春の足音が日に日に近づいてくるのを感じるのが、すき。
太陽光のやわらかさだったり、頬を撫でる風のさわやかさ。花の香り、小鳥のさえずり、コートを脱いだ体の身軽さ。もうずいぶんあたたかいですねぇ、そうですねぇ、っていう、クリーニング屋さんでのやりとり。こたつや毛布をしまいこんで、窓をちょっぴり開けちゃって、遠くに見える山々の鮮やかさが増していくのを、心ゆくまで眺めてみる。ブーツはもう靴棚の中、カイロは一番奥にしまって、パステルカラーの服を取り出しちゃったりなんかして、どうしよう、まだ寒いかな、でももう春だしな、なんてそわそわする。
だから、わたしは春がすき。
いつの間にか、大学に入学して1年近くが経とうとしていた。気がつけばまた1つ年を取って、そういえば朝自分で起きるのも、自分で朝食を用意するのも、ひとりでご飯を食べるのも、あたりまえのことになったなぁ、なんてしみじみ思う。
実はこの間、1週間だけ実家に帰った。久しぶりに味わう母のご飯も、高校時代の制服も、懐かしさを感じるものになっていることに驚いた。わたしにカメラを教えてくれた父に京都で撮った写真を見せて、「こんなにきれいだったよ」「こんなにおもしろかったよ」なんて言いながら親子のスキンシップを取っていたら、なんだかふっと京都が恋しくなってしまった。
そういうわけで、本当だったらもう少し実家でのんびりするつもりだったのだけれど、急遽荷物をまとめて京都に帰ることにしたのだ。名古屋から京都まで、新幹線で約30分。流れていく景色を眺めていたら、わたしの心を読んだように、間崎教授から連絡が来た。たった一文。唐突、そして素っ気ない。だけど誘い文句として、これ以上のものはない。
『無鄰菴(むりんあん)に行かないか』
つい先日、梅の花を見にいったばかりのわたしたち。目的地はいつだって気まぐれで、それはいつも、あれが見たい、あそこに行きたい、あの写真を撮りたい、撮ってほしい、とか、大体、どちらかの願望を叶えるためのもの。だから今日ここに誘われたのも、単なる教授の気まぐれで、撮影係として呼ばれたのかと思っていた。
頭上に広がるのは、うっすらと雲がかった空。確か、こういう空を花曇り、というらしい。春は、移動性高気圧の晴天と低気圧の悪天候との間隔が短いので、雲が多いのだと。それを知っているから、曇りだからといって気分が下がることはない。
今回の目的地である無鄰菴は、南禅寺の近く、京都市動物園のすぐそばにある。仁王門通から一本細い路地に入ると、「名勝 無鄰菴庭園」と刻まれた石碑が立つ入り口が見えてくる。手前にある駒札には、無鄰菴の歴史が事細かに記載されていた。
「無鄰菴って、山縣有朋の別荘なんですね」
日本史の教科書に登場するおかげで、第3代内閣総理大臣である山縣有朋の名は、わたしでも知っている。「日本軍閥の祖」という異名を持ちながら、政治家としても偉大な功績を残した人物だ。
そうだよ、とうなずくのは、わたしをここに連れてきた張本人である間崎教授だ。会うのは宝ヶ池公園に行って以来なので、そんなに時間は経っていないのだけれど、薄着のジャケットに白シャツと、もうすっかり春の出で立ちである。
「無鄰菴は日本に3ヶ所あってね。一つ目は、山縣有朋の故郷である下関に。二つ目は京都の木屋町二条に。そして三つ目がここ」
今日も今日とて、教授は無尽蔵な知識の一部をわたしに分け与える。その知識はいつだってわたしの五感を敏感にして、自分ひとりでは手に入らない感動を生み出すのだ。これは、この一年間、教授といて知ったこと。だからわたしは、教授の言葉を一言も聴き逃すまいと耳をすませ、その知識を脳裏に刻んで、よし、と自分を奮い立たせる。
「わたし、今日も頑張って写真を撮りますね!」
そんなわたしを見て、教授はふっと微笑んだ。
「今日は、そんなに頑張らなくていい」
「えっ?」
どうして、と尋ねるより早く、彼はさっさと先に進んでいった。いつもなら「いい写真を頼む」とか言ってプレッシャーをかけてくるくせに。一体なぜ、そんなことを言うのだろう。一抹の不安を感じながら、わたしは慌ててあとを追いかけた。
入り口を抜けてすぐのところにある受付で入場料を払うと、かるたの札のようなチケットを渡された。表面に文字が書かれている。
『苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽(うえ)る』
「これは何ですか?」
気になって尋ねると、受付の方がああ、と身を乗り出した。
「山縣有朋が庭園を愛でた言葉を記しているんですよ」
わたしと教授はお互いのチケットをのぞき込んだ。教授の方には「従来の人は重に池をこしらへたが、自分は夫(これ)より川の方が趣致(しゅち)がある」と書かれている。この言葉が無鄰菴を愛でたものなら、この先どんな景色が見られるのだろう。そう考えただけで気分が高揚する。ああ、毎日はこんなにも、好奇心で溢れている!
