私はなにも悪くない






「1,2、ステップ踏んで?3、4、歩幅!それに下見ない!常に観客席意識して前を向く!」



先生から飛ぶ愛の鞭、発表会まで残り一週間を切った今私達は一分一秒も無駄には出来ない。



「前向くの忘れない!笑顔を切らさない!動き小さいよ!!」



一つ一つを考えながら踊っていては、どこかで思考が止まり違和感のある挙動となる。全ての所作をミス無く完璧に魅せる為には、頭より先に身体が動くよう叩き込まなければならない。一瞬の躊躇がバレエにおいては全てを大きく狂わせる命取りとなるのだ。



「指先を伸ばして水平に、小さく纏まり過ぎないよう弧を描く。見られてる事を意識しなきゃ」



考える前に己の肉体へと反射的に繋がるよう、納得するまで教え込む。自然体な演技となる理想形を追い求め、最後まで身体を動かし続けていく。



「はい止まって~1、2、3、4、5、6、はいターン!」



「7、8、ステップ踏んで~9、10、はい笑顔!動作は綺麗に静止して~」



二人だけの居残り練習、流れるような指先は一挙手一投足が美しく魅せる自然体な演技。先生と比べたら私はまるでブリキのロボット、今はこの背中に食らい付くだけで精一杯だった。





「笑顔忘れてる!」





「すみませんでした!!!」





居残り練習を終えた足元には汗の湖が溜まる。努力の証と言えるだろう、流した量だけキレは良くなり成長する。相方として踊る以上恥ずかしい演技をしたくはない、恋する乙女は健気な負けず嫌いなのだから。



「じゃあ今日はここまで。後は細かい所作と笑顔を忘れずに意識することだね」



「はい!ありがとうございました!!」



「夏木ちゃんも夜遅くまでお疲れ様でした。夜道には気を付けてね?それと…これ、発表会の案内ポスター。親御さんに渡しておいてね」



「…はぁい、わかりましたぁ」



ランドセルの中にポスターを入れ、先生との名残惜しい時間を後にする。時刻は夜の十時、居残り練習の弊害かかなり遅くなってしまった。







「さーいーたー。さーいーたー」







声を出しなるべく不安を取り除く、沢山踊ったからだろうか足取りと身体が鉛のように重い。まるで私の身体じゃないかのように、足を運ばせながら暗い我が家へと帰って行く。



「ただいま」



消えた玄関の電気を付け、靴を並べる。そのままお風呂へと向かった私はランドセルを放り投げた。汗でベタ付き冷たくなった心と身体を、温かい温水で洗い流したかったのだ。



「はぁ…なんか疲れちゃったなぁ」



穢れた汚れを洗い流し、心に余裕が出てきた私は鏡の前でポーズを取る。今日のおさらい、納得のいく演技が出来るか噛み締めながら舞い踊る。



綺麗で細い脚。張りのあるお尻。引き締まったウエスト。年齢に見合わない発育した胸。鏡に映った女性の身体は、自分でも惚れ惚れするまでに鍛え上げられていた。



「私の身体…凄く綺麗。私ってやっぱり大人びて見える?」



跳ねるように目を凝らし観察する。大人びた身体付きは、まるで私が本当に大人となれたかのような自信を付けさせる。



「このスタイルなら先生の隣に立っても遜色無いよね。待っててね?先生」



植え付けた自信は私の活力となり原動力へと繋がる、発表会は主役の私に全て掛かっている。



磨き上げられたスタイルを確認した私はくびれに手をあて一杯の牛乳を飲み干した。一日でも早く大人になりたい、反省と後悔はしたくない。



「さ~てと。今日のご飯はなんじゃらほい…カレーだ、やったね。」

 

カレーを温める間にランドセルから発表会のポスターを取り出す。テーブルの端に置いた私は大好きな甘口カレーを頬張った。



「ふぅ美味しかった。あっ、玄関の電気消さないと殺される」



一人食べ終えた私は消し忘れた電気を消しに走る。一階はライト一つとて差し込まない。この家で今活動しているのは、私だけ。



「づつうただいま!今日は待たせたね!」

 

今日は沢山話したい。望んだ形に変形し、私の求める聴き手となるづつう。そんな私色に染め上げた仮初の王子様に対し思いの丈をぶつける。





「づつう聴いて、今日は先生と練習したんだよ?やっぱり先生は凄い人なの!私は踊っている時笑顔が消えたり手足を伸ばしきれなかったりで甘い所が多かったんだ、だからもっと完璧に踊れるようにしないとなの。次も先生と一緒に踊れるとは限らないしね、絶対に反省も後悔もしたくないからさ。責任を持って私は先生ともバレエとも向き合いたいの」







「だからさづつう、づつうだけはずっと私の味方で居てね」









完璧に踊り、一人の女性として扱われたい。私の運命は来週全てが決まるのだ。









走り、踊り、毎日怠らない自分磨き。一分一秒とて無駄にしないよう全力で励んで来た。後は今日、本番での成果を見せるだけ。



私こと夏木愛は鏡の前で一人、己を鼓舞していた。



「大丈夫、自分の実力をそのまま出せば成果なんてついて来る。そうでしょ?夏木愛」



ベッドで眠る仮初の王子様を叩き起こす、本当は誰かに私の晴れ舞台を見て欲しい。もし、この物語が少女漫画ならばヒロインのキスで王子様は大人の姿へと様変わりする事だろう。しかし、夏木愛はただの小学生。そしてづつうも小さい頃にお父さんが買ってくれた何の変哲もないサイのぬいぐるみだ。



