顔を引きつらせながら頭を下げて謝罪した。

「と、とにかく頑張れよ! じゃーなー!」

 そう言って、邪馬斗は客席へと走って行った。

「さて、お弁当食べて時間まで待とう」

 天音は弁当を食べながら、時間まで控室で待機した。
 その間も、茜は振り付けの復習を必死にしていた。

「そろそろ時間……。茜ちゃん、舞台袖に行こう」
「うん!」

 天音と茜は、舞台袖に行って出番を待つ。

「天音ちゃん、緊張してきたー」
「茜ちゃん、大丈夫だよ! 思いっきり踊ろう! 楽しむことが一番だよ!」
「そ、そうだね!」

 いよいよ、天音と茜の出番となる。
 ステージの中央まで行き、二人は顔を見合わせて頷く。
 まもなく幕が上がり、ポップスの音楽が流れ、二人のダンスが始まった。

 観客からは天音だけしか見えていない。
 しかし、不思議なことに茜の存在も感じられるようになっていた。
 観客の間にどよめきが走る。
 一人のはずなのに、コンビのダンスのように見えたのだ。

 二人は、満面の笑顔で決めのポーズをとる。
 観客席から、大きな拍手と歓声が響いた。
 ステージ袖にはけると、茜が天音の周りをぐるぐると飛び回る。

「めっちゃ、気持ち良かったー! 楽しかったー!」
「私も楽しかったよ! ありがとう、茜ちゃん!」
「こちらこそ! 天音ちゃん!」

 二人はステージが終わっても、気持ちが高ぶったままだった。
 そして、結果発表。
 天音は手を合わせながら、発表の時を観客席で待っていた。

「あ~、ドキドキする~」
「あたしもー!」
「では、発表します。個人の部優勝は…………。巫高校二年、巫山天音さん!」

 その瞬間、天音と茜は飛び跳ねて席を立ち、喜びを爆発させた。

「やったー!!!」

 こうして、大会は優勝という輝かしい結果に終わった。
 会場の玄関では、邪馬斗が微笑みを浮かべながら待っていた。

「二人とも、優勝おめでとう」
「ありがとう!」
「ありがとう、邪馬斗くん」
「そういや、茜ちゃん。踊っていた時、凄い霊気立ってたよ。天音が後継者の力も発揮して、二人の霊力の波長が合ったんだな。会場に居たみんなが、茜ちゃんの存在を感じていたよ。ダンスが終わった後、茜ちゃんの気を感じられなくなってしまったけど……」
「それでも、あたしのダンスをみんなに見てもらえたこと、何より、叶わなかったステージに立てて踊れたことに、ものすごく幸せを感じた……。もう、思い残すことないよ!」
「良かったね、茜ちゃん」
「ありがとう、天音ちゃん。さ、あたしをあの世に送って」
「うん。じゃー、人気のない所に……」

 会場に近くで、人のいないところを探す。

「あ、天音。預かってた鈴だよ」

 邪馬斗は、カバンから天音の鈴を取り出した。

「サンキュー。じゃー、始めようか」

 邪馬斗の笛に合わせて、天音は鈴を鳴らしながら魂送りの舞を舞った。
 すると、茜が光に包まれていく。

『彷徨える御霊よ、安らかに眠りたまえ。幽世へ行き来世の幸を祈ろうぞ』

 魂送りが終わる間際、茜が二人に話しかける。

「ありがとうね! マジ二人ともお幸せに! 邪馬斗君、イケメンだから他の女に取られないうちに旦那さんにしなよ、天音ちゃん!」
「だから、そんなんじゃないってば!」

 天音が慌てて言い返すも、既に茜の姿はない。
 茜の魂の光は、笑い声を響かせながら天へと登っていったのであった。

「最後の最後まで、だいぶイジってきたな、茜ちゃんは……」

 邪馬斗は呆れながら言った。

「まー、年頃だったし、ましてや私達高校生の男女だから、周りにそう言われてもおかしくないよ」

 天音も呆れながら言った。

「さて、帰ろうか」
「うん! あ、邪馬斗。優勝したから何か奢ってよ! 焼き肉! 焼き肉!」
「もう少し、女子高校生らしい物、ねだれねーのかよ!」
「えー、だっておなか空いたんだもん。ガッツリしたもの食べたい!」
「はいはい……」

 邪馬斗は、天音に焼き肉を奢る羽目になってしまったのであった。
 天音と茜が二人で取った優勝トロフィー。
 日差しを浴びてキラキラと輝いている。
 それはまるで茜の笑顔のようだった。
 この先も忘れることはない大会だと、天音は心の中で思っていた。

 魂送りの活動をしている時、未練がないのにあの世に行けず、この世を彷徨っている霊も少なくなかった。
 霊を見つけ次第、魂送りをすれば未練を解決すること無く、あの世に霊を送ることが出来た時もあった。

「ふぅ……。今日も無事に魂を送れたね」
「そうだな。あのさー、天音」
「なに?」
「最近、寝ても疲れ取れない感じがするんだけど。天音はどう?」
「言われてみればそうかもね……。でも、部活もあるし、宿題もあるからそれで疲れが溜まっているのかもね」
「そうだよな。抜き打ちにお前のクソ不味い手作りお菓子を食わせられれば、疲れも溜まってくるよな」
「なにそれ! この前作ったクッキー美味しいって言ってくれたじゃん!」
「あれだけな。あとは不味いのオンパレードだった」
「むぅ~」

 しかし、魂送りをするための霊力が少しずつ衰えていることに、この時、天音も邪馬斗も気づいていなかったのであった。

 ある日の体育の授業。この日は天気も良かったため、校庭で百メートル走をやっていた。

「位置について……。よーい、どん!」

 出席番号順に男女混合で四人ずつ、百メートルを走り、タイムをつけた。

「次、天音だね。ガンバ!」

 咲が天音に声を掛けて、応援を送った。

「ありがとう。頑張ってくるね!」

 天音はそう言って、スタート地点に向かった。

「あれ……?」

 歩き出すと、天音は目眩を感じた。
 少しクラっとしただけであったため、天音は単なる立ちくらみかと思い、気にしなかった。

「急に立って歩き出したからかな? まあ、治ったから大丈夫か」

 天音はそう思い、スタート地点に着いた。
 隣には邪馬斗が立っている。

「邪馬斗! 負けないよ!」
「あぁ……」

 邪馬斗はそこはかとなく元気のない返事をした。
 天音は元気の無い邪馬斗に不思議に思いながらも、クラウチングスタートの姿勢になる。

「位置に着いて……。よーい、どん!」

 体育の先生の合図で、走り出した。
 天音と邪馬斗の一騎打ちにクラスメイトは盛り上がっていた。

「よし! もうすぐでゴール!」

 と、その時であった。
 ……バタン。

「おい! 大丈夫か!?」

 真横を走っていたはずの邪馬斗が、急に天音の視界から消えた。

「え?」

 天音は独走してゴールした。
 振り向くと、邪馬斗がゴール目前で倒れているのに気づく。

「邪馬……」

 天音が倒れている邪馬斗に近づこうとした瞬間であった。

「あ……れ……?」

 天音は再び目眩に襲われた。
 しかも、さっきの目眩とは違い、目の前が大きくグルグルと回り、視界が真っ暗になってきたのであった。
 その途端、天音も倒れてしまう。

「天音ー!!!」

 咲が天音の名前を叫びながら、走ってきた。
 同時に、幹弥も邪馬斗の側に寄って名前を叫んでいた。

「幹弥、咲。悪いが、二人を保健室まで運んで行ってくれ。応援の先生呼んでくるから!」

 体育の先生はそう言って、職員室へと走って行った。
 まもなくして、天音と邪馬斗は担架で保健室へと運ばれて行く。
 保健室のベッドに寝かせられた二人を、咲と幹弥が見守る。

