夏の匂いがする。夕方の鼻を抜けるような匂い。茜色の空いっぱいに広がるあの夏特有の匂い。額には汗がたらりたらりと伝う。蒸し蒸しとした重い空気の中に留まっているのはなかなか苦しい。イヤホン越しに聞こえるロックバンドのボーカルの声と重低音なベースの音。煌びやかなギターの音と弾んだドラムの音がいい感じに絡んで心地良い。そんな音楽の爽快感に合わせてペンを走らす。ノートにはみるみる文字が綴られていく。
放課後、図書室で私は今日も一人妄想に取り憑かれるのだった。ペンを走らせる手は忙しなく動いては止まって。脳もそれに合わせて忙しなく回転する。紙さえ前にすればいくらでも物語は浮かんできた。
私は今、夏の匂いをテーマに小説を書いている。誰も知らない私だけの秘密の時間。
私は失敗を恐れて生きてきた。だから人一倍経験が少なかった。そんな私を補ったのはいつだって本だった。本は不確かな私を確かなものにした。幼少期の頃から本に取り憑かれて、いわゆる本の虫だった。私は家族に嫌がられるほど本うを読んでいた。一冊読んではもう一冊と手が止まなかったのを今でも鮮明に覚えている。本の感触、匂い、音、全てが私を魅了した。人と関わるのを忘れて本を読んだ。いつしか、それでは満足できなくなってしまった。脳が、体が、疼くほど本を、物語を、文字を求めるのに、読むだけでは満たされない。満足ならないのだ。満足できない私はノートを手にした。そしてペンを走らせた。好きなフレーズを好みな人物をサラサラと文に起こした。好みな物語をノートに作り上げては一人で満たされる。
今日も、文字に、文に、物語に、私は心を奪われる。
朝、朝露の落ちる音に目を覚ました。汗の滲む服が肌に張り付いて嫌気が差す。カーテンとカーテンの隙間から差し込む定規みたいな一本の光。それが目に入って眩しい。もう少し眠っていたい気持ちを無理やり打ち消して、布団から出る。夏なのに少しの肌寒さを感じていち早く着替える。よく見慣れた制服で身を包み、リビングに向かう。母親と「おはよう」と言葉を交わし合い準備されている朝食をとる。ニュースをつけてそれを見ながら朝食を済ませる。寝起きの頭にニュースキャスターの声は届かなかった。
窓の外から入ってくる柔らかい光は鮮やかな青で、今日の天気がニュースなんてなくても伝わった。スマホで時刻を確認して、私は食器を片付けて、学校に向かった。
誰もいない教室はしんと静まり返っていて、校庭で活動している部活の声が響いている。私はバッグを自分の机の横に置いてノートを取り出した。誰か来るまで小説を書くことにした。
7月の初め。夏の匂いがする。どこからか聞こえる風鈴の音がまた私の創作意欲を増す。自分の世界に入り込むのは心地良い。
教室の外からパタパタと駆けてくる音がする。初めは部活動の生徒だと思ったが明らかにここに向かってきている。音も軽い。少なくても男ではないだろう。私はパタンとノートを閉じた。それと同時に教室の扉が勢いよく開いて、思わず肩を揺らした。扉の方を見れば、友人の橘 千花がいた。何やら息が上がっていて私に用があるようでじっと私を見て離さなかった。ずんずん足を進めて私に近づいてくる。手には水色の手紙が握られていることに気がついた。
「千花?おはよう、、、。」
千花は黙って私に向かう。私の肩をがしっと掴んで言った。
「ねえ、アンタの靴箱に手紙入ってたよ?」
手紙を強調して言う。そして私の顔の目の前で手紙ひらひら舞わしていた。千花は少しむっとした表情から頬を緩めて私を揶揄うようなにやけ面でこちらを見てくるから居心地が悪い。
「アンタにもついに春が来たか〜?」
私はひったくるように千花の手から手紙を奪い取ってその手紙に書かれた名前を見た。
『日比谷 夏樹』と私の名前が確かに書いてあった。なんで千花が私の靴箱を見てるんだと言う疑問はすぐ消える。千花の靴箱と私の靴箱は隣り合わせなのだ。だから私の靴箱の中が見えてしまったのだ。それを持ってくるのはどうかと思うが。
「読んでみよ!」
何故か私よりも楽しそうにしている千花はそう言った。私は面倒な気持ちと小恥ずかしい気持ちの入り混じった感情で手紙を開けた。
気持ちのいい青の封筒。ぺりぺりとテープのりが剥がれる音が二人きりの教室に広がる。カサっと中の手紙に触れる。恐る恐るそれを引き出し、二つ折りを開いた。
『 日比谷 夏樹さんへ
僕が手紙を書かせて頂いたのには理由があります。僕は貴方に恋をしてしまったからです。入学式のとき、友達と笑っている貴方は一段と輝いており、目を見張りました。それからずっと目で追ってしまうんです。一目惚れだったんです。こう、手紙を綴らせて頂いてるのは少し気持ち悪いと思いますが、本当に僕は貴方が好きなんです。
そういえば、好きな料理はなんでしょう?甘党、辛党どっちですか。僕は甘党で最近駅前にできたパンケーキ屋さんに行ったんです。もう、すごく美味しくて幸せでした。ふわっふわなパンケーキにたっぷりのメープルシロップとクリーム。口に入れた瞬間じゅわっと溶け出して、とっても幸せでした。僕だけじゃどうしても言葉足らずですが、そのよかったら、一緒にパンケーキ、食べに行きませんか?
