暑い、暑いよぉ、と、口を開けば息を吐くより先に愚痴が漏れ、足を動かせば汗がぽたりと雨のように顎から落ちた。大きな麦わら帽子を被っていても、太陽光がじりじりと黒髪を焼き、会話をしようにも蝉の鳴き声が邪魔をする。
「琴子、暑い、お母さんもう限界」
蝉時雨の合間を縫って聞こえてくるのは、片足を霊界に突っ込んでいるような母のかすれ声である。暑い、と自分でつぶやくのはいいけれど、人に言われると暑さが倍増するような気がするのはなぜだろう。
「限界って……真々庵を出てまだ5分も経ってないよ」
「でも、このままじゃ干からびちゃう」
「来たいって言ったのはお母さんでしょ。そんなこと言ってると本当に……」
――干からびちゃうよ!
そう言おうとしたわたしの声を、目の前に現れた風景が根こそぎ奪った。
大きな朱色の鳥居に、そこから続く参道石段。両脇にずらりと並べられた春日灯篭。
一刻も早く日陰に逃げたいのに、両足は地面に縫いつけられたように動かない。あれほどこぼれていた「暑い」という言葉は、汗とともに体の外に流れ出てしまった。ここが、かの有名な貴船神社だ。
一礼してから鳥居をくぐり、歴史を全身で感じるように、一段一段踏みしめながら参道を上っていく。灯篭の朱色と青もみじの黄緑色が、わたしたちを誘導するようにどこまでも先へ伸びていた。見上げれば葉の一枚一枚に濃淡があって、そのグラデーションが美しさを深めていることに気がつく。青もみじがきらきら、きらきらと、きめ細やかな光をわたしたちに届けてくれるのは、太陽のおかげかしら。そう思えば、あれほど憎らしかった暑さも、途端に感謝の対象へと変わってしまう。
貴船神社の御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)。雲を呼び、雨を降らせ、陽を招き、降った雨を地中に蓄えさせて、少しずつ適量を湧き出させる働きをつかさどる神様だ。また、地名としては「きぶね」と濁るのが一般的だけれど、清らかな水がいつまでも濁らないようにと祈りを込めて、「きふね」神社と発音するらしい。
「あんた、いつの間にそんなに詳しくなったの」
感心したような眼差しを向けられ、わたしはぎこちなく笑うことしかできなかった。すべて某教授の受け売りである。
――貴船神社の御神徳は運気隆昌、縁結び、諸願成就。万物のエネルギーである「氣」が生ずる根源の地という意味で、「きふね」は古くから「氣生根」と表記されているんだよ。
先日貴船神社に行くことを告げたら、間崎教授は丁寧な解説をメッセージで送ってくれた。何を聞いてもまず人を小ばかにすることから始まるのが玉にキズだけれど、なんやかんや教えてくれるところを見ると、まめな人なのだなぁとぼんやり思う。
そういえば、大学教授って夏休みは何をしているのかしら。出張とか研究とかで、意外と忙しいのかしら。石段を上り終えたところで携帯電話を取り出して、「貴船神社に来ました」とメッセージを打ち込んだ。送信ボタンを押そうとして、一瞬ためらう。
「なに立ちどまってるの。ほら、行くわよ」
「あっ」
どん、と母に背中を押された拍子に、メッセージが送信されてしまった。しまった、こんな中身のない報告をするつもりじゃなかったのに。後悔しても、送ってしまったものはしかたない。わたしはポケットに携帯電話をしまって、再び歩き出した。
こんなに暑いというのに、本宮境内は参拝客で賑わっていた。手水舎で身を清めたあと、夏の太陽にじりじりと焼かれながら行列に並び、本殿にてお参りを済ませる。後ろを振り返ると社務所があり、「水占みくじ」という用紙が置かれていた。ふたり分、400円を納めて用紙を手に取る。「願望」「恋愛」「旅行」など、おなじみの用語が並んでいるけれど、肝心の部分はぽっかりと空白になっている。
「変なの、何も書かれていないわ」
母が首を傾げていると、巫女さんが「右手にある御神水に用紙を浮かべてみてください」と優しく教えてくれた。わたしたちは顔を見合わせ、山側にある「水占齋庭(みずうらゆにわ)」と呼ばれる御神水に用紙を浮かべてみることにした。
母娘ふたり、同じ瞳でじぃっと用紙に目を凝らす。すると、何も書かれていなかった部分に、じわじわと文字が浮かび上がってきた。どうやら水の神様の力で文字が浮き出てくる、というしかけらしい。結果が浮き出た用紙を手に取って、母は女子高生のように飛び跳ねた。
「やった、大吉。琴子は?」
「……吉」
悪くはないけれど、大吉と比べると少々不満が残る結果だ。なんとなく母に負けたような気がして悔しい。それに、よくよく見てみると気になる一文が。
『旅行 行かぬが吉』
……これって、もうわたし、京都巡りをしない方がいいってことかしら。それとも他の土地に行くのではなく、京都にとどまりなさいということかしら。うん、きっとそうだ。都合のよい方に解釈しよう。
「見て。『恋愛 心変わらずば叶うべし』だって」
「心変わらずって、そもそもすきな人いないし……」