「今朝はあんなに元気だったのに……」

 咲が不安な顔で言った。

「邪馬斗もいつもと変わらなかった……」

 幹弥も邪馬斗の寝顔を見ながら言った。

「貧血ね。休んでいれば大丈夫よ」

 保健室の先生は、落ち込んでいる咲と幹弥に声を掛けた。
 そこに、ノックをする音が聞こえた。

「あ、はい!」

 保健室の先生は返事をした。
 扉を開けて保健室に入ってきたのは担任の猿田先生であった。

「二人はどう?」
「まだ、目を覚ましません。寝ています」

 猿田先生の問いかけに、咲がか細い声で応えた。

「そっか……。二人とも付き添ってくれてありがとう。授業に戻って良いよ。後はオレに任せて」
「はい……」
「咲、行くぞ。ちょっと休めば元気に戻ってくるって」
「うん……。猿田先生、宜しくお願いします」
「うん。心配だと思うけど、安心して授業に戻りなさい」
「はい。失礼します」

 咲と幹弥は保健室をあとにして校庭へと戻って行った。

「あと、すみません猿田先生。私、体調不良の生徒を家まで送っていかなきゃいけないので、巫山さんと巫川さんのことお願いしても良いですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。では、宜しくお願いしますね」

 そう言って、保健室の先生は出て行ってしまった。

「やれやれ……」

 猿田先生は溜め息交じりに言った。
 すると、猿田先生の横に羽織姿の女性が現れる。
 長い黒髪のスラッとした美しい女性だ。
 その女性は心配そうに天音と邪馬斗を見つめる。
 女性は静かに話し始めた。

「こんな頻度に魂送りをすることは滅多に無いこと……。ただでさえ、神社の力が弱くなっている上に、魂送りができる後継者の霊力が、子孫ができるごとに衰退しているというのに……。いずれはこうなってしまうことは分かっていました」

 猿田先生は、難しそうな顔で天音と邪馬斗の寝顔を見つめている。

「私が持っているこの僅かな霊力でも充分でしょう……。分けてあげましょう」
 女性は続けて言った。

「そんなことをしてしまったら、こうしてこの子らを見守ることができなくなってしまうぞ」

 普段のふわふわしている猿田先生とは違う、低い声と張り詰めた雰囲気だ。
 女性は、悲しそうな表情で応えた。

「そうですね……。でも『あなた』がいます。今はあの頃のような霊力を持っていなくても……。私はこの子達に霊力を分けてあげることによって、また魂送りをすることが出来て、神鏡の破片が戻ってくれば、また私の霊力も戻ってきて、こうして側で見守ることができる。それまでの心房です。どうかこの子達を助けてあげてください……」

 女性は天音と邪馬斗に向けて両手を突き出した。
 すると、天音と邪馬斗が淡い光に包まれる。
 僅かな霊力を天音と邪馬斗に分け与え、女性は弱々しい微笑みを残して消えていった。

「どんなことがあっても守ってやるさ……」

 消えていった女性への寂しさを感じながら、猿田先生は呟いた。
 まもなく、天音と邪馬斗が目を覚ます。

「あれ……? ここは?」

 天音は辺りを見渡しながら言った。

「あ、おはよ~。ここは保健室だよ。調子はどうだい?」

 さっきまでのキリッとした雰囲気と低い声がなくなり、いつものふわふわとした穏やかな猿田先生に戻る。

「そうですか……。なんとも無いです」
「俺も。とういうか、何か前よりも身体が軽くなった感じがする……」
「言われてみれば、私も……。なんか不思議な感じ」

 天音と邪馬斗は顔を見合わせながら言った。

「お二人さんをここまで運んでくれたの、咲さんと幹弥君だったんだよ。心配してたよ」
「そうだったんですか! あとでお礼言わないと……」
「あ、先生。今何時ですか?」

 邪馬斗は先生に聞いた。

「うーんと……。十一時かな。もう体育の授業は終わってるよ。まもなく四時限目が始まるところかな?」
「そうですか。俺はもうすっかり良くなったので授業に戻ります」
「私も! 先生、ご迷惑おかけしました!」
「失礼します」

 天音と邪馬斗はベッドから立ち上がり、保健室を出て教室へと戻って行った。

「は~い。お大事にね~」

 猿田先生は教室へと戻っていく天音と邪馬斗の後ろ姿を優しい顔で見送った。

「いや~、なんか疲れがすっかり取れたと言うか、楽になったと言うか」

 天音が曖昧に言った。

「そうだなー。でもなんで俺らだけ倒れたんだろうな……」
「そうだよね。なんか不思議~。あ、不思議と言えば……。なんか寝てた時、女の人の声が聞こえたような……。凄く綺麗な声だった」
「は? 俺には何も聞こえなかったけど……。てか、寝言じゃね? あ、お前、綺麗な声じゃないから寝言じゃねーな。気のせいじゃね?」
「綺麗な声でしょ!? こんなに美声なのに!」
「なんか言ったか、ブス」
「誰がブスじゃー!!!」

 すっかり元気になった天音と邪馬斗は、いつも通りのやり取りをしながら教室に戻った。
 教室に入ると、咲が泣きながら天音に駆け寄ってきた。

「天音ー! 良かった~! 元気になって良かった~。急に倒れたからびっくりしたよぉ~」
「咲、迷惑かけちゃってごめんね。あと、保健室まで運んでくれてありがとう。もう元気になったから大丈夫だよ! だから、泣かないでよ~」
「うん……。うん……」

 天音が泣いている咲を宥めている横で、邪馬斗も幹弥にお礼を言っていた。

「悪かったな。迷惑かけて」
「お前が元気になったならそれでいい。まぁ、とりあえず大事を取って今日の部活は休めよ。代わりに言っておくから」
「わりーな。お言葉に甘えてそうさせてもらうわ」
「代わりに宿題見せてくれ」
「いつものことだろそれ。心配掛けたから別に良いけど」