K 』
ラブレターというか後半ほとんど食レポ。私は思わず千花の顔を見た。千花も私の顔を見た。
「何これ。」
千花はありがたい事に私の気持ちを代弁してくれた。私は無言で手紙を封筒にしまう。そしてまた顔を見合わせて笑った。
「食レポレターだよ。」
「なんだそれは。」
千花は私にツッコミを入れる。ツッコミを入れたいのはこっちだ。「一緒にパンケーキ、食べに行きませんか?」と言う割に差し出し人の本名が書いていない。誰だKって。返事を書こうにも書けまい。
「でも一目惚れって。不憫だねえ。夏樹の恋人は本だって知らないのかな?」
千花はそう言って笑った。本ばかり構っている私には本の虫を通り越して本の恋人という称号がついた。不名誉なのか名誉なのかわからない。
私は手紙をカバンにしまった。千花はつまらなそうに口を窄めていた。
「まあいいんじゃない?これを機に一人くらい付き合ってみてもさ。」
千花は私の机に頬杖をついて適当に言ってのけた。千花は自分のことじゃないとすぐに飽きて興味を失う。そして適当になる。
私は窓の外に視線を移す。そして薄っすら思った。パンケーキが食べたいなと。
「ねえ。」
私は千花の注意を引く。
「何?」
私は千花の顔を見てはっきり言った。
「パンケーキ食べに行かない?」
放課後。日が沈み夜空がのぞく、青みがかったツツジ色の空が広がっている。ときどき赤にのぞく群青は美しかった。外には瑞々しい若い運動部の声が散らばっている。赤い光と金の光、柔らかい午後の風がカーテンにぶつかって揺らした。私の手元のノートに金と赤は滲んでいた。それが眩しくて少し顔を顰める。
結局、千花にしたパンケーキを食べに行こうという誘いは断られてしまった。ついでに、手紙に影響されてると笑われてしまった。だから今日もいつもと同じで誰もいない図書室で小説を書く。意味など持たない純粋な文字。
家に帰ったらどうしようか考える。想像するが騒々しくて嫌になる。家だと心が休まらない。自分のことも嫌いになる。だんだん嫌気が差して、苦しくなるから考えるのをやめノートに向き合った。
放課後、図書室で私は今日も一人妄想に取り憑かれるのだった。ペンを走らせる手は忙しなく動いては止まって。脳もそれに合わせて忙しなく回転する。紙さえ前にすればいくらでも物語は浮かんできた。
私は今、夏の匂いをテーマに小説を書いている。誰も知らない私だけの秘密の時間。
私は失敗を恐れて生きてきた。だから人一倍経験が少なかった。そんな私を補ったのはいつだって本だった。本は不確かな私を確かなものにした。幼少期の頃から本に取り憑かれて、いわゆる本の虫だった。私は家族に嫌がられるほど本うを読んでいた。一冊読んではもう一冊と手が止まなかったのを今でも鮮明に覚えている。本の感触、匂い、音、全てが私を魅了した。人と関わるのを忘れて本を読んだ。いつしか、それでは満足できなくなってしまった。脳が、体が、疼くほど本を、物語を、文字を求めるのに、読むだけでは満たされない。満足ならないのだ。満足できない私はノートを手にした。そしてペンを走らせた。好きなフレーズを好みな人物をサラサラと文に起こした。好みな物語をノートに作り上げては一人で満たされる。
今日も、文字に、文に、物語に、私は心を奪われる。
朝、朝露の落ちる音に目を覚ました。汗の滲む服が肌に張り付いて嫌気が差す。カーテンとカーテンの隙間から差し込む定規みたいな一本の光。それが目に入って眩しい。もう少し眠っていたい気持ちを無理やり打ち消して、布団から出る。夏なのに少しの肌寒さを感じていち早く着替える。よく見慣れた制服で身を包み、リビングに向かう。母親と「おはよう」と言葉を交わし合い準備されている朝食をとる。ニュースをつけてそれを見ながら朝食を済ませる。寝起きの頭にニュースキャスターの声は届かなかった。
窓の外から入ってくる柔らかい光は鮮やかな青で、今日の天気がニュースなんてなくても伝わった。スマホで時刻を確認して、私は食器を片付けて、学校に向かった。
誰もいない教室はしんと静まり返っていて、校庭で活動している部活の声が響いている。私はバッグを自分の机の横に置いてノートを取り出した。誰か来るまで小説を書くことにした。
7月の初め。夏の匂いがする。どこからか聞こえる風鈴の音がまた私の創作意欲を増す。自分の世界に入り込むのは心地良い。
