最後の授業の終わりを告げるチャイムを、私は複雑な気持ちで聞いていた。
 放課後になったら、部活に行かなきゃならない。
 つまり、ユウくんとも、顔を合わせることになる。

「はぁーっ」

 席を立つ前に、一度ため息をつく。
 ユウくんと会うのがこんなにも憂鬱になるなんて、考えもしなかった。

 今朝起きた時から、ユウくんとはギクシャクしっぱなし。というより、私が一方的に彼を避けていた。

 その理由はもちろん、昨夜の出来事のせい。
 ユウくんが言った、恋愛として誰かを好きになるってのが、よくわからないって言葉。
 それに、私のした告白未遂。
 それらが全然頭から離れずに、今日一日モヤモヤしっぱなしだった。

 私の様子がおかしいのは、他の人から見てもバレバレだったみたい。
 ユウくんは、朝起きてから学校で別れるまでの間、何度も気にしているようなそぶりを見せていたし、真由子や三島だって、どうかしたのかって心配してくれた。

 だけど何があったかなんて言えない。
 特にユウくんには、絶対に言えない。

 いつまでもこんなんじゃダメ。
 軽音部に行くまでに、しっかり気持ちを切り替えなきゃ。

 そう思っても、やろうと思ってすぐにできるもんじゃない。

(今日は、部活に行くの辞めようかな)

 とうとうそんなことまで考えてみる。
 けどそんなことしたら余計心配かけるだろうし、例え部活に出なくても、その後ユウくんは私のうちにくるよね。

 もうどうすればいいのかわかんなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。

 そんな時、急に声をかけられる。

「藤崎……おい藤崎!」
「えっ、何?……三島?」

 声をかけてきたのは、三島。
 三島は既に帰り支度をすませていて、今から教室を出るところみたい。

「何してんだ。部活行かねえのかよ」
「う……うん。今行こうと思ってたとこ」

 まさか、休もうかと思っていたなんて言えない。

「そうか。じゃあ俺、先に行ってるから」
「うん、私もすぐ行くね」

 ああ、行くって言っちゃった。
 まあ、休んでもどうにもならないってのはわかってるから、踏み出すきっかけとしてはちょうどいいのかもしれない。

 よし、行こう!

 覚悟を決めた私は、教科書を鞄に詰めると、教室の外へと出ていった。







 そうしてたどり着いた、軽音部部室。
 けどここまで来たってのに、中に入るのを躊躇する。

 さっき覚悟を決めたばっかりだってのに、またすぐに逆戻りだ。

 ユウくんと会って、どんな顔をすればいいのかな? 自然な感じでいられるかな?

 不安になるけど、ずっとこのまま扉の前でウロウロしているわけにもいかない。
 恐る恐る扉を開けて、中に入る。

「やあ、藍。授業お疲れ様」
「ユ、ユウくん」

 一歩足を踏み入れるのと同時に、ユウくんの声が飛んできた。
 緊張しているのを悟られないよう挨拶を返しながら、先に来ているはずの三島を探す。
 二人きりより三人の方が、気が紛れるはず。

 けどいくら部室を見渡しても、三島の姿はどこにもなかった。

「あれ、三島は?」
「今日はまだ来てないな」
「えっ? 私より早く教室出たのに?」

 もうとっくに来てると思ってたんだけど、いったいどうしたんだろう。

 けど、三島のことばっかり気にしてはいられない。
 何しろ今この部室には、私とユウくんの二人きり。
 向かい合ってると、どうしても昨夜のことを思い出す。

 せめて、何か全く別の話でもしようかな。
 だけど、どんな話題がいいか考える間もなく、ユウくんが話しかけてくる。

「なあ、藍」
「な、なに?」
「今朝から……いや、昨夜から、俺のこと避けてるよな?」
「──っ!」

 突然の言葉に、声を失う。
 私だって、バレてるだろうなとは思ってた、
 けどこんな風に直接聞かれると、なんて答えればいいかわからない。

 黙ってしまった私を見て、ユウくんは少しずつ近づいてくる。

「ねえ、なんで?」

 ユウくんは、決して怒ってるわけでも、強引に聞き出そうとしてるわけでもない。
 むしろ、不安や寂しさでいっぱいになってるように見えた。

 ユウくんにしてみれば、私が何も言わずにいきなり避けられるようになったんだから、無理もない。
 けどそうとわかっていても、なんでかなんて言えないし、こうして正面から向き合うと、どうしていいのかわからなくなる。

 だから、これ以上聞かれるのを避けるように、声を張り上げて言う。

「ちょっ……ちょっと待って! 私、教室に忘れものしたみたいなの。今から取りに行ってくるね!」

 そうして、返事も聞かずに部室から飛び出した。
 早い話が、逃げた。

(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)

 私だって、これでいいとは思っちゃいない。
 もちろん忘れ物なんて嘘だし、こんなのどう見ても不自然。
 こんなことしたら、次に会う時余計に気まずくなりそうだ。

 それでも、避けてる理由なんてどう話せばいいかわからないから、今はとにかく逃げるしかなかった。
 だけど、すぐ後ろからユウくんの声がする。

「待って!」

 ちらりと振り返ると、ユウくんが追いかけてくるのが見えた。
 急に逃げ出したんだから、そうするのも当然だ。

 自然と駆け足になって、傍にある階段を降りようとする。
 だけど、後ろにばかり気を回していたのがいけなかった。

 もう一度、ユウくんの様子を見ようと振り返ったその瞬間、階段を踏む足がズルッと滑った。

「わっ!」

 階段を踏み外したんだ。
 そうわかった時には、大きく視界が揺れていた。

「藍!」

 ユウくんが、血相を変えて駆け寄ってくるのが見えた。
 けど幽霊であるユウくんじゃ、私に触ることはできない。
 駆け寄ってきたとしても、倒れる私の体を支えるなんて無理だ。

 それでもユウくんは、階段から転げ落ちそうな私に向かって、必死に手を伸ばしていた。