「行ってきます、づつう。帰ったらいっぱいお話し聴いてね?」





私は仮初の王子様にお別れの、優しいキスをした。









「ららら発表会~今日は私の~晴れ舞台~」





カーテンレールの幕を開けるご機嫌な私、階段を下りる足取りも軽い。キッチンに置かれたポスターと五千円を、弧を描くような手捌きで掬い取る。



「今日は~私の~晴れ舞台~。誰かに見られたかった。晴れ舞台~」

 

軽快な自作ソングを歌い演目を披露する。まるで我が家が専用のコンサートホールかのよう。主演は私一人、そして観客も、私一人。



「今日は~私の~ は れ ぶ た い !」

 

玄関を飛び跳ねた私をスポットライトが照らし続ける。一足だけ並んだ靴を履き、扉を引くも鳴り響く拍手など一つもない。舞台の幕引き、この家には私しか居なかった。





「いってきます」





ライト一つ灯らない我が家に別れを告げる。無意識のうちに早足だった事に私は気が付きもしなかったのだった。





「さーいーたー。さーいーたー」





コンサートホールへはバスを乗り継ぐ必要がある、発表会までに歩き疲れてしまわないか、一人か細い私の心に不安が募る。



「こんな時に翼でも生えていたら、何の苦労もなく先生の所までひとっ飛びなのにな」



私の心に芽吹いた小さな願望は、脳腫瘍の入院時病院内で良く流れた曲を思い出させる。







「今~私の~、願い事が~叶う~な~らば~…」







「やっぱり願い事が叶うのなら翼よりも先生と完璧な演技を踊りたいな」



重い足取りを軽くしてくれたのは先生を思う「純愛」の力。不安だった手術も塞ぎ込んでいた苦悩も全て、私を外の世界へと導いてくれた先生とバレエのお蔭だ。



「最高の演技を見せるから、もしも完璧に踊れたら私の初めて受け取ってよね。先生」

 

バスへと乗り込む乙女の背中は翼が生え大人びて見えた事だろう。私は他の子供とは違う、夏木家の一人娘なのだから。



「夏木ちゃんおはよう、結構時間ギリギリだね」



「えへへ…ごめんなさぁい」



到着までの時間を逆算していなかった私は遅刻寸前、主役の重役出勤だ。



ここからメイクと衣装を纏い控室でのリハーサル。心が休まる暇もない。私は戦う女性の仮面を装着する。



「それじゃあ先ずはメイク室でメイクして貰って、着替えが終わったら控室に集まってね」





「『は~い』」





引き立て役達を導きメイク室へ、子供の顔から少しずつ艶めかしい大人の顔へと変貌を遂げた私は今から凛としたヒロインの仮面を身に纏うのだ。



「愛ちゃんってメイクすると色っぽいわね、メイク映えする顔付きなのかしら」



「えぇ~そうですかぁ~?」

 

人に褒められ気が緩む。凛とした大人の顔が崩れ、ヒロインの仮面が剥がれてしまう。



「いけないいけない、気を引き締めて油断しない事…」



バレエの笑むは微笑みであり、このだらしない笑顔ではない。凛としたクールな微笑みを観客に届ける事が、表現者として重要なファクターなのだ。



「は~い出来たよ~?後は着替えて最終チェックだっけ、頑張ってね」



「ありがとうございま~す」



先生に早く見て欲しい。大人びた色香とスタイルで、私の虜になって欲しい。



「先生、おまたせ!」



「おっ、夏木ちゃん大人びて見えるね。凄く綺麗だよ?」





「で~~しょ~~~??先生女を見る目ある~~!」





女性として扱われた事に思わず胸が「キュン」と鳴る、今の私は少女漫画のヒロインとは無縁の顔をしているだろう。しかし先生に褒められた今、そんな事はどうでも良くなった。



「よ~し!やる気出てきた!本番まで突っ走るぞ~」



「そうだね、みんなも発表会に向けてラストスパート頑張ろうね?」





「『えいえいお~』」





主役の二人が引き立て役達を控室へと導く。本番前の最終チェック、先生の隣に並ぶのはこの私。何故ならこの物語の主役はヒロイン役である「夏木愛」なのだから。



「1、2、3、4、回転ターン!回転ターン!!」



私達の歩幅に合わせ、引き立て役が舞い踊る。主役は演技の軸であり、全ての視線を釘付けとする。



「目線は前、顎を引いて、手足は伸ばす。呼吸は常に乱れないように意識して…っと」

 

一つ一つの演技を呟きながら確かめる。失敗は、許されない。



「考えるな…自然と身体が動くようにしないと」



先生ほど上手くは踊れない、私に出来る事は楽しむ事。そして反省と後悔をしない事。観客席へと私の微笑みを、この気持ちを差し伸べる。



「…はいストップ!皆よかったよ。夏木ちゃんも完璧じゃないかな?」



「でしょ~私もそう思う!この調子で本番もがんばるからね?」

 

