◇
「三吉ちゃん、最近なんか元気なくない? 加納と上手くいってないでしょ」
「いえ別に。順調ですが」
声の主の方を見ようともせず、淡々とそう答えた。
サークルの一学年上の先輩である押切先輩が、最近よく部室に現れる。
四年のこの時期、就職先は当然決まっており、卒論もすでに提出済らしい。
暇なのだろうか。
部室といっても、他サークルと共同で利用している小さな図書室のような一室なので、人の出入りは多かった。
押切先輩といえば 少々厄介な男で、パッと見は爽やかなイケメンなのだが、近くに寄ると妙に色気があるというか、若干危険な香りがするというか、中身はあまり爽やかとは言えない遊び人、泣かせてきた女性は数知れず等々、噓か真か そういった派手な噂が絶えない人物だった。
とはいえ、私はサークル活動を通してかなりお世話になっているし、話してみると意外と真面目なところもあり面倒見も良く、悪い人ではない。モテるのだろうなー、とは思うけれども、むやみやたらに人を傷つけるようには見えなかった。
噂など当てにはならない。外から見るのと中身が違うことって、往々にしてある。
「なんだつまらない。順調だったら仕方ないか。上手くいってないなら遊ぼうかと思ったのに」
「押切先輩……私と何して遊ぶんですか? そういう調子いいことばかり言うから、遊び人って言われるんですよ、まったく」
「ひどいな遊び人だなんてーー。そんなこと言うの三吉ちゃんだけですから~」
「皆さんの共通認識ですよ。私は別にそう思ってませんけど」
「はは、思ってないんだ?」
どこまでが本気なのか冗談なのか、
誰に対してもへらへらとこの調子なので、本音はわからない。
私も普段は 適当に流しているのだが……。
「だって三吉ちゃん、加納としかつき合ったことないんでしょ? もっと遊べばいいのに。ほんとにいいの? その歳で一人に決めちゃって。つまんなくない?」
それを言うなら、綾人だって私しか知らない。ほんとにいいの? つまんなくない? って、私が聞きたい。
「世の中には、あいつより魅力的で面白い男なんて いっぱいいるかもしれないよ?」
「余計なお世話です」
今度はにこりと、わざとらしく笑顔を向けてやった。
ところが押切先輩は、とぼけた表情で 私の顔をじっと見つめたまま、目を逸らそうとしない。……なによ、無駄にイケメンだな!
「まあでも、加納と別れるのは勇気がいるか」
「……それ どういう意味ですか?」
「別に深い意味は無いけど」
「意味がないなら言わないでください」
何を考えているのかわからないが、たまにこうして、見透かしたようなことを言う。
「ごく一般的な意見だよ、わかってるでしょう? 将来的に見てあいつは買いだもんね。俺が女だったら、離れないか」
「……」
「あれ、無視ですか?」
「…………そんな、打算的な考えでつき合ってるわけじゃありません。私はただ──」
「あ、ちょい待ち。三吉ちゃん動かないで、肩にでかい蜘蛛が……」
「え、んあっ!!? ぎゃあああああーーー$&%##&◎▲!!く、蜘蛛!? でかい蜘蛛取ってくださいっ!!」
「あーほら、だから動くなって」
先輩はゲラゲラ笑いながら、のん気に私の肩に手を伸ばしてくる。
「──おーい、なにやってんだよ~、三吉の叫び声、廊下まで響いてるぞ?」
綾人を含む数名の先輩方が、いつの間にか部屋の中に入って来ていた。
パニクる私を見て、皆一斉に笑い出す。
私はそれどころでないが、
押切先輩との距離は、不自然に近い。
「押切と三吉ちゃん何してんの、密会?」
「おいおい、ここに旦那いるけど」
「ち、ちがいますから! 今 毒蜘蛛みたいなすごいのがここに」
「あはは、三吉ちゃん芋虫は平気なのに蜘蛛は大嫌いだもんね」
「あっ、今 耳元でカサッて!」
「気のせいだって。ほら、もう取ったから。大丈夫」
押切先輩が窓を開けて、外に逃がしてくれた。
肩を掃いながらホッとして顔を上げると、綾人の姿があった。うしろめたいことは何もないが、なぜか気まずい。
けれど綾人の方は、私と先輩が並んでいるところを見ても気にする様子はなく、私に「おう」とだけ声を掛けて、近くのテーブル席に腰を下ろした。
こういう時、何はなくとも嫉妬とかイラッとするとか……無いか、そんなの。
綾人は私が誰と仲良くしていようが気にしない。私が自分以外の誰かとどうこうなるなんて、思っていないから。
押切先輩との話が途中になってしまったと思いながらチラッとそちらを見ると、ニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべて、知らないふりをされる。何か言いたげに……ムカつく。
「三月に、先輩たちだけで最後の春スキーに行くんだって」
「え? ああそっか。そういえば言ってましたね。いいなあ、春スキー」
どうして四年生の先輩方が集まっているのか、その理由を綾人から聞かされる。
「真冬とは違う景色が見られるから結構面白いのよ。雪の量は減るけどね、すごく気持ちいいよー」
「へえ、いいですね。いつか私も、一度は行ってみたいです」
「三吉ちゃんも行く? ついでに加納も」
「え……?」
わざと言っているのか、一緒に行こうよと、押切先輩が空気を読まない発言をする。
なんで私が。卒業の記念旅行って言ってるじゃないの。ついでに加納もって、なに?