 一方、天音と邪馬斗を見送って職員室に戻った猿田先生。
 天音と邪馬斗の看病に費やしてしまったお陰で、次の授業準備でバタバタする。
 慌てたことで授業用のプリントを、大量に印刷してしまっていた。

「あれれれれ~。印刷が止まらない~」
「猿田先生落ち着いてください!」

 職員室に居た他の先生達が猿田先生をフォローに入る。
 コピー機の周りには大量に印刷されたプリントで溢れかえっていた。
 猿田先生は助けてくれている先生達に、何度も頭を下げて謝るのであった。
「ヘックシュ!!!」

 とある休日。風邪を引いた天音は病院に来ていた。

「あー、風邪引くとか最悪……」

 天音はダルそうに呟く。
 すると、小さい男の子が、辺りを見渡しながら廊下を歩いているのを見かけた。
 その男の子は、病院で配られる入院着を着ている。

「ん? 男の子が一人? 親居ないのかな? 入院中?」

 そう思いながら見ていると、男の子が通行人にぶつかりそうになった。

「危ない!」

 天音が叫ぼうした瞬間。
 男の子は、ぶつかりそうになった通行人をすり抜けたのであった。

「あっ……」

 その様子を見た天音は、男の子が霊であることを確信した。

「巫山天音さん」
「あっ! はぁーい」

 名前を呼ばれた天音は、急いで受付へ向かった。

「では、薬が処方されていますので毎食後内服して下さいね。四日分出ています」
「はい」
「お大事になさってください」
「はい。ありがとうございました」

 天音は受付で会計を終わらせ、薬を受け取った。
 その後、もう一度男の子の方を見ると居なくなっていた。

「どこに行っちゃったのかな……? とりあえず、邪馬斗に知らせて魂送りしてあげないと!」

 天音は病院をあとにして、邪馬斗の家へと急いだ。

 ピンポーン。

「ごめんくださ~い」

 天音は邪馬斗の家に着き、インターホンをを押した。
 まもなくすると、エプロン姿の邪馬斗が出てきた。

「や、邪馬斗!? なんであんたエプロン姿なの!? 似合わな!」
「うるせー。てか、勝手に家に来ておいてなんなんだよお前は。ん? なんでお前鼻声なんだよ」

 天音の様子に気づき、ぶっきらぼうながらも心配そうに言う。

「風邪引いたの。今、病院の帰り」
「お前もか。実は、じいちゃんも風邪引いてて。今、じいちゃんのためにお粥作ってたんだよ」
「へぇ~。邪馬斗、お粥作れるんだ~」
「お前はどんな病気になれば素直で乙女チックな女になれるんだよ。それにしても、バカでも風邪引くんだな。ある意味感心だわ」
「最悪! ちょっとは労ってよね! てか、喧嘩するためにわざわざ来たんじゃないんだから! さっき病院で霊を見たの!」
「霊?」

 霊の話になると邪馬斗の表情が、サッと改まる。

「うん。男の子だった。何か入院してたみたいで病院の服着てた。受付で会計してたら、その間にどっかに行っちゃったみたいで見えなくなって……」
「病院の服を着ていたということは、もしかするとその病院に依存して居る霊なのかもな」
「私もそう思う」
「とりあえず、風邪が治ってからだな。こっちもじいちゃんの風邪が治らないと身動き取れないしな。その病院に関係して未練がある霊なら、そこに居座って居るだろうから、風邪が治った後でも大丈夫だろ」
「そうだね。んじゃー、今日は帰るね。またねー。」
「おう。お大事にな」

 病院での出来事を伝え、天音は家に帰った。
 それから三日後。

「おっはよー!」
「おー、風邪治ったみたいだな」

 元気よく家を出てきた天音が、ちょうど玄関から出てきた邪馬斗に声をかけた。

「うん! もうバッチリよ! 巫川のおじいちゃんは?」
「じいちゃんも完治したよ」
「良かったー。今日、学校の帰りに例の病院に行ってみない?」
「そうだな」

 学校帰りに男の子がいた病院に行くことにした天音と邪馬斗。
 放課後を待ち、天音の案内で病院に向かった。

「ここか?」
「うん」

 早速、病院に入って男の子を探す。

「確か、この辺で……。あっ、居た」

 以前、男の子を見た所まで邪馬斗を案内すると、見事に同じ場所にその子がいた。
 天音は近づいて、男の子に話し掛けた。

「ねー、君」

 天音に話しかけられてビクッとしながら、男の子は二人の顔を見た。

「お姉ちゃん達、ボクのこと見えるの?」
「うん。ここではなんだし、ちょっと人気のいない所でお話しようか」
「うん」

 天音と邪馬斗は、男の子と一緒に外に行き、人気のない裏口へ移動した。

「ここなら良いんじゃないか?」

 邪馬斗は辺りを気にし、人が居ないことを確認した。

「そうね。改めまして、こんにちわ。私、天音っていうの。そしてこっちは邪馬斗。君の名前は?」
「幸太《こうた》」
「幸太君ね。幸太君は何年生?」
「小学校五年生だよ」
「そっかそっか。幸太君はこの病院で何してたの?」

 天音が尋ねると、幸太は病院の二階を見上げて言った。

「先生に伝えたいことがあるんだけど、お話できなくて……。ボク死んじゃってるから、生きてる人とお話できないみたい。でもなんでお姉ちゃん達はボクのこと見えるの?」
「俺達は、あの世に行けない人達を魂送りすることをしているんだ。霊力のお陰で君達霊のことが見えている」
「たましいおくり? ボクのことをあの世に送るってこと?」
「そうだ」
「今じゃないよね……?」

 幸太は不安な顔をして言った。

「こら、邪馬斗! あまり唐突に言わないでよ! 幸太君、怖がってるじゃない!」
「だって、本当のことだろ?」
「だからってあんた……」
「大丈夫だから喧嘩しないで。ちょっとびっくりしちゃっただけだから」

 幸太は喧嘩を始めそうになった天音と邪馬斗に言った。

「ごめんね、幸太君。大丈夫。未練がある霊は魂送りしてもあの世に行けないから。何か私達にできることがあったらお手伝いするよ」
「え、本当? 良いの?」

 不安な顔をしていた幸太の顔が、一気に明るくなった。

「もちろん!」
「ありがとう! お姉ちゃん、お兄ちゃん!」
「んで? 先生に伝えたいことがあるって言ったな。詳しく教えてくれないか?」
「うん」

 邪馬斗が未練の内容を聞くと、幸太は淡々と話し始めた。

「ボク、病気でこの病院に長い間入院してたんだ。ボクがかかっていた病気は原因が分からなくて治す方法も見つかっていない病気だったんだ」
「難病ってやつか」

 邪馬斗が口に出した。

「うん。でもね。河野先生っていう男の先生がね、『絶対に原因を突き止めて治してあげる』って言って最後までボクのために治療をしてくれたんだ。それだけじゃなくて、お医者さんになりたいボクのために勉強を教えてくれたり、外にも出れないことも気にしてくれて外の世界のことも教えてくれたんだよ。あとね、病気が進行して意識が失くなっても、毎日お話をしに来てくれたんだ」
「いい先生だね」