受付の右手には小さなくぐり戸があった。忍者のように身を屈めてくぐり抜けると、広い庭園が目の前に現れた。春の少し手前の顔をした、薄い色の芝生が視界いっぱいに広がって、水のさらさらと流れる音が一気に押し寄せ、わたしの視覚と聴覚を支配した。もみや松の木、そして遠くに見える山が、庭の四方をぐるりと囲んでいる。
さっきまで車が通っていたのに、人がたくさんいたのに、それらの存在は一瞬でどこかに吹き飛んでしまった。都会的なものはもう何も見えない。小鳥のさえずり、風の音、水のせせらぎ、あと、何だろう。春の香り。左手には母屋があって、右手には洋館。無鄰菴会議が行われた場所だよ、と教授が言った。日露戦争直前の外交方針を決める歴史的な会合が、まさにここで開催されたのだ。
母屋に上がると、座布団が敷いてあって、ゆっくりと過ごせるようになっていた。教授と並んで座布団の上に座り、カメラを構えるのを忘れてしばし休息。風がするりと頬を撫でて心地いい。
『苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽る』
チケットに書かれていた言葉が、頭の中で浮かび上がる。そういえば、光明院や祇王寺の庭には苔が茂っていたっけ。だけどここでは苔ではなくて芝生が主役だ。
「こういうお庭に芝生って、めずらしい気がします。庭園というと、なんだか苔のイメージが強くて……」
「山縣有朋が指示したんだよ。全体に芝生をはって、故郷のイメージの庭を作ってほしいと」
有朋の故郷って、どんなところだろう。下関には行ったことがないわたしには、想像することしかできない。だけどきっとそこは、今目の前にあるような景色なんだろう。自然が五感を支配して、煩わしいものが何にもなくて、日常を忘れさせてくれる。ううん、有朋にとってはきっと、この景色こそが、「日常」だったのかも。だからこそ、芝生をはったんだ。
「他にはどんな指示をしたんですか?」
「そうだな……ほら、真正面に東山が見えるだろう。有朋は真正面に見える東山を、借景ではなく庭のメインとして取り入れることを指示したんだ。あとは、池に水をためるのではなくお庭全体に流れを出すような、躍動的な水の流れを作ってほしいと」
「それってもしかして、チケットに書いてあった……」
『従来の人は重に池をこしらへたが、自分は夫より川の方が趣致がある』
その言葉通り、水のせせらぎは絶えることがない。ああ、そうか。風がこんなにも心地いいのは、心がこんなにも穏やかなのは、この、川のせせらぎに包まれているからか。芝生の感覚を楽しむように、小鳥がちゅんちゅんとさえずっている。すべての音が混じり合って、わたしの心をやわらかくする。
今の話を聞かなければ、チケットに書かれた言葉の意味も分からず、有朋のこだわりにも気づかないままだっただろう。いつだってわたしの感覚は、あなたの知識で潤う。だからこそ、取りこぼしてはいけない、といつも思う。何も知らずに表面だけを見て、ただなんとなく美しさを愛でているだけでは、思い出に深みが出ない。いつだって、深く、深く、心に刻みたい。歴史を。思いを。
聞きたいことがたくさんあった。京都で暮らしたこの1年、いろいろなところを巡って、いろいろな話を聞いて、教えてもらった。この目で、この耳で、この肌で、歴史を感じた。だけどこうしてふたりで座って、美しさの詰まった庭園を見ていたら、言葉はもういらないと思った。
「あの、教授」