「気づいていないだけかもよ?」
「ない、絶対にないもん」
わたしは大きく首を振り、おみくじを結び所にくくりつけた。まったく、どうして母はこうも娘の恋愛に興味を持つのだろう。そんなことよりもわたしは今、首から下げたカメラの方が大事なのだ。
本宮を抜け道なりに進んでいくと、貴船神社中宮、結社(ゆいのやしろ)が左手に見えた。
「お母さん、そっちじゃない。まずは奥宮から」
「どうして?」
「三社詣(さんしゃまいり)っていって、本宮、奥宮、中宮の順で参拝するんだって。そうすると願いが叶うらしいの」
「へぇーっ、そうなのね。知らなかったら、絶対中宮から行っちゃう」
もちろんこれも教授の受け売りである。
和泉式部が身を清めたという「思ひ川」を渡って「つつみヶ岩」と呼ばれる大きな岩を過ぎると、ようやく奥宮に到着した。
実はこの奥宮こそが、貴船神社が創建された土地なのだという。祀られている玉依姫命が乗ってきた船が黄色い船であったという説から、「黄船宮」と称されることになったのだとか。
「どうして黄色なの?」
「黄色は貴人を表す色なんだって。ほら、あそこにあるのが御船形石。玉依姫命の船が人目に触れないよう、石で包み囲んだと伝えられているの」
へぇーっ、と感心する母の横で、わたしは大きく深呼吸した。自然に囲まれているだけあって、空気がとてもおいしい。本宮に比べるとやはり人は少なく、マイナスイオンと空の広さを一層感じることができる。二礼二拍手一礼。きちんとお参りをしてから、最後に参るのは中宮、結社。
結社の御祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)。古くより縁結びの神、「恋を祈る神」としての信仰が厚く、平安時代の女流歌人である和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願した、という逸話があるらしい。
石段を上ると、ここにも「天乃磐船(あめのいわふね)」という名の大きな石があった。あまりにもきれいな形だから人工物かと疑いたくなるけれど、どうやら自然にできたものらしい。そしてその奥には、和泉式部の歌碑が置かれていた。
『もの思へば澤の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る』
「……『あなたが恋しくて思い悩んでいると、澤に飛んでいる蛍も、自分の身体からさまよい出てきた魂なんじゃないかと思うわ』」
「あら、ロマンチック。お母さん、こういうのすきよ」
なぜかここでも母は頬に手をあてて、うっとりと歌碑を眺める。いくつになっても少女のような女性だ。その娘はというと、洒落気もなく髪も染めず、今日だって日焼けどめクリームをかろうじて塗っているくらいの芋女である。血が繋がっているとはいえ、性格は似ても似つかない。
せっかくなので、縁結びの願いごとを結び文に書くことにした。「素敵なご縁がありますように」と、恋に恋する乙女のようなことを願ってみる。結び所にくくりつけようとしたら、ふと、願いごとが書かれている絵馬が目に入った。「すきな人と結ばれますように」「ずっと一緒にいられますように」「告白がうまくいきますように」全国各地からやってきた乙女の切なる想いが、ここ、貴船に、ぎゅっと凝縮されている。読んでいるだけで甘酸っぱくて、胃がきゅうっと縮こまってしまいそう。
振り返ると、大学生くらいのカップルと思われるふたりが、楽しく笑い合いながら結び文を書いていた。普通このくらいの年齢になったら、恋人と出かけるものなのかしら。暑さもいとわず手を繋ぎ、体を寄せ合うのも、恋をしている証なのかしら。
――恋、なんて。
心の中でつぶやいたら、砂糖菓子みたいに甘ったるい気持ちになった。
わたしにはまだほど遠いなぁ。恋愛小説を読んでみても、友人の話を聞いてみても、やっぱりわたしにはよく分からない。興味もなく、機会にも恵まれず、あっという間に18歳になってしまった。もう18、されど18。
結び文をくくりつけると、ポケットの中に入れていた携帯電話が、突然軽快な音を立てた。取り出して見てみると、教授から先ほどの返事が届いている。
『写真を楽しみにしているよ』
期待通りの言葉に、思わず口元がゆるんでしまう。どうしたの、と、隣で母が尋ねてくる。何でもないよ、と携帯電話をしまって、わたしはカメラを手に持った。
わたしもいつか、身を焦がすような恋をする日が来るのでしょうか。
今はまだ、分からないけれど。
「琴子、暑い、お母さんもう限界」
蝉時雨の合間を縫って聞こえてくるのは、片足を霊界に突っ込んでいるような母のかすれ声である。暑い、と自分でつぶやくのはいいけれど、人に言われると暑さが倍増するような気がするのはなぜだろう。
「限界って……真々庵を出てまだ5分も経ってないよ」
「でも、このままじゃ干からびちゃう」
「来たいって言ったのはお母さんでしょ。そんなこと言ってると本当に……」
――干からびちゃうよ!
