「へぇー。京都って、そんな言い伝えがあるんだね」
宗旦ぎつねの言い伝えを話すと、みっちゃんはめずらしく興味深そうに身を乗り出した。
「でしょ。わたしも全然知らなかったけど、行願寺の幽霊絵馬とか、六角堂のへそ石とか……調べたらいろいろ出てきたの」
「間崎教授って本当に何でも知ってるんだね。歩く百科事典だな」
「本当に。いつからあんなに京都に詳しいんだろう」
わたしは目の前にあるクリームソーダをストローで吸い上げた。甘い炭酸が口の中でしゅわしゅわ弾ける。
わたしたちが今いるのは、寺町通にある「SHIN-SETSU(シンセツ)」という喫茶店だ。クリームソーダの専門店ということもあり、メニューに掲載されているクリームソーダの種類がとんでもなく多い。メロン、マスカット、カシス、ラベンダー、ハイビスカス、チェリーライム……と、まるで虹のように美しい文字が連なっていて、選ぶのに相当時間がかかった。
悩んだ末わたしが注文したのはブルーキュラソー、みっちゃんが頼んだのはオーソドックスなメロンだ。鮮やかな液体の上に、バニラアイスとさくらんぼが乗っている。店内も非常に個性的で、クリームソーダと同じようにカラフルなイラストが飾られていたり、天井からはシャンデリアのような照明が下げられていたり、と、見ているだけでもおもしろい。
「それにしても、あっという間に夏休みも終わっちゃったよねぇ」
バニラアイスをスプーンですくい上げながら、みっちゃんがため息をついた。
「大学生になってから、時の流れが早く感じる。何で? 歳か? 歳なのか?」
「歳って。この間ハタチになったばっかりでしょ」
「まぁ、そうなんだけどさぁ……琴子は誕生日、3月だったよね」
「うん。3月20日」
「いいな。早生まれって若くて」
「そんな変わらないと思うけど……。それに、お酒とかまだ飲めないし。バイト先でお客さんに勧められる時もあるんだけど、遠慮するのが申し訳なくて」
バイト先である「花の」では常連客が多く、わたしのようなバイトにも気さくに話しかけてくれる。生ビールをご馳走してくれることもあるのだけれど、先輩がご馳走になっている隣で、未成年のわたしはいつも辞退するしかないのだ。
同級生が誕生日を迎え、お酒を飲んでいるのを見ると、早く大人になりたい、と思う。ハタチを迎えたら、自分の中で何かが変わるような気がする。そんなの、子供の幻想かもしれないけれど。
「へぇー、そんなこともあるんだね。バイトはどう? 忙しい?」
「忙しい時もあるけど、楽しいよ。お客さんは常連さんばっかりだし、帰りにお菓子くれるし、まかないはおいしいし」
食べ物のことばっかじゃん……、と、みっちゃんが目を細める。ちょっとメイクを覚えても、結局琴子は色気より食い気かぁ。なんて、わたしの母のようなことを言ってくるので、少しへこんだ。
「夏休みにがっつり稼いだおかげで、ようやくカメラ買えるんだ。大金すぎてまだ勇気が出ないけど……」
「琴子は本当に写真がすきだねぇ。フォトコンテストとかには応募しないの?」
「フォトコンテスト?」
そう、とみっちゃんがうなずく。わたしはさくらんぼを指でつまみながらうーんと唸った。
「応募したことは全然ないなぁ。カメラはただすきだからやってるだけで……」
「そうなんだ。丹羽さんもカメラやってたよね。知ってる?」
「ニワさん?」
「そう。系が違うから会わないかな。ほら、髪が長くて、ふわふわした、いかにも女子って感じの……」
「ああ……」
思い出した。確か、間崎教授のファンの子だ。去年、文学部の特別講義で石清水八幡宮に行った時、カメラを持って教授に話しかけていた。同じ学部だからすれ違うことくらいはあるけれど、一度も話したことがない。なんとなく、気が合わないような気がしている。