最終チェックを終え、私の心に自信が溢れる。一歩前へと踏み出す足は力強い。会場のボルテージは最高潮、私達の踊りが観客席を釘付けにするのだ。





「ねぇ、先生?」





「どうしたの?夏木ちゃん」

 



「もし私が完璧に踊れたら、ファーストキス。貰ってね?」





「えっ、急に何を…」



狼狽える先生を見上げ、夏木愛は優しく微笑んだ。









「返事は全て踊り終えたら教えてね?私の相方!」









絶対に失敗できない人生初の大勝負、物語の幕が上がった。





眩い明りは私達を照らし、鳴り響く拍手は主役達を迎え入れる。一寸の狂いもないよう相方の背中を追いかけ舞台の中心、スポットライトの灯る場所へ。

物語の始まりだ。

音楽が流れ私達が踊りだす、向かい合い手を繋がれ微笑み合う。私達に連動し、引き立て役達が模倣する。ラインは二本、綺麗な直線が揃っている。

「うん、出だしは完璧」

相方の手を取り軸の中心がブレないように己の身体を回転させる、手足はだらけず静止して、観客一人一人に微笑みかける私はきっと、艶めかしい大人の表情をしているのだろう。表現力は相手が、そして自分が楽しむ事を忘れてはならないのだ。

「ここまでは完璧、大丈夫。練習の成果は出てる」

相方に支えられ手足を伸ばし片足立ちで静止する。辛い表情は見せられない、地に足一つでも付いているのなら人は立つ事が出来るのだから。

「やる事が沢山ある…ひぃぃぃい」

脳内の夏木愛がパニックを起こす。しかし、身体を動かす夏木愛はミスなく演技を続けている。相方のお蔭か自分の努力か、答えは出ないが今はがむしゃらに身体を動かしていたかった。