「いや、あの……、すみません、今回はちょっと、私たち三月はめちゃくちゃ忙しくなりますし、今年は、」
「俺達も来年計画しますよ。卒業旅行、先輩達で楽しんで来てください」
しどろもどろ答える私の横から、綾人がさらりとお断りをする。
「ほんとよ、突然何言ってるの押切君、三吉ちゃんを困らせないで」
「だって行きたいって言うからさー」
「おまえなあ、いちいち三吉ちゃんに構うなよ。質が悪い」
「加納君、君の彼女、なんかこの人にロックオンされてるけど?」
「それ困りますねー。勘弁して下さいよ押切先輩」
「俺? 全然そんなのしてないってー。後輩可愛いなあ、ってだけで」
「また適当なことを……」
「やめなさい、おしどり夫婦を揶揄うのは。ほんと悪質」
「構わなくていいからね、二人とも」
「……」
「ところで場所移動しない? 俺腹減った」
先輩方から早夕飯に誘われたけれど、用事があると言って断った。
綾人と二人で、先に部室を出た。
*
「三吉ちゃん、最近なんか元気なくない? 加納と上手くいってないでしょ」
「いえ別に。順調ですが」
声の主の方を見ようともせず、淡々とそう答えた。
サークルの一学年上の先輩である押切先輩が、最近よく部室に現れる。
四年のこの時期、就職先は当然決まっており、卒論もすでに提出済らしい。
暇なのだろうか。
部室といっても、他サークルと共同で利用している小さな図書室のような一室なので、人の出入りは多かった。
押切先輩といえば 少々厄介な男で、パッと見は爽やかなイケメンなのだが、近くに寄ると妙に色気があるというか、若干危険な香りがするというか、中身はあまり爽やかとは言えない遊び人、泣かせてきた女性は数知れず等々、噓か真か そういった派手な噂が絶えない人物だった。
とはいえ、私はサークル活動を通してかなりお世話になっているし、話してみると意外と真面目なところもあり面倒見も良く、悪い人ではない。モテるのだろうなー、とは思うけれども、むやみやたらに人を傷つけるようには見えなかった。
噂など当てにはならない。外から見るのと中身が違うことって、往々にしてある。
「なんだつまらない。順調だったら仕方ないか。上手くいってないなら遊ぼうかと思ったのに」
「押切先輩……私と何して遊ぶんですか? そういう調子いいことばかり言うから、遊び人って言われるんですよ、まったく」
「ひどいな遊び人だなんてーー。そんなこと言うの三吉ちゃんだけですから~」
「皆さんの共通認識ですよ。私は別にそう思ってませんけど」
「はは、思ってないんだ?」
どこまでが本気なのか冗談なのか、
誰に対してもへらへらとこの調子なので、本音はわからない。
私も普段は 適当に流しているのだが……。
「だって三吉ちゃん、加納としかつき合ったことないんでしょ? もっと遊べばいいのに。ほんとにいいの? その歳で一人に決めちゃって。つまんなくない?」
それを言うなら、綾人だって私しか知らない。ほんとにいいの? つまんなくない? って、私が聞きたい。
「世の中には、あいつより魅力的で面白い男なんて いっぱいいるかもしれないよ?」
「余計なお世話です」
今度はにこりと、わざとらしく笑顔を向けてやった。
ところが押切先輩は、とぼけた表情で 私の顔をじっと見つめたまま、目を逸らそうとしない。……なによ、無駄にイケメンだな!
