夏めいた私の好きな季節。浮き足で家を出る。駆け足で学校に向かった。化け物のような雲が空に現れる。風鈴の声が風に流れている。私の黒い髪が溶けているように揺れる。
 駆け足で学校に入って靴箱を見る。今日もあった。青色の手紙。それを見ると喜びが溢れてきてしまう。私の手紙は無くなっていて無事受け取ってくれたことに期待する。
 いつもより遅く登校したためかクラスにはたくさん人がいて、賑やかだった。このクラスってこんなに明るかったんだ。なんて思ってしまった。「今日の放課後カラオケ行かね?」「最高。行こ行こ。」「昨日の動画見た?」「見たよー!もうすごくよかった。また見たいな〜。」そんなふうにたくさんの会話が広がっていた。いつもとは違う景色に思わず息を飲む。
 女子がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。まさか私に用?いやいやそんなわけ。接点ないし。同じクラスだけど話したことない。でもまっすぐこっちにくる。そしてついに、私の前で止まったのだ。
「日比谷さん、だよね?」
 眼鏡をした前髪の長いいかにも根暗そうな女の子が一生懸命私に話しかけてる。それを物珍しいように見てくる生徒もいた。私は根暗ちゃんの方を見た。どことなく親近感が湧く。
「そうだけど。どうかした?」
 私がそう答えると根暗ちゃんはビクッと肩を揺らして手を手で擦った。
「私、松野(まつの) (ひびき)です。、、、、あの、あのね?お願いがあって。」
 こんな私に根暗ちゃんがお願い?
「何?」
「日比谷さん、よく図書室で小説を書いてるでしょう?」
 見られてたんだ。
「だから、よければ図書委員になってくれないかなって。、、、、い、いるだけでいいの。」
 黒い髪の先を撫でながらそう言う。視線は落ちていて頬はほんのり赤い。私は少し考える。悪い提案ではない。正直家にいたくないし。ただ、新しくものを覚えなくてはならないのが少し厄介。そして面倒臭い。私は考えてるのを松野さんに伝わるように「うーん」と言った。
「わかった。」
「え、本当?」
 松野さんは声を張りすぎて裏返っていた。
「うん。私はどうしたらいい?」
「き、今日の放課後図書室に来て!説明するから。」
「わかった。」
「本当によかった。人手不足で困ってたんだ〜。」
 松野さんは安堵して胸を撫で下ろした。私は笑って言う。
「役に立てるように頑張るね。」
 そんなこと微塵も思ってないけど。松野さんが笑ってくれるから思わず口が滑る。
 この感覚、懐かしい。小学生だった頃のあの感じ。頼られることが大好きだった頃のこの感じ。私は少し昔の記憶を辿った。


 私が小学生だった頃。親が離婚した。正直スッキリした。毎晩毎晩喧嘩喧嘩で私まで苦しかった。だからそれから解放されると思うと嬉しかった。父の姿を思い出して泣くこともあったけれど。苗字が変わって、実感した。もう父とは会えないと。母は私と妹を支えていくために仕事ばっかりでほぼ祖母に育ててもらった。その時私は思った。私がしっかりしなくてはと。私はキャラクターを作るのが好きだったから、自分の理想のキャラを作って自分をキャラに似せて着飾った。明るくて、しっかりしてて、面白くて、頼れる日比谷 夏樹。だから誰もやりたがらないリーダーをやったし、みんなを引っ張った。だから当時は私は本当に明るくて、しっかりしてて、面白くて、頼れていたと思う。なのに。なのに。お母さんは再婚を決めた。お母さんのことを考えれば確かに再婚が一番いい。だけど、私にも思いがあった。何が嬉しくて知らない男と住まないといけないんだ。でもそんなこと言えない。笑顔が増えたお母さんに言えない。言ってはいけないのだ。壊してはいけない。この幸せを。私は堪えた。本音を漏らさないように。私は今、この家で望まれていない。明るくて、しっかりしてて、面白くて、頼れる私はもういらない。今度は本音を漏らさない、利口な私が求められているのだと小さい私ながらにわかっていた。というか、わからざるを得ない環境だった。それが苦しくて、時々幼馴染に相談した。吐き出す場所が必要だった。でも私は泣けなくなっていた。本音で話ができる幼馴染にも作り笑いをしてしまうようになっていた。当時は、、、、。