「私今すっごく輝いてる。楽しくて…幸せ!」
 
ずっと背中を追い続けてきた相方と、ようやく対等に同じ目線で傍に居る。この瞬間初めて私は相方に認められ、大人の仲間入りが出来たのだ。
 

「あぁ、今の私は『幸せ者』だな」


天高く羽ばたいた私はきっと翼の生えた白い鳥のように見えただろう。観客席に向けた微笑み、一番見て欲しい「大好きな人」には、届かないのがもどかしい。

私達を照らすライトが、音が消えていく。舞台の幕が降りる、「前半戦」が終わったのだ。

「着替える人は着替えちゃって!水分補給忘れずにね!」

演目が切り替わる数分間、舞台裏は殺伐とする。

「夏木ちゃん水分補給ちゃんとした?ここから休憩ないからね?」

「はい、ちゃんと飲みました!それより私の踊りどう?」


「完璧!」


その一言だけで充分だ、ドーパミンが止まらない。


「行くよ!相方!」


私の背中は先生の視界に大きく大人びて映っただろうか、次は私が追わせる番。時に乙女は引っ張って、リードしてみたい物なのだ。
 
前半戦と異なりヒロインが主導権を握る後半戦。私は一人前に出る、最初の大きな見せ場だ。

一回転、二回転、三回転。目まぐるしく回る私の視界に大きく映る相方。まるでこの世界には二人しか居ないかのように、流れゆく景色の中で相方だけが傍を離れない。

「楽しい!楽しい!楽しい!!」
 
観客達は主役である私達の演技を見に来ている。艶めかしい微笑みを浮かべた私は一人一人、アイコンタクトを投げ掛ける。

「この人も、この家族連れも、みんな私を見に来ている!」

観客席に送る愛情。しかし、何故か誰も返してはくれない。

「あれ、なんで?誰も私を見て……いない?」

一方的な愛情の押し付け、観客席の家族連れは可愛い我が子の「引き立て役」を愛していた。

「どうして!?私が一番偉いのに!主役なのに!ヒロインなのに!私が一番頑張ってるのに!」

怒り。憎しみ。憎悪。様々な感情が私の身体を「傷者」にする。

「もっと私を見て!」その焦りは私から「微笑み」を奪った。

「しまった、急いで笑顔作らないと」
 
身体より先に頭で考える、一瞬の躊躇がバレエにおいては全てを狂わせる命取りとなる。


「…やっちゃった!相方とのラインがずれた!」


二人しか居ない歪なラインは観客席から見たらさぞ目立つ事だろう。少しばかり斜め向いた相方との向かい合わせがその悲惨さを物語る。私は、失敗したのだ。

「せっかくここまで完璧だったのに」
 
チラつく視界、行き渡らない酸素、その後の事は覚えてない。物語の幕が無情にも降りる。


人生初の大勝負に敗北した私は、ただの小学生になったのだ。

「いや~皆お疲れ様、とっても演技良かったよ!」

「先生ありがとう」
 
暖かい家族に見て貰い幸せ者の引き立て役、私はこの輪の中に入る事は出来ない。どの面下げて入れば良いのかも、解らない。

「いいな幸せそうで、私は主役なのに。台無しにしちゃったな」

合同開催の発表会、自分の子供を楽しみに待つ暖かい家族からしたらヒロインどころか引き立て役ですら無い私なんて「邪魔モノだ」。

「じゃあこれで解散しま~す。皆さんお疲れ様でした!」

「お疲れ様でした~!」

演技を終え魔法が解けた私は、一人寂しく冷たいコーラを飲む。

「ねぇねぇ、お父さん!発表会見てくれた?」

「ちゃんと見てたよ、よく踊れてて偉いね」

名前も知らない引き立て役がぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。幸せそうな笑顔が、憎い。

「えへへ~ありがとう!お母さんは私の踊りどうだった?」

「モネちゃん良かったわよ~!よく踊れていたし、今日はステーキにしましょうね」

「えっ!ステーキ?やったぁ!モネ、ステーキ大好き!」

引き立て役が暖かい家族に導かれる、きっとコイツは家に帰ると主役に格が上がるのだろう。


「私が主役なのに…」


飲み干した空ゴミを満たされない感情と共に投げ捨て「傷モノ」の頭を一人、優しく撫でる。


「…帰ろ。」


私は何て「不幸モノ」なのだろうか、軽かった足取りが嘘のように重くなる。バス停へと重い身体を引きずると、見覚えのある顔が視界に映った。

「あれ、夏木ちゃんもバス?お母さんは?」

「あっ、先生…私は一人だよ」

普段なら泣いて喜ぶ二人の時間、しかし今の私にとってはこの時間が居心地悪く、怖い。

「夏木ちゃんさ、最後皆で抱き合った時に一人だけ輪に入らなかったのは。どうして?」

沈黙にじれったさを感じたのか、先生からのアプローチ、大人が子供に手を差し伸べた。

「私のせいで失敗したから。全部、台無しにしたから」

「したから…輪に入らなかったって事?」

大人しく先生の手を取った、しかしあの時は取れなかった。

「私には輪に入る資格が、無かったから…」

言葉に詰まりながらも少しずつ、弱音と共に吐き出していく。

再び続く沈黙、目の前に止まるバス、大きい大人の背中と丸まった子供の背中が二人、並ぶ。

「隣空いてるよ?座って」

大人の肩幅。狭い座席。触れ合う脚。纏う香水の匂い。大人の優しい手がボタンへと伸びる。

「夏木ちゃん良かったら一緒にご飯食べてくれる?反省会もしたいしさ」

大人の微笑みが視界に大きく映る。子供の私は、小さく頷く事しか出来なかった。

ファミリーレストランへ導かれた私の前に並ぶオムライス、先生の前にはコーヒーとポテト、誰かと食べる食事は久し振りだ。財布から五千円を取り出すも「子供がそんな心配しなくて良いの!」と突き返されてしまう。

やはり私は大人からしたらまだ子供、どうにもならない現状が歯痒くて、苦しい。

「夏木ちゃん前半は完璧だったね、凄く良かったよ?」

「やっぱり前半『は』良くて後半はボロボロだったんだね」

甘酸っぱいケチャップの味がより酸っぱく感じられるほどに、手厳しい意見が刺さる。

「後半の途中までは自然な微笑みで良かったけどね。一瞬顔が強張ったのはどうして?」

ずっと一緒に踊っていた相方は、私の異変に気付いていた。

「余計な事、考えちゃったから」

「余計な事って?」

私は大きく息を吸い。小さなSOSを吐く。

「観客席の家族が私じゃなくて後ろの子を見ていたの、主役は私なのに。きっと私の事なんて」



「誰の視界にも映らないんだ」



子供の背中を上回る苦悩が押し潰す、大粒の涙が、抑えていた感情が溢れ流れて止まらない。

「愛ちゃん?」

「なぁに?」

「傷モノ」の頭をぐしゃぐしゃと撫でる、大きくて暖かい大人の「愛」が私を優しく包み込む。

「先生は愛ちゃんが主役として頑張る背中をず~っと見ていたよ?それに今日の愛ちゃんは今までで一番輝いてた。だから今日はい~っぱい話そ?それとも先生じゃ『役不足』かな」

