「何してるの?」
1人で部屋にいると、紗音の声が真横から聞こえて、僕は盛大に溜息を吐いた。
「呼んでないんだけど」
「うん、知ってる」
「じゃあなんで」
「暇だったから来た。何してるの?」
彼女はどうやら遠慮とかプライバシーとかいう言葉を知らないらしい。
「そう。見て分からないかな、ギター弾いてるんだけど」
僕の指がクラシックギターの弦を弾くさまを、紗音は吸い寄せられるように眺めていた。
「あ、知ってる、この曲」
「まぁ、有名な曲だからね」
「J-POPでしょ、ちょっと前に流行ったやつ。歌えるよ、歌おうか?」
「...どうぞご自由に」
そう言うと、紗音は顔を輝かせて、そっと息を吸い込んだ。
死神の歌なんて全く期待していなかったのだけど、想像に反して彼女は歌が上手かった。
ギターを奏でながら横目で見ると、まるで指揮棒を振るみたいに人差し指で拍を取りながら、こちらを見て楽しそうに笑っていた。僕はと言えば、どんな顔をすれば良いのか分からなくて、ふっと目を逸らしてしまったのだけど。
曲が終わると、紗音は
「ギター上手いね」
と感心したように呟いた。
「紗音も歌上手じゃん」
僕がそう返すと、彼女は少し頬を赤らめて照れ臭そうに笑った。こう見ると、本当に普通の人間みたいだ。とても死神になんて見えない。
可愛い子だな。
ふっとそう思ったけど、彼女は死神なのだと思い直して慌てて頭を振った。
「どうしたの?」
僕の気持ちなんて露知らず、紗音が不思議そうに首を傾げる。
「...や、なんでもない」
そうぶっきらぼうに言った僕の頬が熱くなったように感じたのは、きっと気のせいだろう。
「おーい、紗音」
空中に向かって声を上げると、紗音は透明な階段を降りてくるみたいに僕の前にふっと現れた。
「なぁに?」
「これからちょっと出掛けるんだけどさ。紗音も来る?」
「行っていいの?」
彼女が目を輝かせながら大声を上げた。
「...ダメって言ってもどうせ付いてくるだろうから、最初に聞いておいた方が驚かないと思って」
「お、分かってるじゃん。ちなみに、どこ行くの?」
「公園」
「公園ん?」
「割と広いところね。散歩しようと思って」
「行くぅ!」
「はい、分かった」
「やったぁぁあ」
「落ち着け。さっきから語尾が伸びまくってるぞ」
ぴょんぴょんと跳ね回る紗音本人に華麗にスルーされたことによって、僕の忠告は無かったことにされてしまった。
「ねぇ、愛空」
「ん?」
横を見ると、並んで歩く紗音と目が合った。
「愛空の誕生日っていつ?」
「10/23だけど」
「あ、もう終わってるんだ」
「うん、...どうやらもう誕生日は来ないみたいだけどね。紗音は?」
「2月、14日」
「お、バレンタインじゃん」
「高校入試の日でもあるよ」
「ゔ」
もう僕たちは高校入試を終えた身ではあるけど、高校入試を他人事として考えられるほど、時間は経っていない。
「...じゃあ、その日はお祝いだな」
「お祝い?」
「紗音の誕生日の、お祝い」
「...死神の誕生日を祝うの?」
彼女の自嘲の籠った笑い声が聞こえた。
顔を上げると、紗音は公園に生えている見事な紅葉の木を見上げていた。
彼女が葉の一枚に人差し指を当てると、その唐紅の一葉はみるみるうちに色褪せて、はらりと地面に落ちた。それを紗音は、なんとも言えない寂しげな瞳で見つめている。
「...本当のこと言うと、死神の存在も、自分の余命も、糞食らえって感じだけどさ。でも、紗音の誕生日を祝わない理由にはならないんじゃないか?」
僕がそう言うと、紗音の肩が微かにぴくりと動いた。
「...そう、かな」
「うん」
「そう、なんだ」
「うん」
「ありがとう」
紗音の瞳が、優しげに笑った。
「紗音、前から聞きたかったんだけど」
「うん?」
秋の夕陽に目を細めながら、紗音が応える。
「紗音って、前からずっと死神やってるの?」
「...そうだよ」
「何年ぐらい前から?」
「えーと、10年ぐらい前になるのかな?人間の時間に換算すると。私が死神になった時点で私自身の時間の進みは止まってるから、私はずーっと16歳だよ。永遠の16歳とは私のこと」