 天音は、幸太の頭を撫でる仕草をした。

「うん。でも、先生。ボクの病気を最後まで治す事ができなくて悔やんでいて元気がなくなっちゃってるんだ。ボク、先生に会えて最後まで沢山お話ができて楽しかった。これからも僕みたいな難病を抱えているみんなの支えになって欲しいことを伝えてほしいんだ」
「それが幸太君の願いだね。分かった! 私達が幸太君の思いを河野先生って人に伝えてあげる!」
「ありがとう!」
「よし、そうとなったら、早速河野先生の所に行こう!」
「うん! どこに居るか分かるから教えるよ。ついてきて!」

 天音と邪馬斗は、幸太について行った。
 病院の中に入り、二階に上がった。
 ナースステーションの隣に小さな部屋がある。
 そこでは、白衣姿の男性が、パソコンで作業をしていた。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん。あの人だよ。河野先生」
「ん?」
「どうした、天音」
「あの先生、この前風引いた時に問診してくれた先生だ」
「あー、あの時の。んじゃー、お前の方が話やすいじゃん」
「えー。邪馬斗も一緒に来てよー。一人じゃ不安だよ」
「はいはい。さ、行こうか」

 天音と邪馬斗、幸太は河野先生に近づいて行った。

「あのー、すみません。河野先生ですか?」

 天音が声を掛けた。

「そうですが……。なにか?」
「えーっと……。幸太君って子からの伝言なんですけど……」
「幸太君の何かですか?」
「えーっと……」

 嘘の苦手な天音は、言葉に詰まってしまっていた。
 見かねた邪馬斗が代わりに応えた。

「幸太君の友達です。近所同士だったので。幸太君が河野先生が自分のせいで悔やんでいると思っているようで……それで」

 邪馬斗がそう言うと、河野先生はいきなり席を立って怒鳴る。

「悔やんでいる……? お前たちに何が分かる! どうして死んだあの子の気持ちが分かるんだ! ずっと外に出れなくてずっと入院生活していたんだぞ!」
「あ……えっとー……」

 天音と邪馬斗が怯んでいると、幸太が河野先生を止めようと手を引こうとした。
 しかし、霊体である幸太は河野先生の手に触れることが出来ない。

「先生! お姉ちゃん達は何も悪くない! そんなに怒らないでよ! ねー! お願い! 先生!」

 すると、河野先生が何かを感じ手元を見た。
 そして、目を大きく見開く。

「幸太……君……?」
「え?」

 天音と邪馬斗は驚き、顔を見合わせた。
 幸太も天音と邪馬斗の顔を見た。
 おそるおそる、幸太は河野先生に声を掛けた。

「先生……? ボクのこと見えるの?」
「あっ、あぁ……。幸太君なのか……?」
「うん……。うん! そうだよ! 先生!」
「ごめん……。ごめんよ、病気治せなくて……」

 河野先生は涙を流しながら、幸太に謝った。

「先生、謝らないで。泣かないで。ボクね、ずっと先生にお礼を言いたかったんだ。でも、突然、病気が酷くなって、気がついたら眠ってばかりになっちゃって……。でも、今先生にやっとお礼を言える! 先生。ボク、先生と沢山お話できて、お勉強教えてくれてすごく嬉しかったし、楽しかったんだよ! 本当にありがとう! だから、悔やまないで!」
「私は、ずっと幸太君の病気を治せないか考えて調べていた……。でも今の医療技術ではなんともならなくて……。私は幸太くんに謝りたかった」
「ボクは謝ってほしくない! そんなのボクは望んでなんかいない!」
「幸太君……」

 河野先生は、涙を流しながら膝から崩れ落ちた。

「先生。ボクね、今度生まれ変わったら、丈夫な体になって先生みたいな優しいお医者さんになる! お医者さんになったら、また先生に出会って先生の助手になって先生の支えになる!」
「うん……。楽しみにしてるよ。幸太君、ありがとう。また会えて良かったよ。私の助手になる日を楽しみにしてるよ」
「うん! ボクも楽しみにしてる!」

 河野先生が涙を拭いた。

「行っちゃったか……」

 涙を拭くと、河野先生には幸太の姿が見えなくなっていた。

「なんで、死んでしまった幸太君のことが見えたんだろ。夢だったのか……」

 河野先生が呟いた。

「夢なんかじゃないですよ。確かに幸太君は先生に会って話していましたよ」

 すかさず、天音が言った。

「そうですよ。多分、幸太君の強い気持ちが先生と幸太君の波長が合って、先生の目に幸太君の姿が見えたのだと思います」

 邪馬斗が河野先生に説明した。

「本当にそんなことが……。でも、幸太君と話せて気持ちが楽になった感じがする。すまなかったな、君たち。いきなり怒鳴ってしまって」
「いいえ、こちらこそ急に話しかけてしまって……。でも、幸太君の気持ちが伝わって良かったです。では、私達はこれで。失礼します」

 天音と邪馬斗は河野先生に一礼をして病院の外に出た。
 幸太も河野先生に手を振りながら天音達について行った。

「お姉ちゃん達、ありがとうね」
「いえいえ。怒られた時はどうなるかと思ったよ」
「そうだな。さすがの俺もビビっちまったよ。さて、これで未練は解決したか?」
「うん! もう悔いはないよ。生まれ変わった時が楽しみになってるよ!」
「そうか。んじゃー、ここで魂送りするか。天音、準備はいいか」
「オッケイ!」
「あ、待って!」

 天音と邪馬斗が構えるも、幸太が声を掛けて止めた。

「どうしたの?」

 天音が幸太に聞いた。

「あのね、この病院の中で思い出のところがあるんだ。そこでボクをあの世に送って欲しいんだけど……ダメ?」

 幸太はモジモジしながら言った。

「出来れば人気の無い所でやりたいんだが……。まあ、案内してくれ。場所によっては考えてやってもいいぞ」
「邪馬斗、そんな回りくどい言い方して。ほんと素直じゃないんだから」
「うるせー!」
「ありがとう、お兄ちゃん! こっち!」

 幸太は喜びながら天音と邪馬斗を案内した。

「ここだよ!」

 幸太に案内されたところは、病院の中庭であった。
 そこには、大きい桜の木があり、木の根本にはベンチも備えてあった。

「ここ?」
「うん! ここはね、外出できなかったボクを、少しでも外の空気を吸わせてあげたいって、河野先生が連れてきてくれた場所なんだ。いつもこの木の下のベンチで先生とお話をしてたんだよ」
「そうなんだー。ここでも大丈夫じゃない? 邪馬斗」
「そうだな。木の影になって周りには気づかれにくそうだし。ここでやるか」
「ありがとう! お姉ちゃん、お兄ちゃん!」
「じゃー邪馬斗、笛よろしく」
「オッケイ!」

