東大路通を自転車に乗って滑っていく。吐く息の白さがそのまま気温の低さを表しているようだ。ハンドルを握る手が痛い。風の冷たさで頬が切れてしまいそうだ。乾燥する目を瞬かせながら、レポート作成に使った本を返すため大学へと向かう。
コンテストの結果発表ページに、わたしの名前はなかった。
大賞に選ばれたのはどこかの誰かが撮った永観堂の紅葉風景で、準大賞が1作品、入賞が2作品、奨励賞、審査員賞など、合計で25点の作品が受賞していた。
まぁ、最初からうまくいくはずがない。そう自分に言い聞かせる一方で、何でこの写真が選ばれてわたしが受賞できなかったのだろう、わたしの写真との違いは何なのだろう、とも考えた。大賞の写真は全体的に彩度を上げすぎな気もするし、準大賞の東福寺の写真は空の部分が白飛びしそうなくらい明るすぎる。奨励賞に入っていた伏見稲荷大社の写真だって、SNSで散々見たことがあるお決まりの構図に思えてならない。
深く考えないようにしよう。そう自分に言い聞かせた。考え始めたらきりがないし、それで自分や他人を貶めるのは大人気ない。大人気ないけど、わたしはまだ未成年なので、バイトのシフトを少なめに提出したり、本の返却が1日遅れてしまったことは大目に見てほしい。みっちゃんとランチをする予定も、体調が悪いと言って断ってしまった。みっちゃんは何も聞かずに許してくれた。
結果が出たのが2月だったのは、不幸中の幸いだった。試験期間が終われば、大学は2ヶ月に渡る長い春休みに入る。試験中に結果が分かっていたら、単位をいくつか取りこぼしていたかもしれない。
コンテストに応募すると言った手前、間崎教授には結果を伝えなければいけない。そう思うのに、なかなか連絡をする気にはなれなかった。春休みを言い訳に、言うべきことを先延ばしにしている。
教授は、とても賢い人だから。一瞬でも顔を合わせたらきっと、すぐに見抜かれてしまうだろう。わたしがコンテストに落ちたことも、それをどう受けとめているかも。もう少し時間が経ったらメッセージを送ればいい。何かのついでに、何でもなかったことのように言えばいい。そうだ、大したことじゃないんだ、こんなこと。
そう思っていたのに、神様というのは意地悪だ。地下にある図書館に本を返し終えて文学部棟から出ようとすると、ばったりと教授に遭遇してしまった。「何してるんだ」なんて声までかけられたら、無視するわけにもいかなくて、口の端をぎこちなく上げる。
「ちょっと本を返しに」
1年前にもこんな会話をしたような気がする。この時期は顔を合わせたくなくても会ってしまう運命らしい。
「何だ。誰かに呼び出しでもくらったのかと思った」
「違いますよ。ようやく試験が全部終わって、春休みを満喫してるところです。こたつでぬくぬくしたり、漫画を読んだり、ひとり鍋したり、もう最高です」
嘘だった。結果が出てから漫画を読む気力もないし自炊をする体力もないのでコンビニ飯で済ませている。こたつでぬくぬくしているところしか合っていない。
教授はじっとわたしを見て、それから「少しいいか」と言った。正直早くこの場を離れたかったけれど、わたしの返事も聞かずに歩き出すので拒否できなかった。わたしは少し遅れて教授のあとを追った。
「食べるのを手伝ってくれないか。ついつい買いすぎてしまって」
教授室に着くなり、教授は棚からマグカップを二つ取り出した。机の上を見ると、そこには箱に入ったクッキーや小包装のマカロン、チョコレートなど、大量のお菓子が積まれていた。
「もう、散々人のことをばかにしといて、自分もじゃないですか」
ひとりで食べ切るには到底不可能な量を見て、思わず笑みがこぼれた。知恩寺で開かれた手づくり市に初めて行った時、同じようなことをしたのを思い出した。あの時わたしはついついお菓子を買いすぎて、教授におすそ分けをしにきたのだ。
