二年の月日が流れた。

 私と綾人は、大学三年目の冬を 相変わらず二人で過ごしていた。

 あっという間のようにも思えるが、濃厚でぎゅっと詰まった充実の二年間。変わらないこともあるが、変わったことも様々ある。


 サークルに集まった同学年の仲間達だが、結論から言うと半分が退会してしまった。
 案の定というか綾人の予想通りというか、瞬間的に恋に落ちてラブラブな期間を過ごしたものの、その熱は長くは続かなかった。
詳しい事情は知らないが、一年の終わりには三組が別れてしまい、互いに気まずいからかサークルにもあまり来なくなった。

 今も在籍しているのは、私と綾人、麻衣子とA山君、それから綾人の友人であるM藤君とつき合っていた友人・美鈴だけ。
それも今シーズンの冬が終われば、参加する機会はほとんどなくなる。
 この一年は 綾人がサークル長を務めていたけれど、運営の先導はもう 後輩達に渡している。どことなく、祭りの終わりのような寂しさを感じていた。




 麻衣子と美鈴と私と、サークル居残り組の女子三人が、近況報告を兼ねたランチを楽しむのも、大分久しぶりだ。
 大学のラウンジで、麻衣子が言い難そうに口を開いた。


「──えっ、別れた!?」
「うん、ごめん……」
「いやいやいや…………私たちに謝ることは全然無いけれども」

 麻衣子が、先日A山君と別れたことを打ち明けてきた。ちょっとかなり驚いてしまい、何も言えず顔が固まる。
 運命だと、彼しかいないと、あれほど夢中になっていた彼女を知っているので 信じられない。
 最後の方はお互いに冷めてしまい、友達に戻ろうということになったらしい。一応円満なので大丈夫と麻衣子は言うが……。

「辛かったね……落ち込んでる、よね?」
「それが全然、むしろスッキリしたっていうか。あまりこうドロドロした終わりにならなくて良かったというか、ホッとしてる。ちょっと泣いたけどね」

 ちょっとどころではないと思うが。
〝私はまた新しい恋愛をする権利を得た!〟 と言って、鼻息荒く頷いている。


「そっかーー麻衣子達……なんか残念だけどしょうがないね」
「惰性でダラダラ付き合っても仕方ないし」
「惰性で、ダラダラ……」
「うわ~、これでついに、雪妃たちだけになっちゃったね」
「なにその、だけになっちゃったって。今、私の話関係なくない?」
「だって全員別れちゃって、残ってるの加納君と雪妃だけじゃない。最初は逆で、すごく抵抗してたのにねえ、わからんものだわ」
「あぶれた者同士くっついちゃえとか言われて憤慨してたもんね。でも 残りモノには福があるってほんとなのかも」
「……」

 麻衣子まで、そういうことを言う……。
 私と綾人は、恋愛感情などほぼ無しの状態で始まった関係だった。
 それが皮肉にも、一番順調に一定の温度を保ちながら続いているのだから、たしかに、わからんものだわ。


「結局、雪妃が一番の当たりを引いたよね」

「ほんとに。加納君はなーー」

「……加納君は……なによ」


 この二年で大きく変わったもの、二つ目、加納綾人。


「最初はもっと芋っぽかったと思うけどなあ、なんかいつの間にか格好良くなってて、いい男になっちゃったもんね」
「芋って」
「賢くて頼もしくて、将来有望でしょう? なにより雪妃一筋だし言うことないじゃん。なかなかいないと思うけど」
「誠実で優しいのが一番ですよ、結婚したらいい旦那になるタイプ、絶対」
「絶対逃すでないぞ? 首に縄つけてでも」
「……」

 大学に入学したばかりの頃の彼は、少々もっさり気味の純朴そうな真面目青年だったのはたしかだ。〝いい人枠〟の中にいて、女性からモテるタイプだったかといえば、よくわからない。
 それがどうしたことか、いつからか何がきっかけか、外見は洗練され、内面もビカビカに磨かれていった。
 芋なんかじゃないから。元々が素晴らしい原石だったというだけ。

 サークルの代表だったことも関係しているかもしれないが、仲間内で何かトラブルが起きたり悩ましい時には、いの一番に頼られる存在で、周りからの信頼はとにかく厚い。
 困った時の加納頼みと言われている。


 夏くらいからは、彼自身の就職活動も迷いなく進めていた。いくつかの会社のインターンに参加し、常に忙しそうにしていた。
 学生に人気の企業のインターンは選考に通ることがまず難しいのに、参加した いずれの企業からも高い評価を得ているようだった。
 おそらく、就職先が決まらず困る事にはならないと思う。綾人の方が選ぶ立場になるのではないか。

 でもまあ、当然といえば当然。綾人は企業や社会が欲しいと思う人材の条件を満たしている。
 向上心が高く好奇心も旺盛で、勤勉で頭も切れる。なによりコミュニケーション能力に長けており、考え方が柔らかい。
押したり引いたりのバランスが絶妙なのだ。
 どうしたらこんな人間が出来上がるのだろう、私が人事担当者だったら、迷いなく彼を採用する。


「当たり、か」
「当たりでしょどう考えても。雪妃は加納君に就職でいいくらいだよ、永久就職っ」
「……」
「……でも雪妃ちゃん、そういう人の彼女だとライバルも多いからハラハラするね……」
「そうなの? なんかあるの?」
「あーもー雪妃 平和ボケし過ぎだから。加納君は絶対モテてるからね? どうせ耳に入るだろうから言うけど、なんかM山ゼミの才女が加納君のこと狙ってるっていう噂だよ? 加納君のことだから無いとは思うけどさ、ちゃんとこうぎゅっと掴まえておかないと。とりあえず胃袋つかんでさ、可愛い下着とか着とこ雪妃さん」

 M山ゼミといえば、加納君が所属しているゼミのことである。毎日ではないがしょっ中顔を合わせている中に、誰かいるの?