人に撫でられる幸せは、私の心に今まで味わった事の無い感情を植え付ける。

「先生…あのね、私…」

「どうしたの?ゆっくりで良いからさ、話してみて?」



「………うわあぁぁぁぁぁぁぁぁあああん」



周囲の奇特な目など気にしない。大人に甘え、話を聴いて貰えるのは子供の特権なのだから。

「愛ちゃんもう泣かない?大丈夫?」

「えへへ…ごめんなさぁい」

店を出て、二人並んだ帰り道。ソフトクリームを舐める子供が大人の背中を追いかける。

「それにしても今日は愛ちゃんと沢山話したね、付き合ってくれてありがとう」

「私も楽しかった!学校の話い~っぱい聞いて貰ったしさ」
 
殆どが自慢話でも、夏木愛が先生の物語に思い出の栞として挟まる事が喜ばしい。

「愛ちゃんの事沢山知れて良かったよ。やっぱりまだ知らない事が多いしね」

「中学生になったらもっと知る事になるけどねっ」

次の発表会も再び先生と踊る事が出来ると狭い世界に住んでいる私は信じていた。

「中学生かぁ、その頃には先生いないんだよね」

「えっ…どうして?」

胸が「キュッ」と締め付けられる。傍に先生が居ない世界で、私が羽ばたく未来が見えない。

「お母さんが病気でね、それで遠い所に行かないといけないんだ」

先生は私と同じ、虚ろな目をしていた。

「まだ愛ちゃんしか知らないからさ、皆には秘密にしてね?」

「うん。解った」


親の為、脳が理解を拒む理由。先生を奪う「悪者」が、身体を壊した「悪物」が許せない。


「ねえ先生」

「どうしたんだい?」


「お母さんって、そんなに大切なの」


素朴な疑問をぶつけると、先生がぐしゃぐしゃと頭を優しく撫でてくれた。

「大切だよ、何時か愛ちゃんも大切だって思う時が来るよ。どっちのとは…言わないけどさ」


「ふぅん、そうなのかもね。」


先生にとっては大切なのだろう、手にベタ付いたソフトクリームが指に付く。「煩わしいな」そう思い私は持っていたサイ柄のハンカチで親指を弾いた。


「先生の言うような日が来ると良いね、じゃあそろそろ会えなくなるんだ。寂しいね」


大人の背中を見上げながら別れを実感する、お互いの物語にもう私が出る事は無いのだろう。

「そうだね、先生も寂しいよ。この教室には色々とお世話になったしさ」

先生の瞳から、一筋の涙が流れる。

「最後に踊れた子が愛ちゃんで良かった、愛ちゃんと…出会えて楽しかった」

私と出会えて嬉しかった。人生で初めて言われる物語のヒロインとした言葉が芽吹き、咲いた。



「そっか、憧れとか大人だからではなく私が大切だから助けて支え、手を差し伸べてくれる。信頼関係のある者同士お互いが無償で助け合う、この気持ちが本当の『純、愛』なんだ」



私は先生とバレエが大好き。自分と向き合い正直になる事の大切さを教えてくれた。

「自分の気持ちに嘘は付かない、私は反省も後悔もせず前を向いて生きたい」

本当の意味で純粋に人を、愛する気持ちを与えてくれた。私を一人の女性として育ててくれた。この感情は大切な思い出として、私の物語に栞を挟みたい。

「ねぇ、珠子先生。こっち来て?」
 
先生には色々支えて貰った。

「なに?どうしたの?」

次は私が返す番だ。


「最後におんぶして!おんぶ!先生少し屈んで!」


私が与えられるモノは、この愚直な気持ちだけ。


「仕方ないなぁ。夏木ちゃんもまだまだ子供だね」

そう、私は子供。大人の先生とでは「今はまだ」釣り合わない。


「だからせめて、私の初めてを捧げた大好きな人だって事は忘れないでね」


初恋との決別、屈んだおでこへと私は王子様にお別れの優しいキスをした。

「えっ愛ちゃん?今何を!!」

慌てふためく珠子さん。大人を出し抜けた事が少しばかり嬉しく、恥ずかく、興奮する。

「えへへ…お別れのプレゼントだよ?」

ずっと実らない恋をしていたのだ、これ位しても罰は当たらないだろう。

「私ね、ず~っと先生が大好きな人だったの!でも完璧に踊れなかったでしょ?だからファーストキスは先生のおでこで妥協したの!私の初めてを捧げたからには夏木愛を忘れないでね」

珠子さんには喋らせない。乙女はお喋りで、我儘なのだから。

背中に翼が生えたかのように、軽快な足取りで地面を蹴る。


「キスしちゃった!キスしちゃった!」


心臓が「キュン」と鳴り響く、呼吸をする度に匂う香水の残り香。どれくらい走っただろう、後ろを振り返ると私の影が、夏木愛を追いかけていた。


「思い、伝えられた…かなぁ」


今は一方的な感情の押し付けでしかない。しかし恋する乙女は成長し、前を向き、少しずつ大人になっていく。私は早く大人になりたい。先生から見た私の背中は大人に見えただろうか、怖くて逃げた問いの答えは誰も知らない。