まだ1年と少ししか経っていないのに、はるか昔のことのように感じた。1回生の頃は京都での暮らしが楽しくて、いろいろな場所を撮影できるのが嬉しくて、何も考えずに毎日を過ごしていればよかった。長かった受験勉強を終えて京都で過ごせる喜び、教授に知識を与えてもらえる嬉しさ、日々膨らんでいく好奇心と、それを満たす幸福。まるで毎日虹を発見するような幸運が続いていた。
「いらないなら食べなくてよろしい。せっかくいい紅茶も買ったのに」
「紅茶?」
卯晴(うはる)という店の紅茶だよ、と、教授がパッケージを見せる。座っていなさい、と言われて、わたしは大人しく椅子に腰を下ろした。いつもなら真っ先にお菓子に手を伸ばすのに、なぜだかそんな気にはなれなかった。
言わなくちゃ。フォトコンテスト、だめでしたって。いつもみたいに明るく言わなくちゃ。やっぱりわたしもまだまだですね、応援してくれたのにごめんなさい、また次頑張りますねって。
でも、言えない。
言えないわ、そんな悲しいこと。
だってわたし、みにくいもの。きっとわたしは自分の力を過信していたのだ。あれだけ賞の数が多いんだ、どこかしら入賞できるだろう。だってあの子が入賞できたんだから。そうやって、写真がすきなあの子に対抗心を燃やしていたのだ。わたしの方がキャリアも長い、わたしの方が教授に認められている、わたしの方がずっと真面目に写真と向き合ってきた。そうやって、知りもしないくせに勝手にあの子を下に見ていた、そのことに気づいてしまったのだ。どれだけお化粧をしても、どれだけ髪を伸ばしても、かわいくなれるはずがない。
「どうぞ」
教授がふたり分のマグカップを机の上に置き、向かい側に腰かけた。茶葉のよい香りにつられ、思わず手を伸ばす。火傷をしないように注意しながら一口飲む。
「おいしい……」
わたしの言葉を聞いた教授が、クッキーの包みを開けながら「そうでしょう」と微笑んだ。
「店内の雰囲気もよかったから、今度行ってみるといい。すきなんだろう、紅茶」
「すきです……」
わたしはマグカップを両手で包んだ。飲み込んだあとでも、紅茶のすっきりとした甘みが口の中に残っている。体の中心からあたたまっていく感覚がして、ああ、そういえば今日はとても寒かったなぁと窓の外を見た。
空は曇っていた。今にも雪が降り出しそうだ。去年はこの時期、金閣寺の雪景色を見るために早起きをした。今年もまた雪を見られるだろうか。ああ、こんな時でもわたしは、懲りずに写真を撮ろうとしている。
気づいたら、両目から涙が溢れていた。外はとても寒いのに、紅茶がとてもあたたかくて、なんだかほっとしてしまった。今まで必死に閉じ込めていたのに。泣かないようにしていたのに。まだ何も伝えていないのに。何も言われていないのに。どれだけ隠そうとしても、教授はいとも簡単に、わたしの心を開けてしまう。
初めてカメラを持ったのは小学5年生の時だった。わたしは大した趣味を持たないつまらない子供で、母にむりやり習わされたピアノや習字だってちっとも続かなくて、友だちが夢中になっていたアイドルにも興味が持てない、平凡でかわいげのない人間だった。「将来の夢は?」なんて聞かれても「特にないです」「分からないです」と首を振るか、空気を読んで「ケーキ屋さん」「お嫁さん」なんて大人が望む回答をする、ずるい一面もあった。
わたしの父はカメラがすきだった。生まれたばかりの時、七五三を迎えた時、家族で旅行に行った時。父はいつも大きくて重量感のあるカメラで撮影してくれた。週末になると写真仲間と撮影に出かけていく、その背中をいつも見送っていた。わたしに趣味を押しつけない人だったから、どんな写真を撮っているのか、小学5年生になってもあまりよく知らなかった。興味がなかった。
