ここはカレンディアールという世界。
 この世界の中央に位置する、ザイール大陸の西南西の方にパルデアーヌ国がある。
 パルデアーヌは、他と比べると人口も約数十万人と少なく小さな国だ。
 だが小さいながらこの国の鉱山では、あらゆる特殊な魔力を含む鉱石がとれる。
 そのため国民は、裕福とまでいかないが日々生活に苦しむことなく暮らしていた。



 そしてここは、パルデアーヌ国の城の中庭。
 中央に小さな噴水があり、その周りには草花や細い木がまばらに生えている。
 頭上を見上げると、天井部分が大きめに吹き抜けていた。そのためか空が青々と晴れ渡り、白い雲がプカプカと浮かんでいる。そして、そこから風が吹き抜け涼しい。
 その噴水付近のお洒落な木の長い椅子には、薄水色の長い髪の可愛らしい女性が腰掛け本を読んでいる。

 「ああ〜良かったですわぁ。リリーナとジゼルドが結婚できて……」

 ホワァ〜ンとなりながら、頭にはお花を咲かせていた。

 「相変わらず……このロマンス小説は、何度読んでも飽きませんわ。ああ、私も早くラルク様と……結婚……」

 そう思ったと同時に、顔を赤らめる。
 この女性はアルマジェナ・E・ハルシェ、十五歳。エルム国の第ニ王女だ。
 アルマジェナは、この国の第一王子ラルク・P・ペルギンスと婚約をしている。
 そう結婚するまでの間、国のしきたりや行儀作法などを習うためにこの城に来ていた。
 アルマジェナは本を閉じる。それから、自分の胸に抱え込むように本を持った。いつか訪れるであろうラルクとの結婚を待ち焦がれ、遠くをみつめる。



 ここは国王ジェベル・P・ペルギンスの書斎だ。ジェベルは自分の書斎で、第一王子であるラルクと話をしていた。

 「父上、それは本当なのですか? その話が真実であるならば、この国にとっても良い縁組みになるでしょう……。ですが、私は既に……」

 そう言うとラルクは、長い髪を後ろに払いのけた。

 「ああ、故に悩んでいる。帝国ディモアスのリジェンヌ・D・カルオス姫をこの国へ向かい入れ、既に婚約しているエルム国の……」

 国王ジェベルは、白銀色の短い髪を掻き上げ俯く。

 「この話を、ふいにしては勿体ないと思います。私はアルマジェナとの婚約を、なかったことにしても……」

 そう言われ、ジェベルは考える。そして悩んだ挙句、重い口を開いた。

 「うむ、そうだな。但しエルム国の王が、すんなりと納得するかどうか問題だ」

 「確かにそうですね。婚約を破棄し、国に返した所で……」

 「うむ、エルム国と険悪になるだろう」

 国王とラルクは、しばらく悩んでいた。

 「アルマジェナはまだ十五歳、しかもこの国に来て間もない。となれば……」

 そう言いラルクは、思いついた案をジェベルに説明する。

 「なるほど、迷子か。そうなれば、自ずと婚約もなかったことにできる。それに、そうそう森から生きて戻ることもないだろう」

 「はい、ですが……いつ決行したらよいのでしょうか?」

 その後も国王と第一王子は、アルマジェナの処遇について話し合っていた。



 それから数日後。ここはパルデアーヌ城から約数百キロ西にある、カランの森。
 アルマジェナはラルクとそのお供の者を引き連れ、この森を訪れていた。

 「わぁ、綺麗な花。この花みたことがないわ」

 そう言いながら、花びらが大きめで紫の花の匂いを嗅いだ。

 「この花、甘酸っぱい匂いがするのね」

 アルマジェナはニコッと笑い、振り返りラルクをみる。
 そんなアルマジェナをラルクは、疎ましく思いながらも表情に出さず優しく微笑む。勿論、これは作り笑いだ。
 二人は話をしながら、森の奥へ奥へと歩き進む。

