図書委員会はそんなにきつい仕事ではなかった。慣れてしまえば心地のいいもので、松野さんもいい人だし。
朝の光で満ち満ちた図書室は本の匂いがしていて、蝉時雨が鮮明に聞こえる。その裏で風鈴の音が響いていた。蝉時雨の音を聞くと余計に暑さが増す気がする。額に垂れる汗を拭う。服の胸ぐららへんを軽くパタパタと引っ張り風を体に送る。汗が止まらない。暑い。思わず顔を顰める。
目を伏せる。今日も来た手紙を読む。よくこうも毎日食レポが思いつくものだ。同じ文字書き?として尊敬する。私は小説のネタがすぐに尽きてしまう。一時期はそれで悩んでいた。
毎日同じことの繰り返し。図書委員会の仕事のために早く登校して、それよりも早く登校するKさんが私の靴箱に入れてくれる手紙を読んで、教室に戻って千花達と話をしてホームルームを終える。授業を受けて、授業が終わって、千花と話をして。同じことの繰り返し。そんなモノクロの日々にいつも色をつけてしまうのはKさんからの手紙。毎日欠かさず手紙をくれるKさん。一体どんな人なのだろうかとだんだん気になり始めた。だから私も質問をした。返してくれる質問もあれば返してくれないこともあった。例えば、なぜ私が好きなのか。自惚れた質問をしてしまったのは重々自覚してる。でも質問に答えてくれないとそれはそれで自己嫌悪に陥る。結局こんな私を好きだなんて言えるのは私を知らないからだと実感してしまう。手紙ではいつか、直接会って伝えると返ってきた。いつか、ねえ。果たしてこんな私にその資格はあるのか?考えては頭がこんがらがるのがわかる。結局、私はどうしたいのか。わからなくなってきたぞ。
「、、、」
大体、私が手紙を返すなんてそんな資格があった?それも随分な自惚れなんじゃないか?
「、、、樹!」
相手が私から手紙をもらいたいかなんてわからない。偉そうに質問して、自分語りをして。
「夏樹!」
「!」
よく見れば目の前に千花がいた。千花は心配そうに瞳を揺らして私を見ていた。そしてようやく私と目が合うと安心したように苦笑を浮かべた。
「どうした?考え事?」
千花の前だと自分はちっぽけで惨めで馬鹿馬鹿しく思えて苦しい。私は千花から顔を逸らす。自分の顔にフっと影が入る。口角を上げて喉を広げてわざと明るく振る舞った。
「夏の暑さでやられたかも。」
吹奏楽部の演奏が放課後の赤く染まった校舎に響き渡る。蝉時雨も相まって音に熱が乗る。その演奏を背景に小説を書く。久しく今日は図書室に人がいない。よって図書委員会も仕事もない。だから久しぶりに自分の時間ができた。ノートを開いてペンを握った。すらすら白いノートに文字が紡がれていくのが気持ちがいい。この感覚、本当に好き。大好きな感覚。私がここ長年虜にされてる感覚。文字の前では私が私でいられる。私の本音、本性全て表現できる。やっぱり私にはこの時間が必要。ないと、きっと私はいつか爆発してしまう。我慢ができなくなってしまう。小説の前では嫌なこと全部曝け出して、正直でいていい。だから私は今日も我慢できる。こんな生きずらい人生を生き抜くことができる。
はあ、と息を吐く。呼吸がいつもよりしやすい気がする。いつもこうならいいのに。
「あの〜、、、。」
「わ!!」
私は思わず声を上げる。誰もいないはずの図書室は静まり返っていて余計に私の声が響いてしまう。意外と大きかった自分の声と、誰かにかけられた声によって驚いてしまった。私はガバッと前を向く。正面には前朝、図書室に来た男子生徒がいた。申し訳なさそうに眉をハの字にしてるが不良感は否めない。ちょっぴり怖いが私は勇気を振り絞る。
「私に言いました?」
男子生徒は頷く。
「どうしました?」
「あの!」
それから黙ってしまう。そしてだんだん男子生徒の眉間に皺がよって顔が曇っていく。怖い。