「胃袋と可愛い下着ねえ……ふはは」
「笑いごとじゃねえ」
「あ、ほら噂をすれば」

 その当たりの男が、片手を挙げて「おう」と、笑みを浮かべながら近づいてくる。


「──なんかさあ、あの笑顔は私たちだけの時には絶対にしないよねえ。雪妃の顔見るとめっちゃ嬉しそう」
「ほんとに。大好きなんだろうねえ」
「……あのね、美鈴と麻衣子が思ってるのとは違うから、全然そんなことないですから。あ、じゃあ私、先に帰るね、また来週~」
「え? ああうん、ばいばい」
「ばいばーーい、また来週ー」

 綾人が私たちのところに辿り着く前に席を立ち、彼のいる場所まで駆け寄ると、綾人は本当に嬉しそうに 無邪気に笑った。
 


 最近、君の彼氏は素晴らしいと、私が褒められる。
 綾人が私を呼びに来ると、「三吉、旦那が迎えに来てるぞ」と言われる。
 当然のように私と綾人はセットで扱われ、相思相愛のおしどりカップルと思われていて、なぜか、いろんな人から綾人への伝言を頼まれたりもする。この間なんて教授からまで。
 誰もが羨む自慢の彼氏、そう、私にとって加納綾人は、出来すぎた恋人だった。

 けどなぜだろう、そう言われる度に、胸の辺りがもやもやする。彼のことを話題に出されると、言葉に詰まる時があった。




 私のバイトまでの隙間時間に、綾人と少しだけ会うことになっていた。買わなければならないものがあり、その買い物に付き合ってくれると言う。
 バイト先は、自宅の最寄り駅近くの大手コーヒーチェーン店だ。
学生も多く コーヒー好きには楽しい職場で、二年以上続いていた。


「──三人が一緒にいる所、久々に見たな」
「そうなの、最近あまり会えてなかったからね。久しぶりに沢山話せて楽しかった」
「そう、良かったね」
「……あのさ、麻衣子たちの話聞いてかなりびっくりしたんだけど……別れたって……」
「ああ、うん」
「綾人知ってたの?」
「ん、雲行き怪しかったし、A山から……」

 私は全然気づかなかったけれど、やっぱり気づいていたか。相談を受けていたのかも。
 正直、他人事(ひとごと)ながらすごくショックだった。あんなに仲が良かったのに、恋をしていたというのに、壊れてしまうんだ、と。
 二人にしかわからない事情があるのだとは思うが、冷めたとか惰性でダラダラ付き合いたくないとか、新しい恋ができる! とか、悲しかった。
 そんなものなんだろうか、恋とは。
 私にはわからない。


「……あとは、雪妃たちだけだな、だって」

「またそれか。長田達のことと俺達のことは全然関係ないんだけどな」

「だよね」

 最近はお互いが多忙で、スケジュールがきつきつに埋まっていることも多く、会う時間は限られる。でも、会う努力はしている。
 今日もそうだった。

 綾人に対して不満に思うことは、無い。
 もっとこうして欲しいとか、ここは直してほしいとか、そういうのは一切無い。
 私がそう思うより先に綾人が動いて、私に合わせてしまうから。

 気が回り優しくて云々、は、私に対してもそうだった。私がぼんやりしていても、彼がなんとかしてくれる。こうしたらいいと助言をくれて、整えてくれる。
 綾人は正しくて間違いがない。皆もそう言うし私もそう思う。だから、
 不満がないことを不安に思う、私の方がおかしいのだろう、捻くれているのだろう。
 きっとそうだ。



「──今日そういえば、バイトが終わったらどうする? 家来る?」
「あーー……どうしようかな。……今日は、帰ろうかな。明日も朝早いし」
「……そっか。わかった」

 いつもよりちょっと歯切れが悪く、なぜか気怠そうに溜息を吐いた。
 めずらしい、疲れているのか。

「ん? どうかした?」
「……いや、どうもしない。俺のバイト先の雪妃の知らない奴の話なんだけどさ、最近彼女と一緒に住み始めたらしくて、日中はすれ違ってなかなか会えないけど、帰る家が一緒ってめっちゃいいぞって。それを思い出してた。……最近俺らも、会えないこと多いから、一緒に住めたら便利だなって」
「……私と綾人がってこと?」
「その分家賃が浮くし、どうせなら一緒に住めたらいいよなって、ちょっと思っただけ」
「え……無理だよ、同棲なんて。うちは親が許さないもん」
「……いや、学生のうちは現実的じゃないのはわかってるよ、冗談。言ってみただけ」

 綾人は冗談と言いながらも、少しガッカリした様子で苦笑した。

〝俺たち一緒に住めたらいいよな〟
という恋人に、素気無くお断りをする。本気ではないにしても、ちょっと冷たすぎるか。
〝嬉しい、私も綾人一緒に住みたい〟
というような 熱のこもった台詞は言えない、可愛げのない私だった。

 それどころか、まただ、と思ってしまう。
 卒業後のことやお互いの就活の話をする時、綾人は私との未来を見据えた発言をすることが増えた。はっきり言葉にはしないが、これからもずっと一緒にいることが前提で、話をされる。本当なら、誠実な彼氏にきゅんとする場面かもしれない。

 それなのに私は、いつの頃からか、綾人のその言葉を重く感じるようになっていた。