沈黙に身を委ねようとしたけれど、その前にどうしても、気になることがあった。
「どうして、さっきあんなことを言ったんですか」
「あんなこと?」
「『頑張らなくていい』って……」
尋ねてから、ふと、言い知れぬ不安が胸を襲った。いつもは「いい写真を頼む」なんて言われて、撮影係にされるのを不満に思ったりもしていたけれど、いざ不要だと言われると、それはそれでこわくなる。もしかして、わたしの写真は必要とされていないんじゃないかしら、と、存在意義を見失う。だってこの写真だけが、わたしとあなたを繋いでいるんだから。
だけど教授は、そんなわたしの不安を吹き飛ばすようにからっとした笑顔を見せた。
「もちろん、写真が不要というわけではないけれど……今日は純粋に、君をここに連れてきたかったんだ」
「どういう意味ですか?」
「親元を離れて慣れない土地で1年間学業を頑張りました、というのと……」
それから、ちょっと照れくさそうに、
「たくさん写真を撮ってくれたカメラマンに、お疲れさま、を」
言葉がすぐに、出てこなかった。びっくりした、だけじゃない。驚きと、嬉しさが入り混じって、喉が急に閉じてしまった。教授は大して特別なことを言った様子もなく、すぐにわたしから庭園へと視線を移した。わたしひとりだけがいつまでもいつまでも、言われたことを反復して、こんなに景色が素敵だっていうのに、自分の膝元ばかりを見ている。今顔を上げたらきっと、理由の分からない涙がぽろっとこぼれてしまいそうだった。
どうしてこんな気持ちになるんだろう。どうして瞳が潤むんだろう。わたしは別に、教授に言われたから写真を撮っていたわけじゃない。始まりはたぶん茂庵だった。あの、吉田山の山頂で、一言も言葉を交わさずに過ごした時間。あの時共有したのは空気だけで、教授がどう思っていたのか、何を感じていたのかは知る由もない。だけど今ならなんとなく分かる。あの時、あの人は、あの空間そのものを味わっていたのだ。窓から見える新緑を、美しいと思っていたんだ。
だからわたしも、同じ気持ちを味わいたいと思った。いろいろな場所に行って、わたしの思い描く美しさを、切り取ろうと思った。正直、建物を撮るのは得意じゃない。お寺や神社なんて、今まで撮影したこともない。
どうやってこの歴史を写真におさめよう、どうしたら教授の期待に応えられるだろう。構図はどう? 絞りは? 露出は? 本当にこれでいい? これで期待に応えられる? 毎日頭を悩ませながら、シャッターを、切っていた。
ああ、そうか。こんなにも泣きそうになるのはきっと、教授の一言で、1年の頑張りが認められたような気がしたからだ。わたしの撮ってきた写真は、間違いなんかじゃなかったんだと、ようやくわたしは安心することができたんだ。それは単位を与えられることよりも、よい成績をもらえることよりも、ずっとずっと嬉しかった。
「……そんな素直に褒めるなんて、頭でも打ちましたか」
「君も言うようになったな……」
「嘘です。ありがとうございます」
照れ隠しに嫌味を言って、でも嬉しいからついでにお礼も言っちゃって。笑みがこぼれるのをとめられない。わたしはカメラを手に持って、勢いよく立ち上がった。
「わたし、写真を撮ってきますね」
「頑張らなくていいと言ったのに」
「教授に言われたから撮るんじゃありません。……わたしが撮りたいから、撮るんです」