 邪馬斗の笛に合わせて、天音が舞を踊り、魂送りをする。

『彷徨える御霊よ、安らかに眠りたまえ。幽世へ行き来世の幸を祈ろうぞ』

「ありがとう、お姉ちゃん、お兄ちゃん、河野先生」

 幸太はそう言って、光になり天へと登っていった。
 桜の木の葉が風に揺られ、音を立てた。
 その時、病院の二階の廊下を歩いていた河野先生は、桜の木の葉が風に揺れる音に気づき、ぽつりと呟いた。

「……幸太君?」

 その風と揺れる葉の音は、幸太が河野先生にお別れと次の人生での再会の言葉をかけているように聞こえた。
 河野先生は少し寂しげな笑みを浮かべながら、幸太との思い出が残る桜の木を眺めていた。
「おはよ~」

 天音はあくびをしながら教室に入った。

「あれ? 珍しいー。邪馬斗君と一緒に登校して来なかったのね」

 席につこうとした天音に、咲が声を掛けた。

「まぁーねー。寝坊しちゃってさー。遅刻するかと思ったよー」

 天音は椅子に座ると同時に、机にへばりつきながら言った。

「時間に余裕もって起きたらー?」
「咲まで邪馬斗と同じこと言うわけ?」
「邪馬斗君にも同じこと言われたんだ……」

 苦笑いしながら、咲は言った。
 まもなくすると、猿田先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。
 天音は、斜め前に座っている邪馬斗がイライラしているのに気づいた。

 よく見ると、小さい男の子が邪馬斗に突っついたりしてちょっかいを出していた。
 男の子は保育園児くらいに見える。
 周りが男の子の存在に気づいていないことに分かった天音は、その子が霊であることを確信した。

 昼休み。天音は邪馬斗に声を掛けた。

「邪馬斗、ちょっといい?」
「ジュースなら一人で買ってこい」
「そんなんじゃないって! いいから来て!」

 天音は、邪馬斗の腕を強引に引っ張って中庭まで連れて行った。

「ここならあまり人居ないから大丈夫そうね……」
「なんなんだよ、急に」
「今朝のホームルームの時のことなんだけど……」
「あー、こいつのことだろ」
「へ?」

 邪馬斗の視線を追うと、朝のホームルームで邪馬斗にちょっかいを出していた男の子が、邪馬斗の背後からひょっこりと出てきた。

「こんにちは」

 天音はしゃがんで男の子の視線に合わせ、笑顔で声を掛けた。

「邪馬斗君、このオバちゃん誰?」
「お……オバ……オバちゃんっ!?」

 天音は引きつった笑顔になって言った。

「このオバちゃんはな、俺の家の隣に住んでいるオバちゃんだ。天音って言うオバちゃんだ」

 邪馬斗は面白そうに、天音のことを何回もオバちゃんと言いまくる。

「ちょっと邪馬斗! そんなに何回もオバちゃんって言わなくても良くない!? ほんと失礼しちゃうわ!」
「オバちゃん、オバちゃんって言われるの嫌らしいから、お姉ちゃんって言ってあげてくれ」
「分かった! オバちゃん! じゃなくて、お姉ちゃん!」
「んで? その子は? なんで邪馬斗にピッタリついているわけ?」

 まだオバちゃんと言われたことに対して傷つきながら、天音は邪馬斗に聞いた。

「こいつの名前は翔《しょう》。五歳だが、生きていれば俺達と同じ高二だ。天音は保育園が別だったからわからないと思うが、俺と同じ保育園に通っていた子だ」
「あー、だから見たことなかったんだ」
「うん。翔は、車で両親と一緒に買い物から帰ってくる途中で事故にあって、両親と一緒に亡くなってしまったんだ」
「そうだったんだ……。邪馬斗あまり友達のこと話さないから初耳だったよ」
「まーなー」
「翔君がこの世に居るってことは、未練があるってことだよね」
「そうだ。でも、まだ聞いてないんだよ」
「なんで?」
「翔とは今朝教室で会ったばかりなんだ。教室に入ったら俺の席に座っててさ。周りに人も多いし、話すタイミングがなかったんだよ」
「そうだったんだ。まあ、そうだよね」

 周りには見えていないのに霊に話し掛けてしまっては、独り言のように見られてしまい怪しまれる。
 そのことを分かっている天音は邪馬斗に同情した。

「翔、何か後悔してることとかある?」

 邪馬斗は翔の顔を見て言った。

「あのね、ボクもう一度邪馬斗君と一緒に遊びたいんだ。ボクが死んじゃった次の日、邪馬斗君と遊ぶ約束をしていたんだよね」
「確かにそうだったな」
「ねー、遊ぼう!」
「学校が終わったらな」
「えー! いまー!」

 翔がダダをこね始めた。

「まだ午後の授業もあるから、終わったら遊ぼう。な」
「……わかった。あ、お姉ちゃんも一緒に遊ぼうよ!」
「良いよ。楽しみにしてるね」
「うん!」

 こうして天音と邪馬斗は、放課後に翔と遊ぶ約束をしたのであった。
 その後、三人は教室に戻った。
 午後一発目の授業は国語であった。

「えーっと、次のページを……。巫山天音さん、読んでください」

 猿田先生が天音を指名した。天音は椅子から立ち上がり、教科書を持って音読を始めた。
 しかし、天音は文の初めの漢字が読めず、教科書を持ったまま固まっていた。

「えーっと……うーんと……」
「お姉ちゃん、漢字読めないの? もしかしておバカ? オバちゃん、なんとか言ったら?」

 翔にからかわれ、天音のこめかみに血管が浮かぶ。
 しかし、ここで声を出すと周りに気づかれると思い、顔を引きつらせながら耐えた。
 それでも、何も言ってこない天音に対し、更にしつこくからかってくる翔に対して、口をモゴモゴさせながらも喋らないように我慢をしていた。

「天音さん、体調悪そうですね。大丈夫ですか?」

 その様子に不審に思った猿田先生が、心配そうに天音に声を掛けた。

「いえ、大丈夫です……。ただ」
「大事を取って今日は早退してください」
「え? いや、大丈夫です! ただ私は……」
「邪馬斗君、天音さんを家まで送って行ってあげてください」

