その日は、なんの前触れもなくやって来た。
「先輩、なんでまたいるんですか。暇なんですか?」
「ほんとにひどいな三吉ちゃんは。暇は暇だけど来月からは忙しくなる予定だし、今日は用事があって大学に来てるんですが?」
「あーあ そうですか、失礼しました。どうぞゆっくりしていってください」
昼食をとるために、一人でカフェテリアに向かっていると、押切先輩にばったり会ってしまった。
部室で話をした日から半月ほど経っているが、相変わらず度々遭遇してしては挨拶程度の会話はしている。うん、多分暇なんだな。
「俺も行こうかな、昼飯まだだし」
「えっ、いいですよ来なくて」
「……そんな露骨に嫌そうな顔しないでよ。俺はもう、ここに来ることもほとんどないだろうし、平日の昼間に大学でランチ食べるのなんて あと数回あるかないかなんだからさ、冷たくしないでやって」
「……まあ、そうですよね」
「あ、もしかして加納に、押切センパイとは話をしちゃダメ、とか言われちゃってる?」
「いえ、そんなことありませんけど」
「ああそう? じゃあいいじゃん 行こ行こ、奢るから~」
「奢らなくてもいいですよ! あっ、先輩、今日私やっぱり、パンにするので」
「……大丈夫だよ三吉ちゃん、そんなに警戒しなくても。大学のカフェで、一緒にごはん食べるだけだって」
「いやあの」
「誘うの、これで最後にするから」
いつもおちゃらけている人に真面目な顔でそう言われて、断れなくなった。
お世話になった先輩に対してさすがに失礼、いちいち動揺したりして自意識過剰、
そう自分にいい聞かせながら、押切先輩を追い掛けてカフェテリアに向かった。
昼の時間帯から少しずれたせいで、一階のカフェテリアは人が疎らだった。
先輩と向かい合って席に着き、最初は世間話やスノボの話、就職活動のアドバイスをもらったりと、先輩後輩の普通の距離感で、自然に会話できていた。悪い人ではない、周りが言うほど不真面目でいいかげんでもない。でももうこの先個人的に押切先輩に会うことは、無いと思う。
「三吉ちゃんって鶏肉好きだよねー。なんかいつも鶏肉選んで食ってる」
「え……そうですか? 高たんぱく低脂肪、ダイエットには最適ですからねえ」
「そう言って、唐揚げとかチキンカツとか食ってたら痩せませんけどね」
「私そんなに食べてるかな……まあ、わりと食べる方か。人の好みをよく覚えてますね、さすがプレイボーイ」
「またそれ言う~〝私はそう思ってません〟って言ってくれたじゃない。それに三吉ちゃんだから覚えてるだけだからね? 誰彼構わず見ているわけじゃない」
「……」
さっきからちょいちょいこうして滲ませてくる、私への好意のようなものを。
誰にでもこうだけど、また調子のいい事を言っているだけかもしれないし本気になんかしていないけど、どう反応したらよいのか、わからなくなる。
「加納と、上手くいってるんでしょ?」
「……はい」
「じゃあ、どうしようもない」
「……」
「残念だよ、あいつよりも先に見つけたかった」
こんな場所で、少し愁いを帯びた表情で、そんなことを言われても、困る、冗談にしてしまいたい。
「ど、どうしたんですか突然、先輩らしくもない。……い、いやあ、だって私、押切先輩に泣かされた一人になんて、絶対になりたくないですし!」
「泣かされるのは、三吉ちゃんに限っては俺の方だよ」
「…………」
冗談に、ならない。
「……どこが……」
「ん?」
「どこがいいんですか。私など、全然つまらない人間です」
「全然つまんなくない。興味深いし、すごくいいこだと思ってるし、もっと近くで見てみたかったよ」
「カッ、彼氏がいます、すごくいい男で!」
「知ってるって、言われなくても」
「……すみません」
「加納は、いい奴だよね。俺もわりと好き。なんなら君達カップルに交ぜてもらいたい」
「はい」
「あはは、はいって ダメだろ。あいつは……三吉雪妃のどこが好きなんだろうね?」
「……それは、わかりません。…………あ」
「ん、なに思い出した?」
「顔と、天の邪鬼で素直じゃないところって、大分前に言われたことは……」
「ふーーん、顔はともかくなんだそれ、短所じゃんねえ? 惚気ないでよ」
「惚気てませんよ」
まさかのこのタイミングで、先輩との攻防戦が繰り広げられている最中に、綾人とそのゼミ仲間数名が、同じカフェテリアに入って来るとは。私は全く気づかなかった。
最初に綾人達に気づいたのは押切先輩で、〝本人登場、来てるよ?〟と、指で示す。
ドキッとして、弾ける様にそちらを見た。
このところ、ラインのやり取りはしているものの、すれ違いで会えておらず声も聞いていない。数日ぶりの綾人だ。ところが、
綾人の隣には、噂に聞いていた例の彼女がいた。ああ、あれが、M山ゼミの才女。
香坂さんは綺麗なだけではなく、お洒落でいい匂いがしそうで、キラキラした女性らしいオーラを放っていた。
ちょっと待って皆さん、
〝綺麗な人〟どころの次元じゃないじゃないの。え………強烈なその存在感に目が眩む。
綾人と香坂さんが笑いながら何か話をしている。並んで立つ二人の姿が、異様に眩しく見えた。
「三吉ちゃん」
「はっ、はいはい」
「……大丈夫か?」
遅れて綾人も、私と押切先輩が二人で昼食を食べていることに気づいたようで、遠くで軽く一礼したかと思うと、会話が聞き取れそうな程の近くの席までやってきて、座った。
────めっちゃ見られてる。
香坂さんからではなく、その取り巻きの人たちから。そして囁くような声が 所々聞こえてくる。間違いなく私の話をされている。
カフェテリア内は空席でガラガラだというのに、なぜわざわざ近い席に……。
綾人は私に背を向ける席に座っているため その表情は見えないが、平然として淡々と、こんな状況でも気まずさなど感じていないのだろうか。
香坂さんと目が合いそうになり、急いで顔を逸らした。
「三吉ちゃん、眉間にすごい皺、それ取れなくなるよ?」
「え? ああ」
「焼き餅焼いちゃって、可愛いっすね」
「そんなんじゃありません」
これは、焼き餅とか嫉妬とか、そういう類いの気持ちなんだろうか。この卑屈な感情の理由は、ただのそれなんだろうか。
さっきまで、目の前にいる人からの言葉に動揺し困惑していたというのに、押切先輩のことが見えなくなるくらい、それどころではなかった。早くここを立ち去りたかった。
最後のひと口を口に頬張り、急いでお茶を飲み干す。
「わたし、行きますね」
「ああ、うん、俺も出るよ」
席を立ち、テーブルを拭いてさて行こうかという時、私達よりも何分も遅く来たはずの綾人も立ち上がり、こちらに向かい勢いよく歩いて来る。
「押切先輩、この間はどうも」
「おう、よく会うね」
先輩はいつも通りへらりと笑うが、綾人の方が無表情なので、ピリッと緊張感が走る。何を、言おうとしているの……。
「彼女、連れて行きますけどいいですか?」
「……どうぞ」
「え」
綾人は静かに私のことを見下ろしたあと、私の腕を取り、そのままどこかへ連れて行こうとする。いつもとは違う綾人の雰囲気に、圧倒されて言葉が出ない。
「ちょっ、なに、」
「……」
綾人は何も言わず強引に私を引っ張り、数メートル進んだ場所にある空き教室のドアを無造作に開けると、その中に入るよう促して トンと背中を押した。