「まあでも、加納と別れるのは勇気がいるか」
「……それ どういう意味ですか?」
「別に深い意味は無いけど」
「意味がないなら言わないでください」
何を考えているのかわからないが、たまにこうして、見透かしたようなことを言う。
「ごく一般的な意見だよ、わかってるでしょう? 将来的に見てあいつは買いだもんね。俺が女だったら、離れないか」
「……」
「あれ、無視ですか?」
「…………そんな、打算的な考えでつき合ってるわけじゃありません。私はただ──」
「あ、ちょい待ち。三吉ちゃん動かないで、肩にでかい蜘蛛が……」
「え、んあっ!!? ぎゃあああああーーー$&%##&◎▲!!く、蜘蛛!? でかい蜘蛛取ってくださいっ!!」
「あーほら、だから動くなって」
先輩はゲラゲラ笑いながら、のん気に私の肩に手を伸ばしてくる。
「──おーい、なにやってんだよ~、三吉の叫び声、廊下まで響いてるぞ?」
綾人を含む数名の先輩方が、いつの間にか部屋の中に入って来ていた。
パニクる私を見て、皆一斉に笑い出す。
私はそれどころでないが、
押切先輩との距離は、不自然に近い。
「押切と三吉ちゃん何してんの、密会?」
「おいおい、ここに旦那いるけど」
「ち、ちがいますから! 今 毒蜘蛛みたいなすごいのがここに」
「あはは、三吉ちゃん芋虫は平気なのに蜘蛛は大嫌いだもんね」
「あっ、今 耳元でカサッて!」
「気のせいだって。ほら、もう取ったから。大丈夫」
押切先輩が窓を開けて、外に逃がしてくれた。
肩を掃いながらホッとして顔を上げると、綾人の姿があった。うしろめたいことは何もないが、なぜか気まずい。
けれど綾人の方は、私と先輩が並んでいるところを見ても気にする様子はなく、私に「おう」とだけ声を掛けて、近くのテーブル席に腰を下ろした。
こういう時、何はなくとも嫉妬とかイラッとするとか……無いか、そんなの。
綾人は私が誰と仲良くしていようが気にしない。私が自分以外の誰かとどうこうなるなんて、思っていないから。
押切先輩との話が途中になってしまったと思いながらチラッとそちらを見ると、ニヤニヤと憎たらしい笑みを浮かべて、知らないふりをされる。何か言いたげに……ムカつく。
「三月に、先輩たちだけで最後の春スキーに行くんだって」
「え? ああそっか。そういえば言ってましたね。いいなあ、春スキー」
どうして四年生の先輩方が集まっているのか、その理由を綾人から聞かされる。
「真冬とは違う景色が見られるから結構面白いのよ。雪の量は減るけどね、すごく気持ちいいよー」
「へえ、いいですね。いつか私も、一度は行ってみたいです」
「三吉ちゃんも行く? ついでに加納も」
「え……?」
わざと言っているのか、一緒に行こうよと、押切先輩が空気を読まない発言をする。
なんで私が。卒業の記念旅行って言ってるじゃないの。ついでに加納もって、なに?
「いや、あの……、すみません、今回はちょっと、私たち三月はめちゃくちゃ忙しくなりますし、今年は、」
「俺達も来年計画しますよ。卒業旅行、先輩達で楽しんで来てください」
しどろもどろ答える私の横から、綾人がさらりとお断りをする。
「ほんとよ、突然何言ってるの押切君、三吉ちゃんを困らせないで」
「だって行きたいって言うからさー」
「おまえなあ、いちいち三吉ちゃんに構うなよ。質が悪い」
「加納君、君の彼女、なんかこの人にロックオンされてるけど?」
「それ困りますねー。勘弁して下さいよ押切先輩」
「俺? 全然そんなのしてないってー。後輩可愛いなあ、ってだけで」
「また適当なことを……」
「やめなさい、おしどり夫婦を揶揄うのは。ほんと悪質」
「構わなくていいからね、二人とも」
「……」
「ところで場所移動しない? 俺腹減った」
先輩方から早夕飯に誘われたけれど、用事があると言って断った。
綾人と二人で、先に部室を出た。
*