 天音は漢字を読めないだけであることを言おうとするも、猿田先生は心配そうに天音の話を遮りながら言った。

「えー! 何で俺が……」
「だって、大事な将来のお嫁さんでしょ?」
「はあー!?」
「えー!?」

 猿田先生はニコニコとした顔で言った。
 それに対して天音と邪馬斗は盛大に嫌そうな顔をする。

「ヒューヒュー!」
「いよっ! おしどり夫婦!」
「お幸せにー」

 猿田先生の余計な一言で、クラスメイト達は盛り上がり、歓声が教室中に響き渡った。
 天音と邪馬斗は、余計なことをと言いたそうに猿田先生を睨む。

「さあさあ。気をつけて帰ってねー」

 天音と邪馬斗が余計な一言のお陰で気を悪くしているというのに、猿田先生はニコニコしながら言った。

「邪馬斗、部活には休むこと言っておくから、天音ちゃんを家まで送ってきな」

 隣の席に居る幹弥が邪馬斗に言う。

「……。しゃーねーなー」

 邪馬斗はそう言って、荷物をまとめて天音の所まで行く。

「帰るぞ」
「あ……。うん」
「天音、部活には私から伝えておくから。お大事にね」
「あ、ありがとう……咲」

 天音は教科書を閉じ、荷物をまとめてカバンを持った。
 準備ができると、天音と邪馬斗は教室を後にした。
 
「もう、あんたのせいで赤っ恥かいちゃったじゃない!」

 天音は後ろをついてくる翔に言った。

「だってお姉ちゃん、漢字読めないんだもん」
「あれは読めて当然だよな」

 邪馬斗も翔に同情して言った。

「邪馬斗までそんな事言うの!? もう信じらんない。でも、私のお陰で早く帰れて遊べるんだから、感謝しなさいよね」
「そうだな。良かったな、翔」
「うん! お姉ちゃんがバカで良かったよ!」
「バカは余計でしょ!」

 靴を履き替え校舎を出ると、翔は楽しそうに飛び跳ねる。

「ところで、翔君は何をして遊びたいの? それによっては行く所が決まるんだけど……」

 天音は翔に問いかける。

「シャボン玉やりたい!」
「シャボン玉? そんなのでいいの?」

 思わぬ答えに、天音は思わず聞き返した。

「うん」
「シャボン玉かぁー。懐かしいな。昔よくやったなー」

 邪馬斗が懐かしそうに言った。

「んじゃー、神社のところでも良いな。家近くだから、すぐに道具準備できるし」
「そうね。じゃーみんなで神社に行こうか」
「うん!」

 三人は巫神社へと向かった。

「んじゃー俺、道具準備してくるから天音と翔は先に神社に行ってて」
「うん!」
「わかった」

 邪馬斗はシャボン玉の道具を取りに行くため、一度自宅に帰って行った。
 天音と翔は巫神社に行き、ベンチに座って邪馬斗が来るのを待った。

「また邪馬斗君と遊べるなんて嬉しいなー」

 足をぷらぷらさせながら、翔は楽しそうに言う。

「そんなに仲良かったんだー」
「うん、そうだよ。いつも一緒に遊んでた! ボクね、3歳の頃からピアノ習ってたんだ。それで、いつもボクのピアノと邪馬斗君の笛に合わせて演奏したりして遊んでいたんだよ」
「笛?」
「うん。神社のお祭りで邪馬斗君がいつも吹いているあの笛だよ」
「ピアノと笛って……。あまり見ない組み合わせね……」

 天音と翔が話していると、シャボン玉の道具を持った邪馬斗が走って来た。

「おまたせー。ほら、翔」

 邪馬斗はシャボン玉の道具を翔に手渡そうとした。
 しかし、シャボン玉の道具は翔の手に触れることもなく、すり抜けてしまった。
 霊体で体が透けている翔には、邪馬斗の手に触れることも、物を掴むことも出来ないのであった。

「あれ? ……あー、お前、持てねーんだったな……」
「えー。やりたいやりたい!」
「と言われても。どうすれば……」

 その時であった。神社の本堂の中が光った。

「邪馬斗! 本堂が!」

 天音が本堂を指差しながら叫んだ。
 その光が翔に向かって飛んできた。

「翔!」
「翔君!」

 天音と邪馬斗が叫んだ。
 一瞬光に包まれたがすぐに消え、翔が呆然と立っている。

「あー、びっくりしたぁ~」

 翔は目を大きく開き、驚きながら言った。

「大丈夫か!?」

 邪馬斗が翔に駆け寄った。

「うん……。でもなんか不思議な感じがするー。……もしかして」

 翔はそう言って、シャボン玉の道具に触れた。
 すると、さっきまで持つことが出来なかった道具を持つことが出来るようになっていた。

「やったー! 持てたよ、邪馬斗君!」
「なにが起こったんだ……」

 邪馬斗は呆然としていた。

「本堂に何か秘密でもあるのかしら?」

 そう言って天音は本堂の中を覗き込んだ。

「邪馬斗! 見て!」

 天音は驚きながら邪馬斗を呼んだ。邪馬斗は言われるまま本堂の中を覗き込んだ。

「これは……。今までこんなのあったか?」
「なかった」

 本堂の中を見ると、神鏡があった台に神鏡の破片と思われるものがキラキラと光って浮かんでいた。
 まるで、その部分のパーツであるかのように破片がまばらに浮かんでいる。

「もしかして、今まで魂送りしてきたから神鏡の破片が戻って、同時に神社の力も戻ってきたからその力で、翔君が物に触れることが出来たのかも」
「翔の願いが神社に伝わったってことか……。この神社にこんな強い力があったとは……」

 天音と邪馬斗が真剣な顔をしながら言っていると、

「冷た!」

 と、邪馬斗が飛び跳ねた。

「なんだ!?」

 邪馬斗が振り向くと、翔が邪馬斗に向かってシャボン玉を飛ばしていた。

「すきありー!」
「やったなー!」

 邪馬斗はシャボン玉の道具を手に、逃げる翔を目掛けながらシャボン玉を飛ばし始めた。
 無邪気に走り回りながら、シャボン玉を吹き飛ばし合っている邪馬斗と翔。

「ほんと、男子ってわんぱくよねー」

 その様子を眺めながら天音が言った。

「おバカなお姉ちゃんもやろうよ!」
「だから、バカは余計だって言ってるでしょ! もう! こらしめてあげるんだから!」

 天音も道具を持って、シャボン玉を翔に向かって吹き飛ばした。
 神社には三人の楽しそうな笑い声が響き渡っていた。

「あ、なくなっちゃった……」
「俺もだ」
「私もー」

 あっという間に三人のシャボン玉液が底をついた。

「あー! 楽しかったー!」
「うん。保育園の時を思い出した」
「こんなに……シャボン玉で遊ぶのって……ハードだったっけ?」

 満足している邪馬斗と翔をよそに、天音は息を切らしながらベンチに座って言った。

「お姉ちゃんバテてるー」
「オバちゃんだから体力ないんだよ」
「そっかー」
「こら! あんたたちのシャボン玉の遊び方が激しいんだよ!」
「俺ら、シャボン玉で遊ぶ時、いつもこんな感じで走り回りながらやってたぞ」
「はいはい、そうですか……」

