まだ肌寒さが残る四月の朝、自分の部屋の鏡の前で身だしなみをチェック。
 髪型はいつもやってるポニーテールで、服装は紺色のブレザーにグレーのプリーツスカート。

 私、藤崎藍が通ってる高校の制服なんだけど、自分がこれを着てるのが、なんだか不思議な感じがする。

 何しろ高校にはつい最近入学したばかりで、授業が始まるのも今日から。まだ全然慣れてないよ。

「変じゃないかな?」

 鏡の前で何度もチェックして、それが終わったら、机のすぐ横に目を向ける。

 そこにあるのは、黒いケースに入った、真っ白なベースギター。

 それを手に取って、そっと呟く。

「ユウくん……私、高校生になったんだよ」




     ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 それはまだ、私が小学四年生の頃。近所の公園で友達と遊んだ後、一人で帰ろうとしていた時だった。

 その頃、私の髪は今より短くて、少し肩にかかるくらい。その髪を、突然後ろからクイッと引っ張られる。

「きゃっ!」
「よう藤崎。お前の頭に黒い影がくっついてるぞ!」

 振り返ると、そこにいたのは同じ小学校のクラスメイト、三島啓太。

 ビクッて怯える私を見て、三島はニヤニヤって意地悪そうに笑う。

「こりゃ幽霊に取り憑かれてるな」
「やっ──変なこと言うのやめてよ!」

 まただ。
 何でかわかんないけど、三島は事ある毎に私にちょっかいをかけてくる。

 私は、そんな三島がちょっと嫌い。

 中でも一番多いちょっかいが、今みたいに幽霊に憑りつかれてるって言ってくるやつ。

「幽霊なんていないじゃない」

 一応、頭の周りを見てみるけど、三島の言ってるような黒い影なんてどこにもない。

「そりゃ、藤崎には見えないからな。けど俺には見える。今は背中に移動した」
「うそ!」
「うそじゃねえよ。前から言ってるだろ。俺は幽霊が見えるんだって」

 三島の家はお寺をやってて、普段から、霊感があるとか幽霊が見えるとか言ってるの。

 そんなの、本当かどうかなんてわかんない。嘘をついてるのかもしれない。

 けど、もし本当だったら。三島の言う通り幽霊が取り憑いていたら、すっごく怖い。

「俺は親切で言ってるんだぞ。このままじゃお前、呪われるかもしれないぞ」
「やっ……」
「俺なら幽霊を追い払えるけど、お前がそんな態度をとるなら、助けてやんねーぞ」
「うぅ……ごめんなさい」

 こんなにすぐ謝るから、三島も調子に乗るんだろうな。
 けど本当に幽霊が取り憑いてるなら、なんとかしてほしい。

 なのに三島は、ますます怖がらせてくる。

「あっ。今度は肩に手を置いたな。それに首を掴んできた」
「────っ!」
「やっ!」
「この幽霊、よっぽどお前のこと気に入ったんだな。もう二度と離れないかも」

 そんなの嫌!
 幽霊に取り憑かれるのも、三島にイジワルされるのも、すっごく嫌だった。

「もうやめて! 三島なんて嫌い!」
「──っ! な、なんだよ」

 大声で叫ぶと、三島もようやく黙る。
 けど私の嫌な気持ちは全然なくならなくて、目には涙が溢れてくる。
 それを見て、三島がギョッとする。

「だ、だから、俺なら幽霊を追い払えるんだって。待ってろ、今なんとかするから」

 三島が慌てて慰めてくるけど、一度出た涙は止まらなかった。

「う、うぅ……うわぁぁぁぁん!」

 とうとう本格的に泣きだす。
 そんな時だった。

「藍、どうしたんだ?」

 急に名前を呼ばれて、声のした向く。

 そこにいたのは、紺色のブレザーに薄いグレーのズボンっていう、この近くにある高校の制服を着たお兄さん。
 白っぽい肌に、スッと鼻筋の通ったキレイな顔立ちで、とってもかっこいい。
 学校帰りみたいで、手には通学鞄、右肩には黒いケースを引っ掛けていた。

「ゆ、ユウくん……」
「泣いてたみたいだけど、大丈夫か?」
「う……うん」

 慰めるように、私の頭を優しくなでてくれる。
 するとそれだけで、さっきまでの嫌な気持ちや流れてた涙が、だんだん引っ込んでいく。

「あ、ありがとう。ユウくん」

 私がユウくんって呼んでるこの人は、有馬優斗くん。
 歳は私より七つも上の高校二年生。私の家の近所に住んでいて、小さなころから遊んでくれたり面倒を見てくれたりしていた、お兄ちゃんみたいな人だった。