そう言おうとしたわたしの声を、目の前に現れた風景が根こそぎ奪った。
大きな朱色の鳥居に、そこから続く参道石段。両脇にずらりと並べられた春日灯篭。
一刻も早く日陰に逃げたいのに、両足は地面に縫いつけられたように動かない。あれほどこぼれていた「暑い」という言葉は、汗とともに体の外に流れ出てしまった。ここが、かの有名な貴船神社だ。
一礼してから鳥居をくぐり、歴史を全身で感じるように、一段一段踏みしめながら参道を上っていく。灯篭の朱色と青もみじの黄緑色が、わたしたちを誘導するようにどこまでも先へ伸びていた。見上げれば葉の一枚一枚に濃淡があって、そのグラデーションが美しさを深めていることに気がつく。青もみじがきらきら、きらきらと、きめ細やかな光をわたしたちに届けてくれるのは、太陽のおかげかしら。そう思えば、あれほど憎らしかった暑さも、途端に感謝の対象へと変わってしまう。
貴船神社の御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)。雲を呼び、雨を降らせ、陽を招き、降った雨を地中に蓄えさせて、少しずつ適量を湧き出させる働きをつかさどる神様だ。また、地名としては「きぶね」と濁るのが一般的だけれど、清らかな水がいつまでも濁らないようにと祈りを込めて、「きふね」神社と発音するらしい。
「あんた、いつの間にそんなに詳しくなったの」
感心したような眼差しを向けられ、わたしはぎこちなく笑うことしかできなかった。すべて某教授の受け売りである。
――貴船神社の御神徳は運気隆昌、縁結び、諸願成就。万物のエネルギーである「氣」が生ずる根源の地という意味で、「きふね」は古くから「氣生根」と表記されているんだよ。
先日貴船神社に行くことを告げたら、間崎教授は丁寧な解説をメッセージで送ってくれた。何を聞いてもまず人を小ばかにすることから始まるのが玉にキズだけれど、なんやかんや教えてくれるところを見ると、まめな人なのだなぁとぼんやり思う。
そういえば、大学教授って夏休みは何をしているのかしら。出張とか研究とかで、意外と忙しいのかしら。石段を上り終えたところで携帯電話を取り出して、「貴船神社に来ました」とメッセージを打ち込んだ。送信ボタンを押そうとして、一瞬ためらう。
「なに立ちどまってるの。ほら、行くわよ」
「あっ」
どん、と母に背中を押された拍子に、メッセージが送信されてしまった。しまった、こんな中身のない報告をするつもりじゃなかったのに。後悔しても、送ってしまったものはしかたない。わたしはポケットに携帯電話をしまって、再び歩き出した。
こんなに暑いというのに、本宮境内は参拝客で賑わっていた。手水舎で身を清めたあと、夏の太陽にじりじりと焼かれながら行列に並び、本殿にてお参りを済ませる。後ろを振り返ると社務所があり、「水占みくじ」という用紙が置かれていた。ふたり分、400円を納めて用紙を手に取る。「願望」「恋愛」「旅行」など、おなじみの用語が並んでいるけれど、肝心の部分はぽっかりと空白になっている。
「変なの、何も書かれていないわ」
母が首を傾げていると、巫女さんが「右手にある御神水に用紙を浮かべてみてください」と優しく教えてくれた。わたしたちは顔を見合わせ、山側にある「水占齋庭(みずうらゆにわ)」と呼ばれる御神水に用紙を浮かべてみることにした。
母娘ふたり、同じ瞳でじぃっと用紙に目を凝らす。すると、何も書かれていなかった部分に、じわじわと文字が浮かび上がってきた。どうやら水の神様の力で文字が浮き出てくる、というしかけらしい。結果が浮き出た用紙を手に取って、母は女子高生のように飛び跳ねた。
「やった、大吉。琴子は?」
「……吉」
悪くはないけれど、大吉と比べると少々不満が残る結果だ。なんとなく母に負けたような気がして悔しい。それに、よくよく見てみると気になる一文が。
『旅行 行かぬが吉』
……これって、もうわたし、京都巡りをしない方がいいってことかしら。それとも他の土地に行くのではなく、京都にとどまりなさいということかしら。うん、きっとそうだ。都合のよい方に解釈しよう。
「見て。『恋愛 心変わらずば叶うべし』だって」
「心変わらずって、そもそもすきな人いないし……」
「気づいていないだけかもよ?」
「ない、絶対にないもん」