「あの子、何かのフォトコンで入賞したらしいよ。優秀賞? だったかな。この間食堂で話してたのが聞こえてきたんだ」
「……へぇー。そうなんだ」
わたしは平坦な声で応えた。しまった、たぶんわたし今、顔が固まっている。指でつまんださくらんぼを、なかなか口に運ぶことができない。何か話さなきゃ、と思うのに、それ以上言葉が出てこなかった。みっちゃんは何かを察したのか、「ま、詳しくは知らないんだけど」と早口で言った。
「賞獲ったりすることだけが目的じゃないしね。すきだから撮る、それだけで十分だし」
「……そうだね。わたし、あんまり競ったりするの向いてないし」
わたしはなんとかそう言って、ようやくさくらんぼを口に含んだ。甘い粒が口の中でころころ転がる。
フォトコンテスト、なんて、考えたこともなかった。わたしがカメラを始めたのは父の影響で、その父もそういう類のものには興味を持っていなかったような気がする。ただすきだから写真を撮る、それでいいと思っていた。別に、プロになるわけじゃ、ないし。
その日、部屋に帰ったわたしは、パソコンを開いて今まで撮影した写真を眺めていた。京都に来てから、ずいぶんたくさん写真を撮った。大半が教授と一緒に訪れた場所ばかりで、眺めているだけでその時の記憶が鮮明によみがえってくる。
1番古いデータは、金福寺の写真だった。恵文社で偶然出会ったわたしたちは、言い争っているうちになぜかそのまま金福寺に行くことになったのだ。あの時は今より全然京都についての知識がなくて、金福寺という名前すら知らなかった。教授と行って初めて、わたしは京都の美しさを知ったのだ。
その夜、わたしは日付が変わってもパソコンの前から動かなかった。昼間に飲んだクリームソーダの炭酸のように、しゅわしゅわ、しゅわしゅわ。心の中で、何かが弾けた。
宗旦ぎつねの言い伝えを話すと、みっちゃんはめずらしく興味深そうに身を乗り出した。
「でしょ。わたしも全然知らなかったけど、行願寺の幽霊絵馬とか、六角堂のへそ石とか……調べたらいろいろ出てきたの」
「間崎教授って本当に何でも知ってるんだね。歩く百科事典だな」
「本当に。いつからあんなに京都に詳しいんだろう」
わたしは目の前にあるクリームソーダをストローで吸い上げた。甘い炭酸が口の中でしゅわしゅわ弾ける。
わたしたちが今いるのは、寺町通にある「SHIN-SETSU(シンセツ)」という喫茶店だ。クリームソーダの専門店ということもあり、メニューに掲載されているクリームソーダの種類がとんでもなく多い。メロン、マスカット、カシス、ラベンダー、ハイビスカス、チェリーライム……と、まるで虹のように美しい文字が連なっていて、選ぶのに相当時間がかかった。
悩んだ末わたしが注文したのはブルーキュラソー、みっちゃんが頼んだのはオーソドックスなメロンだ。鮮やかな液体の上に、バニラアイスとさくらんぼが乗っている。店内も非常に個性的で、クリームソーダと同じようにカラフルなイラストが飾られていたり、天井からはシャンデリアのような照明が下げられていたり、と、見ているだけでもおもしろい。
「それにしても、あっという間に夏休みも終わっちゃったよねぇ」
バニラアイスをスプーンですくい上げながら、みっちゃんがため息をついた。
「大学生になってから、時の流れが早く感じる。何で? 歳か? 歳なのか?」
「歳って。この間ハタチになったばっかりでしょ」
「まぁ、そうなんだけどさぁ……琴子は誕生日、3月だったよね」
「うん。3月20日」
「いいな。早生まれって若くて」
「そんな変わらないと思うけど……。それに、お酒とかまだ飲めないし。バイト先でお客さんに勧められる時もあるんだけど、遠慮するのが申し訳なくて」