わたしは今日も、シャッターを切らずにはいられない。素敵な景色が、京都が、目の前にあるのだから。教授は一瞬目を丸くして、それからあきれたように笑った。ばかだねぇ、と、いつものように優しくつぶやいて、自分も腰を浮かせ、わたしに続いて庭に降り立つ。そう、わたしたちはいつだって、これでいいのだ。
無鄰菴を出たわたしたちは、そのままふらりと蹴上インクラインに立ち寄った。長く続く線路の上、石ころが転がる場所を歩きながら、ぽかぽか陽気を肌に染み込ませていく。
「もうすぐ、桜が咲きますね」
線路沿いには桜が植えられている。まだ花は咲いていない。だけどよく見ると、枝にはふっくらと膨らんだ蕾が生まれ始めている。すぐそこにある春を、また一つ発見。いつか桜が咲いたら、なんて考えていたけれど、いつかじゃない。きっともう、あと少し。
わたしの隣を歩く人は、そうだな、とうなずいて歩みをとめた。まだ見ぬ花を愛でるように、さみしい枝をじっと見つめる。茶色がかった髪が透けて、教授の横顔が、きらきら、きらきら。輝きながら、空気に溶ける。
やわらかな風が吹く。まだ桜は咲いていないのに、わたしの目の前には桃色の花びらが霞んで見えた。満開の桜。美しくて儚い、春の花。まだ見えない。見えていない。それなのに、なぜだろう、わたしの胸を強く揺さぶる。
わたしは無意識にカメラを手に取った。わたしが撮るのは風景だけ。今までそうやって生きてきたし、これからもそうだと思っていたのに。
――今、わたしが、撮りたいものは。
気づかれないようにそっと、教授に向かってシャッターを切った。あなたの横顔を写真におさめた。見えない桜を愛でるあなたを、写真に残したいと強く思った。この感情を何と呼ぶのかは分からない。わたしはまだ何も知らない。未成年を言い訳に、気づかないふりをしている。
教授がこちらを振り向いた。わたしは慌ててカメラを下げて、ごまかすように微笑んだ。あなたは少しふしぎそうな顔をしたけれど、何にも聞かないまま、春の花のように笑い返した。
その笑みは出会った頃よりずっとやわらかく、いつまでもいつまでも、わたしの心を揺さぶり続けた。
第二章へ続く
太陽光のやわらかさだったり、頬を撫でる風のさわやかさ。花の香り、小鳥のさえずり、コートを脱いだ体の身軽さ。もうずいぶんあたたかいですねぇ、そうですねぇ、っていう、クリーニング屋さんでのやりとり。こたつや毛布をしまいこんで、窓をちょっぴり開けちゃって、遠くに見える山々の鮮やかさが増していくのを、心ゆくまで眺めてみる。ブーツはもう靴棚の中、カイロは一番奥にしまって、パステルカラーの服を取り出しちゃったりなんかして、どうしよう、まだ寒いかな、でももう春だしな、なんてそわそわする。
だから、わたしは春がすき。
いつの間にか、大学に入学して1年近くが経とうとしていた。気がつけばまた1つ年を取って、そういえば朝自分で起きるのも、自分で朝食を用意するのも、ひとりでご飯を食べるのも、あたりまえのことになったなぁ、なんてしみじみ思う。
実はこの間、1週間だけ実家に帰った。久しぶりに味わう母のご飯も、高校時代の制服も、懐かしさを感じるものになっていることに驚いた。わたしにカメラを教えてくれた父に京都で撮った写真を見せて、「こんなにきれいだったよ」「こんなにおもしろかったよ」なんて言いながら親子のスキンシップを取っていたら、なんだかふっと京都が恋しくなってしまった。