 天音が呆れながら額に流れる汗を拭う。

「邪馬斗君」
「なんだ?」
「最後にもう一つお願いいいかな?」
「いいぞ」

 翔はモジモジしながら言った。

「お姉ちゃんと話してて思ったんだけど……。また邪馬斗君と一緒に、ボクのピアノと邪馬斗君の笛で演奏したいな」
「懐かしいな……。確か、家にキーボードあったな。今持ってくるから待ってて」

 邪馬斗はそう言って家に向かって走っていき、キーボードを抱えてきた。

「ありがとう!」

 翔はキーボードの電源を入れて、試しに音を鳴らした。

「わーい、こっちも音が出るー。久しぶりだなー」
「翔、何やるー?」
「シャボン玉!」
「いいよ、お前この曲好きで演奏する時は、必ず演奏してたもんなー」
「うん! じゃー、準備はいい?」
「あ、私歌いたい!」
「良いよー! じゃーいくよー。……いちにのさん、はい」

 翔の合図で演奏が始まり、天音はそれに合わせて歌った。
 ピアノと笛の音に合わせながら、神社の木の葉も風に揺れて音を立てていた。
 
「翔君、ピアノ上手だね」

 演奏が終わるとすぐ、天音は感動しながら翔に言った。

「お母さんがピアノの教室の先生だったから、お母さんに教わったんだー」
「そうだったんだ」

 翔は大きく深呼吸をして、青い空を見上げた。

「ボク、そろそろお母さんとお父さんの所に帰らなきゃ!」
「……そうか……そうだもんな。ご両親が天国で待っているんだもんな……」

 邪馬斗も空を見上げ、言葉を詰まらせながら言った。

「邪馬斗君、おバカなお姉ちゃん。一緒に遊んでくれてありがとう! 楽しかったよ!」
「それは何より」
「だーかーらー、おバカは余計だっての!」

 天音は苦笑いを浮かべる。

「邪馬斗君。ボクのこと覚えててくれて嬉しかったよ! 元気でね。笛、続けてね! 邪馬斗君が吹く笛、ボクすんごく大好きだから!」
「あぁ……続ける。翔もピアノ続けろよ。また一緒に演奏しような」
「うん!」
「じゃー、天音。やるか」
「うん。じゃーね、翔君」
「うん!」

 邪馬斗の笛に合わせ、天音は鈴を使って舞い、魂送りをする。

『彷徨える御霊よ、安らかに眠りたまえ。幽世へ行き来世の幸を祈ろうぞ』

 淡い光に包まれた翔は、舞が終わると天に向かって行った。

「ありがとうな、天音」
「何よ、急に。いつものことじゃない。何、改まってさ」
「まーな……」

 邪馬斗は翔が向かって行った空を見上げて言った。
 すると、空から光の玉が降りてきた。
 その光の玉が本堂へと入って行くのを見て、邪馬斗は追いかけるように本堂へと向かった。

「ちょっと、邪馬斗!」

 天音も邪馬斗を追いかける。
 二人は本堂の中を覗いた。
 すると、神鏡の台に浮かんでいた神鏡の破片が一つ増えていた。

「魂送りすると、こうやって破片が戻るんだな」
「なにげに普通の神社だと思っていたけど……。不思議な神社なのね。謎だらけ」
「そうだなー。神鏡が元に戻るまで頑張らないとな」
「そうだね! てか、邪馬斗。笛、上達してない?」
「そうか? てかお前だって踊り、上手くなってないか? 気持ちが入っているように見えるような……」
「そう? 実感ない。さー、帰ろっか。いくら早退してきたからとは言え、宿題はやらないとね。ということで、宿題教えて!」
「漢字検定五級レベルの漢字も読めないもんなー」
「いやいや。五級は合格してるから! 三級は落ちたけど……」
「翔と遊んでくれたお礼もあるから良いぞ。その代わり、スパルタな」
「えぇー! どうか優しくお願いします! 邪馬斗先生!」

 先行く邪馬斗を、天音が慌てて追いかける。
 翔との再会で、懐かしい幼少時代の思い出に浸ることが出来た邪馬斗であった。
「えーっと……小麦粉とお砂糖、あとは卵……」

 とある休日。
 天音は家の台所で趣味のスイーツ作りをしていた。
 材料はきちんと揃えるが、分量は目分量で作るのが天音流。
 そして整理整頓をせず作るため、台所は材料と調理器具で散乱しており、とても綺麗と言えない状態であった。
 そこに鈴子が台所に入ってきた。

「天音、少しは片付けながら作りなさい。シンクには使った調理器具が溜まってるし、テーブルは粉で白くなってるし……」
「あとでちゃんと片付けるってばー」

 ガチャガチャと材料を混ぜながら、天音は忙しそうに言う。
 明日、クラスメイトのために手作りのマドレーヌを持っていこうとしていた。
 そして、一時間後。

「うん! うまく焼けた!」

 美味しそうに焼けたマドレーヌを、天音は綺麗にラッピングする。

「明日が楽しみだなー。あまりの美味しさに、みんなビックリするだろうな~」

 クラスメイトが喜んでいる顔を想像しながら、天音は上機嫌でニヤニヤして明日の登校を楽しみにしていた。
 翌日。いつものように放課後になると、天音はクラスメイトらに声を掛けた。

「みんな! 今度はマドレーヌ作りに挑戦してみたんだけど、食べてみてよ!」
「あぁ……。部活に遅れちゃうからまた今度ね!」
「俺も……ゴメンな!」
「私は委員会の仕事あるから……またね!」

 クラスメイトらは各々の適当な理由を喋り、小走りで教室を出て行ってしまった。
 例の如く、教室に残っていたのは邪馬斗ただ一人であった。
 マイペースで帰る準備をしていた邪馬斗に、天音がルンルン気分で話しかけた。

「ねーねー、邪馬斗ー。邪馬斗なら食べてくれるよね?」

 天音は、絶対に食べてもらうんっだと言わんばかりのような、まるで獲った獲物は逃さないという目つきで邪馬斗に言った。
 しかし、邪馬斗は落ち着いた様子でいた。

「そんなに自信があるのであれば食べてやってもいいけど。今度こそうまく出来たんだろうな?」
「もちろん! さあさあ、食べてみてよ!」

 邪馬斗はマドレーヌを一口食べた。

「うん」
「ね? 今度こそ美味しいでしょ?」
「不味い。見た目はいいけど、全然甘くないし、なんか粉っぽいぞ」
「うそー!」
「そう言うんだったら食べてみろよ」

 邪馬斗に勧められ、天音はマドレーヌを一口、口にした。

「んー! 確かに美味しくない……。全然甘くない!」
「だろ? てか、なんでいつも味見しないで持ってくるんだよ」
「えー、だって私が食べちゃうと少なくなって、みんなの口に入らなくなるじゃん!」
「よくこんな不味いもの作っておいて……。その自信はどっからくるんだよ」