だけどある日、わたしはとても暇だったのだ。暇だ暇だとこぼしていたら、「琴子も一緒に来る?」と誘われて、父の撮影に同行することになった。出かけたのは家から3時間ほどのところにある上高地だった。父も、写真仲間のおじさんたちも、こぞってシャッターを切っていた。一体何を撮っているんだろう。そこには何もないのに。何の変哲もない風景なのに。そう思っていたけれど、父の撮った穂高連峰と大正池の写真を見た時に、わたしは初めて心が震えた。愛しいと思った。
もちろん、それまでに父の写真を見たことがないわけではなかった。だけど実際に目で見た風景がこうして写真におさまるのだと知ると、その感動はまた色を変えた。それは初めてジェットコースターに乗った時のように衝撃的だった。いつも何気なく見ている風景は、魔法のように変化するのだと気づいた。
母の反対を押し切って、父は高価なカメラを買ってくれた。たくさん頑張ろうと思った。わたしだけの武器がほしかった。要領はすぐにつかめた。勉強と同じだ。基礎さえ分かれば撮影できる。コツをつかめばどうとでもなる。
わたしが今までフォトコンテストの類に出さなかったのは、評価されることをおそれたからだ。こわかったのだ、ずっと。わたしのたった一つの武器がなくなるような気がして。わたしのたった一つの宝物を取り上げられるような気がして。人と比べて劣っていると自覚するのがこわかったのだ。だから写真をやっていることも大学生になるまで家族以外に打ち明けたことがなかった。わたしの写真を知っているのは友人であるみっちゃんと――この人だけ。
あなたは知らないでしょう。金福寺で撮ったわたしの写真を「美しい」と言ってくれた、それがどれだけ特別なことだったか。それがどれだけわたしの心を満たしたか、あなたは知らないでしょう。
教授が突然立ち上がり、棚の方へ歩いていった。わたしは慌てて鼻をすすり、教授に見られないよう手の甲で涙を拭った。
「この間、君のくれた写真を整理していたんだ」
戻ってきた教授がお菓子を端に除けて、机の上にアルバムを広げた。息を呑んだ。
そこには、わたしが今まで撮影した写真が丁寧にしまわれていた。パソコンの画面で見るだけでは、なんだか味気ないでしょう。少し照れくさそうに言いながら、教授はゆっくりとアルバムをめくり始めた。
「最初に行ったのは金福寺だったね。芭蕉庵に降り注ぐ木漏れ日や、本堂から見える庭園の美しさに感動したよ。……永観堂の新緑も見事だ。一緒に行っておけばよかったと後悔したのを覚えている。どれも気に入っているが、やはり源光庵のこの写真は、差し込む光がとても見事だ」
そこにあったのは、わたしがフォトコンテストに応募した写真だった。応募して、落選した写真だった。2回生になって、改めてカメラと向き合って、勉強をして、試行錯誤して。迷いながら、ようやく撮れた1枚だった。自分でもよく撮れていると思った。これまでの努力が報われたような気がして嬉しかった。教授も気に入ってくれた1枚だった。それでも落選した。頑張ったのに報われなかった。自己満足だと言われた気がした。
「私にとって写真は、記憶そのものだ」
そう、教授は続けた。
「人の記憶はあいまいだから、どれだけ忘れたくないと願っても、いともたやすく消えてしまう。そうしないために、記録し、記憶する。それが私にとっての写真なんだよ」
教授の一言一言が、音もなく降り積もる雪のように、わたしの心に積もっていく。わたしの写真を見るその眼差しがとても優しいことに気づいて、ああ、そういえばこの人は、いつもこんな目をしていたな、と思った。
髪を伸ばしていてよかった。うつむいた時に長い黒髪が垂れ下がり、わたしの濡れた頬を隠してくれる。紅茶なんて飲まなきゃよかった。体がじんわりとあたたまって、涙もろくなってしまう。
「君と違ってカメラに詳しくないから、技術的なことは分からないが」
わたしは目を閉じて、嗚咽が漏れないように両手で口元を覆った。