ぺらぺらと喋り続ける紗音の言葉を、理解するのには少々時間がかかった。
「え、じゃあ」
僕は驚いて紗音を見る。
「僕と紗音って、同い年じゃないの?」
「同い年だよ?」
「へ?」
「私は16歳で止まってるから、今の愛空と同い年だよ?」
「あ、えーと、紗音は」
表現を間違えたようだ。僕は頭を整理してから、もう一度訊いた。
「僕と同じ、2008年度生まれじゃないの?」
あぁ、そういうこと、と呟いてから、彼女がこくりと頷く。
「私は1998年度生まれだよ。16歳、だから、えーと、2015年か。2015年の春に死神にスカウトされてから、今まで、ずっと」
「そう、なんだ。死神の仕事ってさ、楽しいの?」
「楽しいわけないじゃん。仕事だからやってるけど、快楽殺人犯と一緒にしないでくれる?そういう人は死神じゃなくて殺人鬼になるよ。死神になっても、殺人衝動のコントロールができる訳がない。私は悲劇とか見たら普通に泣くよ」
「へぇ」
「へぇとは何だ」
「じゃあ、紗音は元は人間だったんだ」
「死神として活動してる奴の殆どはそうだよ。瀕死の時に神からお声が掛かって、死神になる」
ふーん、と聞き流そうとして、耳を疑った。え、『瀕死の時に』?
僕の心の声は、口を突いて出ていたらしい。
「そうそう、瀕死の時。私は通り魔に突き落とされたんだけどね」
「...え?」
「人気のない高台で、後ろからトンって。真っ逆さまに落ちていって、あぁ、これ私死ぬなって思ってたら、神に声を掛けられてね。まだ死にたくなかったから死神になったの。それから10年間、名を変え場所を変え、死神やり続けて今に至る」
まだ死にたくないから、名を変え場所を変え、死神となって止まった時間の中を生き続ける。
どれほど孤独だろうか。
どれほど苦しいだろうか。
だから巷では、まだ私のことは突然失踪したJKってことになってるんじゃないかな。なんて、紗音はなんてことないように話していたけど、彼女の手が微かに震えているのを、僕の目は確かに捉えていた。
1人で部屋にいると、紗音の声が真横から聞こえて、僕は盛大に溜息を吐いた。
「呼んでないんだけど」
「うん、知ってる」
「じゃあなんで」
「暇だったから来た。何してるの?」
彼女はどうやら遠慮とかプライバシーとかいう言葉を知らないらしい。
「そう。見て分からないかな、ギター弾いてるんだけど」
僕の指がクラシックギターの弦を弾くさまを、紗音は吸い寄せられるように眺めていた。
「あ、知ってる、この曲」
「まぁ、有名な曲だからね」
「J-POPでしょ、ちょっと前に流行ったやつ。歌えるよ、歌おうか?」
「...どうぞご自由に」
そう言うと、紗音は顔を輝かせて、そっと息を吸い込んだ。
死神の歌なんて全く期待していなかったのだけど、想像に反して彼女は歌が上手かった。
ギターを奏でながら横目で見ると、まるで指揮棒を振るみたいに人差し指で拍を取りながら、こちらを見て楽しそうに笑っていた。僕はと言えば、どんな顔をすれば良いのか分からなくて、ふっと目を逸らしてしまったのだけど。
曲が終わると、紗音は
「ギター上手いね」
と感心したように呟いた。
「紗音も歌上手じゃん」
僕がそう返すと、彼女は少し頬を赤らめて照れ臭そうに笑った。こう見ると、本当に普通の人間みたいだ。とても死神になんて見えない。
可愛い子だな。
ふっとそう思ったけど、彼女は死神なのだと思い直して慌てて頭を振った。
「どうしたの?」
僕の気持ちなんて露知らず、紗音が不思議そうに首を傾げる。
「...や、なんでもない」
そうぶっきらぼうに言った僕の頬が熱くなったように感じたのは、きっと気のせいだろう。
「おーい、紗音」
空中に向かって声を上げると、紗音は透明な階段を降りてくるみたいに僕の前にふっと現れた。
「なぁに?」
「これからちょっと出掛けるんだけどさ。紗音も来る?」
「行っていいの?」
彼女が目を輝かせながら大声を上げた。
「...ダメって言ってもどうせ付いてくるだろうから、最初に聞いておいた方が驚かないと思って」
