【おい、遠山愛空】
「...」
【飯は食っているのか?】
「...あんたには関係ないでしょ」
あの事故から、1週間が経った。
母さんに、夕飯食べる?と聞かれても、要らないと答え続け、学校に行っても授業を受けて帰るだけの生活に、生気と呼べるものは皆無だった。1日2つのおにぎりで、なんとか生命を保っている状態だった。
学校に行っても鎌代紗音(かねしろすずね)の席はなくて、まるで最初からいなかったみたいに、誰も覚えていないのが辛かった。
死神(タナトス)・アマネが、昨日、亡くなった】
「え?」
僕は目を開けた。
「なんでよ。10月の初めまで生きてるんじゃないの?」
【お前と死神(タナトス)・アマネでは、身体の作りも違うし、事故に遭った時の体勢も違う。そんなものだ、人生における災難と呼ばれるものに遭って生きるか死ぬかなんて、紙一重の差なんだよ。それこそ、誤差と呼べるくらいの】
話し続ける神に、ぱんと大きな音を響かせたのは、僕だった。神の頬を打つ、なんていう暴挙に出たのは、僕の子供のような八つ当たりだった。神に原因があるわけでもない。
分かっていたけど、当たらずにはいられなかった。
【...私にはどうすることもできないんだ】
「...知ってる、解ってるよ」
ごめん、という僕の声が、空気の籠った薄暗い部屋の中にゆっくりと溶けていった。
【お前には、死神(タナトス)・アマネの声を届けに来た】
「...声?」
神の陶器のように白く滑らかな手指が、真っ白な封筒を僕に差し出してくる。
死神(タナトス)・アマネの、寒中見舞いだ】
それを受け取りながら、目を見開いた。
天音が僕の机で書いていた、何か。
年賀状だ、と言った後に、クリスマスカードだ、と言い出して、どうして時期を戻していくんだろうかと僕は疑問に思って、最後に寒中見舞いだと言った、あの紙。
これだったのか。
震えながら封を切って、便箋を開くと、綺麗に並んだ、彼女らしい文字が見えた。
《こんにちは!久しぶり、かな?
そうでもなかったりするかな?
これは、遺書です。そうだよ、愛空に向けて。
まずは、今まで本当にありがとう!一年にも満たない短い期間だったのに、愛空と過ごした時間は私の死神(タナトス)としての10年間の中で、1番充実していたような気がするよ。最初は私に怯えて離れていっていたのに、いつの間にか部屋から追い払わなくなってて、挙句の果てに躊躇なくハグしてくれるんだもの、びっくりしたけどすごく嬉しかったなぁ。》
自分の行動を、こうやって言葉にされると本当に恥ずかしい。自分の顔が熱くなっていくのを感じた。神に何か言われるかと思ったけど、神は何も言わなかった。僕は改行されたその先の文字を追いかける。ペンのインクの色が僅かに変わっているから、先ほどの部分とは別の日に書いたものなのかもしれない。天音の軽やかな声が聞こえてくるようだった。
《実はね、愛空と夏にやるまで私、線香花火ってやったことが無かったの。松葉に、柳に、散り菊。線香花火の火花の名前を、愛空はひとつひとつ教えてくれたよね。線香花火の綺麗さと同じくらい、私、あの時の愛空の顔が印象に残っているの。火花に照らされて笑う愛空は、本当に綺麗だった。
なんて、こんなことを書いているうちに私は恥ずかしさで死にそうになっている訳だけど、お気づきかな?うーん、こんな所だし書いてしまおう。えーい。私ね、愛空が初恋の人だったんだよ。死神(タナトス)になってから初恋ってどうなってるんだよ、って自分でも言いたいけどさ。本気で恋をし始めたのは愛空の死神になってからだけどね、クラスメイトとして同じ空間にいた時からずっと、私は貴方のことが気になっていたの。友達がいないわけじゃないのに、どこか一歩引いて、周りの話を聞いているような人。静かな人なのかな、と思ったよ。