「私は、君の写真が一番すきだよ」
その言葉がどれだけわたしを救うのか、あなたは知らない。
コンテストの結果発表ページに、わたしの名前はなかった。
大賞に選ばれたのはどこかの誰かが撮った永観堂の紅葉風景で、準大賞が1作品、入賞が2作品、奨励賞、審査員賞など、合計で25点の作品が受賞していた。
まぁ、最初からうまくいくはずがない。そう自分に言い聞かせる一方で、何でこの写真が選ばれてわたしが受賞できなかったのだろう、わたしの写真との違いは何なのだろう、とも考えた。大賞の写真は全体的に彩度を上げすぎな気もするし、準大賞の東福寺の写真は空の部分が白飛びしそうなくらい明るすぎる。奨励賞に入っていた伏見稲荷大社の写真だって、SNSで散々見たことがあるお決まりの構図に思えてならない。
深く考えないようにしよう。そう自分に言い聞かせた。考え始めたらきりがないし、それで自分や他人を貶めるのは大人気ない。大人気ないけど、わたしはまだ未成年なので、バイトのシフトを少なめに提出したり、本の返却が1日遅れてしまったことは大目に見てほしい。みっちゃんとランチをする予定も、体調が悪いと言って断ってしまった。みっちゃんは何も聞かずに許してくれた。
結果が出たのが2月だったのは、不幸中の幸いだった。試験期間が終われば、大学は2ヶ月に渡る長い春休みに入る。試験中に結果が分かっていたら、単位をいくつか取りこぼしていたかもしれない。
コンテストに応募すると言った手前、間崎教授には結果を伝えなければいけない。そう思うのに、なかなか連絡をする気にはなれなかった。春休みを言い訳に、言うべきことを先延ばしにしている。
教授は、とても賢い人だから。一瞬でも顔を合わせたらきっと、すぐに見抜かれてしまうだろう。わたしがコンテストに落ちたことも、それをどう受けとめているかも。もう少し時間が経ったらメッセージを送ればいい。何かのついでに、何でもなかったことのように言えばいい。そうだ、大したことじゃないんだ、こんなこと。
そう思っていたのに、神様というのは意地悪だ。地下にある図書館に本を返し終えて文学部棟から出ようとすると、ばったりと教授に遭遇してしまった。「何してるんだ」なんて声までかけられたら、無視するわけにもいかなくて、口の端をぎこちなく上げる。
「ちょっと本を返しに」
1年前にもこんな会話をしたような気がする。この時期は顔を合わせたくなくても会ってしまう運命らしい。
「何だ。誰かに呼び出しでもくらったのかと思った」
「違いますよ。ようやく試験が全部終わって、春休みを満喫してるところです。こたつでぬくぬくしたり、漫画を読んだり、ひとり鍋したり、もう最高です」
嘘だった。結果が出てから漫画を読む気力もないし自炊をする体力もないのでコンビニ飯で済ませている。こたつでぬくぬくしているところしか合っていない。
教授はじっとわたしを見て、それから「少しいいか」と言った。正直早くこの場を離れたかったけれど、わたしの返事も聞かずに歩き出すので拒否できなかった。わたしは少し遅れて教授のあとを追った。
「食べるのを手伝ってくれないか。ついつい買いすぎてしまって」
教授室に着くなり、教授は棚からマグカップを二つ取り出した。机の上を見ると、そこには箱に入ったクッキーや小包装のマカロン、チョコレートなど、大量のお菓子が積まれていた。
「もう、散々人のことをばかにしといて、自分もじゃないですか」
ひとりで食べ切るには到底不可能な量を見て、思わず笑みがこぼれた。知恩寺で開かれた手づくり市に初めて行った時、同じようなことをしたのを思い出した。あの時わたしはついついお菓子を買いすぎて、教授におすそ分けをしにきたのだ。