わたしは大きく首を振り、おみくじを結び所にくくりつけた。まったく、どうして母はこうも娘の恋愛に興味を持つのだろう。そんなことよりもわたしは今、首から下げたカメラの方が大事なのだ。
本宮を抜け道なりに進んでいくと、貴船神社中宮、結社(ゆいのやしろ)が左手に見えた。
「お母さん、そっちじゃない。まずは奥宮から」
「どうして?」
「三社詣(さんしゃまいり)っていって、本宮、奥宮、中宮の順で参拝するんだって。そうすると願いが叶うらしいの」
「へぇーっ、そうなのね。知らなかったら、絶対中宮から行っちゃう」
もちろんこれも教授の受け売りである。
和泉式部が身を清めたという「思ひ川」を渡って「つつみヶ岩」と呼ばれる大きな岩を過ぎると、ようやく奥宮に到着した。
実はこの奥宮こそが、貴船神社が創建された土地なのだという。祀られている玉依姫命が乗ってきた船が黄色い船であったという説から、「黄船宮」と称されることになったのだとか。
「どうして黄色なの?」
「黄色は貴人を表す色なんだって。ほら、あそこにあるのが御船形石。玉依姫命の船が人目に触れないよう、石で包み囲んだと伝えられているの」
へぇーっ、と感心する母の横で、わたしは大きく深呼吸した。自然に囲まれているだけあって、空気がとてもおいしい。本宮に比べるとやはり人は少なく、マイナスイオンと空の広さを一層感じることができる。二礼二拍手一礼。きちんとお参りをしてから、最後に参るのは中宮、結社。
結社の御祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)。古くより縁結びの神、「恋を祈る神」としての信仰が厚く、平安時代の女流歌人である和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願した、という逸話があるらしい。
石段を上ると、ここにも「天乃磐船(あめのいわふね)」という名の大きな石があった。あまりにもきれいな形だから人工物かと疑いたくなるけれど、どうやら自然にできたものらしい。そしてその奥には、和泉式部の歌碑が置かれていた。
『もの思へば澤の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る』
「……『あなたが恋しくて思い悩んでいると、澤に飛んでいる蛍も、自分の身体からさまよい出てきた魂なんじゃないかと思うわ』」
「あら、ロマンチック。お母さん、こういうのすきよ」
なぜかここでも母は頬に手をあてて、うっとりと歌碑を眺める。いくつになっても少女のような女性だ。その娘はというと、洒落気もなく髪も染めず、今日だって日焼けどめクリームをかろうじて塗っているくらいの芋女である。血が繋がっているとはいえ、性格は似ても似つかない。
せっかくなので、縁結びの願いごとを結び文に書くことにした。「素敵なご縁がありますように」と、恋に恋する乙女のようなことを願ってみる。結び所にくくりつけようとしたら、ふと、願いごとが書かれている絵馬が目に入った。「すきな人と結ばれますように」「ずっと一緒にいられますように」「告白がうまくいきますように」全国各地からやってきた乙女の切なる想いが、ここ、貴船に、ぎゅっと凝縮されている。読んでいるだけで甘酸っぱくて、胃がきゅうっと縮こまってしまいそう。
振り返ると、大学生くらいのカップルと思われるふたりが、楽しく笑い合いながら結び文を書いていた。普通このくらいの年齢になったら、恋人と出かけるものなのかしら。暑さもいとわず手を繋ぎ、体を寄せ合うのも、恋をしている証なのかしら。
――恋、なんて。
心の中でつぶやいたら、砂糖菓子みたいに甘ったるい気持ちになった。
わたしにはまだほど遠いなぁ。恋愛小説を読んでみても、友人の話を聞いてみても、やっぱりわたしにはよく分からない。興味もなく、機会にも恵まれず、あっという間に18歳になってしまった。もう18、されど18。
結び文をくくりつけると、ポケットの中に入れていた携帯電話が、突然軽快な音を立てた。取り出して見てみると、教授から先ほどの返事が届いている。
『写真を楽しみにしているよ』
期待通りの言葉に、思わず口元がゆるんでしまう。どうしたの、と、隣で母が尋ねてくる。何でもないよ、と携帯電話をしまって、わたしはカメラを手に持った。
わたしもいつか、身を焦がすような恋をする日が来るのでしょうか。
今はまだ、分からないけれど。