「ただいま」


私は答えが出ないまま、主役になれない我が家に帰る。

「づつう、ただいま。今日はいっぱいお話し聴いてね?」

ベッドの上で一人づつうと抱き合う、今日は寝かせるつもりはない。

「あのね今日発表会だったのね、コンサートホールに行ったんだけど帰り道に…」

珠子先生との一日が走馬灯のように蘇る。もう先生には会えない、実感するほど涙が溢れる。

「今回の演技が最後ならきっと完璧に踊りたかっただろうなぁ。私が失敗したせいで…」

づつうを強く抱く。心残りが胸を打つ。震えた声が、私に弱音を吐かせていく。








「私が悪かったの、ごめんなさい」




「私は鳥籠の中にいる翼を広げた『傷モノ』の鳥、今日も元気に籠の中を飛び回る」




中学生となった私。制服に身を包んだ私。脚は綺麗で、胸は大きくスタイルの良い私。うん、
今日も私は可愛いな。

夏木愛は鏡の前でポージングを取っていた。

「行って来ます。づつう」

少し年季の感じる仮初の王子様を抱きかかえ、行って来ますのキスをする。

「このキスでづつうも大人の王子様に。なんてそんな物語みたいな事は起きないよね」

少女漫画の主役で無ければヒロインでもない、夏木愛はただの可愛い中学生なのだ。

「忘れ物は、無いね!」

玄関に置かれた一足の靴を履き空の鳥籠から羽ばたく、なぜなら今日は入学式なのだから。
 
自転車へと跨るも中学校までの道のりは遠い、夏木愛は外の世界へと一歩踏み出した。

「はぁ…はぁ…坂道ヤバいてこれ、こんなの毎日続けてたら脚太くなるて」
 
一人でも続けているバレエ、自慢の美脚が大根足にならないか入学早々懸念材料は多い。

「あ~あもうだめだ~大根になる~!可愛い私には似付かないほどの大根になるんだ~」
 
正門付近の駐車場へと横切る車の群れ、なんと憎らしく怨めしい事だろう。恵まれた理解のある家族に育てられた「モノ」に対し悪態を付かずにはいられない。


「どうせ私よりブスな子供をそんな大切に育てなくても良いでしょうに」
 

上り坂を超え裏門の駐輪場に自転車を置く、正門付近では主役である可愛い我が子の写真を撮る為に奇特な親達が列をなす。寂びれた裏門とは大違いだ。

「たかが写真一枚撮るだけであんなにも並んで、バカらしい」
 
心が澱むも解決策は湧いてこない、人気のない裏門から一人教室へと沈んだ気持ちを運ぶ。

「う~ん…まぁ、誰も知らないよな」

元々知り合いの少ない私、中学校がマンモス校なのもあってか顔馴染みが一人も居ない。

「とりあえず今は顔を売るしかないか、隣の席は…あの子か」

たった今教室に入った子供が私の方へと歩いて来る。これから苦楽を共にする関係だ、先ずは言葉を交わせなくては話にならない。


「初めまして私は夏木愛、これから宜しくね。良かったら名前教えてくれる?」


「私はカナだよ。うん、こちらこそ三年間宜しくね?夏木さん」
 
隣の席に着くカナと言う子供、友達が一人も居ないハードモードの物語だけは回避しなくてはならない。狭い世界で生きる資格を得る以上、社交辞令は必要不可欠。人より少し訳アリな私は簡単には心を開かず気軽に他人を信頼しない性格なのだから。


「それでね、私小学校の時図書委員で」


「へぇ~」


「クラスは違うんだけどね?友達の青紫ちゃんって子とずっと二人でやってたの」


「ほぇ~」


「それでね、私少し訳アリでお母さん居ないんだ」


「あへぇ~」



無駄に話がなげぇ。



子供の舌が一度回り出したら止まらない、お喋り好きなカナの話を右から左へと聞き流す。相槌に塗れた談笑を終えた私達は、体育館へと導かれた。

部活案内、長い校長の話、鳴り響く拍手、耳障りなシャッター音。私の心が渦中に堕ちる。

「こんな『物』を有り難く撮影する親の神経が解らねぇな」

子供の物語を綴る為にわざわざ会社を休む。私が体験した事の無い無駄な行為に理解を示したくはない、普通に過ごした一日はなんの変化も無くそのまま幕が閉じていく。
 
夕焼けが差し込む静かな裏門。変わらぬ人並み、冷たい風。大人達から逆らうように、私はレールを外れ続ける。

「行きだけじゃなくて帰りもです、か。わざわざ休みまで取って難儀な物ですね」

一人卑屈になりながら駐輪場へ、新入生専用の駐輪場には少しだけ見慣れぬ変化があった。

「えっ、何この自転車。汚っ」
 
朝には無かった汚いゴミに苦笑いをしてしまう。入学式早々こんな自転車で通学しなければならない哀れで可哀想な子供は誰なのか、少しばかり気になってしまう自分が居る。

「あっ、愛ちゃんだ、愛ちゃんも一人なの?」

物珍しそうに「ゴミ」を眺めた私の視界に映る顔見知り。

「………カナちゃんだよね?『も』って事はカナちゃんも一人なの?」

「うん、そうだよ?話さなかったっけ、私父子家庭だからお父さん仕事で来れないんだ」

「へぇ、そうなんだ。可哀想だね」
 
この汚い自転車は子供の物か、思わず心の中で優劣を付け、見下す。

「愛ちゃんの家もご両親が忙しい、とか?」

「う~ん、まぁ。そんなもんかな」

両親は昔から私に興味や関心が無い、育児放棄と聞かれたらそうなのかもしれないがやりたい事は一通りやらせて貰っている為家族の会話が無くとも気にはならなかった。


「そうなんだ、なら私達『似たモノ』同士で良い友達になれるかもね」


「私はお母さん居るけどね、友達になろ?一緒に帰ろうよ」
 
少しは信頼出来る奴かもしれない、私より少しだけ劣った子供と二人寂びれた裏門を駆け抜ける。二人で行う会話のラリーは少しばかり風が暖かく、足は軽やかに動く気がしたのだった。