まだ1年と少ししか経っていないのに、はるか昔のことのように感じた。1回生の頃は京都での暮らしが楽しくて、いろいろな場所を撮影できるのが嬉しくて、何も考えずに毎日を過ごしていればよかった。長かった受験勉強を終えて京都で過ごせる喜び、教授に知識を与えてもらえる嬉しさ、日々膨らんでいく好奇心と、それを満たす幸福。まるで毎日虹を発見するような幸運が続いていた。
「いらないなら食べなくてよろしい。せっかくいい紅茶も買ったのに」
「紅茶?」
卯晴(うはる)という店の紅茶だよ、と、教授がパッケージを見せる。座っていなさい、と言われて、わたしは大人しく椅子に腰を下ろした。いつもなら真っ先にお菓子に手を伸ばすのに、なぜだかそんな気にはなれなかった。
言わなくちゃ。フォトコンテスト、だめでしたって。いつもみたいに明るく言わなくちゃ。やっぱりわたしもまだまだですね、応援してくれたのにごめんなさい、また次頑張りますねって。
でも、言えない。
言えないわ、そんな悲しいこと。
だってわたし、みにくいもの。きっとわたしは自分の力を過信していたのだ。あれだけ賞の数が多いんだ、どこかしら入賞できるだろう。だってあの子が入賞できたんだから。そうやって、写真がすきなあの子に対抗心を燃やしていたのだ。わたしの方がキャリアも長い、わたしの方が教授に認められている、わたしの方がずっと真面目に写真と向き合ってきた。そうやって、知りもしないくせに勝手にあの子を下に見ていた、そのことに気づいてしまったのだ。どれだけお化粧をしても、どれだけ髪を伸ばしても、かわいくなれるはずがない。
「どうぞ」
教授がふたり分のマグカップを机の上に置き、向かい側に腰かけた。茶葉のよい香りにつられ、思わず手を伸ばす。火傷をしないように注意しながら一口飲む。
「おいしい……」
わたしの言葉を聞いた教授が、クッキーの包みを開けながら「そうでしょう」と微笑んだ。
「店内の雰囲気もよかったから、今度行ってみるといい。すきなんだろう、紅茶」
「すきです……」
わたしはマグカップを両手で包んだ。飲み込んだあとでも、紅茶のすっきりとした甘みが口の中に残っている。体の中心からあたたまっていく感覚がして、ああ、そういえば今日はとても寒かったなぁと窓の外を見た。
空は曇っていた。今にも雪が降り出しそうだ。去年はこの時期、金閣寺の雪景色を見るために早起きをした。今年もまた雪を見られるだろうか。ああ、こんな時でもわたしは、懲りずに写真を撮ろうとしている。
気づいたら、両目から涙が溢れていた。外はとても寒いのに、紅茶がとてもあたたかくて、なんだかほっとしてしまった。今まで必死に閉じ込めていたのに。泣かないようにしていたのに。まだ何も伝えていないのに。何も言われていないのに。どれだけ隠そうとしても、教授はいとも簡単に、わたしの心を開けてしまう。
初めてカメラを持ったのは小学5年生の時だった。わたしは大した趣味を持たないつまらない子供で、母にむりやり習わされたピアノや習字だってちっとも続かなくて、友だちが夢中になっていたアイドルにも興味が持てない、平凡でかわいげのない人間だった。「将来の夢は?」なんて聞かれても「特にないです」「分からないです」と首を振るか、空気を読んで「ケーキ屋さん」「お嫁さん」なんて大人が望む回答をする、ずるい一面もあった。
わたしの父はカメラがすきだった。生まれたばかりの時、七五三を迎えた時、家族で旅行に行った時。父はいつも大きくて重量感のあるカメラで撮影してくれた。週末になると写真仲間と撮影に出かけていく、その背中をいつも見送っていた。わたしに趣味を押しつけない人だったから、どんな写真を撮っているのか、小学5年生になってもあまりよく知らなかった。興味がなかった。