「、、、、の本って、、、か。」
男子生徒は小声で何か呟く。小さくて聞き取れなかった。なぜか不機嫌な男子生徒に聞き返すのは怖いが仕方ない。
「すみません、もう一回お願いします。」
「おっおすすめの本ってありますか!!」
男子生徒は食い気味に声を張る。頬が心なしか紅潮してる。
えっとなに、おすすめの本?私は脳を回す。そして席を立つ。読みやすくてでも話が深い本、一冊思い当たる。本棚の名前順になってる中で私が思い浮かべる作者名の頭文字を探す。そして見つけた。それを引き抜いて表紙を確認する。後ろを振り向くと男子生徒も一緒に私の手元を覗き込んでいたことに気がついた。あまりの近さに身を引く。
「これ。これ好きなんだ。読んでみて。」
本を男子生徒に差し出す。男子生徒は本を一回見て両手で受け取った。そして胸に抱いた。大きな体に文庫本のサイズは小さくて、どこか可笑しかった。
「ありがとうございます。」
男子生徒は照れくさそうにそう言った。私はぴっと音を立てて本のバーコードを読み込む。そして貸し出し中にする。もう一度男子生徒に本を渡す。男子生徒は俯いて「っす」と空気を吐いて駆け足で図書室を出た。私はその後ろ姿を目で追った。
「な〜つ〜き〜?」
千花は相変わらず顔を近づけて言う。
授業と授業の間、千花に止められた。
「何。」
「いつから図書委員会やってるの!」
声を荒げる。
「ついこの間。」
そういえば千花には伝えていなかったな。私は目を逸らす。
「な〜つ〜き〜?なんで言わないのよ〜?」
そう言って千花に頭をガシガシと撫でられる。隣の席の川谷君は笑っていた。
「言う必要ないと思って。」
「はあ〜。」
千花は息を吐く。そして眉を寄せて言った。
「今度、図書室行くからね。」
私は心底めんどくさそうにため息を吐いた。
今日の手紙には、思わず息を飲んだ。言葉が出ない。私はもう一度文を見る。『僕は勇気を起こしました。今日放課後、屋上に来てくれませんか。』ついに。ついに、来てしまった。この時が。私が、一番恐れてた時が。
勝手に手紙を心の拠り所にしていた。疲れた時に、辛い時に手紙を読んで気を紛らわせていた。読んでると、気持ちが穏やかになって、少しだけ、嫌いな自分を好きになれるから。だけど。
「ついに来たか〜、、、、。」
誰もいない教室で呟く。背もたれにもたれかかって、天井を見上げる。部活をしてる生徒の声が今や少しうるさい。
私の性格上、きっと会ったら嫌いになる。ようやくできた居場所を失う。そもそも、私がKさんを嫌いになる前に私がKさんに嫌われるかもしれない。こんな性格だ嫌われてもおかしくない。顔にも性格の悪さが、捻くれているのが表れている。私を前にしたらKさんは私を好きではなくなるかもしれない。それが怖い。酷い話だ。Kさんからの好意には答えないのに勝手に居場所と言って、嫌われるのを恐れている。私は、どこまでも嫌なやつだ。
こうなってしまえば、屋上に行かないなんて選択肢は私にはない。行かなくてはならない。彼に応えなくてはならない。
私は前を向く。視界いっぱいに光が入ってくる。図書室の独特な本の匂いが鼻いっぱいに広がる。午前の青白い光。それが眩しい。こんなに世界が広いのかと驚いた。ずっと俯いていたから気がつかなかった。窓の外から見える空は深く強い青。それが清々しく感じた。
私は、今日の放課後、彼と同じように勇気を起こす。彼にしっかり向き合おうと思う。このくだらない世界に彩りをくれた彼に感謝を述べようと思う。そのために少しの勇気を彼からもらった手紙からもらう。
千花に伝えると千花は、私よりずっと嬉しそうに笑っていた。
「ようやくだね。」
「うん。」
私的には全く嬉しくないが、千花は自分のことのように喜んでいた。それは隣の席の川谷君も同じだった。