そういうわけで、本当だったらもう少し実家でのんびりするつもりだったのだけれど、急遽荷物をまとめて京都に帰ることにしたのだ。名古屋から京都まで、新幹線で約30分。流れていく景色を眺めていたら、わたしの心を読んだように、間崎教授から連絡が来た。たった一文。唐突、そして素っ気ない。だけど誘い文句として、これ以上のものはない。
『無鄰菴(むりんあん)に行かないか』
つい先日、梅の花を見にいったばかりのわたしたち。目的地はいつだって気まぐれで、それはいつも、あれが見たい、あそこに行きたい、あの写真を撮りたい、撮ってほしい、とか、大体、どちらかの願望を叶えるためのもの。だから今日ここに誘われたのも、単なる教授の気まぐれで、撮影係として呼ばれたのかと思っていた。
頭上に広がるのは、うっすらと雲がかった空。確か、こういう空を花曇り、というらしい。春は、移動性高気圧の晴天と低気圧の悪天候との間隔が短いので、雲が多いのだと。それを知っているから、曇りだからといって気分が下がることはない。
今回の目的地である無鄰菴は、南禅寺の近く、京都市動物園のすぐそばにある。仁王門通から一本細い路地に入ると、「名勝 無鄰菴庭園」と刻まれた石碑が立つ入り口が見えてくる。手前にある駒札には、無鄰菴の歴史が事細かに記載されていた。
「無鄰菴って、山縣有朋の別荘なんですね」
日本史の教科書に登場するおかげで、第3代内閣総理大臣である山縣有朋の名は、わたしでも知っている。「日本軍閥の祖」という異名を持ちながら、政治家としても偉大な功績を残した人物だ。
そうだよ、とうなずくのは、わたしをここに連れてきた張本人である間崎教授だ。会うのは宝ヶ池公園に行って以来なので、そんなに時間は経っていないのだけれど、薄着のジャケットに白シャツと、もうすっかり春の出で立ちである。
「無鄰菴は日本に3ヶ所あってね。一つ目は、山縣有朋の故郷である下関に。二つ目は京都の木屋町二条に。そして三つ目がここ」
今日も今日とて、教授は無尽蔵な知識の一部をわたしに分け与える。その知識はいつだってわたしの五感を敏感にして、自分ひとりでは手に入らない感動を生み出すのだ。これは、この一年間、教授といて知ったこと。だからわたしは、教授の言葉を一言も聴き逃すまいと耳をすませ、その知識を脳裏に刻んで、よし、と自分を奮い立たせる。
「わたし、今日も頑張って写真を撮りますね!」
そんなわたしを見て、教授はふっと微笑んだ。
「今日は、そんなに頑張らなくていい」
「えっ?」
どうして、と尋ねるより早く、彼はさっさと先に進んでいった。いつもなら「いい写真を頼む」とか言ってプレッシャーをかけてくるくせに。一体なぜ、そんなことを言うのだろう。一抹の不安を感じながら、わたしは慌ててあとを追いかけた。
入り口を抜けてすぐのところにある受付で入場料を払うと、かるたの札のようなチケットを渡された。表面に文字が書かれている。
『苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽(うえ)る』
「これは何ですか?」
気になって尋ねると、受付の方がああ、と身を乗り出した。
「山縣有朋が庭園を愛でた言葉を記しているんですよ」
わたしと教授はお互いのチケットをのぞき込んだ。教授の方には「従来の人は重に池をこしらへたが、自分は夫(これ)より川の方が趣致(しゅち)がある」と書かれている。この言葉が無鄰菴を愛でたものなら、この先どんな景色が見られるのだろう。そう考えただけで気分が高揚する。ああ、毎日はこんなにも、好奇心で溢れている!