「起立。」
 日直の声にハッとして席を立つ。「礼」と言う声に合わせて頭を下げる。「着席」と聞いて私は席につき手紙を撫でた。そしてホームルームが終わった。


 休みの時間になって私は手紙を開いた。

『日比谷 夏樹さんへ
 
 しつこいでしょうが今日も手紙を書かせてもらいました。理由は、美味しいものを食べると貴方にも共有したくなるからです。伝わるでしょうか、、、?迷惑ですかね、、、?
 今日はですね、とんこつ醤油ラーメンを食べました。学校の行きにあるラーメン屋さんです。少し汚いですが、店もまあまあ広かったです。
 味の方は完璧でした。こってりとしたとんこつがコクがあって、細麺に絡みついて天才的でした。スープはこってりしていてもクセがなくごくごく飲めました。僕はあっという間に完食してしまいました。ぜひ食べてみて欲しいです。近いですし。
 日比谷さんはラーメン好きですか?僕は大好きで毎日でも食べれます。最近は担々麺にもハマってます。辛いけどそれが癖になるんです。日比谷さんのおすすめラーメンが知りたいです。 
                                                           K 』

 私は満たされたような気持ちで手紙を読み終えた。やっぱりKさんの書く食レポは私の食欲を唆る。二つに折って青の封筒にしまうと後ろから声がした。
「また来たの?すごいね〜。」
 千花は私の手元を覗き込んで言った。私はそれを隠すようにカバンに突っ込んだ。
「渡せた?」
 今度は川谷君だった。千花は「渡す?何を?」と川谷君に聞いていた。川谷君は千花に伝えていいか聞くように私を見ただから私は千花にレター返しのことを伝えた。すると千花は目を丸くして私の肩を掴んで揺らした。
「何?やっぱり気になってるんじゃん!スカしちゃってさ〜。」
「そうですね〜。」
 私は揺られながら棒読みでそう言う。
「俺が提案したんだよ。」
 川谷君は揺さぶられてる私を横目に千花にそう言った。千花は川谷君の二の腕を肘で突いた。
「やるじゃーん。夏樹は自分からじゃ何もしないから。」
 棘が刺さるように胸が痛む。何もしない私がいけないが。千花は興味を川谷君から私にうつして言った。
「それで?正体はわかったの?」
 私は首を横にゆっくり振る。
「わからない。でも手紙は受け取ってもらえたかも。」
 いつかわかったら。なんて。


 放課後、私は図書室にいた。根暗な松野さんに手を引かれて。一通り貸し出しシステムなどの説明を受けた頃には日が傾いていた。誰もいない図書室には二人の影が伸びていた。 松野さんは説明を終えると「帰るね」と嬉しそうに弾んだ声で言った。可愛いとこもあるんだなって思いながら手を振るとやっぱり嬉しそうに手を振りかえす。私も帰る準備をしてるとカバンから青がひらひら落ちた。その青に見惚れてるとハッとして拾い上げた。今や無意識に宝物にしてる手紙。

 家の目の前で思わず立ち止まる。そうして一生懸命口角を上げる。上手く笑えてるだろうか。ぎこちなくないだろうか。震える足を前に出す。さあ笑え。
「ただいまー!」
 お母さんがリビングに繋がる階段から顔を出す。笑っている。
「おかえり。」
 私も笑う。
「今日のご飯何ー?」
「今日はカレーだよ。」
「いいね!」
 ぎこちなくないだろうか。笑えてるだろうか。
 お母さんは娘のことならなんでもわかると言うがわかってない。確かに妹のことはよくわかってる。でも私のことはわかってない。私の辛さを。苦しみを。まあ、知ってほしくもないが。離婚を乗り越えて幸せをようやく手に入れた母をこれ以上苦しめるのは酷い話だ。だから私が我慢するしかないのだ。ゆるりゆるり首を絞めるように私が殺されていく。
 今日も私はいいこでいる。