バイト先である「花の」では常連客が多く、わたしのようなバイトにも気さくに話しかけてくれる。生ビールをご馳走してくれることもあるのだけれど、先輩がご馳走になっている隣で、未成年のわたしはいつも辞退するしかないのだ。
同級生が誕生日を迎え、お酒を飲んでいるのを見ると、早く大人になりたい、と思う。ハタチを迎えたら、自分の中で何かが変わるような気がする。そんなの、子供の幻想かもしれないけれど。
「へぇー、そんなこともあるんだね。バイトはどう? 忙しい?」
「忙しい時もあるけど、楽しいよ。お客さんは常連さんばっかりだし、帰りにお菓子くれるし、まかないはおいしいし」
食べ物のことばっかじゃん……、と、みっちゃんが目を細める。ちょっとメイクを覚えても、結局琴子は色気より食い気かぁ。なんて、わたしの母のようなことを言ってくるので、少しへこんだ。
「夏休みにがっつり稼いだおかげで、ようやくカメラ買えるんだ。大金すぎてまだ勇気が出ないけど……」
「琴子は本当に写真がすきだねぇ。フォトコンテストとかには応募しないの?」
「フォトコンテスト?」
そう、とみっちゃんがうなずく。わたしはさくらんぼを指でつまみながらうーんと唸った。
「応募したことは全然ないなぁ。カメラはただすきだからやってるだけで……」
「そうなんだ。丹羽さんもカメラやってたよね。知ってる?」
「ニワさん?」
「そう。系が違うから会わないかな。ほら、髪が長くて、ふわふわした、いかにも女子って感じの……」
「ああ……」
思い出した。確か、間崎教授のファンの子だ。去年、文学部の特別講義で石清水八幡宮に行った時、カメラを持って教授に話しかけていた。同じ学部だからすれ違うことくらいはあるけれど、一度も話したことがない。なんとなく、気が合わないような気がしている。
「あの子、何かのフォトコンで入賞したらしいよ。優秀賞? だったかな。この間食堂で話してたのが聞こえてきたんだ」
「……へぇー。そうなんだ」
わたしは平坦な声で応えた。しまった、たぶんわたし今、顔が固まっている。指でつまんださくらんぼを、なかなか口に運ぶことができない。何か話さなきゃ、と思うのに、それ以上言葉が出てこなかった。みっちゃんは何かを察したのか、「ま、詳しくは知らないんだけど」と早口で言った。
「賞獲ったりすることだけが目的じゃないしね。すきだから撮る、それだけで十分だし」
「……そうだね。わたし、あんまり競ったりするの向いてないし」
わたしはなんとかそう言って、ようやくさくらんぼを口に含んだ。甘い粒が口の中でころころ転がる。
フォトコンテスト、なんて、考えたこともなかった。わたしがカメラを始めたのは父の影響で、その父もそういう類のものには興味を持っていなかったような気がする。ただすきだから写真を撮る、それでいいと思っていた。別に、プロになるわけじゃ、ないし。
その日、部屋に帰ったわたしは、パソコンを開いて今まで撮影した写真を眺めていた。京都に来てから、ずいぶんたくさん写真を撮った。大半が教授と一緒に訪れた場所ばかりで、眺めているだけでその時の記憶が鮮明によみがえってくる。
1番古いデータは、金福寺の写真だった。恵文社で偶然出会ったわたしたちは、言い争っているうちになぜかそのまま金福寺に行くことになったのだ。あの時は今より全然京都についての知識がなくて、金福寺という名前すら知らなかった。教授と行って初めて、わたしは京都の美しさを知ったのだ。
その夜、わたしは日付が変わってもパソコンの前から動かなかった。昼間に飲んだクリームソーダの炭酸のように、しゅわしゅわ、しゅわしゅわ。心の中で、何かが弾けた。