受付の右手には小さなくぐり戸があった。忍者のように身を屈めてくぐり抜けると、広い庭園が目の前に現れた。春の少し手前の顔をした、薄い色の芝生が視界いっぱいに広がって、水のさらさらと流れる音が一気に押し寄せ、わたしの視覚と聴覚を支配した。もみや松の木、そして遠くに見える山が、庭の四方をぐるりと囲んでいる。
さっきまで車が通っていたのに、人がたくさんいたのに、それらの存在は一瞬でどこかに吹き飛んでしまった。都会的なものはもう何も見えない。小鳥のさえずり、風の音、水のせせらぎ、あと、何だろう。春の香り。左手には母屋があって、右手には洋館。無鄰菴会議が行われた場所だよ、と教授が言った。日露戦争直前の外交方針を決める歴史的な会合が、まさにここで開催されたのだ。
母屋に上がると、座布団が敷いてあって、ゆっくりと過ごせるようになっていた。教授と並んで座布団の上に座り、カメラを構えるのを忘れてしばし休息。風がするりと頬を撫でて心地いい。
『苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽る』
チケットに書かれていた言葉が、頭の中で浮かび上がる。そういえば、光明院や祇王寺の庭には苔が茂っていたっけ。だけどここでは苔ではなくて芝生が主役だ。
「こういうお庭に芝生って、めずらしい気がします。庭園というと、なんだか苔のイメージが強くて……」
「山縣有朋が指示したんだよ。全体に芝生をはって、故郷のイメージの庭を作ってほしいと」
有朋の故郷って、どんなところだろう。下関には行ったことがないわたしには、想像することしかできない。だけどきっとそこは、今目の前にあるような景色なんだろう。自然が五感を支配して、煩わしいものが何にもなくて、日常を忘れさせてくれる。ううん、有朋にとってはきっと、この景色こそが、「日常」だったのかも。だからこそ、芝生をはったんだ。
「他にはどんな指示をしたんですか?」
「そうだな……ほら、真正面に東山が見えるだろう。有朋は真正面に見える東山を、借景ではなく庭のメインとして取り入れることを指示したんだ。あとは、池に水をためるのではなくお庭全体に流れを出すような、躍動的な水の流れを作ってほしいと」
「それってもしかして、チケットに書いてあった……」
『従来の人は重に池をこしらへたが、自分は夫より川の方が趣致がある』
その言葉通り、水のせせらぎは絶えることがない。ああ、そうか。風がこんなにも心地いいのは、心がこんなにも穏やかなのは、この、川のせせらぎに包まれているからか。芝生の感覚を楽しむように、小鳥がちゅんちゅんとさえずっている。すべての音が混じり合って、わたしの心をやわらかくする。
今の話を聞かなければ、チケットに書かれた言葉の意味も分からず、有朋のこだわりにも気づかないままだっただろう。いつだってわたしの感覚は、あなたの知識で潤う。だからこそ、取りこぼしてはいけない、といつも思う。何も知らずに表面だけを見て、ただなんとなく美しさを愛でているだけでは、思い出に深みが出ない。いつだって、深く、深く、心に刻みたい。歴史を。思いを。
聞きたいことがたくさんあった。京都で暮らしたこの1年、いろいろなところを巡って、いろいろな話を聞いて、教えてもらった。この目で、この耳で、この肌で、歴史を感じた。だけどこうしてふたりで座って、美しさの詰まった庭園を見ていたら、言葉はもういらないと思った。
「あの、教授」
沈黙に身を委ねようとしたけれど、その前にどうしても、気になることがあった。
「どうして、さっきあんなことを言ったんですか」
「あんなこと?」
「『頑張らなくていい』って……」
尋ねてから、ふと、言い知れぬ不安が胸を襲った。いつもは「いい写真を頼む」なんて言われて、撮影係にされるのを不満に思ったりもしていたけれど、いざ不要だと言われると、それはそれでこわくなる。もしかして、わたしの写真は必要とされていないんじゃないかしら、と、存在意義を見失う。だってこの写真だけが、わたしとあなたを繋いでいるんだから。
だけど教授は、そんなわたしの不安を吹き飛ばすようにからっとした笑顔を見せた。
「もちろん、写真が不要というわけではないけれど……今日は純粋に、君をここに連れてきたかったんだ」
「どういう意味ですか?」
「親元を離れて慣れない土地で1年間学業を頑張りました、というのと……」
それから、ちょっと照れくさそうに、
「たくさん写真を撮ってくれたカメラマンに、お疲れさま、を」