 今回も手紙の返事を書いた。前と同じ紺色の封筒。Kさんがラーメンの話題を振ってくれたから、醤油ラーメンが好きだとか、どこのラーメン屋が好きだとかを綴った。告白の返事はまだ書けないでいる。私はもっとKさんを知りたい。こんな私を好きになったKさんを。だから私からも質問をさせてもらった。自惚れてるみたいで嫌だけど大切な質問。どうして私を好きになったのか。やっぱり自惚れてると手紙を破り捨てたくなったがなんとか堪えた。そして今日も放課後手紙を靴箱に置く。図書委員会の仕事が朝からあるから早歩きで学校に向かう。靴箱には相変わらずの青の封筒。私は無意識に口角を上げてノートに挟み込んだ。そして図書室に急いだ。
 朝の図書室は、午前を思わす爽やかな少しひんやりとした空気が埃と共に漂っていた。光がカーテンみたいに広がって差し込んでいる。利用者は今のところゼロ。私は貸し出しシステムの導入されているパソコンの前に座ってノートを開いた。小説を書こうと思った。でも手紙が挟まっていることに気がついて、手紙を引き出した。読もうと手紙を封筒から引き出したとき、人が来た。思わずさっと手紙をノートに挟む。そしてノートをカバンにしまった。
 男子生徒だった。少し威圧感のある、猫背気味の。髪は襟足を刈り上げていて、光をよく通す茶髪だった。見た目で判断するのはいけないが、あまり本を読むタイプとは思えない。どちらかと言うと、不良っぽかった。一体どんな本を読むのか気になって目で追った。男子生徒は漫画コーナーで立ち止まった。はーん、なるほど。漫画か。なんて脳内で考える。男子生徒はシリーズ化されてる漫画の途中を引き抜いた。そして私の方を振り返って見た。ばちっと目が合う。男子生徒は目を丸くした。初めは面識があったっけと考えたが、すぐにいつもは貸し出ししてくれる図書委員は松野さんだからかと気がついた。男子生徒はすぐに目を逸らした。だから私も目を逸らした。漫画は貸し出し禁止だからこの男子生徒とはもう顔を合わせないだろう。私は適当に手元に積まれた本を一冊とって読んだ。


 教室に戻って手紙を読む。

『日比谷 夏樹さんへ

 手紙ありがとうございました!K宛だったので、僕であってますよね?本当に嬉しかったです。泣くかと思いました。あの手紙は家宝として保管しておきます。
 今日はですね、カレーを食べました。カレーはうちの母親が作ったものなんですけど、美味しいんですよ!食べさせたいです、、、。ただのカレールウですがうちのは隠し味に蜂蜜を入れるんですが、それでか甘くてなのにスパイシーで美味しいんです。スパイスが効いててほっかほかの白米とよく合うんです。本当に美味しい、、、。
 日比谷さんの家のカレーはどんなですか?隠し味とかありますか?
 手紙本当にありがとうございました。

                                                           K 』

「もうほとんど毎日じゃん。」
 千花の声がする。どうせ揶揄われるのだ。腹が立つ。
「うるさい。」
 私がそう言うと千花は身を引いて大袈裟に「うわっ、可愛げな」と声を上げた。
「レター返しは続いてるの?」
「うん。今日もするつもり。」
「あ、やってんだ?」
 川谷君が身を乗り出して話に参加する。
「おはよう川谷君。」
「おはよう。で、正体は?分かった?」
 私は首を横に振る。
「わからない。でも、いいかな。もう。」
 小さな声でそう言った。それでも千花はその言葉を拾った。
「え、せっかく告白してくれたのに!」
「でも、付き合ってって、言われてないし。本人も正体を明かすのは嫌なんだよ。」
 それに、私の性格じゃあ会ってしまったらきっと嫌いになる。私はいつもそうだ。人が根本的に好きじゃない。いつも人の嫌いなところをすぐ見つけてしまう。千花だって例外じゃない。千花相手にもすごく腹が立つことがある。そして時々殺したくなる。本当にこんな自分嫌いだ。
「いつか、本人から明かしてくれる日が来るまで待つよ。私は。」
 私はそう言って千花に笑いかけた。

 放課後になって私は手紙を靴箱に入れて下校する。明日の手紙が楽しみだ。私は手紙によってされた質問を思い出した。そういえば、うちのカレーって何か入ってるのかな。私は少しの勇気を起こした。そして母親に言った。
「うちのカレーって何か隠し味とかあるの?」
「どうしたのいきなり。カレー食べたかった?」
 余計なこと聞かないでほしい。イライラする。
「いや、普通に気になって。」
「そうね、ソースを入れてる。コクを出すために。」
「ふーん。ありがと。」
 お母さんはまだ話したそうだったが、私はこれ以上話したくなくて話を切り上げて部屋に戻った。そして、便箋を前にペンを握った。