「ようやくか〜。レター返しが役に立ったな。」
そういえば、私がKと文通を始めたのは川谷君のアドバイスのおかげだ。そう考えるとありがたい。
私たちがこういう会話をしていることは私たち以外は知らなかった。こんなに人がいるのにKさんの存在を知っているのは私たちだけなのだ。そう思うと妙な気持ちになる。こんなに人が教室にはいて、こんなにたくさんの会話が飛び交っているのに。
二人は「ようやく」「ようやく」と頷き合っていた。私はその光景を見て呆れた。こんなことで大袈裟な。
「もしだよ?」
「うん?」
千花はもしもの話を始めた。
「もしもね?告白されたら、夏樹はなんて答えるの?」
「え、、、、。」
そんなこと、私が一番危惧してる。そうなったら、私はどうすればいいのだろうか。
「考えさせてください?かな。」
「ふーん。そっか。」
声は明るいのに、千花の目は冷ややかだった。それに思わずに肩を揺らしてしまう。
私は、どうするのが正解なのだろうか。そもそもこんな私に悩む資格があるのだろうか。
悩んでいればあっと言う間に放課後。ひぐらしの鳴き声が響き渡る午後、私は薄暗い階段を駆ける。埃っぽくて、ダニの死骸の匂いがする。くぐもった空気。屋上の扉が見える。白い扉。白い扉の前で立ち止まる。そして一回息を吐く。大丈夫。そう言い聞かせてドアノブに触れる。ひんやりとする金属特有の冷気が指先を通る。ドアノブをひねる。開ければ空気抵抗で思いっきり開いてしまった。爽やかな心地のいい風が私を包み込む。開放感。なんだ、案外気持ちいい。
髪が、青いスカートが、赤いリボンが、服の袖が、風に合わせて揺れていく。急に集まった光に目が眩む。腕を額あたりに翳し、影を作る。日光が間近に感じられる。そのため体が熱い。それを風が冷やす。いい場所だと思った。気持ちも晴れるようだった。
腕をどかして、少し視界をずらすと誰かいて思わず息を飲む。あぁ、あの人が。ずっと私に手紙をくれていた
「Kさん?」
気づいた頃には声が漏れていた。こうなれば仕方ないと体をKさんらしき人に向ける。Kさんらしき人は振り向く。思わず私は目を丸くした。
「来てくれたんですね。」
そう安心したように微笑むのは前図書室で会った、男子生徒だった。光をよく通す茶髪に、刈り上げた襟足、猫背気味の姿勢。あの時、私におすすめの本を聞いてきた不良っぽい男子生徒。相変わらず、ハの字の眉が情けない。私は声が出ない。まさか、もうすでに会っていたなんて。男子生徒ことKさんは照れくさそうに髪を手でいじって目を伏せる。
「よかった。」
なんて呟くから、私も何かを言わないとと焦ってしまった。
「い、いつも!、、、手紙、ありがとうございます。」
声が裏返ってしまった。
Kさんは顔を上げる。そして目を丸くした。
「いえ、いつも返事ありがとうございました。初めもらった時嬉しすぎて、幻かと思いました。」
「そんな、、、」
そんな喜んでもらえてたなんて。私は満たされた気持ちでいっぱいだった。
「今日は呼んですみません。昨日、俺、僕は勇気を起こして日比谷さんに話かけることができたので、ちゃんと挨拶しておこうと思ったんです。改めて、Kです。本名はその、、、千代田 蛍兎って言って。別に覚えなくて、、、いいんすけど。」
だんだん声が小さくなるKさんこと蛍さん。蛍さんは俯いてしまう。蛍さんを見てると心が穏やかなような、癒されるような気がする。なんか、ほわほわするような。上手く言葉に表せない。蛍さんは俯いて何かゴニョゴニョ言っているが聞き取れなかった。ようやく顔を上げたかと思えば顔は真っ赤で。
「と、とりあえず!今日は来てくれてありがとうございました!!」
それだけ言い捨てると思いっきり走って蛍さんは屋上を出ていった。残された私は天を仰ぐ。心が暖かいのは一体なぜなの。