言葉がすぐに、出てこなかった。びっくりした、だけじゃない。驚きと、嬉しさが入り混じって、喉が急に閉じてしまった。教授は大して特別なことを言った様子もなく、すぐにわたしから庭園へと視線を移した。わたしひとりだけがいつまでもいつまでも、言われたことを反復して、こんなに景色が素敵だっていうのに、自分の膝元ばかりを見ている。今顔を上げたらきっと、理由の分からない涙がぽろっとこぼれてしまいそうだった。
どうしてこんな気持ちになるんだろう。どうして瞳が潤むんだろう。わたしは別に、教授に言われたから写真を撮っていたわけじゃない。始まりはたぶん茂庵だった。あの、吉田山の山頂で、一言も言葉を交わさずに過ごした時間。あの時共有したのは空気だけで、教授がどう思っていたのか、何を感じていたのかは知る由もない。だけど今ならなんとなく分かる。あの時、あの人は、あの空間そのものを味わっていたのだ。窓から見える新緑を、美しいと思っていたんだ。
だからわたしも、同じ気持ちを味わいたいと思った。いろいろな場所に行って、わたしの思い描く美しさを、切り取ろうと思った。正直、建物を撮るのは得意じゃない。お寺や神社なんて、今まで撮影したこともない。
どうやってこの歴史を写真におさめよう、どうしたら教授の期待に応えられるだろう。構図はどう? 絞りは? 露出は? 本当にこれでいい? これで期待に応えられる? 毎日頭を悩ませながら、シャッターを、切っていた。
ああ、そうか。こんなにも泣きそうになるのはきっと、教授の一言で、1年の頑張りが認められたような気がしたからだ。わたしの撮ってきた写真は、間違いなんかじゃなかったんだと、ようやくわたしは安心することができたんだ。それは単位を与えられることよりも、よい成績をもらえることよりも、ずっとずっと嬉しかった。
「……そんな素直に褒めるなんて、頭でも打ちましたか」
「君も言うようになったな……」
「嘘です。ありがとうございます」
照れ隠しに嫌味を言って、でも嬉しいからついでにお礼も言っちゃって。笑みがこぼれるのをとめられない。わたしはカメラを手に持って、勢いよく立ち上がった。
「わたし、写真を撮ってきますね」
「頑張らなくていいと言ったのに」
「教授に言われたから撮るんじゃありません。……わたしが撮りたいから、撮るんです」
わたしは今日も、シャッターを切らずにはいられない。素敵な景色が、京都が、目の前にあるのだから。教授は一瞬目を丸くして、それからあきれたように笑った。ばかだねぇ、と、いつものように優しくつぶやいて、自分も腰を浮かせ、わたしに続いて庭に降り立つ。そう、わたしたちはいつだって、これでいいのだ。
無鄰菴を出たわたしたちは、そのままふらりと蹴上インクラインに立ち寄った。長く続く線路の上、石ころが転がる場所を歩きながら、ぽかぽか陽気を肌に染み込ませていく。
「もうすぐ、桜が咲きますね」
線路沿いには桜が植えられている。まだ花は咲いていない。だけどよく見ると、枝にはふっくらと膨らんだ蕾が生まれ始めている。すぐそこにある春を、また一つ発見。いつか桜が咲いたら、なんて考えていたけれど、いつかじゃない。きっともう、あと少し。
わたしの隣を歩く人は、そうだな、とうなずいて歩みをとめた。まだ見ぬ花を愛でるように、さみしい枝をじっと見つめる。茶色がかった髪が透けて、教授の横顔が、きらきら、きらきら。輝きながら、空気に溶ける。
やわらかな風が吹く。まだ桜は咲いていないのに、わたしの目の前には桃色の花びらが霞んで見えた。満開の桜。美しくて儚い、春の花。まだ見えない。見えていない。それなのに、なぜだろう、わたしの胸を強く揺さぶる。
わたしは無意識にカメラを手に取った。わたしが撮るのは風景だけ。今までそうやって生きてきたし、これからもそうだと思っていたのに。
――今、わたしが、撮りたいものは。
気づかれないようにそっと、教授に向かってシャッターを切った。あなたの横顔を写真におさめた。見えない桜を愛でるあなたを、写真に残したいと強く思った。この感情を何と呼ぶのかは分からない。わたしはまだ何も知らない。未成年を言い訳に、気づかないふりをしている。
教授がこちらを振り向いた。わたしは慌ててカメラを下げて、ごまかすように微笑んだ。あなたは少しふしぎそうな顔をしたけれど、何にも聞かないまま、春の花のように笑い返した。
その笑みは出会った頃よりずっとやわらかく、いつまでもいつまでも、わたしの心を揺さぶり続けた。
第二章へ続く