だけどある日、わたしはとても暇だったのだ。暇だ暇だとこぼしていたら、「琴子も一緒に来る?」と誘われて、父の撮影に同行することになった。出かけたのは家から3時間ほどのところにある上高地だった。父も、写真仲間のおじさんたちも、こぞってシャッターを切っていた。一体何を撮っているんだろう。そこには何もないのに。何の変哲もない風景なのに。そう思っていたけれど、父の撮った穂高連峰と大正池の写真を見た時に、わたしは初めて心が震えた。愛しいと思った。
もちろん、それまでに父の写真を見たことがないわけではなかった。だけど実際に目で見た風景がこうして写真におさまるのだと知ると、その感動はまた色を変えた。それは初めてジェットコースターに乗った時のように衝撃的だった。いつも何気なく見ている風景は、魔法のように変化するのだと気づいた。
母の反対を押し切って、父は高価なカメラを買ってくれた。たくさん頑張ろうと思った。わたしだけの武器がほしかった。要領はすぐにつかめた。勉強と同じだ。基礎さえ分かれば撮影できる。コツをつかめばどうとでもなる。
わたしが今までフォトコンテストの類に出さなかったのは、評価されることをおそれたからだ。こわかったのだ、ずっと。わたしのたった一つの武器がなくなるような気がして。わたしのたった一つの宝物を取り上げられるような気がして。人と比べて劣っていると自覚するのがこわかったのだ。だから写真をやっていることも大学生になるまで家族以外に打ち明けたことがなかった。わたしの写真を知っているのは友人であるみっちゃんと――この人だけ。
あなたは知らないでしょう。金福寺で撮ったわたしの写真を「美しい」と言ってくれた、それがどれだけ特別なことだったか。それがどれだけわたしの心を満たしたか、あなたは知らないでしょう。
教授が突然立ち上がり、棚の方へ歩いていった。わたしは慌てて鼻をすすり、教授に見られないよう手の甲で涙を拭った。
「この間、君のくれた写真を整理していたんだ」
戻ってきた教授がお菓子を端に除けて、机の上にアルバムを広げた。息を呑んだ。
そこには、わたしが今まで撮影した写真が丁寧にしまわれていた。パソコンの画面で見るだけでは、なんだか味気ないでしょう。少し照れくさそうに言いながら、教授はゆっくりとアルバムをめくり始めた。
「最初に行ったのは金福寺だったね。芭蕉庵に降り注ぐ木漏れ日や、本堂から見える庭園の美しさに感動したよ。……永観堂の新緑も見事だ。一緒に行っておけばよかったと後悔したのを覚えている。どれも気に入っているが、やはり源光庵のこの写真は、差し込む光がとても見事だ」
そこにあったのは、わたしがフォトコンテストに応募した写真だった。応募して、落選した写真だった。2回生になって、改めてカメラと向き合って、勉強をして、試行錯誤して。迷いながら、ようやく撮れた1枚だった。自分でもよく撮れていると思った。これまでの努力が報われたような気がして嬉しかった。教授も気に入ってくれた1枚だった。それでも落選した。頑張ったのに報われなかった。自己満足だと言われた気がした。
「私にとって写真は、記憶そのものだ」
そう、教授は続けた。
「人の記憶はあいまいだから、どれだけ忘れたくないと願っても、いともたやすく消えてしまう。そうしないために、記録し、記憶する。それが私にとっての写真なんだよ」
教授の一言一言が、音もなく降り積もる雪のように、わたしの心に積もっていく。わたしの写真を見るその眼差しがとても優しいことに気づいて、ああ、そういえばこの人は、いつもこんな目をしていたな、と思った。
髪を伸ばしていてよかった。うつむいた時に長い黒髪が垂れ下がり、わたしの濡れた頬を隠してくれる。紅茶なんて飲まなきゃよかった。体がじんわりとあたたまって、涙もろくなってしまう。
「君と違ってカメラに詳しくないから、技術的なことは分からないが」
わたしは目を閉じて、嗚咽が漏れないように両手で口元を覆った。
「私は、君の写真が一番すきだよ」
その言葉がどれだけわたしを救うのか、あなたは知らない。