それからユウくんは、私の持っているベースを見る。

「それにしても、まさか藍が音楽を始めているとは思わなかったよ。それも、俺の使ってたベースでなんて」

 ユウくんのベースをもらったこと、私が軽音部に入ろうとしていることは、ここに来るまでの間に話してあった。

「ごめんね。勝手に貰っちゃって」
「そんなことないって。むしろ、藍がもらってくれて嬉しいよ。どれくらい弾けるんだ?」
「えっと……」

 どうしよう。
 始めたって言っても、まだほとんど初心者。
 とても、胸を張って言える自信なんてないよ。

「そ、それが、初めてまだ半年くらいしか経ってないから、まだ全然なんだよね」
「半年か。なら、始めたのは俺より早いな。俺は、高校に入ってからだった」

 そういえば。
 ユウくんがこのベースを買ったのって、高校生になってからだったっけ。

「ユウくんは、どうしてベースやろうと思ったの?」

 ユウくんのことはもっと前から知ってるけど、中学生の頃は、特別音楽が好きってことはなかったような気がする。
 なのに、どうしてベースを買ってまで音楽を始めたのか、思えばちゃんと聞いたことってなかった。

「同じクラスの奴に誘われたんだ。とにかく音楽が好きで、バンドを組みたいから軽音部入ってくれって、クラス中に声をかけて回るような奴だった」
「そうなんだ」

 今は、廃部寸前の軽音部。
 もしかしたら、私もこれから、部員を勧誘する機会はあるかも。
 そういう積極性は、見習ってみようかな。

「強引なやつだったよ。興味無いって言ってもしつこく誘ってくるし、俺がベース担当になったのだって、自分はギターやるからお前はベースだって、半ば無理やり決めさせられたからな。それを買うのは俺なのに」
「そ、そうなんだ……」

 それは、なんだか色々凄い人みたい。
 わざわざ楽器を買うのは、高校生の財布じゃけっこう厳しそう。
 私じゃ、そこまで積極的にはなれないかも。

 ちょっぴり文句を言ってるユウくんだったけど、言葉とは逆に、その表情はどこか楽しそう。

「でもユウくん、すっごく張り切って練習してたよね」
「ああ。始めは無理矢理でも、やっていくうちに、もっと上手くなりたいって思った。初めて一曲弾けるようになった時は、本当に嬉しかった」

 やっぱりそうなんだ。昔、部活のことを話してくれたユウくんはとても楽しそうだったし、そうじゃないかって思ってた。

 この軽音部で、そんな素敵な思いをしていたんだ。
 私も、これからその軽音部でやっていくんだ。そう思うと、ワクワクしてきた。

「私も、ユウくんみたいにたくさん練習するからね」
「ああ。頑張れ」

 応援しながら、ユウくんはそっと、私の頭の上に手を伸ばす。
 頭を撫でてくれようとしているんだ。

 私はユウくんに頭を撫でられるのが大好きで、ユウくんもそれを知ってた。
 だから、褒める時や励ます時、事ある毎に私の頭を撫でてくれた。

 だけど今、ユウくんの手は私の頭に触れることなく、スッと突き抜けていく。
 幽霊になったユウくんは物に触ることができないんだから、こうなるのは当たり前だった。

「やっぱりダメか。藍なら俺を見ることができたし、もしかしたら触れるかもしれないって思ったけど、無理みたいだな」

 手を引っ込めて、残念そうに言うユウくん。

「ごめんな。もう前みたいに撫でてやれなくて」
「も、もう子どもじゃないんだし、別にいいから、気にしないで」

 って言ったものの、残念なのは私も同じ。もしかしたら、私になら触れるんじゃないかって、ちょっと思ってた。

 私ももう高校生で、頭を撫でられて喜ぶような歳じゃない。なのに、前みたいに撫でてもらえないんだと思うと、なんだか寂しかった。
 けどそんなことを言ったら、ユウくんを困らせちゃう。

 するとユウくんは、少し考えた後、また私に向かって手を伸ばす。

「じゃあ、これならどうだ?」

 ユウくんの手が、私の頭に触れるか触れないかくらいの場所で、一度止まる。それからゆっくり、手のひらを前後に動かした。

(わわっ!)

 確かにこれだと、私の頭を撫でてるように見えるかも。

 もちろん、実際に触ることはできないから、いくらやっても、手の感触は伝わってこない。
 だけど、それでもユウくんが、少しでも何とかしたいって思ってくれてるのはわかった。
 私も、本当に撫でられた時に負けないくらい、ドキドキした。

「あ、ありがとう───」

 それからしばらくの間、ユウくんはそのまま、触れられない手で私の頭を撫で続ける。

 またユウくんに撫でてもらえるなんて夢みたいで、ドキドキと幸せで、胸がいっぱいになってくる。

 そんな中、不意に、部室の入口の方から、ガチャリという音が響いた。

「えっ──?」

 見ると、部室の扉が開き、一人の男子生徒が入ってきた。
 三島だ。

「悪い。遅れ、た……」

 声をかけてくる三島。
 だけど、急に詰まったように、その言葉が途切れる。
 そして、なぜかびっくりするくらい大きく目を見開いた。

「三島……?」

 どうしたの?
 不思議に思うけど、そこでようやく気づく。

 今の私、ユウくんに頭撫でられてるんだよね。
 部室にやってきていきなりそんなの見たら、驚くかも。

 って言うか、これを人に見られるのって、かなり恥ずかしい。

「あっ……み、三島、これはね……」

 えっと、これって、何をどこから説明したらいいの?
 どうして頭を撫でられてるか? それとも、ユウくんが幽霊だってことからった方がいい?

 だけど、そこで私は、またおかしなことに気づく。

 幽霊になったユウくんは、私以外の人には姿が見えない。そう思ってた。

 だけど三島は、間違いなく、私を撫でるユウくんを見て驚いている。

 三島も、ユウくんのこと見えるの!?

 ハッとしたところで、三島は目を見開いたまま、今度は口を大きく開く。
 そして、叫んだ。

「なんでそいつがここにいるんだよーーーーっ!」

 三島の大きな声が、校舎の一角にこだました。