どうやら間違いではなかったようだけど、しっかりと自分の意見も意思も持っていて、そして意外と口が悪い。うわぁ、いくらでも惚気(のろけ)られるなぁこれ。惚気なの?って突っ込まれそうだけど、そうだよ、一応。でもね、私は、この気持ちを面と向かって伝えるつもりはないんだ。聡明な愛空なら分かると思うけど、私たちには時間がないでしょう?それに、愛空は人間で、私は死神。問題しかないわけですよ。私はね、あのまま友達以上恋人未満の絶妙な距離感を続けていられればそれで良かったの。でももしも、愛空が私に恋をしていたらどうしてたかなぁ。まさかとは思うけどね。えへへ、妄想が(はかど)る。》
「...そのまさかだよ」
僕がそう呟くと、照れたような天音の笑顔が頭に浮かんだ。
部屋の隅に立っていた神は一瞬僕の方を見たけど、何も言わなかった。
《おっと、惚気話に夢中になって大事なことを書き忘れるところだった。「賭け」の話。これは私が愛空に直接伝えているよね。「ひとつ、賭けをしよう」って私が言っているはず。
賭けっていうのはね、愛空。
悠久の時を生きてきた私よりも、限りある16年を思い切り生きた愛空が「素敵な景色、色々な気持ち」を多く知ることができたら愛空の勝ち。愛空のそれよりも私のそれが上回ったなら私の勝ち。
どうかな?私は愛空に勝って欲しいな。人生の価値は長さじゃないって、証明して見せてよ。》
そう来るか。
人生の価値は長さじゃない。
きっとそうだ。人生の価値は、「濃さ」だろう。
《今は愛空は、もしかしたら私がいなくなったことにショックを受けているかもしれないね。愛空の最期に立ち会えないのは申し訳ない。でもね、私との賭けに勝つためでも、美味しいご飯を食べるためでも、今日をより良く生きるためでも、何でも良い。理由は何でも良いから、とにかく思いっきり生きてほしいなぁ。それができたら本当に100点満点。いっぱい褒めてあげる。お土産話いっぱい持ってきてね、待ってるから。
私が言いたいのはそれだけかなぁ。ううん、それだけなはずないんだけど、ここに書きたいのはそれだけかな。
それじゃあ、またね、愛空。
ごめんね。それから、大好きだよ。》
僕の頬に、とうに涸れたと思っていた涙が伝った。
「...神」
【何だ】
「ありがとう。あとさ、これ。貰っても、良いかな」
死神(タナトス)・アマネがお前に遺したんだ。好きにしろ】
「ありがとう」
僕はそう言って、あの事故があってから、初めて微笑んだ。

【遠山愛空】
「なに?」
【お前の担当死神(タナトス)を紹介しても良いか?】
「担当死神(タナトス)って初めて聞いた。良いよ、ありがとう」
【...】
「どうしたの?」
【妙に素直になったと思って】
「神も、前はそんな口の聞き方しなかったのに。気遣いを覚えたね」
【そんなんじゃない。ほら、死神(タナトス)・リオン、来なさい】
はぁい、というような間延びした返事が聞こえて、小学2〜3年生ぐらいの女の子が姿を現した。
凛音(りおん)です。谷村(たにむら)凛音(りおん)。よろしくね」
「...よろしく」
僕はてっきり、若くても僕と同年代ぐらいの死神(タナトス)が来ると思っていたので、少し呆然としながら呟いた。
「ねぇ、神」
【なんだ】
死神(タナトス)はさ、名前に『音』が入ってないといけない決まりでもあるの?」
【そんな決まりはない。死神(タナトス)・リオンが死神(タナトス)・アマネから字を貰っただけだ】
「...そう、なんだ」
「愛空お兄ちゃん」
顔を上げると、僕の新たな死神がにっこりと笑って言った。
「天音ちゃんと仲良くしてくれて、ありがとう。天音ちゃんね、お兄ちゃんと会ってからすごく楽しそうだったよ」
「...此方こそ、ありがとう。僕も、楽しかった」
そう言って笑うと、凛音も、誰かとよく似た優しい笑顔を浮かべた。