 「ねぇ、ラルク様。本当に素敵なお花畑が、この奥にありますの?」

 アルマジェナは不安になっていた。
 そう森の奥へ進むにつれ暗くなる。それに不気味な雰囲気が、段々と増してきていたからだ。

 「アルマジェナ。不安なのかい? 大丈夫、何かあったら私が君を守る。それに、目的の場所まではあと少しで着く」

 「そうなのですね。早くみたいですわ。どのような素敵な花々が咲いているのかしら」

 花々を思い浮かべながら目を輝かせる。そして、うっとりとしていた。
 ラルクはその言葉を聞くも返答せず、ニコリと微笑んだ。その後、辺りを見回す。

 「ここまでくれば大丈夫だろう」

 「ラルク様。どこにお花畑があるのですか? 見当たらないのですが」

 そう言い、キョロキョロと周辺を見渡した。

 「いや、ここには花などない」

 「それはどういうことですの? 私にお花畑をみせてくれるって……」

 「ああ、そうだな。私は十二分に、お前のお花畑をみせてもらったよ。頭の中のなっ!!」

 穏やかだったラルクの表情は、一瞬で悪相へと変わる。

 「ラルク様、いったい何を……」

 アルマジェナは、ラルクの豹変ぶりに困惑していた。

 「ああ、イライラする。まさかここまでおめでたい頭だとはなっ!」

 そう言われてもアルマジェナには理解できない。

 「私が何かラルク様を怒らせるようなことをしたのでしょうか? それならば……」

 今にも泣きそうな顔でラルクをみる。

 「まぁいい。どうせお前とは、ここでお別れだ」

 「えっ!? それはどういうことですの? なぜ……」

 そう言われラルクは、アルマジェナを見下すようにみた。

 「なぜ? 決まってるだろう。離別するため……そう今日をもって、お前との婚約を破棄するっ!!」

 「婚・約・破・棄……。どうして……私が、何か……」

 ショックの余り、その先の言葉が出てこない。出るのは、溢れんばかりの涙。そのまま泣き崩れ、地べたに座り込んだ。
 なぜ突然、婚約を破棄されたのか。自分が何か怒らせるようなことをしたのかと。泣きながら頭の中で思い返してみる。
 ……ところが、考えを巡らせるも思い当たらない。

 「アルマジェナ。お前は、ここに置いていく。そうしなければ、婚約を破棄することができない」

 「……それなら、ば」

 「はぁ、どこまで頭が悪いんだ。エルム国の者、いやお前の父親アイゼル王が納得すると思っているのか?」

 そう尋ねられ、アルマジェナは首を横に振る。

 「……それが……分かっているなら……」

 もしかしたら思いとどまってくれるのではと、一握りの希望を抱く。ところが、その後ラルクが発した言葉にその望みは儚く崩れた。
 そう、他の国の姫と婚約することになったと告げられたのだ。
 ラルクは絶望し泣き崩れるアルマジェナを置き去りにして馬車へと向かう。
 勿論お供の者もこのことを分かっていたため、ラルクが乗り込むと馬車を走らせ城へ向かった。
 その後ラルクは、城に戻ると国王ジェベルの所に向かう。そして、無事ことが済んだと報告する。
 それを聞きジェベルは、次の段階であるエルム国に使者を送った。そうアイゼル王にこのことを知らせるためである。
 それとその使者には、予め書いておいた書簡を持たせてだ。


 ◆◇◆◇◆◇


 ここはカランの森の奥。アルマジェナはラルクに婚約破棄された挙句、森に置き去りにされる。そんな中、どうしたらいいのか分からず絶望し泣き崩れていた。

 (ああ、私はこのまま……この森から出られないのでしょうか? ここで朽ち果てて……)

 そう思いながら木に寄りかかり、いつも読んでいるロマンス小説を徐に懐から取り出す。しかし読む気力すらなく、本を抱きかかえているだけだ。
 アルマジェナは、涙を浮かべ虚ろな目になり諦めかける。
 そうこうしているうちに泣き疲れ、ウトウトとし始めた。その時アルマジェナの眼前に、ホワンと発光した小さな球体が現れる。
 朦朧(もうろう)とする意識の中、目の前に現れた光に気づいた。アルマジェナは、やっとの思いで重たい瞼を開きみる。