「づつうおはよう、今日は仮入部の日だよ?」
 
カナとの親睦も深めた中学生活は最初のイベント、青春の思い出作りが訪れる。

「なんの部活に入ろうかな、やっぱり身体を動かせる部活が良いな」
 
運動神経は誰にも負けない自信がある。身体を動かし、人から注目を浴びる事に興奮を覚えている私はとにかくチヤホヤされ、キャーキャー言われたい。


要するに私は、目立ちたがり屋の負けず嫌いなのだ。


「よ~し、今日も健気に自転車漕ぐぞ!体型維持大事、NOT大根足!」
 
陸上部に入れば自転車に乗らなくて済むだろうか、乙女の可能性は無限大だ。

「ねぇ愛ちゃん放課後って暇、もし暇だったら一緒に部活動見学しない?」

「ふえっ?良いよ。一緒に見ようね」

急な問い掛けに驚くも急ぎ表情を取り繕う、偽りの仮面を着けるのは慣れている。こうして放課後、二人の仮入部巡りが始まったのだった。

「先ずどの部活から見る?」

「う~ん、人気の部活は早い時間だと集中しているだろうし、水泳とかにする?」

「どうせなら全部の部活見たいしね!人が多い所を後回しにするのは賛成!」
 
仮入部の見学期間は二週間、私達の青春探しのタイムリミットだ。

「夏場に水泳って、贅沢だよねぇ」

「解る~でも冬場は寒そう」

一日が過ぎ。

「陸上部に入れば自転車通学が苦にならなくなるかね」

「え~ただでさえ通学で疲れるのに走るのなんて無理~」
 
一週間が過ぎ。

「私、吹奏楽部に憧れてるの~」

「えっ?カナって楽器吹けるの?」

「吹けないよ?憧れてるだけ」

「なにそれ、駄目じゃん!」
 
仮入部のタイムリミット、二週間目の最終日を迎える。

「う~ん、やっぱソフトテニスかなぁ」

「今の所だとそうだよね、ここが最後の部活かぁ」
 
校内の人気を二分するどちらかの部活には入部したい、私達は部室の門を叩いた。



「バレー部にだけは絶対に入らない!!」



「あっ、愛ちゃん大丈夫?」
 
私にはバレエの才能はあっても、バレーの才能は無かったのだ。

ボールの跡が付くほどに傷物となる私の頭、もしこれがサッカーなら何点取れたことだろう。心が折れ、傷モノの頭をぐしゃぐしゃと優しく撫でる。もうバレーボールは見たくない。

「バレー、向いてないのかもね」


「もう二度とやらない!」
 

泣き言を吐きながらソフトテニス部の門を叩く。明日から青春の物語が綴られ、私の人生に様々な思い出と言う栞が挟まるのだ。

「ねぇ愛ちゃん!」

「んぇ~?何?」

「一緒にダブルス!組もうね」

「別に良いよ?これからよろしくね」
 
人生で一度しか訪れない中学三年間、前を向き続ける私の辞書に不可能と言う文字は無い。

「ソフトテニス部に入るならお父さんに頼んでラケット買わないと」

不穏な言葉をカナが呟く。

「えっラケットって自分で買わなきゃいけないの?」
 
青春は一ページ目から躓き、私の辞書に不可能と言う文字が綴られる。

「ラケットかぁ、やっぱりお父さんに話すしかないのかなぁ…」
 
後ろ向きな言葉しか検索出来ない辞書、意気消沈し苦悶の表情を浮かべた私は、さぞ卑屈な顔をしているだろう。それほどまでに子供の私は大人のお父さんには逆らえないのだ。

「ただいまぁ」

重い足取りで帰宅すると玄関には一足の革靴が。お父さんの革靴、避けて通る事は出来ない。私は半ば諦めるかのように恐る恐る、晩酌中のお父さんに部活動の話を持ち掛けた。


「お父さん、今お話しの方宜しいでしょうか…」

「なんだ、今必要な話か」
 
会話の主導権はお父さん、夏木家はお父さんで成り立っている。


「はい、部活動の話がしたくて。ソフトテニス部に入りたいんです。それで、その…」

 
言葉が途切れ途切れになる、緊迫した空気が私の身体を重苦しく包む。


「ラケットを買いたいので、お金を出して貰えないでしょうか」

 
続く沈黙。心が澱み、キリキリと締め付けられる。お父さんは私を見下ろしたまま動かない。何分経っただろうか、長い静寂がようやく解けた。

「お前の人生においてソフトテニスは必要なのか?」 

部活動一つでそこまで問い詰められるのか、負の感情が津波のように心の器から溢れていく。


「必要…です。交友関係を広げられる部活動は人生の財産となります」

 
耳触りの良い言葉を並べ印象を取り繕う、無駄を嫌うお父さんは私がマトモに生き、マトモに働き、マトモな結婚をする事を常々私に躾けて来た。私はお父さんが導いたレールの上を歩きながら、お父さんに生かされているのだ。

「勉学に支障は無いのか?」


「その点は問題ありません。両立させてみせます」


「夏木家の一人娘である以上、頭の悪い子供に育てるつもりは無い。間違っても障碍者や売女のような人の道を外れた人間にはならないように」

お父さんが求める夏木家の普通は良い高校に入学し、良い大学に入学し、良い会社へと就職する。社会の成功者であり強者のお父さんからしたら頭の悪い大卒以外の人間、そして障碍者や売女と言った弱者は生きる資格が無い社会の癌だとお父さんは考えている。