「どうして泣いてたんだ?」
「あのね、三島が、私に幽霊が取り憑いてるって言うの」
「あっ、てめえ!」

 三島が声をあげるけど、私はさっきみたいに怖がったりしない。
 だって、今はユウくんがいるから。

 ユウくんの後ろにサッと隠れると、それだけでもう大丈夫だって思えた。

「黒い影ね。確か前は、河童がくっついているって言っていたっけ。そんなの、いったいどこにいるんだ?」

 ユウくんは、一応辺りを見回すようなそぶりをしながら言う。

「嘘じゃねえよ。ホントに憑いてるんだって!」
「だから、どこに?」
「あ、あんたじゃ見えないだけだって。俺は、霊感があるから見えるんだよ!」
「すごいな。霊感少年だ」
「お前、信じてねえだろ! やい藤崎。お前は、俺とコイツどっちを信じるんだよ!」

 怒ったように叫ぶ三島。その姿はまるで「俺って言え」ってアピールしてるみたい。
 だけど私はハッキリ言う。

「ユウくん!」

 三島とユウくんなら、ユウくんを信じるに決まってるもん。

 そうしたら三島は、ますます怒る。

「お前、そんなこと言ったら絶対呪われるからな! もう俺を頼ってきても、絶対助けてやらないからな!」

 さっきまでの私ならそれに怯えてただろうけど、今は違う。

「その時は、ユウくんに助けてもらうからいいもん! ね、ユウくん。助けてくれるでしょ?」
「ああ、そうだな」

 ユウくんはまた、私の頭を優しく撫でる。それから三島を見て静かに言った。

「なあ、霊感少年。女の子には、もう少し優しくするもんだ。好きな子をイジメたって、振り向いちゃくれないぞ」
「なっ、なっ、なぁ───っ!」

 その途端、三島は今まで怒ってたのが嘘みたいに狼狽えはじめる。
 体中からタラタラと汗が流れていて、顔なんて今にも爆発しそうなくらい真っ赤だ。

「そっ、そんなんじゃねえよ。誰がこんなブス! 覚えてろよ!」

 ブ、ブス!?

 結局、三島はそれだけ言って、逃げるように去って行った。

 だけど三島の姿が見えなくなっても、最後の言葉が私の胸の中に響く。

 ブス。

 私だって、自分のことを特別可愛いなんて思ってない。
 けど、あんな大声でブスって言うなんて。しかも、ユウくんの前で。

「藍、もう大丈夫だぞ」

 ユウくんはそう言うけど、私は全然大丈夫じゃない。

「ねえ。私、ブスなの?」

 もしも、そうだよなんて言われたらどうしよう。ユウくんにそんなこと言われたら、きっとすっごく泣いちゃう。
 だけどユウくんは、それを聞いてフフっと笑った。

「何だ、そんなの気にしてるのか。大丈夫、あんなの嘘だよ」
「ほんと?」
「ああ、藍はとてもかわいいよ。俺が言うんだから、間違い無い」

 そう言ってユウくんは、ニコリと笑う。
 それから、何度も何度も私の頭を優しく撫でる。

 少しくすぐったいけど、そうしているうちに、いつの間にかすっかり笑顔になる。
 たとえ三島に百回ブスって言われても、ユウくんにかわいいって言って頭を撫でてもらえれば、それだけで笑顔になれるような気がした。

「うん。ユウくんが言うなら、きっとそうなんだ。三島の言うことなんて絶対に信じない!」

 それから私たちは、並んで歩き出す。私たちの家は近所だから、帰る方向も一緒だ。

「ねえユウくん。手、繋いでもいい?」

 歩いてる途中、ユウくんにそんなお願いをする。
 家に帰るまでの間、ユウくんと手を繋いで歩きたかった。

「ああ、いいよ」

 ユウくんが、出してた私の手をギュッと握る。
 その時、ちょっとだけドキッとした。

 こんな風にユウくんと手を繋いで歩くことは何度もあるのに、その度に嬉しくなって、ドキドキする。

(ユウくん、大好き)

 私にとってユウくんは、優しいお兄ちゃんみたいな人。
 けどそれだけじゃないの。
 ユウくんは、世界で一番大好きな、初恋の人だった。