 邪馬斗は呆れながら言った。

「邪馬斗、よく顔色一つも変えないで食べてくれるよね」

 天音は眉間にシワを寄せながら言った。

「今までどんだけ不味いものを食わされてきたと思ってるんだ? あんなに食べてきたら自然と慣れてくるよ。たまに上手いお菓子作ってくるくせに……。あれは何なんだ?」
「自分でもよく分かんないんだよねー。それにしてもマズ過ぎる! 帰りにケーキ屋さんに行ってこよーっと。口直ししないと……」
「お前、お詫びに俺にも口直しのケーキ奢ってくれ」
「えー!」

 天音は心の底から不服そうな声を出す。

「えー、じゃねーだろ! いつもマズイお菓子食わされてる身にもなってくれ!」
「はいはい、わかりました! じゃーさー、駅前のケーキ屋さんに行こうよ!」
「あー、あのケーキ屋か……。気になってた店だけど入ったこと無いんだよなー」
「めっちゃ美味しいお店だよ! じゃー、早速行こう!」

 天音と邪馬斗は学校を出て、駅前のケーキ屋に行った。
 すでに、お客さんが店の前に並んでいて賑わっている。

「人並んでるなー」
「ここ、美味しいからいつも夕方になると混んでるんだよねー。今日はそこまで行列作ってないし、並んで待っていよーよ」
「そうだな」

 天音と邪馬斗は、最後尾に並んで順番を待つ。

「ここのケーキ屋さんね。甘さ控えめだけどちゃんと素材の味を生かしていてすごく美味しいんだよねー。ここのケーキ屋さんみたいな、美味しいお菓子作りに憧れてマネしながら作ってるんだよねー」

 天音がワクワクしながら言った。

「だからお前、いつも味気ないお菓子ばっかり作ってるんだな」
「甘さ控え過ぎてるのかな?」
「かなりな。あとちゃんと分量計れよ!」
「えー、面倒くさい」
「まったく……」
「あ、もうそろそろ玄関の前まで来るよ」

 まもなく店の前まで列が縮んできたその時であった。

「……天音」

 邪馬斗が急に小さい声で天音の名前を呼んで引き止めた。

「なに急にヒソヒソ声になって」
「店の戸口の影、見てみろよ。誰か居る」
「え?」

 天音は邪馬斗に言われた通りに店の戸口をじっと見た。
 すると戸口の影から、男性がひょっこり現れたのであった。
 男性はパティシエの格好をしている。

「店の人……じゃなさそうだね」
「元店の人かもな」
「どうする、邪馬斗。あの人、きっと霊だよね?」
「たぶん霊だな。でも周りに人多すぎるし、とりあえず知らないフリでもしてるか」
「うん。ケーキ買ってから話しかけても良いかもね」
「そうだな」

 天音と邪馬斗は、なるべくパティシエの霊と目を合わせないように店の中に入った。

「どれにしよーかなー」

たくさんのケーキがずらりと並んでいる光景に、キラキラと目を輝かせながら天音は言った。

「俺、ガトーショコラにしようかな」
「えー! 私も食べたい!」
「シェアすればいいだろ」
「あー、そういう考えもあるか。んじゃー、もう二個頼んでも良いかな~」
「お前、どんだけ食べる気でいるんだ?」
「よし! 決めた! 店員さーん! ガトーショコラ一つとモンブラン一つとチーズケーキ一つとショートケーキ一つとパウンドケーキ一つ下さい!!!」
「……」

 予想以上に注文する天音に、邪馬斗は開いた口が塞がらなかった。

「ありがとうございましたー! またのお越しをお待ちしております」
「また来ます!!!」

 天音は満足そうな顔で定員さんから受け取ったケーキが入った箱を大事そうに抱えながら店を出た。

「どんだけ食うつもりだよ。太るぞ」
「大丈夫! 部活で発散するし! それにいつも魂送りを頑張っている自分にご褒美を!……あ! そうだった! あの男の人は!?」
「お前、ケーキ買えたことに満足してて忘れてただろ?」
「えへへへ……」
「酷いな~、忘れてただなんて。でもうちの店のケーキ買ってくれてとても嬉しいよ! まいどあり~!」

 天音と邪馬斗の後ろで、ハキハキとした大きな声で話す男性の声が聞こえた。

「ぎゃぁあああ!!!」

 男性の声に驚いた天音は飛び跳ねて、奇声をあげて驚いた。
 天音が後ろを振り向くとそこには、あのパティシエの霊がニコニコと笑いながら立っていた。

「何びっくりしてんだよ。気配分かってただろ」

 邪馬斗はパティシエの霊の気配を感じていたため、まったく驚いてはいない。

「ビックリさせちゃってごめんね。君たち、ぼくのこと見えてるだろ? 目を合わせないようにしていたようだけど、なんとなく分かってたんだよねー。気を使わせてしまったようだね」

 馴れ馴れしく話してくるパティシエの霊。
 天音は息を整えると、おそるおそる話しかけた。

「いえ……。びっくりしてしまってごめんなさい。ところで、うちの店って言っていましたけど……」
「あー、そうなんだよ。ボク生きていた時、あの店で働いていたんだよ」
「そうだったんですね」
「ところで、彼女が持っているその袋。もしかしてお菓子入ってる?」
「そうですけど……。私が作ったんですけど、不味くて……。失敗作です」

 しょんぼりしながら、天音が言った。

「ちょっと見せて欲しいんだけど」
「良いですけど……。ここではなんなんで、人気の無い所に行って良いですか」
「いいよ」
「天音、巫神社なら良いんじゃないか?」
「そうだね、家も近いし」

 そう言って、三人は巫神社に行った。
 巫神社のベンチに座り、天音の手作りのマドレーヌを広げて見せた。

「おおー、美味しそうだな」
「見た目はそうなんです。でもこいつ、いっつも分量測らないで作るし、甘さを気にするあまりに砂糖の量をケチるので不味くなるんですよねー」

 天音のお菓子作りについて、邪馬斗はパティシエの霊に説明した。

「そうなのか! 見た目がとても美味しそうに見えるのに勿体ないなー! ……よし! 分かった! 僕がスイーツ作りを伝授してあげよー!」
「え! 良いんですか!?」
「良いとも! スイーツを作る者同士、スイーツに対しての気持ちは一緒だからな! そう言えばまだ名前を教えていなかったな! 僕の名前は崚平(りょうへい)。みんなからりょうさんって呼ばれていたから、君たちもりょうさんと呼んでくれ!」
「りょうさん!!!」

 天音はキラキラとした目で、崚平の名前を言った。

「あ、そういや俺達も名乗っていなかったな。俺の名前は邪馬斗って言います。そしてこいつが……」
「巫山天音と言います! 宜しくおねがいします、りょうさん!」
「こちらこそよろしく! 天音ちゃん!」

 こうして、天音とパティシエの霊、崚平とのスイーツ作りの特訓をすることになった。