 「……綺麗。ですが……この光は、いったい?」

 その光を触ろうとするが掴めず、アルマジェナの手をすり抜け眼前で静止した。すると、ホワンホワンと光が優しく点滅する。

 「わぁ、これは何かしら?」

 そう思い緑色の光球を触ろうとした。だがアルマジェナの右手を、スルリとすり抜け左肩に乗り静止する。その緑色の光は、アルマジェナに語りかけるように優しく点滅した。

 “アルマジェナ。聞こえますか?”

 そう声が聞こえ、アルマジェナは周りを見回す。

 「……誰ですの?」

 そう言い探した。されど、そこには誰もいない。

 「いない……声がしたと思ったのですが」

 アルマジェナは幻聴だと思い、探すのを諦め下を向き溜め息をついた。

 (ハァ〜……。ここには、誰もいるわけがない。それなのに、聞こえる訳もない声が……)

 “いいえ、私は貴女の傍にいますよ”

 そう聞こえたと同時に緑色の光球が、フワフワと肩から浮き上がる。そしてアルマジェナの目の前まできた。

 「……!?」

 アルマジェナは、まさかと思い眼前の緑色の光球に視線を向ける。

 「……もしかして私に話しかけたのは、あなたですの?」

 “ええ、そうです”

 その緑色の光球は、アルマジェナに優しくそう語りかけた。

 「あなたは、いったい?」

 “私は、この森の精霊フォーレスです”

 「まぁ、森の精霊なのですね。でも、なぜ私に……」

 アルマジェナが全てを言う前に、フォーレスは淡々と話を始める。

 そうフォーレスは、女神からの命でアルマジェナの元へ来たのだ。
 女神はアルマジェナが、あまりにも不憫と思った。そのためフォーレスに、とある物を持たせ渡すようにと命じる。それをアルマジェナに授けよと……。
 それはアルマジェナが、これから一人で生きて行くために必要な物だ。

 フォーレスは女神の言葉を伝え終える。するとアルマジェナの目の前に、持つ部分が青い一本の筆が宙に浮いていた。

 「……筆?」

 “それは女神様から、貴女への贈り物です”

 そう言われアルマジェナは、その筆を手に取る。

 「でもなぜ私なんかのために、ここまでしてくれますの?」

 “それは貴女が……あまりにも不憫に思えたから、と……”

 「そうなのですね。私などのために……本当に、感謝しかありません」

 そう思い涙を浮かべアルマジェナは、感謝し手を合わせた。そして、軽く頭を下げる。
 するとフォーレスは、この筆の使い方を教えたあと別れを告げ姿を消した。
 その後アルマジェナは、貰った筆をみつめる。

 「この筆が、私の願いを叶えてくれる。そう言っていました。あと優しく扱うようにとも。……最初のお願いは、何にしたら良いのでしょうか?」

 そう考えていると、安心したせいか急にお腹がすいてきた。

 「そうですわ。何か美味しいものでも、お願いしてみようかしら」

 筆を目の前に構え、心の中で“美味しいパンを……”とお願いしてみる。すると、持っている筆が勝手に動き始めた。
 アルマジェナは筆を持ちながら、宙にパンを描く。それは、まるで本物と見間違うほど精巧に描かれている。