朝の光で満ち満ちた図書室は本の匂いがしていて、蝉時雨が鮮明に聞こえる。その裏で風鈴の音が響いていた。蝉時雨の音を聞くと余計に暑さが増す気がする。額に垂れる汗を拭う。服の胸ぐららへんを軽くパタパタと引っ張り風を体に送る。汗が止まらない。暑い。思わず顔を顰める。
目を伏せる。今日も来た手紙を読む。よくこうも毎日食レポが思いつくものだ。同じ文字書き?として尊敬する。私は小説のネタがすぐに尽きてしまう。一時期はそれで悩んでいた。
毎日同じことの繰り返し。図書委員会の仕事のために早く登校して、それよりも早く登校するKさんが私の靴箱に入れてくれる手紙を読んで、教室に戻って千花達と話をしてホームルームを終える。授業を受けて、授業が終わって、千花と話をして。同じことの繰り返し。そんなモノクロの日々にいつも色をつけてしまうのはKさんからの手紙。毎日欠かさず手紙をくれるKさん。一体どんな人なのだろうかとだんだん気になり始めた。だから私も質問をした。返してくれる質問もあれば返してくれないこともあった。例えば、なぜ私が好きなのか。自惚れた質問をしてしまったのは重々自覚してる。でも質問に答えてくれないとそれはそれで自己嫌悪に陥る。結局こんな私を好きだなんて言えるのは私を知らないからだと実感してしまう。手紙ではいつか、直接会って伝えると返ってきた。いつか、ねえ。果たしてこんな私にその資格はあるのか?考えては頭がこんがらがるのがわかる。結局、私はどうしたいのか。わからなくなってきたぞ。
「、、、」
大体、私が手紙を返すなんてそんな資格があった?それも随分な自惚れなんじゃないか?
「、、、樹!」
相手が私から手紙をもらいたいかなんてわからない。偉そうに質問して、自分語りをして。
「夏樹!」
「!」
よく見れば目の前に千花がいた。千花は心配そうに瞳を揺らして私を見ていた。そしてようやく私と目が合うと安心したように苦笑を浮かべた。
「どうした?考え事?」
千花の前だと自分はちっぽけで惨めで馬鹿馬鹿しく思えて苦しい。私は千花から顔を逸らす。自分の顔にフっと影が入る。口角を上げて喉を広げてわざと明るく振る舞った。
「夏の暑さでやられたかも。」
吹奏楽部の演奏が放課後の赤く染まった校舎に響き渡る。蝉時雨も相まって音に熱が乗る。その演奏を背景に小説を書く。久しく今日は図書室に人がいない。よって図書委員会も仕事もない。だから久しぶりに自分の時間ができた。ノートを開いてペンを握った。すらすら白いノートに文字が紡がれていくのが気持ちがいい。この感覚、本当に好き。大好きな感覚。私がここ長年虜にされてる感覚。文字の前では私が私でいられる。私の本音、本性全て表現できる。やっぱり私にはこの時間が必要。ないと、きっと私はいつか爆発してしまう。我慢ができなくなってしまう。小説の前では嫌なこと全部曝け出して、正直でいていい。だから私は今日も我慢できる。こんな生きずらい人生を生き抜くことができる。
はあ、と息を吐く。呼吸がいつもよりしやすい気がする。いつもこうならいいのに。
「あの〜、、、。」
「わ!!」
私は思わず声を上げる。誰もいないはずの図書室は静まり返っていて余計に私の声が響いてしまう。意外と大きかった自分の声と、誰かにかけられた声によって驚いてしまった。私はガバッと前を向く。正面には前朝、図書室に来た男子生徒がいた。申し訳なさそうに眉をハの字にしてるが不良感は否めない。ちょっぴり怖いが私は勇気を振り絞る。
「私に言いました?」
男子生徒は頷く。
「どうしました?」
「あの!」
それから黙ってしまう。そしてだんだん男子生徒の眉間に皺がよって顔が曇っていく。怖い。
「、、、、の本って、、、か。」
