「──加納君が飲んでるの、何?」
「これ? カプチーノ。俺はスタ○でもタリー○でもどこでもカプチーノ」
「ふはは、なにそのこだわり」
「マシンがないから家では美味しいエスプレッソの飲めないじゃん。スチームミルクもうまく作れないし」
「わかる」
「三吉さんコーヒー好きなの? さっきめずらしい豆の選んでたでしょ?」
「ああ、うん、ホンジュラスね。そんなにめずらしくもないよ。私の祖母が昔、コーヒー豆が何種類か置いてあるような喫茶店をやってて、それで少しわかる」
「へえ、いいなそういうの」
「うん」
気づけばお互いの故郷の話までしていた。
加納君は実家が新潟で、冬がきたら雪山に行くのが当たり前という環境で育ち、ボードが好きだからという純粋な理由でこのサークルに引き寄せられたらしい。
麻衣子と私のような不純な動機ではなかった。そこは言わないでおこう。
「A山から誘われて、たまたま知ってる先輩もいたから」
「そうだったんだ」
「三吉さんは?」
「わ、私は、スキーしか滑れないんだけど、ボードも面白そうだなーって、なんとなく」
「へえ、じゃあやってみたらいいよ、教えてくれる人が周りにたくさんいるから」
少し癪だけれど、たしかに加納君はとても話しやすくていい人だった。
勝手に警戒して、嫌だ迷惑だと不機嫌になられるのだって、考えたら相当失礼な話だというのに全く気にしていない様子。私と気が合うというよりは、誰にでも合わせられる人なんだと思う。
コーヒーを飲み終える頃には気が楽になっていて、抗うことも馬鹿らしくなって、
「友達として普通につき合えばいいだけじゃん?」という言葉に頷き、連絡先を教えてもらった。
自分の連絡先を知らせるため、コーヒーのお礼を兼ねたメッセージで送る。
こちらこそ云々、丁寧な返信がすぐに届いた。……加納君、律儀でマメな男だわ。
□
「三吉さん、俺とつき合いませんか」
「正気?」
「言われると思った」
私が瞬時にそう答えると、加納君は楽しそうに笑った。
はじめて一緒にコーヒーを飲んだ日から、三ヶ月が経過していた。
あれからまた、いろいろあった。
サークルのイベントである夏キャンプにもみんなで行ったし、夏休みの間にいつものメンバーで集まってタコパなんかもした。
ラブラブな4カップルは夏が過ぎても継続中で、今のところ気まずいことにはなっていない。幸せそうでなによりである。
「本気で言ってるの?」
「本気で言ってる」
「だって加納君、私に恋愛感情なんて持ってないでしょ?」
「そうでもないよ?」
「そうでもないの!?」
加納君とは、時々連絡を取り合うようになっていた。何がきっかけだったか、それがあまりにも自然な流れでそうなった。まあ、友達だしなと思いながら。
加納君と話をするのはけして嫌ではない、むしろ楽しい、ほのぼのとして。
何回か一緒に、二人だけでごはんを食べに行ったりしたけれど、居心地が良く気が楽。彼は主張がないわけではないが、いつも私に合わせてくれる。良くも悪くも空気みたいな存在感で私の邪魔をしない。
でもおそらくこれは、加納君を異性として意識していないからこそだと思う。
緊張してドキドキだとかときめきでキュンキュンとかは皆無なんだもの。
多分そういうことだ。恋愛感情ではなく、人として気に入ってるんだよ。
「なんで? そういうの気にしないで仲良くしようって、加納君が言ったじゃん。最近はもう誰もややこしいこと言わなくなったし、せっかくいい感じだったのにどうした急に」
「サークルのメンバーの影響じゃない、全く関係ない。ただ俺は、三吉さんとつき合ってみたいと思ったんだ。一緒にいるのが楽しいなって。理由の要らない二人の時間が、もう少し欲しい」
「……」
それは、とても嬉しい台詞です。
でも、でもだ、私これ恋愛?? うーん、加納君のことを男の人として見られるかどうか、わからない。
「俺これまで、誰ともつき合ったことない。こんな会話するの生まれて初めてだよ」
「そんなの私もだけど……って意外。女子とフレンドリーじゃん、共学だったのに?」
「三吉さんも共学じゃん」
「それもそうか」
いやどうしよう、どう答えたらいいの。
ないないない、って、なぜ言わないの。
夏前なら確実にそう言ってたのに。
少し考えて、答えを導き出した。
「……あのさ、私、性格悪いよ?」
「……うん、それで?」
「加納君みたいに善人じゃないし」
「俺だって全然、善人じゃない」
その人らしさというのは、あらゆる面に出る。柔らかい口調や反応の良い笑い方、けして適当には書かない心の籠った文字、短いラインの文章にだって、加納君らしさがある。
その全てを、感じよく思うのだ。
皆には、「散々あり得ないとか言って結局つき合うんじゃん」とは絶対言われるだろうけど。でも、加納君だもん、きっと大丈夫。
「いいよ。つき合おう」
「え、そうくるか」
「ダメなの? 嫌だって言うと思った?」
「絶対嫌だって、断固拒否されると思った」
「〝絶対嫌だ〟」
「あーごめん、やめてよ」
「私なぜか、期待されたことと反対のことをしてしまうよね、無意識に」
「天の邪鬼だもんな」
「ふっ、天の邪鬼……だねえ。だから、性格悪いって言ってるじゃない」
顔を合わせて、二人で吹き出した。
差し出された手に、ちょんと手を重ねる。
しなやかで大きい、綺麗な手。
「なに? この手」
「わかんない、今後ともよろしくお願いしますという意味を込めて握手」
「……あっ! でもしばらくの間は隠しておきたいの、とくにM藤君には!」
「──いいよ」
ぶんぶんと 握手した手を振り回しながら。
そんなはじまりだった。
あんなに抵抗していたというのに呆気なく。目の前にあった恋のチャンスを、軽い気持ちで掴んだ。
サークル内の同級生が友達になり、さらに仲の良い男友達になり、彼氏になった。
ドラマチックな展開はなく、恋愛と呼べるようなものも何もなくて、それでもまあいいかという気楽なものだった。いろんな形があっていい、そう思えたのは、すでに加納君の影響を受けていたような気がする。
私たちがつきあい始めたことは、結構長い間 周囲には黙っていた。
〝理由の要らない二人の時間〟が少し増えたくらいで、恋人っぽい空気はまるでなかったし、誰かに気付かれることもなかった。
しばらくは名ばかり彼氏彼女。
関係性はほとんど変わらず。
あ、でもひとつだけ、
呼び方が、〝三吉さん〟から〝雪妃ちゃん〟に変わった。