 「うわぁ〜、美味しそうなパン。ですが、これをどうやって食べれば良いのかしら?」

 そう思いながらそっと右手で、宙に描かれたパンに触れてみた。すると、パッと眩く発光して弾ける。アルマジェナは、あまりの眩しさに目を逸らした。

 「ま、眩しい!? いったい何が起きたというの?」

 そう言いながら恐る恐るパンに視線を向ける。するとそこには、焼きたてのパンが宙に浮いていた。

 「これは……いい匂い。間違いなく、本物のパンですわ。それも焼きたての」

 それを両手で取ると、目を輝かせながらパンをみつめた。

 「食べるのが勿体無いけれど、眺めていても仕方ありませんし」

 そう思いパンを半分にして、パクリと食べる。それと同時に、目を輝かせた。

 「なんて美味しいのかしら。こんなに美味しいパンは、初めてですわ。これが本当に描かれたものなんて信じられません」

 食べかけのパンを左手で持ったまま、右手で筆を持ちみつめる。

 「この筆さえあれば、欲しいものが手に入りますわ」

 そう思いながら、筆にキスをした。すると筆が、微かに赤くなる。しかしアルマジェナは、それに気づかない。
 その後、筆をみながら次は何をお願いしようかと考えた。今日できるお願いは、あと六つだ。

 「そうですわ。もう暗くなり、風も吹いてきましたし」

 そう考えがまとまると、筆を持ち“私が住める家をお願いします”と願った。すると筆がアルマジェナの手から、スルリと離れ宙に浮き家を描き始める。
 そしてその筆は、一軒の平屋建てを描き切った。その後その家が眩く光ったあと、本物へと変化する。

 「……これって一応は家ですのよね。みたことのない造りですわ。中はどうなっているのかしら?」

 そう思い立ち上がると、家の方に歩み寄った。そして扉を開け中に入る。

 「……」と絶句した。

 そうそこには何もなく、ただの箱のようだったからだ。それをみたアルマジェナは、ガクッと肩を落とした。

 「どうしましょう。これでは、ただの箱ですわ」

 そう思い悩んだ。
 そう思っていると、ふと手に持っている筆が視界に入る。

 「そういえば、まだ希望は残っていましたわ」

 目を輝かせ、筆をギュッと握り締めた。その後、魔法石によるランプ、ベッド、暖炉、テーブル、椅子、残りの五つのお願いをそれらで使い果たす。

 「ちょっと不満ですが……仕方ありませんわよね。寝る所があるだけでも良しとしないと、バチが当たりますもの」

 そう思い、ベッドに歩み寄る。
 そしてその後ベッドに横たわり、筆を枕元に置いて眠りにつく。――その時、なぜか筆が赤く染まっていたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆


 その後、筆のレベルが上がり進化する。そのためアルマジェナは、筆の真実を知る。そう筆は、異世界からの転生者だったのだ。
 その筆はある日突然、なぜか話しだした。
 なぜ筆に転生したのかとアルマジェナは問い詰める。だが筆は教えなかった。
 そう教えられる訳もなく……。
 この筆の転生者は……。

 転生前……枝志田(えしだ)快斗(かいと)、二十五歳。印刷会社に勤めながら副業でイラストを描いていた。だが依頼絵を制作中に頑張りすぎと、普段の不衛生がたたり体調を崩し亡くなる。
 その後カレンディアールの女神セレンティスにより、筆として転生させられた。なぜ筆として転生させられたのか。転生前女神の元に魂が召喚されたが女神にセクハラをして怒らせる。
 そのため反省させる意味で、物言わぬ筆に転生させられたのだ。本当なら人間のまま絵師スキルの能力での転生のはずだった。
 そしてアルマジェナに預けられた理由……反省させるためと、人助けをして自分を磨けという意味である。
 まぁ……自業自得なのだ。

 その後アルマジェナにより【カルディ・エウス】と言う名をつけてもらう。
 そして筆のレベルを更に上げアルマジェナにより擬人化できるようになった。

 それからしばらくして二人は、この森を出て旅に出る。
 そしてその後アルマジェナとカルディが、どうなったのかは定かでない。だが恐らく……未だに婚約破棄をした王子を恨んでいれば、復讐の機会を伺っているだろう。
 そうでなければ……二人で旅を満喫しているかもしれない。……しかし、そのことを知るのは神だけだ。

 そしてこの物語は、ここで終わる。だが二人の物語は、まだまだ続いていく……。………【〜完〜】