男子生徒は小声で何か呟く。小さくて聞き取れなかった。なぜか不機嫌な男子生徒に聞き返すのは怖いが仕方ない。
「すみません、もう一回お願いします。」
「おっおすすめの本ってありますか!!」
男子生徒は食い気味に声を張る。頬が心なしか紅潮してる。
えっとなに、おすすめの本?私は脳を回す。そして席を立つ。読みやすくてでも話が深い本、一冊思い当たる。本棚の名前順になってる中で私が思い浮かべる作者名の頭文字を探す。そして見つけた。それを引き抜いて表紙を確認する。後ろを振り向くと男子生徒も一緒に私の手元を覗き込んでいたことに気がついた。あまりの近さに身を引く。
「これ。これ好きなんだ。読んでみて。」
本を男子生徒に差し出す。男子生徒は本を一回見て両手で受け取った。そして胸に抱いた。大きな体に文庫本のサイズは小さくて、どこか可笑しかった。
「ありがとうございます。」
男子生徒は照れくさそうにそう言った。私はぴっと音を立てて本のバーコードを読み込む。そして貸し出し中にする。もう一度男子生徒に本を渡す。男子生徒は俯いて「っす」と空気を吐いて駆け足で図書室を出た。私はその後ろ姿を目で追った。
「な〜つ〜き〜?」
千花は相変わらず顔を近づけて言う。
授業と授業の間、千花に止められた。
「何。」
「いつから図書委員会やってるの!」
声を荒げる。
「ついこの間。」
そういえば千花には伝えていなかったな。私は目を逸らす。
「な〜つ〜き〜?なんで言わないのよ〜?」
そう言って千花に頭をガシガシと撫でられる。隣の席の川谷君は笑っていた。
「言う必要ないと思って。」
「はあ〜。」
千花は息を吐く。そして眉を寄せて言った。
「今度、図書室行くからね。」
私は心底めんどくさそうにため息を吐いた。
今日の手紙には、思わず息を飲んだ。言葉が出ない。私はもう一度文を見る。『僕は勇気を起こしました。今日放課後、屋上に来てくれませんか。』ついに。ついに、来てしまった。この時が。私が、一番恐れてた時が。
勝手に手紙を心の拠り所にしていた。疲れた時に、辛い時に手紙を読んで気を紛らわせていた。読んでると、気持ちが穏やかになって、少しだけ、嫌いな自分を好きになれるから。だけど。
「ついに来たか〜、、、、。」
誰もいない教室で呟く。背もたれにもたれかかって、天井を見上げる。部活をしてる生徒の声が今や少しうるさい。
私の性格上、きっと会ったら嫌いになる。ようやくできた居場所を失う。そもそも、私がKさんを嫌いになる前に私がKさんに嫌われるかもしれない。こんな性格だ嫌われてもおかしくない。顔にも性格の悪さが、捻くれているのが表れている。私を前にしたらKさんは私を好きではなくなるかもしれない。それが怖い。酷い話だ。Kさんからの好意には答えないのに勝手に居場所と言って、嫌われるのを恐れている。私は、どこまでも嫌なやつだ。
こうなってしまえば、屋上に行かないなんて選択肢は私にはない。行かなくてはならない。彼に応えなくてはならない。
私は前を向く。視界いっぱいに光が入ってくる。図書室の独特な本の匂いが鼻いっぱいに広がる。午前の青白い光。それが眩しい。こんなに世界が広いのかと驚いた。ずっと俯いていたから気がつかなかった。窓の外から見える空は深く強い青。それが清々しく感じた。
私は、今日の放課後、彼と同じように勇気を起こす。彼にしっかり向き合おうと思う。このくだらない世界に彩りをくれた彼に感謝を述べようと思う。そのために少しの勇気を彼からもらった手紙からもらう。
千花に伝えると千花は、私よりずっと嬉しそうに笑っていた。
「ようやくだね。」
「うん。」
私的には全く嬉しくないが、千花は自分のことのように喜んでいた。それは隣の席の川谷君も同じだった。
「ようやくか〜。レター返しが役に立ったな。」