教室の外からパタパタと駆けてくる音がする。初めは部活動の生徒だと思ったが明らかにここに向かってきている。音も軽い。少なくても男ではないだろう。私はパタンとノートを閉じた。それと同時に教室の扉が勢いよく開いて、思わず肩を揺らした。扉の方を見れば、友人の橘 千花がいた。何やら息が上がっていて私に用があるようでじっと私を見て離さなかった。ずんずん足を進めて私に近づいてくる。手には水色の手紙が握られていることに気がついた。
「千花?おはよう、、、。」
千花は黙って私に向かう。私の肩をがしっと掴んで言った。
「ねえ、アンタの靴箱に手紙入ってたよ?」
手紙を強調して言う。そして私の顔の目の前で手紙ひらひら舞わしていた。千花は少しむっとした表情から頬を緩めて私を揶揄うようなにやけ面でこちらを見てくるから居心地が悪い。
「アンタにもついに春が来たか〜?」
私はひったくるように千花の手から手紙を奪い取ってその手紙に書かれた名前を見た。
『日比谷 夏樹』と私の名前が確かに書いてあった。なんで千花が私の靴箱を見てるんだと言う疑問はすぐ消える。千花の靴箱と私の靴箱は隣り合わせなのだ。だから私の靴箱の中が見えてしまったのだ。それを持ってくるのはどうかと思うが。
「読んでみよ!」
何故か私よりも楽しそうにしている千花はそう言った。私は面倒な気持ちと小恥ずかしい気持ちの入り混じった感情で手紙を開けた。
気持ちのいい青の封筒。ぺりぺりとテープのりが剥がれる音が二人きりの教室に広がる。カサっと中の手紙に触れる。恐る恐るそれを引き出し、二つ折りを開いた。
『 日比谷 夏樹さんへ
僕が手紙を書かせて頂いたのには理由があります。僕は貴方に恋をしてしまったからです。入学式のとき、友達と笑っている貴方は一段と輝いており、目を見張りました。それからずっと目で追ってしまうんです。一目惚れだったんです。こう、手紙を綴らせて頂いてるのは少し気持ち悪いと思いますが、本当に僕は貴方が好きなんです。
そういえば、好きな料理はなんでしょう?甘党、辛党どっちですか。僕は甘党で最近駅前にできたパンケーキ屋さんに行ったんです。もう、すごく美味しくて幸せでした。ふわっふわなパンケーキにたっぷりのメープルシロップとクリーム。口に入れた瞬間じゅわっと溶け出して、とっても幸せでした。僕だけじゃどうしても言葉足らずですが、そのよかったら、一緒にパンケーキ、食べに行きませんか?
K 』
ラブレターというか後半ほとんど食レポ。私は思わず千花の顔を見た。千花も私の顔を見た。
「何これ。」
千花はありがたい事に私の気持ちを代弁してくれた。私は無言で手紙を封筒にしまう。そしてまた顔を見合わせて笑った。
「食レポレターだよ。」
「なんだそれは。」
千花は私にツッコミを入れる。ツッコミを入れたいのはこっちだ。「一緒にパンケーキ、食べに行きませんか?」と言う割に差し出し人の本名が書いていない。誰だKって。返事を書こうにも書けまい。
「でも一目惚れって。不憫だねえ。夏樹の恋人は本だって知らないのかな?」
千花はそう言って笑った。本ばかり構っている私には本の虫を通り越して本の恋人という称号がついた。不名誉なのか名誉なのかわからない。
私は手紙をカバンにしまった。千花はつまらなそうに口を窄めていた。
「まあいいんじゃない?これを機に一人くらい付き合ってみてもさ。」
千花は私の机に頬杖をついて適当に言ってのけた。千花は自分のことじゃないとすぐに飽きて興味を失う。そして適当になる。
私は窓の外に視線を移す。そして薄っすら思った。パンケーキが食べたいなと。
「ねえ。」
私は千花の注意を引く。
「何?」
私は千花の顔を見てはっきり言った。
「パンケーキ食べに行かない?」
放課後。日が沈み夜空がのぞく、青みがかったツツジ色の空が広がっている。ときどき赤にのぞく群青は美しかった。外には瑞々しい若い運動部の声が散らばっている。赤い光と金の光、柔らかい午後の風がカーテンにぶつかって揺らした。私の手元のノートに金と赤は滲んでいた。それが眩しくて少し顔を顰める。
結局、千花にしたパンケーキを食べに行こうという誘いは断られてしまった。ついでに、手紙に影響されてると笑われてしまった。だから今日もいつもと同じで誰もいない図書室で小説を書く。意味など持たない純粋な文字。
家に帰ったらどうしようか考える。想像するが騒々しくて嫌になる。家だと心が休まらない。自分のことも嫌いになる。だんだん嫌気が差して、苦しくなるから考えるのをやめノートに向き合った。