「私はお父さんの子供であり夏木家の一人娘です。社会の爪弾き、弱者にはなりません」
 

弱者を世界から排除する思考のお父さんは私が弱者になる事を許さない、お父さんが絶対的存在である夏木家は弱者の子供が強者の大人に逆らう事を許さない。

「…及第点だな、次はもう少し上手く纏めるように」


「はい、ご迷惑をお掛けしました」


お父さんに深々と頭を下げピリ付いた空気も終わりを迎える、財布から二万円を取り出し、私の目を見ず投げ付ける。

「これで足りるだろ」


「はい、ありがとうございました」


視界に小さく映る大人の背中。緊張からの緩和、づつうには聞いて欲しい事が山ほどある。


「あのね?づつう、今日はどの部活に入るか決めてね?…」


弱者二人が織り成す家族の会話は、共に深い眠りへと付くまで続けられたのであった。




「おっ!愛もラケット買ったんだ!」

「買うのに二時間もかかったけどね」

「えっ、何があったの!」

絶望的なまでに方向音痴な私はショッピングモールで二時間程彷徨っていた、ラケット一本買うだけでこの体たらくなど恥かしくて言える訳がない。

「まぁ、色々とあったんだよ」

カナと二人ラリーを交えて交わす会話、毎日練習したお陰かお互い形にはなってきた。

「私達、大分上手くなったよね」

「そうだね、ラリーも継続出来るようになったしさ」
 
始めは空振りばかりだったカナも、今では私に付いて来るまで成長した。

「このままいけば大会でも勝てちゃうんじゃない?三勝くらいさ!」

「三勝とまではいかなくてもまぁ一勝くらいはしたいね」

カナから飛んだラリーは、絶好のスマッシュボール。

「でも大会前に期末テストがあるよね、愛はちゃんと勉強してる?」


「えっ!?!?」


予想外からのスマッシュにスカッと空振る、これではラリーは中断だ。


「えーーーーーーーーーーっ!?」


どうしよう、入学してからピンチが私を襲い続ける。

「ヤバいヤバい、何か頼りになる『モノ』は」
 
目の前にいるではないか、偽りの仮面を装着し微笑みを浮かべる。

「ねぇ、カナって頭良い方?」

「多分良い方だと思うよ、なんで?」

「でかした子供!」心の中でガッツポーズを取った私は再びカナに微笑みかける。

「一緒に勉強、しよ?」


「えっ!?!?」


「今から!勉強会しよ?」


「えーーーーーーーーーーっ!?」


拒否権は与えない、会話のラリーも中断だ。教科書を持ちファーストフード店へ、期末テストに向けた駆け込み勉強が開幕する。

「ねぇ、愛ってどの科目が得意なの」

「私は数学と理科の理系科目だね、カナは」

「私は国語と英語の文系科目が得意だよ」
 
二人の得意科目が被っていない、不幸中の幸いだ。

「得意科目が被って無いのはラッキーだね、お互い苦手な所から潰していこうよ」
 
二人で進めるテスト勉強、カナの教え方が上手いのか苦手科目が潰れてくのは嬉しい誤算。

「カナって教え方上手いよね、先生より解りやすいよ」

「愛の飲み込みが早いだけだよ、先生なんて大げさな…」

突発的に行われた勉強会は私にとって大きなプラスとなる。

「今日は短い間だけど良い勉強会だったね」

「カナの教え方は為になるよ、またやりたいな」

「あっ、じゃあ連絡先交換しよ。愛って携帯持ってる?」

携帯電話、実績や成果を出していない間は先ず買って貰えないだろう。

「携帯まだ持ってないんだよね」

「そうなんだ、買ったら教えてねそれじゃあまた明日」
 
利便性を考えると携帯を持ちたいが私には所持する資格が無い、無駄を嫌うお父さんと交渉する為には切り札が必要な物なのだ。

「それじゃあづつう君この問題は解りますか、籠の中から同じ色のリンゴを取る確率は…」

カナから教わった人に教える勉強法、友達のいない夏木愛は仮初の王子様を抱えていた。

「傍から見たら痛い子なんだろうなぁ、私の部屋には誰も来ないから良いけどさ」
 
大人びた胸に挟まるづつうへ勉強を叩き込む、これで効果が無かったら私は滑稽なピエロだ。人を容易く信頼できないこの身体、疑心暗鬼の頭を抱える

「こんなんで成績が上がったら苦労しないけどなぁ。友達選び間違えたかぁ?」

己の見る目が無い事を怨みながらも期末テストを終えていく。


そしてテスト結果の返却日。


「うっっそだろ?…」


クラス順位は三位、学年順位は九位。苦手だった教科の底上げによる功績が大きかった。

「えっ、何これ。こんなの初めて」
 
ようするに私は天才だったのだ。

容姿端麗、頭脳明晰、才色兼備の私に対する周りからの評価はうなぎ登りとなる事だろう、己の優秀さに我ながら惚れ惚れしてしまう。

「ねぇねぇ、愛はクラス順位どうだった?私は六位だった!」

「カナのお陰で三位!私はずっとカナの事信頼してたからね、流石私の親友!」

多少信頼出来るカナは是が非でも傍に置いておきたい、携帯電話を得ると言う最重要課題を遂行する為にお父さんの躾を受けなければならない。

「あぁ、気乗りがしない。でもしかたないな、頑張ろう」

親友との約束を果たす為、私は鳥籠へと帰巣したのだった。