そういえば、私がKと文通を始めたのは川谷君のアドバイスのおかげだ。そう考えるとありがたい。
私たちがこういう会話をしていることは私たち以外は知らなかった。こんなに人がいるのにKさんの存在を知っているのは私たちだけなのだ。そう思うと妙な気持ちになる。こんなに人が教室にはいて、こんなにたくさんの会話が飛び交っているのに。
二人は「ようやく」「ようやく」と頷き合っていた。私はその光景を見て呆れた。こんなことで大袈裟な。
「もしだよ?」
「うん?」
千花はもしもの話を始めた。
「もしもね?告白されたら、夏樹はなんて答えるの?」
「え、、、、。」
そんなこと、私が一番危惧してる。そうなったら、私はどうすればいいのだろうか。
「考えさせてください?かな。」
「ふーん。そっか。」
声は明るいのに、千花の目は冷ややかだった。それに思わずに肩を揺らしてしまう。
私は、どうするのが正解なのだろうか。そもそもこんな私に悩む資格があるのだろうか。
悩んでいればあっと言う間に放課後。ひぐらしの鳴き声が響き渡る午後、私は薄暗い階段を駆ける。埃っぽくて、ダニの死骸の匂いがする。くぐもった空気。屋上の扉が見える。白い扉。白い扉の前で立ち止まる。そして一回息を吐く。大丈夫。そう言い聞かせてドアノブに触れる。ひんやりとする金属特有の冷気が指先を通る。ドアノブをひねる。開ければ空気抵抗で思いっきり開いてしまった。爽やかな心地のいい風が私を包み込む。開放感。なんだ、案外気持ちいい。
髪が、青いスカートが、赤いリボンが、服の袖が、風に合わせて揺れていく。急に集まった光に目が眩む。腕を額あたりに翳し、影を作る。日光が間近に感じられる。そのため体が熱い。それを風が冷やす。いい場所だと思った。気持ちも晴れるようだった。
腕をどかして、少し視界をずらすと誰かいて思わず息を飲む。あぁ、あの人が。ずっと私に手紙をくれていた
「Kさん?」
気づいた頃には声が漏れていた。こうなれば仕方ないと体をKさんらしき人に向ける。Kさんらしき人は振り向く。思わず私は目を丸くした。
「来てくれたんですね。」
そう安心したように微笑むのは前図書室で会った、男子生徒だった。光をよく通す茶髪に、刈り上げた襟足、猫背気味の姿勢。あの時、私におすすめの本を聞いてきた不良っぽい男子生徒。相変わらず、ハの字の眉が情けない。私は声が出ない。まさか、もうすでに会っていたなんて。男子生徒ことKさんは照れくさそうに髪を手でいじって目を伏せる。
「よかった。」
なんて呟くから、私も何かを言わないとと焦ってしまった。
「い、いつも!、、、手紙、ありがとうございます。」
声が裏返ってしまった。
Kさんは顔を上げる。そして目を丸くした。
「いえ、いつも返事ありがとうございました。初めもらった時嬉しすぎて、幻かと思いました。」
「そんな、、、」
そんな喜んでもらえてたなんて。私は満たされた気持ちでいっぱいだった。
「今日は呼んですみません。昨日、俺、僕は勇気を起こして日比谷さんに話かけることができたので、ちゃんと挨拶しておこうと思ったんです。改めて、Kです。本名はその、、、千代田 蛍兎って言って。別に覚えなくて、、、いいんすけど。」
だんだん声が小さくなるKさんこと蛍さん。蛍さんは俯いてしまう。蛍さんを見てると心が穏やかなような、癒されるような気がする。なんか、ほわほわするような。上手く言葉に表せない。蛍さんは俯いて何かゴニョゴニョ言っているが聞き取れなかった。ようやく顔を上げたかと思えば顔は真っ赤で。
「と、とりあえず!今日は来てくれてありがとうございました!!」
それだけ言い捨てると思いっきり走って蛍さんは屋上を出ていった。残された私は天を仰ぐ。心が暖かいのは一体なぜなの。