「お、分かってるじゃん。ちなみに、どこ行くの?」
「公園」
「公園ん?」
「割と広いところね。散歩しようと思って」
「行くぅ!」
「はい、分かった」
「やったぁぁあ」
「落ち着け。さっきから語尾が伸びまくってるぞ」
ぴょんぴょんと跳ね回る紗音本人に華麗にスルーされたことによって、僕の忠告は無かったことにされてしまった。
「ねぇ、愛空」
「ん?」
横を見ると、並んで歩く紗音と目が合った。
「愛空の誕生日っていつ?」
「10/23だけど」
「あ、もう終わってるんだ」
「うん、...どうやらもう誕生日は来ないみたいだけどね。紗音は?」
「2月、14日」
「お、バレンタインじゃん」
「高校入試の日でもあるよ」
「ゔ」
もう僕たちは高校入試を終えた身ではあるけど、高校入試を他人事として考えられるほど、時間は経っていない。
「...じゃあ、その日はお祝いだな」
「お祝い?」
「紗音の誕生日の、お祝い」
「...死神の誕生日を祝うの?」
彼女の自嘲の籠った笑い声が聞こえた。
顔を上げると、紗音は公園に生えている見事な紅葉の木を見上げていた。
彼女が葉の一枚に人差し指を当てると、その唐紅の一葉はみるみるうちに色褪せて、はらりと地面に落ちた。それを紗音は、なんとも言えない寂しげな瞳で見つめている。
「...本当のこと言うと、死神の存在も、自分の余命も、糞食らえって感じだけどさ。でも、紗音の誕生日を祝わない理由にはならないんじゃないか?」
僕がそう言うと、紗音の肩が微かにぴくりと動いた。
「...そう、かな」
「うん」
「そう、なんだ」
「うん」
「ありがとう」
紗音の瞳が、優しげに笑った。
「紗音、前から聞きたかったんだけど」
「うん?」
秋の夕陽に目を細めながら、紗音が応える。
「紗音って、前からずっと死神やってるの?」
「...そうだよ」
「何年ぐらい前から?」
「えーと、10年ぐらい前になるのかな?人間の時間に換算すると。私が死神になった時点で私自身の時間の進みは止まってるから、私はずーっと16歳だよ。永遠の16歳とは私のこと」
ぺらぺらと喋り続ける紗音の言葉を、理解するのには少々時間がかかった。
「え、じゃあ」
僕は驚いて紗音を見る。
「僕と紗音って、同い年じゃないの?」
「同い年だよ?」
「へ?」
「私は16歳で止まってるから、今の愛空と同い年だよ?」
「あ、えーと、紗音は」
表現を間違えたようだ。僕は頭を整理してから、もう一度訊いた。
「僕と同じ、2008年度生まれじゃないの?」
あぁ、そういうこと、と呟いてから、彼女がこくりと頷く。
「私は1998年度生まれだよ。16歳、だから、えーと、2015年か。2015年の春に死神にスカウトされてから、今まで、ずっと」
「そう、なんだ。死神の仕事ってさ、楽しいの?」
「楽しいわけないじゃん。仕事だからやってるけど、快楽殺人犯と一緒にしないでくれる?そういう人は死神じゃなくて殺人鬼になるよ。死神になっても、殺人衝動のコントロールができる訳がない。私は悲劇とか見たら普通に泣くよ」
「へぇ」
「へぇとは何だ」
「じゃあ、紗音は元は人間だったんだ」
「死神として活動してる奴の殆どはそうだよ。瀕死の時に神からお声が掛かって、死神になる」
ふーん、と聞き流そうとして、耳を疑った。え、『瀕死の時に』?
僕の心の声は、口を突いて出ていたらしい。
「そうそう、瀕死の時。私は通り魔に突き落とされたんだけどね」
「...え?」
「人気のない高台で、後ろからトンって。真っ逆さまに落ちていって、あぁ、これ私死ぬなって思ってたら、神に声を掛けられてね。まだ死にたくなかったから死神になったの。それから10年間、名を変え場所を変え、死神やり続けて今に至る」
まだ死にたくないから、名を変え場所を変え、死神となって止まった時間の中を生き続ける。
どれほど孤独だろうか。
どれほど苦しいだろうか。
だから巷では、まだ私のことは突然失踪したJKってことになってるんじゃないかな。なんて、紗音はなんてことないように話していたけど、彼女の手が微かに震えているのを、僕の目は確かに捉えていた。